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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第参ノ巻~その者、天覇する異郷の民~
42/55

其ノ肆:姉たち

 まぶたの裏に映るのは、幼き日の弟達の姿。

 一卵性の双子の弟なのだが、性格にはけっこう違いがある。

 無鉄砲というか、やんちゃが過ぎる活発な兄。

 そしてそれをいさめる役回りが多いせいか、年に似合わない落ち着きのある弟。

 ただし、どちらも好奇心は旺盛な方で、当時の涼子の提案にも渋りはしたものの、止めるようなことはなかった。

 その行為が、どれだけ危険な事かも理解できずに。

「いやぁ、お恥ずかしながら、当時はずいぶんと無茶したもんですよ。今思うと、よく死ななかったなぁなんて思うくらいですからねぇ」

 天原駅から電車で二時間ほどもかかる倉守町(くらもりまち)市にもなれば、星怜大の依頼独占圏から外れる。

 そして猫屋敷家は、倉守町市内にある大苗路(だいびょうじ)町に本拠地を置く、国内でも屈指の勢力だ。当然の事ながら、市内で発注される依頼に関しては直接猫屋敷家に届くものも多い。

 星怜大学附属中学校への入学試験を冬に控えていたが、涼子は特にこれといった勉強はしていなかった。

 試験項目は二つで、その一つが一般的な学力試験である。

 これに関しては地元の小学校にしっかり通っていて、苦手科目は自宅でこってり勉強させられていたので、危ないながらも何とかなるだろうと踏んでいた。

 そしてもう一つの項目こそが、初等部の入学試験にはない実技試験である。

 こちらに関しては、最早心配の余地すらなかった。公式な任務こそこなしていないが、猫屋敷流の術者が引き受けた簡単な任務について行っては、現場で実際に術を行使していた経験と実績があったのだ。

「でまぁ、過信してたんですよねぇ。“自分の力”てやつを。自分がどれだけ周囲に守られていたかなんて、まるっきしわかってませんでしたから」

 事件が起きたのは涼子小学生の夏休み、その最後の一週間の事である。

 大人の誰かと一緒ではなく、“自分の力”を試してみたいと思った涼子は、猫屋敷家に届いた依頼書の中からナイショで一つを盗み出したのだ。

 内容はいつもやっているような、簡単な除霊の依頼。それと淀んでいる気も浄化して欲しい、というものだった。

 場所は廃れてしまった森の中の神社。肉体強化を使えば、一日で往復できる距離である。

 涼子は自分と同じように、大人と一緒に仕事をしていた弟達にも話を持ちかけた。

「で、ノリノリであたしの提案に乗ってきたんですよ。上の方はまだしも、年の割に落ち着いてる弟の方も。やっぱり、大人なしでやってみたいって気持ちがあったんでしょうね。なにせ、同年代の子供と比べたら、けっこうな差がありましたから。大人達に負けないくらい、自分達は強いはずだ、って」

 そして一週間後、清めの塩と護符に儀式用の短刀、昼食代を確保した三人は、夏休み最終日にナイショで受注申請すらしていない任務に赴いた。

 肉体強化したままずっと走り続けてもすれ違う人がいないのは、さすが田舎といったところか。見慣れた景色とはいえ、一杯の緑の中にある史跡は趣深く、荘厳な気配を放っていたのを今でも覚えている。

 途中、おばあちゃんが店番をやっているお店で菓子パンとアイスとジュースで腹ごなしをした三人は、いよいよ除霊場所である廃れた神社へと向かった。

 本来は強力な結界で守られているはずの神社であるが、廃れているというだけあってその防備は完全に用を為さなくなっていたのだ。魔を祓う肌に突き刺さるような気配は見る影もなく、神社とは思えないほどだった。

「結界の完全に消失した神社なんて初めて見ましたから、結構興奮したもんですよ。こりゃ、けっこう大物がいるんじゃないか、とかいって弟達と盛り上がって。で、気配を頼りに気の淀んでる部分を探して、境内の中を歩き回りました」

