コテツとハイト02
アッカーマンシステム本社から無人のオートタクシーで五分のところにある高級マンションの三十六階……その一号室と二号室をぶち抜いて作られた空間がコテツとアーデルハイトの住居だった。
「お帰りなさい、兄さん、ハイトさん……」
音声のみでコテツとアーデルハイトを迎えたアーティフィシャルインテリジェンス……人工知能は、空間映像投射機を用いて自らの姿を定義した。
それは黒いショートヘアにあどけない顔をした美少女だった。
「「ただいま、マイ」」
コテツとアーデルハイトが同時にマイと呼ばれた少女に返答する。
マイ……マイ=ナガソネはコテツ=ナガソネの妹だった存在だ。
しかして今は肉体は無く、人工知能として人格だけを残された存在だ。
人類がまだ地球の重力に縛られていた頃には既に脳の解析は終わっている。
そしてそれにともない人工知能の発達も必然だった。
今や家事や労働の一部を人型ロボットに任せる時代である。
しかしてコテツとアーデルハイトの居住空間にはそれらのロボットの姿はなかった。
アーデルハイトはエプロンを着ながらコテツに尋ねた。
「おいコテツ、今日は何食いたい?」
「じゃあパスタで」
「わかった……」
冷蔵庫の扉についているモニターの、そこに表示されたコンソールを指で操作して食材の指定を行ない、ネットマネーで買うアーデルハイト。
そしてアーデルハイトが冷蔵庫の扉を開くと、そこにはアーデルハイトの指定した食材が揃っていた。
食材や料理をあらかじめ量子化しておき、それをデータで転送、冷蔵庫内や料理ボックス内で量子復元をすることで買い物に行かず必要な食材や料理を手に入れることが現在では可能になっている。
ほとんどの人間は料理ボックスで調理済みの料理を量子復元して食す習慣がついているが、コテツとアーデルハイトは手料理を好んだ。
故にアーデルハイトは既に死滅寸前のエプロン姿になったのだ。
今夜の二人の夕餉はプッカネスタだった。
料理をダイニングに運んで、それから食物への感謝と神への感謝をそれぞれ終えるとコテツとアーデルハイトは食事を開始した。
立体映像のマイが言う。
「それで? 今回の……ええと……六○五の稼働試験はどうだったんです?」
「制御の連携効率は良くなっていたぜ。あれなら大体の人間とは連携がとれる優れものだ」
空間波制御。
イナーシャルリバイズ。
加速機能。
マジックバリア。
信号兵器。
機体制御。
アースクは基本的に人間一人ではまかなうことのできない情報処理能力を必要とする。
そのためサブシステムと呼ばれる人工知能と連携をとってアースクを動かすことを強要される。
その連携効率が良ければ良いほどサブシステムは優秀だという具合だ。
しかして例外もある。
「六○五……兄さんも使ったんですよね?」
「まぁね」
「どうでした?」
「反応が遅かったから黙って自然数を数えさせた」
「ふふ、兄さんらしいですね」
そう。
ここに例外がいる。
コテツはアースクの情報処理を一人でまかなえるのだ。
コテツにとってサブシステムは事実の確認以上の意味を持たない。
アーデルハイトが嘆息する。
「まったく……どういう脳みそをしたらそこまでの情報処理をできるんだか」
「別にそんな難しいことをしてる認識はないけどね……」
プッカネスタを食べながらコテツ。
「兄さんはアースクの訓練学校でも圧倒的でしたから」
とマイ。
コテツはムッとする。
「総合成績ではハイトやマイには敵わなかったじゃん」
「実技ではずば抜けていたけどな」
「懐かしいですね。アースク訓練学校での出来事は」
「あの頃はアースクに夢を持ってたなぁ」
ぼんやりとアーデルハイト。
コテツ=ナガソネ。
マイ=ナガソネ。
アーデルハイト=アッカーマン。
彼ら彼女らはアースク訓練学校の学生だった。
そして三人そろってアーデルハイトの祖父が運営するアッカーマンシステムのアースクの奏者になった馴染みである。
