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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第壱ノ巻~荒ぶるおぞき御魂~
7/55

其ノ肆:夜間巡回

 涼子の大食いの威力をまざまざと見せ付けられたら後、朱音は涼子に連れられて一般生徒の利用する区画を見て回った。

 強引に引き入れられた美玲であったが、そこはそれ涼子との付き合いは長いようで。二人仲良く朱音の案内をしてくれた。

 日本最高峰の魔術師育成校である星怜学園の中でも、最高の設備がそろっている天原校であるが、生徒のほとんどはむしろ一般の方の生徒である。

 術者生徒のために広大な土地を使用していると言っても、全体から見ればそれ以外の部分の方が多い。

 資料棟の十数倍はあろうかと言う書籍を収める図書館、中型の書店が丸々一つに、コンビニが四店舗ほど、飲食店も十ヶ所以上あり、おまけにOA機器の専門店まであったりする。

 もちろん全部見て回る時間などあるはずもないので、涼子と美玲がよく利用する場所を中心に回った。

 涼子が自信満々に紹介してくれたのは、やっぱり飲食店である。安くて量が多い上においしいメニューを、まさか暗記までさせられるとは思ってもみなかった……。

 だがそれよりも驚きだったのが、OA機器の専門店を訪れた時の美玲である。

 マザーボードがどうとか、CPUがどうとか、グラフィックスボードがこうとか、HDDはどこのどれがいいかとか。

 朱音にとってはちんぷんかんぷんな単語を並べて、最終的にはゲームの話にすげ変わっていたのだがそれはそれは熱く語ってくれたものだ。

 ちなみに、この時の美玲には涼子も少し引いていたりするのだが、まあそれは置いといて。

 さあ、いよいよ約束の時間三〇分前である。朱音は改めて装備の再チェックを始めた。

 すでに涼子と美玲に連れ回されてくたくただが、むしろ本番はこれからと言っていい。

 今日が夜間巡回の当番だと言う涼子に付いて行くのである。

 ちなみに美玲はと言うと、

『すいません。今日は先約があるので、私はこれで失礼させていただきます』

 とのメッセージを残して、食堂で夕食すら食べず寮に帰って行くのだった。

「今日は暑そうだから、上着はもっと薄いのでも平気かなぁ……?」

 風呂上がりの朱音は髪の水気を拭きながら、デニム地のパンツと白地のプリント長袖Tシャツの姿で今夜着て行く上着を選んでいる。

 昨日と同じフリースにするか、黒いジャケットにするか、それとももっと薄手の上着にするか。

 二一時の天気予報では今夜は昨日より暖かいようであるし、もう少し薄くても問題ないであろう。

 なんて、里にいた頃はさせてもらえなかったおしゃれをちょっとだけ満喫していたり。そんな以前とは違う自分に気付いて、くすっと笑う朱音であった。

「御守りはオーケー、護符のストックも大丈夫。独鈷杵(どっこしょ)も二本入ってるし……。うん、準備完了」

 悩んだあげく、ベージュ色のニットのカーディガンを選んだ朱音は、携帯電話で現在の時刻を確認する。いつの間にか、集合まで十五分を切っていた。

「やば……。急がないと」

 バカみたいに広い敷地を有しているだけに、寮から校門まではかなりの距離がある。すでに歩いていては間に合わない時間だったりする。

 朱音は机の足下に飾られた太刀台から、一振の日本刀へ手を伸ばす。

 柄も鍔も、鞘さえも当時の物から差し替えられてしまったが、刀身だけは未だ神々しさを保っている、自らの愛刀を。