 その結果、社屋の中の空っぽの空間――更にその真ん中が淀んだ気の中心だという事を突き止め、三人は準備を行った。

 持ってきた荷物の中から清めの塩と、念のために符術に用いる護符を用意。涼子は儀式用の短刀も持って、もし戦闘になっても大丈夫なように決意を固める。

 式神はまだ使えなかったが、符術に関して言えば涼子は既に実践で使えるだけの技量を備えていたのだ。

「でまぁ、ちゃんと成仏するよう祈りを込めながら清めの塩を振りまいて、いつも見ていた通りに除霊をしたんですね」

 だが、そこで事件が起こった。

 どうやら、除霊対象だった霊――恐らく地縛霊だったのだとう――はこの場所によほど強い思いがあったらしく、除霊を拒否。神社に溜まっていた淀んだ気を瞬く間に吸い上げ、近くにいた野良猫に取り憑こうとしたのだ。

 しかし、ここまではまだ想定の範囲内。これまでついて行った仕事でも除霊がうまくいかず、戦闘に陥った例が何度かあったのである。

 涼子は即座に(しゅ)を唱え、護符を放つ。込められた霊力は数本の鋼の刃と化し、今まさに野良猫に取り憑こうとしていた霊へと襲いかかる。

「そうですねぇ、割合的には一割ないくらいでしょうか。そこまでは、幼いながら想定していたんです。今まで何度かありましたから」

 護符を握っていた二人の弟達も、即座に呪を唱えて霊への攻撃を敢行する。

 しかし霊は攻撃を巧みにかわし、野良猫に取り憑いてしまったのだ。

 単に淀んでいただけの気は霊の邪気によって一気に穢されてしまい、野良猫の身体を飲み込んだ。

 両腕で抱えられるくらいの大きさだった野良猫は瞬く間に巨大化し、三人に牙をむいたのである。

「さすがに、巨大化するだなんて思いませんでしたから、あの時は焦りましたよ。実際、そういうのを見る機会もなかったですし。まぁ、それだけあの時の霊の思いが強かったって事かもしれませんが」

 大きさは、全長三メートル以上あっただろうか。

 弟達は続けざまに符術で炎弾や鋼の刃で攻撃するのだが、猫の身体を得て敏捷力の増した悪霊はあっけなく回避し、涼子を跳ね飛ばして二人の弟に襲いかかったのだ。

 涼子はとっさに肉体強化で防御できたので打撲程度で済んだが、二人の弟はそういうわけにもいかない。

 反応が遅れたせいで防御は間に合わず、前足の一振りによって壁まで跳ね飛ばされたのである。

 身体は腕でかばったものの、様子がおかしい。それもそのはず。何の術も施していなかったせいで、折れた腕が不自然な方向に曲がっていたのだから。

 しかも悪霊は弱った二人にとどめを刺そうと、分厚い爪の生えた腕を、高々と振り上げた。

「まあ、そこからは無我夢中ってやつですよ。大切な弟を死なせるもんかって、儀式用の短刀で斬りかかったんです。で、そいつの気を引いて、斬ってかわし、斬ってかわし。でも、所詮は儀式用で、それに攻撃を防ぐのにいっぱいいっぱいで、符術に使う思考なんてこれっぽっちもありませんでしたよ。それで、部屋ん中に何かなんか探してたら、でっかい猫の壊した机から古臭い小太刀が見えて。で、短刀で防ぎつつ、小太刀でめった刺しにして、それで何とか浄化……というか、成仏には成功しました。力及ばず、その時は野良猫も一緒に………………」

