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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第参ノ巻~その者、天覇する異郷の民~
50/55

其ノ拾弐:例え翼を手折られようと

 瑞姫(みずき)。それは戦闘力の乏しいかれんのために、隆久が知人と共に作成した魔具の一種である。

 形状はやや長めの杖、主な機能は使用する術のブースト。

 意匠を凝らした水晶の刃物に様々な珠のはめ込まれたそれは、ある種の芸術品のような重厚な雰囲気を漂わせる。

 ただし、この瑞姫で強化できるのは、かれんの使う術だけ。決して、飛行能力が向上するわけではない。

 ――無幻鎧装(レアリ・ハーツァー)の完全展開は、私なんかじゃちょっとしか持たない……。

 と、次の瞬間、かれんの身体が光に包まれた。

 鮮やかな明るい青と緑が、怒濤のようにかれんの身体を飲み込んだと思ったら、なんとその光の中から巫女装束に身を包んだかれんがあらわれたのだ。

 無幻鎧装(レアリ・ハーツァー)――戦場に赴く翼の民(フリューゲラ)が自らの力に依って編み上げ、纏う、戦装束。それは、自らの内に思い描く最強の姿を核として構成される。

 かれんはふと、先ほど聞こえた声を思い出す。




 ――――あの戦巫女に抱いた思いが、偽りでないならば――――




「偽りなんかじゃない。私は、強くなりたい。戦う力は持ってなくても、美玲ちゃんや……美玲ちゃんのお姉さんみたいに!」

 両翼を広げ、かれんは飛び出した。

 だが、それでは相手の速度に勝つ事はできない。そこでかれんは同時に風の力を用い、自らの身体を押しやる。

 朱音の放った雷撃の間をくぐり抜け、かれんは男の上を取った。

「はぁっ!!」

 掲げた瑞姫を、力いっぱい振り下ろす。

 それに呼応して、人の身の丈ほどの巨大な氷の刃が男に向かって降り注いだ。

 男は直撃コースにある氷だけを、ピンポイントで切り捨てる。

 そこには、強い焦りの色があった。

「邪魔をするな! 野蛮人!」

 男が腕を振った軌道に沿って、鋼の刃がかれんへと襲いかかる。

 だが、風の力も使ったかれんは、先ほどまでとは比べられないほど速い。

 それに加えて、かれん以外にも気を払わなければならない相手がいる。

「穿て、天燕(アマツバメ)!」

「翔よ、黒鴉(クロガラス)!」

 朱音が二体の天燕(アマツバメ)を、涼子が八体の黒鴉(クロガラス)を放つ。

 弾丸のように迫る天燕(アマツバメ)を回避したかと思えば、回り込むように黒鴉(クロガラス)が展開している。

 男は弾丸をばらまいて迎撃するのだが、そうすれば今度は死角からかれんが氷塊を放ってくる。

「ちっ、鬱陶しい!」

 氷塊に向かって、男は鋼の杭を何本も撃ち出す。

 杭は氷塊を打ち砕くだけではとどまらず、そのままかれんへと殺到した。

「雷華、四ノ陣――(さかずき)!」

 だが、それを黙って見る朱音ではない。

 矢を射るかの如く引き絞った小狐丸を、渾身の力で突き出す。

 バチバチと小狐丸を包み込んでいた雷光はそのままの勢いで天へと走り、杭を粉々に撃ち砕いたのである。

「東方青竜――風迅(ふうじん)、急ぎ律令の如く成せ!」

 更にかれんを庇うように、涼子は十枚重ねで符術を起動させた。

 数百本はあろうかという風の矢が、男のいる空域を中心として撃ち出される。

「ったク!」

 一本一本の威力は低くとも、回避するだけのスペースは残されていない。

 男は円形の盾を形成し、一旦距離を取ろうと大きく後退した。

「ふぅぅ……、間に合った」

 ギリギリで迎撃が間に合った朱音は、その場でがっくりと膝を付く。

「朱音さん!? どこかやられたんですか!!」

 慌てて涼子が駆け寄るのを、朱音は片手を突き出して制した。

「さっきも言ったけど、身体が雷華に慣れてなくてね」

 普段の朱音なら、たったあれだけの技でスタミナが尽きるなど有り得ない。

 だが、無論朱音とて苦手なものくらいある。

 瞬間的ではあるが、普段より多くの集中力と霊力を消費するのだ。その分疲れ方が激しくなるのは、自明の理と言えよう。

「朱音先輩、大丈夫ですか?」

「それ、そっくりそのまま返すわ」

 相手が距離を取ったのを見て、かれんも朱音の近くまで降下してきた。

 しかし、その顔色は非常に悪い。

 顔や手先からは血の気が失せ、病的なほど白く冷たくなっていたのである。

 それに対して、額からは滝のような汗が流れている。

 とてもじゃないが、戦闘が続行できるような状態ではなかった。