「今夜もお願いね」

 朱音は自らの愛刀に語りかけるようにささやくと、自室の扉をくぐった。




 正門に当たる校門に着いたのは、二二時一分前とかなりギリギリの時間だった。

 敷地の割に、みみっちい校門である。正門は片側一車線の道路、路線バスがぎりぎりすれ違えるかどうかという幅だ。

 せめてもう少し広く取ればいいものを。学内に様々な店が入っているのだから、車の出入りはかなり激しいだろうに。

 実際、学内を案内されている時もトラックやワゴン車をよく見かけた。それも両手足の指で足りないくらいは。

 さすがにこんな夜中にはいないのだが。

「涼子さん、またジャージだったな」

 朱音は寮を出てから正門に向かう途中、偶然目撃してしまった涼子の姿を思い出す。

 昼間に涼子と手合わせをしたあのグランドに、今日の夜間巡回の当番らしい生徒が三〇人ばかり並んでいた。

 動きやすい服装とは言え、一人だけジャージだったものだからいやでも目につく。夜中でもよく見えるような、無地の白いジャージであった。

 上下そろって定価五〇〇〇円前後くらい、バーゲンの投げ売りのように見えたのはきっと気のせいだろう。気のせいに違いない、きっと。

「おまっとさーん!」

 竹刀袋に入れた太刀を片手でくるくるともてあそんでいると、ようやく涼子が現れた。

 軽くランニング気味で走って来たようだが、息は全く乱れていない。

 昼間にもやってわかってはいたが、肉体強化術は完璧に使いこなせるようだ。

「待ちましたかね? 朱音くん」

 と、涼子はいきなり三文芝居丸出しの台詞を吐く。

 今度はいったい、何になっているのやら。

「別に。私もさっきついたとこだし。それよりも、早く行きましょ。街の案内、してくれるんでしょ」

「ぶー、ラジャー!」

 どうにも説明し難い雰囲気に包まれたまま、朱音と涼子は校外へと赴いた。




 学校の敷地から出た二人は正門から伸びる道路に沿って、まっすぐ都市部の方へ向かっていた。

 とは言うものの、学校の近くの土地は民家がほとんどで緑もかなり多い。

 どちらかと言えば、都会でなく奥まった田舎を思い起こさせる風貌である。

 最も、去年まで朱音が生活していた隠れ里の方が、相当のド田舎なのだが。

「ところで涼子さん」

「なにー?」

「夜間巡回の目的はわかったけど、具体的にはどんな事してこごった気を浄化するの?」

「あぁ、その事ですかい。それはですなぁ……」

 と、涼子がジャージの上着についたポケットに手を入れた時だ。

 魔術師達の持つ第六感とも言うべき感覚が、正常でない気配を察知したのである。

 現在地から二時の方角、距離は直線で百メートルもない。

「ちょうどいいや。それではこれから、実演をしたいと思いやすぜ」

 二人は自らの感覚的に従って、嫌な気配のする場所へと向かう。

 それから歩く事五分弱、二人はあっという間に気配のする場所を見つけた。

 細い道が十字に交差する場所の中心点である。

 道幅は、軽自動車がすれ違える程度。普通車だとすれ違えるかどうかも怪しい。

 そしてその場所に、朱音は見覚えがあった。

「ここって、昨日の」

 そこはつい先日、朱音が餓鬼の一団を祓った場所、その一つだったのだ。

 一回祓った程度では、簡単に消えてくれないらしい

「っそ。昨日あいつらいっぱい出たからね。普通なら大丈夫なんだけど、あそこまで数が多いと、次の日にこうして陰の気が溜まっちゃうんでございますよ。そこで、こいつの出番ってわけ」

