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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第壱ノ巻~荒ぶるおぞき御魂~
5/55

其ノ弐:手合わせ

 資料棟を出てから二人が向かったのは、大きな大きな、サッカーコート一面分はあろうかという広さのグランドである。

 しかも対物理・対魔術障壁機能を持つ結界を幾重にも張り巡らしているので、内部でなにが起ころうとも、外部に影響を及ほす事はない。

 これなら内部でかなり派手な戦闘をしても、大丈夫だろう。戦闘を主とする術者達にとっては、まさに最高の設備だ。

「へへ~ん、どんなもんですか! これだけ防御を徹底してる所なんて、国内でもそうありやせんぜ!」

「確かにこれは……、すごいわね」

 二人はそんな大きなグランドを覆う、フェンスの前まで来ていた。

 高さはだいたい五メートル。その気になれば、飛び越せない高さでもない。

 もっとも、二人ともちゃんと出入口から入るつもりだが。

「ここは寮から一番近くてね、けっこう自主トレとかに使ってる人も多いんだ。授業や講義で使ってる時は我慢してくれタマエ!」

「わかった。そうさせてもらう」

 朱音はひしひしと伝わってくる結界の強固さに感心しつつ、境界ライン(フェンス)の内側へと入った。

 するとどうだろう。寒気や悪寒とも違う、なにか別種の感覚が朱音の肌を這い上がってきたではないか。

 まるで背中を習字筆でくすぐられるような、そんな感覚だ。

 それはつまり、朱音の身体が結界内部に侵入した事に他ならない。

 その感覚だけでも、どれだけ強力な結界であるのかよくわかる。

「あれ、誰かいるみたいだけど」

 と、朱音は遠くの方に複数の人影を確認した。

 人数は、一、二、三……六人。しかも、一対五の大立ち回りだ。

 身長的に、中学生くらいか。例えそうだとしても、五人を相手にするのは自分でも難しいだろうな、と朱音は思った。

「えっと、朱音さん今って何時?」

「……十時半」

 朱音は薄型の赤い携帯電話を開いて、時間を確認する。

 未だ初期設定時のモザイク画みたいな待ち受け画面の片隅には、黒く小さなデジタル時計が表示されている。

 家族写真でもあればいいのだが、夏休みまで帰れそうにないのでそれまで我慢しなければ。

 ――はぁぁ、昶どうしてるかなぁ。早く逢いたいなぁ。

 そんな風に、朱音の思考が、大切な弟の事を考えてトリップしている時だった。

「土剋水、土涛――急々如律令!」

 朱音と涼子の視線の先で、ドッと土煙が巻き上がる。

 しかも、それで終わりではない。

 土煙の中心から、一つの人影が飛び出したのだ。

 明らかにフェンスより高い位置を飛んでいる。

「あ、やっぱり美玲(みれい)ちゃんだ」

 目を凝らして土煙から飛び出した人影を見て、涼子は確信した。

「みれい、ちゃん?」

「そう。いっつもこれくらいの時間に練習してる、中等部三年の子。あぁ、四月からは高等部一年か。たぶん、後輩の指導だね。美玲ちゃん優秀だし、後輩の面倒見もいいから」

「へぇぇ」

 朱音と涼子は着地した女の子――美玲――の方を眺めながら、フェンス沿いにそっちの方に向かって歩いていった。

 身のこなしが、他の五人を完全に圧倒している。まるで大人と子供のようだ。

 しかも驚きはそれだけではない。全員が真剣を使っているようなのである。

 春のまだ弱い陽光を全身に受けながら、重たそうな木刀を振るっている。

 朱音は思わず、自分の背中に背負っている竹刀袋に触れた。

 人目を気にして腰ではなく背中に背負ってはいるが、そこには先日餓鬼を祓った時に使った日本刀が納められている。

 木刀は互いに刀身をすり減らしながらぶつかり合い、かんかんと鈍い連続音をまき散らす。

 五人を相手に一人日本刀を振り回す女の子(美玲)に、朱音は思わず見とれていた。

