其ノ拾参:無双艶技
「またしても、草壁朱音か……。つくづく俺は、草壁家から逃れられない運命らしいな」
暗闇に紛れるようにダークスーツに臙脂色のネクタイをした青年は、今は天原市西部の閑静な住宅街にいる。
その青年の足元の影から、いきなり真っ赤な腕がにょきっと生えた。
手には刃渡り六〇センチ以上の刀が握られており、不気味な気配を垂れ流している。
「これで少しは、まともな武器が手に入った、と言ったところか」
青年はそれを手に取ると、舐めるように刀身を見つめる。
まったく、和神家のあの男は、こちらの思惑通りに動いてくれたものだ。
「これも、お前の力が負の情念をかき立ててくれたお陰だな」
「ショセンハ、ヒトノココロダ。ツケイルスキナド、イクラデモアル」
赤い腕の発する声に、青年は薄ら寒い笑みを浮かべる。
まるで感触を確かめるように、青年はその刀を振るう。和神家の者に盗ませた、歌仙と呼ばれる刀を。
その青年の感覚が、一つの気配を捉えた。
巧妙に偽装が施されているが、周囲には人払いの類の結界が張ってある。
それを突破できるとなれば、考えられるのは一つしかない。
「かくれんぼも楽しそうだが、さっさと出てきたらどうだ? もう見つかっているわけだし」
と、その瞬間、空間の一部がぐにゃりと歪んだ。
その歪んだ空間の中から、一人の少女が現れる。
「久しいな、無双艶技。二ヶ月ぶりくらいか」
それは約二ヶ月前、青年の前に現れた術者の片方であった。
所々が改造された特徴的な巫女装束もさることながら、抜き身の日本刀のような鋭い殺気を内包している。
「今までは、草壁家に縁のある人だから、せめて私の手で、って思ってましたけど」
そう言いつつ、少女は護符から一振の刀を呼び出す。
刃渡り八一センチ。青年の持つ歌仙とは、段違いの気配と存在感がただよっている。
一目見ただけで、コイツはヤバい、と思わせるほどの格の違いを。
「間接的であろうと、かれんちゃんを傷付けたあなたを、私は絶対に許さない!」
力強い踏み込みに、アスファルトが飛散した。ポニーテールに束ねられた黒髪が、宙を舞う。
普段はツインテールにまとめてあるが、それを一本にまとめるのはある事を意味する。
それ即ち、少女が本気になった証に他ならない。
「さすが、宗家筋……。凄まじく速いな」
神速とも呼べる刺突を、しかし青年はサイドステップでかわす。
だが、少女も一筋縄ではいかない。かわされた瞬間には急制動をかけ、神速の勢いのままに半回転したのである。
優雅さと豪傑さを兼ね備えた刀身が、青年の背中へと叩き込まれた。
「くっ!! 豪快にして、精緻極まる技巧。無双艶技の名は、伊達じゃないな」
青年はそれを、勢い良く倒れこんで回避する。それでも、タイミングはギリギリだった。
それだけ、少女の動きが速すぎるのだ。
「君のお姉さん、草壁玲奈と対峙した時を思い出すなぁ!」
振り向きざまに、青年は逆袈裟に斬り上げた。
肉体の強度を最大限まで跳ね上げ、少女の攻撃を迎え撃つ。
――――ギィイイインッ!!
