第五話
イザベルが跳び出してから数時間後。
午後三時。
彼女の姿はテラスにあった。
彼女はローズとともに、小さな丸テーブルの前に座っていた。
「どうしたんです、ワタシ個人を呼び出して?」
「別に何だっていいじゃない、実践よ実践!」
「実践??」
イザベルは自分の恋スキルを磨くために、ローズを実践相手、もとい、練習相手に選んだ。
ハリソン相手に、いきなり大人の女を演じるのは、例え一国の女王であってもイザベルには不可能だ。
故に彼女は、執事を相手に実践、もとい、練習をしようと考えたのだ。
ローズは執事の中でも『気が利く』方だ。
ヒガンと争っていない時は、一番『落ち着いている』と言っても過言ではない。
そんな彼に、自分がさらに上質の『落ち着き』『気遣い』を魅せることができれば、本番であるハリソンの時に、それが活かせるのではないか。
イザベルはそういった考えで、ローズを選んだ。
「……ん?」
ふと、ローズは眼前に置かれたあるモノに気づいた。
「このティーセットは?」
それは色とりどりの花の装飾が施された、紅茶用のポットとカップだった。
「イザベル嬢がご用意されたのですか?」
「そ、そうよ。当たり前じゃない、アナタと妾しかいないんだから。もちろん中身も入ってるわよ。」
「ワタシをお茶に誘うとは…珍しいこともあるものですね。槍でも降ってこなければいいのですが。」
「何ですって!?」
は…っ!
いけないいけない。
声を荒げては大人の女性に見られないわ。
けどよりによってこんな時に皮肉を言うなんて…そっちの方が珍しいわよ。
と、とにかくここは落ち着いて…落ち着いて……。
「ふぅ…いや、何でもないわ。」
「?」
それと、ユリが言ってた二大ポイントのもう一つ。
気が利かないといけないのよね、女は、うん。
そのためにもここは『女』である妾がローズに紅茶を淹れてあげないと。
大人のリードって奴よ…!
……あ。
せっかく紅茶を飲むんだったら、クッキーの一つでも焼いてくれば良かった。
妾ってホントバカなぇ…。
ま、焼いたことないけど。
け、けど、実際紅茶だけでもあるわけなんだから、大人の女性を演出するにはじゅうぶ、ん……。
…?
「ねぇ、ローズ。」
イザベルは目に留まった物体を指差す。
「何ソレ?いつ持ってきたの?」
それは、台車だった。
クッキー皿がのった、台車だった。
皿には一つ一つ、丁寧に形づくられたクッキーが並べられていた。
「ん?今持ってきたばかりですけど。」
イザベルは自分の世界に入り過ぎ、ローズの行動を見ていなかったのだ。
「ちょうど、皆が小腹を空かせてくる時間かと思いましてね。少し前に焼いておいたのですよ。」
……う。
「でもまさか、イザベル嬢がワタシをお茶に誘って下さるとは。ワタシもクッキー達も、気持ちが高揚します。クッキー達は、イザベル嬢に食されることを光栄に思っていますよ、きっと。」
…う。
「ワタシは執事です。なので普段なら、イザベル嬢の紅茶を淹れますが……せっかくこの場を用意していただいたんです。」
ローズは自身のカップを差し出し、跪く。
「良かったらこのワタシめのカップに、貴方の紅茶を注いではいただけませんか、レディ…?」
う…!
何、
何この感じ!
いや、確かに妾がローズに淹れてあげる流れになったけども。
予定通りになったけども!
何か、違う。
何か違うわ。
妾、
今、
完っっっ全にリードされてる…!
相手のフィールドで、『淹れさせられてる』感じ…!!
ってか何このタイミングでクッキー持ってくるのよ!
見たところ、プレーン、ココア、マーブルという三種類の味にぃ?
ハート、お星様、クマちゃん、お人形さんといったぁ?
味も見た目も楽しめるようなものをつくってきてぇ??
こんなの、三時のおやつにぴったりじゃないの…!
何て気が利くのよ、バカ!
「…イザベル嬢?」
「へ?あ、あぁ、紅茶ね紅茶。妾特製の紅茶をご堪能あーれー♪」
この日、イザベルはまともに『落ち着いた女』も『気が利く女』も演じることはできなかった。
結局彼女は、ローズのクッキーにただただ舌鼓を打つだけであった。
紅茶の味は薄く、そして冷めていた。