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第一話 誰にでも嫌いな食べ物はあるはずだよね?

真輝絵まきえお姉ちゃん、おトイレ長ぁーい。早くしてぇー。おしっこもれちゃうぅぅ。うんこしてるのぉ?」

「違うって桃乃ももの、トイレが長いってだけでうんこって思わないで」

「桃乃、リコーダー机の上に置きっぱなしになってたよ。今日いるんでしょう?」

「あっ! いっけなーい」

「はいこれ」

「ありがとう菜々ななはお姉ちゃん」

四月下旬のある水曜日の朝、七時十五分頃。東京郊外、それなりの閑静な高級住宅街で暮らす徳岡のりおか家三姉妹の間で繰り広げられた、ちょっとした騒動である。

長女、菜々葉。高校一年生。

次女、真輝絵。中学二年生。

三女、桃乃。小学四年生。

そして両親の五人家族。 

菜々葉はあのあと自分のお部屋へ向かい、

「おーい、晴彦はるひこくーん。朝だよ。起きてーっ!」

 ベランダに出て、トライアングルを叩きながら大声で叫んだ。

すぐ向かいに同い年の幼馴染、藤林晴彦が住んでいて、彼のお部屋と菜々葉のお部屋はほぼ同じ位置で向かい合っているのだ。

(……もう朝かぁ。まだ眠い。二時近くまでテレビゲームしてたからな。今日は早めに寝よ)

 晴彦はたいてい、菜々葉の出す声と打楽器音で目が覚める。起き上がるといつものようにベッド上の布団を畳み、この春入学したばかりの高校の紺色ブレザー型制服に着替え、通学鞄を持って部屋から出た。階段を下り、朝食を取るためキッチンへ向かう途中、

(先に済ませとくか)

晴彦はトイレの扉を開けた。

「……」

 先客がいた。晴彦は少し顔をしかめる。

「おはよう晴彦お兄ちゃん。真輝絵お姉ちゃんがおトイレを使ってたので、晴彦お兄ちゃんちのを借りに来ました」

 桃乃だった。ウサギさん柄の可愛らしいショーツを膝の辺りまで脱ぎ下ろして便座に腰掛け、ちょろちょろ用を足している最中に出くわしたのだ。

「……またか」

「今回は小だけなので、すぐに済みますので」

「そういう問題じゃなくて、自分ちのトイレを使ってね」

「晴彦お兄ちゃんちももはや自分ちみたいなものですから」

トイレットペーパーをカラカラ引きながらにっこり笑顔で言い訳され、

「じゃ、何度も言ってるけどせめて鍵はちゃんと掛けて」

 晴彦は呆れながら扉を閉めてあげ、キッチンへと向かっていく。

 桃乃に藤林宅のトイレを使われることは週に二、三回はあるのだ。

「桃乃ちゃん入ってたのね」

「ああ、何度注意してもやめてくれないよな、あの子」

「べつにいいじゃない」

 このことは晴彦の母は快く容認している。

「俺としては迷惑なんだけど」

 晴彦がイスに腰掛け一息ついていたら、

「おばちゃん、おトイレ使わせて下さり、ありがとうございました」

 桃乃がキッチンへやって来て、きちんとお礼を言いに来た。

「どういたしまして。またいつでも使ってね」

 母は嬉しそうな笑顔で言う。

「はい、使わせてもらいます」

 桃乃はにっこり笑顔でこう伝えてキッチンをあとにし、自分のおウチへ戻っていった。

一三〇センチに届かない小四のわりにはやや小柄な子で、丸っこいお顔、くりくりした瞳が愛らしく、さらさらしたほんのり栗色なおかっぱ頭をいつもフルーツなどのチャーム付きダブルリボンで飾っている。今日の服装は紺地にリスさんの刺繍が施された長袖セーターと赤いミニスカート、膝よりちょっと下まで穿いた水色の靴下だった。

「礼儀正しい子なんだけどな……またちゃっかり俺の皿の卵焼き一つつまみ食いしていったよ」

 晴彦は軽く苦笑いする。

高校理科教師を勤める父は毎朝七時過ぎには家を出るため、一人っ子の晴彦の平日朝食時はいつも母と二人きりだ。

「晴彦、相変わらずキウイとりんご残してるわね」

「べつにいいだろ。ごちそうさま」

「あっ、晴彦、今日枕カバー洗濯しときたいから、持って下りといて」

「分かった、分かった」

晴彦が身支度をほぼ整えた七時五〇分頃。ピンポーン♪ と藤林宅のチャイムが鳴らされ、カチャリと玄関扉の開かれる音と共に、

「おはよー晴彦くん、おば様」

「改めておっはよう! 晴彦お兄ちゃん、おばちゃん」

「おはようございまーす」

 のんびりとした声と、元気で明るい声と、眠たそうな声が聞こえて来た。

「おはよう、すぐ行くから」

 晴彦は通学鞄を肩に掛け、玄関先へと向かう。訪れて来たのはお隣のあの三姉妹だ。学校がある日はいつもこの時間帯くらいに迎えに来てくれる。

「晴彦くん、また桃乃が迷惑かけてごめんね」

「いや、まあ、気にしてないから」

菜々葉は面長ぱっちり垂れ目、細長八の字眉が可愛らしい高校生としては少し幼く見えるおっとりのんびりとした雰囲気の子で、ほんのり茶色なサラサラ髪をいつもアジサイなどの花柄シュシュでポニーテールに束ねている。背丈は晴彦より十センチほど低い一六〇センチくらいだ。

「晴彦お兄ちゃん、真輝絵お姉ちゃんあたしに嘘ついたんだよ。本当はう、んむぐぅ……」

「こら桃乃、恥ずかしいから晴彦お兄さんには言わないで」 

慌てて桃乃のお口を塞いだ真輝絵は丸顔丸眼鏡ちょっぴりにきびそばかすありで、見た目は地味で大人しそうな感じだが、三姉妹の中では一番積極性のある子らしい。背も一番高く、一六三センチほどある。みかんのチャーム付きリボンで二つ結びにした濡れ羽色の髪と、制服の黒セーラー服姿がよく似合っていた。

この四人で通学路を進むさい、晴彦が一番前、菜々葉が一番後ろを歩くのが昔からのスタイルだ。 

「今日の給食最悪だよ。野菜炒めとワカメの酢の物と、切り干し大根の煮物と、豆ご飯だし。真輝絵お姉ちゃんの学校は、今日はチキンカツとシューマイとエビチリが出るみたいだから羨ましいよ」

 桃乃はげんなりした表情で伝えてくる。

「健康的なメニューのオンパレードじゃない。桃乃、今日の給食も残さず食べなさいね」

 真輝絵は微笑み顔で優しく注意。

「はーい」

 桃乃はむーっとした表情で返事した。

「給食、高校入ってからまだそんなに経ってないけど懐かしく感じるな」

「私もー。また食べたくなっちゃった。高校はお弁当持参か購買か学食だもんね」

 晴彦と菜々葉はふと一月半ほど前までの思い出に浸る。

「学食って自分の好きなメニューが選べるから楽しそう。あたしの小学校も学食になればいいのになぁ。それじゃぁね」

 藤林宅の門を出て徒歩一分足らず、最初の曲がり角で桃乃は別れを告げる。ここから五〇メートルほど先の小さな公園が集団登校の集合場所になっているのだ。

「桃乃ちゃん、相変わらず野菜嫌いみたいだな」

「そうなのよ。特にピーマンとセロリ。あとアスパラガスとゴーヤーも」

 真輝絵は困惑顔で伝える。

「それ全部、子どもの嫌いな野菜の代名詞だもんな」

 晴彦は微笑んだ。

「カレーやハンバーグやグラタンやチャーハンに細かく刻んで入れても器用にのけるの。野菜ジュースにしても飲んでくれないし。たけのこ、大根、春菊、そら豆も、食べてはくれるけど出したら嫌そうな顔するの」

