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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第弐ノ巻~うたかたの命、とこしえの想ひ~
31/55

其ノ拾壱:桜色の炎は閉じる

 きっかけは、本当に他愛もない言葉の応酬だった。

『まったく、龍脈の力を好き放題使いよってからに。お前は土地神かなんかか!!』

 桜華とのやりとりの中、陽毬の叫んだこの一言がヒントだった。

 ――あの天狐、土地の力は使っていても土地神ではない……。

 土地神とはその名の示す通り、その土地で(まつ)り上げられている神を指す。

 強引に祀り上げられたのか、自分の意志で土地神となったのかは別として、土地神とはその土地の加護を最も多く受けられる存在――つまりは龍脈の力を最も扱いやすいという特徴を持っている。

 ――それならば、やった事はありませんが、可能かもしれませんね。

 恐怖にすくむ足を叱咤(しった)し、敵のプレッシャーに負けないよう心を強く持つ。

 魔術師ですらない妖狐にあれだけ言われておいて、何も感じないわけがない。

 自分は退魔を生業とする家系に生まれ、自分もその道を志すと幼い頃から決めていたのに。

 このままでは、本当にただのお荷物だ。

 それでいいはずがない。

 自分は日本最大にして最強の魔術師の家系、土御門の血を受け継ぐ者なのだから。

 麗は式の構築を脳内で練り上げながら、朱音と晴之の下へと急いだ。




 すぐに二人の傍へと駆け寄った麗であるが、話す時間を与えてくれるような甘い敵ではない。

 地面を滑らかに蛇行しながら、炎弾を放ち、大刀を振りかざしながら、三人に迫ってきた。

「水剋火、水流――急々如律令!」

 朱音は四枚の護符を取り出し、宙へと解き放つ。

 複数の護符を使った符術はあまり得意な方ではないのだが、こうでもしなければ桜華の炎は防ぎきれない。

 剣技の時よりわずかばかり不安定ながら、護符から召喚された莫大な量の水は炎弾を飲み込みながら桜華へと突き進む。

 しかし、攻撃は炎弾だけではない。

 右手の大刀を腰だめに構え、真一文字に振るった。

 水の激流はたちまち両断され、桜華の周辺の地面を大きくえぐる。

『内容は後で聞かせろ』

「…………行ってくる」

 桜華を迎え撃つべく、晴之は朱音の前へ出て桜華へと照準を合わせた。

 元々が持続型の晴之はともかく、朱音は術の連発で少しばて気味なのだ。

 両腕を広げたまま下肢にいっぱいの力を込め、予備動作を一切なしに加速した。

「で、私達はどうすればいいわけ?」

 二人に話しかけてきたという事は、麗の作戦には朱音や晴之の協力が必要なのだろう。

 朱音は乱れた息を整えながら、麗の声に耳を傾けた。

「それなのですが、貴女の管狐を一匹、お貸し願えませんか? できれば、水行の力を有しているのが好ましいです」

「うちの子を傷つけるわけじゃないなら別に構わないけど……。いったい何に使うの?」

「一言で言えば、土地神に祀り上げるのです」

 その思いつきには、朱音も度肝を抜かれた。

 一瞬、この子は本気でそんな事を言っているのだろうかと、麗の正気を疑うほどに。

「な、なんですか。その目は」

 視線の意味に気付いた麗は、小さく非難の声を上げる

「いや、あまりに突拍子もない事言うから」

「天狐相手に、正面から戦えるような人に言われたくはありませんわ」

 どうやら、麗は本気なようだ。

 もっとも、こんな場面で冗談を口走るような者もいないであろうが。

 桜華にも注意を向けながら、朱音はその先を促した。

「かいつまんで説明しますと、ここに仮初めの神殿を作り、貴女の管狐を一時的に土地神に昇格させらすの。そうすれば、あの天狐の使っている龍脈の力を奪い、さらは管狐に奪った分の龍脈の力を使えるようになります。土地神の加護を得られれば、あの天狐を退ける事も可能かもしれません」