二本の太刀の間で、激しい火花が飛び散る。
その様はまるで、二人の間で飛び散る闘争の火花を表しているかのようだ。
「なんで、こんな事を」
「何。ただ単に、まともな武器が欲しかっただけだ。あの和神の者には、それを手伝ってもらっただけさ。俺と同じ、草壁玲奈を怨んでいる者としてな」
鍔迫り合う両者。
だが、圧倒的な体格差があるにも関わらず、両者の力は拮抗していた。いや、青年の方がやや押され気味と言っていい。
これこそが、宗家と分家の違い。努力だけでは埋めようのない、先天的な才能の差である。
「怨みって、あれは誰の目から見ても事故じゃないですか。あなたの怨みは、完全な筋違いです!」
「筋違いであるものか!」
弾き合い、距離を取り、再び刃を交える。
青年の迫力に気圧され、少女はわずかに怯んだ。
「あの女がいなければ、妹は死なずに済んだ。こればっかりは、揺るぎない事実だろう!」
渾身の力を込め、青年は少女を弾き飛ばした。
顔には出していないが、身体の節々が悲鳴を上げている。
やはり草壁家の宗家筋と正面から斬り合うのは、まだまだ力が不足しているようだ。
高野派の宗家筋とまともに斬り結んでいる猫屋敷の娘は、よくやるもんだと青年は胸中で苦笑した。
「思いのほか、簡単だったぞ。奴の人間嫌いもたいがいだったが、俺があの草壁玲奈を怨んでいると言った瞬間には、掌を返してな。だからプレゼントしてやったのさ。コイツの力をな!」
青年の影から、例の赤い腕が飛び出す。
腕は黒い煙へと変化すると、そのまま青年の中へと消えていったのだ。
その瞬間、青年の気配が劇的に変化したのを、少女は感じた。
「神格に近い悪霊を、憑依させた? それで、まともな精神状態なんて保てるはずが……」
『利害が一致していれば、存外なんとでもなる』
青年は足元のアスファルトを踏み砕きながら、少女へと斬りかかった。
悪霊の加護を得たこの瞬間に限れば、青年の力は少女のそれを上回っていた。
「あうっ!?」
『もっとも、和神の者は、俺ほどには適合できていなかったようだが』
一度は腰から落下したものの、少女は空中で体勢を立て直して足から地面に降りる。
驚いた直後にも関わらず、冷静さを微塵も損ねてはいない。
――まだ不完全か……。
青年は術の具合を確かめつつも、退却の算段を立て始める。
今回の目的は、人を斬る事で強さを増した歌仙を回収する事。協力者として和神の者を迎え入れる事も考えてはいたが、あの状態から回収するのは不可能だろう。
もっとも、そこまで高い能力を持っているわけではないので、重要度は極めて低い。
連日、気配を隠蔽する術を使い続けていたせいもあり、身体の方も限界だ。肉体強化を使わされたのも痛い。
『では、さらばだ。無双艶技。いや、草壁美玲、と言っておこうか。草壁玲奈に会ったら、伝えるがいい。首を洗って待っていろ、とな』
「八千草健吾ぉおおおおおおおお!!」
少女――美玲は怒りの感情を爆発させ、青年――健吾に向かって跳んだ。
健吾に取り憑く邪気すら可愛く見えるほどの、荒々しい気配が吹き荒ぶ。
だが、あと一歩が届かなかった。
音速を超えた刺突は、虚しく空を切る。魔術的な強化を施された巫女装束も、衝撃波のせいで少し綻んだであろうか。
美玲はすぐさま健吾の気配を探るが、どこにもいない。
まさしく、神出鬼没。厄介な相手だ。
「次は、絶対に……」
美玲は太刀を護符に再封印しつつ、健吾の消えていった空間を見据える。
奥歯を強くかみしめ、血が滲むほど拳を握りしめながら……。
辻斬り通り魔事件の犯人を確保した翌日。朱音、涼子、かれんの三人は、教務課の横にある小さな部屋に来ていた。
周囲の本棚には書籍の代わりに分厚いファイルや茶封筒が押し込められ、それなりの広さのある部屋がかなり狭く感じる。
そしてスチール製のデスクを挟んだ反対側に、くたびれたスーツを着崩した男性が、いかにも疲れた~、といった表情で椅子に腰掛けていた。
「お前らなぁ、今後はこういうの止めてくれよなぁ。宗次から連絡もらった時にゃ、真っ青になったぜ」
三人ともよくお世話になっている、石動先生である。
ちなみに、下の名前は玄耶らしい。最近その事を知った朱音は、ちょっとかっこいいかも、とか思った。
「普段とは別ルートで連盟に書類提出して、そっから別に各方面に連絡とって市街地に処理班送り込んで。しかも、八神家とか星怜大の上にあるだろ? 感付かれないように動くのが、大変だったんだぞぉ。それ用の偽造書類も作って……。お陰で徹夜だよ、徹夜」