 約束組み手のように相手の刃をひらりとかわし、受け流し、そして(しゅ)を唱える。

 その動作があまりにも優雅で、まるで演武かなにかを見ているかのようだ。

 するとそんな演武の中心にいる少女と、朱音の目が合った。

「あ……。やめ!!」

 こちらに気付いたらしい。朱音はちらりと隣を見ると、涼子が小さく手を振っている。

 鈴を鳴らしたかのような、可愛くもあどけなさを残す声が無機質なグランドに響き渡った。




「おはようございます、猫屋敷先輩」

 五人を相手にしていた女の子――美玲――は、挨拶と同時にぺこりとお辞儀した。

 ちょっと日に焼けて赤くなった髪を、純白の髪紐でツインテールにまとめている。人懐っこそうなクリクリとした瞳が、なんとも可愛らしい女の子である。

 見た目とその仕草から示すように、とても礼儀正しい子のようだ。

 それから美玲の後ろにひかえていた五人の子達も、姿勢を正して頭を下げた。

 女の子三人と男の子二人に美玲も含めて、全員が動きやすそうな学校指定のジャージを着ている。学年ごとに色が違うらしく、青と赤と緑の三色があった。

「美玲ちゃ~ん。“猫屋敷先輩”だとあたしの弟もいるから、名前でいいって言ったでしょ」

「す、すいません、涼子先輩。最近お会いする機会が少なかったので、つい」

 美玲はちろっと舌を出して謝る。その仕草がまた、幼さの残る顔立ちと相まって可愛らしい。

 と、またそれが涼子の変なスイッチを押したらしく、

「可愛い! 萌える! お持ち帰りしたーい!」

 朱音は涼子を羽交い締めにして止めた。

 涼子がこういった発言の次に取る行動は、先刻学習済みだ。

 出会って数時間の人間にこんな事をやらせるとは、色んな意味ですごい人物である。

「ぐ、ぐるじいれす、朱音さん……」

「このままほっといたら、涼子さんまた変な事しでかすでしょ?」

「ぞ、ぞんなごとは、ないと、思いますぜぇ……」

「はいそこ嘘つかない」

 とりあえずいったん落としておこうか朱音が真剣に迷っていると、美玲を始め六人が自分の方をじっと見つめている事に気付いた。

 そういえば、自分はここでは新入りなんだっけと思い至る。

「っぷはぁ、脱っ出!」

 朱音がそちらに気を取られている間に、涼子はまるで猫のように腕をすり抜けた。“猫”屋敷だけに。

 そのまま涼子は朱音の後ろに回り込むと、両肩を持って一歩前に出させた。

 そらから朱音の肩に顎を乗せ、にぃっと六人に笑顔を向ける。

「こちらぁ、草壁朱音さん」

 後輩六人は朱音に向き直ると、背筋を正して再び綺麗に一礼した。

 朱音もつられて、ちょこんと頭を下げる。

「今年から大学の総合学部陰陽科に在籍する事になったから、きっとちょくちょく会う事になると思うよ。あ、表向きは古典文学科らしいけど」

「ちょくちょく? 中等部と高等部の子と?」

「まあ、それは学校始まってからのお楽しみって事でぇ」

 と、はぐらかした所で、

「美玲ちゃん、ちょっとここ借りていいかな?」

 涼子はこれまでのちょっとおちゃらけた雰囲気とは違う、含みのある視線を美玲に向けた。

 そして美玲も、涼子の視線からなにかを感じ取ったらしい。

 こちらも含みのある笑みを、ちらりと朱音に向けてきた。

「はい。みんなばててきたみたいなんで、丁度良いです」

 と、短いやりとりを終えた所で、涼子はひょこっと朱音の前までやって来て、

「せっかくなんで、ちょっとやってみませんか?」

 なんて言う。それは正に、獲物を狩る時の(狩人)の目だ。

 一方で、朱音の方もにやりと口元に笑みを浮かべる。

 自分こんなに好戦的な性格だったかなとも思ったが、それは一旦保留でいいだろう。

「ちょうど寮がすぐ近くにあるんで、ちょっくら待っててくださいね」

 涼子は寮側のフェンスから外に出ると、装備を整えるべく自室に向かった。




「制限時間は十分。先に急所を取った方が勝ち。美玲ちゃん、審判と時間の計測お願いね」

「はい、わかりました」

