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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第参ノ巻~その者、天覇する異郷の民~
41/55

其ノ参:瞳に見えぬ傷跡

 気付いた時には、朱音の視界には二本の小太刀を振るう女の子の姿はなく、雲ひとつない青空が広がっていた。

 そして、腹部にかかるわずかな重量感と温かさ。

 最後に、感極まったような涼子の叫び声が聞こえてきた。

「あ~あ、負けちゃったかぁ」

 涼子にだけ聞こえるような声で、朱音はぽつりとつぶやく。

「いやいや、本気でやられたらそもそも、あたしじゃ防御できませんからねぇ。せめて符術でも使わない限り」

「それでも、負けは負けでしょ。はぁぁ、なんかショック」

「今、何気にひどい事言いましたよね? そこまでアレですか。あたしに負けたの」

猫屋敷流(そっち)と違って、草壁流(うち)は近接特化だもん。そりゃ、ショックの十個や二〇個や百個くらい、受けるわよ」

「百個って…………」

 朱音は吐き捨てるように言うと、再び青空を見上げた。ただ、口で言っているほど悪い気もしていない。

 恐らく、スポーツで対戦して負けた後って、こんな感じなのだろう。全力を出し切れなかったならいざ知らず、朱音としては出せる範囲で全力を出したつもりだ。

 そのせいか、負けたにもかかわらず妙にスッキリした気分だ。

 むしろ、久々に思い切り身体を動かせた事の方が、負けた事より嬉しかったのかもしれない。

 そんな風に言葉を交わす朱音と涼子の周囲でも、二〇人弱まで集まっていたギャラリーが解散していった。

 ちなみに一部に、悲痛な叫び声を上げる人間と、異様に盛り上がって歓声を上げている一団がある。

 中心にいるのはもちろん文佳で、倍率と賭け金に応じて集めたお金を再配分している最中であった。

「ぬぉおおおおおおお!! 俺のビール代がぁああああああああああ!!」

 そういえば、自分に五万円も賭けてるバカ教師がいたっけと、ふと朱音は思い返す。

 これに懲りて、少しは賭け事を自重していただきたいものだ。

「それじゃ、休憩にしましょうぜ。朱音さん」

「それもそうね」

 涼子は朱音の上からどくと、小太刀をしまって右手を差し伸べる。

 朱音はその手をしっかりとつかんで立ち上がると、バッグの置いてある文佳のベンチへと向かった。




 いったん休憩と相成った朱音と涼子を出迎えてくれたのは、ずぶ濡れになって文佳の部屋までシャワーを浴びに行った女の子であった。

「おつかれさま、お姉ちゃん達」

 そう言いながら、その子はよく冷えたスポーツドリンクとスポーツタオルを差し出してくれた。

「ではでは、ありがたく頂戴いたします」

「ありがとう。ごめんね、さっきは。身体冷えたりしてない?」