 真輝絵は加えて伝える。

「そっか。そういう野菜が嫌いで食べれない。俺にはその気持ちはよく分からんな」

「晴彦くんもいちごとか、みかんとか、ぶどうとかパイナップルとかが苦手なくせに」

 菜々葉ににこやかな表情で指摘された。

「確かにな。酸っぱいし」

「私は酸味の効いたフルーツが苦手な人の気持ちがよく理解出来ないよ。ビタミンも豊富で体にとってもいいのに」

「あの酸っぱい感じは男は普通苦手だと思うけど」

 晴彦は軽く苦笑いする。

「桃乃は酸っぱい系の果物は大好きよ。けど苦い・独特のにおい系野菜も必要不可欠だから、桃乃に何とか好きになってもらいたいわ」

「私もそう願うよ。あと晴彦くんの酸っぱい系果物嫌いも克服して欲しい」

「ワタシも同じく。晴彦お兄さんがそれを克服すれば、桃乃もきっと苦い・独特のにおい系野菜嫌いを克服してくれるはずよ!」

「いや、俺のことはべつにそのままでいいだろ」

「ダメダメ。晴彦くん、このいよかんは甘くて美味しいよ。食べてみて。はいあーん」

 菜々葉は鞄から一つ取り出し、皮を剥くと中の実の一粒を口に押し込もうとしてくる。

「持って来てたのかよ。菜々葉ちゃん、俺、こういう系の果物は嫌いだって何度も言ってるだろ」

 晴彦は非常に迷惑がった。

「晴彦くん、高校生にもなって嫌いな食べ物があるのは良くないよ。一粒だけでもいいから食べて」

「いらない、いらない」

「晴彦くん、みかんを食べないとビタミンCが不足して病気になっちゃうよ」

「俺、今年の健康診断も全く異常なかったし、健康体だから」

「今は大丈夫でも、年取ってから絶対つけが回ってくるよ」

「他の果物や野菜で栄養補ってるから大丈夫だって」

「大丈夫じゃないよ。えいっ!」

 菜々葉はにこやかな表情で主張し、いよかん三粒を晴彦の口にサッと放り込んだ。

「菜々葉ちゃん、ひどいな」

 道路に吐き出すわけにも行かないので晴彦は渋々噛み締めた。口中に果汁が広がり、晴彦は苦虫を噛み潰したような顔をする。

「晴彦くん、甘くて美味しいでしょ?」

 菜々葉はいよかんの残りの部分を幸せそうにもぐもぐ頬張りながら問いかけてくる。

「どこが甘いんだよ。めちゃくちゃ酸っぱかったぞ」

 晴彦は飲み込んだ後、不機嫌そうに言い張った。

「いよかんの美味しさが分からないなんて、晴彦くんかわいそう」

「晴彦お兄さん、いよかんですら酸っぱく感じるなんて、人生を九〇パーセントは損していますよ」

 菜々葉と真輝絵は哀れんでくれているようだ。

「いや、損でもないだろ」

 晴彦は鞄から水筒を取り出し、中の濃いめの麦茶を飲んで口直しした。

 その後も三人仲睦まじく楽しそうにおしゃべりしながら歩き進んでいき、

「それでは、また夕方」

藤林宅から八百メートルほど先の交差点で真輝絵とも別れた。

その後は晴彦と菜々葉、二人きりで市内では二番手の公立進学校、都立文鴎ぶんおう高校へ向かって歩き進む。所属するクラスも今は同じ、一年五組だ。

「聡香ちゃんおはよー」

 菜々葉は自分の席へ辿り着くと、先に来ていたすぐ後ろの席の幼稚園時代からの幼友達、花見聡香はなみ さとかに挨拶した。

「おはよう、菜々葉さん」 

聡香はいつもと変わらず明るい表情で返してくれる。背丈は一五五センチくらい。四角い眼鏡をかけ、ほんのり栗色な髪をショートボブにしている。見た目そんなに賢そうな感じの子ではないが、東大に毎年二、三名の現役合格者を出すこの高校の新入生テストでも総合二位を取った正真正銘の優等生なのだ。

「聡香ちゃん、桃乃ったら、四年生になっても相変わらず野菜嫌いが激しくて。野菜嫌いを治せる画期的な方法ってない?」

「それは思いつかないな。対処法は人それぞれ違うし」

「こうなったら、担任の緑先生に相談してみようかなぁ」

「それはいい案かも。家庭科の先生だし」

 菜々葉と聡香でこんな会話を交わしていた時、

「やぁ晴彦」

「おはよう雄一郎、今日は朝からやけに機嫌が良さそうだな」

 晴彦の幼稚園時代からの親友、牛沢雄一郎うしざわ ゆういちろうが登校して来た。

「そりゃぁ明日、ずっと前から楽しみにしてたマムドの新作バーガーが出るからなぁ」

「やっぱりそのことか。気が早いな」

「晴彦、明日の朝、学校行く前にいっしょにマムド寄ろうぜ。新作の五段重ねスパイシージューシー近江牛バーガーいち早く食いたいし」

「俺はいいよ。一人で行ってくれ」

「やっぱ嫌か。つれないなぁ晴彦」

雄一郎は大のファーストフード好きなのだ。物心つく前から十数年間、ほぼ毎日ファーストフード店のメニューを堪能しているらしい。そんな食生活が祟ってか、身長は一六六センチで男子高校生の平均より低めだが、体重は百キロを優に超えてしまっている超肥満体型なのだ。スポーツも超苦手である。丸顔坊ちゃん刈り太めの一文字眉、細い目で愛嬌のある顔つきのためか、幼稚園の頃から小学四年生頃までは雄ちゃん雄ちゃんと多くの女の子達からも慕われバレンタインチョコもたくさん貰えていたのだが、五年生以降は次第に……。

「雄一郎さん、おはよう」

「雄ちゃんおはよう」

 聡香と菜々葉は、今でも快く接して来てくれる数少ない女の子だ。

「あっ、おはよう」

雄一郎は上機嫌なにこにこ顔で返し、のっしのっしとグラウンド側前から四番目の自分の席へ向かった。

       ☆

八時半の、朝のSHR開始を告げるチャイムが鳴ってほどなく、

「皆さん、おはようございます。昼間は暑いくらいになって来ましたね」

 クラス担任の緑先生がやってくる。背丈は一五〇センチくらい。ぱっちり瞳に卵顔。色白のお肌。さらさらした濡れ羽色の髪はリボンなどで括らずごく自然な形に下ろしている、清楚な感じの小柄和風美人だ。来月には三十路を迎える二九歳。とはいえまだ二〇歳くらいにも見られる若々しさを保っているそんな彼女はいつも通り出欠を取り、諸連絡を伝えた。これをもって朝のSHRが終わり、

「緑先生、私の妹が小学四年生になってもピーマンとかセロリとかアスパラガスとかの野菜嫌いが治らなくて困ってるの。何か良い方法はないでしょうか?」

菜々葉はさっそくあの件を相談しにいった。

「あるわよ。そういうお野菜が嫌いなこと自体を克服するのは難しいけど、ドレッシングや、カレーパウダーみたいな香辛料、シロップなんかをたっぷりかけて味を誤魔化しちゃえばいいのよ。先生の四歳の娘も、徳岡さんの妹さんが嫌ってる野菜が嫌いだったけど、手作りのシロップをかけてあげたらあっさり喜んで食べてくれるようになったわ」

 緑先生はにこやかな表情でこんなことを伝えてくれる。

「それも前に試してみたんですけど、私の妹には上手くいきませんでした。ピーマンの味が残ってるって」

 菜々葉は苦笑いした。

「そっか。でも先生お手製のなら、きっと上手くいくはずよ。調理実習室に材料揃えてあるから、今日の放課後までに新しく作っておくわ」

「ありがとうございます。お忙しいのに」

「いえいえ、今日は空き時間が多いから」

 緑先生は謙遜気味に伝えて、教室から出て行った。

「相談してよかったね、菜々葉さん」

「うん、どんなシロップなんだろう?」

 菜々葉は期待に胸を膨らませた。

       ※

その日の四時限目の授業が終わり、お昼休みに入ると、

「今日は一週間振りに母ちゃんの手作り弁当なんだ。学食のおれの好きなメニュー、大方食い尽くしたからな」

 雄一郎は椅子とお弁当箱を持って晴彦の席の側へのっしのっしと移動して来た。

「雄一郎、弁当箱、この前のよりさらにでかくなってないか?」

 机にで~んと置かれた巨大な三段重ねのお弁当箱に、晴彦はやや引いてしまう。

「昨日母ちゃんに新しいのを買ってもらったんだ。何が入ってるかな?」

 雄一郎はわくわく気分で弁当箱のふたをぱかりと開けた。

「とんかつにビーフステーキに、手羽先に、予想は出来てたが肉ばっかりだな。デザートのドーナツまで何個か入ってるし。体にものすごく悪そう」

 中身を見て晴彦は呆れ顔で呟く。

「おう、高級名古屋コーチンのだ。母ちゃん太っ腹」

雄一郎は満面の笑みを浮かべ大喜びだ。

二段目には焼きそば、三段目にはオムライスが入っていた。

「一段目だけでも一人前としてはじゅうぶん多過ぎだろ」

 自分の弁当を置くスペースがほとんど無くなり、晴彦は若干迷惑がる。

「雄一郎さんの食事量、高校に入ってからまた一段と増えてる気がするわ。見るだけで胃がもたれそう。三千キロカロリーは超えてそうね」

「雄ちゃん、お相撲さんの食事量並だね」

 菜々葉と聡香も自分のお弁当箱を持って近寄って来た。

「雄一郎さん、グレープフルーツ分けてあげる。はい」

「私は野菜サラダをあげるね。雄ちゃんの分も余分に作っておいたの」

 その二人は自分の弁当箱からお箸を使って雄一郎の弁当箱に移そうとしてくる。

「いや、おれ、それ系のは嫌いなんで」

 雄一郎は弁当箱をさっと持ち上げ回避した。

「雄一郎さん、何度も言ってるけどそんな乱れた食生活送ってたら、近い将来絶対生活習慣病よ。手遅れになる前に正さないと」

「雄ちゃん、お肉や甘いお菓子ばっかり食べちゃダメだよ。野菜と果物とお魚さんもいっぱい食べなきゃ」 

「それは重々分かってるのだが……」

 菜々葉と聡香にしつこく忠告され、雄一郎はたじたじだ。けれども嬉しがっているようにも見えた。彼の鞄の中にはスナック菓子類もいつもたくさん詰められていて、休み時間に間食しているのだ。これはお菓子の持ち込みが禁止されていた幼稚園時代から続く、良い子はマネしちゃいけない習慣である。そんな大食漢な彼だが、テレビ番組の大食い企画に出てくる連中にはさすがに歯が立たないと感じているようだ。