「説明に関しては一応理解できたけど……。本当にできるの?」

「『通りの通らない事を無理やりにでも通す』のが、わたくし達『魔術師』だそうですから。なんとかしてみせますわ。土御門の名に賭けて」

 麗は胸に当てる拳を、きゅっと固く握りしめた。

 これでもう、後には引けない。

 自分が失敗すれば、下手すれば朱音や晴之達、自分すらも死んでしまうかもしれない。

 しかし、今必要なのは失敗への恐怖ではなく、絶対に成功させるという思いだ。

 緊張と恐怖を乗り越えて、あの天狐を何としても倒す。

 震える手を胸に抱え、自分ならきると麗は強く念じた。

「じゃあ、そっちは任せたわよ。玄葉、出てきて」

 朱音は腰にぶら下がる御守りの中から黒地に金糸のものを握ると、口から半透明の狐が現れた。

『朱音ちゃん、そろそろ決着?』

 けっこう気の弱そうな雰囲気の、くすんだ灰色の毛並みをした管狐である。

 ほんの少し期待の視線を向けてきたものの、向こう側で激しい戦闘を繰り広げている桜華と晴之の姿を見て、ぶるぶると震えだす。

『……じゃあ、なさそうね』

「悪いけど、ちょっとこの子に付き合ってあげて」

「初めまして。土御門麗です」

『あぁ、どうもご丁寧に。管狐の玄葉と申します』

「自己紹介なんていいから。じゃあ土御門さん、後頼んだわよ」

 後の事は全て麗に任せ、朱音は晴之の援護に向かった。




 桜華と晴之の戦いは、熾烈を極めていた。

 高速戦闘に特化した晴之と陽毬に対して、鉄壁の守りと一撃必殺の攻撃力に加え、朱音や晴之ほどではないが高い機動力を備えた桜華。

 一見拮抗しているようにも見えるが、着実に追い詰められている。

 晴之の慣れと反応速度によって、辛うじて回避しているといった所だ。

 今にも消えそうになる無縫衣を、陽毬は気力だけで何とか維持している。

 もっとも、その気力の支えはと言えば、桜華をぶちのめしたいという、極めて不純な理由だったりするのだが。

「ちょこまかと、よく動く」

 縦横無尽に振るわれる大刀を、晴之は紙一重でかわす。

 あれだけ何度も攻撃を受けていれば、タイミングもつかめてくるというものだ。

『そういう貴様は、動きが悪くなっとる気がするのだが?』

 陽毬の安い挑発に乗るつもりはないが、このままではらちが開かないのもまた事実。

 桜華は時折朱音と麗の方をみやりながら、晴之に向かって大刀を振り下ろすも、またしてもギリギリでかわされてしまった。

 せっかく邪魔者もなく、金剛九尾を吊し上げられると思ったのだが、思った以上によく動く。

 自分とは違い、陽毬はこの空間に居るだけでも身体が削られるような状態なのに。

 ――これが、十二人同盟を退けた者の底力、というやつか……。

 晴之と陽毬の粘り強さは感服に値するものだったが、遊戯に付き合う気など毛頭ない。

 八本の尾をタイミングをずらして突き出してくる時間差攻撃の、その間隙を縫って桜華は一気に後方へと離脱する。

「消し飛べ!」

 両手で握って一薙ぎされた大刀の軌跡から、これまでの三倍以上の桜色の炎が溢れた。

「…………陽毬」

『任せろ』

 津波のようになって押し寄せる炎に対して、晴之は無謀とも思えるほど一直線に突っ込んだ。

 一つに束ねられた八本の尾は、陽毬の精神に呼応して光量を爆発させる。

『裂破城塞!』

 尾が最大限まで伸びきった所で、晴之は前方に飛びながら一回転した。

 まるで帚星の如く白い軌跡を描く尾は、桜色の夜空を斬り裂きながら津波のようになって迫る炎を見事に両断する。