「うん、大丈夫。それより、お姉ちゃんたち、すっごぉぉぉぉぉぉぉく、かっこよかったよ!」

 手放しの称賛に、朱音も涼子もちょっぴりむずがゆくなる。

 特に負けてしまった朱音の方は、そのらんらんと輝く瞳がよけいにまぶしく見えた。まけちゃってゴメンナサイ、みたいな。

「かっこよさなんてどうでもいいんだよ。ったく、おかげで俺の五万がぱーじゃねぇか」

 と、今度は後ろから声がかけられた。女の子と違い、こっちは気の抜け切った、覇気のない声である。

「コミッチー先生、あたしに賭ければよかったのにぃ~。ぜぇぇぇんぶ、あたしを信じてくれなかったコミッチー先生が悪いんデスよ~」

「承認ランクで比較すりゃ、普通誰でもそっちの新人に入れるってぇの。お前、ただでさえ成績悪かったんだからなぁ」

「やだなぁ~、体育の成績はよかったじゃないですかぁ~」

「体育以外、ほとんど平均以下だったろ。ったく、少しは勉強もしろっての」

 振り返った涼子はヤラシイ笑いを浮かべながら、にししぃと古御門を見やった。先生が負けたのが、よっぽど嬉しいらしい。

 どれくらい嬉しそうかというと、朱音に勝った時の表情より十割増しくらいには嬉しそうだ。

 と、涼子に散々嫌味を言われたところで、古御門は朱音の方へと視線を移してきた。

 それに気付いた朱音も、軽く会釈をする。

「さっきも言ったが、改めて。高等部の体育教諭をやってる古御門だ」

「こちらこそ。えっと、陰陽科一階生の…」

「草壁朱音、だろ。承認ランクB-保有の、大型新人。入学する前から餓鬼討伐、鬼退治。でもって、この前は天狐も撃退して……。神格大好きなやつだな」

「命がいくつあっても足りないんで、いい加減勘弁してほしいです……」

 冗談混じりの古御門の台詞に、朱音は苦笑気味に返す。

 鬼、天狐、共に神格を有する、通常ならば十数人から数十人規模で事に当たるような相手である。

 今こうして普通に学生生活を送っている方がおかしい相手なのだが、どうにかなって自分でも割と驚いている。

 人によっては一生縁のないような強敵と、この短い期間で二度も相まみえたのだ。できれば、もう二度と神格級の相手とは戦いたくない。

「で、寮生活は慣れたか?」

「ルームメイトがいないんで、ちょっと寂しいですけど」

 ただ、最近は週に二回ペースで涼子が泊りに来ているので、プラマイゼロでちょうどいいくらいかも、と思うようにはなった。

 それはそれとしていいのだが、やっぱりルームメイトは欲しい。せっかくの学園生活で二人部屋なのだから、欲張りなお願いでもないだろう。

 あと、無駄に増え始めた涼子の荷物――着替えだけならまだしも、コミック類やアニメのBD(ブルーレイ・ディスク)、いかがわしい表紙のドウジンシ? なんかをお引き取りしてもらう口実にも、ぜひともルームメイトが欲しい。さすがにこちらは、口では言えないが。

