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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第壱ノ巻~荒ぶるおぞき御魂~
8/55

其ノ伍:黒い噂

 結局、朱音が床に就いたのは涼子の一時間後だった。

 警戒心ゼロの寝顔に呆れつつも、睡魔に負けて週刊誌を広げたまま、そいつを枕代わりに眠ったのである。




 ――――ジリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリリ……!

 けたたましくも色々と懐かしい音に、朱音はがばっと身体を起こした。

 まだ夢うつつの目をこすりながら音源を探ると、机の上に置いてある涼子のスマートフォンからだ。

 パソコンから充電していたらしく、USBポートから伸びたコードが繋がっている。

 朱音が適当にキーに触れると、音が鳴り止みアラーム設定が表示された。

 時刻は午前六時。三時間程度は眠れたようだ。

 一方、アラームを仕掛けた張本人はと言えば、

「むにゃむにゃ、ラーメンかえだままだぁ~」

 夢の中でもお食事中のようである。

 就寝前にもジャンクフードをほぼ一人で食べきったのに、まだお腹がすいているらしい。

 摂取した分のカロリーは、いったいどこで消費されているのやら。

「……涼子さん」

 朱音はとりあえず肩を揺すってみるのが、反応なし。

「……お~い」

 さらに今度は身体全体を揺すってみるが、やっぱり反応なし。

 もし寝ている時に襲撃されたら、どうするつもりなのだろうか。

 なんて疑問も浮かんだが、今はそんな事よりも、

「さっさと起こさないとね……」

 一時間もあれば余裕で学校まで帰られるのだが、昨日届いた周知メールの件もあるので早く帰らねばならないのだ。

 承認ランクC以上の学生は、午前九時までに第二学舎三階の端にある第一講議室(10231室)に集合、との事。

 先日の餓鬼の件の緊急召集といい、講義が始まってからもこんな頻繁に呼び出しがあるのだろうか。できれば、それだけは勘弁して欲しいものだ。

 まあそんな事情があるので、さっさと帰らねば。

 それに早く帰らねば、シャワーも浴びられないわけであるし。

 女の子は色々と忙しいのである。

「これでよし」

 朱音は携帯の付属品で付いてきたイヤホンを、まず涼子の耳にセット。そして金メッキが施されたピンを、パソコン本体に接続する。

 それから音量を最大にして、適当な音楽メディアファイルを、

「ぽちっと」

 ダブルクリック。

「ぬォがヴぇヤ#%£¢☆§¥℃△◎※◇∀……!!」

 涼子はついに、絶対に地球上には存在しないであろう言語で悲鳴を上げた。

「ぬはっ!? い……いつの間に」

 強烈な違和感にみまわれた涼子は、ぶちっと耳からイヤホンを引っこ抜く。

 それから、自らの手の内にある物体を凝視して驚いた。

 どうやら、一連の動作は無意識の内にやった事らしい。

「おはよう、涼子サン」

 そんな寝起きの涼子の視界に飛び込んできたのは、血管マークをこめかみに幾つも浮かべた朱音の姿であった。

「オ、オハヨウゴザイマスデス、ハイ」

「早く帰りましょう。ネ?」

「サ、サーイエッサー」

 二人は支払いを済ませると、寒さが身に染みる朝の道を学校目指して歩き始めた。




「よーし、居残り組はこれで全員だな? 重要な連絡があるから、もし来てないやつがいたら呼んでやれよ。それと、眠ってるバカがいたらしばいてやるから覚悟しとけ」

 講義室の教壇に立つ石動が、まばらに座った学生達に注意を促した。

 集合した人数はかれこれ三〇人近く。

 ほとんどが大学の面々だが、一部には中等部生や高等部生らしき顔ぶれも見える。