 敵の大技を破ったのに浮かれる陽毬であるが、桜華の攻撃はまだ終わりではなかった。

 分厚い炎の波の向こう側に貼り付き、目の前まで迫ってきていたのだ。

 低く構えられた大刀の刃が、不気味に上を向く。

「貴様に引導をくれてやる、金剛の!」

 唸りを上げて、大刀が上へと迸った。

 未だ技の制動中である晴之は、反応こそできたものの見守る事しかできない。

「ったく!!」

 と、不意に晴之の身体が後方へと引っ張られた。

 しかもこの力がやたらと強く、晴之の身体は地面を何度かはねる。

「何やってんですか!」

 代わりに晴之のいた場所に、朱音が割って入った。

 朱音は桜華の大刀へ小狐丸をぶつけるようにして、その軌道をわずかにそらす。

黒鴉(クロガラス)!」

 加えて、朱音は桜華の足下に三体の式神を見舞いながら、大きくバックステップして晴之達に合流した。

『すまんなぁ、朱いの』

「お礼とかも別にいいですから。てか、なんですか、あの技名」

「…………簡単にイメージができるようにって、陽毬が勝手につけた。恥ずかしいから、僕は嫌だったんだけど」

『そそ、そんな事はどうでもよいではないか! それよりも朱いの、はよぅ子細を聞かせぃ。あの高飛車、いったい何をするつもりなのじゃ?』

 技名の事で陽毬をからかうのも楽しそうなのだが、そんな猶予はない。

 朱音は麗から聞かされた、あまりに型破りすぎる方法について晴之と陽毬に話した。

「私の管狐に、水行に属する玄葉って子がいるんですけど、その子を無理やりここの土地神に祀り上げて、桜華の使ってる龍脈の力を断つって」

 爆煙を突き抜けて、桜華が晴之と朱音めがけて大刀を振り下ろす。

 今度は晴之が朱音を押しのけ、桜華の斬撃を受け止めた。

 身体を強引に間合いの内側へとねじ込み、桜華の手首をつかむ。

「…………また、そんな無茶苦茶な」

『じゃが、実に面白い。けっこうではないか』

 陽毬の闘志に火が点いたのか、晴之の身体を包む無縫衣の光が一層強くなる。

 晴之はそのまま、桜華の身体をぶん回し、遠方へと放り投げた。

 落下直前でホバリングしたのでダメージはないが、けっこうな距離は確保できた。

『それまでの時間稼ぎ、付き合ってやろうではないか』

 雄叫びを上げながら迫ってくる桜華を迎え撃つべく、朱音と晴之は全身に霊力を巡らせた。




 朱音と晴之が桜華を食い止めてくれている間、麗は玄葉を土地神へと祀り上げるための術式を構築していた。

 必要なものは祀られる神あるいは御神体、それらを祀る神殿、そして供物の三つ。

 麗はこの内の一つである神殿を、今現在形成しているのだ。

『あの、これで本当に大丈夫なのでしょうか?』

「神殿というのは、極論すれば周囲の空間から霊的に切り離された場所、という意味ですから。結界で区切ってやれば、理論的には形成できると思うのですが……」

 確証はない。

 なぜなら、そんな事をやった経験など無いからである。

 そもそも今の時世、霊的存在を土地神に祀り上げる儀式すらろくに行われていないだろう。

 せいぜい、一部が地域の祭りや神事へと形を変えて、ひっそりと受け継がれているくらいだ。

「結界の施行は終了。これより貴女を中心にして、龍脈の流れる経路を形成します。まだ力は流しませんので、違和感があればおっしゃってください」

『わ、わかったわ』

 玄葉を中心に東西南北へと正確に護符を配置し、正方形の対魔術結界を形成した。

 これで結界の内側は、外側とは霊的に切り離された空間となる。

 麗はそこへ更に幾何学的に護符や式神を配置し、龍脈の流れる経路を形形成していく。