「ま、用はないと思うが、何かあったら呼んでくれや。新入生」

「はぃ。わかりました」

 古御門は背中越しに手を振りながら、練習中の生徒のグループへと向かっていった。

 ただ、俺の五万が……、とぼやき続けているのが、非常に残念である。良く言えば飄々(ひょうひょう)とした、悪く言えば何か頼りない、そんな感じの人だ。

「まあ、悪い先生じゃないですよ」

「みたいだけどね。賭博行為はしてるけど」

 登場シーンとそれに続く昼寝は最悪であったが、寝起きの今は生徒一人一人を見て回っている。

 こまめに足を止めては、練習中の生徒に話しかけている。

 口だけで説明する事もあれば、ポケットから護符やら呪具(フェティッシュ)を取り出して、実演している姿も見受けられる。

 本当に最初のアレさえなければ朱音としても、全幅の信頼を寄せられたのに。

「さて、それじゃ私も様子見てくるかな。じゃ、いこっか?」

「うん!」

 朱音は着替えの終わった女の子を連れて、自分の担当の生徒たちの元へと向かった。




 それから数時間、六時限目終了のチャイムと同時に初等部の生徒は自分の校舎へと帰って行った。

 更に一時限後には中等部と高等部の生徒も帰り、残りは大学生のみとなる。

 そこからもう一時間弱の自主練を終えたところで、ようやく大学生の四時限目は終了となる。

 グランドに占める生徒の数が激減するので、大学生にとってはむしろこの時間こそが本番といってもいい。

 一対一、多対多の模擬戦が至る所で繰り広げられているのだ。

 そして派手な戦闘にはギャラリーができあがり、文佳に賭け試合にされていた。

 あの人、一日でどれくらい儲けているのだろうか。真剣に気になる。

 そんな殺伐としているのか和気藹々(わきあいあい)しているのかわからない時間を過ぎれば、

「みんな、お疲れ様ぁ。おいしくないかもしれないけど、これどうぞ」

 練習後のお楽しみの時間である。

 一口サイズに切られた文佳のお手製スポンジケーキが、みんなの前に用意された。

 大皿に盛られたスポンジケーキは、所々焦げ付いていたり、切り損ねてボロボロになっている物もあるが、とても美味しそうだ。

 みんな文佳に一言ずつ感謝の言葉を伝えながら、スポンジケーキを食べていく。

 朱音と涼子も例に漏れず、それぞれ、いただきます、ごちになります、と言いながらスポンジケーキを手に取った。

「あ、けっこう美味しい。甘さもちょうどいいし」

「でも、あーちゃん先輩、これちょっと焼き過ぎですよ。なんか、口の中ジャリっていったんですけど」

「あらあら、ごめんなさいねぇ。にゃんちゃんには、ハズレが当たっちゃったみたい」

 運悪く炭付きが当たってしまった涼子は、半分涙目になりながらケーキを口の中へと放り込んだ。

 さすがに悪いと思ったのか、文佳はころころ笑いながらも涼子にもう一つ勧める。

 今度は焦げてないのが当たったようで、

「あーちゃん先輩、これギガウマですなぁ」

 なんて言っていた。

 朱音もおいしかったので、文佳に断ってもう一ついただく。

「はぁぁ、やっぱり美味しい。これなら、毎日お弁当作ればいいのに」

「う~ん、それはそうなんだけどぉ。ほら、早起きって辛いでしょ?」

 と、真顔でダメ人間発言。

 いや、確かに最近夜更かしが増えて、就寝が翌日になるなんて事ざらにある。

 いや、よそう。弁当を作ってない自分が言ったところで、欠片の説得力もない。

 何とも形容し難い気持ちのまま、お楽しみのおやつタイムは終了。あとは夕食の時間まで、だべって時間を潰すだけだ。

「朱音さん、今日そっち泊まっていいっすかね? うちのルームメイト、今日友達の誕生会するらしいんで」

「それは別にいいけど、あの荷物どうにかしてくんない?」

「あ~、それはまた、機会があったらという事で」

「ところでネネっち。巨匠の刀の使い心地、どうだった?」

 朱音が涼子と他愛のない話をしているところに、空になった大皿を持った文佳が入ってきた。

 朱音は腰に携えた刀へと手をやる。小狐丸に近い形状と重量感のお陰で、不思議なほどしっくりくる。

 しかも涼子の小太刀と打ち合っても刃は傷一つ付かず、朱音の無茶苦茶な取り扱いでも柄は壊れなかった。

 朱音にとっては、これ以上ないと言っていいほどの逸品だ。

「代用っていうのが、勿体無いくらいの業物ですよ。それに、まるで同じ太刀を使ってるみたいに手に馴染んで。すごいとしか言いようがないです」

 朱音の心からの賛辞に、文佳はホッと一息ついた。

 八神かれんの兄こと、八神隆久の腕を高く買っている文佳であるが、こればっかりは個人の問題なのでもしかしたら手に合わないかも、と思っていたのだがそれも杞憂に終わったようだ。

