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覚醒(一)

 吹きつける雪と氷が、ゴーグルを凍らせ俺から視界を奪う。摂氏マイナス20度の氷床をスノーモービルで駆け抜ける。しかも俺の服は町中で着るような防寒着程度。まったくの自殺行為だ。

 寒いの感覚を通り越して全身が痛い。スノーモービルのアクセルを握る手にもはや感覚は無くなっている。顔などの外気に触れる部分の皮膚には、カッターナイフで細切れにされたような激痛が走る。

 後ろを振り返ると、見えない視界に雪上車のライトだけが微かに映る。何処かで休みたいがそんなことが出来るはずもない。俺も必死だが奴等も必死なのだ。絶対に捕まるわけにはいかない。

 あの岩でてこずったのがまずかった。もう少し早く離れていれば、奴等に見つからずにすんだものを。くそ、今更呪っても仕方が無い。何としても仲間に合流しなくてはいけない。そうすれば俺の理想を実現出来るのだから。

 そう思った瞬間、俺の体はスノーモービルごと宙に舞っていた。ゴーグルが弾け飛び、一瞬戻った視界には、足下に何も無い空間が広がっていた。

 恐怖よりも心地好い浮遊感を味わうと同時に、抗う術が無い空しさに包まれながら徐々に増していく加速度を刹那ごとに実感した。

 体が回転し、不思議なことにあれ程悪かった視界がはっきりと晴れている。奇麗な空だ。

 遠のいて行く空をバックに、奴等の雪上車が見えた。その途端、今まで味わっていた浮遊感も、空しさも吹き飛び、怒りがこみ上げて来た。

 奴等のほくそ笑んでいる顔が目に浮かぶ。悔しい。このままでは絶対に終わらせない。俺の目的は、こんな所で死ぬことじゃ無かったはずだ。

 必ず此処に戻って来てやる。そう心に誓った俺は、背中から全身に伝わる衝撃を感じ、氷山の割れ目に出来た小さな海に、沈んで行った。

 息苦しさを覚えるよりも先に、心臓が締めつけられる痛みを感じた。


 次の瞬間、俺の体は、宇宙にある恒星が全て消え去ったような暗闇に包まれていた。ブラックホールの中に入ったとしたらこんな風なのだろうか。

 気が付くと俺はその暗闇の中を歩いていた。いや、歩くと言う表現は正しくないかも知れない。何しろ暗闇の中では、自分が移動していると判断するべき目標物が無いからである。しかも五体に全く感覚が無く、立っているのか、寝ているのか、浮いているのか、沈んでいるのかもわからない状態だ。歩いていると思ったのはこの暗闇から逃げ出したい俺の願望のせいかも知れない。

 暫くすると可笑しなことに気が付いた。光が全く無いと思っていたこの世界で、自分の体だけが、はっきり見えるようになっていた。それも、いつも見慣れている角度からの光景では無かった。全くの他人が俺を見ているような感じで見えている。頭の先から足の先までを確認出来る。

 それだけでは無く、同時にあらゆる方向から、俺が俺自身を映像として確認出来る。頭の真上から見える俺、足の裏から見える俺、後ろから前から、斜めから見える。まるで無数の俺が存在しているようだ。

 でも、不思議と気味悪さは感じ無い。寧ろ何故か安心する。俺は昔から自分の姿を見るのは嫌いだった。容姿が悪いからじゃ無い。どちらかと言うと、平均以上だと思う。嫌いなのは自分の内面だ。

 大きな理想を掲げた狂信者。それが俺だ。理想と現実の行動のへだたりに喘ぐ自分の姿が大嫌いだった。写真を撮られるのは勿論、鏡を覗くことさえ敬遠していたくらいだ。そんな俺が無数に浮かぶ俺自身の姿を見て安心するなんて、不思議としか言い様が無い。

 そんなことを、一瞬とも無限ともつかない時間続いたところで、目の前に一点の光が見えて来た。俺はその光に引かれるように歩く。今度は自分が移動しているのがわかる。光が徐々に大きく、明るくなって来るからだ。

 光が俺を取り巻く安らかな暗闇を奪い取った時、それ以上歩くのをためらった。いったいこの光が、希望の光なのか、地獄の業火によるものなのか、俺にはわからなかったからだ。

 暫くためらっていると、誰かの俺を呼ぶ声が聞こえたような気がした。悪魔の囁き、それとも船人を暗礁に誘い込む人魚の歌声か。俺の心はその声に拒否反応を示したが、体の方では受け入れてるらしい。何故ならその声が聞こえると同時に僅かに俺の五感が戻って来るのがわかった。

 腕を引っ張られる感じがした。強引でもあり、優しくもある。その手に引かれるまま、ようやく俺は意を決し、光の中に思い切って足を踏み出した。


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