第三話 動物達にも好き嫌いは当然ある
日曜の朝九時半頃。三姉妹、聡香、晴彦の計五人と、バナナくんと今朝新たに意思を持たせたピーマンとで近くのそれなりの規模の動物園を訪れた。
真輝絵と桃乃は小中学生料金の三百円。
晴彦達三人は五百円の高校生以上一般入園料を支払った。
バナナくんとピーマンは当然のように無料だ。
「ここの動物園、前に来た時とちょっと変わってるね。桃乃が小学校入った時のお花見の時以来だから、もう三年以上経ってるもんね」
菜々葉は入園のさい貰ったパンフレットを眺めて呟く。
「桃乃、迷子になっちゃうといけないから前来た時みたいに手、繋いであげよっか?」
「真輝絵お姉ちゃん、あたし、もう四年生だよ。恥ずかしいから、子ども扱いしないで」
桃乃はぷっくりふくれ、不機嫌そうに振る舞う。
「真輝絵、桃乃をもう少し大人扱いしてあげなきゃダメだよ」
菜々葉は笑顔で注意する。
「はい、はーい。分かったよ菜々葉お姉さん♪」
真輝絵は上機嫌な様子だ。
「迷子か。おら達も気をつけねえとな」
「そうだねピーマンくん。ボク達は人間の生まれたての赤ちゃん以上に小さいもんね」
ピーマンとバナナくん、菜々葉の肩の上で仲良さげに話し合う。
「そういや桃乃ちゃん、昔迷子になったことあったな」
「ありましたね。確かこのメンバーでいっしょにサン○オピューロランドへ行った時。桃乃さんがまだ四歳くらいの頃」
晴彦と聡香は思い出し笑いしてしまった。
「晴彦お兄ちゃんも聡香お姉ちゃんも笑わないでー。ねえ、まずはここから行こう。前に来た時はまだなかったよね?」
桃乃は早く話題を変えようと、パンフレットを指し示す。
「ちょっと待って。爬虫類館は、私は入りたくないよ。亀さんは大好きだけど、トカゲとヘビは苦手だから」
菜々葉は苦い表情を浮かべる。
「俺は入りたいけど」
「わたしもです」
「ワタシも爬虫類大好きよ」
晴彦、聡香、真輝絵も桃乃と同様、入る気満々だ。
「面白そうだな」
「どんな爬虫類さんと出会えるのかな?」
ピーマンとバナナくんも入りたがっているようだ。
「入らないって言ってるの、菜々葉お姉ちゃんだけだよ。入ろう」
桃乃に腕をぐいぐい引っ張られ、
「しょうがないなぁ」
菜々葉は億劫な気分でしぶしぶ参加することに。
薄暗い館内に入ると、さっそく右側の水槽にオオアナコンダ、左側にビルマニシキヘビがお出ましした。
「きゃぁっ! いきなり動いた。怖いっ!」
「あの、菜々葉ちゃん、そんなに引っ付かないで」
「ごめんね晴彦くん」
謝りつつも菜々葉は晴彦の側から離れようとはしない。
「菜々葉さんと晴彦さん、なかなかいいムードね」
「予想通りの展開♪」
その様子を見て聡香と真輝絵はにこにこ微笑む。
「このアオダイショウさんと、こっちのフトアゴヒゲトカゲさん、ペットにしたいな」
桃乃は展示動物に夢中だ。
「桃乃、絶対ダメだよ」
菜々葉は苦い表情で注意する。
「ヘビさんやトカゲさん達も、ボクのことが好きなのかな?」
バナナくんは疑問を浮かべる。
「きっと大好きだと思うよ」
桃乃は自信たっぷりに答えた。
「おらのことも当然好きだよな?」
ピーマンはグリーンイグアナが飼育されているガラス水槽に張り付き、じーっと見つめながら問いかける。
「ピーマンはさすがに嫌いじゃないかな?」
桃乃はにこにこ笑いながらこう言った。
「いや、そんなことはねえだろ? なっ?」
ピーマンは不機嫌そうな表情を浮かべ、グリーンイグアナをさらに見つめる。
けれどもそいつは一向にピーマンの方を振り向いてはくれなかった。
「おーい、おらと似たような色してるくせにぃ」
ピーマンは悲しげな表情を浮かべる。
「ピーマンくん、元気出して。グリーンイグアナさんはきっと今、お腹いっぱいなんだよ」
桃乃は優しく慰めてあげた。
そのすぐ隣の水槽前で、
「どこにいるのか分からんな。本当にいるのか?」
「ボクにも全然分からないや」
「晴彦お兄さん、バナナ君、あそこの枝のとこっぽいよ」
「あっ、動いたわ。わたしもさっき分かった。すごい擬態能力ね」
晴彦とバナナくんと真輝絵と聡香は、コノハカメレオンを楽しそうに眺めていた。
「カメレオンさんも、ヘビさんやトカゲさんほどじゃないけど苦手だな。あっ、やっと亀さんのコーナーになった」
アルダブラゾウガメの水槽が十数メートル前方に見えてくると、菜々葉はホッと一安心して近寄っていく。その他のヘビやトカゲの仲間達の水槽の前は素通りして。
「やっと離れてくれた」
晴彦は別の意味でホッとしていた。
「カメレオンさんも、トカゲの一種なんだけど」
聡香はにこやかな表情でこんな雑学を呟いておく。
同じ頃、
「グリーンイグアナの野郎よりもいい緑してるおまえさんは、おらのこと好きか?」
ピーマンはミドリニシキヘビにも話しかけたが、完全に無視されたのであった。
□
爬虫類館の出口を抜けると、すぐ目の前にアジアゾウの檻がまみえた。
周りには大勢の人だかりが。ちょうどエサやりの時間だったのだ。
「ピーマン喜んで食ってくれるやつ、動物にすらいねえよな。草食で大食いのゾウですらリンゴとかバナナとか人間も大好物なものばっかりだし」
ピーマンはやさぐれていた。
「ピーマン、それくらいのことで気を落とすなよ」
晴彦は優しく慰める。その傍らで、三姉妹と聡香は4B鉛筆でアジアゾウの写生に勤しんでいた。四人ともスケッチブックを持って来ていたのだ。
この四人は隣の檻にいたキリンやシマウマも楽しそうに写生していく。
「みんなとっても上手だねぇ。ボクもお絵描きしたいな」
「ぜひ描いてみて」
菜々葉は快くバナナくんにスケッチブックと4B鉛筆を手渡した。
「ちょっと待って菜々葉お姉さん。他のお客さんに見られたらまずいから、わたし達で囲って隠しておこう」
バナナくんの後ろ側に聡香と桃乃、両サイドに菜々葉と真輝絵がしゃがみ姿勢になってバナナくんは動物のいる方だけが見える状態にした。
「ボクのためにここまでしてくれてありがとう」
バナナくんは皮で4B鉛筆をつかみ、楽しそうにシマウマのイラストを描いていく。
「バナナくんの絵、絵本に出て来そうなくらいかわいらしいね。あたしより上手いかも」
「とってもメルヘンチックね」
「バナナくんの純粋さが伝わってくるよ」
「バナナ君、上手。ワタシのアシスタントにしたいな」
女の子四人から褒められ、
「ありがとう。ボクの絵そんなに上手かな?」
バナナくんはとても嬉し照れくさがった。
「でもバナナくん、うんちは余計だよ」
菜々葉は困惑顔で注意する。
「ごめんなさーい。でもボク、うんちの絵が本能的に描きたくなっちゃうんだ」
バナナくんは謝りながらもきらきらした目つきで、シマウマのイラストの横にバナナ型のそれを一生懸命描き足したのだった。
「バナナくんはうんちが大好きだもんね。晴彦お兄ちゃんも写生すればいいのに」
「俺、絵は自信ないからな」
みんなはライオン、トラ、チーターなどを眺めながら園内をさらに歩き進んでいく。
「そういや、この動物園、笹ばっかり食ってやがるパンダはいねえのかよ? 説教してやろうと思ったんだが」
ピーマンは周囲をきょろきょろ見渡した。
「パンダさんは上野の方にいるよ。この動物園にはいないの」
菜々葉が伝えると、
「なぁんだ。この動物園はしょぼいな」
ピーマンはがっかりしているような表情を浮かべた。
「パンダがいる動物園の方が珍しいから」
聡香はこう伝えて慰めておく。
サル舎を訪れ、最初にチンパンジーの檻の前を通りかかると、
ギャーッ!! ヴォーッ!! ウォッウォッウォーッ!! フォーッ!! ウッフォ!!
中にいる五頭全てのチンパンジーが急に甲高い雄叫びを上げ、みんなの方へ近寄って来た。
「うるせー」
晴彦は微笑みながらも迷惑がった。
「みんなバナナくんの方をじーっと見てるね」
桃乃はにこにこ笑いながら伝える。
「本当だ。バナナくん、人気者だね」
菜々葉にこう言われ、
「ボク、おサルさん達に気に入ってもらえて嬉しいな」
バナナくんはちょっぴり恥ずかしがった。
「バナナはほとんどのおサルさんが大好きだもんね」
「バナナ君、モテモテね」
聡香と真輝絵は微笑み顔で呟く。
「おらには興味なしかよ。雑食のくせに生意気だぞ」
ピーマンはむすっとふくれた。
ウォーッ! ヴォーッ!
隣の檻の二頭のオランウータン。
ウホウホウホウホウホォーッ! ウッホッホーッ!