 と、涼子が取り出したのは、白い粉の入った小さなビニール袋である。

「なにそれ?」

「舐めてみ」

「……変なクスリとかじゃないわよね」

 疑いの視線を向ける朱音に、涼子はと言うと、

「大丈夫。一般家庭にもあるような品物だから」

 と、自身満々に答えて見せた。

 朱音は恐る恐る袋に右手を突っ込むと、人差し指で粉にちょこんと触れそれを口に含んだ。

 含んでから、さっきまで警戒していた自分が妙に間抜けに思えてきた。

「しょっぱ……」

 記憶を探るまでもない。食塩、つまり塩だ。

 物質名は塩化ナトリウム、元素記号はNaCl。イオン結合によって成立している分子。

 どっからどう見ても、怪しいクスリではなくただの調味料である。

 まあ、取りすぎれば生活習慣病にはなるわけだが、一応健康には気を使った食生活を送っている朱音からすれば全く縁のない話である。

「神道系の子が清めてくれたお塩でね、これまいて簡易的なお祓いをするのだよ」

「『清めの塩』ねぇ。ってぇ、そんないいかげんなので大丈夫なの?」

「まあ、これで実際に浄化されてるみたいだからねぇ。結果よければ過程なんてどうでもいいんだぜ。ぱっぱっぱっ……と」

 涼子はビニール袋から塩をひとつまみすると、何回かにわけてその場に振るう。

 すると小さく渦巻いていた陰の気がだんだんと弱まっていくのを、朱音の感覚はしっかりと捉えた。

「あとは、手を合わせて、お祈りすればおっけー」

 涼子は体育座りをするように両膝をそろえて屈むと、目をつむり両手を重ねて軽く(こうべ)を垂れる。

「こういう陰の気っていうのは、この世に未練を残したまま死んでいった負の情念が凝り固まったもの、だっていうのは知ってるよね?」

 涼子にしては珍しく、落ちついたトーンの声でつぶやいた。

 朱音に話しかけているようにも見えるが、ここにいない誰かに語りかけているようにも見える。

 そんな涼子に影響されてか、朱音も普段より声のトーンを落として返事を返した。

「まあね。負の情念だけならそれを浴びた人間が暗くなる程度で済むけど、昨日みたいに妖怪・妖魔・怪異と呼ばれる類を呼び寄せる事もあるから、こうして浄化して回ってるわけだし」

「いやいや。暗くなるだけならまだいいけど、病気を引き起こしたり自殺に追いやったりもするから、どのみち放置するわけにはいかんのですじゃ。ほい、完了」

 その言葉の意味が、朱音にもしっかり理解できた。

 清めの塩でも浄化しきれなかった陰の気が、まるでしがらみから解き放たれたかのように消えたのである。

 朱音にもできない事ではないが、それは浄化の炎によって一切の穢れを焼き祓うというものだ。

 結果だけ見れば同じだが、その過程はまるで違う。

 朱音は食い入るように、たった今清浄されたばかりの場所を見やった。

「『負の情念』って言ったらちょっと嫌な感じがするけど、元をたどれば本当はただ寂しかっただけなんだよね」

「寂しかっただけ?」

「うん。寂しかっただけ」

 涼子はぱちっと目を開くと、屈む時と同様にゆっくりとした動作で立ち上がった。

 開け放たれた目には、憂いのようなものが漂っている。

 とてもとても優しい眼差しで、昼間見た涼子からは想像もできないような、意外な顔だ。

 その表情は非常に慈悲深く、抱かれた子供はそのまま安心して手眠ってしまいそうな気さえする。

「昨日の餓鬼もそうだけど、こういうのってだいたい、人の優しさに触れたくても、触れられなかった人達の飢えが原因だったりするんだ。まあ、愛に飢えてたって言った方がわかりやすいのかな。その飢えを満たすために、他人の身体を求めたり、お金を求めたり、別のもので飢えを満たそうとするの。だから、元をたどれば陰の気は愛に飢えてた人の死が生み出した、無念の表れって事になるわけ」

「愛に飢えてた……ねぇ。なんかよくわかんないわ。そういう感覚的というか、感情的というか、そんな話」

「それは、朱音さんは今を幸せに生きてるって事だよ」

「そうなの、かなぁ?」

「そうだよ、きっと。だからあたしは、そういう満たされなかった人達のために、手を合わせるようにしてるの。優しさに触れて、自分から浄化できるようにって」

 涼子は再び塩の入ったビニール袋を上のジャージのポケットにしまい、巡回コースへ向かって歩き始めた。

 朱音は足早に、涼子の後を追う。

「ん?」

「どうしたの? 朱音さん」

「ううん、なんでもない」

 朱音はかぶりを振って涼子の隣に並ぶ。なんだかちょっぴりとだけ、さっきまでの自分より優しくなれた気がした。

 ――――結局朱音は、自分達を見つめる他の誰かの目に気付く事はなかった。




「ふぅぅ、これで何ヶ所目だっけぇ……?」

「八ヶ所目だけど」

「もうそんなに!? いつもならそんな事ないのに、いったいどうなっとるんじゃい!」

「私が知るわけないでしょ」

 先ほどちょっとだけ涼子がかっこよく見えた事を、朱音は現在盛大に後悔していた。

 両手を合わせて冥福を祈っていた人物と、目の前で子供のようにわめき散らす人物が一緒だなんて、絶対に幻かなんかに違いない。

 ――そうじゃなかったら、さっきの私の気持ちはどうすりゃいいのよ。

 まあ、涼子がわめき散らすのも全くわからないかと問われれば、そうでもなかったりする。

 学校を出てからかれこれ三時間、朱音の携帯電話の液晶は次の日の午前一時を過ぎていた。

 昨日の依頼が十二時過ぎには終わった事を考えれば、嘆きたい気持ちもわからなくはないのだ。

 が、そんな朱音の予想の斜め上を行くのが涼子である。

「深夜アニメ予約して来れば良かった……」

「……………………」

 まったく、どんな反応をすればいいのやら。

 そんな朱音の白い目に気付いた涼子は、わたわたとしながら言い訳を始める。

「だ、だってさあ! 普段ならもう終わって寮に着いてるような時間なんだよ! それにこんな時間じゃあ、お店はどこもしまっててせっかく都市部に行っても面白くないじゃん!」

