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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第弐ノ巻~うたかたの命、とこしえの想ひ~
28/55

其ノ捌:幻想の世界、再び

 午後八時五分前。

 寮の前にある演習場には、数十人の生徒が整列していた。

 いつもならその様子を横目に校門に向かうのであるが、今日はそのまま寮と寮に挟まれた奥まった場所へと移動する。

「お待たせ」

 朱音は軽く手を振りながら、すでに待っていた人物へと近付く。

「お気遣いなく。わたくしも、まだ来たばかりですので」

 星怜大附属高校の制服に身を包んだ、土御門麗である。

 制服には高度な魔術的防御が施されており、ちょっとした攻撃なら防げるようになっている。

 朱音の方は、ジーパンと赤の長袖ティーシャツだ。

 竹刀袋に隠した小狐丸を背負い、ベルトには五つの御守り、お札も大量にポケットへと突っ込んでいる。

 また、他の呪具も少々。

 星怜大附属の制服と違い、こちらは市販品なので魔術的な防御力はない。

「…………お待たせ」

「待たせたのぅ。朱いのと高飛車」

 朱音に少し遅れて、晴之と陽毬もやって来た。

 黒のジャケットとカーゴパンツに加えて目深にかぶった黒い帽子と、夜の中に溶け込んでしまいそうな見事な黒ずくめである。

 その肩の上には、麗とは少し意匠の違う星怜大の制服を身に付けた、陽毬が乗っかっていた。

 ちなみに、これは陽毬が自分の力で実体化させた物なので、身体の一部のようなものだ。

「さってとぉ。全員そろった事だし、早速例の公園に行きましょうか」

「…………」

「うむ。昨夜の屈辱、今日こそ晴らしてくれる」

「貴女の方が悪役に見えますわよ。鳥羽の妖狐」

 無言で頷く晴之とは正反対に、陽毬はなりに似合わない物騒な単語を楽しそうに口にする。

 その不似合いさときたら、麗が思わず突っ込みを入れてしまうほどだ。

「なんじゃと、土御門の高飛車娘め。いったいワシのどこが、悪役みたいだと言うのじゃ」

「負けたのが悔しくて、仕返しがしたいだけではございませんの?」

「そんな事はない!」

「さぁ、どうでしょうか?」

 陽毬と麗の視線がぶつかり合い、真ん中辺りでバチバチと火花が飛ぶ。

 頭の上から降り注ぐ殺気混じりの気配に、晴之は重苦しい表情だ。

 目元に隈が多いのは、気苦労の現れなのだろう。

 年に似合わない深いため息をつきながら、晴之はポケットからチョコレートの包みを取り出して陽毬にやる。

 お菓子を受け取った陽毬は大喜びで、先ほどまでの剣呑な空気は綺麗さっぱりなくなった。

 ――ほんと、大変そう。

 気苦労の絶えない晴之の姿を見ながら、朱音はそんな感想を抱くのだった。




 学園を出発してから数十分。

 三人は天原市の中では比較的新しい、新興住宅地の道を歩いていた。

 片側一車線の道路を、帰宅途中と思われる車がぽつぽつと通り過ぎる。

 時刻は二一時少し前。

 日は完全に没しているが、一定間隔で設置されている街灯のおかげで、足下まではっきり見える。

 街灯がほとんどなく、月明かりだけが頼りの旧住宅地とは、えらい違いだ。

 相変わらず、こごった気の気配は見当たらない。

 これなら、今夜の夜間巡回も早々に終了するだろう。

 もっとも、夜間巡回とは別のお仕事中な朱音と晴之と麗、ついでに陽毬の三人と一匹には何の関係もない話だが。

「それでさぁ、結局アレが何なのかは、わからなかったのよね?」

 アレとはもちろん、昨日、朱音と晴之の二人が簡単にあしらわれた相手の事である。

「…………」

「そうじゃなぁ……。嫌なヤツだという事は確かなのじゃが。あのクソババアめ」

 晴之は無言で頷き、肩に乗る陽毬は小さな口から牙をのぞかせながら、両の目をキリリと釣り上げる。

 小さな女の子がぷんぷんしているようで可愛いのだが、漏れ出る殺気がものすごく物騒だ。

 朱音と麗は肌にちくちくと突き刺さる気配に気が気でないのだが、長年コンビを組んでいる晴之は驚きの無反応。

 というより、どうせ言っても聞かないので、仕方なく放っているような感じだが。

 あんな風になるにはまだまだ慣れが必要だな、と思う朱音であった。

「あの、その事なのですが」

 そんな中、麗が控え目な声を上げた。

 朱音も晴之も、そろって麗の方を振り返る。

「資料棟で色々と古い情報を調べていたら、それらしきものを幾つか見つけました」

 実はお弁当を食べた後、麗は集合時間まで資料棟で二人の遭遇したであろう敵について、色々と調べていたのである。

 主に、過去天原市内で行われた退魔業や、任務の報告書に関する資料だ。

 結果だけいえば、直接的な手がかりはなかった。