 外枠が完成すると、今度は龍脈へと直接経路を伸ばす。

 慎重に、繊細に、命綱無しで綱渡りをするような細心の注意を払って、式神や護符の位置を再調整した。

「はぁぁ、できましたわ」

『では、これで準備完了ですか?』

「えぇ。これから龍脈の力を呼ぶために、奉納の舞と供物を貴女に捧げます。土地の力はかなり強力なので、覚悟しておいてくださいませ」

『は、はぃ』

「下手でも笑わないでくださいね。舞を踊ったのは、本当に幼い頃なので」

 麗は最後におどけて見せると、玄葉から二メートルほど離れた。

 そして最後に、陣の再確認をする。

 結界で仕切られた即席の神殿に、龍脈の経路となる起点に配置された護符と式神の数々。

 どれか一つにでも不備があれば、玄葉を土地神に祀り上げる儀式は失敗する。

 単に儀式が失敗するだけならまだいいが、恐らく玄葉や麗の身体に反動が返ってくる事だろう。

 自分の脳内で構築した神殿と寸分の誤差もない事を確認すると、麗はポケットから儀式用の短刀を取り出す。

 その瞬間、麗の纏う空気が明確に変化した。

 腰を低く落とし、短刀を上に掲げたまま静かに目をつむる。

 五秒ほど静止していた麗であったが、その身体がゆっくりと動き始めた。

 短刀をまるで戦うように振り抜き、しゃなりしゃなりと足下がスローテンポのステップを刻む。

 くるりと回ったかと思えば一直線に進み、かと思えば斜め後方へと下がる。

 と、今まで遅いリズムで刻まれていたステップが、いきなり転調した。

 悠々にして優雅だった舞いは、激流のように激しくなる。

 くるくると足下に円を描き、短刀を縦横無尽に振り回し。

 静と動、めりはりの効いた舞は凄みがあり、見る者を問答無用に引きずり込む。

 舞が徐々に加速していくに連れて、神殿にも変化が訪れた。

 結界の境界線部分が、徐々に光を放ち始めたのだ。

 光りは麗の配置した護符や式神で構成された経路をたどり、そろそろと中心部――玄葉――に近付いてゆく。

 龍脈から溢れる光に呼応するように、麗の舞は更に加速していった。

 上下にはね、足が地面を打ち、短刀がびょうと空を切る。

 観客がいれば総立ちになる事間違いなしだが、今この場で麗の舞を目撃しているのは玄葉だけだ。

 その玄葉も、完全に麗の舞に魅入られていた。

 ――朱音ちゃんにも見せてあげたいわ。

 麗の舞もいよいよ最高速に達した時、ついに異変が訪れた。

 中心部を目指して迫ってきていた龍脈の力が、ついに玄葉の中へと流れ込んで来たのである。

 自らの中で暴れる膨大な力の奔流に、玄葉の意識はかき消されそうになる。

「しっかりなさい!」

 だがそれを、

「あの天狐を退けるには、この儀式を成功させねばならないのですから!」

 麗が引き留めた。

「力の制御はわたくしが引き受けますので、貴女は意識をしっかりと保っていてください」

『はい、制御の方、お任せします!』

 玄葉の意識がしっかりしたことで、龍脈の力が幾らか扱いやすくなった。

 麗は最高速の舞を続けたまま、龍脈の力を巧みに制御する。

 あるいは精密な制御を得意とする麗でなければ、不可能だったかもしれない。

 暴れまわる龍脈の力の中に、自分の霊力をわずかずつ潜り込ませ、穏やかにしてゆく。

 それに伴って玄葉の中で暴れていた力も小さくなり、逆に扱える力がどんどん大きくなっていった。

 ――これで、

 舞もついに最後の節を迎え、麗は動作の最中に短刀で自分の親指を浅く切る。

 ――完成ですわ!

