表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第参ノ巻~その者、天覇する異郷の民~
40/55

其ノ弐:再戦

 朱音を始め、古御門と初対面のメンバーが度肝を抜かれている間に、当の本人は完全な熟睡モードへと突入した。

「涼子さん、あれ、何なの?」

「まあ、見ての通り、陰陽科担当の先生です。古御門(こみかど)宗次(そうじ)っていって、土御門の系統の人みたいですけど。今は土御門家との交流は断絶しているそうです」

「煙草ってさ、喫煙所以外は禁煙じゃなかったっけ?」

「もう灰すら残さず燃え尽きちゃいましたけどね」

 今まで見てきた術者の先生がまともだったために、古御門の態度がとてつもなく酷く映った。

 朱音は煙草を吸わないからわからないが、喫煙者に言わせれば高い税金払ってんだから好きな場所で吸わせろ、との事らしい。

 まあ、吸い殻をグラウンドに捨てないだけ、多少はマシかもしれないが。

「でも、あの先生の授業って人気あるんですよ」

 と、そこへ中等部数人を引き連れた美玲がやってきた。

「美玲先生、今日もお勤めご苦労さまです!」

「あの先生の授業が?」

「はぃ」

 なぜか敬礼してる涼子に返礼しつつ、美玲は苦笑気味に答えてくれた。

「まあ、何やりたいか聞いて、それ準備して、あとは放置なんですけど」

「それ、人気とはちょっと違う気がする」

 なるほど、苦笑してたのはそういう事だったからか。

 生徒に好き勝手やらせて後は放置って、やっぱりこの人は教師を早々に辞めるべきだと思う。今だって勤務中のはずなのに、いびきまでかいて寝ているのだ。怠慢もいいところである。

 古御門に冷たい視線を送る朱音に、じゃあ私はこれで、と美玲は後輩を連れて遠くの方に向かった

 後ろを付いて歩いているのは、中等部の生徒だろう。

 横を通り過ぎる時に、全員が朱音と涼子に会釈をしていく。

「それにしても、美玲ちゃんって後輩に大人気よねぇ」

「ですねぇ。後輩にあんな慕われてて、ホント凄いですよ。あたしなんて全然」

 まあ、涼子なら技術指導と一緒に、自分の趣味まで押し付けかねないが。もしくは、一緒になっていらん事して遊んだり。

 こんな人を師事しようとしない辺り、星怜大の生徒もなかなか優秀そうだ。

「朱音さん、今失礼な事考えてませんでした?」

「さぁね。どうだろ」

 本当に、この無駄な洞察力をもっと世の役に立つ事に使えばいいのに。

 さて、私もやるかぁ、と朱音は初等部の生徒を探して周囲を見回す。

 するとすぐ近くに汚れても大丈夫な体操服に着替えた生徒達が、背筋をびしっと伸ばして待っていた。

「水玉の姉ちゃん、今日は何すんの?」

 悪ガキ一号は期待に目を輝かせながら、一途な目で朱音の事を見てくる。

 純真無垢なだけに、怒るに怒れない。

 朱音は無意識の内に握りしめていた拳を、持ち前の精神力でなんとか解きほぐした。

 ――はぁぁ、全然忘れてくれない、こいつら。

 そう、朱音は初等部の一部生徒から、『水玉のお姉ちゃん』などという名前で呼ばれている。

 その原因というのは、室内で暴れ回っていた悪ガキコンビを黙らせようと奮闘しているさなか、全力でスカートをめくり上げられてしまった事に起因する。

 その時に穿いていたショーツがドット柄だったせいで、こんな風に呼ばれているのである。

 あれ以来、朱音は休みの日以外にスカートを穿いていなかったりするのだが、それはまあ置いといて。

「いい加減、『朱音お姉ちゃん』って、呼んでくれないかなぁ?」

 とは言っているものの、

「なぁなぁ、おれそろそろ、妖怪をどばーってぶっ飛ばす、かっちょいい術覚えたい!」

「おれも! おれも!」

 悪ガキコンビは、全く聞いていない様子である。

 でも確かに、いつまでも基礎練習だけというのもつまらないだろう。

「わかった。じゃあ、この前渡した紙、みんな持ってる?」

 朱音は中腰になると、担当の生徒達に目線を合わせながら優しく語りかける。

 五人は朱音の言葉に一層目を輝かせると、一目散にバックの置いてあるベンチまで走っていった。

 自分にも、あんな風に無邪気な時があったっけ、と朱音はふと自分の幼少期に思いを馳せた。

 あの頃は、ただ新しく術を父親から教えてもらうのが嬉しくて、いっぱい練習したっけ。

 元来の活発な性格もあってか、幼い頃から徹底的に仕込まれる肉体強化術は早くから物にできた。お陰で本来ならもっと年齢が上がってから修得の始まる術も、早くから身に付ける事ができた。