 だが、朧気ながら、その全体像がなんとなくわかったのである。

「あの公園のある地区、溢ヶ浦(いつがうら)の大桜には、導きの霊獣が宿る。そんな記述がありました」

「…………溢ヶ浦の、大桜に」

「導きの霊獣。ようは高位の霊的力を持った獣、か」

 晴之と朱音は、麗の言葉をそのまま口にした。

 昨日見たのは完全な人間の姿をしていたが、必ずしもそれが本当の姿とは限らない。

 陽毬は妖狐――つまり元の姿は狐らしいが、完璧な人間に化ける事ができる。

 術者ばかりのスペースでは耳や尻尾なんかも生やして遊んでいるが、これらは簡単に消す事も可能だ。

 そうなってしまえば、見た目だけでは陽毬を狐と断じてしまう事はできない。

「しかもどこからもって来たのか。その記録、江戸時代初期のものらしいですの。ほんと、日本人って記録を残すの好きですわね」

 その情報に、朱音と晴之もぞくっとした。

 言った麗自身も、少し自嘲気味に笑っているように見える。

 それもそのはず。

 長く続く名門・名家ほど強力な魔術師が生まれやすいように、霊的存在もまた、時間を経るほど強力になっていく。

 この場合だと、相手は最低でも四〇〇歳は超えている事になる。

 江戸時代初期の時点で霊獣と呼ばれているくらいだ。

 いったいどれほどの力を持っているのか、想像すらしたくない。

「なんか、報酬額が内容と全然合ってない気がするんだけど」

「…………まだ、確定じゃない」

「そうじゃのぅ」

 だがこの時、朱音も晴之もそして陽毬も、昨日の敵が麗の言う霊獣のような気がした。

 これぞまさに、正真正銘の第六感というものだろう。

 それとも、霊的な力を感知する感覚を第六感とするならば、これは第七感とでも名づけるべきか。

 昨夜戦った二人と一匹には、確信めいた何かがあったのだ。




 時刻は二一時と三分。

 三人と一匹は、(くだん)の公園へとやって来た。

 昨日来た時とは、明らかに状況が異なっている。

 公園をぐるりと取り囲むように植えられた背の低い木々の向こう側には、もはや誰にも使われていない風な遊具と、多くの重機、老衰によって倒れた山桜。

 ここまでは昨夜と変わらないのだが、周囲の景色が大きく変化しているのだ。

 道路のあちこちに高熱で焼かれたような跡があり、中にはタイヤ痕や血痕のようなものも見て取れる。

 予想は簡単についた。

 爆発に気をとられたか、衝撃で制御を失った車が、周囲の壁や電柱に激突したのだ。

 血痕は恐らく、その時の怪我によるものだろう。

 三人の胸のうちに、決して小さくない怒りの炎が灯った。

「しかし、本当に、ここで合っていますの?」

 だが、同時に麗はこの場所を不審がってもいた。

 邪悪な気配も感じられないので、夜間巡回中でも素通りするような場所だ。

 麗が疑問を抱くのも、まったく無理のない話である。

 だが、朱音と晴之はこくりと頷く。

 間違いなく、この場所だ。

 晴之や朱音の攻撃を簡単にあしらい、言霊によって強制的に公園の外へと追いやった敵がいるのは。

 三人と一匹は、出入口の一つまで移動した。

 まずは晴之が、陽毬を肩車したまま公園へと足を踏み入れ、朱音と麗はその様子を見守る。

 案の定、晴之はいつの間にかくるりと反転しており、朱音と麗の方に向かって歩いてきていた。

「…………こんな感じで、中に入れない」

 晴之はとぼとぼと、入り口から離れた。

 そして晴之と入れ替わるように、今度は麗が入り口の前まで歩み寄る。

 手を突き出してみたり、晴之と同じように公園に入ってみたり。

「なるほど。確かに、なかなか厄介そうな結界ですわね」

 背を向けていたはずの朱音達を正面に捉え、麗は納得したように何度も頷く。

「どうやら、空間の向きを逆転させているわけではないようですわね」

「あの、土御門さん。それってどういう意味なんでしょうかぁ……?」

 そろそろと手を挙げて質問する朱音に、麗はそれはですねぇ、と実演して見せた。

「簡単に言えば、空間の向きを逆転させている結界は、境界面に触れた部分が触れた場所から出てくるという事です。ですが……」

 麗は公園の入り口ギリギリに立って、腕を突き出した。

 が、何の変化も見られない。

「この通り、なんの変化もありません。それに加えて……」

 麗は晴之からキャンディーを一粒もらうと、それを公園の方に投げた。

 キャンディーは綺麗な放物線を描きながら、重力に引かれて落下する。

「物は内側に入れます。他にも色々と理由はありますが、恐らく認識阻害の効力を持った結界でしょう。それも、かなり高度な。自分も他人も認識できないだけで、無意識の内に自分で向きを変えて出てきているのでしょう。これが空間逆転系なら、投げた運動エネルギーを保持したまま、キャンディーがわたくしのほうに向かって飛んできているはずです」