 たんっ、と最後の一歩を踏んだ瞬間、麗の血の滴る短刀が玄葉の目の前に突き刺さった。

『……これ、すごい』

 玄葉は自分の中に流れ込んでくる巨大な力の塊に、大きく目を見開いた。

 土地神になるだけで、自分の本来持つ力の数十倍いや、数百倍もの力を扱えるようになるなんて。

 元々の力が小さいとはいえ、それは十分驚愕に値する事実である。

「さぁ、行って差し上げなさい。貴女の、主の場所に」

『はい。これでやっと、朱音ちゃんの役に立てます』

 玄葉は意気揚々と、朱音の下へ向かった。




 玄葉が土地神になった瞬間、変化は如実に訪れた。

「なに!?」

 桜華の周囲を浮遊していた鬼火が消え、神刀クラスの巨大な古刀はただ巨大なだけの刀へと成り下がったのだ。

 喉を焼くほどだった浄化の気配も半減し、桜華自身から感じるプレッシャーも三割ほど減退している。

『あの高飛車め、やりおったな』

「…………これなら、いける」

 陽毬と晴之が麗の作戦が成功した事を喜んでいると、

『お待たせしました、朱音ちゃん』

 土地神に仕立て上げられた玄葉が、朱音の傍までやってきた。

『これで私も、一緒に戦えます』

「えぇ、よろしく頼むわ。玄葉」

『任されました』

 そう言うと、玄葉は小狐丸の刃へと吸い込まれていった。

 頑丈なだけの日本刀に水行の力が加わり、小狐丸は大きく脈動する。

 まるで、刀自体が生きているかのように、歓喜に打ち振るえていた。

「鳥羽先輩、陽毬さん、これでケリ付けるわよ」

「…………そうしてくれると、助かる」

『実はもう、限界寸前でな。これでも最後まで倒れぬよう、気を張っておるのだ』

 朱音を先頭にして、その後ろに晴之が続く。

「でやぁああああああ!」

 この時のために取っておいた力を、朱音は躊躇いなく放出した。

 小狐丸と大刀がこすれ合い、派手に火花をまき散らす。

 筋力は爆発的に跳ね上がり、今まで力負けしていた桜華は苦しそうな表情を浮かべた。

 そこへ更に、晴之の攻撃が続く。

『喰らえ、おおたわけ! 絶爪!』

 切り結んだまま押し合っていた桜華の腹部めがけて、晴之は極太の爪を形成した右腕を突き立てた。

「調子に乗りおって!!」

 そちらは辛うじて左腕で受け止めたが、もはや二人分の力を支える事はできない。

 桜華は朱音と晴之を押し返すようにして、地面を滑って大きく後退した。

「秋水、壱之型――乱雨(ろうめ)!」

 朱音は後退する桜華に向かって、水の散弾をぶちまける。

 だがそこで、予想外の事態が起きた。

 雨粒ほどの大きさしかなかった水滴が、土地神の玄葉を通して流れ込んできた龍脈の力によって、バスケットボールほどの大きさまでに巨大化したのだ。

 まさに、砲弾の嵐である。

 地面を爆砕しながら着弾する水の砲弾を回避する桜華であるが、砲弾を飛び越えた晴之が上から桜華に襲いかかった。

『一つ言ってやろう。お前の過去に何があったかは知らぬが……』

 右腕の爪で大刀は半ばから砕かれ、八本の尾で全身を斬り裂かれる。

『お前の恨みは、お門違いもいい所だ!』

 尾の攻撃は桜華を直撃したものの、ダメージは一切ない。

 やはり、元々かなり高位の防御力を備えているようだ。

 土地の力の支援を受けられなくなったとはいえ、やはり天狐の霊格は桁が一つ外れている。

『人を嫌悪しておきながら、その要因はお前の心を占めているのは愛しき人への想いなのだからな!』

「黙れ!」

 桜華はバックステップしながら両腕を構え、桜色の火球を放つも、それらは陽毬の尾によってあっけなく両断される。

 力が大きく減退しているのだから、それも当然の事である。

「ならば問う。妾の主も、友人も人であったが、その命は同じ人の手によって奪われたのだ。この思いは、いったいどこにぶちまければよいのだ!」

 その両断された炎の間を突き抜けて、朱音は桜華へと駆けた。

「そんなもん、私らが知るわけないでしょ!」

 後方いっぱいまで腕を振りかぶり、全体重をぶつけるようにして桜華へと小狐丸を叩きつける。

 半ばから砕かれたとはいえ、元は三メートル近い長さのある大刀だ。

 桜華は破壊されてなお小狐丸より長い大刀で、それを迎え撃つ。

「裏切られた事があるのは、あんただけじゃないわよ! 人間同士でも、妖怪同士でも、人と妖怪の間でも、それは一緒。それでも裏切られた人全員が、あんたみたいに恨んでばっかりじゃないんだから!」

「ぬかせ。そのようなもの、現実を知らないただの綺麗事にすぎんわ!」

 ギィンと、低く重い金属音が響き渡った。

 目の前で起きた状況に、朱音も桜華も一瞬だけ目を奪われる。

 半壊していた桜華の大刀は、朱音の一撃によって完全に破壊されてしまう。

 だが朱音も、自らの手に広がる感触が信じられなかった。

 鬼との対決にも耐え切った小狐丸――その刃が、目の前をくるくると回っている。

 戦闘の衝撃に耐えかねて柄が、粉微塵に砕け散ってしまったのである。

 ――まだ!