「このくらい、覚悟してますした。瑞姫の能力は、力のブーストですから。はぁ、はぁ……増強させた力の分だけ、身体への負担が増えただけです」

「だからって、今にも倒れそうな後輩を戦わせようなんて真似、私はしたくないけど」

「大丈夫です。そこまでワガママは言いません。でも、向こうの翼を封じるのは、私にしか……できませんから」

 朱音は強く制するものの、かれんも退く気はない。

 かれんの目は、何を言っても聞かない時の目だった。自分にも身に覚えのある姿に、朱音は思わず苦笑を浮かべる。

「じゃ、私と涼子さんで可能な限り援護するから。無理だけは絶対やめてね」

「はい、わかってます」

 さっきのたった一分足らずで、この有り様だ。それだけ力を増強させなければ、相手に対応できないのである。

 ランクD相当の力しかないかれんが、朱音や涼子並の力を行使しようとうればこうなるのも無理はない。

「涼子さん、出し惜しみはなしだからね」

「朱音さんこそ」

 その瞬間、朱音と涼子から発せられる霊力が跳ね上がった。

 かれんの最大時の、何倍になるだろうか。まさに、埋めようのない圧倒的な差である。

歳星(さいせい)恩寵(おんちょう)を求むるは、御神(みこう)の子なり。我が御霊(みたま)を糧と()し、東方が王の矛戈(ぼうか)(たまわ)らん」

「一つを二つ、二つを四つ、四つを八つ!」

 朱音の小狐丸を、目を焼き尽くさんばかりの莫大な量の雷光が覆い尽くす。

 涼子は両足にくくりつけたカードケースから、それぞれ十枚の護符を取り出す。

「雷華、壱ノ陣――閃!」

「覆い尽くせ、黒鴉(クロガラス)!」

 地上から暗天に向かって、雷が駆け上がった。

 まるで真昼のような明るさに、誰もが目を覆い隠す。

 これまでとは比較にならないほどの雷が、男へと襲いかかった。

「小賢しい!」

 男は焦っていた。先ほどからこちらの動きにも慣れてきたのか、盾を使わざるを得ない状態に追い込まれている。

 仕方なく鋼の盾を構成するのだが、今回は今までとは比較にならなかった。

 鋼の杭を爆砕して見せたほどの力の持ち主だ。男の本来の力ならば、防ぎようがなかっただろう。

 構成した盾は雷撃を受け、灼熱色に染まり上がった。逸れた雷撃も、近くの構造物を穿ち、撃ち砕く。

 今男の受け止めている雷撃がどれほどの威力を内包しているのか、想像に難くない。

「この数、かわせるもんならかわしてみろってんですよ!」

 数秒間も続いた雷撃が終わったかと思えば、今度は涼子が式神で強襲をかける。

 自分を包み込むように展開する式神を、男は急速に後退する事で回避した。

 しかし、それは涼子も織り込み済みだ。元より、黒鴉(クロガラス)では速力でかなわない。

 なので、正面以外の方位にも、式神を展開していたのである。

「爆!」

 その指示に従って、側面と後方から迫っていた式神は爆発した。

 タイミング的には、まさにドンピシャ。直撃だったに違いない。

 が、その判断はいささか早急に過ぎたらしい。

「ってて……。舐めた真似を……」

 吐き捨てる男は直前で気付き、進路を下方へと変更していたのである。

 だが、かれんはそこである事に気が付いた。

 ――もしかして、気配が感知できてないのかも。

 相手の出方をうかがっていた最初と違い、朱音も涼子も遠距離攻撃で撃ち落とすように攻撃をシフトしている。

 相手の動きに、だんだんと慣れてきたのもあるのだろうが、凄まじい適応力だ。だからこそ、承認ランク-Bという評価をもらっているのだろう。

 それはさておき、速度を重視した朱音の雷華は盾で防いでいるのだが、その盾を回り込んでいる涼子の式神への反応はかなり遅い。

 それも、目で見てからかわしているような気がする。

 そしてかれんの記憶によれば、造反者は本来戦闘を得意とする術者ですらなかったはず。

 ――だったら、あの戦闘力は何らかの方法で付与されたもの。それなら、気配を探れないのも、あるかも…………。

 そうと決まれば、あとはタイミングだけだ。

 光学迷彩を使えばより確実なのだが、そこまでする余裕はない。次に瑞姫を使えば、体力・精神力共に限界に達して、無幻鎧装(レアリ・ハーツァー)は消失するだろう。

 ただでさえ低い能力が、劇的に低下するのは避けられない。

 だから、この一回を確実に決めなければ。

「辰翠、頑張って!」

「もーやっとるがな!」

「雷華、四ノ陣――螺!」

 天燕(アマツバメ)よりも更に速い雷槍が、轟音を引き連れて宙を穿つ。

 それを超常的な動体視力で捉え、男は鋼の盾を構成した。

 この辺の一辺倒すぎる対処も、戦い慣れていない証拠だろう。

 ――今!