      ☆

 六時限目後の休み時間。

「次の化学、また途中で寝ちゃいそう」

「わたしも気持ちはよく分かるわ。あの先生の話し方は、子守唄ね」

 菜々葉と聡香がトイレから出て教室へ戻ろうと廊下を歩いている時、

「徳岡さーん、例のシロップ、作って来たよ」

 緑先生に背後から声をかけられ、シロップを手渡してくれた。

「緑先生、私の妹のためにここまでして下さり、本当にありがとうございました」

「いえいえ、どういたしまして」

オレンジ色の半透明な液状で、プラスチック製五百ミリリットルサイズのボトル満タンに詰められていた。

「見かけはごく普通のメープルシロップみたいだね」

菜々葉はそれをじっくり観察する。

「これを数滴お野菜に垂らせば、びっくりするほど味が変わるわよ」

 緑先生は自信たっぷりに伝えてくる。

「どんな成分が含まれてるんですか?」

 聡香も興味津々な様子で横から覗き込んだ。

「私もどうやって作ったのかすごく気になります。緑先生、作り方教えて下さい」

「それはヒミツ♪ あなた達で分析してみてね」

 残念ながら教えてくれなかった。緑先生はそそくさ職員室の方へ向かっていく。

「緑先生、ケチな一面もあるのね」

「聡香ちゃん、悪口言っちゃダメ。緑先生苦心の作だろうから、教えたくなかったんだよ」

        ※

夕方四時半頃、晴彦と聡香も徳岡宅キッチンへおじゃました。

「桃乃はやっぱり今日もどっかへ遊びに行ってるみたいだね」

菜々葉は隣接するリビングのソファーに置かれたランドセルをちら見したのち、

「さっそく試してみよう」

 鞄から例のシロップを取り出し、ふたを開けてみた。

 続いて鼻を近づけ、においを嗅いでみる。

「メロンのとってもいい香りがする」

「どれどれ……あっ、本当だ。これは本当に効果ありそうね」

 聡香は同じようにしてみて、大いに期待を持った。

「俺のとこまで匂って来た。確かに食欲をそそるいい香りだな。とりあえず、適当な野菜に少しだけかけて味見してみたら?」

 晴彦が提案すると、

「それじゃ、ピーマンで試してみるね」

 菜々葉は冷蔵庫から桃乃の最も苦手としている緑色のピーマンを一つ取り出した。水洗いしてからまな板に置き、シロップのボトルを傾け数滴たらしてみた。

 すると、

「えっ!」

「うわっ、何だ?」

「うっ、嘘でしょう?」

 信じられない変化が起きた。三人とも我が目を疑う。

 なんとピーマンの表面に、人間の目と口のような模様が現れたのだ。

「おっす、おらピーマン」

 さらに言葉まで発したのである。

「しゃっ、しゃべったぞ」

「確かにしゃべったよね? このピーマン」

「うん、わたしにもちゃんと聞こえたわ」

「なんでそんなに驚いてるんだよ? さあみんな、おらを食べてくれ」

 ピーマンは三人に向かってパチッとウィンクまでしてくる。

「無理です無理です」

「かわいいけど、なんか怖いよ」

「これ、現実なのか?」

 三人は恐怖心も芽生えた。

「おらのお顔をお食べ」

 ピーマンはにこにこした表情を浮かべて、まな板の上でぴょんぴょん飛び跳ねる。

「無理だって」

「悪いのですが、ピーマンさんがかわいそうで」

「私、人の顔してしゃべるピーマンなんて、食べれないよ」

 三人は恐怖心がますます強くなってしまった。

「みんなピーマンが嫌いなのかよ。こうなったらおらから無理やり」

 ピーマンは怒りに満ちたような表情を浮かべ、晴彦のお口目掛けて飛びついて来た。

「うぐぉっ!」

 直撃された晴彦は思わず少し齧ってしまう。

 その約一秒後、

「あれ? ピーマンなのに、特有の苦味がないし、甘くてめっちゃ美味いぞ」

 ハッとさせられた。

「食べやすくなってるだろ? マムドのハンバーガーなんかよりもずっと美味いぜ」

 少し欠けたピーマンは得意げな表情で自負する。

「いや、さすがにそこまでじゃないな」

「なんだとっ! このおらがマムド以下だとぉ?」

 晴彦に即否定され、ピーマンは悔しそうな目つきをした。

「栄養価はきみの方が絶対高いよ」

 晴彦は軽く苦笑いしながら優しくフォローしてあげる。

「そんなの当然だっ!」

 ピーマンはむすーっとしながら言った。

「ピーマンくん、けっこう渋い声だね」

 菜々葉からこう言われると、

「そうか?」

 ピーマンは照れているのか少し黄色くなった。そんな時、

「ただいまー」

 真輝絵が帰ってくる。

「真輝絵さん帰って来たよ」

「これ、いきなり見られるとまずいよな?」

「真輝絵絶対びっくりするよ。とりあえず、この子は隠しておこう」

 菜々葉はとっさに雪平鍋を裏返し、ピーマンに被せる。

ピーマンの姿はすっぽり隠れた。その約五秒後に真輝絵はキッチンへやってくる。

「おかえり、真輝絵」

「こんばんは、真輝絵ちゃん」

「真輝絵さん、久し振り」

 菜々葉達三人は冷静に出迎えた。

「靴が多いと思ったら、やはり皆さんおじゃましてたんですね。いらっしゃいませ」

 真輝絵はぺこんとお辞儀した。

「ところで、キッチンで集まってお料理でもしてたの?」

 続けてこんな質問をする。

「えっとね、桃乃がピーマンを美味しく食べてくれるように、ちょっとした工夫をしようと思ったの」

 菜々葉はにっこり笑顔で説明した。

「そうなんだ。今回は晴彦お兄さんと聡香お姉さんも協力してくれるみたいだから上手くいくかも。んっ、何これ?」

 真輝絵はまな板横のシロップの入ったペットボトルが目に留まる。

「真輝絵さん、これはね、緑先生お手製のシロップよ」

「担任の緑先生が、野菜嫌いな四歳の娘さんのために作ったんだって。それで上手くいったみたい」

聡香と菜々葉は冷静に伝えた。

「そうなんだ。菜々葉お姉さん達の担任の緑先生って家庭科の先生だったよね。そのお方お手製のなら桃乃にも効果ありそう。どんな味がするんだろう?」

 真輝絵が疑問に思っていると、

「こいつは食べ物に意思が宿る魔法のシロップらしいぜ」

 こんな声が響き渡った。

「さっき晴彦お兄さん何か言った?」

「いや、俺じゃない」

 まずい、ばれる。

 晴彦は背筋がヒヤッとなる。声の主は説明するまでもなくあのピーマンだった。

「ぃよう、おさげのかわいいお嬢さん」

 ピーマンはへたの部分を使って雪平鍋を持ち上げ自力で中から脱出すると、真輝絵に向かってパチッとウィンクした。

「……ピーマンが、しゃべった?」

 真輝絵の表情が凍りつく。

「やっぱり驚かれちゃったか?」

 ピーマンはハハハッと笑った。

「真輝絵、このシロップをピーマンにかけたら、こんな風になっちゃったの」

 菜々葉はにこやかな表情で伝える。

「マジで!? 野菜に意思が宿るようになるシロップを発明するなんて、緑先生は偉大過ぎるっ!」

 すると真輝絵はシロップにかなり興味を示し、興奮気味になった。

「このシロップ、お魚さんにかけたらお魚さんがしゃべり出したりして」

 こう思いつくとさっそく冷蔵庫からアジを一尾取り出し、シロップをかけてみた。

「何も変化しないね。あっ、ひょっとしてお魚さんは、元々意思を持った生き物だからかも。野菜とか果物とか、植物が元になってるやつじゃないと無理なのかも……鶏肉にかけてみようっと」

 真輝絵はさらに実験しようとする。

「真輝絵さん、研究熱心ね」

「好奇心旺盛だな」

「真輝絵は昔からこういう子だから」

その様子を他の三人は感心気味に眺めていた。

「変化なしかぁ」

 真輝絵は苦笑いする。鶏肉にかけても、何も起こらなかった。

「今度は卵に」

 これも何も起こらなかった。

「次は、ソーセージね」

 これもまた何も起こらなかった。

「それじゃ、ミニトマトに」

 そうすると、

「こんにちは、アタシ、ミニトマトちゃん。ビタミンC、リコピンたっぷりでとっても体にいいよ」

 目と口が現れてかわいらしい声でしゃべり出した。

「やっぱりワタシの予想で間違いないと思う。これは植物が元になってる食べ物にかけると意思が宿る、魔法のシロップね」

 そして真輝絵は結論を出す。

「緑先生は魔法使いだね」

「わたし、作り方を教えてくれなかった理由がよく理解出来たわ」

 菜々葉と聡香は緑先生に改めて尊敬の念を抱いたようだ。

「そこの眼鏡もよく似合うおさげの嬢ちゃん、おらの顔を食べてくれないか?」

 ピーマンからウィンクもされて頼まれると、

「もちろんいいよ」

 真輝絵は臆することなくそのピーマンを手につかみ、残りの部分を全てお口に放り込んだ。

「真輝絵さん、よくやるわね」

「真輝絵すごいよ」

「得体の知れないものなのに、怖くないのか?」

「ちょっと怖かったけど、アン○ンマンのお顔を食べるようなものだと思えば。あっ、ピーマンなのにピーマン本来の味が全然しなくてすごく美味しい。これなら桃乃も食べてくれそう」

