其ノ伍:隆久の頼み
涼子に自分の過去を打ち明けた日から何かが変わったかと問われれば、何の変化もない。
結局あの日は借りたBDの試聴が終わると、深夜アニメの試聴に突入した。
朱音もつい面白くなって見ている内に時間は過ぎ、午前二時を回ったところでようやく就寝となった。二段ベッドで下は朱音、上は涼子である。ベッドに潜りながら朱音が思ったのは、多少はスッキリしたかな、という程度に過ぎない。
それでも、ちょっとは前向きになれるような、過去をちゃんと正面から見つめて乗り越えられるような気がした。
弟が自分を避けていたように、自分も弟に対してある種の恐怖があったのかもしれない。
ただでさえこじれている関係が、決定的に破綻してしまう事。今まで以上に気まずくなって、もっと離れていってしまうかもしれない。
だから、決めたのだ。
次会ったときは、ちゃんと話そう。お互いの本音をぶつけ合って、十数年来に仲の良い姉弟に戻ろう。
言葉にしなければ、伝わらない事もあるのだから。
それから数日が経ち、翌週の月曜日。
朱音は朝から極めてご機嫌であった。早朝に、小狐丸が直ったとのメールが、隆久から届いたのだ。
これで浮かれるなと言う方が、どだい無理な話である。
そんなご機嫌な朱音の態度をきっちり捉えた友人は、朝一の講義から朱音の隣で事情聴取をする事にした。
「ネネっち、何か良い事でもあったの?」
沙織はドラマでよく見る聞き込みの警察みたいに、メモ帳とボールペンを持って朱音の顔をのぞきこむ。
「うん。大事な物壊しちゃってなかなか修理できずに困ってたんだけど、それを直せる人を紹介してもらってね。それで、それ直すの引き受けてくれて、今朝直ったってメールもらったの」
「もしかして、先週の水曜日に慌ててお昼を食べてどこかへお出かけになったのも?」
「うん。そう」
そこへ、ちょっと眠そうな感じの鈴子も加わる。
朝は弱いのか、ちょっぴりまぶたが閉じかかっていた。
「それって、そんなに大事なものだったの?」
「うん、まぁ。私の、というか、家宝みたいな感じだから。お宝っていうほどじゃないけど。って、茅原さん、顔近い」
おっと、と沙織は乗り出していた身体を引っ込めて、席に座る。
しかし、両目に宿る興味の色は、絶えてはいない。むしろ、メラメラと火力アップな感じだ。
「ちなみに、その家宝を直してくれたのって、男の人? 女の人?」
「男の人、だけど。四年の先輩」
「先輩キタァァァアアアアア!! ねぇねぇ、その人カッコイィの? ネネっちはどう思ってるの? ほらほら、言ってみぃ!」
「あのぉ、沙織さん」
と、天井知らずにテンションアゲアゲな沙織の肩を、朱音の後ろから手を回した鈴子がちょんちょんとつついた。
「やっぱり彼氏なんでしょ、その人。ねぇねぇ、今度私にも紹介してよぉ!」
「沙織さん、沙織さんってば」
「なによ鈴、今いいところなんだから」
「へぇー、なにがいいところなのか、先生にも教えてくれるかしらぁ?」
カチン、という効果音が、聞こえたような気がした。
テンションアゲアゲのまま表情は凍りつき、ささーっと血の気が引いていく。
沙織が錆び付いたブリキ人形よろしく、ギギギギィと後ろを振り返ると、
「み、みっちゃん先生、おはようございます」
超絶笑顔のままこめかみに青筋を走らせている先生の姿が。
「えぇ、おはようございます。茅原さん。朝から元気そうですね」
「いえいえそんな。自転車こぐのに疲れて、もうバテバテですよぉ」
「そうですか。その割には、よくしゃべっていましたねぇ」
「……あはぁ、あははははは」
沙織の乾いた笑いが、講義室内を虚しく反響した。
「テキスト三二ページ、一行目から読んでください」
「は、はい!」
慌てて指定されたページをめくり、沙織はテキストを読み始めた。せめてページぐらいは開いておいて欲しいものです、と先生はぼやいておられるのが、耳に痛い。