 かれんは翼を力いっぱいはためかせ、盾の正面から一直線に男へ向かって上昇した。

 翼からも力を放出し、更にブーストした風の力で自らの身体を押し上げる。

 あまりの加速度に、意識が飛びそうだ。

 しかし、自分が相手の翼を封じなければという思いが、ギリギリのところで意識を繋ぎとめる。

「かれんちゃん!」

「ヤバい、黒鴉(クロガラス)! 避けて!」

 放電しきった空間へと、かれんは全速力で飛び込んだ。

 既に式神を放っていた涼子は、慌てて軌道変更を行う。

 ――集中、集中……。

 瑞姫の先端に、鋭い氷の刃を作り出し、ありったけの力を込めて……。

「はぁあああああああああ!!!!」

 男は鋼の盾を解体した瞬間、驚きに目を見開く。

 一メートル足らずの距離に、さっきまで手も足も出なかった非力な少女がいたのだから。

 しかし、

「カカカカッ!」

 なんと男は、それに反応して見せたのだ。

 突き出される瑞姫を、腕を上げ、片翼を翻してかわしたのである。

 男の口元に、嗜虐的な笑みが浮かんだ。

「コんな場所(とコろ)に来た事、精々後悔すりゃいい。野蛮人!」

 自分の脇の下を通り抜けていくかれん。男はそれを追って、自身の身体を回転させながら歌仙を突き出した。

「あ゛ぁぁァアアアアアアアアアあああああアアアッッ!!!!」

 悲痛な叫びに、気分が高揚する。

 憎たらしい相手の悲鳴の、なんと心地良い事か。

 男は右手に広がるくちゃっという感触に、思わず笑い声が漏れた。

 歌仙はかれんの右翼を貫き、背後の高層ビルに縫い付けているのだ。まるで罪人を戒める十字架のように。

 これで笑わずにいろというのが、どだい無理な話である。

「カカカカカッ! 無様だな、ヤガミの面汚し。貴様にはお似合いの格好じゃないカ!」

「あ゛あ゛ぁ゛ッ!! グァアアアアア、ぁぁ!! ………………あぐぅぅぅ!? ぁ…………ァぁ……………………ガァアアアアア!!!!」

 男は更に鋼の杭を構成すると、それをかれんの両翼めがけて撃ち出した。

 まるでへちゃげたトマトのようにぐちゃりと肉が裂け、じくじくと血が滲む。

 滲んだ血は純白の翼を赤く染まる。まるで大きくなる痛みを表しているかのように、赤い部分がどんどん広がっていく。

「かれんちゃん!」

「やめろ、この下衆野郎!」

 涼子が叫び、朱音は男に怒りを露わにする。だがそれも、今は男を楽しませるスパイスの一つに過ぎない。

 右翼に三本、左翼にも三本。計六本の杭が、かれんの翼に撃ち込まれていた。

「あ゛ぁぁあああァァァアああああァああ!! ひぐぃぅぅぅ…………」

 男は更に歌仙を捻り、かれんに苦痛を与える。

 さながら、堕天使の裁判のような光景だ。

 だが、堕天使に下される判決は、決して軽いものではない。

 集中力の切れたかれんの身体から、まるで解け出すように巫女装束が消失する。

 無幻鎧装(レアリ・ハーツァー)の消失したかれんに、もはや戦う力は残されていなかった。

「……どう、して。こんな……こと」

 激しい痛みに耐えながら、かれんはなんとか声を絞り出す。

 その痛々しい姿に調子をよくした男は、まるで自慢話でもするかのように語り始めた。

「どうしてだぁ? なんてコたぁない。タダの憂さ晴らしダヨ」

「ただの、憂さ晴らしって…………。なんで、そんなヒドい事」

「酷いだぁ? 本当に酷いのは人間共の方だろぅガ!」

 声の質が、いきなり変わった。

 笑い混じりだった声が、いきなり攻撃的なものへと変貌したのである。

「あの女、俺の最高傑作を、ぶっ壊しやガったんだぜ」

「あの、女」

「そぅだよ! お前もあの場所にいたカら知ってんだろ。あの女、草壁玲奈(●●●●)をょお!」

 その瞬間、全てのピースがかれんの中で繋がった。

 八年前、和神家の保管してある妖刀の見学に行った日の事。男の言う『あの女』の使う妖刀の下調べに行った日の事だ。

 確かにあの日、かれんは目撃した。

 これはどうかと差し出された刀が、あの人に付いてこられずに壊れてしまった様を。

「『こんなのじゃ、全然足りない』だぁ? ざけんじゃねぇよ! 俺の最高傑作を!」