その隣の檻の二頭のニシローランドゴリラ。
さらにマンドリル、テナガザル、テングザル、メガネザル、マントヒヒの檻の前を通りかかってもバナナくんに対して同じような反応を示した。
「ボク、あの歌舞伎役者みたいなおサルさん達に食べられたいなぁ」
バナナくんは恍惚の表情を浮かべながら菜々葉の肩から飛び下りて、マンドリルの檻にぴょんぴょん近寄っていく。
「おらもだぜぃっ! おらの美味しさをサル共に分からせてやるっ!」
ピーマンも桃乃の肩から下りた。
「バナナくんもピーマンくんもダメーッ!」
桃乃はとっさにその二つをつかまえた。
「どうして?」
「なんでだよ嬢ちゃん?」
「動物園のおサルさんは、決まったエサしか与えちゃいけないからだよ。動物園で働いてる人がおサルさん達の健康をきちんと考えてエサを出してるからね。動物園に来た人が持って来たエサを食べて、動物園で働いてる人が出したエサを食べてくれなくなっちゃったり、おサルさん達が病気になっちゃう可能性だってあるんだよ」
桃乃は優しく説教する。
「そうか。動物園のルールがあるんだな」
「ボク、ここのおサルさん達に食べられたかったけど、そういう決まりがあるなら仕方ないね」
ピーマンとバナナくんはちょっぴり残念がった。
「桃乃、いいこと言うね」
真輝絵は感心する。
「あっちのニホンザルさんには自販機のエサは自由にやれるから、みんなであげよう」
桃乃はこう提案して専用自販機の前に近寄っていった。百円を入れボタンを押すとモナカが一つ出てくるようになっている。その中に固形のエサが何粒か入っていた。桃乃は同じものをあと五つ購入し、みんなで分けてニホンザルのサル山に向かって放り投げた。
「おサルさん、ボクの代わりに美味しく食べられてね」
バナナくんは自分で剥いた皮で巻くようにつかんで、
「ほら、サル共、食え」
ピーマンはへたの部分でヘディングするような形で。
「あのおサルさん、両手使って美味しそうに食べてるぅ。あっ、奪われちゃった」
桃乃は一番楽しそうにしていた。
「また同じサルに奪われたか。小さいサルはやっぱ不利だな。いつもエサが取れないから小さいんだろうけど」
「かわいそうに思えてくるね」
晴彦と菜々葉、仲睦まじく隣り合い、成り行きを観察する。
「あの子えらい。ちっちゃいおサルさんに自分が取ったやつ分けてあげてるよ」
真輝絵はそのサル達のいる方を指し示した。
「本当だ。きっと親子だね」
「サルは人間に近い分、性格も十人十色だな」
「サル山は人間社会の縮図といわれてる通りね」
聡香は苦笑いでこうコメントした。
みんなは園内全ての動物を見終えると、昼食を取るため併設するファミレスへ。
六人掛けテーブル席に真輝絵と菜々葉、桃乃と晴彦が向かい合い、聡香の向かいはいない形で座ると、聡香がメニュー表を手に取りテーブル上に広げた。
「わたし、天麩羅蕎麦にしよう」
「俺は坦々麺で」
「晴彦お兄ちゃんが頼もうとしてるやつ、真っ赤っ赤でものすごーく辛そう。晴彦お兄ちゃん、お口から火が出ちゃうよ」
「晴彦くんは相変わらず辛い物好きだね。私はビーフシチューとパンのセットにするよ」
「あたしはお子様ランチにする♪ お飲み物はミックスジュース」
「桃乃、四年生でしょ。そろそろお子様ランチは卒業しなきゃ。ワタシは小二の時には卒業したよ」
真輝絵はくすっと笑う。
「べつにいいじゃん。大好きだもん」
桃乃は恥ずかしがるしぐさもなく主張した。
「ミックスジュースも頼んでくれてボクとっても嬉しいよ」
バナナくんはにっこり笑って喜ぶ。
「バナナはミックスジュースに使われる果物の定番だもんね。ワタシはきのこのリゾットにしようっと」
「真輝絵ちゃんは、きのこが好きみたいだね」
バナナくんはにやついた表情で話しかけた。
「うん、マッシュルームが一番好きよ」
「そっか。マツタケよりも好きなんだね。ねえ真輝絵ちゃん、同じクラスの男の子に生えてるきのこは見たことあるかい?」
「バナナ君、変な質問はしないっ!」
「いって。ごめんなさーい」
真輝絵はにこっと笑って、バナナくんの目の少し上に指パッチンを食らわしておいた。
「誰もおらが食材に使われるチンジャオロースは頼まねえのかよ」
ピーマンは不機嫌そうにメニュー表を眺めていた。
「それじゃ、一皿頼んでみんなで分けるか?」
晴彦は気遣うように提案する。
「いいわね。それも頼みましょう」
聡香が賛成すると、
「あたしはいらなーい」
桃乃は苦笑いで主張する。
「桃乃も食べなきゃダメよ。これでみんな決まったね」
真輝絵はコードレスボタンを押してウェイトレスを呼び、注文を済ませる。
それから五分ほどして、
「お待たせしました。お子様ランチでございます。それとお飲み物のミックスジュースでございます。はいお嬢ちゃん。ごゆっくりどうぞ」
桃乃の分が最初にご到着。新幹線の形をしたお皿に、旗の立ったチャーハン、プリン、タルタルソースのたっぷりかかったエビフライなど定番のものがたくさん盛られていた。さらにはおまけのシャボン玉セットも付いて来た。
「すごく美味しそう♪」
桃乃は嬉しそうにお子様ランチのお皿を見つめる。
それからすぐに、他の四人の分とチンジャオロースも続々到着。
こうしてランチタイムが始まった。
「あたし、エビフライは大好物なんだ」
桃乃はしっぽの部分を手でつかんで持ち、大きく口を開けて豪快にパクリと齧りつく。
「美味しいっ♪」
その瞬間、とっても幸せそうな表情へと変わった。
「モグモグ食べてる桃乃さんって、なんかクルミを齧ってるリスさんみたいですごくかわいいね」
「桃乃、ほっぺがマンガみたいにぷっくりふくれてるわね」
聡香と真輝絵はその様子を見てにっこり微笑む。
「桃乃、食べさせてあげるよ。はい、あーん」
菜々葉はお子様ランチにもう一匹あったエビフライをフォークで突き刺し、桃乃の口元へ近づけた。
「ありがとう菜々葉お姉ちゃん。でも、食べさせてもらうのはちょっと恥ずかしいな」
桃乃はそう言いつつも、結局食べさせてもらった。
「晴彦くん、私の少し分けてあげるよ。はい、あーん」
菜々葉はビーフシチューの中にあった牛肉の一片をフォークで突き刺し、隣に座る晴彦の口元へ近づける。
「いや、いいよ」
晴彦は困惑顔を浮かべ、左手を振りかざして拒否。右手で箸を持ち、麺を啜ったまま。
「あーん、またダメかぁ」
菜々葉は嘆く。でも微笑み顔で嬉しそうだった。
「晴彦さん、お顔は赤くなっていませんが、きっと照れていますね」
「晴彦お兄さん、一回くらいやってあげなよ」
聡香と真輝絵はにこにこ笑いながらそんな彼を見つめた。
「出来るわけないだろ」
晴彦は苦笑いしながら伝え、引き続き麺をすする。
「赤ちゃんみたいで、恥ずかしいもんね」
桃乃は晴彦の気持ちがよく分かったようだ。
「バナナくんもピーマンくんも、やっぱりご飯いらないの?」
菜々葉は気遣うように尋ねる。
「うん、ボクのお口は食べ物が入るようには出来てないからね。何か食べたいとも全然思わないよ。むしろ食べられたいな」
バナナくんは申し訳なさそうに伝える。
「おらも同意だ。皆の衆、そろそろチンジャオロースにも箸をつけて欲しいぜ」
ピーマンがうるうるした瞳でお願いすると、
「それじゃ、食べよう」
菜々葉が最初に箸をつけてあげた。
「わたしもいただくわ」
「俺も」
続いて聡香、晴彦の順。
「桃乃、少しだけでも食べなさい」
その次に食した真輝絵は、あと五分の一くらい残っているそのお皿を桃乃の側に置く。
「それじゃ、お肉の所だけ」
「ピーマンも合わせて食べなさいね」
「いらない、いらない。ピーマン大嫌い」
桃乃はフライドポテトを齧りながら手をぶんぶん振り拒否する。
その直後、
「アタシよりお姉さんのくせに、ピーマン嫌いなんて情けないね」
こんな声が。
「ん?」
桃乃は思わず声のした方を振り向く。他のみんなもほぼ同じタイミングで。
そこにいたのは四、五歳くらいに見える女の子だった。黒髪を両サイドさくらんぼチャーム付きリボンでくくってぴょこんと飛び出させたピッグテールにし、青色のサロペットを纏っていた。
「かわいい!」
菜々葉、
「どこから来たのかな?」
聡香、
「お母さんは?」
真輝絵、
「迷子か? いや、店内だしすぐ近くに保護者いるか」
晴彦、
「お名前は?」
桃乃が微笑ましくその子を眺めていると、
「葵ぃー、勝手に動き回っちゃダメよーっ」
その子のお母さんが駆け寄って来た。
なんとこのお方は――。
「あっ、緑先生。ってことはこの子は娘さんだね」
「ここに来ていたとは……」
「こんにちは緑先生。学外でもよく会いますね」
思わぬ遭遇に菜々葉、晴彦、聡香は少し驚く。
「あら、あなた達もここへ来てたのね」
緑先生も同じような反応だ。
「緑のおばちゃんだぁっ!」
「こら桃乃、おばちゃんは失礼でしょ。菜々葉お姉さん達の担任の緑先生、三日振りですね」
桃乃と真輝絵も思わぬ再会に喜んでいた。
「この人達、ママの生徒さんだったんだ。ママは先生としてちゃんとやれてる?」
