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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第参ノ巻~その者、天覇する異郷の民~
45/55

其ノ漆:星の海を背に

 かれんの特製カレーを頂いて少しお腹を休めてから、朱音とかれんは第一実習場に向かっていた。

 日没はだんだんと遅くなっているが、夜間巡回の始まる二〇時前はまだ暗い。

 美玲は後輩に頼まれて一緒に夜間巡回に行くので、今回はいないのだそうだ。

 それはともかくとして、

「かれんちゃん、何で実習場に向かってるの?」

「下からだと、さすがに目立っちゃいますので」

 そう答えるかれんの手には、青色の光源が灯っている。

 それだけでなく、瞳の色は碧に、髪の色は深い水色に変化していた。

 かれんは今、翼の民(フリューゲラ)としての力を使っているのである。

 翼の民(フリューゲラ)の使う霊的な力は、厳密には人間と微妙に異なるらしい。本来なら視覚で認識できないはずの力が光源として見えるのも、その一つなのだそうだ。

 そのお陰で、隠密行動をするのはあまり向かないとの話である。

「目立つって、いったい何する気なのよ……」

 かれんに不審な目を向ける朱音。それに気付きながらも、謎の鼻歌を歌うかれん。

 意図のつかめないままかれんに付いて行き、ついには実習場に到着してしまう。

「さて、着きました」

「いや、それは見ればわかるけど」

 もちろんだが、周囲を見回したところで誰もいない。

 木々の切れ目から、辛うじて都市部の明かりと月や星が見えるくらいで、本当に何も。

 かれんはこんな場所で、いったい何をするつもりなのだろうか。

 そう思っていた矢先、かれんはいきなり上着を後ろにずらし始めた。

「かれんちゃん、何してるわけ?」

 先ほどの間に着替えていたかれんの服装は、背中の大きく開いた髪と同じ色――深い水色――のキャミソールに、ぶかぶかなグレーのチュニック、そして黒のパンツという出で立ちだ。

 かれんの行動に疑問を抱いた朱音であっが、その疑問はすぐさま解決された。

 チュニックのサイズがかれんの身体より二回りは大きかったのも、これなら納得だ。

 ずらしたチュニックの後ろは、まるでイブニングドレスのように大きく背中が露出していたのである。

 朱音の予想を違えず、そこから大きな翼が伸びた。

 片方がかれんの身長より少し長いのを考えると、両翼端の長さは三メートル以上はある。

「ここからなら地上から多少は高度あるので、上昇しきるまでに見つかる心配もありませんから」

 そしてかれんは後ろから朱音の腹部に腕を回すと、にっこりと微笑んだ。

「じゃあ、いきます!」

 ふわり、なんて形容詞は全く当てはまらなかった。

 腹部の重圧に加えて、身体が浮き上がる。

 だが、浮いたと思えたのは最初の二、三秒間のみ。

 次の瞬間には、かれんの身体は大砲よろしく空中へと解き放たれた。




「気分はどうですか? 朱音先輩」

「どうもこうも、すごいとしか言いようがないわよ」

 朱音は前方から叩きつけるように来る風に、目を細める。

 耳元ではゴォゴォと風が通り過ぎてゆき、正直かれんの声も聞きにくい。

 そう。朱音は今現在、天原市上空百メートル付近をかれんに抱えられて飛行中なのである。

 視界の端には、時折羽ばたくかれんの翼が映った。

「それにしても、かれんちゃん、けっこう力あるのね……」

「力を解放すれば、ある程度は肉体が強化されるんです。個人差がかな~りあるんですけど。朱音先輩、琴姉には会ったんですよね?」

 言われて朱音は、先週の事を思い出す。

 涼子に教えてもらって実習場に急行したあの日、特別鬼術科の先輩四人と会った。

 その内の一人を、文佳が『琴姉』と呼んでいたはず。

「確か、勇ましい感じの女の先輩?」

「はい。あの人が、今特別鬼術科で一番肉体強化が強いんです。たぶん、強度だけなら朱音先輩とほとんど同格ですね」

「嘘、そんな強いの?」

「なんのなんの、ガチでやったら朱音先輩勝てませんよ。魔術師の承認ランクに換算すれば、あの人ランクA相当の超武闘派ですから」

 私と同格どころか完全な格上ではないか、と朱音は絶句した。

 日本国内において、草壁家の流れを汲む家系――その中でもとりわけ源流に近い家の宗家が行使する肉体強化術は、国内最強とまで言われている。

 以前涼子の言っていた『接近戦にスペックを極振りしている』というのも、その現れの一つだ。

 それと同程度の肉体を有していると言われれば、誰だって驚くだろう。

 それどころか、承認ランクでA相当はもはや才能の領域だ。一般的な魔術師が、努力でたどり着ける限界点は承認ランクBだと言われているのを考えれば、どれだけすごい事かわかる。