 数分後、完全武装状態の涼子が帰って来た。

 服装はそのままだがポーチが増設されており、そのベルトには二本の小太刀と薄いカードケースのような物が左右にぶらさがっている。

 一方で朱音の方も背負っていた日本刀――刃渡り約八〇センチにもなる太刀を腰にぶら下げ、邪魔なコートは近くのベンチにかけてある。

 その下のフリースもコートと一緒にベンチにかけ、今は黒地にラメを散らしたプリントTシャツにジーンズ、そしてポーチといういで立ちだ。

 しかも袖を肘までまくった臨戦態勢である。

 どちらも、戦闘準備が完了した。

「涼子先輩、草壁先輩、準備はよろしいでしょうか?」

 美玲は涼子と朱音に、最後の確認を取る。

「ばっちこーい!」

「こっちも大丈夫」

 二人はそろって、即座に問題なしと返した。

 距離は約十メートル。

 両者共に棒立ちの状態で、得物には触れていない。

「では、はじめっ!」

 美玲のかけ声と共に、猛烈な勢いで霊力が空間に溢れ返った。

 朱音は太刀を、涼子は二本の小太刀を握り、同時に駆け出す。

 差異はあれど、どちらも肉体強化の術式を有する身。十メートルの距離など、二人にとってはないも同然だ。

 一瞬早く涼子が自分の間合いに踏み込んだ刹那の間に、朱音は太刀を上段から勢いよく振り下ろす。

 だが涼子も、後ろにふりかぶっていた両の小太刀を、交差するように振り上げた。

 ガキィと、打ち下ろされた太刀と、×字に交差された小太刀とが重たい音を奏でた。目測で、刃渡りはだいたい五〇センチほどか。

 肉体強化の強度の違いから、涼子の方がわずかに膝を屈した。

「っ!?」

 だが、朱音は力押しせず大慌てで後退する。

 それと同時に、腰に巻き付けてあるポーチへと左手を伸ばした。

「金剛――急々如律令!」

 ポーチから護符を一枚取り出しながら、呪を唱える。

 前方へと差し出された左手の先端に五〇センチ四方の鉄板が生まれ、前方から飛来した物体――紙でできた鳥――を弾き飛ばした。

「ほぇぇ、すんごい反応速度。もしかしたらって思ったけど、本当に防がれちゃったよ」

 てへへとおどけて見せる涼子であるが、視線はぴっちりと朱音に合わせたまま。

 小太刀の方も胸の前で八の字に構えていて、まったくスキがない。

 まったく、とんだ食わせ者である。

「そりゃ、顔見たら護符くわえてるんだもん。びっくりしたわよ」

 朱音は左手をだらりと垂らし、半身を出して右手一本で正眼に構える。

「まさか防御の瞬間にカードケース(そこ)から護符を抜いて、口にくわえるなんてね」

「やだなぁ、くわえるなんて。式に力を注いでただけです、よっ!」

 と、涼子は予備動作もなしに、右手の小太刀を朱音に向かって投擲(とうてき)したのだ。

 無論、朱音はそれを太刀で簡単に弾くのだが、涼子はその刹那の間に数枚の護符を取り出していた。

「南方朱雀――摩閻(まえん)、急ぎ律令の如く成せ!」

 宙に放たれた三枚の護符は、膨大な熱量を持った火炎へと変換される。

 まるで邪竜を思わせる炎の塊は、巨大な(アギト)を開けて朱音に襲いかかった。

「水剋火、水流――急々如律令!」

 だが、朱音も黙ってはいない。

 ポーチから再び護符を抜き、呪を唱える。

 宙に放たれた護符は水へと姿を変え、涼子の放った炎蛇と衝突。白く煙る水蒸気を伴って、大爆発を引き起こした。

 朱音は爆風に乗って大きく後退し、数度の後転を決めて体勢を立て直した所で前方を見すえる。

 その時目に映ったものに、朱音は今度こそ驚愕した。

「ごらっしゃぁぁああああああ!」

 なんとそこには爆風の中を通り抜け、小太刀を突きの形に構え突っ込んで来る涼子がいたのである。

「残念ねっ!」

 だが、朱音の右腕も反射的に動いていた。

 涼子の突っ込んでくる延長線上に、自らの太刀を突き出す構えをとったのである。

 小太刀と太刀なら、太刀の方が長い。

 これで攻守が逆転、涼子は朱音の攻撃をかわすしかなくなった。はずだった。

「そうでもないですよ?」