葵ちゃんに質問されると、
「うん、生徒思いでとっても優しい先生だよ」
菜々葉は笑顔でこう答えてあげた。
「他の男の先生に浮気はしてない?」
「してないと思いますよ」
次の質問には、聡香が答えた。
「これ葵」
緑先生はにかっと笑う。
「四歳のわりにませた質問だな」
晴彦はにこにこ笑いながら突っ込む。
「葵ちゃん、お母さんのことをそんなに心配してお母さんのことが大好きなんだね」
菜々葉は葵ちゃんにかなりの好印象を持ったようだ。
「うん、とっても大好き♪」
葵ちゃんは満面の笑みを浮かべて言った。
「ママもとっても嬉しいわ♪ ママも葵のことがとっても大好きよ」
緑先生は少し照れる。
「ぃよう、かわいい嬢ちゃん」
「はじめまして、ボクバナナ。きみはボクのことが好きかい?」
ピーマンとバナナくんはテーブルの脚の間からひょこっと全身を出した。
僅かな沈黙があったのち、
「ほら葵、ママが言ったこと本当だったでしょ」
緑先生は少し興奮気味に自信満々に言う。
「ママ、そんな非現実的なことあるわけないじゃん。ママはメルヘンチック過ぎだよ。あれはどう見てもしゃべるぬいぐるみじゃん」
葵はアハハッと大きく笑う。
「おら、食えるんだぜ」
「ボクもだよ。ボクを食べてみて」
ピーマンとバナナくんは困惑気味にそう主張するも、
「すごーい! 語彙が豊富だね、このしゃべるぬいぐるみさん」
感心するだけで食べ物だとは信じてくれなかった。
「嬢ちゃん、おらは正真正銘本物のピーマンなんだぜっ!」
ピーマンはついに怒り、葵ちゃんのちっちゃいお口を狙って飛び込む。
「むぐぅ!」
見事直撃。
「ピーマンの味じゃないけど、確かに食べ物だぁ!」
葵ちゃんは一口齧ってみてびっくり仰天した。
「なっ!」
少し欠けたピーマンは葵ちゃんに向かってパチッとウィンクした。
「ママの作ったシロップ、こんな魔法の成分も隠されてたんだね」
「ママすごいでしょ?」
「うん! アタシ、ママのことがますます好きになっちゃった」
葵ちゃんのママに対する好感度がますます上がったようだ。
「良い子ね葵」
緑先生はとっても嬉しがる。
「ピーマンくん、バナナくん。アタシとお友達になって」
葵ちゃんはしゃがんだ姿勢でこう求めてくる。
「もちろんいいよ。ボクの方からお願いしたいくらいだよ」
「嬢ちゃん、子ども達からの嫌われ者のおらのこと、好いてくれてすげえ嬉しいぜ」
バナナくんとピーマンは少し照れてしまったようだ。
「アタシ、ちょっと前まではピーマン大嫌いだったけど、ママのおかげでピーマン大好きになれたの。今はもうママのシロップに頼らなくたって普通にピーマン食べれるよ」
葵はピーマンに向かってにっこり微笑みかけ、自慢げに言う。
「そりゃよかったな。おらすげえ嬉しいぜ」
ピーマンはぐすっと涙ぐんだ。
「葵ちゃん見栄張っちゃって。ならやってみてよ」
桃乃は信じらない様子でくすっと笑った。
「分かった。証拠見せてあげる」
葵はそう言うと、チンジャオロースに入っているピーマンの部分だけを何切れかお箸でつまんでお口に放り込んだ。
「あ~、美味しい」
笑顔を浮かべて幸せそうに噛みしめ、ごくんと飲み込む。
「本当に、食べれちゃった……」
桃乃は唖然とした。
「葵、余裕ね」
「葵ちゃんやるじゃん」
緑先生、真輝絵他のみんなはその光景を微笑ましく眺めていた。
「今度は桃乃お姉ちゃんが食べてみて。まさか出来ないことはないよね?」
葵ちゃんは上目遣いでじーっと見つめてくる。
「あたしだって食べれるよ!」
桃乃も五歳も年下の葵に負けてたまるかとむきになってお箸でたくさんつまみ、恐る恐るお口に放り込んだ。
その結果、
「にがぁいっ」
と感じ苦虫を噛み潰したような顔になったが、意地で飲み込んだ。
「どうだ葵ちゃん。楽勝だったよ」
そしてにっこり笑顔でこう言い張る。
「桃乃お姉ちゃんは不味そうに食べてたから、アタシの勝ちだね」
葵は得意げに主張した。
「勝ちも負けもないと思うんだけど」
桃乃はむすっとなる。
「嬢ちゃんにはまだまだピーマン修行が必要だな」
ピーマンはにこやかな表情で言った。
「桃乃も近いうちにきっと美味しく食べれるようになるよ」
菜々葉は微笑みながらこう慰めてあげた。
「ところで緑先生、この後はどうされるつもりなんですか?」
聡香が質問する。
「遊園地で遊ぶ予定よ」
「わたし達と同じですね。それじゃ、わたし達といっしょに巡りませんか? 緑先生が私達の引率者代わりにもなりますし」
「そうねぇ、それでもかまわないわ」
「アタシも大勢といっしょの方が楽しそうだからそれでいいよ」
緑先生と葵ちゃんは快く引き受けてくれたようだ。
「というわけで緑先生、わたし達のお昼代、奢ってくれませんか?」
「聡香ちゃん、そんなことさせちゃダメだよ。ずうずうしいよ」
「べつに構わないわ」
緑先生はパチッとウィンク。
「さすが緑先生、心が広いです」
聡香は改めて尊敬する。
「なんか悪いなぁ」
菜々葉は少し罪悪感に駆られたようだ。
こうして昼食後、七人みんなで動物園に併設する遊園地エリアへ立ち寄った。
入園ゲートを抜けてほどなく、
「葵ちゃんの将来の夢は何かな?」
菜々葉は緑先生と手を繋いでいる葵ちゃんに問いかけた。
「おじいちゃんやおばあちゃん、パパとママみたいな公立の学校の先生。公務員の身分だからお給料も安定してるし」
葵ちゃんは満面の笑みで伝える。
「葵ちゃんもう大人な考えだね。私はその頃にはケーキ屋さんやピアニストや絵本作家やお花屋さんになりたいと思ってたよ」
「緑先生、葵さんはまだ幼稚園の年少か年中さんになったばかりなのに、もっと夢を持たせないとダメですよ」
聡香は困惑顔で注意した。
「この歳から安定志向か。まあそれも、良いとは思うけど」
晴彦はにこっと微笑む。
「先生は夢を持たせてるはずなんだけどね……」
緑先生は苦笑い。
「葵ちゃんはア○カツとか妖○ウォッチとかド○えもんとかク○ヨンしんちゃんとかジ○リアニメとか見てる?」
桃乃が質問すると、
「それも見てるけど、ママが持ってるアニメのブルーレイの方が面白かったよ。けい○んとか、魔法少女ま○か☆マ○カとか、のん○んびよりとか、ラ○ライブとか、た○ゆらとか、ご注文はう○ぎですかとか、Fr○e!とか、桜tr○ckとか」
葵ちゃんは楽しそうに答えた。
「あたしもそれ全部見た覚えがあるよ。真輝絵お姉ちゃんがレンタルブルーレイで見てたもん」
「葵ちゃん幼稚園児なのにそういう系のアニメ見てるなんて、やるねぇ」
桃乃と真輝絵は親近感が沸き、嬉しく思ったようだ。
「緑先生、まだ四歳の葵さんに深夜アニメ見せてるんですか?」
聡香はやや呆れる。
「深夜帯としては健全なものを見せてるでしょ」
緑先生は笑顔できっぱりと主張した。
「そうとも思えないのも含まれていると思うのですが……」
「聡香お姉さん、ワタシはどれも幼稚園児に見せても問題はないと思うよ。ワタシも幼児期の頃から深夜アニメいろいろ見てたし」
「俺は幼稚園児にはまだ見せるのは早過ぎだと思う。というか深夜のはいくつになっても見せる必要はないと思う。雄一郎みたいな重度のアニヲタになっちゃう可能性大だし」
聡香と真輝絵と晴彦、意見を出し合う。
「緑先生、アニメ好きだったんですね」
菜々葉は意外に思ったようだ。
「うん、まあね。本当はアニメーターになりたかったし。両親に猛反対されて半ば仕方なく教師に」
緑先生は若干悔しそうに伝える。
「ママ、アニメーターさんは低賃金で奴隷みたいに働かされるから、ならなくて正解だったね」
葵ちゃんはその職業の現状をすでに理解しているようだ。
「葵が大人になる頃には、きっと労働環境がかなり改善されてると思うわ」
「どうかな? アベノミクスの失敗を引き摺って今よりひどくなってるんじゃない」
「もう葵ったら。もっと夢を持ちなさい」
「あたし夢はいっぱい持ってるよ。ママ、アタシまずはあの最近リニューアルしたジェットコースターに乗りたーい」
葵ちゃんは優しく慰めたのち、近くに見えるレールを指差した。
「一一〇センチ以上だから、葵はまだ無理よ」
ぼくより背の低い子は一人で乗らないでね。との注意書き付き坊やの案内板を確かめた緑先生から伝えられ、
「乗れないのぉ? 同じ松組の子に一人で乗ったよって自慢してた子がいたからアタシも乗りたいのに」
葵ちゃんはちょっぴり不満そうにする。
「葵ちゃん、ジェットコースターって、ものすごーく恐ろしい乗り物なんだよ」
菜々葉が暗い表情でこう教えると、
「そうなの?」
葵ちゃんはジェットコースターに対する恐怖心を抱いたようだ。
「いやいや、ものすごーく楽しい乗り物だよ」
桃乃は爽やか笑顔でこう教える。
「どっちが正解なんだろう? アタシが乗って真実を確かめたいよぅ」
葵ちゃんは今走行中のジェットコースターをじーっと見つめた。
「緑先生、四歳以上なら身長基準に満たなくても保護者同席で乗れるみたいですよ」
聡香がパンフレットを確認しながら伝えると、
「……どうしようかしら?」