 一部にも関わらず承認ランクC以上の生徒がここまでいるのは、日本全国探してもなかなかないだろう。

 ランクCとは、術者の世界では十分に仕事をこなせる者。軍隊で例えば、訓練生ではなくいっぱしの兵士と言う位置付けなのだから。

「学校に残ってる中で、知ってるけど来てないやつはいないな? そんじゃ、話を始めるぞ」

 石動は右脇に抱えていた大きな茶封筒から、A4サイズの紙を一枚取り出した。

 それから普段の報告書提出の時からは想像もできない、剣呑とした雰囲気をかもしつつ口を開く。

「噂を聞いた事があるやつも何人かいるだろう。これ自体については、冬期休暇の頃から何人かいたからなぁ」

 なぜそこまでピリピリしているのか。朱音と涼子はわかっていた。

 噂ではなく、――――実体験として。

「本当は九時に告知するはずだったんだがな、警戒レベルが上がったんでこうして緊急呼び出しをかけたわけだ。単刀直入に言う。承認ランクDの中等部生が二人運ばれてきた。命に別状はないんだが、まあかなりひどい衰弱状態だ」

 『ランクD』という部分を聞いた瞬間に、講義室全体へとどよめきが広がった。

 その言葉がどんな意味を持っているのか、次に続く言葉で朱音はその理由を悟った。

「今までは最低位のランクEだけだったもんだから、単に強い気に当てられただけだと思ってたんだがな……。曲がりなりにも一人前まで後少しのランクDが、陰の気に当てられただけで気絶するなんてなぁ……、まあまず有り得ない」

 ランクEとは魔術に関する知識があるだけで、霊的な力に対する耐性は一般人とさほど変わらない者達が多い。

 だが、ランクDは違う。まだ稚拙ながらもちゃんと術が使え、耐性もそれなりにある。

 確かに昨日のような濃い陰の気ならば、ランクEの術者にはかなりキツいものがあるかもしれないが、ランクDの術者はその範疇にない。

 あくまで、朱音の個人的な感覚であるが。

「死亡者がでたとかの被害は出ていないが、なんらかの勢力が絡んでいるのは間違いない。そこでお前らには、うちの生徒に手を出してるやつがどこのバカなのか、調べてもらいたい」

「…………それは、『例え見つけても手を出すな』という解釈でいいんでしょうか?」

 黒いニット帽をかぶった男子学生が、右手を挙げて石動に問いかけた。

 朱音から見えるのはその帽子だけだが、全身から倦怠感のようなものを発している。

「あぁ、そうだ。見た目や身体的特徴、可能ならばどんなスキルを有しているかも調べてくれれば、大成功だ。ただし、戦闘は絶対に避けるように。場合によっちゃ、連盟が出張ってくるかもしれないからな」 連盟というのは略称で、正式には“日本魔術師連盟”。

 任務の発注から受注、魔具・礼装や霊薬の輸出入、情報の収集と管理または封鎖、承認ランクの認定等々、国内のありとあらゆる魔術関連の物事を扱う機関である。

 それを聞いた瞬間、黒いニット帽の男子学生はより一層表情を険しいものへと変えた。

 また、そうなったのは黒いニット帽の男子学生だけではなく、講義室内の空気がぴりぴりとしたものへと変化する。

「…………わかりました」

 黒いニット帽の男子学生は、納得したとばかりに右手を下げた。

 だが、他の学生はそうでもないようだ。

 なぜ手を出してはいけないのか。自分達で対処できるならばその方が良いのではないか。

 厳しい術者の世界で若くして一定の評価を受けている学生達には、若者だからこそのプライドがある。

 理由もないのに、『手を出すな』と言われても納得がいかないのだ。

 己の力を自負しているがゆえに。

 だが、それを野放しにするほど石動は甘くなかった。

「静かにしろ。こいつは遊びじゃないんだ。学校法人星怜学園(●●●●●●●●)から、お前ら術者(●●)に対して持ちかけられた依頼(●●)だ。そこんとこを履き違えんじゃねえぞ、ケツの青いガキ共が」

