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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第弐ノ巻~うたかたの命、とこしえの想ひ~
29/55

其ノ玖:黒の大霊狐

 桜華に向かって飛び出す晴之と朱音を見て、麗は二人の神経が信じられなかった。

 この場を支配する圧倒的なほど大きな力。

 自分達の用いる霊力よりも高位の力は、まさしく神力である。

 つまり、相手は神の加護を受けし存在。

 たかが三人の魔術師で、抑えきれるような存在ではない。

 にも関わらず、晴之と朱音はその桜華と戦っている。

 すごいを通り越して、異常だと麗は思う。

 あまりのプレッシャーに、自分は呼吸すらままならないというのに。

 性質は正反対であるが、力の規模で言えば先月討伐された鬼と同等、いやそれ以上かもしれない。

 背筋に、ぞくぞくと悪寒が走る。

 まるで、背中に氷の塊でも入れられたかのようだ。

 ――どうかしていますわ、二人とも。

 相手の強さを感じ取るセンサーが壊れているとしか、麗には思えない。

 それとも、二人はこれ以上のプレッシャーの中を、戦った事があると言うのだろうか。

 麗は初めて、自らの非力さを呪った。

 前回はそんな余裕すらなかったが、桜華の意識が朱音と晴之にあるため、状況をしっかりと認識する事ができる。

 朱音と晴之の動きは、すでに麗に追従できる範疇(はんちゅう)にない。

 練習中の姿を何度か見た事はあるが、今はその時の比ではなかった。

 雷光の如く刀を、尾を振り、大地を疾駆する。

 だが、その二人をもってしても、桜華は強過ぎる。

 まず、桜華が作り出した大刀。形状から察するに、神代の時代の古刀だろうか。

 現在では禁呪に指定されている無縫衣を斬り裂く斬れ味となれば、権能の一部も再現されている可能性がある。

 推測するに、武具を複製する術式、それも恐ろしく高度な物だろう。

 そして、四本の尾を持ち、自在に神力を使う大霊狐と言えば、天狐を置いて他にない。

 千年を生きた狐がなれるという、神獣の一つ。

 模造品とはいえ、神代の時代の剣に、強力な神力を持つ天狐。

 反則級の組み合わせにもほどがある。

『土御門の小娘、呆けているのも、終わりだ。はよう戦いに加われ。本番はこれからぞ』

 鳥羽晴之の妖狐が、自分に向かって叫んでいる。

 これだけ力の差を見せつけられて、まだ戦うつもりらしい。

 本当にどうかしている。

 場合によっては、死んでしまうかもしれない状況にも関わらず。

『そこの、人間嫌いのおおたわけに教えてやろう。ヌシらとワシらは、分かり合えるという事を。人と化生の手を取り合った力というやつを』

 しかしまだ、麗は立ち上がる事ができなかった。




 晴之は全身に陽毬の力を感じながら、力の限り跳びかかった。

 陽毬も晴之の思いを受け、あらん限りの力を解放し、無縫衣をより強く輝かせる。

 太く強靱な爪が両腕の先端にそれぞれ五本形成され、桜華の喉笛を狙って下から上へと一直線に伸びた。

 その両腕の一撃を、桜華は大刀の側面で簡単に受け止める。

 瞬間、晴之と桜華の視線が絡み合った。

 そこに嘲笑の色はなく、どこまでも冷徹で熱のない、総毛立つほどに恐ろしい目だ。

 更に晴之の背後に像を結んだ陽毬が現れ、両者の間で冷たい火花が激突する。

「調子に乗るなよ、虐殺妖狐」

『それはこっちの台詞じゃ、おおたわけ』

 桜華と陽毬が罵りあっている間に、朱音は桜華の側面まで回り込んだ。

 尻尾ごと断ち斬るつもりで、勢いよく逆袈裟に斬り上げる。

「だから、調子に乗るなと言っている!」

「ッ!? 雹琳(ひょうりん)!」

 だが、朱音はとっさに防御の構えに入った。

 ポケットから護符を取り出し、必要最小限の言葉で氷の盾を召喚する。

 それとほぼ同時だったろうか。桜華の空である左腕を振るった軌跡に沿って、桜色の炎が生まれたのだ。

 氷の粒で構成される盾は一瞬で蒸発し、あまりの衝撃に耐えきれず朱音の身体は大きく後方へとすっ飛ばされた。

「貴様もだ。鳥羽の、金剛の!」

 晴之のほうも、無縫衣の爪に加わる圧力が突然跳ね上がった。

 爪を構成する光がだんだんと削れ、両足は地面へとめり込んでいく。

 ――まずいぞ、ハルユキ。押し切られる!!