 だが、朱音の動きを確認した涼子は、そこからさらに動き出したのだ。

 左の手刀で朱音の太刀を側面から払い、残った右手の小太刀を朱音の頸動脈へと伸ばしたのである。

「ちょっと、制限時間は十分でしょ」

 しかし、本当に驚かされたのは、涼子の方だった。

「そんなに早く終わったら、つまんないんじゃないのよ!」

 なんと、つかんだのだ。

 空いていた方の左手で。

 涼子の小太刀を握る右手の、その手首の部分を。

 太刀は威力が高い分、どうしても重量が重く、扱いも難しくなる。

 威力の低い手刀ではあるが、弾かれれば多少なりともバランスを崩すものなのだが、朱音には通用しなかったらしい。

「はぁああっ!」

 朱音はそのまま身体をひねり、不安定な姿勢のまま左手一本で涼子を背負い投げたのだ。

 涼子は途中で拘束を強引に外し、五、六メートル投げ飛ばされた所でゆっくりと立ち上がった。

「いっちち。こっちも防がれちゃったよぉ。せっかくの三段攻撃だったのにぃ」

 いつの間に回収したのか、投擲したはずの小太刀も握っている。

 回収するのも考えて、突撃角度を調整してきたのだろう。

 戦闘センスは、かなりのものである。

「じゃあ、最初の炎は防がれるのが前提でやったわけね」

「それも考慮してたけど、こっちは二枚(●●)使ったのに一枚で防いじゃうとかどんだけ……」

「そして、高熱の水蒸気を避ける為に、残りの一枚(●●●●●)で水の盾を張って、リーチの長さから突きが来るって予想して横から弾いた、って感じかな!」

 言い終わると同時に、朱音の身体が前方へと射出された。

 まるでカタパルトから発射されたようなさっきまでよりずっと速い速度で走り寄り、またたく間に涼子を射程圏に収める。

 勢いをそのままに空中で身をひねり、前進運動に回転運動の加わった重い一撃。

 辛うじて反応した涼子は自身の右から迫りくる一撃を、小太刀一本でなんとか受け止める。

「うぐっ!?」

 だがあまりの重さゆえに、涼子は自分の意志とは関係なく後方に押しやられる。

 びりびりと痺れている手が、その威力を雄弁に物語っていた。

「朱音さ~ん、ちと重すぎやしませんかえ?」

「これくらいできなきゃ、宗家は務まんないのよ!」

 朱音はポーチから護符を一枚抜き取り、息を吹きかけ宙へと解き放つ。

 放たれた護符は鳥の(かたち)を取って飛翔した。

 名を黒鴉(クロガラス)と呼ぶ。攻撃や偵察に用いる、汎用性の高い式神である。

 朱音の放った黒鴉は、複雑な螺旋軌道を描きながら涼子めがけて突っ込んだ。

「ひゃっ!?」

 涼子は転がるようにして、横方向に大きくジャンプする。

 数瞬前まで涼子の身体があった場所を、朱音の式神が通過した。

 狙いを違えた式神はずぼずぼとグランドに突き刺さり、ささやかな爆煙を巻き上げる。

「ちょっと! 話してる途中に攻撃したら危ないじゃないですか!」

「その前に、戦闘中に話しなんかしないでしょ!」

 意味不明なキレ方をされ、朱音も思わず大声で言い返した。

 まあ確かに、本気で戦っているわけではないのでわからなくはないが、わざわざスキを見せる相手に気を使う必要もないだろう。

「だって悔しいんだもん! せっかく用意してた必殺技、簡単に防いじゃうんだから!」

「私がそんなもん知るかぁああああ!」

「ええい、これでもくらえー!」

 やけくそなのか、それともおつむがぷっつんしたのか、涼子は小太刀の片方をしまい護符を何十枚かまとめて宙に放った。

「猫屋敷流の神髄(しんずい)、しかと刮目(かつもく)せよぉおお!!」

 放たれた護符の一枚一枚には、それぞれ赤い跡が見て取れる。涼子の指を見ると、左手親指に赤い線が一本走っていた。

 血によって、一瞬で多くの霊力を込めているのである。

 命を吹き込まれた護符――それはつまり、

「やっちゃえ! 黒鴉(クロガラス)!」

 式神足り得る存在、という事だ。

 概算で約三〇枚。それぞれが大雑把な鳥の容を取って、バラバラの軌道で飛来する。