 真輝絵は満足そうに噛み砕いていく。

「ちょっと待って真輝絵、桃乃はおばけが苦手だから、意思を持ったお野菜見たら、野菜がますます嫌いになっちゃうかも」

 菜々葉は心配そうに意見したが、

「その可能性もあるけど、菜々葉お姉さんの担任の四歳の娘さんは、それで野菜大好きになったんでしょう? 試してみる価値はあるわ」

 真輝絵はこう強く主張する。

「真輝絵ちゃんっていう女の子、良い食べっぷりだったわ。アタシも食べて」

 ミニトマトちゃんはきらきらした瞳で見つめてお願いしてくる。

「うん」

真輝絵は快くミニトマトちゃんも食してあげた。それからほどなくして、

「たっだいまー」

 桃乃も帰って来た。約十秒後にキッチンへやってくる。

「晴彦お兄ちゃんと聡香お姉ちゃんも来てたんだね。こんばんは」

 桃乃は愛想よく挨拶し、スナック菓子類がたくさん詰められたビニール袋を棚に置く。

「桃乃、またお菓子いっぱい買って。一日一袋までよ」

 真輝絵は困惑顔で注意。

「はーい」

 桃乃は洗面所で手洗いうがいを済ませてからリビングへ。テレビをつけ、夕方の乳幼児向け教育系テレビ番組を眺めながら、幸せそうにピザ味のポテチを味わう。

真輝絵は近寄って、

「ところで桃乃、今日の給食。残さず食べた?」

「うん!」

「本当かな?」

「本当だよ」

「嘘でしょ?」

「本当、本当」

「目が笑ってるよ」

 桃乃に顔を近づけ、しつこく問い詰めた。

「本当は、ピーマンとかを、同じ班の男の子に食べてもらった」

「やっぱりね」

「どうして分かったの?」

「桃乃は嘘を付く時笑う癖があるから」

「真輝絵お姉ちゃん、コ○ンくん並の推理力だね」

「誰でも分かるわ。桃乃、今日ね、菜々葉お姉さん達の担任の緑先生が、野菜が美味しく食べられる魔法のシロップを作ってくれたんだって。これを見て」

「そんなのかけても絶対美味しくならないよ」

 桃乃はシロップのボトルを目にするや、むすっとしながら言ってテレビ画面に視線を戻す。

「これはね、普通のシロップじゃないのよ。ちょっと見てて」

 真輝絵は冷蔵庫から取り出した別のピーマンを水洗いしてからお皿に乗せ、リビングのテーブル上に置き、シロップをかけた。

「おっす、おらピーマン」

 これも目と口が現れてしゃべり出した。

「ピーマンが、しゃべったぁぁぁっ!!」

 桃乃は目を大きく見開き仰天する。

「べつに変でもないだろ?」

 ピーマンはハッハッハと笑う。

「桃乃、けっこうかわいいでしょ?」

 真輝絵が問うと、

「怖いよぅ」

 桃乃は顔をやや引き攣らせてこう主張する。

「嬢ちゃん、怖くなんかないぜ。試しにおらの顔を食べてごらんよ」

 ピーマンはパチッとウィンクして誘ってくる。

「無理」

 桃乃はにこっと笑って拒否した。

「即効ふられちまったぜ。やっぱおらは子ども達から嫌われ者なんだな」

 ピーマンは苦笑いしてがっくりする。

「桃乃、一口だけでもいいから食べてあげて。ピーマン本来の味は全くしないから」

「桃乃ちゃん、本当に美味しいから食べてごらん。俺が味を保証するよ」

 菜々葉と晴彦は強く勧めた。

「桃乃、この子を食べたらお菓子もう一袋食べていいわよ」

 真輝絵にこう言われても、

「それでもいらなーい」

 桃乃はやはり拒否。

「まったく、わがままな嬢ちゃんだぜ。こうなったら強制的に」

 ピーマンは桃乃のお口目掛けて突進する。

「むぐぅ」

 桃乃は直撃され、思わずほんの一部だけを齧ってしまった。舌に触れた瞬間、

「本当だ。ピーマンの味じゃない。お菓子みたい」

 桃乃の表情が綻ぶ。結局全部食べ切ることが出来た。

「よかったな、桃乃ちゃん」

「見事大成功ね」

 晴彦と聡香は安心して自宅へ帰っていった。

「このシロップ、本当にすごいね」

 桃乃はシロップのボトルを眺め、目をキラキラ輝かせる。

「植物が元になってる食べ物は全部意思を持たせることが出来ると思うわ」

 真輝絵は自信ありげに主張した。

「ふぅーん。なんか、魔法の薬みたい」

 桃乃は気に入ってくれたようだ。

「桃乃、このシロップのことはお友達や、お父さんとお母さんにもナイショよ。びっくり仰天しちゃうだろうから」

「分かった真輝絵お姉ちゃん。あたし達だけの秘密にしようね」

「このシロップは、私の部屋に置いておこうかな」

「菜々葉お姉さん、ちょっとワタシに貸して。いろいろ試したいから」

「いいよ。でもお父さんとお母さんに見つからないように注意してやらなきゃダメだよ」

「分かってまーす」

 そんなやり取りがあってから少し経ち、

「ただいまー」

 母が買い物から帰って来た。夕方に行くことが多いため、三姉妹の帰宅時はいないことが普通なのだ。


 午後七時ちょっと過ぎ。

「ただいまー」

中学音楽教師を勤める父が帰って来て、徳岡家で夕食の団欒が始まる。

「サンマさんは、むしりにくいなぁ」

「桃乃、むしってあげるね」

「ありがとう菜々葉お姉ちゃん」

「菜々葉お姉さん、桃乃はもう四年生なんだから甘やかしたらダメよ」

「まだいいんじゃないか? 僕も中学に入る頃までは母さんにむしってもらってたし」

「さすがパパ」

「お父さん、情けないわ」

「母さんもそう思うわ」

 シロップの話題には一切触れず三姉妹は夕食後、それぞれのお部屋へ。

真輝絵と桃乃は相部屋だ。約十帖のフローリングなお部屋をほぼ均等に分けている。

真輝絵側の本棚には合わせて四百冊は越える少年・青年コミックスやラノベ、アニメ・マンガ・声優系雑誌に加え、一八歳未満は読んではいけない同人誌まで。

DVD/BDプレーヤーと二〇インチ薄型テレビ、ノートパソコンまであるが、これは三姉妹の共用である。(とはいってもパソコンはほとんど真輝絵が使っている)

本棚の上と、本棚のすぐ横扉寄りにある衣装ケースの上にはアニメキャラのガチャポンやフィギュア、ぬいぐるみが合わせて二十数体飾られてあり、さらに壁にも人気声優やアニメのポスターが何枚か貼られてある。美少女萌え系のみならず、男性キャラがメインのアニメでもお気に入りなのが多いのは女の子らしいところだ。

桃乃の学習机の上は雑多としており、教科書やプリント類、ノートは散らかっていて、女の子らしくかわいらしいぬいぐるみがたくさん飾られてある。収納ボックスにはたくさんのゲームやおもちゃ、本棚には幼稚園児から小学生向けの漫画誌やコミックス、図鑑などが合わせて百数十冊並べられてあった。