 だが、そのせいであの事件が起こったのだ。

 無意識の内に、背中へと手が伸びていた。

 術の修得があまり早い内から行われないのには、それなりの理由がある。

 霊力の制御はもちろんのだが、自分や周囲の事を考えられる判断力があるか否か。

 結局のところ、それが最も重要なのである。

 そのせいで朱音は弟を危険な目に遭わせただけではなく、自らも生死を彷徨うような重傷を負ってしまったのだ。

 この子達には、そんな危険な目に遭わないよう、安全も考慮してきっちりと教えなければいけない。

 先輩として後輩に気を配るだけでなく、そういった判断力や思考力も身に付けられるように。

「持ってきたぜ!」

「あの、私! ちゃんとできるようになりました!」

「ウソだろ? おれはまだ……」

「あたしも、まだちょっと……」

「もっと教えてください!」

 朱音を見上げる五人とも、真剣な目をしていた。

 そりゃ、新しい術を教えてもらえるのは、嬉しい。

 だが、同時に朱音は思い出す。

 嬉しいが、それと同じくらい、いやそれ以上に真剣な気持ちで取り組んでいた事に。

 ――そっか、そうだよね。みんなを守れるような凄い人になりたくて、この学校に入ったんだもんね。

 みんなを守れるように、なんてのは、単なる虚像だ。

 もはや普通の術者とは隔絶した位置にある者――承認ランクSクラスを所有するような者ならいざ知らず、世の中の大半の術者にはそんな力はない。

 それは神格を有する敵を相対した自分や涼子、晴之、麗にも当てはまる。

 しかし、それは誰しもが最初に目指すところには、間違いない。

「それじゃ、まずはどこまでできるようになったのか。見せてもらおうかな」

 五人の『はい!』という元気な声が、グラウンドに響いた。




 五人は何回も深呼吸して息を整えると、一人ずつ順番に札へと力を込めていった。

「うぉー!? やっちまった!!」

「ふぅぅ、えへへぇ」

「よっしゃ! できた! 本番に強いとかおれ最強じゃん!」

「いいなぁ……。あたしダメだったぁ……」

「あぅぅ、やっぱりできなかった……」

 結果は、五人中二人が成功。

 あとの三人は力の入れすぎだったり、足りなかったりで札に描かれた魔法陣が光る事はなかった。

 しかしながら、その結果には朱音も驚いている。

 この練習符の起動する適正霊力の量は、普段よく使う術の適正霊力の誤差範囲より、かなり狭く設定してある。

 将来、より高度な術を扱うような事があっても大丈夫なようにと、難易度を高くしてみたのだが……。

 いやはや、やはり侮り難きは星怜大といったところか。

 その後も何度か順番に力を込めていき、ちょうど十周したところでいったん休憩と相成った。

 最終的に、八割以上の成功を収めたのは、女の子一人だけだった。

 まあ、実際はそんなものだろう。

 一回の大成功より、百回の成功。

 安定した力を発揮できなければ、危険な仕事ができるはずもない。それどころか、例え簡単な仕事でも命を落とす事態になりかねないのだ。

 その事も含めて、ちゃんと教えていかなければ。

「みんな、まだまだね。その程度の制御力じゃ、本格的な符術は教えられないわ。けど……」

 と、朱音は足下のエナメルバックから、また違った種類の護符を取り出した。

「まあ、その真似事(●●●)くらいなら、いいでしょ」

 ざら紙にプリントアウトして作られた、簡易型の練習符。朱音が作った式を、文佳に頼んで大量生産してもらったのである。

 符術で用いる護符をベースに、余剰霊力を外部に放出する式を追加したものだ。

 ――もう、あんなのはゴメンだしね。

 そして威力の方も、怪我をしない程度にまで押さえられてある。自分や自分の弟のような目には、絶対に遭わせてはいけないから。

「前に渡したのより、発動しやすくなってるけど」

 朱音は新しい護符を、五人に一枚ずつ渡した。

「力の配分間違えたら、何も起きないから」

 新しい護符を手にした五人は、食い入るようにそれを見つめる。

 それこそ、穴が開くくらいずぅぅぅっと。

 恐らくは、口ではああ言っていたが、本当に教えてくれるとは思っていなかったのだろう。

 その分だけ、五人の喜びようはすごかった。

「おぉー! スゲェ!」

「あの、ホントにいいんですか?」

「マジデカ!? よっしゃあ!!」

「ありがとうございます。水玉のお姉ちゃん」

「でも、危なくないんですか?」

 でも、そんな中でも冷静というか、よく考える子がいた。

 まだ前の護符で上手く魔法陣を光らせる事のできないといっていた、二年生の女の子である。

 普段から自信のなさそうな子だったので、気にはなっていたが。

「大丈夫よ」

 朱音はその子と同じ目線まで腰を屈め、その小さな手を両手できゅっと握った。