「それじゃ仕事しに来たのか遊びに来たのかわかんないじゃない!」

「両方に決まってるじゃないか!」

 と、両手を握りしめて力いっぱい宣言する涼子。

 ここはちょっぴり怒りたい朱音であるが、自分も少年誌のコミックにはまっている事を考えるとやっぱりそれはできなかったり。

 怒りは呆れに置き換わり、とにかく巡回コースをはやく回ろうと朱音は足を早めた。

 と言っても、身長の低い朱音が早歩きした所で、すぐ涼子に追い付かれてしまうわけなのだが。

「ところで朱音さん」

「なに?」

「朱音さんの使ってる太刀って、銘はなんなの?」

「教えるわけないでしょ……」

 なにかと思えば、そんな事を……。術者にとって、秘密主義は基本中の基本だというのに。

 いきなりそんな前提を完全無視した発言に、朱音はまたまた呆気にとられた。

「いーじゃん、ケチ」

「ケチとかなんとか関係ないでしょ。それよりも、術者に手の内を明かすように言ってる涼子さんの方がおかしいんだから」

「ふーん。あたしは特に、隠すような事ないからよくわかんないや。そういうの」

 と、涼子はジャージのズボンの内側から二本の小太刀を取り出す。

 もちろん、ちゃんと鞘に収まっている。

 それでも警察なんかに見つかったら職務質問物なので、できれば隠していただきたいものだ。

「これ、学校の上にある刀鍛冶んとこのなんだ~。特殊加工につきお値段は高めですが、滅多なことでは刃こぼれしない、すんばらしぃ名刀なのですじゃ」

 堂々言い放った涼子に、しかし朱音は百パーセント疑いの目を向ける。

 どれだけ素晴らしい名刀だろうと、斬れば斬るだけ切れ味は落ちる。

 どんな武器だろうと物質世界に存在するものは時と共に、または使用される度に劣化する事は避けられない。

 例外があるとすれば、それは物理法則に縛られない、もっと違う……別の法則。

 つまり、

「もしかして、その特殊加工って、術式の施工(せこう)?」

 その答えにたどり着いた時、疑いから驚愕へと朱音の表情は変化した。

 通常、魔術とは物理現象に転じない限りにおいて、起動した段階から同時に分散を開始する。つまり、“一時的に物理現象を上書きしている”というわけである。

 結界や肉体強化術のように長時間効力を発揮するものもあるが、それは単に“常に物理現象を上書きしている”というだけの話だ。

 代償として、そういった術は絶えず魔力のようなエネルギーが必要とされる。

 だが、“武器の劣化を防ぐ”術式はそうではない。

 こういった類の術式は、それ単体で効力を発揮する事が絶対条件なのだ。

 この手の術式は、たいてい高等技術の中でもとりわけ高難易度に分類され、俗に“超絶技巧”と呼ばれている。

 そんな超高度な技術を有する人物が近くにいるなんて。

 そんなすごい人物を知らなかった朱音は、まだまだこの天原市について調べなければと思うのだった。

「おかげで、朱音さんの妖刀と斬り合っても、全く問題ナッシングなのであります。火凛(かりん)紅椿(くれないつばき)って言うんだよ。超かっちょいいでしょ!」

 なんでそんなすごい人の鍛えた刀を涼子(こんなの)が使っているのか、その辺はまったくの謎である。

「その前に、私自分の刀が妖刀だって一言も言ってないんだけど」

「あたしの小太刀と斬り合って無傷なんだから、いわく付きの妖刀でしょ? まあ、いや~な黒い感じはしなかったけど」

 涼子の言う『黒い感じ』と言うのは、妖刀の持つ禍々しさの事だろう。

 確かに朱音の持つ妖刀は、そう言った面から言えば妖刀に類するものではない。

 この勘の鋭さを、もっと別の事に有効活用すればいいものを。