 その刃に向かって、朱音は手を伸ばした。

 小狐丸は、まだ生きている。

 玄葉の力は、まばゆい銀の光を反射する刃の中で確かに胎動しているのだ。

 柄の砕け散った衝撃と破片でぼろぼろになった手で、朱音はまだ止め具の付いたままの刀身をぎゅっと握った。

「北方を守護せし(くろ)(おきな)、我が御霊を以ちて、汝が加護を賜ん」

 使い慣れない水行の呪に、脳の血管が引きちぎられそうな痛みが走る。

 だが、ここが正念場。

 気力を振り絞り、朱音は最後の呪を唱えた。

「秋水、陸之型――水早(みつは)!」

 横薙ぎされた小狐丸の軌跡から、水の刃が生まれた。

 ある種の超越した気配を漂わせる、必殺の一撃。

 神速とも呼べる速度で迸った刃は、炎の壁の防御すら容易く断ち斬りながら、桜華を斬り裂いた。

 左肩から右腰の辺りにかけて、鮮血が振袖を血に染める。

「綺麗事って言うけどね、あんたにとってもそれが理想には変わりないでしょ!」

 朱音は地面に倒れ込みながら、それでも桜華に向かって叫んだ。

 最後の力を使い果たした状態では、立ち上がる事すら難しい。

 それでも桜華の、桜華の言葉が本心とは違うと言う事を伝えたかった。

「人に裏切られたからって、あんたが人を好き事に変わりはない。あんたの掲げる理想も、人間と仲良くする、仲良く過ごせる世界なんじゃないの? だから、だから余計に辛いんでしょ! 自分が好きになろうとした人間に、何度も理想を踏みにじられたから!」

 ずきりと、桜華の胸が痛んだ。

 そんな事、自分でもわかっている。自覚できているからこそ、余計に辛いのだ。

 人を、魔術師を憎む気持ちも、その気持ちが本来なら筋違いである事も全て。

「失った事がない者が、妾に語る資格などあるか!」

 だが、こればっかりは道理の通じるものではない。

 声を荒げて、傷口が痛むのにも構わず桜華も叫び返す。

『ならば、ワシが語ってやろう』

 朱音を守るように桜華の前へと立ちはだかった晴之――より正確には陽毬が、桜華の左頬に右ストレートを叩き込んだ。

 常人なら首がもげてもおかしくない衝撃に、さしもの桜華も足下がふらついた。

『人を恨み、憎んだとて、決して満たされる事はない。結局人と触れ合う事に喜びを見いだした瞬間から、それは決まっておる』

 晴之は陽毬の思いを代弁するかのように、桜華へ連撃を加える。

 その拳に込められているのは、陽毬の思いだけではない。

 晴之自身の陽毬への思いも、存分に込められている。

『こんなワシでもいいと言ってくれた、三代前の鳥羽の宗主の言葉に、本当にワシは救われたのだ。その時思ったさ。あぁ、やはりワシは、人を嫌いにはなれぬのだとな』

 手足や尾が不規則な軌道を飛び交い、桜華はずるずると後退る。

『人は化生よりも怨めしいが、同時にこの世で最も情に脆い生き物だ。ワシら化生のために涙を流してくれる者など、同族以外では人を置いて他におらん。じゃから、素直になれ。自分の心になぁ』

 今までで最大級の重さを持った尻尾の一撃に、桜華の身体は、くの字に折れた。

 勢いを殺しきれず、桜華は燃え上がる桜の大樹に全身を打ち付けられる。

 その前で、小狐丸を携えた朱音が仁王立ちした。

 片足をずるずると引きずり、びょぉびょぉと肩で息をしながら。

「まったく、そろいもそろって馬鹿ばかり。他人を疑うという思考を持っておらぬのか、貴様らは。妾があれだけ忠告してやったのに、大半が貴様らの敵である化生と、共に歩む道を選ぶと」