 単なる八つ当たりでしかない。

「空も飛べねぇ、自前で魔力の生成すらできねぇ人間(下等種)の分際で、翼の民()に意見してんじゃねぇよ!」

 自身の鍛えた刀の力が、あの人に追い付けていなかった。

 ただ、それだけの事なのに。

「ダ~カ~ラ~サァ~、気持ちよカったぜ? バカ面晒した人間共を、ぶった斬るのはよぉ。もぉ、何十人斬ったのカ、わカんねぇわ」

 余りにも幼い、自己中心的な思考。

 人間だから凄いとか、翼の民(フリューゲラ)だから優れているとか、そんな比較に意味はないのに。

「……がぅ」

 だから、かれんは男の所業も、その考えも許せなかった。

「ちがう!」

 まるで、自分と美玲が今まで築き上げてきたものが、根底から否定されているようで。

「私達は、そんないがみ合う、関係じゃ……ない!」

 人間と翼の民(フリューゲラ)は、決して相容れられない存在ではない。互いに手を取り合う事ができ、助け合える存在であるはずなのだ。

「魂まで人間に穢れされてる貴様に、今更何も求めんさ。異郷の野蛮人」

 男は左手をかれんの顎に添え、くいっと自分の方を向かせた。

 翼をビルに打ち付けられ、激しい痛みで悲鳴を上げたいはずの碧の瞳には、明確な怒りの感情が見て取れる。

 面白くない。ここまでされて、まだこんな態度を取っていられる、八神の名を騙る野蛮人が。

「丁度いい。そろそろ、誰カ斬り殺してみたいと思っていたところだ」

 男はおもむろに、翼から歌仙を引き抜いた。そして、かれんの胸倉をつかみ、心臓の真上に切っ先を向け後方いっぱいまで歌仙を引き絞る。

 最高潮に興奮しているせいか、息は荒れ、口の端からはだらしなくよだれまで垂らしていた。

「歌仙の斬れ味、貴様で試してやる。ありガたく思うんだな」

 速まる鼓動、噴き出す冷や汗。

 抑えきれないほどの恐怖が、かれんの身体を縛ろうとする。

 しかし、

「そう、ですね」

 恐怖よりなお強い感情が、かれんの身体を突き動かした。

 美玲との絆を侮辱されたままで、いいはずがあろうか。

 自分の尊厳は、何と言われようとかまわない。

 だが、大切な友人の尊厳を傷つける事だけは、絶対に許してはならないのだ。

 かれんの憧れるあの人に、せめて気持ちだけでも近付くためにも。

「おかげで、助かりました」

 真っ青なかれんの顔が、不敵に笑う。

 その次の瞬間、男の翼から氷の刃が生えた。

「グァアアアアアァァァァアアアアアアアアア!?!?」

 二本、三本、四本と、氷の刃が男の翼を射抜いたのである。

「これだけ、近くに来て、いただけたら……。外しようが、ないですから…………」

「こんのぉ、野蛮人ガァァアアアアアアアアア!!」

 辛うじて飛行状態を保っていた男は、再び歌仙を振りかぶり、躊躇なく突き出した。

 だが、

「ふっざけんなぁああああああ!」

 それはすぐ近くで爆散したビルの破片によって、阻まれてしまう。

 なんと下から中の階段を伝って上ってきた朱音が、二人の気配を頼りに近くの壁を拳でぶっ壊したのである。

 そして、それは同時に合図でもあった。

「流陣、急々如律令!」

 二枚の護符を通して構成された水の盾。

 その盾が出来上がった瞬間、今度は男へと全方位から式神が襲いかかる。

 おおよそ一〇〇体に届くのではないかと思われる、式神の怒涛の爆散攻撃。機関銃のような連続した爆発音が、二人の鼓膜を震わせた。

「ごめんね、かれんちゃん。痛い思いさせちゃって」

 朱音は身を乗り出すと、次々と翼に打ち付けられた杭を外してゆく。

 その度にかれんは小さな悲鳴を上げ、痛みに顔を歪めた。

 極上の肌触りだった天使のような翼は、今は穴と血で見るも無惨な姿になっていた。

 あまりにも酷い傷に、朱音は怒りすら通り越して強くかれんを抱きしめる。

「大丈夫です。翼、痛みの感覚も、身体に比べて鈍いですから。それに……約束。ちゃんと、守りましたよ」

 かれんが見送る視線の先には、撃墜されて降下してゆく男の姿が映った。

 かれんと同様、もう翼は使える状態にない。