「……涼子さん」

「一応、お墓作って、残ってたお菓子も全部お供えして、三人でいっぱい謝りました。で、泣きながら帰って、森を出たらうちの母親がとか分家の人が何人かいて、めちゃくちゃ怒られました。弟二人はすぐに病院へ連れて行かれましたけど、あたしは打撲と切り傷だけでしたからね。母親にひっぱたかれて、すごく痛くて、でもすの後ぎゅぅぅぅって抱きしめてもらえて、それで思わず大声泣いちゃいました。小六にもなって、みっともないったらないですよね。でも、その時になって、ようやく怖さを感じたんです。いえ、正確には怖かった事を自覚した、と言った方が正しいかもしれません。悪霊はもちろん怖かったんですが、本当に怖かったのは、大事な弟を死なせていたかもしれないって事で。その事に気付いてからは、なかなか寝付けなくて」

 自分とは少し違うが、朱音にも涼子の気持がよくわかった。

 一時の好奇心のせいで、大事なものを失っていたかもしれないという恐怖。

 それは、そうそう乗り越えられるようなものではない。忘れようとしても、忘れる事ができないのだ。

 同じ過ちを繰り返してはならぬと心に留めようとすれば、その発端である鮮烈で身震いするような恐怖を思い出さなければならないのである。

 それはまるで、終わりの無い悪夢に等しい。罪の十字架を、自分の胸に掲げ続ける限り。

「中等部に入学して、弟と離れて寮生活を送るようになったら、弟の姿が見られなくて、また怖くなって。そんな時、話を聞いてくれたのがあーちゃん先輩なんです」

「西行先輩が?」

「はい。あたしが何か悩んでるのを初対面で会った瞬間に見抜いたらしくて。それで色々聞かれたんですが、言えずにいたら今度は部屋に呼ばれて。先輩のお誘いですから、断るわけにもいかず。なし崩し的に一緒にお風呂入って、一緒に寝て。で、その時にまた聞かれたんです。今度は、諦めてくれませんでした。それで仕方なく話したんですけど、大丈夫って励ましてくれて、それが無性に嬉しくって。それで、それからですね。なんというか、ふっきれたのが。でもって、お姉ちゃんは全然気にしてないぞってのを、弟達に見せなきゃって思い始めましてね。あたしが変われたのは、間違いなくあーちゃん先輩のお陰です」

「そんな事が……」

「だから、朱音さんも」

 朱音が振り返って見ると、同じように涼子も朱音の事を振りかえって見ていた。

 そう、どこか文佳に通じるところのあるような、包み込まれるような頬笑みで。

「ぶっちゃけちゃったら、ちょっとはスッキリするかもしれませんよ。裸の付き合いもとい、今なら服と一緒に余計なしがらみなんかも脱いじゃってるわけですし」

「脱げるわけないでしょ。私ら術者、それも宗家筋に生れついた人間なんて、生まれた瞬間からしがらみでがんじがらめなんだから」

 宗家筋。力を持った流派の中でも絶対的な力を有し、一族の中枢を担う家系は俗にそう呼ばれている。彼等の双肩にかかる責任の重さは、他の術者の比にならない。

 当然秘匿しなければならない秘密も多く、その事に苦しめられた事も一度や二度ではない。

 しかし一方的であれ、涼子が自分の過去を聞いた今、自分だけ話さないのもフェアじゃない気がする。

 それに、あの時の事はそこまで口を紡がねばならないほど、重要な事ではない。せいぜい、管理が行き届いてないと笑われるくらいの事。

 しばらくの間、沈黙を守っていた朱音であったが、

「あれは、まだ私が九歳の頃で。いつもみたいに剣の練習から逃げ出して、弟と里の外まで抜け出したの」

 涼子なら他人に言いふらす事もないだろうと、朱音は語り出した。

「出入り口以外は要塞みたいに高い壁で囲まれてるんだけど、その頃には肉体強化も普通にできるようになってて。外まで出るのは簡単だった。まあ、弟を連れて壁よじ登ったのは、その時が初めてで、緊張はしてたんだけど。それまでは、隙を見て出入り口から出てたから」