 最後の一言を発した瞬間、石動の放った殺気に講義室に集まった学生は息を飲む。

 まるで『蛇に睨まれた蛙』のように、自身の意志とは関係なく全身が固まってしまったのだ。

 朱音と涼子はそこまではいかなかったのだが、なにか冷たい物が背に走ったのは否定しきれない。

 そこに報告書を受け取る温厚な先生の顔はなく、術者の世界を長年生き抜いてきた猛者の顔があった。

 単にそれだけの事――格の違いを見せつけられただけの事である。

「それと最後に。今回の依頼は、体力的に余裕があったらでかまわない。夜間巡回の方を最優先にしろ。承認ランクD以下には自室待機になってるから、当番も大幅に変更される。巡回区域とシフトがかなり増えるから、くれぐれも体調を崩すじゃねぇぞ。あと、こいつは特殊な部類に入る。報酬は実益のある情報を持ってきたやつにしか入らねえから、その辺もちゃんと考えてから行動するように。わかったんなら、とっとと帰れ」

 石動がぱん、と両手を叩くと、それを合図に学生達は席を立った。一端は静まり返った講義室は、再び喧騒に包まれる。

 学生達はそれぞれ幾つかのグループにわかれて、学園側から申し出された依頼について話し合いを始めた。

 さっそく巡回の当番からシフトを組むグループもあれば、調査を行うかどうかを話し合っているグループもある。

「朱音さんはどうするの?」

 石動が話している最中、珍しく一言もしゃべらなかった涼子が朱音に話しかけてきた。

 口調こそいつもと同じだが、とても真剣な表情をしている。

「あれを見たら、やらずにいられるわけないでしょ」

 朱音は両の拳をぎゅっと握りしめ、先ほどの事を思い返した。

 昨日会った中等部の生徒が、道路の真ん中に倒れていたのを。

 確かに命に別状はなかった。周囲にも戦闘の痕跡はない。

 しかし、その二人が着ていた学校指定の体操服とジャージは、ずたずたになっていたのである。

 幸いにも傷は浅く出血量もたいした事はなかったので、朱音と涼子は二人を背負い大慌てで学校まで帰ってきたのだ。

 あの二人、もう目は覚めているのだろうか。

「涼子さん、さっきの二人の様子、見に行きたいんだけど」

「先に着替えた方がいいんじゃない? ほら、上着貸してもらったけど、この下血だらけだし」

 しかし、朱音は縦に首を振らない。下を向きながら胸の辺りをぎゅうっとつかみ、言葉を絞り出す。

「ううん。あの二人が心配で、だから」

「……わかった。お風呂と着替えは、お見舞いの後っつうわけで」

「ありがと」

 怒りが暴発するのを理性で押さえつつ、なんとか涼子に笑って見せた。

 それはどこかぎこちなくて、二人の事をどれだけ心配していて同時に怒っているのか、涼子にははっきりとわかった。

「確かぁ、健康管理センターだったよね。そんじゃ、行こっか」

 涼子に連れられて、朱音は講義室を足早に出て行く。

 その二人と入れ違いに、脇に茶封筒を抱えた紺のスーツ姿の男性が先に入ってきた。

 男はまっすぐ石動の隣まで小走りで駆け寄ると、持ってきた封筒を差し出す。

 中身を見てまん丸に目を見開いた石動は、まだ学生の多く残っている講義室全体を見回すと、

「晴之に美玲、ちょっと来てくれ」

 二人の学生を教壇まで呼び出した。




 健康管理センターは、第二学舎から徒歩十分ほどの場所にある。

 他の校舎と違って、三階建ての割とコンパクトなサイズの建物だ。

 コンパクトと言っても、普通の民家と比べれば十二分に大きい。

 健康管理センターとは言うものの、実際は医師免許を所有する者が数名常駐しており、小さな病院と言った方が正しいだろう。

 人外との戦闘による傷を普通の病院で治療するわけにもいかない、という目的で建てられたものだが、現在では一般生徒の方が多く使っている。

 外科以外にも内科や歯科があるので、診察を受けて風邪薬をもらったり、虫歯の治療をしたりもできるようになっているのだ。