緑先生は苦笑いを浮かべて悩んだ。
「ママ、いっしょに乗ってぇー」
葵ちゃんはスカートをぐいぐい引っ張っておねだりする。
「ちょっと考えさせて。葵、スカート引っ張っちゃダメよ。伸びるから」
「緑先生、ジェットコースター苦手なんですね」
聡香は勘付いてにこっと微笑んだ。
「いやいや、そんなことはないのよ」
緑先生は薄ら笑いで即否定する。
「アタシ乗りたーい! ママお願ぁーい」
「分かったわ葵、乗ってあげるから」
「わぁーい! ママ大好き。早く乗ろう」
葵ちゃんは満面の笑みを浮かべた。
「晴彦お兄さん、昔ジェットコースター苦手にしてたけど、今でも苦手?」
真輝絵に肩をポンッと叩かれ、にやついた表情で問い詰められ、
「ほんの少しな。でも今は普通に乗れるぞ」
晴彦は軽く苦笑いしきっぱりと言う。
「晴彦お兄さん大人になったね」
真輝絵はにこっと微笑んだ。
「私は今でもすごく苦手だから、乗るのやめようかな?」
菜々葉は苦笑いで呟く。
「菜々葉お姉さん、みんな乗るんだし乗らなきゃダメよ」
「菜々葉お姉ちゃんもいっしょに乗ろうよぅ」
「菜々葉さん、ご乗車お願いします。回転しないタイプなのでそれほど怖くないと思いますよ」
妹二人と聡香から強くせがまれ、
「しょうがないなぁ」
菜々葉はしぶしぶ承諾。
「あんなすごいスピードで走るのに乗るのかぁ。怖そうだ」
バナナくんは走行中のジェットコースターを眺めながらしょんぼりした表情で言う。
「情けねえなバナナ。おらはわくわくして来たぜ」
ピーマンはきらきらした目つきだった。
みんなは乗車待ちの列へ。この七人の前後にも大勢の客が二列になって並んでいた。桃乃と真輝絵、晴彦と菜々葉、聡香と緑先生&葵ちゃん親子が隣り合う。
家族連れや若いカップル、中高大学生くらいの男性または女性同士のグループなどがほとんどで、この七人のような、男子高校生一人に女子幼小中高生五人プラス三十路直前のおばさん、いやお姉さん一人というハーレム的な組み合わせは他に見られなかったこともあってか、
(この場から、早く抜け出したい)
晴彦は周囲からの視線を非常に気にしていた。気を紛らわすように携帯電話をいじる。
二〇分ほど待ってようやく乗れることになり、
「よかった。運よく一番前の席取れたわ」
「ラッキーだったね真輝絵お姉ちゃん」
真輝絵と桃乃は満面の笑みを浮かべる。
「あわわわ。最前列になっちゃった」
「おらはめっちゃ嬉しいぜ」
バナナくんとピーマンは真輝絵の肩にしがみついていた。
「晴彦くん、二列目でも怖いよね?」
菜々葉は暗い表情を浮かべながら、晴彦の右手を強く握り締めた。マシュマロのようにふわふわやわらかい感触が、晴彦の手のひらにじかに伝わる。
「あの、菜々葉ちゃん、どうせ離さなきゃいけないから」
晴彦はほんの少し照れくさがった。
「お似合いの恋人同士ね」
「菜々葉お姉ちゃん怖がりだね」
真輝絵と桃乃は後ろを振り返って嬉しそうににこっと微笑んだ。
「普通怖いよ」
菜々葉は苦い表情で主張する。
「……」
晴彦は照れくささから、俯いてしまっていた。
「いい構図です」
聡香は菜々葉のすぐ後ろに座った。そしてちゃっかり携帯で晴彦と菜々葉の後ろ姿を撮影する。
「徳岡さんの気持ちはよく分かるわ」
緑先生も憂鬱そうな苦い表情だった。
「早く発車しないかなぁ♪」
緑先生のお膝に乗っかった葵ちゃんは、初体験の乗り物のためかわくわく気分だ。
「ボク、怖いから菜々葉ちゃんの方に移るね」
バナナくんは震えた声で伝えて菜々葉の肩に飛び移る。
「バナナ君も怖がりね」
「一番前の方が迫力あるのに」
「バッナナァ、少し黒みが増してるぜ」
真輝絵と桃乃とピーマンにくすくす笑われてしまったが、
「いらっしゃいバナナくん、これで少し安心出来るよ」
菜々葉には温かく歓迎された。
その他の乗客も全員座ったことが確認されると、座席の安全バーが下ろされた。
もう引き返すことは出来ない。
「吹き飛ばされないようにしなきゃ」
菜々葉は安全バーを必要以上の力でしっかりと握り締めた。
「そんな心配はいらないだろうけど」
晴彦は男気を見せようとしたのか、素の表情で平静を保とうとしていた。けれども彼の心拍数は否応なく上がってしまう。
〈発車いたします〉
この合図で、ジェットコースターはカタン、カタンとゆっくり動き出した。
「怖い、怖い」
菜々葉は周りの風景を見ないよう、目をかたく閉じる。
ジェットコースターが最初の坂道を登り切り、レールの最高地点に達した直後、一瞬だけ動きが止まる。
「きゃあああああああーっ!」
そのあと一気に急落下。と同時に菜々葉は口を縦に大きく開け、かわいい叫び声を上げる。もちろん楽しんでいるからではない。恐怖心を強く感じているからだ。
「いえええぇぇぇぇぇぇぇいっ!」
桃乃、
「きゃあああああああーっん」
真輝絵、
「おうううううううぅぅぅ!」
聡香の三人は喜びと興奮の叫び声を上げる。さらに両手を挙げる余裕も見せていた。
「うわあああああぁぁぁ~」
バナナくんは恐怖心いっぱいで、今にも泣き出しそうな表情。
「いぃやっほぉぉぉぉぉぉっ!」
対照的にピーマンは満面の笑みで大喜びだ。風圧で中の種がちょっぴり飛び出てしまったが。
「きゃぁぁぁぁぁっ!」
葵ちゃん、表情がけっこう引き攣る。
おそらく怖いのだろう。
「……」
(早く、ゴールしないかしら?)
晴彦と緑先生は走行中、平静を保ち終始無言で、表情もほとんど変わらなかった。
みんなジェットコースターから降りた直後、
「リニューアルしたジェットコースター、すごく気持ちよかった。無重力疑似体験、最高っ!」
「宇宙飛行士の気分が味わえたね、真輝絵お姉ちゃん」
真輝絵と桃乃は幸せいっぱいな表情をしていた。
「昔乗った時よりもスリルと爽快感が増してて良かったわ。菜々葉さん、大丈夫だった?」
聡香ににこやか笑顔で質問され、
「すごく怖かったけど、今は解放されてホッとした気分だよ」
菜々葉は安堵の表情を浮かべて答える。
「思ったよりはマシだったな」
晴彦もホッとしている様子だった。
「晴彦お兄さん、声がちょっと震えてるんじゃない?」
真輝絵はにやりと笑う。
「そうか?」
晴彦はほんの少しいらっとしてしまった。
「ボク、皮が全部めくれて死にそうになったよ」
バナナくんはくたびれている様子だった。
「おらはすんげえ楽しかった。もう一回乗りたいぜ」
ピーマンは名残惜しそうにしていた。
葵ちゃんはというと、
「ママァ、アタシもう二度とジェットコースターに乗りたくなーい」
今にも泣き出してしまいそうな表情を浮かべてママの緑先生の足にしがみ付き、こんな感想を伝えたのであった。
「ママの幼児期のトラウマは、葵にもしっかり受け継がれたようね」
緑先生は嬉しそうに微笑んで、葵ちゃんの頭を優しくなでてあげた。
同じ頃、
「お写真が出来てるぅ。菜々葉お姉ちゃんとバナナくんすごい表情してる。ムンクの『叫び』みたい。これ、記念に買おう」
桃乃は降車口を抜けた所に展示されていた写真を眺め、くすくす笑っていた。
急降下するさいに、一列ごとに写真を撮られていたのだ。
「そんなのいらないよ」
菜々葉は照れ笑いする。
「ボク、こんな変なお顔になってたの?」
バナナくんはけっこう驚いていた。
「よかった。俺、素の表情のままだ」
「先生も、変なお顔になってなくてよかったわ」
晴彦と緑先生は軽く苦笑いした。
「菜々葉お姉さんとバナナ君、とってもいい表情。これぞ絶叫マシーンに乗ったって感じのお顔ね。晴彦お兄さんもギャグ漫画みたいにもっと表情崩して欲しかったな」
真輝絵は目にしっかりと焼き付けたようだ。
「菜々葉さんのこの表情はレアね。買っちゃおうかな」
「ダメダメ聡香ちゃん」
菜々葉は、楽しそうに眺める聡香の後ろ首襟をぐいっと引っ張って阻止しようとする。
「ごめん、ごめん。買わないって」
快く諦めてくれた。
「葵ちゃんは半泣きだね。本当に怖かったんだね」
桃乃は嬉しそうににっこり笑う。
「葵、とってもかわいいわ」
「桃乃お姉ちゃん、ママァ、恥ずかしいからもう見ないでー」
葵ちゃんは緑先生の背中をペチペチ叩く。
「ごめん、ごめん。葵、次はどこへ行きたい?」
「おばけ屋敷がいい!」
葵ちゃんが強く希望すると、
「やっぱりそこなのね」
緑先生は苦笑いした。
「おばけ屋敷かぁ」
桃乃は嫌そうな表情を浮かべる。
「桃乃、よかったね」
真輝絵はにこっと微笑んだ。
「そういえば桃乃ちゃんは、おばけ屋敷が苦手だったな」
晴彦もにっこり笑ってしまう。
「大丈夫だよ桃乃、食べられたり連れ去られたりはしないから」
「桃乃さん、晴彦さんにつかまってれば安心よ」
菜々葉と聡香は微笑み顔で労わるように言う。
「桃乃お姉ちゃん、おばけ屋敷が怖いの? 情けないね。アタシは大好きだよ」
葵ちゃんはくすっと笑う。
「いや、べつに、そんなことはないよ」
桃乃はアハハッと笑って即否定した。
「ふぅーん。じゃあ入ろうよ」
葵ちゃんは訝しげな表情だ。
「分かった。入ってあげるよ」