「それが、なんだってのよ」

 両足に力を込め、切っ先をぼろぼろになった桜華の喉元に刀身だけの小狐丸つきつける。

 辛うじて残った止め具が、かちゃかちゃと空しい音を立てた。

 もう朱音は、肉体強化を使ってはいない。いや、正確には使えないのだ。

 霊力はすっからかん。

 刀一本がここまで重いと思ったのは、初めての経験である。

「なに、貴様らのような阿呆も、魔術師の中に居るのだと思うてな」

 桜華の全身から溢れていた怒気が、ぱたりと消えた。

 まるで、始めから人など恨んでいなかったかのように。

「見せてもろうたぞ。天の御原を守る、今代の守人の力」

 よろよろと立ち上がる桜華に、朱音は格好だけでも小狐丸を構え、晴之は体勢を低くしていつでもとびかかれるようにする。

「気張る必要はない。刻限だ。妾は、ここを去る」

 と、たった今まで燃え上がっていた桜の大樹から、ふっと火が消えた。

 ガラスが割れたような音を立てて結界は崩れ去り、周囲の喧騒が耳を打つ。

 状況の変化についていけず、朱音も晴之も、そして麗も周囲を見回した。

「この樹の最期、見届けられてよかった。……友人の魂を浄化できなかったのが、唯一の心残りだがな」

 桜華はふわりと浮き上がると、夜の闇へと紛れるように消えていく。

 ――八千草の名に、せいぜい気を付ける事だ。特に、草壁の戦巫女。

 その言葉を最後に、桜華の気配は完全に消失した。




 そして週末の土曜日、朱音は晴之と麗を伴って、教務課を訪れた。

 もちろん、書類による報告と、口頭による報告を行うためだ。

 土曜日なので一般の学生はほとんどおらず、普段の一割ていどの人数しかいない。

 朱音は学生証を承認装置にかざし、二人を連れて例の部屋に入った。

「まさか、天狐が相手だったなんて、完全に向こう側のミスだなこりゃ。どう見積もっても、最上位級の任務じゃねぇか。てかお前ら、よく死なずに済んだな……」

「ぬかせ。このワシがおるのだから、誰も死なせてたまるか」

 晴之の肩の上で陽毬は無い胸を張ってふんぞり返るが、石動は完全にスルーして三人に話しかけた。

 ちなみに、今の陽毬は魅惑的な傾国の美女ではなく、豪奢な金髪が目立つただの幼女姿だ。

 というか、『よく死なずに済んだな……』って、学生の生死についての認識が甘いのではなかろうか、この学校。

 そういえば、ついこの間も死にかけたばかりだというのに、反応がかなり軽かったような気がする。

「実際、死ぬかと思いましたわ」

「…………前にもちょっと、似たような事がありましたから」

「ワシも半世紀くらい前に死にかけたのぅ」

「私は先月、涼子さんと一緒に鬼をぶっとばしましたから」

 麗を除いて、全員が実に個性的というか、突飛な回答であった。

 まあ、ある意味魔術師の家系に生まれた者の、宿命でもあるのだろうが。

 とにかく、(陽毬をのぞいて)二〇年かそこらの人生で命の危機を経験するなど、そろいもそろって波乱万丈すぎる人生を送っているようだ。

 俺はその歳でそんな経験した覚えねぇぞ、とこれには石動も苦笑いするほどである。

「まあ、上には俺から言っとく。報酬の割増も打診しとくから、期待しといていいぞ」

 石動の言葉に、朱音は小さくガッツポーズした。

 これで、食費分や道具の維持費が捻出できる。

 と、部屋の扉からコンコンと軽いノックの音が鳴った。

「どうぞー」

「総合学部陰陽科一年生、猫屋敷涼子ちゃん、華麗に参上。とうっ!」

 扉の開いた瞬間、謎の決めポーズをかましたジャージ姿の涼子が、狭い部屋で宙返りした。

 華麗な前方宙返りを決めた涼子は、そのまま石動のデスクの上にピタリと着地する。

「石動殿、拙者、報告に参りましたで(そうろう)