「いょう、お嬢さん。おいらを一束まるごと食べてくれよん」「ぼくに何か用かい?」「やっほー」

 真輝絵は冷蔵庫から持ち出したコマツナとタマネギとアスパラガスにあのシロップをかけ、意思を持たせた。ちなみにタマネギには皮を剥いてからかけた。

「このシロップ、本当に面白いな。アメリカで大人気のアノーイング・オレンジみたい。アスパラガス君は目が一つだけか。細いもんね」

 真輝絵はにんまり微笑む。

「一つ目小僧みたいでちょっと怖い。ねえ、どれか、これ解ける?」

 桃乃は三野菜に算数ドリルのとあるページをかざした。

「おいらは解けるよん。おいら算数大好き♪」

 コマツナはすぐに返事して、葉っぱの分かれている部分でHB鉛筆を巻くように掴み、算数ノートに答を記述していく。

「すごーい。すらすら解けてる。コマツナくん賢いね」

 桃乃は嬉しそうに眺める。

「小学校の算数くらい楽勝だよーん」

 コマツナは照れ笑いしながら言った。

「桃乃、自力で解かなきゃダメよ」

 真輝絵は優しく注意。

「コマツナくんにやってもらって自分は何もしないなんて、キミは卑怯だな」

 タマネギに素の表情で嫌味を言われ、

「どういう風に解くのかを見てるの。あとで自力で解くって」

桃乃は目に涙を浮かばせながらこう言い訳する。

「バカモン。泣くなよ、キミわずらわしいよ。 泣いてもキミの卑怯は直らないし、泣かなくてもキミの卑怯は直せるかもしれないよ」

 タマネギはにこやかな表情で言う。

「違うの、目にしみて来たの」

 桃乃はにこっと笑いながら伝えた。

「ワタシも目にしみて来ちゃった」

 真輝絵もちょっぴり涙目に。

「あーっ、タマネギ君が泣かしたぁ」

「女の子を泣かすなんて、おまえの方こそ卑怯じゃないか」

 コマツナとアスパラガスはにやにや笑う。

「何だよ? ぼくが悪いっていうのかい? これはぼくの性質だから仕方ないだろ」

タマネギは困惑顔で言い訳した。

「タマネギくんは何にも悪くないよ」

「タマネギ君、気にしないでね」

 桃乃と真輝絵はタマネギを撫でて慰めてあげる。

「キミたち、心優しいね」

 タマネギくんもぽろりと涙する。

「タマネギィ、おいらまで涙が出てきたよん」

「おまえの攻撃、目にきつ過ぎる」

 コマツナとアスパラガスにも伝染してしまった。

「ごめんよキミたち。涙が止まらなくてつらいだろうから早くぼくを食べてくれないか?」

 タマネギにうるうるした瞳で要求され、

「タマネギくん、そのお顔見ちゃうとかわいそうで食べれないよぅ」

「それじゃ、ワタシがありがたくいただくわ」

 真輝絵はタマネギを手に掴み、さっそく口にした。二人の涙はみるみるうちに止まる。

「いやぁ、タマネギの野郎、正直鬱陶しかったよん」

「おれもー」

 コマツナとアスパラガスも同じくらいのタイミングで涙が止まった。

「こらっ!」

「いでぃっ! 何するんだよん」

「あいだぁっ!」

「タマネギ君を邪魔者扱いしちゃダメでしょ。同じ仲間なんだから」

 真輝絵はその二野菜にパチンッとビンタして厳しく注意した。

「ごめんなさーい」

「ごめん、ごめん」

「同じ野菜同士仲良くしなきゃ、ミキサーにかけて野菜ジュースにするわよ」

「それはご勘弁してくれよん」

「その調理法、おれ達にとって一番の恐怖なんだ」

 二野菜はすっかり反省したようだ。

その直後、ガチャリと扉が開かれ、

「真輝絵、桃乃」

 母が入り込んで来た。

「なぁに? ママ」

「お母さん、何か用?」

 桃乃と真輝絵はビクッと反応する。

意思を持った二野菜は真輝絵がとっさに机の引出に仕舞った。

「薄手の長袖、持って来たわよ。そろそろ必要になってくるだろうから」

「ありがとうママ」

「お母さん、いきなり入ってこないで」

「ごめん、ごめん。お風呂も沸いたから、なるべく早く入っちゃいなさい」

 母は二人に手渡すと、速やかにお部屋から出て行ってくれた。

「危なかった。見つかったら説明に困るところだったわ」

「本当だね」

 ホッと一安心する二人。

「おいら、0点のテスト答案になった気分だよん」

「おれ達のこと、母殿に見つかるとまずいのか?」

 二野菜は自ら引出を開けて出て来た。

「その通りよ。野菜がしゃべるのは現代の科学技術では普通のことじゃないから」

 真輝絵の説明に、

「そういう理由かよん」

「おれからすれば普通のことだと思うんだけどな」

 二野菜は腑に落ちない様子だ。

「ごめんね。ねえコマツナくん、この子、八十吉っていうんだけどコマツナが大好きなの。エサになってくれないかな?」

 桃乃は部屋隅の方に置かれたガラス水槽のふたを開けた。

 雑食性のクサガメを飼っているのだ。そのため三姉妹が野菜や果物などを勝手に持ち出しても、特に怪しまれることが無いわけである。

「そりゃ大歓迎だよん。名誉なことだもん」

 コマツナはぴょんぴょん跳ねながら大喜びしたのち、水槽の中に飛び込んだ。

 陸場の人工芝に着地するや否や、水中にいた八十吉は一目散にコマツナに駆け寄っていき、パクッと齧りついて一束まるごとあっと言う間に平らげた。

「すごーい。八十吉、ピラニアみたいな食べっぷり。いつも以上に食欲旺盛だね」

「この子にとっても美味しく感じられたみたいね」

「おれもあんな風に食われたーい」

 アスパラガスは羨ましがり、自ら水槽へ飛び込んだ。

 しかし見向きもしてくれず。

「おいらは恋愛対象外かぁ。雑食のくせに」

 アスパラガスはしょんぼりした様子で水槽から外へ飛び出た。

「きっとお腹いっぱいになったからだと思うから、気にしないで」

 桃乃は慰めてあげる。

「さてと、菜々葉お姉さん呼びに行こう。アスパラガス君、お母さんとお父さんのいる所に姿を現しちゃダメよ」

「パパとママ、びっくりして気絶しちゃうかもしれないからね」

 真輝絵と桃乃はアスパラガスに念を押して注意し、菜々葉を呼びに行った。いつも三人いっしょに入っているのだ。

「おれはこっそり拾われた捨て犬かよ」

 アスパラガスは、しぶしぶ大人しく待つことに。

「あたしさっき、意思を持たせたコマツナくんを八十吉に与えたんだけど、すごい食べっぷりだったよ」

「そっか。あのシロップがかけられたお野菜は、八十吉の目には初見でも魅力的に映ったみたいだね」

「でもアスパラガス君は気に入らなかったみたいよ」

 三姉妹が服を脱いで浴室に入り、髪の毛を洗い始めた頃、晴彦も自宅脱衣室兼洗面所で服を脱ぎ始めていた。それから十数分のち、

(あのシロップの件、まだ百パー現実とは思えんな)

体を洗い流し終えた晴彦が、湯船に浸かってゆったりくつろいでいたところへ、

「晴彦お兄ちゃん、いっしょに入ろう」

 桃乃が入り込んで来た。すっぽんぽん姿で。

「また来たのか桃乃ちゃん」

 桃乃が藤林宅の風呂を頂きにくることは週に一、二度はある。晴彦が入っている時に入り込んでくることもしばしばあるため、晴彦はタオルを巻いて下半身を隠しているのだ。

ちなみに五年くらい前までは菜々葉と真輝絵もしょっちゅう、すっぽんぽんで晴彦の入浴時に入り込んで来ていた。

「それーっ!」

 桃乃はいきなり湯船に飛びこんでくる。晴彦と向かい合った。

「桃乃ちゃん、体洗ったの?」

「うん、あっちで菜々葉お姉ちゃんに洗ってもらったよ」

「それならいいけど」

まだつるぺたな幼児体型の桃乃、晴彦は当然、欲情するはずも無い。

「晴彦お兄ちゃん、今日の算数でね、兆までの数習ったよ」

「そっか。俺も小四で習ったよ」

「数字を漢字に直したり、漢字を数字に直したりするの、めちゃくちゃ難しいよ」

「そうかな? 俺は苦労した覚えないけど」

「いいなあ晴彦お兄ちゃん」

 晴彦が桃乃とそんな会話をしていたら、

「おーい、晴彦くーん。桃乃ぉー」

 窓の外からこんな声が。

「晴彦お兄さん、また桃乃がご迷惑おかけしてすみません」

 さらにもう一人の声。菜々葉と真輝絵だ。

「いやいや、べつに迷惑じゃないから」

 晴彦は湯船に浸かったまま伝えた。

「やっほー♪」

 桃乃はバスタブ縁に上って窓から顔を出し、姉二人に向かって嬉しそうに叫ぶ。

藤林宅の浴室と、徳岡宅の浴室は低い塀越しに向かい合っていて、双方の窓が開いていれば互いの浴室をなんとか覗けるようにもなっているのだ。

「晴彦お兄ちゃん、あたしのおっぱいはいつ頃からふくらんでくると思う?」

 桃乃から無邪気な表情でこんな質問をされ、

「五年生頃じゃ、ないかな?」

 晴彦は困惑顔で答えてあげる。

「そっか。あたし、まだまだおっぱいふくらんで欲しくないなぁ。真輝絵お姉ちゃんにおっぱいがふくらんで来たら晴彦お兄ちゃんといっしょに入っちゃダメよって言われたもん」

 桃乃は自分の胸を両手で揉みながら言う。

「桃乃ちゃん、俺、もう上がるね」

 晴彦は何とも居心地悪く感じたようだ。

「じゃああたしも上がるぅ」

 晴彦と桃乃はいっしょに浴室から出て、洗面所兼脱衣室へ。

「晴彦お兄ちゃん、このタヌキさんのパンツ、かわいいでしょ?」

「桃乃ちゃん、そういうのは見せびらかすものじゃないから。しっかり拭かないと風邪引くよ」

「ありがとう晴彦お兄ちゃん」

 全身まだ少し濡れたままショーツを穿こうとした桃乃の髪の毛や体を、晴彦はバスタオルでしっかり拭いてあげる。桃乃の裸をもう少し観察したいという嫌らしい気持ちはさらさらない。