桃乃はにっこり笑顔できっぱりと宣言した。
こうしてみんなはおばけ屋敷の方へと向かっていく。
「ボク、おばけ怖いよぅ」
バナナくんは菜々葉の肩の上でカタカタ震えていた。
「大丈夫だよバナナくん。本物のおばけは出ないから」
菜々葉はにこにこ微笑みながらバナナくんをなでなでした。
「熱帯の果物は臆病だな。おらはおばけ平気っていうか大好きだぜ」
真輝絵の肩の上にいるピーマンはどや顔で言う。
「葵ちゃんはこの年でもうおばけ屋敷大好きなんですね。ワタシが四歳の頃は苦手だったんだけど」
真輝絵が感心気味に緑先生に話しかけると、
「葵には『ねないこだれだ』の絵本は通じなかったわ。読んであげても怖がるどころか面白がられちゃったし」
緑先生は悔しそうに伝える。彼女自身はその絵本が幼児期にトラウマになったようだ。
「あの絵本のおばけ、かわいいよね。絶対不可能だけど会えるのなら会ってみたいな」
葵ちゃんは楽しそうに言う。
(この年ですでにおばけは実在しないこと、分かってるんだな。俺がそれに気付いたのは年長の頃だったけど)
晴彦は心の中で感心する。
おばけ屋敷の外観は、和洋折衷の雰囲気が醸し出されていた。
みんな入口を通り抜け、受付で入館料金を支払って、いよいよ屋敷内へ。
一歩踏み入った瞬間、
「きゃあああああああっ! はっ、晴彦お兄ちゃあああああっん」
桃乃はおばけもびっくりするような大声で叫び、晴彦の背中にぎゅっとしがみ付く。桃乃の目の前に、ろくろ首が現れたのだ。
「あの、桃乃ちゃん。ここにいるおばけは、全て作り物だから……」
晴彦は苦しそうな表情で説明する。
「桃乃お姉ちゃん、やっぱり怖いんじゃん。ひょっとして桃乃お姉ちゃん、今でも夜中に一人でおトイレに行けないとか?」
当然のように、葵ちゃんにくすくす笑われてしまった。
「そんなことないよぉぉぉ」
桃乃が震えた声で即否定した直後、
「うわわわわぁぁぁ~っ!」
バナナくんも大声で叫んだ。一つ目小僧の人形が目に飛び込んで来たのだ。
「バナナくん、かわいいでしょう?」
菜々葉が問いかけると、
「怖いよぉぉぉぉぉぉぉ~」
「ひゃぁん、バナナくん、ブラまで捲らないでぇ~」
バナナくんは菜々葉の首を伝って服の下に潜り込んでしまった。乳首にもろに当たり、菜々葉は思わず甘い声を出してしまう。
「うおっ、すげえ迫力。よく出来てるな」
ピーマンはウォォォォォーンと吼える狼男の人形を見て感心していた。
「出口はまだなのぉ~?」
「まだ入ったばっかりだよ」
菜々葉はカタカタ震える桃乃の頭をそっとなでてあげる。
「あの、桃乃ちゃん、服が伸びるから、あんまり強く引っ張らないでね」
晴彦はちょっぴり迷惑がった。
「ごめんなさい、晴彦お兄ちゃぁん」
桃乃は今にも泣き出してしまいそうな表情で謝る。
「桃乃のしぐさ、とってもかわいいわ」
「桃乃さん、前にいっしょに行った時と同じね」
真輝絵と聡香はにこにこ微笑みながら眺めていた。
「桃乃お姉ちゃんアタシと同じ組の、幼稚園の廊下に飾ってる五月人形の鎧兜を怖がってる男の子によく似てる。あっ、ママ、見て。輪入道だよ。かっこいいよね?」
このマネキンを見て大はしゃぎする葵ちゃん、
「……そうね、かっこいいね」
緑先生は三秒ほど考えてから答えたが、
すごく恐ろしいわ。夢に出てきそう。
これが本音である。
「ぎゃぁっ、のっぺらぼうだ。火の玉だぁ」
墓場エリアに突入すると、桃乃はますます怖がってしまう。
その後も提灯おばけ、からかさ小僧、砂かけ婆、ぬりかべ、雪女、ミイラ男、フランケンシュタイン、ドラキュラなどなど和洋折衷のおばけ達のマネキンがおどろおどろしい効果音と共に出迎えてくれた。
「やっと出られたぁーっ。ものすごーく長かった。怖かったぁ」
「ボクも怖かったよぉぉぉ~」
出口に辿り着いた頃には、桃乃とバナナくんは涙をぽろぽろこぼしていた。滞在時間は十分足らずだったが、体感的に一時間以上にも感じられたようだ。
「かわいらしいおばけさんもたくさんいて、面白かったわ」
「楽しいおばけ屋敷だったね」
「うん、昔行った時より広くなって、おばけの種類も増えてたもんね。ワタシまた近いうちに行きたいな」
聡香、菜々葉、真輝絵はわりと満足出来たようだ。
「おらはもう少し楽しみたかったぜぃ」
「アタシもー。コース短かったよね?」
ピーマン、葵ちゃんはやや不満げな様子。
「ママはじゅうぶん楽しめたわ」
緑先生はホッとした様子で伝えた。本心は怖かったようである。
「俺は、ものすごーく疲れたよ」
晴彦は疲労していた。
「おんぶしてもらってごめんなさい、晴彦お兄ちゃん」
桃乃はぐすぐす泣きながら謝った。
「桃乃、ぺろぺろキャンディー買ってあげるよ」
菜々葉はにこっと微笑みかけ、桃乃の頭をなでてあげた。
「菜々葉お姉ちゃん、あたしもう幼い子どもじゃないからそんなことしないでー」
桃乃はむすっとしながら言う。
「ごめん、ごめん……あっ、桃乃、あそこ見て」
菜々葉は数十メートル先のあるものに気付き、対象物を指し示した。
「あぁぁーっ! ストロベリーカちゃんだぁ!」
桃乃は途端に満面の笑みになる。
いつも会えるとは限らない、この遊園地のマスコットキャラに出会えたのだ。
名前の通り、いちごをモチーフにした風貌だった。
「葵、ストロベリーカちゃんよ。お写真撮ってもらったら?」
緑先生が勧めると、
「中の人、すごく暑そう。これからの時期は特に大変そうだね」
葵ちゃんは気遣うようにこんなことを呟いた。
「あらら、中の人なんていないのに」
緑先生は苦笑いする。
「あーっ、ボクをモチーフにしたマスコットもいるぅ!」
発見したバナナくんは大喜びだ。
「あの子はバナ衛門くんだよ。けっこう昔、少なくとも私が幼稚園の頃からこの遊園地のマスコットとして活躍してるよ」
菜々葉は教える。
鉢巻を付けて、男前の凛々しい表情をしていた。
他にりんごやなすび、スイカ、ニンジンをモチーフにしたマスコットも近くに集まっていた。
「おらのマスコットは?」
ピーマンは周囲をぐるぐる見渡して探してみる。
「残念ながら、この遊園地にはいないみたいよ」
真輝絵はパンフレットを見ながら伝えた。
「なんだよ、ピーマンはマスコットにすらなれねえのかよ。野菜果物の中でトップクラスの栄養価のおらを差し置いて、あんな野郎がマスコットにされるとは」
ピーマンの待遇に、またも苛立ってしまったようだ。他のマスコット達を悔しそうにぎろりと睨みつける。
「ピーマンなんて、かわいいマスコットになっても子ども達から嫌われると思うよ」
葵ちゃんから屈託ない笑顔でされた心ない一声に、
「そうなのか?」
ピーマンはさらに傷ついたようだ。
「ピーマンくん、バナナくん、私も写りたいからいっしょに写ろう」
「わたしも写りたいです」
「ワタシも写りたーい。晴彦お兄さんもいっしょに写りましょう」
菜々葉と聡香と真輝絵もそのキャラのしぐさ、容姿に惚れてしまったようだ。
「俺はいいよ。恥ずかしいし」
晴彦はきっぱりと拒否。
そんなわけで彼と緑先生以外のみんなはマスコットキャラ達の間に並ぶ。バナナくんとピーマンは菜々葉の肩の上だ。
「はい、チーズ」
お姉さんスタッフからの声で、みんな決めポーズを取った。
撮影のあと、マスコットキャラ達に握手をしてもらった。
「わぁーいっ、嬉しいーっ!」
桃乃、
「私もすごく幸せな気分だよ」
菜々葉、
「最高です」
聡香、
「ありがとねっ」
真輝絵、
「アタシもいい思い出が出来たよ。中の人の皆さん、これからの季節、さらに大変だけど頑張ってね」
葵ちゃん、
みんなの表情がさらにほころぶ。
「俺は……」
マスコットキャラ達は晴彦にも握手を求めて来たが、照れくさいのか応じなかった。
「かわいいお人形さんね。お嬢さんの手作りかな?」
お姉さんスタッフから爽やかな笑顔で話しかけられ、
「はい。なでてみて下さい。肌触り良いですよ」
菜々葉は少し照れくさそうにこう伝えた。
「本当だ。本物のバナナとピーマンみたい。バナナもピーマンも可愛らしくマスコット化されてるね。ピーマンさんのマスコットもうちの遊園地に新たに加えようかしら?」
お姉さんスタッフはそう言いながら、バナナくんとピーマンをなでてくれた。
「「……」」
二つとも照れてバナナくんは薄緑、ピーマンは薄黄色に染まる。
バナ衛門は親近感が沸いたのか、バナナくんに手を振ってくれた。
(ボクもあんなかっこいいお顔になりたいな)
バナナくんは心の中で憧れを抱く。
「それじゃ、みんなまた会おうね」
お姉さんスタッフとマスコットキャラ達は、みんなに向かってもう一度手を振り、次に待つお客さんのもとへ向かっていった。
「よかったねピーマンくん。ひょっとしたら新キャラに加えられるかもだよ」
菜々葉は笑顔で話しかけた。
「社交辞令なんだろうけど、おらのこと、愛してもらえて嬉しいぜ」
ピーマンは先ほどの厚意にとても感謝しているようだ。
続いて葵ちゃんの希望によりみんなは大観覧車に乗ることに。最高地点では地上からの高さが五〇メートル以上にまで達する、この遊園地の目玉アトラクションだ。