 ――…………わかっている。でも……。

「翔ろ、天燕(アマツバメ)!」

 その時、ハルユキを押し潰そうとする桜華に向かって、高速の物体が迸った。

 大半は桜色の炎に焼かれてしまうが、内二つは桜華の迎撃をすり抜けてわき腹と肩を直撃する。

『助かったぞ、朱いの』

「…………すまない」

 桜華を襲ったのは、吹き飛ばされながらも朱音が召喚した式神だ。

 亜音速で飛翔する天燕(アマツバメ)の直撃を受け、桜華がわずかによろけた隙に、晴之は大刀からの脱出に成功する。

「いえ。無事でなによりです」

 着弾によって爆発した式神の爆煙が晴れてゆくが、桜華には全くダメージの色が見られない。

 確認できる物と言えば、振袖がわずかにすすけているくらいだ。

「式神か。造型は見事だが、草壁の飛び道具などたかが知れている」

「悪かったわね。仕方ないでしょ、うちの家系はその辺弱いんだから」

 悪態をつく朱音に向かって、桜華の身体が滑り出した。

 桜色の軌跡を描く大刀を、朱音は半身をそらしてかわす。

 桜華の作り出した大刀に、本能的な畏怖を感じる。

 もしかしたら、神刀か何かを再現したものかもしれない。

 普通の鬼とまともに斬り結べた小狐丸に違和感があったのだから、防御は可能な限り避けるべきだ。

 朱音は大刀を握る右手と、無手の左手の動きを注視しながら、その間隙へと刺突を見舞う。

 しかし、桜華はそれを完全に見切っていた。

 大刀を持つ手の手首をわずかに傾け、柄で受け止めたのだ。

 だが、その間に晴之が桜華のすぐ後ろまで接近していた。

 右腕に光を集約させ、一気に突き出す。

 ところが、それさえも桜華は簡単に防いで見せた。

 四本の尻尾を絡めるようにして、右腕を巻き取ったのである。

 視界の外側から急襲してきた晴之の攻撃を、振り返りもせずに。

 二人は全力で後退しながら、更に攻撃を放った。

 朱音は式神の黒鴉(クロガラス)を散弾のように撃ち出し、晴之は霊力を物質化させて作った砲弾を射出する。

 しかし、

「ぬるい!」

 それを見た桜華は、まるで円舞でも舞うかのように、たんっ、と一回転した。

 深紅の袖と紺の袴が優雅に揺らめいたと思うと、左手のなぞった軌跡から外側に向かって、桜色の炎が溢れ出す。

 炎は八体の黒鴉(クロガラス)を焼き尽くし、霊力の砲弾すらも蒸発させる。

 着地した朱音と晴之は、その鮮やかな手際と卓越した技量に思わず息を呑んだ。

「…………強っ」

『うむ、腹立たしいほどにな』

 晴之と陽毬の苦い表情を見ながら、桜華はころころと笑う。

 さて、どちらから先に料理してくれようか。

 まるでそう言っているかのように、朱音と晴之の間を視線が行ったり来たりする。

 そしてやはり、

「やはり、貴様が先だなぁ!」

 桜華は晴之に、より正確には晴之の纏う陽毬に向かって加速した。

『生憎、ワシはハルユキにぞっこんでなぁ。告白ならば、どこかよそでやってくれ』

「安心しろ、貴様にくれてやるのは、この古刀の一撃だ」

 突きからの横薙ぎ、そしてそこから斜めに斬り下ろす袈裟斬り。

 身体をひねり、のけぞり、後方へステップしながら、桜華が完全に大刀を振り切った所で八本の尻尾を叩きつける。

 桜華はそれを地に伏せながらかわすと、大きくバックジャンプしながら左腕をひと薙ぎした。

 指先の撫でた空間から、放射状に桜色の炎が吐き出される。

 辺り一帯を覆い尽くさん勢いで、桜色の炎が大地を包み込んだ。

 炎に巻かれた晴之に小さく笑う桜華の頬を、鳥のような物がかすめる。

 ――識神か、金剛のに気を取られて忘れておったわ。

 空中にいる桜華を撃ち落とさんと、朱音はありったけの黒鴉(クロガラス)を呼び出した。

 五体の式神は二度の分け身で二〇にまで数を膨らませ、桜華へ向かって宙を翔る。