マイが行方不明になってからアッカーマンシステム専属のメイン奏者はコテツとアーデルハイトだけになったが、それでもこうやって人工知能のマイとともにコテツとアーデルハイトは自らの運命に専念していた。
「あ、そうだ。兄さん」
「なに……マイ」
「ヒルダちゃんがまた勝ったそうですよ」
「さすがだね。デフィートレスの二つ名は伊達じゃないってことかしらん。Bクラスでも絶好調だね」
「……ヒルダって……あのCクラスを無敗で突破した空前絶後の新人……ヒルダ=ニュートンのことか?」
首を傾げるアーデルハイト。
「はいな。私と兄さんの幼馴染です」
「幼馴染……」
「マイとヒルダは同じ年齢でね。子供の頃は僕とマイとヒルダとで一緒に遊んだ仲なんだ」
コテツはパソコン化した脳をブレインユビキタスネットワークに接続してアーデルハイトの脳と接続すると情報を共有した。
アーデルハイトの脳に画像データが送られる。
それはコテツとマイと、それから黒いロングヘアーを持つ撫子然とした美少女の映った画像データだった。
その画像でコテツはにこやかに笑っている。
「これがデフィートレス……ヒルダ=ニュートン……!」
「そ。僕とマイがまだ地球の日本で暮らしてた頃の幼馴染」
プッカネスタを咀嚼、嚥下するコテツ。
「むぅ……」
そう呻いて、それからアーデルハイトは言う。
「やっぱりコテツは黒髪がいいのか?」
「はぁ?」
意味がわからず問い返すコテツ。
アーデルハイトは顔を朱に染めながら言う。
「だから……マイやヒルダのような黒髪がいいというのか?」
「別に髪色で好き嫌いを分けるほど落ちぶれちゃいないね」
「じゃあ金髪はどうだ?」
「だから髪色に執着なんてないって」
「そ、そうか……うむ、そうだな。髪色で人を差別するのもおかしな話だ……」
「どうしたの? 頭でも打ったの?」
「いや、そういうわけじゃない……」
もじもじとアーデルハイト。
マイがにこやかに、
「つまりハイトさんは兄さんの事を……」
そこまで言って、それから、
「わあああああああ! マイ=ナガソネ! それ以上言うとフォーマットするぞ!」
アーデルハイトに言葉を千切られた。
マイはおかしいといった様子で笑う。
「ふふふ、はいな。ではこれ以上申しません」
「うう……」
顔を真っ赤にして呻くアーデルハイト。
そして、プッカネスタを食べ終えたコテツが言う。
「じゃ、先にシャワー浴びさせてもらうよ」
「ああ、皿は水場に浸けておいてくれ」
「あいあい」
キッチンの水場につけて、それからコテツはタオルと着替えをとるとシャワールームへと足を運んだ。
コテツがシャワールームに行ってからアーデルハイトはマイを睨んだ。
「軽々しく真実を言おうとしないでくれ。俺にも心の準備があるんだぞ……」
「それは失礼しました。でも今の兄さんは誰にもなびきませんよ?」
「それをわかったうえで一緒にいるのだ。それくらいマイにはわかっているのだろう?」
「ええ、まぁ……」
くつくつと笑うマイ。
「まさか隣同士のこのマンションの部屋の壁を壊して一つの居住空間にするとは思いもしませんでしたけど」
「しょうがないだろう。そうしないと行方不明になったお前を悼むコテツを救うことなんてできなかったんだから……」
オリジナルのマイは行方不明になっている。
そしてその件を知ったコテツはアーデルハイトが心配になるくらい落ち込んだ。
食べ物は喉を通らず、自室の隅っこでじっと体育座りをするコテツを見るに見かねてアーデルハイトは自身の部屋とコテツの部屋の間にそびえる壁を破壊した。
結果、コテツとアーデルハイトは高級マンションの三十六階……その一号室と二号室をぶち抜いて作られた空間にともに暮らすことになった。
全てはコテツを元気にするためだった。
「ともあれ……」
ゴホンゴホンとわざとらしく咳をするアーデルハイト。
「今はまだその時ではない。軽挙妄動は控えてもらいたい」
そんなアーデルハイトに、
「はいな。ハイトさんがそう言うのなら」
マイは魅力的な笑顔で笑った。