「火炎――急々如律令!」

 明らかに、太刀一本で処理できる限界を超えていた。

 ならば答えは簡単だ。斬るのがダメなら、燃やせばいい。

 朱音の放った一枚の護符は、前方に向かって放射状に火炎を吐き出した。

「北方玄武――流陣、急ぎ律令の如く成せ!」

 涼子は大慌てで護符を放ち、水の盾で炎をやり過ごす。

 今のでいくらか式神が焼かれたが、大半は未だ健在だ。

 涼子は二一枚残った式神を、一直線に朱音へと走らせた。

「ちっ」

 思った以上に残ってしまった式神に舌打ちしながら、朱音は後方へと大きく跳躍する。

 跳躍しながらポーチから護符を抜き取り、息を吹きかけて解き放った。

 朱音の放った式神は、同じく大雑把な鳥の容を取って射出され、涼子の放った式神のいくつかを切り裂く。

「朱音さん、そっちにばかり気を取られてちゃ、あたし怒っちゃうよぉ?」

 朱音は慌てて声のした方向を見た。右でも左でも、上でも後ろでもない。

 前方下気味。地面と平行になるまで身体を倒した涼子が、小太刀を突き上げてきていたのだ。

「ごめんねぇ、ちょっとよそ見してたわ……!」

 だがなんと、朱音は涼子からも褒められた持ち前の超反射で、二本の刺突を首をそらして回避したのである。

 そしてそのまま、至近距離にいる涼子に頭突きを喰らわせた。

 両者共にずきんと鋭い痛みが額から頭頂部にかけて迸る。

 一瞬の静寂を置いて、二人そろって大きく後退した。

 それから、

「ぬぉぉおおおおお!」

 と、涼子は痛みのあまり大絶叫。集中力を欠いたせいで生き残った十五枚の式神はただの紙と化し、額を押さえてのたうち回った。

 そしてそれは朱音の方も同じだったらしく、

「涼子さん、どんだけ石頭なの……」

 戦闘中にも関わらず、両手で額を押さえてうずくまった。しかも、少し涙目である。

 さすがにこの展開は、審判役の美玲も見守っていた後輩達も驚きだ。色々な意味で。

「だ、大丈夫ですか……。涼子先輩、草壁先輩」

 美玲は心配から思わず声をかけた。

 見ている方まで痛くなってくる頭突きである。

 美玲はちょっと想像してみたが、すごく痛そうなのでやめた。

「だ、大丈夫、だよ。美玲ちゃん」

「私も、心配、ない」

 涼子も朱音も、無理やり笑顔を抽出して笑って見せた。完全な、痛みをこらえた苦笑いである。

 そんな続行の意志満々の二人を止める事もできないので、

「全部朱音さんが石頭なのが悪い! この借り、一億万倍にして返してしんぜよう!」

「石頭なのはそっちも同じでしょ! あと、一億なのか一万なのかはっきりしなさい!」

 朱音は太刀を涼子は小太刀を両手に握り、再び向かい合う。

 だが向かい合っただけで、正眼に構えたまま動かない。

 隙をうかがっているのだ。五メートル超の距離は、互いに取って必殺の間合い。

 肉体強化術によって人のスペックを大幅に上回る身体能力を持つ二人には、たった一歩で詰められてしまうものでしかない。

「っ!」

 先に動いたのは、朱音の方だ。

 左手をポーチに突っ込み、右手に握った重たい太刀を身体の左側に振りかぶる。

「はぁっ!!」

「っと!?」

 たった一歩のジャンプで涼子を射程圏に捉え、朱音は右手の太刀を横一文字に振り抜いた。

 その距離は涼子の間合いのギリギリ外。朱音の動きをなんとか捉えていた涼子は、屈んで刃をやりすごす。

 先ほど喰らった防御を無視した重い一撃。あんなもの、何発も受けていては腕が保たない。

 だが、朱音の攻撃はそれだけにとどまらなかった。

「てやぁあっ!」

「い゛っ!?」

 太刀を振るった勢いのまま、左足で涼子のわき腹を狙って振り抜いたのだ。

 なんとか腕でガードしたものの、涼子は三メートルほど吹き飛ばされた。

 さらに、

「疾風!」

 左手から二枚の内一枚の護符が放たれた。それも詠唱の大半を破棄した高等技術である。

「のわっ!」

 巨大な空気の塊にあおられ、涼子の身体が宙へと投げ出される。