 麗は結界内に踏み込んだり、身体の一部を入れたりして感触を確かめる。

 入って行ったはずなのに、気付けば戻って来ている。

 朱音も晴之も陽毬も、いつ麗が振り返ったのは認識できていない。

「存在を知っていながら、中には入れぬのじゃからなぁ。無意識に働きかける誘導型とは、比べものにならん強制力じゃのう」

「…………しかも、術者の感覚も欺けるとなると、滅多にいない」

 陽毬と晴之は、口々に感想を漏らす。

 朱音自身も、なるほどぉ、と何度か頷いた。

 学園でも使われている誘導型結界の上位版。

 言ってしまえば簡単だが、それを実現するのは途方もなく難しい。

 強力な術であればあるほど、それが違和感となって人に伝わる。

 誘導型結界が人の無意識に働きかけるのも、一般人に違和感を与えないようにするためだ。

 無意識に働きかけるという事は、それだけ効力が弱いという事でもある。

 つまり強制力が強ければ強いほど、一般人にもそれは違和感となって伝わってしまうのだ。

 しかし、これは承認ランクC以上の術者にすら、違和感なく働きかける力を持っている。

 それも、明らかな異常が起こっているにも関わらず、それを違和感として感じられない、あたかもそれが当然のような。

 それだけでも、相手の技量が神がかっているといえるだろう。

「で、どうやって中に入るの?」

 だが、それはそれ、これはこれだ。

 相手の技量がすごかろうが、まだまともに戦ってすらいない相手に撤退を選ぶには早すぎる。

 自分より強い相手に勝つ方法なんて、いくらでもある。相性だってある。

 その考えは、みんな変わらない。

 朱音に聞かれて考る事数秒、やっぱりこれしかありませんわね、といった風に麗は二人と一匹に振り返った。

「中での戦闘を考慮するなら、やはり結界を破壊せずに侵入する方が無難です。今回は道具もちゃんと用意して来ましたので、そこまで難しくはないでしょう」

 そう言うと、麗は短刀を一本、スカートのポケットから取り出した。

 刃渡りは二〇センチほど、朱音の小狐丸や涼子の小太刀のような鋭さは感じられない。

 装飾の凝った造りを見るに、儀式用の物だろう。

「神隠す者、布都(ふつ)御劍(みつるぎ)羽々斬(はばき)りし十拳(とっか)の如く、世の(ことわり)を断つ」

 詠唱に応じて、短刀の先から光が伸びた。

 霊力は無色透明で、一部の例外をのぞけば本来は視認する事ができないもののはずなのだが。

 その例外の代表例である物質化(マテリアライズ)とは違う、どこか異質な気配の漂う光は、神々しさの中に狂気のようなものを孕んでいる。

 長さは一メートルと二〇センチほど、直刀の形で固定された光の刃を、麗は軽く弄んだ。

「術式破壊用の術式です。一種の概念武装に近い高等術式なので、今のわたくしの技量では十秒と保ちませんが……」

 麗は光の直刀を振りかぶると、上段から一息に振り下ろした。

 やや斜めの軌跡を描く光の直刀は地面すれすれで跳ね、上方へ。更に横へと薙ぎ払う。

 短刀の先から、光の刃が消えた。

 宣言した通り、十秒が経過したのである。

 一見すれば単に剣を振るっただけにも思えるが、そうではない。