 もちろん、一番充実しているのは外科である。

 受付で話を聞いた所、朱音達が運んできた中等部生は二階の入院部屋の一つにいるらしい。

 つい先ほど、意識が回復したそうだ。

 それを聞いて、朱音と涼子はひとまず安心した。

「はぁぁ、よかったぁ」

「朱音さん、それは二人の顔を見てからでごぜえますよ」

「あぁ、そっか」

 二人は階段を上ると養護教諭の待機しているフロアを抜け、中等部生のいる入院部屋入り口の前に立つ。

 朱音と涼子は深呼吸すると、気配を消して中の様子をそっとうかがった。

 思ってはいたが、入口をちょこっと開けただけでは室内は見えないようになっている。

 意識が回復したばかりで悪いとも思ったが、様子を確かめるにはやっぱり中に入るしかないらしい。

「失礼しまぁす」

「お邪魔するぜぇい」

 そろそろと扉を開け、できるだけボリュームを絞った声で朱音と涼子は問いかけた。

「どうぞ」

「その声、猫屋敷先輩ですね」

 女の子の方は、声だけで涼子の事がわかったようだ。

 さすが、普段からキャラが濃いだけの事はある。それとも、日頃から親密な間柄なのだろうか。

 朱音はその事をくすっと笑いながら、涼子とそろって病室に入った。

「調子はどうかね? 後輩諸君」

「いいわけないでしょ」

「そっか、こりゃ一本取られましたぜ!」

 いきなり目の前で始められたミニコントに、後輩達は思わず笑いをこぼした。

 どうやら、運んできた時に外科医の先生に聞いた通り、それほど重傷ではなかったようである。

「二人とも、痛いとことかない? 大丈夫なの?」

「はい。なんかものすごいだるい感じがしますけど、怪我はそんなに痛くないです」

「美玲先輩のご指導が受けられないのは、ちょっぴり損した気分なんですけどね」

 と、女の子の方はちろっと舌を出してみせる。先に答えてくれた男の子の方も、だるいとは言っているものの声に張りがある。

 二人とも、思っていた以上に元気そうでなによりだ。

 それでも、身体のあちこちに巻かれた包帯が痛々しい。

「そのぶんなら、退院も早そうね」

「はい。二、三日もすれば退院できるって、先生から」

「そしたら、今度こそ美玲先輩から一本取るんだ」

 男の子の方は、すでにごうごうと闘志を燃やしている。確かにこれなら、退院もすぐだろう。

 二人の状況にほっと胸をなで下ろしたばかりの朱音であるが、それとは別に術者としてやらなければならない事がある。

 非常に心苦しいのだが、怪我をしている二人に聞かなければならない事があるのだ。

「それはそうと、二人に聞きだい事があるんだけどぉ……、いいかな?」

「うん」

「それって、昨日の?」

 朱音の言葉に、勘の良い女の子の方はその内容を察したようだ。

 自分達もほんの噂程度なら知っていたのだから、なおさらそうだろう。

「そういえば、その噂ってどんなのだっけ?」

 涼子のいまさらの質問に、中等部生二人は若干の苦笑い。

 朱音はともかくとして、涼子が知らなかった事に驚いていようだ。

 朱音も、去年の冬休みからなのになんで知らないのよ、と冷ややかな視線を向けた。

 まあ、本人は全く気にしていないわけであるが。

「僕達もそんなに詳しくはないんですけどね」

「去年の年末辺りからなんですけど、夜間巡回に出た初等部や中等部の生徒がなぜか気絶してるって事があったんです」

 二人はおずおずとだが、自分達の見聞きした噂話について語り始めた。

 朱音と涼子はなにも言葉を発さず、じっくりと二人の言葉に耳を傾ける。

「その気絶してた生徒っていうのが全員ランクEだったんで、最初は強い気に当てられただけだろうって、昨日まで僕らも思ってたんです」

「特に怪我とかもしてなかったですし。それに毎年何人か、気絶する人達っていますから」

「健康管理センターの人も目立った外傷もないし、気絶してた生徒も目が覚めたらなんともなかったからって、教務課に報告しなかったみたいで」