 桜華は空中でも自在に動いて式神をかわすが、朱音は全方位から包み込むようにそれらを操作していた。

 ようやく気付いた時にはもう遅い。

 上下左右前後、その他の斜め方向からも隙間なく迫った式神は、中心の桜華に向かって殺到、鼓膜が破れんばかりの轟音を立てて爆発した。

 だが、朱音に喜びの色はない。

「攻撃の組み方はよかったが、ばれてしまっては意味を成さぬ。例え気付かれようと、それを上回る速度があれば別だがのぅ」

 朱音の本命を悟った桜華は、直前に自分の全身を桜色の炎で包み込んでいたのだ。

 やはり、黒鴉(クロガラス)では遅すぎる。

 しかし、天燕(アマツバメ)を大量に制御する技術も、朱音にはない。

 桜華は空中から垂直に急降下すると、地面に激突する寸前で直角に曲がり、朱音へと斬りかかった。

 足下からすくい上げるようにして迫る斬撃を、左足を軸に回転して辛くもかわす。

 空中に残っていた前髪の先端を大刀の刃がかすめたコンマ一秒後、閃光のように晴之が朱音の目の前を通り過ぎた。

 たった今朱音に斬りかかり、がら空きの背中へと、大きく伸ばした爪を突き刺そうとする。

 とてもじゃないが、尻尾で巻き取って止められるような速度ではない。

 しかし、桜華はそれすらも悟っていたかのように、上半身をくるりとひねった。

 爪を大刀で弾き飛ばし、左手で尻尾をつかんだ。

「攻め手が少ないと大変よのぅ、金剛の」

 桜華は微笑を湛えながら、ぐるぐるとその場で回り始める。

 尻尾を持たれたままの晴之も同じように回転し、十分な加速が付いた所で、桜華は全身をひねって投げ飛ばした。

 さらに後方から迫っていた朱音に向けて、桜華は視線を動かす。

 またも本能的に危険を感じた朱音は、直前で進路を変えて桜華を迂回する進路を取った。

 次の瞬間、たった今まで朱音の走っていた進路上で、桜色の爆発が引き起こされる。

 爆風に身体があおられ、地面を激しくバウンドした。

 だが、立ち止まってはいられない。

 朱音は軋む身体に鞭打ち、身体が跳ねる最中に体勢を整え、着地の瞬間再び地面を蹴る。

 すると、その後方で再び桜色の爆発が起こった。

 爆発は更に朱音の後を追いかけ、いくつもの爆音を連ねていく。

 いくら朱音の運動能力が人の範疇を超えているとはいえ、桜華が左腕を動かす方が早い。

 神力を込め、指差す先で再び炎を結ぼうとした刹那、前方から強烈な殺気が迫ってきた。

 桜華はとっさに腕の進路を変え、その先で炎を結んだ。

 桜色の炎は迫り来る殺気を直撃し、激しい爆発を引き起こす。

 だが、

『やはり、その炎自体には、大して浄化の力もないようじゃなあ!』

 桜色の爆発をすり抜け、白銀の光が姿を現した。

 晴之の鋭い眼光が、桜華の姿を捉える。

 陽毬が右腕に光を集約させ、晴之が膨張した腕を桜華へとたたきつけるように振りかぶる。

 桜華は光の腕を断ち斬るように大刀の刃で光の腕を受け止めようとするが、その感触が不意に立ち消えた。

 代わりに、鋭い痛みと圧力が、腹部いっぱいに広がった。

「…………そっちはフェイク」

『本命はこっちじゃて』

 晴之は右腕を叩きつける瞬間に光の腕を縮小させ、その光をそのまま八本の尾に注いだのだ。

 恐ろしい斬れ味を持つ金行の尾は、その衝撃もあいまって桜華を大きくはね飛ばす。

 盛大な土煙を立てながら、桜華は地面に激しく打ちつけられた。

「ありがとうございます、助かりました」

 朱音は小走りに、晴之へと駆け寄る。

 擦り傷以外は、目立った外傷もない。

『うむ、大事ないようだな。しかしまぁ……』

「…………これだけやって、やっと一撃」

 朱音も晴之も奥の手は隠しているとはいえ、既に神経を極限まで研ぎ澄ませている。

 相手の一挙手一投足に気を払い、自らの身体を限界まで酷使して。