「六人乗りのが最大かぁ。みんなまとめて乗れないわね」
聡香が少し残念そうに呟くと、
「それじゃ、菜々葉お姉さんと晴彦お兄さんはワタシ達とは別ってことで」
真輝絵はこう提案した。
「それは、ちょっと」
晴彦は嫌がるものの、
「晴彦くん、いっしょに乗ろう」
菜々葉は何の躊躇いもなく誘ってくる。
こうして菜々葉と晴彦は四人乗りシースルーゴンドラ。
他の五人とバナナくんとピーマンは、そのすぐ後ろのノーマルな六人乗りゴンドラに分乗した。
シースルーゴンドラがゆっくりと上昇していく中、
「二人きりで乗ったのは、初めてだね」
菜々葉は楽しそうにしている一方、
「……そう、なるかな?」
晴彦は目のやり場に困っていた。早く一周して欲しいとも思っていた。
同じ頃、出発したばかりのノーマル六人乗りの方では、こんな会話が交わされていた。
「晴彦お兄ちゃんと菜々葉お姉ちゃん、キスするのかな?」
「わたしはしないと思う」
「ワタシも同じく」
「先生も、しないと思うな」
「絶対しないよ。彼氏彼女の関係には思えなかったし。双子の兄妹って感じだね」
「ボクはすると思うんだけどなぁ。マンガでこういうシーンがあったらしてたもん」
「バナナはあの二人への洞察が味の通り甘いな。こういう状況でも少なくともあと五年以上はしねえだろ」
その後こぞってあの二人のいるシースルーゴンドラに目を向ける。
「みんな、やっぱりこっち見てる」
晴彦はとっさに視線をそらし照れくささから俯き、
「やっほーみんな」
菜々葉は向こうのゴンドラに楽しそうに手を振った。
「菜々葉お姉ちゃん、やっほー」
桃乃は嬉しそうに手を振り返す。
「晴彦お兄さんもこっち振り向かせて欲しいな」
真輝絵はデジカメを向けて撮影した。
「晴彦くん、下がまる見えでちょっと怖いけど、いい眺めだね」
「……そうだな」
「晴れてるのに富士山が見えないのは、残念だね」
「……うん。霞のせいだな」
その後も菜々葉と晴彦は取り留めのない会話を弾ませるのみで、スタートしてから十分ほどでついに一周し終えた。
晴彦と菜々葉が降りたのと時同じくして、
「菜々葉お姉ちゃんと晴彦お兄ちゃん、結局キスしなかったね」
「予想通りね」
「ワタシも絶対こうなると思ったよ」
「アタシもー。簡単に予想出来るよね」
「先生は正直ホッとしたわ」
「幼い頃からの長い付き合いなのに、キスしないのは不思議だなぁ」
「おらは幼い頃から長年付き合ってるからこそしねえんだと思うぜ」
桃乃達の観覧車の方ではこんな会話が。
こちらもほどなく一周し終え扉が開かれ、全員下車。
「二人ともせっかくいいムードにしてあげたのに、キスくらいしなきゃダメじゃん」
「菜々葉お姉ちゃん、どうして晴彦お兄ちゃんとキスしなかったの?」
真輝絵と桃乃はさっそくあの二人に近寄って、にこにこ微笑みながら話しかけた。
「するわけないって」
「真輝絵、桃乃。まだ早いよ」
晴彦と菜々葉は照れ笑いで若干迷惑そうに伝えたのであった。
ともあれ再びみんな揃って園内を歩き進む。
「葵ちゃん、次は何に乗りたい?」
桃乃が問いかけると、
「アタシ達、もうそろそろここ出なきゃいけないの。これからスカイツリーに行くんだ。三時半にそこでパパと待ち合わせしてるの」
葵ちゃんは楽しそうにこう伝えた。
「それじゃ、あたし達とはここでお別れだね」
「よかったら、あなた達もいっしょにどう? 電車賃と入場料は全額先生が払うよ」
「みんなもおいで」
緑先生と葵ちゃんは誘ってくれるも、
「あたしはいいよ。春休みに家族で行ったばかりだから」
「緑先生、家族水入らずの時間をお楽しみ下さい」
「そこは家族で楽しむべきだよね」
「ワタシ達がいると邪魔になるもんね」
「それに、高額な入場料負担させるのは悪いもんな」
他の五人は丁重にお断りした。
バナナくんとピーマンも同意しているかのようにうんうん頷く。
「べつにかまわないんだけど、気遣ってくれてありがとう。先生今日はとっても楽しめたわ。では月曜日に元気でね」
「ばいばーい、みんな。アタシも今日はすっごく楽しかったよ。またいっしょに遊ぼうね」
「またね葵ちゃん、緑先生」
「ばいばーい、葵ちゃん、緑のおばちゃ、んじゃなくてお姉さん」
「それじゃ、また明日」
「緑先生、葵さん、さようならです」
「葵ちゃん、また会おうね。緑先生、ワタシ、文鴎高入れるよう勉強頑張りますよ」
「さようならー。葵ちゃんはボクのこと、もっともっと好きになってね。緑先生は、夜は旦那さんのバナナで遊んであげてね」
「またな、嬢ちゃん、姉さん」
これにてお別れ。
「葵、バナナくんとピーマンくんのことは、パパにはヒミツにしとこうね」
「うん、アタシ達だけのヒミツにしよう」
「葵、あの現象が起きるシロップ、頑張って作ってみるわね」
「それはいいよママ、身近になると不思議感が沸かなくなっちゃうもん。アタシはあれでじゅうぶん満足出来たよ。もう二度と見れなくてもいいの」
「そう?」
緑先生と葵ちゃんは手を繋いで遊園地を出、最寄り駅へと向かって歩いていく。
他のみんなは園内ファーストフード店前のテラス席で休憩を取ることに。
「桃乃ちゃん、ボクの仲間が使われてるクレープ食べてくれてありがとう」
バナナくんは上機嫌だ。
「どういたしまして。チョコバナナクレープはクレープの中で一番好きなんだ」
そう伝えながら桃乃は幸せそうに美味しそうに頬張る。
「今日はけっこう暑いよね」
真輝絵はブルーベリー味のソフトクリーム、
「うん、半袖でもいけそうだね。夏日かも。みかんソフトがすごく美味しいよ。晴彦くん、少しあげるよ」
「いらねー。そんな酸っぱいの」
菜々葉はみかん味のソフトクリーム、晴彦はわさび味のソフトクリームを味わっていた。
「おまえら、ソフトクリームやクレープやドーナッツばっかり食ってたら、太るぜ」
ピーマンは不機嫌そうにしていた。
「ピーマンさん、おやつタイムくらい野菜を取らなくても大目に見て欲しいな。ここの遊園地、あとはもろに乳幼児向けのキッズランドしかないわね」
聡香は抹茶ドーナッツを味わいつつパンフレットの案内図を眺めながら呟く。
「葵ちゃん向けかぁ。あたし達が楽しめるとこはもうなさそうだね。今三時ちょっと前か。まだ帰るのは早いよね。あたし、これから映画見に行きたいな。ちょうど見たいのがあるんだ」
こんな桃乃の希望により、みんなも軽食後ほどなく遊園地から出て、最寄り駅近くのショッピングモールに立ち寄った。さっそく併設するシネコンへ。
「この映画、みんなも見たいよね?」
桃乃は壁にいくつか貼られてあるポスターのうち、対象のものに近寄る。
「桃乃ちゃん、まだそんな幼稚なの見たいんだな」
晴彦はにこにこ笑う。
それは、昨日公開されたばかりの女児向け魔法もありのファンタジーギャグアニメだった。
「晴彦くん、私もこのアニメ大好きだよ。さすがに一人じゃ見に行きにくいと思ってたからちょうど良かったよ。次の回は三時半から始まるみたいだね。もうすぐだね」
「これ、CMで予告流してましたね。わたしもちょっと気になってたの」
「ワタシの好きな声優さんも何人か出てるし、けっこう面白そう。動物キャラが中心でイケメンショタキャラもいるから、大友ウケは悪いかな?」
「面白そうだね。ボクの仲間も出るのかな?」
「メスガキ向けだそうだが、おらも見たいぜ」
「俺はここで待っとくよ。チケット代の節約にもなるし、そもそも高校生の見るものじゃないし」
晴彦は当然、見る気にはなれず。
「晴彦お兄ちゃんもいっしょにこの映画見ようよぅ。さっき晴彦お兄ちゃんの三倍くらいは年上に見えるおじちゃんが一人で入って行ったよ」
「仕方ない」
桃乃に背中を押されチケット売り場の方へ連れて行かれる。
「小中学生二枚、高校生三枚」
菜々葉が代表して、お目当ての映画五人分のチケットを購入。受付の人がその入場券と共に入場者全員についてくる、キラキラして可愛らしいおもちゃのペンダントをプレゼントしてくれた。
「桃乃ちゃん、これあげる。俺こんなのいらないから」
「ありがとう晴彦お兄ちゃん♪」
晴彦は速攻桃乃に手渡す。桃乃が受け取ったものとは種類違いだった。
チケット売り場向かいの売店でドリンクやポップコーンなどが売られていたが、みんな先ほどの軽食でお腹いっぱいなため何も買わず。
「バナナくん、ピーマンくん、劇場内で騒いだらダメだよ」
菜々葉は事前に優しく注意。
「はーい」
「分かったぜ」
バナナくんとピーマンは素直に小声で承諾した。
みんなはお目当ての映画が上映される6番スクリーンへ。薄暗い中を前へ前へと進んでいく。
「菜々葉ちゃん、周り幼い女の子ばっかりだから、やっぱり、俺達は入らない方が……」
「まあまあ晴彦くん。気にしなくてもいいじゃない。たまには童心に帰ろう」
晴彦は否応無く、菜々葉に背中をぐいぐい押されていく。
「晴彦さん、気にせずに」
聡香はその様子をすぐ後ろから微笑ましく眺める。