「あ、また出た」

「しかもこの感じ、昨日と同じ餓鬼ですなぁ」

 世間一般の話題から一八〇度真逆の話題で盛り上がっていた二人の感覚が、またしても陰の気を捉える。

 しかも今までのただ集まっていたのと違って、今回は“核”とも呼べるようなものがあった。

「まあ、退去しなかったら私がやるわ。まだなんにもしてないし」

「うむ。実力行使は頼みましたぞ、朱音さん」

「涼子さんの中の私って、いったい何なのよ……」

 二人は気配のする方向へと、小走りで向かった。




「はい、本日のお勤め終了。あっざっした~。バタンキュ~」

「あの、涼子さん、本当に今日ここに泊まるの?」

「だってぇ~、帰るの面倒っくさいんだも~ん」

「そ、そうだけどぉ……」

 結局、巡回コースの浄化が終わり、二人が都市部にたどり着いたのは午前二時手前という、普段からは想像もできない時間だった(涼子談)。

 涼子の提案で二人は明け方までネットカフェで仮眠をとる事にし、こうして部屋を借りているわけである。

 とりあえず、コンビニでガムやら飴やらの目立たない食べ物と週刊誌やら廉価版コミックやらも買っているので、例え眠れなくても暇になる事はないだろう。

 ついでに言えば、現在もお店で頼んだ炭酸飲料とスポーツ飲料にジャンクフードが二皿ほどある。

「でも、寮長には連絡しなくてもいいの?」

「それは、これから頼む所でございますよ」

 と、涼子は自分の携帯電話――スマートフォンのメール送信画面を見せる。




To:可愛い美玲ちゃん

Sb:お願いね♪

  :添付/ラッピング

ネカフェに泊まるから寮長に朝に帰るって言っといておくんなまし(^_^)v

あなたの親愛なる涼子ちゃまより




「そうぅぅぅぅ…………しんっ! ぽちっとな」

 涼子は自分で効果音を言いながら、送信ボタンを押し込んだ。

 画面には手紙をくわえた子猫が、手紙をポストに入れるアニメーションが流れ『送信完了しました』というメッセージが表示される。

 その可愛さに、朱音の目は一瞬奪われたが、すぐに平静を装った。

「もう二時過ぎなんだから、迷惑でしょ。寝てるんじゃないの?」

 と、朱音は抗議の声を上げるのだが、

「甘いな朱音さんは。美玲ちゃんがちっこ可愛いのは伊達ではないのですよ!」

 相も変わらず、言葉がまったくの意味不明である。

 このノリだけで発言するのも、二度手間になるからやめて欲しいものだ。

 常識の前に、この人は日本語を学ぶべきではないだろうか、と朱音は真剣に悩み始めた。

「涼子さん、私にもわかるように言って」

「あぁ、めんごめんご。つまりね、『寝る子は育つ』の原理ですよ」

「つまり?」

「『寝ない子は育たない』って意味」

 コーラを一気に半分ほど飲み干し、涼子はぷはーっと小気味よい息を漏らす。

「美玲ちゃん、あれであたしより全然寝てないからね。たぶん今春休み中だから、五時前位まで起きてるんじゃないかと思うんだけど?」

 まさかぁ、と朱音が思っていたその時だ。

 机に置かれた涼子のスマートフォンが、ぶるぶると震えだしたのである。

 画面に現れた名前は、なんと『可愛い美玲ちゃん』であった。本当にまだ起きていた。

 いやいや待て待て、今さっきのメールで起こされた可能性の方が大きい。きっとそうだ、そうに違いない。

 朱音がそんな事を考えている内に涼子はスマートフォンをとると、新着メールを開いた。




 わかりました。伝えておきます。あと、今ちょっとパーティ組んで新フィールド探索してるんで、返信とかいいです。今日は徹夜で狩りまくりますから!