 それでも、苦し紛れの式神をのぞけば、桜華に加えられた攻撃は先の一撃のみ。

 しかも、相手はまだ本来の力を全て出し切っていない状態での話だ。

「はぁぁ、なんか星怜大に来てから、仕事運がかなり悪くなった気がする」

 主に難易度的なものが。

 朱音はようやく訪れたひと時の休息に、小さくため息を漏らす。

 この任務も、書類上では通常任務――ようは下位に分類されていたはずなのに、蓋を開けてみれば中の中、もしくは上位レベルに分類されるものであった。

 こんな事、今まで全くなかったのに。

『じゃが、楽しいであろう。ここでの暮らしは』

 晴之の背中で像を結んだ陽毬が、にやりと口角を釣り上げる。

 陽毬と同じように、晴之もうっすらと笑って見せた。

「確かに、退屈はしないで済むけど……」

 朱音もそれに応えながら、全身に力を込める。

 より強く、より鋭く、より速く。

「ほんと、忙しくなりそうだわ」

 桜華が着地した場所から、桜色の桜色の爆炎が巻き起こった。




「貴様ら、よくもやってくれたのぅ」

 立ち上がった桜華の腹部は、着物がずたずたに引き裂かれていた。

 並外れた斬れ味を誇る、陽毬の尾によって斬り裂かれたものだ。

 しかし、その下の肌にはうっすらと切り傷を付けた――血がにじむかにじまないかといった程度。

 薄皮一枚分に過ぎない。

「妾が主より頂いたこの振袖、よく傷付けたと褒めてやろう」

 桜華は薄ら寒い笑みを浮かべながら、斬り裂かれた部分を軽く撫でる。

 途端に桜色の炎が傷口で燃え上がり、次に消えた時には既に傷一つない元の状態へと戻っていた。

 元々、斬り裂かれた振袖も桜華の力で構成したものだから、当たり前といえば当たり前なのだが。

「だが、宴の締めにはまだ早い。楽には殺さぬ。真綿で首を締めるように、じわじわと弄びながら殺してくれるわ」

 さらに桜華の周囲に、まるで鬼火のように桜色の炎が浮かび上がった。

 一つ、二つ、三つ、合計四つの炎が、空中を不規則な軌道を描きながらゆらりと宙を舞う。

 振りかざす大刀の刃にも同色の炎が絡みつき、触れるもの全てを焼き尽くすかのように燃え上がる。

「覚悟しろ。(ことわり)を違えし者共」

 そして最後、四本の尻尾と耳が、より艶やかな黒毛へと変化する。

 先ほどまでも十分美しい黒だったが、今は黒水晶を思わせるような透明感まである。

「参るぞ、布都御魂剣(ふつのみたまのつるぎ)

 最初の一歩を踏み出した瞬間、桜華の身体が地面を滑るように飛び出した。

 それも、これまでより三割増くらいに速い。

 とっさに晴之は朱音の前に出て、両腕をクロスするようにして大刀を受け止める。

『あ゛ぁあああああぁぁァアアアアアアアア!!』

 鼓膜に突き刺さるように、陽毬の悲痛な絶叫が耳を打つ。

 晴之の腕を覆う無縫衣に、桜華の大刀が易々とめり込んでいるのだ。

 しかも、その周囲の光もまとめて焼き祓いながら。

「秋水、参の型――雫巻(しどけまき)!」

 間髪を入れず、晴之の影から出た朱音は、水行の剣技を発動させた。

 刺突の動作に合わせて、小狐丸の先端よりとぐろを巻いた水滴の槍が、大刀を握る手に迸る。

 桜華は大刀を引きながら、空いている方の腕で空間を薙いだ。

 その軌跡に沿って、空間から桜色の爆発が引き起こされる。

 指向性を持った爆発は、その衝撃を余す事なく晴之と朱音に注ぎ込んだ。

 十メートル以上をノーバウンドで、朱音と晴之は吹き飛ばされる。

 なんとか晴之を斬撃から脱出させる事ができたが、これでは……。

 上も下もわからないような状況の中、身体に染み着いた感覚が朱音を立ち上がらせた。

 迫り来る殺意へと本能的に身体を向け、わずかに追い付いた視覚で予想される剣の軌跡だけを辛うじて読み取る。




 ――――ガギィンッ!!!!