真ん中より少し前の列の席で、晴彦は桃乃と菜々葉に挟まれるように座った。座席指定なのでそうなってしまった。
菜々葉の隣が真輝絵、その隣が聡香だ。
バナナくんは菜々葉の、ピーマンは桃乃の肩に乗っかる。
(視線を感じるような……)
晴彦は落ち着かない様子だった。
他に五〇名ほどいた客の、八割くらいは小学校に入る前であろう女の子とその保護者であったからだ。
*
上映時間七〇分ほどの映画を見終えて、
「とっても面白かったね」
「うん、映像もきれかったし。好きな声優さんの声もいっぱい聞けたし。聡香お姉さんはどうでしたか?」
「わたしも愉快な気分になれたわ」
「動物さんもかわいかったね。私、また見に行きたいな」
「ボクの仲間の登場シーンもあってよかったよ。やっぱり女の子はバナナが大好きだね」
女の子四人とバナナくんは大満足、
「笑えるシーンも多かったが、ピーマンが一切出なかったのは悔しいぜ」
「まあ、思ったよりは面白かったかな。子どもの騒ぎ声がうるさかったけど」
ピーマンと晴彦は少し満足な様子で劇場内から出て来た。
「晴彦さんも昔ド○えもんの映画いっしょに見に行った時はあんな感じだったでしょ。わたしと菜々葉さんは大人しく見てたけど」
「そうだったかな? 全く覚えてないな」
聡香ににこやかな表情で突っ込まれ、晴彦はちょっぴり照れた。
みんなは続いて、シネコン隣接のファミリー向けアミューズメント施設へ。
「バナナさん、ピーマンさんもいることですし、こんな機会は超貴重ですから、みんなで記念撮影しましょう」
聡香はプリクラ専用機に誘う。
「いいねえ、聡香お姉さん」
「おら、鮮度よく見えるように写りたいぜ」
「ボクもー」
「晴彦くん、どこへ行こうとしてるの? 逃げないでいっしょに撮ろう」
「俺はいいって。状況的に考えて俺は写らない方がいいだろ。俺も写りたくないし。わわわっ」
菜々葉に腕をガシッと掴まれ、晴彦は抵抗するも敵わず無理やり最寄りのプリクラ専用機内へ連れて行かれた。
他のみんなも真輝絵を先頭にその専用機の中へ。
「プリクラは女の子同士で楽しんだ方が絶対いいって」
「晴彦お兄さん、ハーレム王になれるこのチャンスを思う存分楽しまなきゃ」
「晴彦くん、きっと高校時代のいい思い出になるよ」
「晴彦さんもせっかくの機会なので写りましょう。照れくさがらずに」
「いや、いいって」
晴彦は気が進まなかったが、
「晴彦お兄ちゃんもいっしょに写ろうよう」
「分かった、分かった」
桃乃に服を引っ張られねだられると断り切れなかった。
そりゃ大勢の女の子達と写れることは嬉しいけど、イケメンでもない俺なんかがいっしょに写っていいのかな?
晴彦は今、こんな幸福感と罪悪感が入りまじった心境だ。
前側に真輝絵と桃乃、後ろ側に晴彦達三人が並んでバナナくんは桃乃、ピーマンは真輝絵の肩に乗っかった。
「あたしこれがいい!」
桃乃の選んだイルカさんのフレームに他のみんなも快く賛成。
「一回五百円か。けっこう高いな」
晴彦はこう感じながらも気前よくお金を出してあげた。
撮影&落書き完了後、
「おう、めっちゃきれいに撮れてるじゃん」
取出口から出て来た、十六分割されたプリクラを真っ先にじっと眺める真輝絵。自分が見たあと他のみんなにも見せてあげた。
「お友達に自慢しよっと」
桃乃も大満足な様子だ。
「真輝絵ちゃん、晴彦お兄さんとデート、ハートマークとかって落書きしないで」
晴彦は迷惑顔を浮かべる。
「いいじゃん晴彦お兄さん、ほとんど事実なんだし」
真輝絵はてへっと笑い、舌をペロッと出した。
「ジェットコースターの時はボク、変なお顔に写ってたけど、今度のは笑顔で写ってて嬉しいな♪」
バナナくんは写真と同じようなにっこり笑顔を浮かべる。
「おらも最高の表情で写れたぜ」
ピーマンはウィンクした状態で写っていた。
「バナナくんもピーマンくんもすごくいい表情。聡香ちゃんは、相変わらず表情がちょっと硬いね」
「本当だ。なんか気難しい弁護士みたい」
「聡香お姉ちゃん、がり勉少女っぽいね」
「あれれ? 笑ったつもりだったんだけどな。生徒証の写真はもっと表情硬いよ」
聡香は照れくさそうに打ち明ける。
「ワタシも生徒証の写真は表情めっちゃ硬いよ。睨んでるような感じだな」
真輝絵がさらりと打ち明けると、
「真輝絵さんも同じなのですね、よかった」
聡香に笑みが浮かんだ。
「聡香ちゃん、今の表情いいね」
菜々葉はサッと携帯電話をかざし、カメラ機能で聡香のお顔をパシャリと撮影する。
「聡香ちゃん、いい笑顔が取れたよ」
「菜々葉お姉さん、見せて見せて」
「あたしにも見せてーっ。聡香お姉ちゃん本当にかわいい」
「菜々葉さん、恥ずかしいからすぐに消してね」
聡香の表情はますます綻んだ。
(どんな表情してるんだろ?)
晴彦は気にはなったが、罪悪感に駆られ見ようとはしなかった。
「あたしこれがやりたーい」
桃乃はプリクラ専用機すぐ向かいの筐体前に移動する。桃乃がやりたがっていたのはお馴染みのクレーンゲームだった。
「おらのぬいぐるみはないのかよぉー。にんじんやかぼちゃやいちごやスイカやバナナはあるのに」
ピーマンは悔しそうに中の景品を睨みつけ、
「あっ、本当だ。ボクがぬいぐるみになってるぅ♪」
バナナくんはとっても嬉しそうにバナナ型のぬいぐるみを見つめた。
「野菜や果物のぬいぐるみさんもかわいいけど、あたしはあのナマケモノのぬいぐるみさんが一番欲しいな。お部屋に飾りたぁい!」
桃乃は透明ケースに両手の平を張り付けて、大声で叫んだ。
「桃乃さん、あれは隅の方にあるし、他のぬいぐるみさんの間に少し埋もれてるから、物理学的に見て難易度はかなり高いわよ」
「大丈夫! むしろ取りがいがあるよ」
聡香のアドバイスに対し、桃乃はきりっとした表情で自信満々に言った。コイン投入口に百円硬貨を入れ、操作ボタンに両手を添える。
「桃乃、頑張れー」
「桃乃、ファイトッ! ワタシよりきっと上手いはずよ」
「桃乃さん、慎重にやれば絶対取れますよ」
「桃乃ちゃん、頑張れよ」
他の四人と、
「嬢ちゃん、健闘を祈るぜ」
「桃乃ちゃん、頑張れ頑張れ!」
ピーマンとバナナくんはすぐ後ろ側で応援する。
「みんな応援ありがとう。あたし、絶対取るよーっ!」
桃乃は慎重にボタンを操作してクレーンを動かし、お目当てのぬいぐるみの真上まで持っていくことが出来た。続いてクレーンを下げて、アームを広げる操作。
「あっ、失敗しちゃった」
ぬいぐるみはアームの左側に触れたものの、つかみ上げることは出来なかった。
桃乃が再度クレーンを下げようとしたところ、制限時間いっぱいとなってしまった。クレーンは自動的に最初の位置へと戻っていく。
「もう一回やるもん!」
桃乃はとっても悔しがる。お金を入れて、再チャレンジ。しかし今回も失敗。
「今度こそ絶対とるよ!」
この作業をさらに繰り返す。
桃乃は一度や二度の失敗じゃへこたれない頑張り屋さんらしい。
けれども回を得るごとに、
「全然取れないよぅ。なんでー?」
徐々に泣き出しそうな表情へ変わっていく。
「あのう、桃乃さん、他のお客さんも利用するので、そろそろ諦めた方がいいかもです」
聡香は慰めるように忠告したが、
「諦めたくない」
桃乃は諦め切れない様子。ぷくぅっと膨れる。
「気持ちは分かるのですが……わたしも一度やると決めたことは、最後までやり遂げたいですし」
聡香は深く同情する。
「桃乃は算数のお勉強もそれくらいの意欲でやって欲しいな」
真輝絵はにこやかな表情で呟いた。
「このままだと桃乃がかわいそう。私も取れそうにないし、晴彦くん、取ってあげて」
菜々葉が肩をポンッと叩いて命令してくる。
「そうしてあげたいけど、俺もクレーンゲーム得意じゃないからなぁ。真ん中ら辺のカバのやつはなんとかなりそうだけど、あれはちょっと無理だな」
晴彦は困惑顔で呟いた。
「ねーえ、晴彦お兄ちゃん、お願ぁい!」
「……分かった。取ってあげる」
けれども桃乃に寂しがる子犬のようにうるうるした瞳で見つめられると、晴彦のやる気が急激に高まった。クレーンゲームの操作ボタン前へと歩み寄る。
「ありがとう、晴彦お兄ちゃん。大好き♪」
するとたちまち桃乃のお顔に、笑みがこぼれた。
「さすが晴彦くん、男の子だね」
「晴彦さんの判断は正しいです」
「さすが晴彦お兄さん」
他の三人も彼に対する好感度が高まったようだ。
「頑張れよお兄さん」
「晴彦君、頑張れー。成功すれば、菜々葉ちゃんはきっときみのバナナを入れさせてくれるよ」
ピーマンとバナナくんは熱いエールを送る。
(まずい。全く取れる気がしない)
晴彦の一回目、桃乃お目当てのぬいぐるみがアームにすら触れず失敗。
「晴彦お兄ちゃんなら、絶対取れるはず♪」
背後から桃乃に、期待の眼差しでじーっと見つめられる。
(どうしよう)
当然のように、晴彦はプレッシャーを感じてしまう。
「晴彦くん、頑張れーっ!」
「晴彦さん、ドンマイ!」
「晴彦お兄さん、ご健闘を祈ります!」
(よぉし、やってやろう!)