つまり気味に、沙織の声が聞こえてくる。
これで少しは静かになったと、朱音も教科書に目を落した。
月曜の一コマ目は、一般教養科目の“生活と健康”という、生活習慣が乱れがちな大学生には納得はできても実行はほぼ確実にされない科目である。
栄養バランスがどうとか、摂取カロリーがどうとか、睡眠時間がどうとか。
朱音からすれば随分と縁遠い話だ。
栄養バランスよりも身体を動かすカロリー重視、しかもその摂取カロリーは過剰な運動量もあって運動部の男子よりも多く、夜間巡回や怪しい夜のお仕事のお陰で睡眠時間もガタガタ。
それでも特に、風邪を引いたり病気になったりした経験はない。
もっとも、そうした方が健康には良いのだろうが。
「はい、良いですよ。皆さんも、大学生になって高校生の頃より就寝時間が遅くなったと思いますが……」
先生が傍を離れてから、沙織はようやく小さなため息をつく。
「もぉ、ネネっちのお陰でヒドい目にあったよぉ」
「自業自得じゃない」
「そうですよ、沙織さん」
あ゛ぁ、私に味方はいないのかぁ~、とぼやいて沙織は机に突っ伏した。
「そういえば、課題のレポート提出って、今日だったっけ?」
「はぃ。先週集めようとしたら、あまりにやっていた人が少なかったので」
するとそこで、現在進行形でノックダウン中の沙織の頭がピクリと震えた。
「ネネっち、鈴、お願い! レポート見せて!」
さっきまで二人なんて知らないもん! 的な態度はどこへやら、両手を合わせて懇願する沙織の図である。
時折、先生の視線を気にしてちらちら前を見ているが、板書に入ったらしく先生は黒板にチョークを走らせていた。
「ったく、仕方ないわねぇ」
「丸写しはダメですから、上手く誤魔化してくださいね」
「二人ともぉ、ありがとぉ……!!」
かくして、沙織のレポート転写作業(一部改竄)が始まったのであった。
一コマ目の“生活と健康”の先生ににらまれながらも、沙織はなんとかレポートを書き上げた。
二コマ目は祭祀学といって、日本の祭や祭式について学ぶ科目で、ゴールデン・ウィークの間に天原市の夏祭りについてレポートにまとめる課題が出されていたのだ。
祭の行われるようになった理由や祭の意味、形式、出し物、歴史等について調べるのだが、休み明けの前回はやってない人が軽く半分を超えていたのもあって、今週に持ち越されたのだ。
ちなみに、今回提出しなかった場合は単位認定の点数に影響が出ると告知されていたので、間に合って本当によかった。
「はぁぁ、終わった~」
「お疲れさまでした」
そんな感じで一コマ目の講義で精も根も尽き果てた沙織は、二コマ目終了を知らせるチャイムが鳴ってもぐでーんと机の上で伸びているわけである。
そんな沙織の口元に、鈴子がポッキーを一本近付けると、
「あむ……」
パクリとかぶりつき、もりもりと口の中に消えていった。鈴子がすかさず二本目のポッキーを口元に持っていくと、またまたパクリと食い付いてそのまま消えていく。
なんだか、小動物を見ているようで可愛い。ただ、その小動物に見える沙織ですら、朱音より大きいのが悲しいところである。
「五十嵐さん、そこの落ち武者はほっといて、早くお昼行きましょ。学食はたぶん無理っぽいから、コンビニになるけど」
「草壁さん、いくらなんでも落ち武者はちょっと」
「そうだぞぉ、ネネっちぃ。こんなうら若き乙女を捕まえて、落ち武者はあんまりだよぉ」
「人のレポート写しといて、何をいまさら」
こっちはゴールデン・ウィーク中は遠くまで出向いて、連日仕事していたというのに。
一日に結界の修復を複数かけ持ったり、地元の術者では対処不能な妖怪退治を安値で請け負ったり。
そしてくたくたになって帰ってきてから、激安のカプセルホテルで課題をやって寝る。