 小狐丸は悲鳴を上げながらも、上段から振り下ろされた大刀を辛うじて受け流した。

 ようやく正常に戻った視覚が、桜華の姿を捉える。

 後方に滑りながら、空いている方の手を前方に突き出そうとしている。

「秋水、弐の型――流円(しぐまどか)!」

 円を描くように、小狐丸を回転させた。

 符術のほうがもう少しマシな盾を作れるのだが、そんな余裕すらなかった。

 水の盾が構成されたその瞬間、鬼火のように浮かぶ桜色の炎から、同色の炎弾が射出される。

 水の盾に阻まれ、桜色の炎弾が周囲で小さく火柱を上げた。

 ――玄葉呼んでなくてよかった。こんなの喰らったら、一発で消し飛ばされてた。

 水の盾は桜色の炎弾によって、みるみるその大きさを縮小させていく。

 このままじっとしているわけにもいかない。

 タイミングを見計らい、距離を取ろうとした直後、再び桜華の身体が前進を始めた。

 大刀の切っ先を朱音に向け、一直線に地面を滑る。

『やらせるかぁあああああ!』

 その進路上に、八本の光の尾が突き刺さった。

 無縫衣から伸びた、陽毬の尻尾である。

 突然足下に突き刺さった尾に一瞬だけ後退するが、桜華はにやりと笑いながら陽毬の尻尾をあっさり断ち切った。

『尻尾など、幾らでもくれてやる!』

 陽毬は断ち切られた尻尾を爆発させ、桜華と朱音を力ずくで引き離した。

 爆風にあおられた朱音の身体は、ぺたりと地面に座り込む麗を直撃する。

 だが、晴之の方は二人にかまっている余裕はない。

 一秒でも早く決着をつけるため、晴之は全速力で桜華へと突貫した。

 今は完全霊化していてわかりづらいが、尻尾を断ち切られたというのは、身体の一部をもがれたのと同義。

 決して、小さいダメージで済むようなものではない。

 元より、陽毬は過酷すぎる状況の中で戦っているのだ。

 朱音の管狐達が、ろくに外に出てこられない状況の中で。

 だそこにいるだけで、身を削られるような苦痛に苛まれながらも、陽毬は術を維持している。

 無縫衣が解けるのも、もはや時間の問題であった。

 桜華には、そんな陽毬の状況が手に取るようにわかっていた。

「そんな身体で、まだ刃向かうか!」

『無論だ!』

 振り下ろされる大刀の側面を弾き、晴之は再構築した尾で斬りかかる。

 桜華はそれを地面すれすれまで屈んでかわし、黒塗りの下駄で晴之の顎を蹴り上げた。

 寸前で回避した晴之の頬が、軽く裂けた。

 薄くなった無縫衣を突き抜けて、下駄が頬をかすめたのである。

 だが、戦闘に支障はない。

 空中でまだ回転しきっていない桜華を、晴之は光を集めて作った巨大な腕ではたく。

 しかし、その一撃は桜華の片腕の一薙ぎによって、あっけなく防がれてしまった。

 目標を失った腕は、勢い余って地面に深々と突き刺さる。

「消し飛べ、金剛の!」

 腕が地面に刺さって身動きの取れない晴之に、桜華は距離を取りながら四つの炎から大量の炎弾を吐き出した。

 とっさに尾で身体を覆うようにガードするも、脱出の機会は完全に失われてしまう。

 腕に集約した光を元に戻すだけの作業なのに、桜華はそれを実行する前に炎弾の掃射を始めたのだ。

 これでは、どうする事もできない。

 じわじわと、ゆっくり無縫衣を削っていく様子は、先ほど宣言した通り、真綿で首を絞めるかのようである。

 そして四つの炎が炎弾を吐き出す中心で、桜華の掲げる手に特大の火球が形成される。

 大きさは、直径が一メートル近い。

 炎弾数千発以上の神力が込められた、必殺の一撃だ。

「妾の炎に、その身でとくと味わうのだな!」

 腕の一振りに応じて、特大の火球が晴之に向かって迸った。

 無縫衣を焼き祓い、内側の晴之まで消し炭にするほどの熱量を秘めた、桜色の火球が。

 しかし、

『以前、貴様は言っておったなぁ。火が強すぎれば、いくら水をかけても意味を成さぬと』

「…………強すぎる金は、火の熱を全て奪い尽くす」

 なんと晴之は、その火球を斬り裂いたのだ。

 一本に束ねられた、八本の尾の一振りによって。