 空を封じたこの状態なら、涼子や朱音も十分に対処が可能だ。

「それに、時間はかかりますけど、翼の傷は、治りますから。また、飛べるようになります」

 かれんは翼をしまい、瑞姫を護符の中へと戻すと、朱音の胸へと身体を預けた。

 あまりの痛みに感覚が麻痺して、身体を動かすのも物を考えるのも億劫だ。

「わかった。じゃあその時は、私も一緒ね。大鷲(オオワシ)、完璧に使いこなせるようにしておくから」

「はぃ」

 ――後は、私達に任せて。

 朱音は気休め程度だが、傷を癒やす結界空間を形成すると、地上へ向かって走り出す。

 全ての決着をつけるために。



「よっしゃぁああああああ!」

 ついに式神の決定打を打ち込めた涼子は、思わずガッツポーズを決めた。

 かれんの事は、朱音がなんとかしてくれるだろう。翼はぼろぼろになってしまったが、治せないわけではない。

 となれば、今の自分の役目は、

「さて、うちの後輩ぼこってくれやがった分、利息込みできっちりお返しさせて頂きましょうか」

 たった今撃墜した敵を、完膚なきまでに叩き潰す事。

 ただし、きっちり罪滅ぼししてもらうために、生きててはもらうが。

「畜生ガぁ……。とんだ厄日だぜ」

「そんじゃ、厄日ついでに捕まって頂きましょうか。和神さん()の不届き者さん」

 アスファルトの上でべったりと倒れていた男は、重そうな身体を持ち上げた。

 翼を貫いていたかれんの氷は、既に消え去っている。穴の開いた血塗れの翼は、怒りと痛みのせいでなわなわと震えていた。

 男はなわなわと震える翼をしまうと、涼子をにらみすえる。

「人間風情ガ、舐めた口を聞クんじゃねぇ!」

 露骨に怒りを表す男は、歌仙を片手に涼子へと斬りかかる。

 翼を使えなくとも、肉体を強化できる能力は健在。朱音にも劣らぬ速度で、男は突っ込んだ。

 しかし、

「朱音さんとやり合っててホント、よかったですよ!」

 朱音よりは決して速くも、ましてや強くもない。

 男にとっては渾身の突きも、涼子は側面から綺麗に小太刀の峰を当てて弾き飛ばす。

 そして、そのままコマのように回転し、もう片方の小太刀の柄を男の後頭部へと叩き込んだ。

「あグぅっ!! おのれぇ……」

「っちち、肉体強化してるだけあって、さすがに頑丈ですね」

 男は後頭部を押さえるも、さしたるダメージは見られない。代わりに涼子の手首には、じぃぃんと熱を持った痛みが停滞する。

 今ので少し痛めてしまったようだ。

 だが、戦闘に支障は…………ないと思っておこう。

 ――でもま、護符を使うだけの余裕はなさそうですね。

 完全にぶち切れた男は、その怒りを剥き出しにして襲いかかってくる。

 型はなってないが、力任せの分だけ(たち)が悪い。

 一般人なら力任せと言ってもたかが知れているが、術者にとってはそうもいかないのだ。

 涼子は不規則に振り回される歌仙を回避しながら、決定的な隙をうかがう。

 ――にしても、この気配……。あの時の鬼で間違いないとは思いますが、どうして。

 歌仙の殺傷圏のギリギリ外をキープしながら、涼子は相手について思考を巡らせる。

 二ヶ月前の鬼との戦闘では、確かに完全討伐した。恐らくいたであろう協力者については逃げられたが。

 そして、今回は和神家の管理していた妖刀――歌仙――を関係者が持ち出して、無差別通り魔事件を引き起こす。目的は不明。

 一件接点はなさそうであるが、この二つを仲介する人物がどこかにいるはずである。

 ――もしかして、この前逃げられた協力者? でも、それがどうして……。

 だがそれも、憶測の域を出ない。やはり、生け捕りにして、洗いざらい吐かせるのが一番の近道だろう。

 身体を丸め横薙ぎをかわしつつ、涼子は最大限に強化した身体で肘打ちを男の腹部に叩き込んだ。

「ガハっ!?」

 更に畳みかけるように膝蹴り、回し蹴り、後ろ回し蹴りを連続で叩き込む。

 男の身体はアスファルトの上を何度も跳ね、口や鼻から血を噴き出した。

 膨れ上がる、憎悪と殺意。それに呼応するかのように、滲み出る鬼の邪気も増えてゆく。

「ガハァァアアアアアアアアッ!!!!」