「でも、いくらなんでも数が多いから、それがおかしくて。私達の間では、もしかして“なにかに襲われてるんじゃないか”って話題に」

「それが、先輩方の言ってる例の噂です」

 朱音と涼子は石動から聞いた話を思い返しながら、二人の話してくれた噂について整理を始める。

 初めは、ある生徒が冬休みのさなか――つまり年末の夜間巡回中に気絶した。

 この時点では、気絶は少ないながらも例年ある事なので気にしていなかったらしい。

 だが気絶する生徒はそれ以降も見られた。しかも、例年にないくらいの人数が。

 しかし生徒に怪我はなく、目が覚めても異常は見られなかったので、術者の先生へ報告がいかなかった。

 そして、いつの間にかそれが生徒達の間で噂されるようになった。

 と、簡単にまとめるとこんなものだろう。

「じゃあさぁ、その気絶した生徒ってぇ、どれくらいいるの?」

「確か……十五、六人くらいだったかな?」

「うん。私の聞いた話だと、二〇人はいなかったから、それくらいだと思う」

 涼子の問いに、二人は頭のすみっこから記憶を掘り起こす。確かに、数字だけ見ればそれほど多くはない。

 天原校に在籍する術者の生徒は、朱音の記憶が正しければ、初等部から大学院まで含めて約三五〇人程度。

 例え二〇人だったとしても、全体から見ればたったの六パーセント程度だ。

 ランクEだけにしぼれば割合はもっと増えるが、やはり全体から見ればほんの少しでしかないのである。

「なるほど。確かにそれだと、あまり目立たないわね」

「実際、あたしは知らなかったわけだし。確かに十五、六人は多いと思うけど、毎年十人近く気絶してるわけだから。それくらいなら、気にしない人もいっぱいいると思うよ」

「はい。私達も、全然本気にしてませんでしたから」

 朱音と涼子の言葉に女の子は同意を示し、男の子もうんと頷いた。

 確かに、それだけならば今年は人数が多いというだけで、特に気にも止めない人は多々いるだろう。

 当の本人達も“襲撃者”に関しては本気にはしていなかったし、朱音の隣にいる人物はその噂すらも知らなかったのだから。

 だが、今回はその噂通りにはならなかった。

 その結果が、今朱音の目の前に広がる光景だ。

 朱音は目を閉じて、深呼吸を一つする。

 気持ちを落ち着かせ顔を上げると、改めて二人に目を向けた。

「まだ聞きたいことがあるんだけど、気分は大丈夫?」

 朱音は心配そうに、二人の生徒の顔をおのぞきこむ。

「はい!」

「大丈夫です」

 男の子は元気に、女の子はおっとりと返事した。

 朱音もありがとうと笑い返しながら、重い口を開く。

「二人を襲ったのって、いったいどんなやつだったの?」

「なんでもいいんだよ。イメージみたいなのでも」

 朱音の言葉に、涼子が補足を入れた。

 二人は上を向いたり、頭をかいたり、眉間にしわをよせたりしながら、昨夜の事を思い返す。

 そこで見た、聞いた、感じた事を。

「身長は、けっこうあったと思います。でも、ひょろひょろってしてなくて、すごい筋肉があったような」

「それと、私達の持ってる霊力より、ずっとずっと大きかったです。それとあの感じは、たぶん人じゃありません」

 ――人じゃない、か……。

 朱音は心の中で、そうつぶやいた。

 相手は妖怪や魔物、怪異――総称して妖魔と呼称される者、という事になる。

 それならば、幾分かやりやすい。難易度がどうとかではなく、気分的に。

 人を傷付ける、場合によっては殺してしまう事がないから。

「他には、なんかなかった?」

 朱音が思考の海に没している間に、涼子が更に追求する。

 二人は難しそうに顔をしかめながらも、いくつかの言葉を並べた。

 あの時にアレを見て、なにを思ったのか。

「黒いっていうか、嫌いって気持ちで」

「強い拒絶……みたいな。怒っているのとは、ちょって違う気がします」