誰でもいいから頑張った私を褒めて欲しい、とか思っても罰は当たらないだろう。
まあ、今回は一部交通費を出してくれる依頼主もいたので、いつもより安く済ませることができたし、星怜大経由の依頼でないので報酬はがっぽり稼ぐことはできたのだが。
それでも、ムチャクチャ疲れた。
「だってしょうがないじゃん、ここ最近忙しかったんだから~。まさか入部していきなりこんな練習するなんて思わなかったし」
「練習って、茅原さんサークル入ってるの?」
「クリスタルコール部。あ、正式には、上に混声合唱団って付くんだけどね」
「高校でも声楽部に入ってたんですよ、沙織さん」
鈴子の合いの手に、そうそうと沙織は頷く。
「でね、今週末の皐月祭にクリスタルコール部も出るらしいんだけど、人数少ないと見栄えがないからって、一年生も強制参加なの。ヒドくない!? わたしたち、大学入ってまだ一ヶ月しか経ってないのに!」
「あの、まず皐月祭って何?」
「文化部の発表会のようなものだそうですよ。美術部や文芸部は作品発表、吹奏楽部やバンド関連のサークルは、小さなコンサートをするようです」
頭の上でクエスチョンマークを浮かべる朱音の隣では、鈴子がチラシのような物を広げていた。
チラシにはデカデカと真ん中に『皐月祭』の文字が書かれ、絵を描いている人、歌を謳っている人、楽器を演奏する人がデフォルメされて描かれている。
なんとなく、にぎやかな感じのする絵だ。
「あ、それ見たことある。確か、掲示板の隅っこに貼ってあった」
実際は学内のあちこちに貼られているのだが、術者の使用する区画には貼られていないので、朱音が目にする機会は少ないだろう。
「おかげで、のどが痛いよ~」
「あと一週間の辛抱ですから、頑張ってくださいね。沙織さん」
「うん、頑張る……」
「そうね。お疲れさま会くらいは、やってあげなくもないわよ。ね、五十嵐さん」
「えぇ」
「もっと頑張る!」
というわけで、沙織、完全復活。
「二人とも、モタモタしてたらコンビニのパンもお菓子も無くなっちゃうよ。早く早く!!」
さっきまでの醜態を棚に上げて急かす沙織に苦笑を浮かべながら、朱音と鈴子は沙織の後を追いかけた。
コンビニ横の学生フロアで沙織からクリスタルコール部の話を聞きながら、三人は昼食の時間を過ごした。
なんか一人先輩にすごい人がいて、男なのに女の子の声がでるとかなんとか。それを録音して、どこかのサイトに投稿しているのだとか。
他にも、同じクラスの子を勧誘してくるよう言われたそうだ。そこまで部員が少ないのか、クリスタルコール部。
冗談にならないのは、ソッチの気がありそうな女の先輩がベタベタ触られたという話であるが。
そして楽しいお昼ご飯が終われば、いよいよ三コマ目の系統別の実技練習の時間である。
今日は寮から少し離れた場所、山の一部を切り開いて作られた実習場――第一実習場――だ。
広さは、サッカーグラウンドほどもある寮前にある実習場――実はこれが第二実習場――の半分くらいだが、人工物の少なさと沢山の緑のおかげで抜群の開放感がある。
防御の役割を果たすフェンスが無いのに若干の不安は残るが、小さいながらも龍穴――大地の力が放出される場所――があるので重宝されている場所だ。
また近くには、古い木でできた屋根付きの、休憩所みたいなものが五つある。その下には同じく古い木でできた丸テーブルと椅子があり、休日にゆっくりしたい術者の生徒や先生がよく利用している場所でもある。
そんな趣深い場所で、文佳がお弁当箱をつっついていた。
そして対面の椅子には、朱音がこの数日待ちに待った人が座っていた。
「八神先輩、修理終わったって、本当ですか!!」
坂道を一気に駆け上がってきた朱音であるが、日頃から段違いに鍛えているだけあって全く息が上がっていない。基礎体力なら、運動部の男子が涙目になるほど高いのだ。