「なっ!?」

 先ほどまでと比べて、男の動きが格段に速くなった。

 原理はわからないが、鬼の邪気と肉体強化の強度は比例関係にあるらしい。

 魔術師の本能とも呼べる直感でなんとかかわしたが、左の二の腕が斬られた。

 あまりに速すぎたせいで一瞬痛みを感じなかったが、まるで焼き鏝を当てられたかのような熱い痛みが遅れてやってくる。

「っつうぅぅ……」

 想像以上に傷が深そうだ。いくら押さえても、血の止まる気配がない。

 涼子の意思に反するように、手から小太刀が抜け落ちた。

 幸いだったのは、利き手でない左手を怪我した事か。先に手首を痛めたのも左手だったので、不幸中の幸いとはよく言ったものである。

「っとにもぉ、こりゃ、ちょっと本気(●●)出さなきゃイケナイじゃないですか」

 涼子は使えなくなった左手は無視して、右手一本に意識を集中する。

 その手に握るのは、火凛(かりん)。朱音の明月同様に、八神隆弘の手によって鍛えられた一振である。

 その能力は、

「朱音さんにはナイショで、コッソリ練習してたんですけどね」

 炎による浄化の力。

 巫女による禊ぎを受けた刃を、更に焼き祓う事に特化させたものだ。

 浄化の能力という意味では、朱音の明月の姉妹といったところだろう。

 火凛の刀身を覆い隠すように、涼子の霊力を吸って浄化の炎が生み出された。

「これでも、喰らえ!」

 乱暴に振られた火凛。その刀身から、十数発の炎の弾丸が放たれる。

 男は鋼の盾を張って防御するも、涼子はここぞとばかりに次なる技を放つ。

 ――ちょっと、名前借りますぜ。

飛炎(ひえん)、三の太刀――茜穿(あかうがち)!」

 超高密度の炎の槍が、突き出された火凛の先端の先端から放たれた。

 その名に違わず、“茜”色の槍は鋼の盾をあっさりと“穿”つ。

 直前で気付かれてかわされてしまったが、もはや男に防御の手段はなくなってしまったと言っていい。

「鳳仙花だけじゃなくて、茜穿まで。勝手に人の技コピーするの、やめてくれない?」

「いえいえ、むしろここまで見てコピーしたの、褒めて欲しいくらいなんですけど」

 そしてついに、戦場へともう一人の陰陽師が現れた。

 まるで死刑の執行人のように、その人物は刀を構える。

 刃渡りは八〇センチ超。バチバチと雷光をまき散らし、鋭い眼光で男を見据える。

「これで、終わりね」

 草壁朱音は、全速力で男へと突っ込んだ。




 男の想像していた以上に、朱音の動きは早かった。

 いや、自分が朱音より速く動けなかった、と言う方が正しいだろう。男の機動力の大半は、翼によって得られていたもの。

 それがなくなってしまった今、男にはどうする事もできなかった。

「このっ!」

「弐ノ陣――(つむじ)!」

 鋼の刃を撃ち出すも、あっさりと防御術で防がれる。

 朱音は攻撃の過ぎ去った瞬間に雷の盾から出ると、一気に男の懐へと跳び込んだ。

 そのあまりの速さに、男は目を見開く。

 涼子でもなかなか速いと思っていたのに、朱音は更に速かった。

 霞むように動く朱音。その肘打ちが、男の腹部を撃った。

「壱ノ陣――閃!」

 地面をバウンドする男へ、追い討ちをかけるように雷撃を放つ。

 地面を這うように広がる雷撃が、男の身体を撃った。

「クソ、ガァ……。また、しても、草壁の女に……」

「知らないわよ、あんたが怨んでる草壁の誰かさんなんて。てか、器ちっさ過ぎるっての。一方的に人間見下してんじゃないわよ」

 一方的としか言えない展開に、男は奥歯を噛みしめる。

 翼というアドバンテージがなくなった瞬間、ここまで押さえ込まれるなどと思っても見なかった。

 戦闘経験の差が、露骨に現れてしまったというわけだ。

「歳星の気を宿せ。辰翠、気張なよ」

「まかしときぃ」

「そろそろ、終わらせて頂きましょうか」

 朱音の小狐丸は雷光を纏い、涼子は紅椿を回収しながら男へ近付く。

 男の顔が、初めて恐怖に引きつった。

 嫌ダ、憎い、殺しタい、捕マりタくナい、死にタくナい、チカラガ欲しい、チカラガ、チカラガ、チカラ…………。