同じ頃、菜々葉と真輝絵は湯船に浸かり、向かい合っておしゃべりし合っていた。

「真輝絵、ニキビまた増えたんじゃない? 夜更かしのし過ぎは良くないよ」

「もう菜々葉お姉さん、触らないで。気にしてるのに」

「ごめん、ごめん。ところで真輝絵、あの不思議なシロップの成分、分かった?」

「いやぁ、分かるわけないよ」

「そっか。やっぱり真輝絵にも分からないかぁ」

「菜々葉お姉さん、もう謎のままでいいんじゃない? その方が夢があるし」

「それもそうだね」

 菜々葉が概ね同意した。その矢先、

「やっほぉーっ! どうしても食べられたくてやって来ちゃった」

 こんな声がして、浴室扉がガラリと開かれた。

「この子がアスパラガスくんか。目が一つなんだね」

「細いからね。アスパラガス君、お母さんとお父さんに見つからなかった?」

「うん! ばっちりさ」

 アスパラガスは元気良く返事する。その直後、

「真輝絵、菜々葉。さっき晴彦ちゃんじゃない男の子の声がしなかった?」

 浴室すぐ隣の洗面所兼脱衣室から母の声が。

「気のせいだよ」

「しなかったわ」

 二人は慌て気味に答えた。

「確かにそうみたいね。姿見かけないし」

 母はそう呟いて、リビングへ戻っていった。

「危なかった。もし見つかっちゃったらしゃべるぬいぐるみって言い訳しよう」

「菜々葉お姉さん、この子、ここで食べちゃおう。アスパラガス君も食べられたがってることだし」

「えっ! 食べちゃうの? なんかかわいそうな気が……」

 菜々葉は憐憫の気持ちが芽生えたが、

「食べてくれるのか? 超嬉しいな♪」

 アスパラガスは満足そうににっこり微笑む。

「あっ、ちょっと待って。お湯に浸かったらシロップが洗われて、元の状態に戻っちゃうんじゃないかしら?」

 真輝絵は少し心配する。

「それなら大丈夫。体の中に浸透してるからね」

 アスパラガスは笑顔で伝えて湯船にポチャンッと飛び込んだ。

「ぬるいなぁ。まあ人間にはちょうどいい温度なんだろうけど」

 ぷかぷか浮かびながらやや不満そうな表情を浮かべる。

「ごめんねアスパラガスくん。もう以上熱くすると私達が参っちゃうの」

 菜々葉は申し訳なさそうに伝える。

「いやいや、きみ達に合わせてくれて大丈夫さ。沸騰してるお湯なら一分くらいだけど、この温度でも数分で食べ頃になれるから」

 アスパラガスは自分の方が悪いなといった様子で伝えてくる。

「アスパラガス君、アメンボみたいね」

 真輝絵はにっこり微笑んだ。

「本当だ」

 菜々葉も微笑む。

「潜ることだって出来るよ」

 アスパラガスはそう言うと、お湯に沈み込んで行く。

「アスパラガスくん、すごーい」

「泳ぎ上手ね」

 菜々葉と真輝絵は微笑ましく、お湯の中で魚のように泳ぎ回る姿を眺める。

「ぷはぁー」

 二分ほどで浮上。息継ぎをしたようだ。

「そろそろ食べ頃だよ」

 そしてまた背泳ぎしているような状態に戻ってこう伝える。

「もういいの? それじゃ、遠慮なくいただくわ」

 真輝絵はアスパラガスを手につかみ、穂先からぱくりと齧りついた。

「いってぇぇぇぇぇっ!」

 アスパラガスは悲痛の叫びを上げる。

「大丈夫? アスパラガス君。本当に食べていいの?」

 真輝絵は心配そうに問いかける。

「もちろんさ。それがおれの宿命だから。菜々葉って子にも食べさせてあげて」

 アスパラガスはきりっとした表情で言った。

「菜々葉お姉さんもどうぞ」

 真輝絵はもう一口齧り、残り半分くらいを差し出した。さっきので目の部分は食べられ、口だけが残っていた。

「いいのかな?」

 罪悪感と少しの恐怖心に駆られる菜々葉、

「もちろんさ。早く楽にしてくれぇー」

 アスパラガスは口をパクパクさせて伝える。苦しそうな声だった。

「それじゃ、いただきます……んっ、いちごポッキーの味がする」

 菜々葉は恐る恐る齧って噛み砕いていく。

「えっ! 菜々葉お姉さんはそんな味がしたの?」

「うん」 

「ワタシは、マツタケの味がしたんだけど」

「そうなの?」

「ひょっとして、食べた人の好みの味がするようになってるのかも」

「そうだとしたら、まさに魔法のシロップだね」

「緑先生ますます天才過ぎるっ! ワタシも緑先生から家庭科教わりたいよ。でも菜々葉お姉さんの高校は入るの難しいからなぁ」

「真輝絵も今から頑張れば絶対入れるよ」

「そうかな? でも公立だから異動があるのが心配だな」

「緑先生は今年赴任したばかりだから、真輝絵が入る二年後でもまだいると思うよ。そろそろ上がろう」

「ワタシももう上がるわ。すっかり火照っちゃった」

 菜々葉と真輝絵がパジャマに着替え、リビングに移動した時には、

「ただいま、菜々葉お姉ちゃん、真輝絵お姉ちゃん」

桃乃も戻って来ていた。暗闇で光るフォトプリントパジャマを着付け、リビングで母といっしょにバラエティ番組を視聴中。

今、時刻は午後八時半頃。真輝絵と菜々葉もこの番組が終わる八時五〇分過ぎまでリビングでくつろぎ、三姉妹はそれぞれのお部屋へ。

「さてと」

菜々葉は机に向かい数学の宿題を進めていく。彼女のお部屋は約八帖のフローリング。ピンク色カーテンで水色のカーペット敷き。本棚には少女マンガや絵本や児童図書、一般文芸、楽譜が合わせて三百冊くらい並べられてある。ガラスケースや収納ボックスにはトライアングルの他にも小型のピアノやヴァイオリン、フルートなどなど楽器がたくさん置かれていて、学習机の周りにはオルゴールやビーズアクセサリー、可愛らしいお人形やぬいぐるみなどがたくさん飾られてあり女子高生のお部屋にしては幼い雰囲気だ。

「桃乃、宿題済ませたの?」

「今日は宿題出てないよ」

桃乃はテレビゲーム、

「そっか。ワタシは今から宿題するからあんまり大音量にしないでね」

「はーい」

 真輝絵は英語の宿題を進めていく。

それから三〇分ほど経ち、

(おトイレ行って来よう)

 菜々葉は数学の宿題が一段落付くと、お部屋から出てトイレに駆け込む。

「んっしょ」

 パジャマズボンとショーツを同時に膝下まで脱ぎ下ろし、便座にちょこんと腰掛けた。

「ふぅ」

小の方をし終えたしたあと、

(大きい方も、ついでにしておこう。便意も来たことだし)

 そう決意した菜々葉は、こぶしをぎゅっと握り締め両膝に添え、

「んぅぅぅんっ! んっ!」

 息むっ!

 けれどもプリッ♪ とおならが一発鳴っただけだった。

(出ない。便意はあるのにな)

 お腹をさすりながら困惑顔を浮かべていた。そんな時、

「菜々葉ちゃん、うんちが出なくて困っているようだね」

 菜々葉の背後からこんな声が。

「なっ、何!?」

 菜々葉はびくっと驚いて思わず後ろを振り向いた。

「はじめまして。ボクバナナ。生まれはフィリピンだよ。自分で言うのも照れくさいけどボク、便秘に困ってる女の子達からモテモテなんだ。菜々葉ちゃんもボクを食べて、お腹の中に溜まってるうんちをもりもり出そう」

 掃除用具などが置かれてある棚に、目と口のついたバナナが一本。そいつは菜々葉に向かって自己紹介するや、パチッとウィンクする。

「あのシロップ、真輝絵か桃乃がバナナにもかけたんだね。それより、いつの間に入ったの?」

「菜々葉ちゃんが入る時に、いっしょにこっそり入ったんだ。菜々葉ちゃんが頑張ってるところ、一部始終を見せてもらったよ」

「おしっこしてるとこからずっと見てたの? なんか、恥ずかしいな」

菜々葉は頬をカァッと赤くする。

「まあ気にしないで。ボクはバナナだから。さあ菜々葉ちゃん、食物繊維たっぷりのボクの皮を剥いて、きみのお口にくわえて齧り取るんだ! そうすれば、うんちがうーんと出やすくなるよ」