「何机の上に乗ってるのよ」

「ちょま、うぉあっ!?」

 朱音に襟首をつかまれ、涼子は床へとたたき落とされた。

「お前は、それでも大学生か。少しは麗を見習って、大人しくしてみたらどうなんだ?」

 普通なら間違いなくどやされる所なのだが、石動は陽毬の時みたく見事にスルー。

 そこは怒るべき所だろうと朱音と晴之はそろって思っているのだが、石動は涼子から書類報告と口頭報告を受け、そのまま部屋から出て行ってしまった。

「にしても、昨日ぶりですね朱音さん。どうでしたぁ? 一昨日の夜とかぁ、あたちがいなくてぇ、寂しくて夜も眠れないとかぁ、そんな事ありませんでしたかぁ?」

「そんじゃ、行こうか土御門さん」

「え? 何にですか?」

「ほら、週末買い物するから付き合うって」

「あ、あぁ!? ああぁ、あれですか!! そそそ、そうですわねぇ。特にこれといって予定があるわけでもございませんし。その、では、お、お願い……します…………」

 と、朱音も石動を見習って、涼子の頭の悪い質問をほっぽりだして、麗と話しを進めていく。

 まさかガン無視されると思っていなかった涼子は、もう完全に涙目である。

「って、無視しないでください! あたしが何したってんですか!」

「いや、あまりにバカな質問してくるから、もう流していいかなぁって」

「流さないでください。桃太郎のおばあさんみたく、ちゃんと拾ってくださいよ~。泣いちゃいますよ、あたし」

「わかったから、いちいち腕組まないで、暑苦しい」

「あたしからの、愛の証です」

 と、涼子、ウィンク。

「いらんわ」

「ほんと、朱音さんひどいですねぇ。あぁ、会った頃の朱音さんは、あんなに優しかったのに」

「まだ一ヶ月も経ってないわよ」

「まあ、それはともかく」

「相手にされないからって、普通に流したわね、今……」

「暇なんで、あたしらも一緒に行っていいですか?」

 涼子は朱音からわずかに視線をずらし、麗の方を見た。

 いきなり話を振られてびっくりしたのか、麗はちょこちょこと移動して朱音の影に隠れる。

「ナゼカクレタ……」

「す、少し動揺してしまっただけです。お気になさらず」

 小さくせきをこほんとして朱音の影から出ると、麗は涼子の方をちらちら見ながら、

「別に、かまいません事よ」

 と、一メートルも離れれば、聞こえそうにない声でぼそりとつぶやいた。

「うっし! 皆の者、であえであえ~! これより、戦に出かけるぞ~!」

「もう、にゃんちゃん、そんなんだからうららんに避けられるんだよぉ?」

「そうですよ、涼子先輩。私達、別に戦いに行くわけじゃないんですから」

 開け放たれた扉からは、謎の情報網と学内最強と目されるバストを有する西行文佳と、アホ毛がトレードマークの小学生みたいな高校生の八神かれんが現れた。

 まったく、いつから潜んでいたのか。

「あれ、美玲ちゃんは?」

 と、姿の見えないもう一人を探して、涼子は部屋の外も確認してみるのだが、どこにもいない。

「みぃみぃなら、現在進行形でオンラインで無双してますよ」

「たぶん、明日の朝くらいまでやってると思います。一応、今晩様子を見に行きますけど」

「おぉ、立派にお嫁さんしてるんだね。やっちゃん」

「もぉぉ、あーちゃん先輩ったら。全然そんなんじゃないですから」

 かれんはそう言いながら、美玲からのメールを全員に見せた。

 内容はと言えば、『新マップの快タクトクエストの全盛はするからいい』という、プレイの片手間に書いたと思われる改行も句読点もない、誤字変換だらけの文章である。

 正しくは『新マップの開拓とクエストの全制覇するからいい』と打ちたかったのだろう。

 朱音は、春休みの夜間巡回で涼子が深夜に送ったメールに、美玲から即返信が返ってきたのを思い出した。

「で、晴くんと陽毬ちゃんはどうする?」

 なんかもう完全に主導権を強奪したらしい文佳は、晴之と陽毬にもたずねる。

「ワシはよぃ。先日のアレで疲れたんで、ハルユキの部屋でゆっくりしておる。あ、ハルユキは行かせんからな。貴様ら雌に誘惑されたらかなわんのでのう」

「…………そういうわけだから、僕はいい」

 晴之は肩に乗る陽毬の位置を調整すると、そのまま部屋から出て行った。

 てなわけで、残った朱音、涼子、麗、かれんは、

「じゃあ、天原駅前のアウトレットモールに、れっつごー!」

 文佳の号令の下、天原駅前ショッピングツアーに強制参加する運びとなった。

 元は朱音と麗だけの予定だったのだが、ずいぶんと騒々しくなったものである。

 まあ、主に涼子と文佳のせいなのだが。

 ――まぁ、こんなのも悪くはありませんわね。

 当初の計画とはだいぶかけ離れたものになってしまったが、まんざらでもない麗だった。

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