「朱音さんにも、やんちゃな時期があったんですね」

「まあね。その時は、私も浮かれてたのよ。ずぅぅっと前から前に兄さんから教わってた式神が、やっと作れるようになって。それを、弟に見せびらかしくて仕方なかったの」

「ちょっと待ってください、朱音さんそんな早い内から式神使えるようになったんですか?」

 ところどころで合いの手を入れていた涼子であったが、聞き逃せない台詞に思わず待ったをかけた。

「これでも、術のセンスは里一番だもん。伊達や酔狂で、B-なんて評価もらってないわよ」

「やっぱり、天才っているもんですなぁ。あたしなんて、できるようになったの中等部入学直前ですぜ。符術は小学校上がってすぐできるようになりましたが」

「いや、それでも十分早いから」

 式神が使えるようになったのは、朱音の兄は確か十二、弟の方は十三だった気がする。

 星怜大の初等部が優秀過ぎるせいで忘れがちだが、普通なら習得に倍近い年月がかかる事を考えれば、やはり早いと言わざるを得ない。

 それが、俗に宗家筋と呼ばれる者が恐れられる理由でもあるのだ。

「で、それでね。里抜けだしたとこで、ようやく使えるようになった式神を弟に見せたのよ」

 強引に話を戻して、朱音は続きの言葉を口にする。

 深く思い返すまでもない。ちょっと思い返すだけで、その時の気持ちから周囲の景色、匂い、可愛い可愛い弟の笑顔まで、全てが思い出せる。

 そしてその直後に見せた、深い絶望の顔も。

「もちろん、(かたち)を変えるなんて事ができないから、護符を正方形に切って、鶴を折って、それを式神にしたの」

「懐かしいですねぇ。あたしもやったなぁ……」

「そしたら、それ見た弟がやりたいって言ってきかなくて。それで…………教えちゃったのよ。まだ、符術の練習もしてなかったのに」

「……マジデスカ」

「マジなんです」

 あれさえなければ、弟があんな風になる事はなかっただろう。幼い弟が日に日に気力を失っていく様を見るのは辛くて辛くて、心臓が握りつぶされるような思いがした。

 自分の過ちのせいで、将来を有望視されていた弟の未来を、握りつぶしてしまったのではないかと。

「力の加減も知らずに、護符に霊力送りこんじゃってさ。慌てて式神弾き飛ばして、弟かばって抱きしめたら」

「ボカン?」

「そう。弟は無事だったんだけど、私は式神の爆発に巻き込まれて死にかけたってわけ。それが、弟のトラウマになっちゃったみたい」

「そりゃまた、あたしとは別ベクトルでやらかしてますねぇ」

 今でも思い出す。病室代わりの部屋で休んでいる朱音を訪ねて弟がやってくるのだが、扉の隙間からのぞくだけ。

 目があった瞬間には、逃げるようにその場から居なくなってしまうのである。

 本当なら、すぐにでも謝らなければならなかったのに。

 私は大丈夫だよって、言ってあげなければならなかったのに。

 そして何より、今まで通りいろんな事をいっぱい話したかったのに。

「それからかな。私が必死こいて練習するようになったの。弟に責任を感じてほしくなくて、事故の怪我なんか関係ない。私は強いんだぞって姿を、弟に見せたかったの」

 むしろその思いがなければ、自分はここまで強くなれなかったかもしれない。

 生まれ故郷の隠れ里でもトップクラスの力を持ち、十代で承認ランクC以上の保有。ここ星怜大でも二ヶ月足らずで、けっこうとんでもない戦果を叩き出している。

 だがそれは全て、弟に強い自分を見せるために気を張っていたからに過ぎない。気付いた時には、こんなところまで来ていた。

 ただそれだけだ。

「怪我の後遺症もなくて、その時はほっとした。もしそんなものが残っちゃったら、それこそ弟に一生ものの心の傷をつけちゃうわけだから。元の練習ができるように、リハビリでもかなり無茶したわ。そして、私は目に見えてどんどん強くなっていった。そのこと自体は嬉しかったんだけど、それでも弟はやる気なくしたまま。最後には、父親からも見放されちゃった」