「ところでさぁ、かれんちゃん」

「はい」

「全然関係ない話なんだけどさぁ」

「はい?」

「そんな薄着で寒くないの?」

 はくしょん、と朱音は思わず大きなくしゃみをした。

 探すといっても、まさか空から探す事になるとは思っていなかった朱音は、五月の陽気のせいもあってやや薄着だ。

 地上と違って、上空は予想以上に寒い。長袖のティーシャツを突き抜けて、冷たい夜風がダイレクトに地肌に突き刺さる。

 しかもかれんの場合、翼を展開する都合上、背中を大きくはだけさしているので朱音以上に寒さを感じているはずである。

「そういえば、全然寒くないですね。魔術師さん達とはほとんど飛ばないので、今まで聞かれた事なかったんですけど。朱音さん、もしかして寒いんですか?」

「まぁ、我慢できないほどじゃないんだけど、ちょっと」

 やっぱり、空を飛ぶために最適化された能力か何かがあるのだろうか。

 朱音は若干羨ましいなぁとか思いつつ、ずずずぅと鼻をすすった。

「でもさ、なんで空からなの? 翼の民(フリューゲラ)だからって、ずっと空にいるわけじゃないでしょ? 三月に入寮してから、誰かが空飛んでたのなんて一回も見た事ないし」

 しばらくの間、沈黙を守っていたかれんであるが、意を決したように口を開いた。

「朱音先輩、最近テレビのニュース見ましたか?」

「ううん。仕事で家にいない事もあるし、いても涼子さんがアニメ見るか道具の手入れしてるから、あんまり見てないかも」

「そうですか……」

 不意に、朱音の脳裏に嫌な予感が思い浮かんだ。

 危険な妖刀、テレビのニュース。この二つだけを並べてみても、ニュースの内容が良いものなわけがない。

「ここ最近、“辻斬り通り魔事件”っていう、通り魔事件が報道されているんです。幸い、死亡者はまだいません。ただ、回を増す毎に傷口は深くなっているそうです」

「辻斬り通り魔事件、ねぇ。なるほど、“辻斬り”って言うくらいだから、そんな証拠があるんでしょうね」

「はぃ。被害者の目撃証言によると、市販品の包丁やナイフよりもずっと長い、“刀のような物”で切られたそうです。もっとも、情報の出所は不明で、メディアが面白がって盛り上げてるだけかもしれませんが」

