1.スリー・コミッション(3)
「はあっ……はあっ……」
飛び降りた勢いのままに、ソラは狭い路地に飛び込んだ。
この惑星にきて短い間であるが、いつも外に出て訓練にいそしんでいたため、それなりにソラはこの町の地理を知っていた。
このまままっすぐ行けば最速であの宿屋からより早く遠ざかることの出来る。
「おろすよ。走って!」
「は、はいっ」
いい加減手が疲れてきたので、抱え上げた少年を手早くおろし、一緒になって拘束を解く。
外側からだとあっけないほど簡単に拘束は解け、改めて、男がこういうことに慣れている人種なのだと認識でき、少し背筋が冷えたが、そんな人種だからこそ、より一カ所に立ち止まっている現状の危うさも理解できて、「走ろう! こっち!」とソラはクリエを先導するように路地の奧へと疾走を開始した。
「あ、あのっ!」
前を見ながら黙々と走っていると、後ろからクリエが、何かためらうような口調で話しかけてきた。
「何?」
「す……はぁ、はぁ、すいません……僕のせいで、はぁ、またややこしいことに……」
「それは……いい、けど……」
まるでぜんそくでも持っているかのように息を切らしながら、体力の無さをアピールするかのように走るその姿は、面倒ごとに巻き込まれた苛立たしさよりも、心配を先にもたらすほどで。
あまり強い言葉に出来なかった自分を、少しふがいないかなと思いながら、ソラは話題の方向性を変える。
「もう少しで抜けるから……っ」
汚物や落書きが蔓延する石壁の裏道を二人は競うよう走っていく。
その先はかなり雑多な人が行き交う通りである。そこに行けば人に紛れて何がなんだか分からなくなる――
「残念だが」
筈だったが。
野太い声が行く手を遮った。
「っ――!?」
光の差す道が、壁に見まごうほどの密度をもった何かにふさがれる。
それが人の身体だと認識するのに数秒を要した。
それがどれほど恐ろしいことか理解するのにさらに数秒。
「貴様らを逃がすわけにはいかない」
「な……」
何者か、と問おうとするソラの脳裏にある映像が蘇り、それが反射的に口を噤ませた。
そう、あのとき少年を受け止めた時に、飛んでいた翼飛機は何機いたのか――
「オレは相棒のように甘くないぞ?」
逆光に慣れた目が、声の主をはっきりと映し出した。
大きな男だった。
山のような、という形容にふさわしい体躯に、拘束具のようにスーツがまとわりついている。
顔面に明らかに普通ではない傷痕が走っていて、人相を隠すように賭けられた分厚いサングラスが眼光の鋭さを冷え冷えとした殺気に変えている。
(この人――さっきの人の仲間だ!?)
ざっ、と足が石畳を踏みしめる感触で我に返る。
思わず後ずさっていた。
意識が勝手に身体を動かしていたのだ。
危険だ、危険だ、目の前の男は危険だ、と。
先ほどの男はどこか抜けたところがあり、身体が動いてくれた。だが、今度の男はそうではない。
容赦というものがまったく感じられないどころか、自分の意思さえもその格好からは感じなかった。
まさしくそれは一個の機械といった風情で、絶対にミスなどしないと、体中から吹き出るオーラがそう言っていた。
「逃げてください」
あわやパニック状態に陥りかけたソラを一つの言葉が平常へと揺り戻した。
それは後ろを走っていた弱弱しい少年の声だった。
初めて走った仔馬のように息も絶え絶えな様子なのに、その言葉は強い響きを持っていた。
「僕が目的なんでしょう。なら――」
「ふん……そうだな。確かにお前を確保できれば文句はない」
「だったら……!」
「だが、その女が見逃した後何をするかもわからん。“保安官”に垂れ込むとも限らんし、翼飛機組合の奴等は戦力として侮れない。私の馬鹿な相棒はそこらへんを軽視しているが、私としては“空駆けるものの誇り(スカイヤー・スピリッツ)”だかしらんが、あの妙な正義感は敵に回したくないのでな――」
「っ……」