「そっかそっか。じゃあ、巨匠に後でメールで伝えておくねぇ」

「はい、ありがとうございます」

 文佳は小さく手を振ると、エナメルバッグ二つ(商売道具入りと、現金入り)と大皿を持って寮へと戻って行った。

 他にも寮に向かう者や、コンビニに向かう者、学食の席を確保しようとする者もいるが、中にはおやつ後にもう一戦やらかそうという強者もわずかにいる。

「それじゃあ、また後で」

「うん。じゃあね」

 朱音と涼子は一言だけ言葉をかわすと、シャワーを浴びるために寮組の流れに乗って自室へと向かった。




 夕食の時間も過ぎ、ちょうど夜間巡回が始まる時間――二〇時頃、

「あっかねさ~ん! 来ましたぜぇ~い!」

 お菓子を満載した袋と数冊のコミックに、ちょっと豪華な紙袋を携えて涼子がやって来た。

「ちょっとぉ、また荷物増やす気?」

「まぁまぁ、あたしと朱音さんの仲じゃないですかぁ。おじゃましま~っす」

 と、部屋の主の許可なく、ずかずかと室内へ侵入する涼子。

 とても来客とは思えないような態度である。もっとも、四月下旬くらいから半分住んでいるようなものであるが。

 朱音の方も嫌そうなのは口だけで、部屋に入っていく涼子の背中を見ながら扉を閉じた。

 通過儀礼というか、これが二人のお決まりとなったやり取りなのである。

「涼子さん、お風呂入る?」

「はい。帰ってから軽くシャワー浴びただけなんで」

「りょーかい」

 そして朱音はお湯張りを開始して浴室から出ると、タイマーをセットして涼子の隣に腰を下ろした。

「あ、朱音さん、これお土産です」

 と、涼子は脇に置いた豪華な紙袋から、平たい箱を取り出す。

 包みには『ねこ屋』というお店の名前と、肉球のマークが描かれていた。

「うちの地元の和菓子屋さんの饅頭です」

「ありがとぉ。それじゃ、さっそく開けちゃおっか」

「はい!」

 朱音は居間のテーブルにお土産のお菓子を置いて、お粗末過ぎる台所から二人分のマグカップと緑茶のティーバッグを持ってきた。

 涼子はマグカップにティーバッグを入れてケトルからお湯を注ぎ、その間に朱音は涼子からのお土産の包みを開く。

 三毛猫模様の箱の蓋を開けると、色々なポーズをとった猫の饅頭が詰められていた。

「美味しそう」

「それに、可愛いっしょ? あたしみたいに!」

「あ~、でも食べるのちょっと勿体ないかも。先に写真でも撮っとこうか」

「……無視ですか。いや、まあそうなるだろうとは思ってましたけど」

 毎度お馴染み過ぎる涼子のボケには一ミクロンも触れず、朱音は携帯電話で猫饅頭の写真をパシャリ。

 我ながら上手く撮れたと、ちょっとだけ微笑んで見せた。

「っとに、放置されるボケほど、悲しいものなんてないんですから」

「はぃはぃ、わかったわかった。それじゃ、いただきます」

 涼子からの文句もそこそこに、最後のビニールの包装を破いた。

 饅頭特有の優しい甘さの香りが漂い、ちょっと前に夕食を食べたばかりなのにお腹が空腹を訴え始める。

 普通の女の子なら、ここで体重を気にして少しは控えたりするのだろうが、

「あむ…………。ん~、美味し~~~!」

 日頃から運動過多気味の二人は、そんな心配は無用である。

 目をきゅっと細めて甘さを堪能しながら、涼子からマグカップを受け取って淹れたての緑茶をすすった。

 うん、甘さの後に丁度いい味わい。

「はぁぁ……」

 と朱音、幸せ吐息。そんなほっこりした表情になった朱音を見て、涼子も一安心して猫饅頭を頬張った。

「そういや、朱音さんゴールデン・ウィークに帰省とかしなかったんですか」

「うん、うち遠いからさ。電車降りてから本数の少ないバス乗って、人気のない停留所から登山だもん。あと、お土産とかないし」

「確かに、そりゃ行くだけでも大変そうっすねぇ……。まあ、こっちもこっちで、色々大変だったんですけどねぇ。引率とか」

「そういえば、けっこう姉弟いたわね」

 はい、と涼子は熱々の緑茶をすすりながら、儚げな表情を作って見せる。

 確か、弟と妹が二人ずついたはずだ、と朱音は以前姉弟の話を聞いた時の事を思い出した。

「高等部のが二人に、中等部が一人です。末っ子は地元の小学校なんですけど、星怜大(ここ)の中等部を受験する予定です」

「それだと、学費がすごい事になりそうね……」

「ですから、あたしも学費は自前ですぜ。まあ、足りなかった時は、親に頼んだりしますけど」

「羨ましいわ。私なんて、学費は自分で払うからいいでしょって出て来たから、親にお金とか借りられないもん。勘当されたわけじゃないから、家に帰るくらいはできるけど」

 そういえば、兄は結局学校には行かずに里の中だけで勉強していたっけと、ちょっと前の事を思い出す。それでも朱音より頭がいいのだから、改めて兄がどれだけすごかったかを改めて理解した。