 被害者がみんな刀と思われる物で斬られているらしいから、辻斬り通り魔事件。

 確かに、新聞やテレビのニュースなら面白がって取り上げそうな見出しだ。タイトルとしてもインパクトがあって、思わず目に止まってしまうだろう。

 朱音は携帯電話を取り出すと、辻斬り通り魔事件について検索した。

 検索画面には一面にびっしりとニュースや新聞社の記事、まとめブログ等へのリンクが表示される。

 一番上のリンクを選択すると、最新のニュース記事が開いた。

 一番最近の事件は先週末。たったの三日前にも起きていたのか。

「しかも入念に調べてみると、他県でも同様の事件が起きているのがわかります。これ、見てください」

 かれんは片手で朱音の身体を支えながら、自分のスマートフォンを朱音に見せた。

 そこには天原市周辺の市どころか、県まで含めた大きな地図が描かれている。更に十数個の赤い×印と、赤い●印も一つ。

「×印は、美玲ちゃんに手伝ってもらって調べた、辻斬り通り魔事件と思われる傷害事件の起きた場所。そして、●印は歌仙を封印していた和神家本家のある場所です」

「確かに、きな臭すぎて誰でもそう思っちゃうレベルね。これ」

 赤い●印から天原市まで、一直線に×印が続いているのだ。まるで、誰かが通った跡のように。

 そして絶対中立地帯である天原市内に入ってからは、市街地を避けるように事件を起こしている。

 目的はなんだ。逃走するなら、こういった事件は起こさないはず。

 しかも、襲われているのは術者ではなく一般人だ。確保に向かった術者を返り討ちにしたとすれば、ニュースにはならないが周辺区域に警戒が呼びかけられるはず。

 相手の意図が見えないだけに、まったくもって不気味である。

 だがそれはそれとして、今回の件はとてもじゃないが警察どうこうできるような事件ではない。犯人が術者とわかれば、市長や市議会から星怜大にお声がかかるだろう。

 そうすれば、かれんが八神家から言われている、秘密裏に処理する事ができなくなってしまう。そうなった場合、かれんにどのような罰が下されるのか。

 家から内密に事を任されるというのは、そういう意味だ。言われた事を実行できなければ、問答無用で虐げられる。

 本人の意思など関係なく強制させられ、醜い闇の部分へと染め上げられる。

 本来闇の住人である魔術師が、闇に染まるというのもおかしな話であるが。

「私も飛びながら気配を探しますから、朱音先輩は索敵に集中してください。最悪、見つからなくても向こうは身動き取れなくなるはずですから」

「わかった。一応、下の方も一緒に探してみる」

「お願いします」

 隆久に頼まれて安請け合いしてしまったが、思った以上にとんでもない事件に巻き込まれたようだ。

 自分で決めた事なのだから後悔まではしていないが、肩にかかる重責に思わず嘆息する。

 美玲の部屋で聞いたあれは、無論の事ながら他言無用。仲の良い術者であっても、話してはならない類のものだ。もし話してしまえば、かれんは家からの罰に加えて、規約違反で重いペナルティーまで科せられてしまう。

 自分だけならまだかまわないが、他人を巻き込むのだけはゴメンだ。それだけは、朱音のプライドが許さない。

 もっとも、涼子もいた中で話してしまうかれんも、警戒心が薄いと言えなくもない。

 だがそれは、かれんが涼子を信用している事の現れなのだろう。あーちゃんの会というのは、それだけ特別な存在なのだ。

 それから日付の変わる少し前まで、約四時間の間二人は犯人を探し続けた。もしかしたら、飛行距離にすれば百キロ以上飛んでいたのではなかろうか。

 しかもかれんはその間、一度も休む事なく上空を飛び続けたのだ。朱音は改めて、かれんのタフさに驚かされた。長距離走でもしようものなら、そのまま貧血で倒れてしまうような見た目なのに。