 そんな内容を横からのぞき込んでいた朱音はというと、

「美玲ちゃん、本当に起きてたんだ……」

 今日一番のびっくりを経験していた。

 涼子の小太刀に施工されている術式について知った時の、十倍は衝撃的である。

「なんか、悪い事しちゃったな。帰りにお土産くらい買って帰んなきゃだめかな、こりゃ」

「ところで涼子さん、『パーティ組んで新フィールド探索してる』って、いったいどういう意味?」

「あぁ、ネトゲだよ」

「ネトゲ?」

 未知の単語に、朱音の頭はちんぷんかんぷんである。

 いったいどこの国の言葉なのだろうか、少なくとも日本語ではないだろう、なんて思う朱音であった。

「パソコンを使って、世界中の人と遊ぶことのできるゲームなの。噂によれば、かなりのヘビープレイヤーらしいよ、美玲ちゃん」

「へぇぇ、世の中いろんなもんがあるんだねぇ……」

 涼子は朱音にネトゲについて解説すると、ジャンクフード一皿を平らげてから残ったコーラを飲み干し、だらーっと横に倒れる。

「朱音さん、そんじゃお先に」

「うん、お休み」

 先に寝始めた涼子を眺めながら、朱音はコンビニで買ってきた週刊誌に手を伸ばした。




 それは日付が変わってから、一時間も経っていない頃だった。

 巡回の終わった二人の中等部生が、仲良く寮に戻っていた。

 片方は男の子、もう片方は女の子で、それは両方とも美玲が稽古を付けていた生徒である。

 男の子の方は最近ようやく背が伸び始めたがまだまだ小柄で、少し化粧をすれば女の子と見間違えそうなほど可愛く整った顔立ちをしている。

 女の子の方は男の子より頭半個分高い。

 未成熟ながらも長い四肢は、すでにほんのりとだが大人の色香が漂っている。顔や雰囲気と見た目とのギャップが、いじらしさを醸し出している。

 二人が身にまとっているのは、学校指定の体操服とジャージである。

 ただし、涼子の着ている既製品と違いこちらは魔術に対する耐性の高い素材を使った、実戦にも耐えうるような代物だ。

「ちぇっ、今日も美玲先輩に、全然攻撃当たらなかったなぁ」

「仕方ないよ。美玲先輩って、とっても強いんだもん。私の憧れなんだぁ」

「でも、五対一だぜ? なのに、逆に俺達の方がやられちまうなんて。納得いかねぇよ」

「じゃあ、明日も稽古つけてもらおう」

「うん、そうだな」

「決まりだね。明日も美玲先輩、グランドにいますように」

 かっこいい先輩に憧れ、手も足も出ない事に悔しがり、二人の生徒は他愛もない話に花を咲かせていた。

 しかし次の瞬間、そんな楽しい時間は音を立てて崩れ去る。

 自分達が今どのような状態にあるのか、二人の感覚がそれを教えてくれた。

「閉じこめられた!?」

「この感じ、位相空間結界?」

 位相空間結界とは、まるで鏡の中の世界の如く現実世界をほぼ百パーセント模して形作られた空間で、この空間内で起きた事は現実世界になんの影響も及ぼさないといった特性を持つ。

 この現実世界に影響を及ぼさないという利点から、高難易度ながらも遠い昔より重宝されてきた結界術式だ。

 だが、問題は結界の種類ではない。何者かが、結界内に二人を閉じ込めたのである。

 いったいなにが目的でこんな事をするのか……。

 しかし、考えている時間はない。

 ただならぬ気配を感じ取った二人は、すぐさま後方に大きく跳んだ。

 そこをまるで、巨大な重機のように強力な拳がえぐる。

 アスファルトの欠片は飛び跳ね、まるでなにかが爆発したかのような轟音に二人は眉をひそめた。

「フム。ナカナカヨイエモノガカカッタデハナイカ」

 二人は何千何万回と繰り返した、まず相手を分析する事から始める。

 だが、次の瞬間にはその事を後悔せざるを得なかった。

 身長はニメートルを大きく超えている。身体つきはかなりの筋肉質だ。体重は、一〇〇キロは軽く超えているに違いない。

 そして霊力――と言うよりも妖力は、二人の分を合わせたよりずっと大きいのだ。それにまるで、悪意そのものを具現化したかのような、そんな印象を受ける。

 勝てる要素など、最初からなかった。

 分析から導き出された答えは、とにかく逃げろ。

 だが、空間に隔離された状態では、逃げる事自体がまず不可能である。

「サアヨコセ、キサマラノチカラ、ワレガクロウテヤル」

 一目散に、しかし冷静にその場を離れた二人を追って、悪意の塊が動き出す。

 一方的な虐殺劇が、幕を開けた。

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