 今やっている講義こそ、大半が今まで学んでいた事の延長線上なので何とかなっているが、この先はいったいどうなる事やら。

 少なくとも、高等部まで赤点すれすれだった涼子よりはできる自信はあるが。

「そういえば、うちの実家は山の中なんだけど、涼子さんの実家ってどの辺にあるの?」

「新幹線使えば割と近くなんですけどね。天原駅から下りの在来線に乗って、二時間弱の倉守町(くらもりまち)市で降りて、バスで三〇分くらいのトコにある大苗路(だいびょうじ)町です。まあ、自然と史跡の多い以外は、特に何もないトコです」

 涼子は猫饅頭を頬張りながら、感慨深げに答えた。

 自然と史跡以外には何もないと言ってはいるが、その表情はどこか誇らしげだ。それだけ、故郷に愛着があると言う事なのだろう。

 引率が面倒とか言っておきながら、下の姉弟を引き連れて帰っているのだから。

 ――ちょっと、羨ましいかなぁ。姉弟がみんな、仲いいって。

 帰省する最中や、実家でこき使われて休んだ気がしないとか、ゴールデン・ウィーク中の話を聞きながら、朱音はふとそんな事を思った。

 一年と少し前に故郷である隠れ里を出てから、まだ一度も帰っていない。

 実家には連絡を入れていないが、兄や弟には時々電話やメールで連絡を入れている。

 ただし、兄の方は比較的電話に出てくれたりメールの返信をしたりしてくれるのだが、弟の方は電話も繋がらなければメールの返信もない。

 やっぱり、まだ昔の事を引きずっているのだろう。

 自分はもう気にしていないと何度も言っているのだが、それだけでどうこうできる問題ではない。

 あの事故は自分の責任なのに、その事で幼いころからずっと自分を責め続けていて。

「それはそうと、朱音さんにも兄弟っていましたよね?」

「あ、うん。兄さんと弟が…………ねぇ」

 と、気付けば目の前に涼子の顔があった。

 顔をぐいっと寄せてきて、のぞき込むように自分の顔を見つめている。

 まるで何かを探しているかのような、真剣な顔で。

「そうだ、朱音さん。お風呂入りましょ、お風呂。お湯入ってるんですよね」

「あ……う、うん。そろそろだと思うけど」

 その矢先、ピピピピ、ピピピピ、とタイマーが激しく音をまき散らした。

「たまには一緒に入りましょうよ。ね? ねぇ!」

「わかったから! そんな顔近付けないでぇ~!」

 朱音はキス目前まで迫っていた涼子を引き離すと、着替えを持って浴室へと向かった。

 尻もちをついた涼子も部屋の隅に固めてある荷物から着替えを取り出し、朱音を追って浴室へと駆け込む。

 その顔はいつも通りの超絶元気な笑顔であったが、どこか優しげな雰囲気が漂っていた。




 半ば脱ぎ捨てるようにして着衣を洗濯機に放り込んだ朱音は、湯船への緊急避難を試みた。

 口元まで使った朱音はゆっくりと振り返ると、湯船に手をかけてドアの向こう側をうかがう。

 曇りガラスもとい曇りアクリルの向こうでは、謎の脱衣ショーが行われていた。

 上下のジャージをするりと脱ぎ捨てると、ボディラインを強調するかのようにくねらせる。

 胸を張りながらティーシャツを脱ぎ、これ何の演技だと言わんばかりに腰を振りダンスをしながらするりと腕から落とした。

 そして腰の振りと足だけでショーツを降ろし、最後にブラのホックを外す。

「ふっふっふっ。お待たせしました、朱音さん」

 ドアを開けると、そこには両手をワキワキといやらしく動かす涼子の姿があった。

「誰も待ってない! てか、その手の動きやめなさい! あ、ああと……ちょっとは隠しなさいってば!」

 風呂場で両手をワキワキさせているという事は、すなわち完全な無防備な状態というか、生まれたまま的な姿なわけで。

 小学生前のような幼い頃ならまだしも、大学生になってまでそれでは、される方も困るというものだろう。なまじグラマラスなボディなせいで、朱音まで変な気分になってくる。

「いいじゃないですかぁ~、おんにゃのこ同士なんですからぁ。別に、減るものがあるわけじゃなし」

「減るわよ! よくわからないけど、何か大切なものが減るから!」