 さすが、翼の民と言われるだけの事はある。

 かれんは飛行速度をやや緩めると、大きく旋回して星怜大へと進路を取った。

「いなかったわね、犯人」

「そうですね。私も先週からずっと探してるんですけど、なかなか。誰も被害に遭わなかったなら、それでもいいんですけど」

 苦笑するかれんに、朱音もそうだねと笑いかけた。

「夜間巡回や教務課からご指名が入らなきゃ、毎日手伝うから」

「はい、ありがとうございます」

「今度から、ちょっと厚着して来なくちゃ」

「そうですね」

 普段と違い、最短コースを一直線に飛行しているお陰で、もう星怜大の校舎がはっきりと見え始めた。

 かれんは最後に進路を微調整し、第一実習場へと降り立つ。周囲は真っ暗で目印もない中、よくもまあ着陸できたものだと感心する。

「さてっと、お風呂入って、寝よっかなぁ。確か、明日提出の課題はなかったはずだし」

 朱音は両肩を抱いて、ぶるっと震えた。思っていた以上に、飛行の寒さが堪えたようだ。

「それじゃ、また明日ね」

「はい、お疲れさまでした」

 こうして捜索一日目は、何事もなく終了した。




 翌々日の水曜日。朱音は午後の初等部指導を終えると、かれんの部屋に向かった。

 昨日は夜間巡回の当番で手伝えなかった分、今日はしっかり手伝わなければ。

 事前に連絡を取ると、今日は自室にいるという事なので、朱音はそちらに向かった。

 一人で別棟の寮に行くというのは、なかなか緊張する。

 朱音は扉の前で何度か深呼吸すると、震える指で呼び鈴を押した。

「…………あれ?」

 十秒ほど待つが、反応がない。

 音は聞こえたから故障ではないだろうし、聞こえなかったのだろうか。

 首をかしげ、もう一回押そうと手を伸ばした瞬間、

「すっ、すいません! ちょっと、お風呂入ってて……」

 身体からぽわぽわと湯気を立たせるかれんが、バスタオル一枚で出迎えてくれた。

「か、かれんちゃん!? とにかく、早く中入って!」

 朱音はかれんを強引に、部屋の中へと押し込んだ。




 その辺に座っていてくださいと言われて、朱音は部屋の真ん中にあるテーブルについた。

 べちゃりと床に座り、上半身をテーブルに預けるだらしない姿勢で、星怜大の術者用ページをのぞく。

 新着依頼一覧に目を通すが、掘り出し物はなさそうだ。

 時々それっぽいのにも当たるが、片手間で処理できそうなものばかりで、もちろんそんな依頼は報酬も少ない。さすが、教務課が二束三文でもぎ取ってきた任務だけの事はある。

 そして念のため、例の辻斬り通り魔事件関連の依頼がないか探すも、まだ大丈夫そうであった。

「やっぱ稼ぐなら、遠出するしかないか。はぁぁ、休みが欲しい」

 あ、でもかれんちゃんとの約束もあるしどうしよう、なんて思っていると、浴室から湯気をぽわぽわ漂わせたかれんが出てきた。

 下の方は青のシースルー素材を重ねたフレアスカートを穿いているのだが、上の方はバスタオル一枚に翼というとんでもスタイルだ。

 上も着なさいと突っ込むつもりが、驚きのあまり完全にタイミングを失ってしまった。

 というか、改めて見ると翼がでかいのなんの。

「あの、翼ふいてくれると、すっごく助かるんですけどぉ」

「あぁ、だから上着てないのね」

 かれんは朱音の近くに座ると、くるりと背中を向けた。

 風呂場であらかた吹き飛ばしたのだが、羽の吸った水までは簡単に吹き飛ばせない。

 朱音はかれんからバスタオルを四枚受け取ると、片翼ずつバスタオルを当てていく。羽根の抜けないように、丁寧に丁寧に水気を吸わせる。

「いつもは、美玲ちゃんにしてもらうんですけど、今日はお仕事でいなくて」

 一枚目のバスタオルで片翼全体の水気をざっと吸い取り、二枚のバスタオルで残った水気をしっかりとふき取る。

 最初に使った方のバスタオルは、驚く事に絞ればお湯がしたたるほど染み込んでいた。

 両翼から吸い取った水気を合計すれば、確かに一キロや二キロくらいはありそうだ。

「確かに、これ一人でふくのは無理だもんね」

「はぃ。洗わないのも気持ち悪いし、洗ったらちゃんとふかないと、重くて肩凝っちゃうんですよね」

「……その上巨乳だったら大変ね。あれ、相当凝るらしいから」

「あ、それあーちゃん先輩も言ってましたよ」

「へぇぇ、そうなんだ。確かに、おっきいもんねぇ、西行先輩。私みたいな術者だったら、よく動くせいで邪魔になる事も多いんだけどさ。はいっ、終わり!」

 両方の翼をふき終えると、朱音はやりきったぞとばかりにうんと頷いた。

 かれんもパタパタと翼を動かしてみて、重さを確かめる。

「じゃ、次はこれで」

 と、次に渡されたのはヘアドライヤーだ。

 長年使っているらしく、色落ちが結構激しい。

「やっぱり、熱さとか感じるの?」

「はぃ。なので、あんまり近くに当てないでくださいね。肌よりは感覚鈍いですけど、油断してて火傷しちゃった事もあって……」

「了解しました、お嬢さま」

「えへへへ。なんか照れますね、そう言われると」

 朱音は自分の手に当てて距離を微調整すると、ドライヤーの熱風を翼に当てた。

 バスタオルで吸い取りきれなかった湿気が、みるみる抜けてゆく。

 ――あ、これ……すごい触り心地いいなぁ。

 翼を撫でる手に、かれんの感触が伝わってくる。

 なんかもう、ふかふかの羽毛布団とか言うレベルじゃない。

 埋もれてしまえば、三秒で眠れちゃうくらいスーパーすごいアレである。

 特に、冬なんかだと最高だろう。かれんの体温で温かい状態の翼にくるまっちゃったりなんかした日には、一日中離したくなくなる自信がある。

 ついつい夢中になって、朱音はドライヤーを当てながら、翼のあちこちを撫で回す。場所によっては感触が違うので、それがまた面白い。

 沈み込むほど柔らかいところもあれば、強く押し返してくるような場所もある。

「はゃあっ!?」

 と、かれんがいきなり艶っぽい声を漏らした。

 朱音の方もびっくりして、思わず両手を翼から遠ざける。

「あ……あのぉ、朱音先輩。すごく、くすぐったいです……」

「ご、ごめん。気持ちよかったからつい」

 どうやら、敏感な部分に触ってしまったようだ。なんだか、こっちまで変な気分になってくる。

 女の子同士でこの反応はなんか色々とダメな気がするのだが、そこは仕方がないと割り切るしかない。

 あの翼には、それだけ抗い難い魅力があるのだ。

 ――あれ、これって割切りではなく、開き直りって言うのかな?