「霊力が少なすぎたら反応しないし、多すぎたら力を外に逃がすような仕組みになってるの。それに、威力もかなり抑えてあるから、怪我したりもしない。だから大丈夫。ね?」

 朱音は大きく見開かれた目を見ながら、にっこりと笑って見せた。

 それに釣られたのか、怖がっていた女の子もにっこりと笑い返す。

 朱音は、じゃあ頑張ろっか、と頭を撫でると、すっと立ち上がった。

「それじゃあ、みんな集中して。私が込める霊力、ちゃんと感じ取って、同じくらいその護符に流し込むのよ」

『はい!』

 元気いっぱいの返事にうんと頷くと、朱音は数歩下がって右手を前方に掲げた。

 その指先には、例のざら紙で作った練習符が挟まれている。

「いくわよ」

 五人の視線が、指先に集中する。

 (わず)かな変化すら、見逃すまいとするように。

 間もなくして、その瞬間は訪れた。

「破!」

 ごく短い呼気、気合いの一言。

 護符はまるで引火したガスのように、一抱えほどもありそうな炎の玉となって消失した、

『おおぉっ!!』

 炎の大きさが予想以上だった事もあり、五人は驚きと共に歓声を上げる。

 火傷もしないような威力と言われていたのだから、当然と言えば当然であろうが。

「じゃあ、万が一にも怪我をしないように、もう少し距離をとって練習してね。それじゃ、始め!」

『はい!』

 五人はそれぞれが少し離れると、渡された護符に適当な量の霊力を送り始める。

 少なすぎてもダメだが、多すぎてもいけない。

 精密な力の制御ができないこの年頃の子には、まだまだ難しいはずだが…………。

「あぁっ、できた!」

 唯一、護符を八割の確率で光らせた女の子が、さっそく術を発動させた。

 護符はソフトボールほどの水球となって、パチンと弾けたのだ。

「あ…………」

「つめたい」

 ただ、水が散って服がぬれる事までは考慮していなかったのが悔やまれる。

 学校指定の体操服に身を包んだ女の子は、上半身からびっしょり水を浴びてしまった。

「あらあら、これはいけませんねぇ」

 と、その様子を見ていた文佳が、ころころと笑いながらやってきた。

 ばつが悪くて、朱音はしゅんとうなだれる。

 普段自分が使うのが炎ばっかりなせいで、完全に失念していた。

 これはまた、色々と改良しなければならない。

「ネネっち、この子は私がお風呂連れて行くから、大丈夫だよ」

「えっと、すいません」

「ううん、いいの。それと、次も(●●)よろしくね」

「あ……………………はぃ」

 着替えのためと水で冷えた体を温めるため、文佳はずぶ濡れの女の子を連れて寮へと入って行った。

 次というのは、次に作る練習符の事を言っているのだろう。

 今の練習符だと、水を召喚してしまう子はそのたびにずぶ濡れとなってしまう。

 ――はぁぁ、また金が飛んでいく。まあ、格安だからいいけど。

 ある意味、総合学部一番の勝ち組って、文佳のようなタイプなのかもと朱音はふと思ったのだった。

 するとそこへ、

「草壁先輩、ちょっといいですか?」

 なにやら細長い荷物を持った八神かれんが、すぐ隣に立っていた。




 八神かれん。

 星怜学園大学附属高等学校天原校、総合学科特別鬼術コースに在籍する一年生だ。

 長めのボブカットから、アホ毛が一本ぴょこんと飛び出している。

 二重まぶたのお目々は無駄なくらいパッチリしていて、まだまだ幼い雰囲気がただよっている。

 それに加えて一五〇センチ以下の身長というのも相まって、一見すれば小学生にも間違えられてしまう事もあるらしい。ただし、これでも立派な高校生である。

 そのかれんの手には、擦り切れた布に巻かれた細長い物が握られていた。

 ――あれ、これって……?

 長さは一メートル弱、布はゆるやかな弧を描いており、そして朱音の感覚でも判別のつかない不可思議な力を感じる。

「かれん、さん?」

「呼び捨てでかまいませんよ。かれんって、呼んでください」

 小首をかしげながらにっこりと微笑むかれんに、思わず保護欲をそそられる。

 いかんいかん、私には可愛い弟がいるじゃないか。とは思うものの、どうもなかなかうまくいかない。

 やっぱり、純真無垢な目には勝てない。

 改めてそう自覚した、朱音であった。

「じゃあ、かれんちゃんで……」

「はぃ」

 もう一度頷くと、かれんは手元の物から布をはがしてゆく。

 現れたのは、朱音の予測していた通りのものであった。

「それが、代わりのやつ?」

 そう、それは紛れもなく日本刀――それも朱音が愛用している太刀とよく似た大きさと形状をしている。

「はい。お兄ちゃんが、先輩の太刀と大きさや重量が近いのを選んだそうです。高度な肉体強化状態での使用にも耐えられる性能を持っていまから、多少の任務なら差し支えないはずです。どうぞ」