 朱音はともかくとして、涼子には女の子同士の場合は羞恥心なんてないらしい。

 それはそれとして、視線は背けながらもついついちらりと見てしまう。

 身長は朱音より一回り高く、バストも大きいのに足れておらず綺麗なおわん形で、腰のラインも流麗な美しいラインがヒップまで続いている。

 それに何より、髪を下ろした姿が新鮮であった。

 サイドポニーによって与えられていた活動的な雰囲気は一変して、今は包容力のあるお姉さんのような印象を受ける。

 まるで文佳のような、どんな事でも受け入れ、包み込んでくれるような優しさが。

「むふっ……」

 いや、でもそれは朱音の見間違いかもしれない。

 なぜなら涼子は、

「それでは……」

 両手をワキワキさせた臨戦体勢のまま、

「いっただっきま~っす!」

 湯船に向かって飛び込んできたのだから。




「いや、マジでゴメンナサイ。金輪際二度と決してこのような真似はいたしませんので、もう許してください」

 二〇秒後の浴室では、湯船の前で土下座する涼子の姿があった。

 朱音に向かって飛びかかったまでは良かったのだが、肉体強化によって生み出される破格の速度と握力によって顔面をロックされた涼子は、一瞬の抵抗すら許されず迎撃されてしまったのであった。

 並外れたアイアンクローの威力を物語るかのように、涼子の顔には指圧された五点がくっきりと赤く浮かび上がっている。

 というより、『いっただっきま~っす!』とは何だ『いっただっきま~っす!』とは。

 いったい何を頂くつもりだったのか。アレか、貞操的な意味でか、女同士なのに。

 もしそうならば、今後涼子との付き合いについて考えなければならない。

「いいわよ、もう慣れてるから」

 実に後ろ向きな理由で許された涼子は、お湯をこぼさないようにゆっくりと湯船に入った。

 身体も髪も実習場から帰った時に洗っているのだが、やっぱり肩までお湯につからないと一日が終わった気がしない。

 人一人がぎりぎり足を伸ばして入れない大きさの浴槽に、二人は背中を合わせるようにして浸かる。

 二人で風呂に入るなんて、何年ぶりの経験だろうか。もう十年以上はないような気がする。

 背中に感じる人の温かさに、思わず懐かしさと安心感がこみ上げて来た。

「ねぇ、朱音さん」

「んん?」

「兄弟の話、聞かせてくれませんかねぇ」

「…………!?」

 唐突な話題に、心臓がドキンとはねた。

 それも、一瞬の事ではない。動揺しているのが、自分でもわかる。

 ドキン、ドキンと、胸が痛いぐらい心臓が激しく鼓動していた。

 戦闘時の緊張には慣れる事ができるが、やっぱりこういうのはいくら経験しても慣れる事ができない。

「いえね、さっき同じ話題を切りだした時、朱音さんが暗い顔したもんで。それで気になっちゃいましてねぇ。なにか、辛い事でもあったのかなー、と思いまして」

 わかっていた事ではあるが、やっぱり涼子も優秀な術者だけある。

 前にも似たような事が何回かあった。あの時朱音が見せた一瞬の陰りを、涼子は正確に読み取っていたのだ。

「今でこそあたしもこんなちゃらちゃらしてますけど、辛い事くらいちゃんと経験してるんですよ」

 返事のしない朱音に構わず、涼子は話を続ける。

 その声は、確かにいつもの涼子のそれと違っていた。

 哀愁というか、儚さというか、そういったマイナス方面の感情を多くに含んでいて。

 それこそ、触れてしまうだけで壊してしまいそうな危うさを持って。

「あ、ここから先はナイショでお願いしますね。本人に知られると恥ずかしいんで」

 苦笑しながら、涼子は話を続ける。

 あるいは、背中合わせだったからできた事なのかもしれない。涼子自身、話しながらそう思った。

 そうだ、こんな話をするのは、あの人以外ではまだ朱音で二人目だ。

 涼子自身が思っているよりも、自分はあの日の事から立ち直れていないのかもしれない。

「あれはまだ、あたしが小学生の頃だったかなぁ」

 涼子は目をつむると、あの時の事を思い返していた。

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