「それで、その……。もしよろしければ、ブラシもかけて頂だいんですけど」

「は、はい! 喜んで!」

 もはやキャラが崩壊してしまったが、このモフモフ感を体験できるならキャラ崩壊くらい安いものだ。恐る恐る、朱音は翼に手を伸ばした。

 そして羽に軽くブラシを当て、反対側から押さえるように手を添える。

 するとかれんの口から、気持ちよさそうな声が漏れた。

「ふわぁ~、気持ちいぃ~。ありがとうございましゅ~」

 根元の方から先端にかけて、手際よくブラッシング。

 ――ブラシは、やっぱり動物用なんだ……。

 固い毛が気持ちいいらしく、奇声を上げながら目を細めている。

 それにしても、不思議な気分だ。こうして目の前にいる後輩が、厳密には人間ではないというのも。

 朱音の記憶では、特別鬼術科の人数は、陰陽科よりも多い。自分達同様に、翼の民(フリューゲラ)も何十人も星怜大にいるかと思うと、少し感慨深いものを感じる。

「さてっと、こんなもんかな」

 周囲には、古くなった羽が十数枚ほど落ちていた。

 かれんはそれらをゴミ箱にポイすると、改めてバタバタと翼を動かした。

「ありがとうございます。おかげですっきりしました」

「ううん、いいって。それに、私も触り心地よくて気持ちよかったし」

 背伸びみたいに翼を伸ばすと、かれんはそれを背中にしまい込んだ。

 どう見ても、あの巨大な翼を収納するようなスペースがあるとは思えない。

「ところで、翼ってどうやってしまってるの?」

「さぁ。厳密には、私達もよくわかってません。素粒子に分解・再構築しているのではないか。霊的力による物質化ではないか。別空間に格納してるのでは。擬似的な封印状態にあるのではないか。色々と説はあるんですけど。ただ、しまっていても感覚はあるので、こことは別の空間にしまってるんじゃないかなぁと、個人的には思っています」

 ――封印術の一種とかなら、確かにあるかも。

 朱音も学園に入学する前には、封印術による荷物の収納をよく使っていたのだ。大量の衣服や護符、その他装身具とその手入れを行う道具。

 キャリーバックに入れて運んでもいいのだが、朱音はそれらを護符に封印して運んでいたのである。

 出し入れするのは確かに面倒だが、持ち運びがとてつもなく簡単な上に、容積に制限がないので何かと便利なのだ。

 それにいざ奇襲を受けた場合でも、かばん類はそれだけで邪魔になるが、護符に封印していれば持っていても邪魔にはならない。

 ただ、元々は術者からの奇襲にそなえて発達した技術なので、魔術師同士の戦闘が異端者狩り以外になくなった現在では、封印派は減少傾向にある。

 手間にさえ目をつぶれば便利な術なのだが、時代の流れと共に消失していくというのも悲しいものである。

「あ、でも封印だと、感覚が残ってるのはおかしいのか。あれは、この空間との関連を完全に断っちゃうわけだから」

「まぁ、どうでもいい事なんですけどね」

「そうね。それで、今日も行くんでしょ。造反者を探しに」

 かれんの服装を見て、朱音は今夜も行くのだと悟った。

 背中の大きく開いた、一瞬丈の短いイブニングドレスにも見えるような服を着ている。

 つまり、今日も飛ぶ、という意味だ。

 朱音の方もそれに備えて、今日は春先に着ていた赤いフリースを持ってきている。

 さすがに五月の中旬のこの時期に着ている人間は皆無だが、一昨日の感じでいけばこれくらいでちょうど良いくらいだと思う。

「それじゃ、夕食作りますね。今日のメインはお魚さんの煮付けです」

「魚ねぇ。近くに海がなかったから、あんま食べた事ないかも」

「まぁ、天原市も山に囲まれた土地なんで、新鮮な魚って難しいんですけどねぇ」

 フリフリのエプロンを装着したかれんは、ちんまりした冷蔵庫から処理済みの魚を取り出した。

 なんと準備のいい……。それに、エプロン可愛いなぁ~。

 そう思って関心しながらかれんの後ろ姿を見ていると、ポケットの携帯電話が震えた。




From:五十嵐鈴子

Sub :明日の件で

沙織さん、最近サークルの練習で忙しそうにしているので、少しでも応援したいと思いまして……。

何か良い案はございませんでしょうか?




 送り主は、最近仲良くやっている鈴子だった。

 彼女らしい沙織への気遣いが見て取れる。

 そういえば、先週から放課後は毎日合唱の練習だと言ってたっけ。それに、週末はいよいよ合唱の発表がある。

 それを応援する意味でも、何かしてあげるのはいいかも。

「メールですか?」

「うん。一般の友達なんだけど、週末の皐月祭で合唱するの。で、先週からずっと練習してたから、何か応援したいなってメール」

「それなら、いいのがありますよ」

 かれんは夕食の準備を進める一方で、また別の食材や器具を出し始めた。

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