 ありとあらゆる感情がごちゃ混ぜになって、男の心を埋め尽くす。

 その希求に答えるかのように、自分の中に居る別の誰かが言った。

 ――ナラバ、カシテヤロウデハナイカ。キサマノモトメル、チカラトイウヤツヲナ。

「ヌアァァァアアアアアアアアアアアア!?」

 その瞬間、男の心が何者かによって塗りつぶされた。

 どす黒い負の情念が、濃厚な怨み辛みの全てを覆い尽くす。

「朱音さん、もうなんかよくわからなくなって来たんですが」

「最後の悪あがきでしょ。どのみち、二ヶ月前の方がずっと危ないヤツだったわよ」

 姿形は変わっていないが男の気配は完全に消え去り、鬼の気配だけが周囲の空間を浸食する。

 それでも、危険度ならばあの時の鬼よりずっと低い。

「それじゃ、仕上げといきますか」

「そうね。涼子さん、左腕は大丈夫?」

「全然。ですから、終わったら優しく介抱してください」

「なら、ちゃっちゃと済ませるわよ」

 朱音は下肢に力を込め、一気に解放する。

 放たれた矢のように突き進む朱音は、一瞬にして男を小狐丸の射程圏に収めた。

「ウガァアァァアアア!!」

 男はそれに応じて、歌仙を力任せに振り下ろした。

 朱音はその軌道を正確に見切り、横方向へと弾き飛ばす。

 もはや、男の顔に理性のような物は見られない。まるで獣のような、剥き出しの闘争本能があるだけ。

 ただし、速度もパワーも先ほどまでより上がってはいる。

「チェイサァァァアアアアア!」

 歌仙があらぬ方向へと向いている隙に、涼子は朱音の股の間から滑り込み、男の顎を蹴り上げた。

 涼子の下半身は不自然なほど浮き上がり、男は大きくのけぞる。

 その飛び上がる涼子の下をくぐって、今度は朱音が男の懐に跳び込んだ。小狐丸を左手に預け、全力の掌底を腹部にぶちこむ。

 男の肺の中の空気は問答無用に外部へと押しやられ、強すぎる衝撃にふっと身体が浮いた。

「まだまだぁああああ!!」

 そこへ上から降ってきた涼子が、踵落としを放つ。

 目標は歌仙を握るの右手。狙いを違う事なく、涼子の踵は男の右手首を撃った。

 本人の意思とは無関係に、歌仙が宙を舞う。

 そして限界まで地に伏した涼子の上を通って、朱音は最後の一撃を加える。

 地面を震わす力強い踏み込みから得られた膨大なエネルギーを、左肩のタックルに根こそぎ注ぎ込んだ。

「ゲハッ!!」

 大型トレーラーにでも跳ねられたかのように、男の身体がぶっ飛んだ。

「いぇ~い! やるじゃないですかぁ、朱音さん」

「そっちこそ。あんな曲芸みたいな動き、私にゃできないわよ」

 ぱちーんと、ハイタッチ。息をつかせぬ連続攻撃に、何が起きたのか理解できなかったであろう。

 あれだけ脳を揺さぶって体内にダメージをぶちこめば、しばらくは動けないはずである。

 内臓破裂とかしていないかどうかが、心配ではあるが。

「みなさん、お手数おかけしました」

 すると上の方から、弱り切った声が近付いてきた。

 思わず上を見上げると、傷付いた翼のまま降下してくるかれんの姿が映った。

 まるで力を失ったように突然落下してきたかれんを、朱音は寸前で抱きとめた。

「かれんちゃん、無茶しちゃダメじゃない! 翼、酷い怪我してるんだから」

「そうですよ! まったくもう!」

「大丈夫です。朱音先輩のお陰で、だいぶ楽になりましたから」

 かれんは翼をしまうと、男の方に向かってとぼとぼと歩き始める。

 朱音も涼子も、その後ろ姿を追って例の男に近付いた。

「ったく、面倒かけてくれちゃって」

「ですねぇ。ホント、あたしらの友達を襲おうとか、何考えてんだか」

 白眼を向いて泡を吹く、哀れな男の姿が目に映る。

 しかし、かれんは表情を引き締めたまま、こう続けた。

「まだ、終わりじゃありません」

 気の抜けた表情のまま固まっている二人に振り返り、かれんは言葉を繋ぐ。

「この人の中から、邪気を完全に消し去ります」

 そう言うと、かれんは朱音の明月にそっと手を触れた。

「えっと、明月(これ)で、できるって事?」

「はい」

 朱音は左手で、ゆっくりと明月を抜き放つ。小狐丸とよく似た刀身を持ち、しかし浄化の能力に特化された刃を持つその刀を。

