ヒルダ=ニュートン11
「それで? 負けたんだわさ?」
「ええ、負けましたよ。しょうがないじゃないですか。あんな数の信号弾の群れなんか対処できはしませんって……」
「結界、張れなかったの?」
「無茶言わないでください。あれはアースクシミュレーションで再現できるものじゃありませんよ」
煙草を吸って吐くコテツ。
コンスタンスは納得とばかりに頷く。
「まぁたしかに……」
そんなコテツとコンスタンスの会話に、ヒルダが割って入る。
「どういうことです? 結界って何ですか?」
「《結界》のナガソネ……これくらい聞いたことあるでしょ?」
「お兄様の二つ名ですね」
「そ。コテツは自身の制空圏にあるあらゆるものを切り捨て、切り払うことができる。結界と呼ばれる空間制圧能力を持つのよ。ただし現実限定だけどねん」
「そんなことできるんですか? お兄様……」
「ま、ね……」
「じゃあ先の対戦では手を抜いていたんですかお兄様……!」
「全力でやったさ……。ただ仮想空間でのそれと実戦とでは少しスペックが違ってくるって話だよ……」
紫煙をフーッと吐くコテツ。
代わりにコンスタンスがジト目でヒルダを見つめる。
「むしろ手を抜いたのはヒルダの方じゃない?」
「な、なんのことでしょう?」
狼狽えるようにそう上ずった声で答えるヒルダ。
しかしてコンスタンスは騙されなかった。
「あたしのデータではヒルダのアースク……オベロンの第二フェーズたる《フェアリー》はヒルダにかかれば四十以上のサインブレットを自在に操れるはずだわさ……」
「う……」
呻くヒルダ。
「しかもサブシステムに頼らずに思考を分割して《フェアリー》を操れるはずだわさ……それについて何か言うことは?」
「別に手加減したわけじゃありません! あれで十分と思っただけです……!」
「ま、実際十分だったわけだしね」
煙草を吸って吐くコテツ。
アースクの第二フェーズ。
それは百八通りある百八機のアースクがそれぞれに持つ……いわゆるところの必殺技だ。
第二フェーズはアースク奏者の危機感に反応して発動し、百八通りの特殊能力を顕現する。
例えばアーデルハイトのアースク……オクトパスの第二フェーズ《ヒュドラ》は攻撃を受けて千切れたサインワイヤーが二股に分かれて倍の射程距離に伸びるというものだ。
例えばヒルダのアースク……オベロンの第二フェーズ《フェアリー》は複数の信号弾を自身の脳処理の許す限り自在に操れるというものだ。
このようにアースクには多種多様の第二フェーズがあるが、しかしてまだ第二フェーズの存在が明らかになっていない機体も多数ある。
コテツのアースク……スサノオも第二フェーズが明らかになっていないアースクの一機だった。
アマテラス、ツクヨミ、スサノオ……この三機はミハシラノウズノミコシリーズと呼ばれ、その内アマテラスとスサノオはアッカーマンシステムが保有している。
アマテラスとツクヨミはそれぞれ《サン》と《リフレクション》という第二フェーズが明らかになっているが、スサノオだけが第二フェーズが明らかになっていなかった。
アマテラスが太陽、ツクヨミが月を顕わし、それによってスサノオの天体としての立ち位置からいくつかの憶測が立ってはいるが、確信には至っていない。
閑話休題。
「ま、ともあれどちらもまだまだ本気を出してないってことで……」
そう締めくくってコテツは煙草を灰皿に押し付けた。
*
ヒルダがコテツの家に来て六日目の晩。
コテツは煙草を灰皿に押し付けながらアーデルハイトに聞いた。
「ハイト……晩飯まだかしらん?」
「後は皿に注ぐだけだ。すぐできるから煙草は吸うなよ」
「アイマム」
煙草を懐に収めるコテツ。
ヒルダが来てからこっちナガソネ家の晩御飯はアーデルハイトとヒルダが交代で行なっていた。
さすがに毎日二人分食べるわけにもいかず妥協案がとられたというわけだ。
今日はアーデルハイトの番だった。
「ほら、出来たぞ」
アーデルハイトが出したのは、
「おお! タンシチュー!」
コテツの言うとおりタンシチューだった。
「お前の好物だろ?」
「うんうん!」
「俺は……その……いつでもお嫁に行けるぞ?」
金色の髪をいじりながら照れたようにアーデルハイト。
「ごめん。今僕が好きなのはマイなんだ。だからまだハイトの想いには応えられない。あるいは否と答えることもできるけど……」
「そ、それは駄目だ……!」
「でしょう?」
そして、
「ごめんね」
と謝るコテツ。
そこにヒルダが割って入った。
「お兄様。こんな夢見がちな泥棒猫の言うことなんか真に受けてはいけませんよ。お兄様にはマイとヒルダがいるじゃありませんの。愛ならマイとヒルダとが存分に注いであげますよ?」
「いや、でもねぇ。僕がもう死ぬしかないって時に助けてくれたのはハイトだから……」
「そ……そう……そうだとも。俺こそがコテツにふさわしい女だ。負け犬は出ていけ!」
「うるさいですわ泥棒猫。あなたの意見なんか採用していません」
「なにをう!」
「やりますの?」
「これ以上諍いを起こすなら二人とも嫌いになるよ?」
タンシチューを口にしながらコテツが牽制する。
「んぐ……!」
「むぅ……!」
アーデルハイトとヒルダは互いに互いを睨みあって、それから食事に手を付けた。
争うわけにもいかず、しかして仲良くする口実もない。
互いに無視しあうのが最善だと両方とも思ったらしい。
それから黙々とコテツ、アーデルハイト、ヒルダの三人はタンシチューを食した。
全員が食べ終わると同時にマイが三人分の茶を用意する。
それをコテツが受け持って自身とアーデルハイトとヒルダに配る。
そして、
「明日ヒルダと戦った後はまたハイトと二人暮らしかぁ……」
茶を飲みながらホケーッとそんなことを呟くコテツ。
「週に一度はお兄様に会いに行くつもりですけど……それ以外はそうなりますね。いいですかお兄様……たとえ淫乱泥棒猫がどんな誘惑をしても乗ってはいけませんよ」
「誰が淫乱泥棒猫だ!」
「これだから自覚のない人は……」
やれやれと首を振るヒルダ。
そしてもう定例となっている犬と猫の罵り合いが始まる。
コテツはそれについて何も言わず、マイの方を見て尋ねた。
「マイ、お風呂は?」
「もう沸いていますよ」
「そ、じゃ、お先に」
コテツに、アーデルハイトとヒルダが答える。
「おう。ゆっくり入ってこい」
「お兄様、ヒルダが背中を流してさしあげます」
「お前は……またそういう卑猥なことを……! どっちが淫乱だ!」
「愛し合ってる者同士ならそれは正当な権利となります。泥棒猫に何を言われる筋合いもありません」
「殺すぞクソボッコっ!」
「やん。お兄様、泥棒猫が本性を表しましたわ。恐いです!」
コテツに抱きつくヒルダ。
それを引っぺがすコテツ。
「犬と猫の喧嘩なら僕の目の届かないところでやってくれ。僕は風呂に入る」
「では一緒に入りましょう?」
「それができないって言わなかったっけ? 僕は今マイを愛することで手いっぱいだから他人に干渉する余裕は無いの」
「うー。お兄様は意地悪です……」
「今頃気づいたの?」
コテツは風呂へと向かった。