「事故に見せかけて死んでもらえばその手間が一気に省ける。悪いが付き合ってもらうぞ」
「君の“アマツバメ”号でな?」
「そんな!?」
その言葉には、言外にソラの翼飛機を好きなようにできるという響きがあった。
町外れの廃材置き場におかせてもらっているそれはフリントシェル――ドーム状の頑丈な液体金属で作られた金庫のようなもの――で厳重に保護してあるはずだった。
「あの程度のシェルならば道具があれば数分で解体できる。保護膜は安物だが、中身はなかなかいいものじゃないか――ウェル社の過去最高傑作と呼ばれる“ジャポネーゼ・ネイム”の一つ――だが、少々扱いが荒いな、尾翼に引っかき傷がついていたぞ?」
口の端をゆがませながら放たれる言葉は正確にアマツバメ号の傷を示していた。
かつてソラがまだ未熟だったころにつけたひときわ目立つ傷――自らを、自戒するためにつけていたそれを言い当てられて、ソラは、自分の夢そのものが目の前の男に握られていると理解した。
「汚い……っ」
後ろに立つクリエが憎しみを込めてそう吐き捨てる。
「君が暴れるからねぇ。そうでなければ前途有望なレーサーの未来をつぶさずにすんだのだが」
「くっ……」
言い返す言葉なくクリエは黙り込んでしまった。
そう、確かに目の前の少年ががいたからこの状況が起こった。それは間違いのない事実だった。
「さて。ご同行願う。まさかレーサーが自らの夢を打ち砕かれることを認めるはずもないよなあ?」
男は先ほどの喜悦に満ちた嗜虐的な笑みをさらに深くして、手を差し出した。
「……っ」
選択肢はなかった。
「だからのう。そういう用心棒とかいうのは足りてるんじゃ。ここは治安もいいし立派な“保安官”もいらっしゃる。ほかの星ならいざ知らず、この星であんたみたいな人は必要ないんじゃ」
「しかし……そうは言ってもな。腕に覚えがあるのはこれだけでな」
老人の値踏みするような視線を居心地悪げに受け止めながら、若い男は困ったように腰にさした棒状の何かを叩き、強調するようにしながら老人を見つめた。
「ふーむ。ここじゃその技はまったく役にたたんぞい。いくら兄さんがチャンバラするのが巧くてもなあ。そればっかりじゃうちの店では役に立たん」
「……そうか」
まだあきらめきれない様子の若者をたしなめるような視線を送りながら、老人はすまなそうにため息をついた。
「そういうわけじゃ、よそをあたっとくれ。といってもこの星じゃあ、その技の使いどころは難しいと思うがのう……」
「わかった」
そういって若者はあっさりと引き下がった。
「ほんに悪いのう」
後ろで老人が言葉を取り繕っていたが、振り返ることはなかった。
扉を開けると故郷では感じることのなかった凄まじい喧騒が聞こえてくる。
どやどやと、何事かを話し合う声が幾重にも重なり合い、それが地を踏みしめる音と合わさって、えも知れぬ強大なざわめきとなっている。
石造りの町並みを見渡しながら、若い男は、何度目になるかわからないため息をついた。
「仕事がなあ……」
無意識のうちに携えられた腰元に触れてしまっていて、改めて時代と自分の学んできた価値観がどれほどずれていってしまっているのかを感じて、男はため息をついた。
「――――ん?」
そのときだった。
嗅ぎ慣れたにおいを若者の嗅覚が明敏に察知した。
殺気を放つ人間の匂い――とでも言うのか、
その独特な気配は、目の前をせわしなく行き来する群集の中にいて、より強く違和感を感じさせる類のものだった。
思わずその気配を追うと、そこには明らかに異質な男が二人の人間を連れ立って歩いていた。
サングラスにスーツといった怪しいいでたちをしているその男は、まるで少女と見まごうほどの少年と、引き締まった体をした少女をつれて歩いていた。
「……仕事にありつけるか」
その怪しい匂いを発散する男を鋭くにらみつけて、若い男は歩き出した。
その後を追跡するように。