 朱音はそれを狙い、残りの一枚の護符に息を吹きかけ――式神を射出した。

「こんのおぉっ!」

 空中に投げ出された不安定な姿勢のまま、涼子は小太刀を十字に振るう。

 狙い違わず、朱音の撃ち出した式神を切り裂いた。

「いただき!」

 だが、空中を浮遊している涼子に、朱音の攻撃から逃げる術はない。

「あぐっ!?」

 小太刀を振り切った所を見計って飛び出した朱音は、涼子の腹部に鋭い掌底を叩き込んだ。

 しかし、涼子の方もただやられるだけではない。

「…っ飛翔!」

 地面に伏していた式神の一部が再び息を吹き返し、朱音を囲むように襲いかかる。

「爆!」

 そして、涼子の一言を合図に爆発した。

 白い煙が朱音の姿を包み隠し、ぱらぱらと紙屑が雪のように舞い降りる。

 それを見ていた美玲と、後輩の五人はごくりと生唾を飲んだ。

 掌底を喰らった涼子もけほけほとせき込みながら立ち上がり、爆煙へと視線を向ける。

 一秒ごとに薄くなっていく白煙。涼子は大勢を低くし小太刀を構え、朱音の姿が現れる瞬間を狙う。

 だが最初に涼子の目に映ったのは、朱音ではなく硬質的な鈍色(にびいろ)の塊であった。

 爆発の衝撃で表明が少しぼこぼこしている。

「解」

 鈍色の塊からくぐもった女の声が聞こえた。朱音の声だ。

 それを合図に、鈍色の塊が光の粒子となって空気へと溶け始める。

「まったく、髪紐どうしてくれるのよ。今のでどっかいっちゃったじゃない」

 たった今まで鈍色の塊があった場所には、三つ編みのほどけた髪をかきあげる朱音の姿があった。

 右手の太刀をだらりと下げ、左手で荒れた髪をときほぐす姿は、爆煙の中にあってなお優雅で美しい。

 そんな静謐(せいひつ)と緊張に満ちた空間を一瞬で作り上げた朱音が、ゆっくりと目を見開き涼子を視界に収める。

「あれまで防いじゃうって……。朱音さん、実は人間じゃなかったりとか?」

 涼子は額に汗をべったりかきながら、なんとかそれだけを絞り出した。

「んなわけないでしょ。かなり危なかったんだから」

「またまた~。そんな謙遜しなくてもいいのに」

 何度か深い深呼吸をし、涼子は朱音の目をまっすぐ見すえる。低かった腰をさらに落とし、いつでも飛び出せる体勢を整えた。

 そして涼子を見ていた朱音も、両手で太刀を握る。

 もうすぐ制限時間の十分だ。恐らく、この攻防で決着が付くだろう。




 ――――――――くちっ。




「「っ!!」」

 二人を見ていた、美玲の後輩の一人がしたくしゃみ。

 それをきっかけに、二人の身体が弾け飛んだ。

 ガキィと、上段から振り下ろした太刀と、身体の左側から繰り出された右手の小太刀が衝突した。

 火花が飛び散り、異音を響かせ、踏みしめる大地がきしみを上げる。

 パワー勝負では部のない涼子は、即座に回転運動に切り替えた。

 朱音の押し込む力を逆に利用して、右腕を引っ込めながら時計回りに回転し、左手の小太刀で朱音の首を狙う。

 だが朱音も、涼子が回転を始めた瞬間から太刀を引き、襲い来る小太刀を跳ね上げた。さらにその体勢のまま、左肩から涼子に体当たりする。

 それを読んでいた涼子は、立ったまま膝を限界まで曲げて回避した。

 涼子の視線と朱音の視線が、垂直に交錯する。

「はぁっ!」

 涼子は右膝を思い切り跳ね上げた。

「あぐっ!?」

 腹筋に力を入れたものの、涼子の鋭い膝蹴りに朱音は苦悶の表情を浮かべた。

 バランスを崩した涼子は背中を強く地面に打ち付け、朱音は体当たりの勢いで二回ほど地面を転がり、立ち上がる。

 朱音はクリーンヒットのダメージの素振りも見せず、まだ立ち上がれていない涼子へとびかかった。

 ようやく立て直した所で、朱音の一太刀が涼子へと襲いかかる。




「それまで!」

 美玲の可愛らしくも凛とした声が、グランドを木霊した。

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