 朱音は恐る恐る、差し出された太刀を手に取った。

 ずっしりと掌にかかる重量感は、確かに懐かしささえ感じるほど小狐丸とよく似ている。

「銘を、明月(あかつき)と言います」

「明月……」

 ゆっくりと太刀を引き抜き、刃へと目を落とす。

 一点の曇りもなく澄み切った太刀からは、ある種の清浄さのようなものを感じる。そう、圧倒的な浄化能力を誇る、神道にも通ずるような。

 なるほど、悪鬼の討伐にはもってこいの太刀かもしれない。

「代用品って、またとんでもないもん持ってきてますね。だから巨匠言われるんすよ、八神先輩」

「うん、納得いった。これは巨匠だわ」

 朱音の肩越しに、涼子が明月の刃をのぞきこんできた。

 でも確かに涼子の言う通り、とても代用品とは思えないような代物だ。

 まだ使ってはいないので正確な事まではわからないが、十分実戦でも使えるような気配が漂っている。

 小狐丸のように管狐をとり憑かせて、属性を付与させたりするのは無理だろう。

 しかし、浄化に関して言えば、この明月の方が圧倒的に上だ。まさに、匠恐るべし、である。

「時に朱音さん」

「何よ?」

「試し切り、してみたくありませんか?」

 笑ってはいるものの、涼子の目には狩人のような闘争の炎が燃え盛っていた。

 ――いいわよ、そっちがその気なら……。

「いいわね。それじゃちょっと、付き合ってもらおうかな」

「それを言うなら、“突き合う”、じゃないですか?」

 朱音は明月を腰に引っさげると、涼子とそろって開けたスペースのある場所まで移動した。




 広いグラウンドという事もあって、この時間は毎回数組のグループが実戦さながらの撃ち合いをしている。

 現に隅っこの方では、美玲が下級生を連れて一対多の集団戦闘の模擬戦をしていた。

 相変わらず、異様なほどに立ち回りがうまい。

 まるで全方向に目があるかの如く、どの方位からの攻撃にも的確に対処している。自分では、あそこまでスマートな対応はできないであろう。

 さて、と朱音は視線を美玲から涼子に戻した。

 今回は明月の具合を確かめるのが目的なので、武器は近接武器のみ。

 使用可能な術は肉体強化術だけで、他の式神や符術の使用もなし。完全なるガチンコ対決である。

「朱音さ~ん。しばらく刀を握ってなかったからって、負けた時の言い訳にしちゃダメですよ?」

「そっちこそ。本気で来なさいよ。一瞬で片がついちゃったら、試し切りもなんもあったもんじゃないんだから」

 朱音は明月を中段で構え、涼子は二本の小太刀――火凛(かりん)紅椿(くれないつばき)を構える。

 体勢を低くし、膝を折って力を蓄え、

「はぁッ!」

「せいやッ!」

 それを一気に爆発させた。

 十メートルはあった距離はたった一歩で一メートル以下にまで縮まり、中間点でオレンジの火花が弾け飛ぶ。