 その光景に、朱音は目を見張った。

 公園の入り口にあたる空間に、三角形の切り口が浮かんでいるのだ。

 まぎれもなく、それは先ほど麗が剣を振るった軌跡である。

「それでは、参りましょうか」

 麗はほんの少し指先に霊力を込めると、とんっ、と三角形の内側を押した。

 押された部分は軌跡に沿って、内側へと落下する。

 パリィーン、とまるで薄い氷が割れたような軽やかな音色を立てて。

「すご……」

「…………おぉ」

「やるではないか。褒めてつかわすぞ」

 朱音と晴之ではどうしようもなかった結界が、麗によって呆気なく攻略された瞬間だった。

 二人と一匹は、口々に驚きを露わにする。

 麗を先頭に、朱音と晴之、そして陽毬は結界の中へと続いた。




 結界とは、外界とは切り離された――隔離された空間である。

 結界内の風景は、まさにそれを体現していると言っていいだろう。

 外から見た時は桜の大樹がぼんやりと炎をまとっていた程度だったのだが、結界の内部では辺り一面が桜色の炎で照らされていたのだ。

 まるで真昼のように明るい。

 空を見上げれば、桜色の炎が花弁を散らすように輝いている。

 前回見た時もそうであったが、今回はその時とは比べられないほど圧倒的に美しかった。

「やれやれ。貴様らを巻き込まぬよう張った領域だというに。それをわざわざこじ開けて、ここまで入ってこようとはな」

 そして、炎を吹き出す桜の大樹の前に、一人の女性が現れる。

 赤と金を基調とした振袖と紺の袴を纏い、意匠を凝らした(かんざし)でしなやかな黒髪をとめ、背の高い黒塗りの下駄が足下を彩る乙女。

 色香と奥ゆかしさ、相反する要素を体現したその姿は、女であろうと心を奪われるほど。

 美しいという言葉ですら、彼女の前では色褪せてしまう。

「まったく、刻限までもうひと時だと言うに。気の利かぬ輩よのぅ」

 だが、同じ失敗を繰り返す朱音ではない。

 まっすぐに相手を見すえたまま、竹刀袋から小狐丸を取り出して腰にぶら下げた。

 晴之も気を引き締め、陽毬もその傍らに降り立つ。

「そっちの都合なんか知らないわよ。私だって、できるんならこんな物騒な事したくないもん。あんた、話が通じそうだし」

 朱音は上体を低くしながら、小狐丸を抜き放つ。

「でも、表のあれを許すほど、私は甘くないわよ」

 刀匠三条宗近が、稲荷明神と共に鍛えたと伝えられる、朱音の愛刀。

 その切先が、まっすぐに女性へと向けられる。

「生きてる人間に手を出すようなら、私達も容赦しない。それが力を持つ人間の義務で、私達魔術師の存在意義だから」

「よう言うたぞ、朱いの!」

 瞬間、陽毬の身体に変化が生じた。

 まるで十年分ほどを一気に成長したように、背丈が、髪が、手足が伸び、幼い少女の肉体は成熟した大人のそれへと変化する。

 学園の制服は千早と緋袴の巫女装束へと組み替えられ、千早の裾から飛び出す八本の尾は、その存在を主張するかのように扇状に広げられる。

「ワシも他人の事をとやかく言えるような生き方はしておらぬが、これだけは言える。如何なる理由があったとて、生者を殺めてもよい理由にはならぬ。外道の道に堕ちれば、生き辛いだけぞ」