「もしかして、憎しみ、じゃないか?」

「うん、そう! そんな感じ」

 男の子の口にした言葉に、女の子はうんうんと首を縦に振った。

「なるほどね。まだ、なにかある?」

 そこで、二人は互いの顔を見合わせて頷き合った。

「実は、結界みたいなものに閉じ込められて。それで私達、逃げる事ができなかったんです」

「あの感じ、間違いなく位相空間結界です。周囲の景色は同じでしたし、自分達と相手以外の気配が全然感じられなくなっちゃいましたし」

 位相空間結界という単語に、朱音と涼子は驚愕と共に違和感を覚える。

 それでは、辻褄が合わないのだ。

 位相空間結界は人間の術者が使う結界術であって、人外である存在が行使するものではない。

 理論的には可能であるが、現実問題として彼等がそんな繊細な術式を用いた例は過去にないのである。

「なるほどにゃぁ、なかなか重大な証言ですにゃ。他にはござらんかや?」

 涼子の質問に二人はまた考え込む仕草をするが、今度は首を横に振った。

 もうないらしい。

 気絶した全員に記憶の混濁が見られ、気絶した時の前後の記憶が曖昧になっていると二人を運んだ時に先生が言っていた。

 ここまで情報が得られただけでも、良かったとしなければならない。

 重要な証言も得られた事であるし。

「ありがとね。明日は美玲ちゃんも誘って来るから」

「今度はお見舞いの品持ってくるから、楽しみに待ってておくれよ。後輩諸君」

 後輩二人の元気な返事を聞いた二人は、物音を立てないよう病室を後にした。




 朱音と涼子は寮に着替えを取りに行き、現在はシャワールームに来ている。

 一般生徒――特に運動部――がよく使っている所で、個室にはなっているが隣の顔が見える程度の仕切になっている、かなり開放的な雰囲気のシャワールームだ。

 現在、時刻は午前十時前。二人の他は、誰もいない。

 よく使っている運動部の生徒でも、まだ二時間ちかくは来ないだろう。

 シャワーを浴びるだけなら自室でもできるが、朱音はわざわざ遠くのシャワールームにしようと言ったのだ。

 昨夜の巡回で疲れているはずの涼子も、嫌がる事なくそれに応じた。

 理由がわかっているのだから、断れるはずもない。

「……ありがとね、涼子さん」

「ううん。別にいいよ。あたし達、もう友達なんだから」

「友達って。まだ会って二日目なのに?」

「夜間巡回付き合ってくれたじゃん。それに、あんなにあたしの事どついといて、『いいえ、私は友達ではありません』とでも仰るつもりですかね?」

 涼子はぐいっと仕切のパネルから身を乗り出して、朱音の顔をのぞきこんできた。

 しかもなぜか、ものすごぉく真剣な表情である。

 思い返してみれば、確かに昨日涼子に何回突っ込みを入れた事か……。

 普段の自分からは全く想像ができない。

 でもあの時は突っ込まざるを得ないような事を涼子さんがするから、と朱音は心の中で必死に自分を弁護してみたり。

 と、苦笑いをしたままなにも言わない朱音に、待ちきれなくなった涼子はというと、

「ええい! なんとか言ったらんかい!」

「ひぃっ!?」

 朱音は、主に脇のすぐ近く、身体の前面に違和感のようなものを感じた。

 いや、なにがどうなっているのかはわかっている。でも、一応確認してみよう。

「な、なんという……マシュマロ……!?」

 ――――ふにふに…………。

 パネルの上からぎゅいんと伸びた腕が、名前の『朱』とは似ても似つかない雪肌の胸をがっつりと握っていて、更に感触を確かめるように何度か揉んできた。

「……………………」

「なに、この新ッ触ッ感!」

 ――――ふにふにふにふに。

「…………涼子さん」

 涼子が視線を朱音の胸から顔に戻すと、とびきりの笑顔をした朱音の顔と、その隣にぷるぷると震えぬ拳があった。




「すんませんしたぁああああ!」

 約一分後のシャワールーム。