 朱音の上段からの振り降ろしを、涼子は二本の小太刀で受け止めた。

「相変わらず、重いなんてもんじゃないですね」

「これでも、けっこう力抜いてるんだけどね」

 肉体強化の強度が高い分、朱音の一撃は涼子のそれをしのぐ。

 両腕にのしかかる大きく人間離れした膂力に、涼子は微苦笑を浮かべていた。

 だが、なにも受け止める必要はない。力を別の方向にいなしてやればよいだけの事。

 涼子は自身の身体をコマのように回転させながら、朱音の力を後方へと流す。

 そして一回転したところで、後方から二本の小太刀が朱音に襲いかかった。

 しかし朱音の方も、屈みながら半回転してそれを回避。続けざまに姿勢から、強烈な突きを放つ。

 動作が少ない上に肉体強化で速度を増した突きは、もはや常人が反応できる域にない。

「危ない危ない、危うく串刺しになるところでしたよ」

「この程度、かわしてくれなきゃ私が困るっての」

 だが、朱音より強度は低くとも、涼子も同じ肉体強化術を有する術者。

 突きの軌道を正確に見切り、小太刀を下からぶつけるようにして軌道をずらしたのである。

 それでも首元を通り過ぎる瞬間には、背中から冷たい汗がドッと噴き出した。

 ――やっぱり、朱音さん半端ないですねぇ……。

 軽口を叩いてはいるが、やはり近接戦闘に特化した術者とやりあうのはキツい。

 涼子が知る中でも、朱音は指折りの強さを持つ術者だ。それも接近戦だけの強さともなれば、最低でも十指以内に入る強さである。

 涼子は明月を弾きながら、斜め後方へとジャンプした。

 再び距離が開き、両者は得物を構えたまま互いの動きに注視する。

 静かに、しかし着実に高まってゆく緊張感。

 気付けば周囲には、少なくないギャラリーが集まっていた。

「はいは~い、まだまだ間に合いますよォ~。新入生の草壁朱音さんと、中等部からの猫屋敷涼子さんの対決。一口千円で~っす」

「俺、涼子ちゃんに二千円!」

「じゃあ、私は新人ちゃんに千円」

「なら、オレはこの前だいぶ儲けたし、にゃんこに一万賭ける!」

「あんた、またお金を(ドブ)に捨てるような真似を……」

 しかもなぜか先ほど女の子を連れて行ったはずの文佳がいて、当人達のあずかり知らぬ間に賭け試合にされている。

 あれって、学生的にいいのだろうか。甚だ疑問である。

 もっとも、初等部の生徒から大学生に至るまで、誰一人として不審に思っている者はいないようだが。

「んじゃ、俺は新人に五〇口賭ける」

「あ、古御門先生、おはようございます。はぃ、確かに五万円頂きましたぁ」

 ――先生までこれって…………。はぁぁ、まあ今さらよね。

 禁煙の場所でタバコ吸ったあげく、仕事もせずに寝ていた体育教師兼陰陽科担当の古御門は一言たりとも注意することなく、文佳の広げるエナメルバッグに福沢大先生五人を放り入れた。