なるほど、目の下の隅はそのせいなのか。
言われてみれば、肌もかさかさのような気もしないでもない。
ねぇねぇ、かれんちゃん家ってこの上にあるの? はい、この山の頂上に八神本家が。そうなんだ、すごく近いんだね。そうですね、だから学校に言えなかったんですけど。
とか朱音とかれんが話していたら、石動にチラッと見られて、二人は慌てて目を伏せた。
「家絡みのトラブルとか、絶対中立地帯だから昔からよくあるんだよ。だから、家にバレないようにするマニュアルも、ちゃんとある」
二人のヒソヒソ話を聞いていた石動は、呆れ気味に話してくれた。
そのあとに出た深いため息が、疲労具合を教えてくれる。
普段から書類仕事に慣れているはずの石動がこれなのだから、よっぽどの手間がかかったのだろう。
三人は改めて、石動に頭を下げた。
「ま、何はともあれ、八神家はなんとか騙くらかせたみたいでよかった。とはいっても、義綱の大爺さまも、色々と手を回してくれたんだろうがな」
「おじいちゃんが……」
「かなぁり頑固だけど、いい人だからな。それはそうと、かれん、翼はちゃんと治療してるのか?」
「はぃ、古御門先生に、あーちゃん先輩の霊薬塗っていただきましたから」
そう言うと、かれんは背中を出して翼を展開して見せた。
華奢で滑らかな背中――その肩甲骨の部分から、傷付いた翼がふさぁっと広がる。
包帯は巻けないので、大判の医療用のパッドがあちこちに張られている。
「あーちゃん先輩から、さっき痛み止めももらったので。大丈夫です」
「そうか。なら、この件はこれで完了って事でよさそうだな」
「あの、ありがとうございました」
かれんが翼をしまうと、三人は改めて今回の任務の報告書を提出と、口頭による報告を始める。
それを聞く石動も関連書類を作成し、最後にポンと印鑑を押した。
「ところで、お前さん達は、親とは上手くいってるのか?」
報告が終わり退室しようとする三人に、石動が語りかけてきた。
なにやら、先ほどの後処理の話以上に深刻そうな表情である。
「あたしんとこは、バッチリです」
「父親とは仲悪いですけど、母親とはそれなりに」
「おばさまは、優しくしてくれます」
「やっぱ、男親とは仲が悪いのかぁ……。いやなぁ、娘が来年中学生になるから、もうちょっと真面目に修行するように言ったら、『パパなんてだいっ嫌い』って言われて、口も聞いてくれなくなってな、どうしたもんかと……」
その後、約一時間に渡って、石動から娘と仲直りするためにはどうすればいいか相談を受けた三人であるが、それはまた別の話である。
「ははは、誰もあたしの心配はしてくれないんですね。いや、わかってましたけど」
何気に昨日、血を流し過ぎて気絶しちゃった涼子なのだが、こちらは見向きもされなかったわけで。
それを見ていた朱音は、日頃の行いが悪いんでしょ、と小声でぼやくのであった。
初めましての方初めまして。久しぶりの方、お久しぶりです。どっさり投稿するのが癖になってる)ェ 蒼崎れいです。
そんなわけで、ようやっとこさ朱譚第参ノ巻、終了です。今回は、とにかく翼の民に焦点を当てた回でした。翼の民の設定そのものは、私が十四歳の時に書いてた小説の設定だけに、なかなか感慨深いものがあります。何年も前に作ったものがこうして形になったかと思うと、もう感動するしかないです。
八神隆久や八神かれんをはじめ、今回登場した特別鬼術科の学生は、高三の頃に書いてた小説のキャラクターなので、そっちの方でも作者が勝手にニヤニヤしてます。なので、設定がちょっと単純かもしれませんが……。
それはそうと、今回の話、楽しめていただけましたでしょうか。友人に正体がバレたり色々と伏線が張られたり回収したりして、めまぐるしい展開となってまいりました。まあ、前半部は全五章構成なので、残り二章です。朱譚を全力で楽しめるように、創意工夫していく所存ですので(てか、もう残り二章の展開決まってるんですが、すぐにでも書けるんですが)、第肆ノ巻をお楽しみください。
そうそう、もう片方でも言ったんですが、朱譚はここに投稿する前に書いてた小説をベースにした世界観を使用しているせいで、設定が大量に余ってます。短編でもいいので、誰か書いてくれる人がいたら嬉しいです。
それでは、今回はこの辺で。
そうそう、朱譚とマグスの時系列を表した年表のようなものを作成しましたので、お暇な人はどうぞ。