 最後のあたりで、声が上ずってしまった。

 だが、自分でも止める事ができなかったのだ。

 まるで溜めこんでいた物がこぼれていくように、心の奥底に押しとどめていた言葉が次々と溢れ出てくるのである。

「私、どこで間違えちゃったんだろ。どうすれば、よかったんだろ」

「さぁ。あたしからは何も言えませんよ。あたしがあーちゃん先輩にしてもらったみたいに、朱音さんの話を聞くくらいしか」

 それっきり、朱音はしばらく口を開かなかった。

 だがその代わり、背中を押しつけるように朱音はちょっとだけ後ろに下がった。

 まるで、もっと肌の温もりを求めるかもように。




 十分後。

「涼子さん、大丈夫」

 熱々だった風呂に長時間浸かっていたせいか、

「……………………あ、あいす、食べ……たい」

 涼子は完全に茹で上がっていた。なんとか上下黒のティーシャツとハーフパンツには着替え、今は全身で床の冷たさを感じようとフローリングの上をごろごろしている。

 朱音は冷蔵庫からキンキンに冷えたお茶をコップに注ぎ、涼子の目の前に置いた。

 すると、

「っん、っっんん……っっぷっはぁぁああああああああああ、生き返るぅ~!」

 向くりと起き上って、コップの中身を一気にあおった。

 まるで、仕事帰りのおっさんが居酒屋で一杯やった時のようなリアクションである。

 それに生き返ったって、さっきまでは死んでいたのかと、ついツッコミを入れたくなってしまう。

 まあ、そんな事をしたら涼子の思惑通りになってしまうので、決してしたりはしないのだが。

「さて、それでは前期のアニメでもおさらいしましょうかね。ちょうど友達からBD借りてきた事ですし」

 と、涼子はさっそく今日持ってきた荷物の中から薄いケースを取り出した。

 その表紙の絵には、朱音も身怯えがある。

 女の子ばかりの高校に入学させられた男の子が、ロボットに乗って奮闘するという内容のメカアクションアニメだ。

「それ、リアルタイムでも見てたのにまた見るの?」

「ちっちっちっ。わかってませんねぇ、朱音さん。地上波では仕事熱心な光先輩や煙先輩が、円盤では休憩中だったりするのですよ」

「……つまりどうなの?」

「モザイクのかからない範囲で、美少女のあられもない姿が拝み砲台もとい、拝み放題なわけですよ!」

 何だろうか、このがっかり感は。

 さっきまでの風呂場の様子は幻であったかのように、今の涼子は平常運転だった。

 いや、夜のテンションという事もあって、昼間より抑制というか、躊躇いがない。

 しかも、時刻はまだ二一時前。

 真なる夜のテンションは、まだまだこれからと言っていいだろう。

「というわけで、テレビをお借りします」

 自分から聞いておきながら、涼子は朱音の了承も得ぬままケースから取り出したディスクを、テレビの横から差し込んだ。

 その後、リモコンを素早く操作して、ディスクの再生を始める。

 画面が暗くなったと思ったら、いきなりの大音量と共に機体が画面を通り過ぎていった。

 朱音は残っていた猫饅頭を一つ頬張りながら、涼子と一緒にテレビ画面へと目をやった。

「この姉弟、仲良さそうね」

 場面が変わって、ロボットの操縦を教える姉と教えられる弟のシーンが映る。

 寝転がってだらだらしている涼子は、ポテチの袋を開けながら朱音を見上げた。

「羨ましいですか?」

「まぁ、ね。これの主人公みたく、『姉さんすげぇ』って思ってくれてるなら、どんだけ嬉しいか」

 少なからずそういう思いも抱いてくれているだろうが、それでも負い目の方がずっと大きいはずだ。

 でなければ、練習をサボりがちだったのはまだしも、あまり口も聞かないような関係になるはずない。