ちなみに、これは戦闘中に激しい動きを伴う涼子や美玲にも共通しており、男子である晴之なんかだとその度合いは更に激しい。
「おぉ、ネネっち、こんにちは」
「草壁ぇ……朱音だったか。あぁ、できてるぞ」
と、八神先輩こと隆久は、椅子の横に置いてあるエナメルバッグに手をやった。
その上には、一メートル弱の長さのある袋が置かれている。
隆久の分厚い手は細長い包みをつかむと、朱音の前に差し出した。
「ほれ、ご依頼の品だ」
朱音は恐る恐るといった感じに包みの下に手をやると、隆久はひょいと包みを手放す。
カチャリとくぐもった音が響くと共に、よく馴染んだ重量感が掌に広がった。
この音、この感触、この気配。直接見なくてもわかる。
まぎれもなくこれは、朱音の愛刀である小狐丸だ。
包みの口を開けて、早速中身を取り出す。
「おぉぉ……」
粉々に砕け散ったはずの柄が、完全に元の状態にまで再現されていた。
握った感触まで、とても作り替えたとは思えないほど手にしっくりくる。まるで、刀の方から吸い付いてくるようだ。
そしてゆっくりと刃を抜き放ち、数日ぶりに愛刀の優雅な姿に目を細める。
一般人でもいれば通報ものだが、ここには術者に関連のある人間しか入って来れないので問題ない。
「本当に、ありがとうございました!」
朱音は愛刀を鞘に仕舞うと、腰骨が折れそうなほど頭を下げて感謝の意を表す。
今なら、靴を舐めろと言われても実行できそうな気が、いや、やはりさすがに靴を舐めるのは無理かもしれ…
「さすが、匠様。相変わらず、完璧なお仕事っぷり」
「だから、それやめろって言ったろ、文佳。八神先輩か、隆久先輩とか、せめて隆兄にしてくれ」
「え~、カッコいいと思うんだけどな~?」
「却下だ」
靴を舐めるか舐めないかで勝手に変な妄想を繰り広げていた朱音の目の前で、文佳と隆久の応酬が始まった。
始めこそ隆久の呼び方についてだったが、次第に内容が文佳からの依頼に変わっていく。
具体的に言えば、文佳からの儀式用短剣の注文である。
「ネネっち、この前の休み、封印関連の仕事してたから、そろそろ切れそうでしょ? ゴールデン・ウィークは、みんなけっこう遠出して色々仕事してくるから、儀式用の短剣って休み開けにはけっこう需要あるんだ。先生達なんか、普段からよく使ってるし」
「相変わらず、先生相手にも商売してるんですね」
「毎度の事だけど、よくやるよホント。で、何本くらいなんだ?」
「霊的強度は一番低くていいから、三〇本くらい欲しいな。在庫がそろそろ危なくて。在庫切れなんか起こしちゃったら、あーちゃんの会の名折れだもん!」
右手をきゅっと握って高々と掲げ、文佳は力強く宣言する。まさしく、プライドを持った仕事人のそれである。
ただし、本人のしゃべり方のせいかやけに可愛らしいせいで、イマイチ迫力といくか、貫禄というものがないのが残念なところ。
しかし、騙されてはいけない。このシーンだけ見てれば微笑ましいのだが、実際は刃物を三〇本も受注しているだけだ。
相変わらず、物騒極まりない総合学部なのであった。
「ところで匠様、ネネっちの刀って、修理費どれくらいなんですか?」
「あ…………!」
そういえば、と朱音は今更のように思い至った。
日本刀の柄の修理。それも、肉体強化を用いる術者の使用に耐えうるレベルとなると、修理できる者は限られる。いくつもの特殊な施工を行う必要があるので、その分だけ費用もかさむはず。
いったいどれくらいの金額になるのだろうか。ゴールデン・ウィーク中に貯めた学費が、無くなっちゃうような事だけは、ご勘弁願いたい所であるが。
まるで判決を受ける被告人のような気分で、朱音は食い入るように隆久を見つめる。
「いいよ。そんな怖い顔しなくて。初回サービスってことで、無料でいいよ」
むりょう、むりょう、むりょう、むりょう……………………無料!?