 文佳の方も、取り出したノートに金額と名前を記入していく。何とも小慣れた様子だ。

「あっちゃー、あーちゃん先輩始めちゃいましたか。じゃあ、あたしに賭けてくれた先輩方の為にも、負けるわけにゃあいきませんなぁ」

「ま、私には実害ないし、どうでもいいけど。でも、だからって負ける気はさらさらないから」

 言葉を交わし終えた二人は、地面を踏み抜いて一直線に相手へと迫った。

 先に涼子を射程に収めた朱音は、横薙ぎに明月を一閃させる。

 だが、それが涼子の姿を捉える事はない。地面すれすれまで身体を傾けた涼子の頭上を、朱音の一太刀が通り過ぎる。

 直後、涼子の身体が地面から跳ね上がった。小太刀を握ったまま両手を地面について、急制動をかけたのである。

 地面に着いた手を起点に、涼子の踵が真円を描きながら朱音の両肩へと降り注いだ。

 しかしその奇襲攻撃も、朱音は並外れた反応で回避して見せた。短いサイドステップを刻んで回避した朱音は、返す刃で再び涼子を急襲する。

 残像でも残すかの勢いで振られた明月であるが、すでにその進路上には二本の小太刀が待ち構えていた。

 それでも朱音は構わず、渾身の力を込めて明月を叩きつける。衝撃で、涼子の身体が軽く五メートルは吹き飛ばされた。

 だが、朱音の身体はそこで止まってはいない。

 空中に投げ出された涼子を追って、猛烈なダッシュをかけたのだ。

 着地よりも先に涼子に追いついた朱音は、全ての勢いをぶつけるかの如く明月を逆袈裟に薙ぎ払った。

 直前でバランスを崩した涼子は、ごろごろと激しく地面を転がる。

 だが、痛みに悶絶している時間も、思考を巡らせている時間もない。

 考えるよりも先に両手足で地面を蹴り、身体を浮かせて空中でバランスを整える。

「ったたぁ……」

 なぜなら、

「ちったぁ一息する時間を……」

 近接戦闘においては圧倒的なポテンシャルを誇る草壁流の術者が、目前まで迫っているのだから。

「くださいよ!」

「さっきまで調子乗ってた罰よ!」

 大上段から迫る必殺の一撃を、二本の小太刀で受けて横方向に逃がす。

 しかし朱音は真下に向かうはずの刃を返し、真上に跳ね上げた。

 寸前で回避した涼子であるが、サイドポニーの先端からはらりと髪の毛が斬り落とされた。

 ――っとにもう、こっちは腕が痺れっぱなしってのに。

 胸中で吐き捨てつつ、涼子はバックジャンプを繰り返して朱音と大きく距離をとる。

 直撃を受け止めたのは、たったの二回。にも関わらず、気を抜けば小太刀がすっぽ抜けてしまいそうなほどの痺れを感じている。

 これが、近接戦闘に特化された術者の力か。涼子は改めて、その力すごさについて実感した。

 しかも、粘り強さも折り紙つき。

 味方にすれば心強いが、絶対に敵には回したくないタイプである。

 余裕の表情を見せる朱音に対して、涼子も強がって勝気な笑みを浮かべて見せる。

 ――さてぇ、どうしたもんでしょうねぇ。速さでは、朱音さんにゃ勝てませんし。

 もっとも、攻め手が限られている以上、あまり考えても意味はなさそうであるが。

「ま、しゃあないですねぇ」

 結局、覚悟を決めて突貫あるのみ。

 符術も式神も使えなければ、やっぱりこれしかない。

 まさか涼子から仕掛けてくると思っていなかった朱音は、わずかばかり反応が遅れてしまう。

 朱音とて、自身の持つアドバンテージは理解している。それ故に、遅れてしまったのである。

 今からでは間に合わない。ならば、涼子が間合いに入った瞬間に斬るまで。

 その瞬間が訪れるのを、朱音は息を殺して待つ。

 そして一秒にも満たない時間が過ぎ、

「はッ!」

 後方いっぱいまで振りかぶられた明月が、渾身の力で横薙ぎに振るわれた。今日一番の速さだ。

 刀身を目視できた人物は、いったいどれだけいるだろう。それほどまでに、速い一撃だった。

 だが、涼子もそれは読んでいた。ただし、予想していたのよりはるかに速かったが。

 それなりの実力を持つ涼子ですら、軌跡が線に見えた程度。もっとも、いくら速くとも関係ないのだが。

 間合いに入る直前、涼子は朱音の足下に向かって滑り込んでいたのだから。

 涼子は滑りながら、朱音の足を踵の方から蹴り上げた。

 そしてバランスを崩したところで、

「ふぃぃ、勝ったぁぁぁああああああああああ!!」

 朱音に馬乗りになった涼子は両手を掲げ、盛大な勝鬨(かちどき)を挙げるのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