 こちらから話しかけた時も、どこか気まずげな雰囲気を漂わせていた。

 朱音にとってそれはいらぬ気遣いであるし、元を正せば原因も自分にあるのだから、本来なら気にやむ必要性すらないのだが、それを言ったところ無駄だっただろう。

 それどころか、今まで以上に自分を気遣うようになったはずだ。

 どうすればいいのか。どうする事が正解なのか。

 未だに答えは見つかっていない。

「うちとは逆パターンですね。うちの弟共は、あたしを安心させようとしつこいくらい付きまとってきましたよ。まあ、だから中等部に入学してから、弟達に会えなくなって不安になったんですが」

「でも、今は大丈夫なんでしょ?」

「えぇ。特別に会ったりするような事はないですが、気軽にマンガやアニメとかゲームを貸し借りし合うくらいには仲良しですかね」

「まだいいじゃない。うちなんて、現在進行形でほぼ絶縁状態なんだから」

 言いながら朱音は、テーブルの上にある携帯電話を手に取った。

 発信履歴には仕事や大学の友人達の名前に混じって弟の名前があるが、着信履歴には一つもない。

 メールボックスも同じ。

 送信ボックスは大学の友人や仕事仲間、斡旋所宛のメールの中にけっこうな頻度で弟宛のメールがあるが、受信ボックスには一通たりともない。

 時間もだいぶ遅くなってきたが、二一時過ぎならまだ起きているだろう。

 プロフィールから弟の電話番号を呼び出し、久方ぶりに電話をかけてみた。

 しかし、

『こちら、お留守番電話サー』

 結果は同じ。出る気配はなかった。

「それ、弟さんの番号ですよね。名前、なんて読むんですか」

(あきら)っていうの。今年で、十六歳になる」

「うちの弟共の、一個下ですね。朱音さんが溺愛するくらいですから、さぞ可愛いんでしょう」

「まあね。夏休みにでも帰省したら、一緒に写真でも撮って待ち受けにしたいくらいには、可愛いかも」

 物悲しげだった朱音の顔に、ふっと笑みのようなものが浮かんだ。

 慈しむような、心待ちにしているような、優しくて儚い微笑み。

 横目にそれをちらりと盗み見ていた涼子は、ぴとっと朱音の肩にもたれかかる。

「とりあえず、今はこのアニメでも見ましょうや。クールなお姉さんが、弟溺愛しすぎて笑えますから」

「うん」

 人の肌でも愛しくなったのだろうか。

 いつもなら振り払っているところなのだが、今だけは涼子の体温が空虚な気持ちを埋めてくれる。

 もしかしたら……いや……。

 もしかしなくとも、涼子に自分の過去をさらけ出した事が原因だろう。

 知られてしまった相手には、気張っている必要もない。自分でも意識してない範囲で身体が勝手に判断して、警戒を解いてしまったのかも。

 それに、弟のために強く在ろうとする姿勢は、自分とダブって見える。もしかしたら、出会ってすぐに打ち解けられたのも、二人が似た者同士だったからかもしれない。

 とめどなく溢れる、弟への罪悪感と愛おしさ。それらは底のない寂寥感(せきりょうかん)となって、朱音に襲いかかる。

 今の朱音は、里を出てから最も無防備な状態であり、同時に最も穏やかな気持ちになっていた。

「涼子さん」

「なんでしょーか、朱音さん」

「話…………。聞いてくれて、ありがとぉ」

「いえいえ。あたしは、自分のしてもらった事を、朱音さんに返しただけです。機会があれば、弟さんの話、聞かせてくださいね」

 涼子のお願いに、朱音は答えない。

 ただ、まるで我が子を見つめる母親のような表情で、ただうんと頷くのであった。

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