「明月は、その能力を最大限まで使えば、肉体を傷付けずに内部に巣喰っている霊的存在のみを斬る事も可能です。そういう風に作られた刀ですから」

「これって、そんなにすごい刀だったの……」

 ただの浄化能力があるとしか聞いていなかったが、まさかそこまでの事ができるとは。

 再び朱音の中で、罪悪感が強くなる。今回隆久に頼まれたかれんの手伝いは、小狐丸の修理費や明月の費用の代わりのようなもの。

 話をかれんの口から聞いた時は、ちょっと割に合わないかも、とも思っていたのだが。

 どうやら明月は、朱音の想像していたより遙か上の能力を有しているようだ。

「丁度良さそうなので、明月の方にも雷を。私が、制御のお手伝いをします」

「わかった。辰翠、できる?」

「まかしときぃ。こないな可愛い嬢ちゃんに頼まれて、断れるわけおまへんやろ。あ、嬢ちゃん嬢ちゃん、今度翼でもふもふさしてくれるぅ? わしは辰翠ゆうてなぁ…」

「いいから、さっさとする!」

「へいへぃ」

 かれんは一瞬現れた翡翠色の毛並みをした霊狐に驚きつつも、両の手を明月の柄に添えた。

 その瞬間、朱音にも明確に変化が伝わった。

 ――すごい、力が整えられていく感じがする。

 小狐丸から朱音の身体を経由して、明月にもうっすらと雷光が這い回る。

 それらは更にかれんの制御によって、薄い刃のような形を取った。

「いきます」

「いつでもどうぞ」

 突き出された雷光の刃がグサリと、男の胸に突き刺さった。

「グァアアガウウゥゥァァアゲャアアアァァァアアアア!!」

 全身をガクガクと痙攣させ、もがき苦しむ男。

 だが、薄まってゆく邪気に合わせて、それも収まっていった。

 朱音とかれんは、男の胸に突き刺していた明月を引き抜く。刃には、一滴の血すら付いていなかった。

「お疲れさま、かれんちゃん」

 朱音は二本の太刀をしまいながら、全てが終わった事を告げ、

「ほんと、よく頑張ったね。かれんちゃん」

 そして涼子は、くしゃくしゃとかれんの頭を撫でた。

「はい。朱音先輩、涼子先輩、ありがとうございました」

 結界が解け、あちこちの破壊された世界は消えてゆく。

 人々の喧騒が、自動車の排気音が、だんだんと大きくなってきた。

 それと同時に、ついこの前知ったばかりの、ある人の声も。

「ったく、お前ら無茶しやがって」

 くたびれたジャージの上下を着た、体育教師が現れた。

「いったい誰が結界の補強してたと思ってんだか……」

「コミッチー先生、いつから!?」

「ん~っとなぁ、八神妹が来たくらいから」

 という事はつまり、ほとんど最初からいたという…………。

 三人の間に、ものすんごぉ~くヤバそうな空気が流れた。

 先生も、星怜大に来る依頼内容は知っている。ちょっと調べれば、これが正規の手順を踏まれていない事がバレてしまう。てか、もうバレてても全然おかしくない。

「まぁ、そう固くなんな。何となく事情はわかってるから、帰ったらちゃんと話すんだぞ。んじゃ、八神妹、翼出せ。西行からもらった霊薬あるから、塗ってやる」

 ――にしても、俺以外にも結界支えているヤツがいたが、あいつはいったい。

 気まずそうな空気と苦笑いを浮かべる面々を見ながら、古御門はポケットの軟膏を傷付いたかれんの翼に塗っていく。

 何はともあれ、万事解決しそうで万々歳といったところか。

「で、古御門先生は、日曜日になんの用があって?」

「あぁ、パチンコの帰りだ。また負けちまってさぁ。今週は厄日だ」

 そんな四人の様子を、遠く離れた建物の上からカジュアルスーツを着た女性が見下ろしていた。

 ただし、頭からは黒毛の狐っぽい耳が、腰からはふさふさの黒い尻尾が見え隠れしているが。

 女性は満足げな笑みを浮かべると、夜の闇へと消えていった。




「あのぉ、そろそろ限界なんですけど」

 そろそろ出血の量が危なくなってきた涼子は、顔を真っ青にしながらぶっ倒れたのであった。

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