 バナナくんはそうお願いして、菜々葉の手のひらにぴょんっと飛び乗って来た。

「そんなこと、バナナくんのあどけないお顔を見ると、かわいそうで出来ないよ」

 菜々葉はバナナくんのお顔をじーっと見つめるうち、情が移ったようだ。

「問題ないさ。ボクの役目は人間やおサルさん達に食べられることだもん。長い間置いとかれて腐らされちゃう方がボクはずっと悲しい気分になるよ」

 バナナくんはきらりとした目つきで菜々葉のお顔を見つめながら伝えた。

「そう? それじゃ、食べようかな?」

 菜々葉は右手でバナナくんを持ち、左手で皮をべりっと剥いていく。

「いてててっ」

 バナナくんは両目を×にし、お口も歪ませた。

「大丈夫? バナナくん。剥くのを止めようか?」

 菜々葉は心配そうに話しかける。

「平気、平気。気にせず中が全部見えるまで剥いてね」

 バナナくんは苦笑いを浮かべながら伝えた。

「本当に大丈夫?」

 その後、菜々葉はバナナくんを気遣うように皮をゆっくりそーっと剥いていく。中の果肉が半分くらい見えてくると、上の部分をはむっと優しく齧った。

「んっ♪ 甘くて柔らかくて、すごく美味しい。私今までこんな美味しいバナナ、食べたことないよ」

 予想以上の美味に、菜々葉は目を大きく見開く。

「そうでしょう? えっへん」

 バナナくんは得意げな表情だ。

 菜々葉が果肉を全部食べてから数秒後、

「なんか、便意がさっき以上に強く来た。今度こそ出そう。んぅん、んっ!」

 皮だけになったバナナくんを後ろの棚に置くと、もう一度こぶしを握り締めて息んでみる。

「頑張れ頑張れ菜々葉ちゃんっ!」

 バナナくんはしおれた姿勢ながらもきらきらした目つきで応援してくれた。

 ほどなく、

「ふぅ、四日振りにお通じが来てお腹すっきりしたよ」

 菜々葉はほっこりとした表情を浮かべた。恥ずかしいからかすぐにレバーを引いて出した物を流す。

「おめでとう菜々葉ちゃん。よく頑張ったね」

 バナナくんはタコ足状に四枚に剥かれた皮のうち二枚でパチパチ拍手してくる。

「いやぁ、褒められるほどのものじゃないと思うんだけど。スルッて楽に出たよ。痛みも無くむしろ気持ち良かった♪ ありがとうバナナくん」

「どういたしまして。菜々葉ちゃんのすっきりしたお顔が見られて、ボクも幸せだよ。菜々葉ちゃんも、大きい方をした時はウォシュレットを使うの?」

「うん。だってそうしないときれいに拭けた感じがしないし」

 菜々葉はそう伝えて、ウォシュレットのおしりボタンを押す。

「さすが現代っ子だね。でもボクを食べた後に出るうんちはウォシュレットなんかに頼らなくてもいいくらいキレが良くて、ほとんどおしりに付かないよ」

 バナナくんが得意げにそう言った。その直後、

コンコンッ! と扉をノックされる音が。

「「!!」」

 菜々葉もバナナくんもびくっと反応した。

「誰か入ってる?」

 外から問いかけて来たのは、母だった。

「うん、私、今、大きい方してるの。まだしばらくかかりそう」

 菜々葉はバナナくんに向かってしーっの指サインをしながら伝える。

「そっか。菜々葉、今日は出そう?」

「さっき出たよ。バナナサイズのが三本出て便秘も解消した」

「それは良かったわね」

 母はホッとした様子でリビングの方へと戻っていく。

「危ない、危ない。ばれるところだったよ」

 菜々葉は安心して停止ボタンを押し温水を止め、トイレットペーパーを千切って濡れたおしりを拭き拭きしていく。

「菜々葉ちゃん、ボクがおしりを拭くの手伝ってあげようか?」

 バナナくんはその様子を背後から楽しそうに眺めていた。

「いや、それはやめて。赤ちゃんみたいで恥ずかしいよ」

 菜々葉がおしりを拭き終えショーツとパジャマズボンを穿いて、水を流そうとした時、

「ところで菜々葉ちゃん、晴彦君っていう男の子が持ってるバナナを、見たことはあるかい?」

 バナナくんはにこにこ顔でこんな質問を投げかけて来た。

「晴彦くんのバナナ?」

 菜々葉はきょとんとなる。

「通じなかったかぁ。菜々葉ちゃんは純情な女の子みたいだね。男の子のここに付いてるやつだよ。ソーセージに例えられることの方が多いかな?」

 バナナくんはにこにこ顔で皮の一つを動かし、菜々葉のパジャマズボンの前側部分をぴっと指した。

「それって、ひょっとして……」

 菜々葉は勘付くと、ちょっぴり頬を赤らめた。

「気付いてくれたようだね」

 バナナくんはくすくす笑う。

「もう、バナナくん。幼稚園児みたいなあどけないお顔のくせに変なこと訊かないでっ!」

 菜々葉は慌ててバナナくんを便器の中に投げ捨て、すぐに水を流した。

「ごめん菜々葉ちゃ……うわあああああああ~っ!」

 ゴゥバァーッと詰まりそうになったが何とか無事流れた音がすると共に、バナナくんの声も途切れた。

 バナナくん、これにてご臨終。

「バナナくん、ごめんなさい。悪気は無かったの」

 心優しい菜々葉は便器を見つめながらぽろりと涙を流す。罪悪感に駆られたようだ。

 やや沈んだ気分でトイレから出ると、

「菜々葉、涙目になってるけど、うんちが硬かったみたいね。おしり切れてない?」

 ちょうど母がリビングから廊下へ移動して来て菜々葉と目が合った。

「うん、大丈夫。心配しないでお母さん」

 菜々葉はそう伝えて洗面所へ。

 手洗いを済ませたのち自室前まで辿り着き、入ろうとしたら、

「菜々葉お姉さん、バナナ知らない? あのシロップかけたらぶらぶら踊りながらどっか行っちゃったの」

 真輝絵が背後から問いかけてくる。

「やっぱり真輝絵の仕業だったんだ。さっきおトイレに来てたよ。でもあの子はもう」

「ひょっとして食べた?」

「うん、あの子が食べてってしつこくお願いして来たから。おかげで便通がすごく良くなって大きい方もいっぱい出た。お腹もすっきりしたよ」

「それはよかったね。皮は?」

「流しちゃった」

「菜々葉お姉さん、それはゴミ箱に捨てなきゃ。トイレ詰まらなかったの?」

「うん、ちゃんと流れたよ」

「詰まるかもしれなかったでしょ?」

「でも、あの子が突然変なこと訊いて来たから」

 菜々葉は頬をほんのり赤らめて、申し訳無さそうに言い訳した。

「どんな質問されたのか大方予想は出来たわ。ところで菜々葉お姉さん、部活は何に入るか決めた?」

「中学と同じで図書部に入ろうかなって思ってる」

「そっか」

「聡香ちゃんもいっしょだよ。生物部にも入ろうかまだ悩んでるみたい」

「そうなんだ。聡香お姉さんはリケジョだもんね。菜々葉お姉さん、吹奏楽部にはやっぱり入らないのね」

「うん、文鴎高の吹奏楽部も練習すごく厳しそうだったもん。顧問の音楽の先生もすごく怖かったし、音楽選ばなくて正解だったよ。楽器演奏は趣味だけに留めとくのが私には合ってるよ」