他の三人からの声援を糧に晴彦は精神を研ぎ澄ませ、再び挑戦する。
しかしまた失敗した。アームには触れたものの。けれども晴彦はめげない。
「晴彦お兄ちゃん、頑張ってーっ。さっきよりは惜しいところまでいけたよ」
桃乃からも熱いエールが送られ、
「任せて桃乃ちゃん、次こそは取るから」
晴彦はさらにやる気が上がった。三度目の挑戦後。
「……まさか、本当にこんなにあっさりいけるとは思わなかった」
取出口に、ポトリと落ちたナマケモノのぬいぐるみ。
晴彦は、桃乃お目当ての景品をゲットすることが出来た。ついにやり遂げたのだ。
「やったぁ! さすが晴彦お兄ちゃん! だぁぁぁーい好き♪」
桃乃は大喜びし、バンザーイのポーズを取った。
「晴彦くん、おめでとう! 三度目の正直だね」
「晴彦さん、大変素晴らしいプレイでしたね」
「晴彦お兄さん、ワタシ感動したわ」
「晴彦君、おめでとう」
他の三人とバナナくんもパチパチ拍手しながら褒めてくれる。
「お兄さん、プレッシャーに耐えてよく頑張った。おらも、感動したぜ」
ピーマンも大いに賞賛してくれた。
「たまたま取れただけだよ。先に桃乃ちゃんが、少しだけ取り易いところに動かしてくれたおかげだよ。はい、桃乃ちゃん」
晴彦は照れくさそうに伝え、桃乃に手渡す。
「ありがとう、晴彦お兄ちゃん。ナーマちゃん、こんばんは」
桃乃はさっそくお名前をつけた。受け取った時の彼女の瞳は、ステンドグラスのようにキラキラ光り輝いていた。このぬいぐるみを抱きしめて、頬ずりをし始める。
「桃乃、幸せそうね」
真輝絵はにこやかな表情で話しかけた。
「うん、とっても幸せだよ」
桃乃は恍惚の笑みだ。
「桃乃、楽しい思い出が出来てよかったね」
菜々葉は優しく微笑み、桃乃の頭をなでてあげた。
☆
みんなこのあとはあまり長居せずに、ショッピングモールをあとにした。
地元駅へ戻り、自宅への帰り道を歩き進んでいく。
その頃には時刻は午後六時半を回っていた。
「そういえば桃乃、駅降りてから急に大人しくなったね」
「疲れちゃった?」
菜々葉と真輝絵は、ついさっきまでとは様子が違う桃乃に疑問を抱いた。
「桃乃ちゃん、なんか顔がちょっと赤いぞ」
「桃乃さん、お熱あるんじゃない?」
晴彦と聡香もすぐに桃乃の異変に気付く。
「なんかあたし、今、すごくしんどくって」
桃乃はゆっくりとした口調で答えた。
「桃乃、本当にお熱があるよ」
菜々葉は桃乃のおでこに手を当ててみた。
「大丈夫ですか? 桃乃さん」
聡香も心配そうに問いかける。
「まあ、なんとか」
桃乃はそう答えるも、ぐったりしていた。
「桃乃ちゃん、おウチまでおんぶしてやろっか?」
晴彦はふらふらした足取りで歩いていた桃乃に、優しく声をかけてあげる。
「ありがとう、晴彦お兄ちゃん」
桃乃は礼を言うと、晴彦の両肩に手を掛けた。
「しっかり掴まってて」
晴彦は快くおんぶしてあげる。
「晴彦くん、心優しい」
「晴彦お兄さん、またもお兄さんらしいとこを見せたね」
「晴彦さん、男らしいです」
彼の気配りに、菜々葉達三人は深く感心した。
「いや、たいしたことじゃないから」
少し照れた晴彦が謙遜気味にそう言った直後、
「桃乃ちゃん、とっても苦しそうだね。ボクを食べて。風邪によく効くよ」
桃乃のリュックから、バナナくんがひょっこり全身を出した。
「いや、おらの方が効果てき面だぜ」
ピーマンも同じリュックから全身を出して対抗する。
「ボクの方だいっ」
「おらだ。緑黄色野菜の栄養パワーをなめるなよ」
睨み合いが始まった。
「こらこら、ケンカしちゃダメ」
真輝絵が止めようとするも、
「おらはビタミンCはもちろん、α‐カロテン、β‐カロテン、ビタミンEも豊富なんだぞぉ」
「ボクの方が栄養価は高いんだいっ!」
やめようとはしてくれない。
「二つともケンカはやめて。両方食べるから。いただきまーす」
桃乃はまずバナナの方をつかみ、皮を剥いてぱくりと一口齧りついた。
すると桃乃の顔色がみるみるうちに普段の状態へと戻っていった。
「急に元気が出て来た!」
桃乃はにっこり笑い、ガッツポーズを取る。残りの果肉もあっという間に平らげた。
「お熱も下がったみたいだね。バナナくん効果すごい!」
菜々葉はおでこに手を当ててみて、ホッと一安心出来たようだ。
「ありがとうバナナくん。あたしの風邪あっという間にすっかり治っちゃった」
「ボクは当たり前のことをしただけだよ」
皮だけになったバナナくんは全身を薄緑に染めて照れる。
「想像以上の解熱効果だな」
「ワタシも、こんなに効果あるとは思わなかったわ」
「わたしも。ド○ゴンボールの仙豆みたいね」
晴彦と真輝絵と聡香は効能にちょっぴり驚いていた。
「桃乃っち、今度はおらを食って」
ピーマンは爽やかな笑顔でお願いするも、
「バナナくんだけで元気が出たからもういらなーい」
桃乃にきっぱりとこう言われてしまった。
「そりゃぁねえよ嬢ちゃん」
ピーマンは悲しげな表情を浮かべる。
「桃乃ちゃん、ピーマンくんも食べてあげて」
バナナくんからきらきらした目つきでお願いされると、
「それじゃ、食べてあげるよ」
「サンキュー桃乃っち、嬉しいぜ」
桃乃は快くピーマンも全て食してあげた。
「ピーマンくん食べた途端、足の疲れも取れたよ」
「それじゃ桃乃ちゃん、一人で歩けるよね?」
「うん! でも晴彦お兄ちゃんにおぶってもらうままでもいいな」
「そうすると、俺が疲れてくるから勘弁して」
晴彦から苦笑いでお願いされ、
「はーい」
桃乃は素直に晴彦の背中から降りた。
バナナくんを自分のリュックに戻そうとした時、
「バナナくん、もう普通の皮に戻ってる」
桃乃は気付く。
けれども復活法が分かっていたので、みんな悲しみはそれほど感じなかった。
※
「桃乃、動物園楽しかった?」
「うん、とっても楽しかったよママ」
「桃乃、ゴールデンウィークはパパも付き合うから」
「やったぁ!」
三姉妹帰宅後、家族揃って楽しく夕食タイム。
「今夜はワタシの大好物のゴーヤーチャンプルーか。やったぁ」
「美味しそう」
喜ぶ真輝絵と菜々葉、
「ゴーヤーさんがあるのかぁ」
桃乃は少しがっかり。
「桃乃、頑張って食べたらご褒美にいちごプリン食べさせてあげるわよ」
母からそう言われると、
「それじゃあ食べるぅ」
桃乃はお箸でつまみ、お口に放り込むとすぐにごくりと飲み込んだ。
「苦い、苦い。全然美味しくない」
文句を言いつつも残りのゴーヤーを食していく。
「ゴーヤーの美味さが分かって来た時が、大人になった時だな」
父はにっこり笑顔で言った。
夕食後。
「こんばんは、約一時間振りだね」「こんばんはー」「やぁ、はじめまして」「おっす!」
真輝絵はテーブル上のバスケットからバナナ、冷蔵庫からアスパラガス、セロリ、ピーマンを持ち出し、自分のお部屋であのシロップをかけて意思を持たせたのであった。