 頭にたんこぶを作った涼子が、全裸のまま平身低頭姿勢で文句の付け所のない完璧な土下座を披露していた。

 ここに第三者が入ってくれば、色々ととんでもない誤解を受けるのは間違いないのだが、それはひとまず置いといて。

「いったいなに考えてるんだか」

「えっとですねぇ、朱音さんがずっと気を張っているように見えたので、少しでも気持ちをほぐそうかと」

 朱音はそんな涼子の方をちらちら見ながら、シャワーを浴びていた。

 しばらくお湯に当たっては、くんくんと肩の辺りの臭いをかぐ。

 何度洗い流しても、血の臭いが残っているような気がしてならない。

 納得がいかない朱音は、シャワーの口から吐き出されるお湯に頭を突っ込んだ。

 涼子は無言でお湯を浴び続ける朱音を見て、再び個室に入る。

「でも、帰りにあの二人を拾ってから、朱音さんずっとぴりぴりしてるのは本当だよ? さっきも講義室でも、みんなちらちら朱音さんの事見てたし」

「そっ、……それはわかってる、わよ」

 涼子に指摘されるまでもない。

 お見舞いに行った時は頑張って抑えていたが、どうにも気持ちがイラついて落ち着かないのである。

 おかげでさきほども、石動が怪訝そうに朱音の方を何度も見てきた。

「あの子達を、あんなにしたやつが許せない?」

「そりゃそうよ。涼子さんだって、そうじゃないの?」

「まあ、それはそうなんでござんすがねぇー。なんというか、朱音さんのはそれ以外のものが混じってるような感じがするんでごわすよ」

 ――それ以外のもの、ね……。

 朱音は自分の左胸に――心臓の上に、左手を重ねて考える。この胸を渦巻く、よくわからないもやもやについて。

 あまり深い間柄ではないにしろ、後輩を傷付けられた事は腹立たしい。でも確かに、それ以外の気持ちがあるのはわかる。

 でも、いったいなんなのだろう……。

 難しい、でもどこか苦しそうな表情のまま固まっている朱音に、涼子は再び語りかけた。

「もしかして、小さい頃になにかあった、とか?」

「……あ」

 そういえば。

「それだ」

 よく考えれば、初めからそれしかないではないか。

 今の自分を形作る発端となった、あの日の出来事しか。

 父親に内緒で兄からこっそり教わった式神を作り出す術式。それが原因で起こった、幼い頃の事故。

 今でも夢に出てくる、小さな弟の、自分を心配する声。

「聞くつもりはないから。そっちが話したいなら別だけど」

「そうね、機会があれば、話してもいいかな」

 聞きたくなかった。

 心配されたくなかった。心配させたくなかった。心配させる自分が許せなかった。

 そう、あの時に思ったのは、きっとその時の気持ちなんだ。

 あの二人を傷付けたやつは許せない。

 でもそれ以上に、誰かに心配をかける状況に二人を追い込んだ事が許せなかったのだ。

 あれは一度経験しなければわからない。

 あんな同情した目で見て欲しくない、私は平気なのになぜわかってくれないのか。

 でも、その原因を作ってしまっているのは、まぎれもなく自分なのだ。

 そう思うと、自分の事が許せなくて、もっともっと辛くなる。

「じゃ、そん時は根ほり葉ほり聞かせていただきやすぜ、ダンナ~」

「はいはい、わかったから。そろそろ出るわよ」

 朱音は入り口のパネルに引っかけたタオルで、髪と身体の水気を軽く拭くと、脱衣所の方に向かった。

「ちょ朱音さん、待っておくんなましぃ!」

 涼子も大慌てで身体を拭き、朱音の後を追いかける。

 ――ありがと、涼子さん。

 二人の件は、今でも(はらわた)が煮えくりかえるくらい腹立たしい。

 だが、その理由に気付いた今は、憑き物が落ちたみたいにさっぱりとした気分だ。

 姿の見えぬ敵に、朱音は改めて気を引き締めるのだった。

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