 菜々葉はそう伝えて自分のお部屋へ。

「やっぱそういう理由なのね」

真輝絵も自分のお部屋へ入ったちょうどその時、

「キュウリくん、すごいステップ」

桃乃は意志を持たせたキュウリと、アクション系のテレビゲームで遊んでいた。

「ぃえーっい! めっちゃ面白いけどキュウリがパワーアップアイテムに出てこないのは残念だね」

キュウリはコントローラの上でぴょんぴょん飛び跳ね、へたの部分でボタンを器用に操作する。

「キュウリ君、ワタシより上手ね。ワタシがなかなかクリア出来なった面をあっさりと」

感心した真輝絵は学習机備えのイスに腰掛け、マンガ原稿作業に取り掛かる。学校では文芸部に所属しているのだ。

「きみ、イラスト上手いね。僕のイラストも書いてくれない?」

 キュウリはテレビゲームを中断して机の上に飛び移った。

「お安い御用よ。美術だけはいつも5のワタシの実力見せてあげるわ」

 真輝絵は快くイラスト帳に4B鉛筆でササッと描いてあげた。

「おう、僕こんなにかわいいかな?」

 キュウリは照れ気味に大喜びし、再びテレビゲームに戻る。

「桃乃もいよいよ明日から初めてのクラブ活動が始まるね。確か昔遊びクラブだったね?」

「うん、どんなことするのかすごく楽しみ♪ さてと、八十吉にもう一回エサやっとこうっと。キュウリくん、八十吉のエサになってもいい?」

「もちろんさ。ペットに食べられるのは僕らにとって名誉だよ」

 キュウリはテレビゲームをぴたっとやめ、大喜びで水槽に飛び込んだ。

「あっ、ちょっと待って。小さく刻まなきゃ八十吉食べられない」

 桃乃が心配するまでもなく、八十吉は一目散にキュウリに駆け寄っていって、コマツナと同じようにパクッと齧りついて一本まるごとあっと言う間に平らげた。

「シロップの食欲効果抜群ね」

「キュウリくんとっても幸せそうだったね。それじゃ真輝絵お姉ちゃん、おやすみなさーい」

「桃乃、明日の授業の用意はちゃんと出来てるかな?」

「うん! 今日はばっちりだよ」

 桃乃はいつものように二段ベッド上の布団に潜ると、一分後にはすやすや眠りついた。

 真輝絵は引き続きマンガ原稿作業を進める。

夜十一時頃、晴彦が自室机に向かって数学の宿題に取り組んでいると、

「こんばんはです。晴彦ちゃま」

 窓ががらりと開かれた。

「びっくりした。ん? これは、いちご?」

 晴彦がそれに目を留めるや、

「晴彦くーん、いちごちゃんおじゃましてるでしょ」

 菜々葉の声も聞こえてくる。

「これにもシロップかけたんだね」

「うん、真輝絵がいろいろ試したみたい。よかったらこの子、食べてあげて」

「俺、いちごは嫌いなんだけど」

「晴彦ちゃま、ビタミンCたっぷりのいちごを食べたら頭が良くなりますよ。こんな数学の問題も瞬殺出来るよ」

 いちごちゃんは机の上に飛び移り、きらきらした瞳で晴彦の目を見つめながら伝える。

「……食べてみるか」

 晴彦は仕方なく手につかみ、お口に放り込んだ。

 すると、

「ん? 酸っぱさが無くて美味いな。食べてから何か異様に頭が働くし、集中出来る」

 晴彦のテンションが一気に高まった。宿題プリントの解答欄をどんどん埋めていく。

「もう終わっちゃった。あのシロップ、ものすごい脳活性化効果だな」

 あっという間に仕上がったそれをクリアファイルに片付けている最中、

「こんばんは、晴彦ちゃん」

 窓からもう一つのお客様が。

 意志を持った、いよかんだった。

「晴彦くーん、この子も食べてあげてね。さっき私がかけたの」

 ほどなく菜々葉から伝えられる。

「いちごが異様に美味かったし、これもたぶん美味いだろう」

 そう期待した晴彦がいよかんを手に取ろうとしたら、

「あたち、こんなことも出来るの」

 いよかんはこう伝えて、ポンッと煙を上げた。

そしてなんと、人間の姿に変わったのだ。

「リアルな擬人化だな」

 晴彦はくすっと微笑む。小学三年生くらいの少女に見え、濃いオレンジ色のストレートなロングヘア、服装も濃いオレンジ一色のワンピースとニーソックスだった。

 ただ、大きさは一五センチくらいの手乗りサイズだ。

「晴彦ちゃん、菜々葉ちゃんと今のあたち、どっちの方がかわいい?」

「正直言うと、菜々葉ちゃんだな」

 晴彦は迷わず即答する。

「やっぱり」

 いよかんちゃんはぷくぅっとふくれた。

「いよかんちゃんももちろんとってもかわいいよ。マスコット的には」

「もう、お世辞言っちゃって。でも嬉ちい。あの、晴彦ちゃん、あたち、急におしっこしたくなっちゃった」

「トイレは一階だよ」

「あたち小さいから普通の人間用のじゃ出来ないわ。晴彦ちゃんのお口を便器代わりにするから」

「えっ! ちょっ、ちょっと待て」

「こぼれるから上を向いてじっとしててね」

 いよかんちゃんは晴彦のお顔に飛び乗って来て、唇の上を跨ぐとワンピースを捲りあげみかん柄のショーツを脱ぎ下ろししゃがみ込んだ。

「ぅぁっ」

 そして晴彦の人中とあごに乗せた両足を使って口を強引に開けさせ、ちょろちょろ用を足し始める。いよかんちゃんのおしっこが晴彦のお口の中にどんどん注入されていき、晴彦は思わず飲み込んでしまった。

「ふぅ、すっきりしたわ」

 全部出し終え、いよかんちゃんはほっこりした表情を浮かべながらショーツを穿き、晴彦のお顔から離れる。

「この味、ポンジュースっぽいけど全然酸っぱくない」

 晴彦はちょっぴり驚いた様子だ。

「美味ちかったでしょ? あたちのおしっこは果汁百パーセントのポンジュースの味がするのよ」

 いよかんちゃんは両手を腰に当て、ふんぞり返って自慢げに言う。

「確かに美味かったけど……」

 晴彦は苦笑いした。

「晴彦ちゃん、あたちを全部食べて」

「この姿だと、なんか食べ辛い」

「食べてくれなきゃ嫌ぁっ! 時間が経つとあたち、傷んでカビが生えて醜い姿になっちゃうもん」

 いよかんはぷんぷんした様子でお願いする。

「そっか。人間の姿だけど食べ物なんだよな」

「お口に入れる前に、あたちの服を脱がして全裸にしてね」

「いや、それは、ちょっと、かわいそうな気が……」

「服は皮と同じだよ。だから平気」

「そう? それじゃ」

 晴彦はイスに腰掛け、いよかんちゃんを机の上に置いてなるべく見ないように服を全部脱がしてあげる。

下はつるつるだったが、胸は少しふくらんでいた。

「晴彦ちゃん、どこから食べてもいいよ」

 いよかんちゃんは頬を少し赤らめ、俯きながらそう伝えて恥部を両手で覆い隠す。

「それじゃ、足から食うよ。顔からだと残酷な気がするから」

 晴彦はいよかんちゃんを持ち上げ逆さまにして、両足裏を口元へ近づける。

 その時、最悪の出来事が。

「晴彦ぉー、枕カバー」

 母がノックもせずに入り込んで来てしまったのだ。

「うわっ! かっ、かっ、母さん」

 晴彦は慌てていよかんちゃんを床に放り投げる。彼がいよかんちゃんの胸を手でしっかりつまみ、足を口にくわえようとしたところをばっちり見られてしまったわけだ。

「晴彦ったら、こういう可愛らしい着せ替え人形さんが好きなのね。男の子だもんね」

 母は床にうつ伏せに転がされたいよかんちゃんをちらっと見て、くすっと笑う。

「母さん、誤解だって」

 晴彦は母の方を振り向き、焦るように声をやや震わせながら弁明する。

「はいはい、分かってます。晴彦のヒミツの趣味は、菜々葉ちゃんには言わないから安心してね」

 母はにこにこ顔で言い、枕カバーをベッド上に置くとすみやかにお部屋から出て行ってくれた。

「せめてノックくらいしてくれよ」

 晴彦は悲しげな表情を浮かべ、机に突っ伏す。

「もう、晴彦ちゃん。食べ物を粗末にしちゃメッ! だよ」

 いよかんちゃんはむすーっとふくれていた。

「ごめん、いよかんちゃん。それじゃ、食べるね」

 晴彦は気を取り直してすっぽんぽんのいよかんちゃんを手につかみ、さっきと同じように両足を口に近づけた。

「あたちのお尻や恥部やわきや乳首をぺろぺろ舐めながら、ゆっくり味わって欲しいな」

 いよかんちゃんは頬をほんのり赤らめ照れくさそうに要求してくるも、

「それは俺が変態みたいじゃないか」

 晴彦は足の方からぱくっと齧りついた。

 いよかんちゃんの両足がブチッと千切れると、切断面からほんのりオレンジ色の半透明な果汁がブシャーッと噴き出した。それは晴彦の口内に絶え間なく注がれる。

(甘くて、めっちゃ美味い。のど越しもすごく爽やかだ。今朝菜々葉ちゃんに無理やり食わされたやつと同じ種類のみかんとは思えん)

 少女の足型化した果肉と共にごくごく飲み込んで感じた予想以上の美味に、晴彦はあっと驚いた。

「いたぁい。いたいよぅぅぅぅぅ」

 いよかんちゃんはとっても苦しそうな表情を浮かべ、目から涙をぽろぽろ流す。

 激痛からか、ぴくぴく震え出しもした。

「ごめん、いよかんちゃん。すぐに全部食べて楽にしてあげるね」

「ゆっくり味わってくれて大丈夫だよ、晴彦ちゃん。あたち、今すっごく幸せだもん」

 恍惚の笑みで伝えられたものの、

「でも、俺からすると痛がってるいよかんちゃんを見てるのがつらい」

 罪悪感により一層駆られた晴彦は、いよかんちゃんの残りの部分を全部口に入れ、すぐさまぐちゃっと噛みしめる。

「いやぁ、ぎゃあぁぁぁっん!」

 その瞬間に出したこの相当痛がっているような声が、いよかんちゃん最後の言葉となった。まさに断末魔の叫びであった。

特有の酸っぱさがなく甘くて瑞々しくて大変美味しかったのだが、

(俺が今まで酸っぱい系の果物食おうとしなかったことが、異様に悪いことしたみたいに感じる)

 晴彦はそんな後悔の念に駆られた。

 同じ頃、窓を閉め切っていたため藤林家のさきほどの騒動には一切気付かなかった菜々葉は、

(数学の問い5と7は、自信ないなぁ)

自力で仕上げた数学と古文と英語の宿題プリントを携帯電話のカメラで写し、聡香宛に送信した。

 三分ほど後、

今回も全問正解よ。おめでとう。

こんな文面が返ってくる。

「よかった」

 菜々葉は嬉しそうにお礼のメールを返送した。菜々葉は小学校の頃から聡香に勉強の手助けをしてもらっているおかげなのか、学業成績はけっこう良い方だ。高校に入ってからでも新入生テストの総合順位は学年上位一割付近だった。ちなみに晴彦は菜々葉より少し悪いくらいの成績である。

 まもなく日付が変わろうという頃、部屋の明かりを消し、布団に潜ろうとした時、

(あのシロップ、家に置いといてお母さんに見つかっちゃうとまずいから、学校に持って行こうっと)

 ふと思い立った菜々葉は、シロップボトルを通学鞄に詰めたのであった。

 真輝絵は日付が変わってもイラスト活動に勤しんでいた。

ぐっすり眠る桃乃をよそに。いつもそんな感じである。

(タマネギ君は人間の姿ならこんな感じかな? やっぱ髪型は永○君風だよね? 理想のカップリングはやっぱニンジン君だよね。タマネギ君が攻めでニンジン君が受けかな? じゃがいも君もいいよね。その場合はじゃがいも君を攻めの男爵設定にして、タマネギ君は受けの家来で性奴隷に……って何考えてるんだろ、ワタシ。きゃはっ♪)

 今日は自分が意思を持たせた野菜や果物などを、かっこよくかわいく擬人化したイラストを描いて妄想して二時頃まで楽しんでいたのであった。


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