「ホントですかそれ!!」
近くで大声を上げられ、隆久は両手で耳をふさぐ。
叫んだ後に気付いた朱音は、あ、と自分の口を押さえた。
「えっとあの、本当に無料でいいんですか?」
先ほどの反省も踏まえて、今度は小さな声で隆久に再度確認する。
無料――即ちタダである。
もちろん、学費生活費全て自分でまかなっている朱音には嬉しい限りであるが、さすがに一銭も払わないというのは気が引ける。というか、申し訳なさすぎて辛い。
術者の装備は、なかなかに値の張る代物だ。
朱音や涼子のように、既に第一線で活躍しているような術者は、維持費も馬鹿にならない。それくらい、退魔業は繊細なのである。
その手助けをしてもらったのだから、生活費を切り詰めなくていい程度には、お返しをしたいというのが大人の対応というものだろう。
「ところで、明月の使い心地はどうだ? ちゃんと役に立ってくれたか?」
「はい。自分でも思った以上に馴染んで、すごく使いやすかったです」
朱音は手元の袋から、隆久に借り受けた明月を取り出した。
霊力を吸って浄化の効力を発する明月は、夜間巡回や下位の妖魔を討つにはうってつけの武器である。
一振りすればその場を清められ、霊格の低い存在はただの一薙ぎで浄化させられる。
退魔に特化された武器と言っても、差し支えない。
「週末も、この子のお陰で今までより楽に仕事できましたから。邪気を祓うのがすっごく楽で。返すのがもったいないくらい、いい太刀です」
「そんなに気に入ったんなら、やろうか?」
――イマ、ヤガミセンパイハ、ナンテイッタンダロウ?
「…………………………………………………………マジデスカ!?」
今私の目の前にいるのは神様か何かだろうか。
隆久からの破格過ぎる提案に、朱音はさっきから驚かされてばかりだ。
肉体強化術者の使用に耐え、邪気を祓う能力を持つ太刀ともなれば、相場的には百万円はくだらない。文佳から買っている消耗品とは、訳が違う。あ、でも本人に言ったら怒られるので、その事はナイショの方向で。
「まぁ、その代わりと言っちゃぁなんだけど、頼みたいことがある。修理費と明月の代金だと思ってくれ」
「な、何でも仰ってください! 先輩の頼みなら私、何でもやりますから」
「あらそう? なら、えっちなお願いされちゃってもいいの?」
と、横から文佳の腹黒い台詞が飛んできた。
「いや、えっちなのは、ない方向で」
男の人の前で何て事をと、朱音は恥ずかしさで縮こまってしまう。
というより、文佳は恥ずかしくないのだろうか。自分だったら恥ずかしくてそんな真似はできないと、朱音は思うのだが。
「……文佳、余計な事言って、後輩を困らせるな」
「残念。ネネっちの恥ずかしい写真撮って、製本してネット販売しようと思ったのに」
「やめてください! そんな事されたら、学校にも仕事場にも行けないじゃないですか!! てか、それ西行先輩の願望ですよね!?」
まったく、油断も隙もあったものではない。そんなものを販売された日には、社会的に死んでしまうではないか。
――てか、えっちな写真っていったいどんな事させるつもりなんだろ。西行先輩の事だから、媚薬とか盛りかねないし。まさか、変な道具で……ってそうじゃなくて!
朱音は改めて隆久に向き直ると、頼みたい事を聞いた。
「実は、妹の事で頼みたい事があってな……」
隆久は時々文佳から飛んでくるチャチャを制しつつ、朱音に話し始めた。
午後の練習もつつがなく終了し、夕食の時間がやってきた。
だが、今日は食堂へは行かない。
「ほえぇ、修理費タダで、オマケに明月も頂いちゃったんですか?」
「うん。その代わり、妹の手伝いをしてくれって頼まれたの」
隆久に頼まれたのは、彼の妹である八神かれんの手伝いをして欲しい、というものであった。
朱音は実習の時間が終わると、そのままかれんの部屋に向かおうと思ったのだが、そこで涼子に止められたのである。
「頼みですかぁ。でもいったい、匠様先輩は朱音さんに何させる気なんですかね」
「知らないわよ。それは本人に聞かなきゃ」
涼子曰く、かれんは部屋にはあまり居らず、販売用に製作した清めの塩や多種多様な護符といった、呪具や触媒の保管庫となっているらしい。
そして当のかれんはと言うと、
「さて、着きましたね。ここですよ」
「でも、ここって……」
美玲の部屋に入り浸っているそうだ。
そのせいか、二人の間には色々とあらぬ噂があったりなかったり。