 晴之の後方で、両断された火球が爆発した。

 その爆風さえも利用して、晴之は桜華との距離を一気に詰める。

「近付けた所で……」

 しかし、桜華は余裕な態度を崩さない。

「どうにかなるとでも思うたか!!」

 大刀を振りかざし、短い一呼吸を置いて勢いよく振り下ろした。

 晴之はそれをサイドステップでかわしながら、極太の爪を構成した右腕をわき腹めがけて突き出す。

 だが、それを桜華はいとも容易(たやす)くつかんだ。

 驚異的な握力に、無縫衣が形を歪めていく。

「それ見た事か」

『貴様がな』

 桜華が晴之を投げ飛ばそうとする寸前、腕を纏っていた無縫衣が薄皮一枚分にまで縮小した。

 すでにモーションに入っていた桜華は、ぐらりとバランスを崩す。

 それは晴之も同じであるが、始めからわかっていた分その度合いは少ない。

『歯を食いしばれ、この大たわけ』

 晴之は両腕を後方いっぱいまで伸ばすと、指先に無縫衣を集約させた。

 十指にはそれぞれ、特大の爪が形成される。

「…………ひゅぅ」

 ほんのわずかの一呼吸。

 直後、十指は目にも止まらぬ勢いで、桜華を直撃した。

 左手は大刀の側面で受け止められたが、右手には確かな感触がある。

 五本の爪は、紛れもなく桜華の腹部に深々と食い込んでいた。

 振袖の紅に、仄暗(ほのぐら)い血の赤がじゅんとにじんだ。

『どうだ? 人と手を取る道を選んだワシの、ワシとハルユキらの力は。貴様が夢物語と小馬鹿にした、人と化生の絆の力は』

 晴之は陽毬の声を聞きながら、十指により力を込めた。

 大刀を押し返し、右手の爪をより深く桜華に突き立てる。

「……………………黙れ」

 桜華は伏せていた顔を、ふらりと持ち上げた。

 なわなわと震える口が、怒りの言葉を吐き出す。

「黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れ黙れだまれだまれだまれだまれだまれぇえええええ!!」

 感情を露わにし、胸の内で渦巻く激情を叫んだ。

「『人と手を取る道』? 『人と化生の絆の力』? そんなもの、ただのまやかしに過ぎんわ!」

 桜華の全身からばっと発せられた神力に、晴之はあまりにも軽く吹き飛ばされた。

「人は所詮、真に誰とも分かり合う事のできぬ、愚かな存在に過ぎん。自らの欲求を満たすため、容易く他者を傷つける」

 溢れ出る神力が、桜色の光となって空間を満たし始める。

 通常は目に見えないはずの霊的な力が、網膜に映し出されるほどに。

 それほどまでに、今の桜華から漏れ出す力は巨大だった。

「そうやって、妾は何度人に裏切られたと思う」

 限界まで喉を震わせ、陽毬の言葉を否定するように、かき消すように。

「そうやって、妾は何度大切な人を奪われたと思う!」

 咆哮、絶叫、慟哭。

 いくら言葉を尽くしても言い表せないほどの、憤りと悲嘆。

 桜華の思いの丈が、肌を通してその場の全員に伝わった。

「妾は人が憎い。己が嫉妬と畏怖に駆られ、妾の主を貶めた人が憎い!」

 頬に一筋、ころころと涙が転がる。

「妾は魔術師が憎い。己が欲を満たすためだけに、妾の大切な者の命を奪った魔術師が憎い!」

 大刀を振りかざしたと思うと、その姿が霞んだ。

 そして次に現れた瞬間には、完全に晴之の懐へと飛び込んでいた。

「貴様が胸に抱く願いなど、所詮は絵空事……」

 大刀の刃が、これまで以上の桜色の炎が包み込まれる。

「そのようなもの、妾が、今日この場で、焼き尽くしてくれるわ!」

 神速の勢いで、大刀は逆袈裟に斬り上げられた。

 無縫衣を紙同然に斬り裂き、刃は晴之の身体まで達する。

 腹から胸にかけて、鋭い痛みが晴之に襲いかかった。

「妾の琴線に触れた貴様等には、“王たる火”の意味を教えてくれよう。鳥羽と金剛の!」

 痛みで身動きのとれない晴之に向かって、桜華は特大の火球を見舞った。

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