「んじゃ、行きましょうか」
「あ、うん」
涼子は勢いよく、美玲の部屋の呼び鈴を押した。
ちょっとして、
「はいはぃ。どうぞー」
短パンとノースリーブの美玲が出迎えてくれた。
外では動きやすいように結んでいるツインテールを下ろしていて、キリリとした大人な雰囲気まで漂っている。
いつ見ても、年下には思えない。身長的に。
来年辺りには、追い越されていそうで恐怖すら感じる朱音である。
「ヤッホー、美玲ちゃん。お客さん連れてきたよーってぇ、用があるのはかれんちゃんなんだけどね」
「そうなんですか。お二方、どうぞ入ってください」
「お、おじゃまします」
涼子に続いて、玄関をくぐっる朱音。だが、とたんに違和感を覚えた。
自分や涼子の部屋とは、何かが違うような気がする。
それは部屋の中に入った瞬間にわかった。
「…………広い」
ベッドに机と、真ん中に足の短いテーブルがあるのは同じなのだが、朱音の部屋に比べてかなり広いのである。
「おぉ、涼子先輩に、草壁先輩じゃないですか。材料足りるかなぁ……?」
そして部屋の一角では小さなシンクとガスコンロで出来た簡素な調理場では、ピンと立ったあほ毛が特徴のかれんが、ジャガイモの皮を剥いていた。
ついでに言えば、炊きあがりのご飯の匂いが、鼻腔をくすぐる。
「そうだなぁ、予定を変えてカレーにしよっか。ルーはまだ余裕があったはずだし」
うきうきと鼻歌交じりに、かれんは冷蔵庫からその他の食材を取り出して調理を始めた。
「かれんちゃん、先輩が用事あるんだって」
「あ、うん。あの、調理しながらでもいいですか? 夕飯遅くなっちゃうので」
これは美玲でなく、朱音と涼子に聞いているのだろう。
美玲の方はというと、テーブルにあるノートパソコンで音楽を聞きながら、床に新聞紙を敷いて装備を広げていた。
どう対処すればいいのかわからない朱音は、星怜大での暮らしが長い涼子に目を向けるのだが、いえいえご自分でどうぞ、とのジェスチャーで頼む前から断られてしまう。
せめて、聞いてくれるくらいはしてくれてもいいではないか。友達のよしみとして。
「えっと、八神先輩、お兄さんに、かれんさんの手伝いをして欲しいって頼まれてきたんだけど」
それを聞いたかれんは、ピタリと動きを止めた。
何かマズい事でも言ってしまったのだろうか。朱音の中で、ジワジワと不安が広がる。
蛇口から水の流れ出す音と、ノートパソコンから流れる音楽が虚しく反響した。
「もう、お兄ちゃんったら、心配性なんだから」
かれんは寂しいような、嬉しいような、複雑な表情を見せた。
きっと今頃、兄のお節介に腹を立てつつも、心配してくれた事に感謝しているのだろう。
蛇口の水を止めると、かれんは朱音達の前まで来た。
「とりあえず、座ってください。長い話しになるかもしれませんので」
「うん」
「ではでは」
かれんに勧められて、二人はテーブルを挟んだ美玲の反対側に腰を下ろす。それを見て、かれんは美玲の隣に正座した。
美玲も装備の点検をやめ、二人に向き直る。
これからいったい、何が起こるのだろうか。
静かな緊張感が少しずつ高まっていき、朱音はごくりと生唾を飲み込んだ。
「お話しする前に、草壁先輩に知ってもらわなきゃならない事があります」
「私に、知ってもらわなきゃならない事?」
かれんはこくりと頷くと、おもむろに制服を脱ぎ始めた。
タイを外し、ブラウスのボタンも上から順番に外してゆく。
「ちょ、かれんさん!?」
行動の意図がわからずに、朱音は慌てて止めようとするが、美玲と涼子の二人は至って冷静だった。
二人が止めようとしないという事は、それなりの理由があるはずである。
不審に思いながら、朱音もかれんの行動を見守る。
そうしてボタンを外しブラウスとその下のシャツを脱ぎかれんは、次に背中を向ける。
パステルブルーの可愛らしいブラが、背中の肉に食い込んでいた。
ぷにぷにとしたもち肌は、思わず羨ましいと思ってしまうほどで。
「驚かないで、見てくださいね」
と、美玲の言った次の瞬間だった。
一切の思考が、朱音の中でストップした。
なんとかれんの髪が、黒から濃い水色へと変化したのだ。
だが、一番の変化はそれではない。
「草壁先輩は、翼の民って、ご存知ですか?」
首だけ後ろに向けて碧色の目で見つめてくるかれんの背中からは、天使を思わせる純白の翼が生えていた。