 陽毬は女性に向かって、真剣に語りかける。

 悲哀を含んだその目は、底が見えないほどの後悔で満ちていた。

 今でこそ晴之にべったりして楽しそうな陽毬であるが、そこに至るまでにどんな悲劇があったのか、朱音には想像する事もできない。

 口振りから察するに、陽毬は過去、人を殺めた事があるのだろう。それも大量に。

 昨夜女性の言っていた『金色の災禍』という言葉が、朱音の中に蘇った。

「貴様に言われるまでもない、金剛の。妾とて、好んで殺生するつもりはない。例え貴様らのような、魔の道に染まった者共でもな。しかし……」

 女性の掲げる手に、桜色の炎が集まり始めた。

 集まった炎は内側に向かって凝縮していき、ある物の形をとる。

「妾の邪魔をしようとする者がおれば、手段を選ぶつもりはない」

 それは、三メートル近い長さを誇る、片刃の直刀。

 人間が扱う事を全く考慮されていない、破格の大刀だった。

「ハルユキ」

「…………わかってる。いくよ」

「……ん」

 晴之の肩にしながれかかった陽毬は、自然な流れで晴之と口付けを交わした。

 陽毬の顔はとろんととろけ、恍惚とした表情を浮かべる。

 直後、陽毬のネックレス(首輪)が激しく輝きだした。

 ネックレスを構成する真珠の粒から式が溢れ出し、組み変えられ、封印(●●)とは異なる意味を連ねていく。

「っはぁぁ。やはり、お前は最高だ。ハルユキ」

「…………それほどでもないよ」

 いつも通りの反応を示す晴之に、陽毬はくすりと笑みをこぼす。

 その瞬間、陽毬の身体は光の粒子となって崩れた。

 光はそのまま晴之の肉体を包み込み、最後に骨盤の辺りから八本の尾が伸びる。

 昨夜朱音の見た、晴之と陽毬の戦闘形態だ。

玄葉(くろは)、やっぱり今日も無理?」

 女性への警戒を続けながら、朱音はベルトにぶらさげる御守りに語りかける。

 すると五つの御守りの中の一つ、黒に金糸のものから半透明の獣が現れた。

 全体的にくすんだ灰色の毛並みをした、狐の霊体である。

「昨日よりも、聖域としての性質が強いです。あまり、長い時間は……」

 昨夜はまだそうでもなかったが、今日は顔色が悪い上に声も弱々しい。

 という事は、今の陽毬も同じくらいの苦痛を受けているだろう。

 退魔業に手を貸しているとはいえ、陽毬はかなり高位の存在にある妖狐だ。

 聖域への耐性は玄葉よりずっと強いが、玄葉以上に聖域からの影響も強いはず。

 よくもまあ、あそこまで平気な顔をしていられるものだ。

「わかった。必要な時には呼ぶから、心の準備はしておいてね」

「うん」

 玄葉は逃げるようにして、御守りの中へと戻っていく。

 それだけ、聖域から受ける影響力が強いのである。

 もしかしたら、朱音達の使う術式にも、影響があるかもしれない。

「にしても。鳥羽先輩と比べたら、すごく地味ね。私」

『まあ、見た目には派手であろうな。これだけ光っておれば』

「…………だから、この姿、強襲以外に使い道がない」

 白銀の光芒と晴之の口から、それぞれに返答が返ってくる。

 しかし、強襲以外に使い道のない戦闘形態を、嘆いている様子はない。

 静かながらも、どこか誇らしげに。

 悠然とした振る舞いで、晴之は朱音と麗の前に出た。

「ふっ。あくまでも刃向かうという事か。なら、それもよし」

 戦う姿勢を見せる二人の術者を見て、女性は鼻で笑った。

 大きな袖をまくり、三メートル近い大刀を肩に担いだ。

「黄泉への手土産に、せめて自分が殺される相手の名くらい、教えてやろう」

 大刀の軌跡に沿って桜色の火の粉が散り、より幻想的な世界を描き出す。

「妾の名は、桜華(おうか)(あめ)御原(みはら)を守護せし、大霊狐なり!」

 女性――桜華の叫びと共に、晴之は固く大地を踏みしめた。




 桜華が現れた瞬間から固まってしまっている麗は放置して、晴之と朱音は跳び出した。

 麗を気にしながら戦えるほど、桜華という敵は甘くないのだ。

 晴之は両腕の光を薄く伸ばすと、桜華に斬りかかる。

 だが、間合いがあまりにも違いすぎる。

 桜華は舌なめずりしながら、大刀を上段から一息に振り下ろした。

 とっさに両腕をクロスさせて刃を受け止めるが、その斬撃は想像を絶するほどに重い。

 しかも、陽毬が構成する光の衣が、見た目にもわかるほど斬り裂かれてゆく。

 国内では最高ランクを誇る肉体強化と妖刀という組み合わせの、朱音の斬撃すら防いだというのに。

 だが、これも計算の内だ。

 晴之が桜華の斬撃防いでからコンマ一秒にも満たない間に、朱音が大刀の下をくぐり抜けて桜華に迫る。

「甘いわ!」

 加速した勢いを乗せ、朱音は桜華の胸元に刺突を繰り出した。

 銃弾にも劣らぬ速度で繰り出された刺突であるが、桜華はこれを空いている方の手で簡単に払いのける。

 朱音の身体が、桜華の側面を通り過ぎた。

 しかし、まだ終わっていない。

 通り過ぎる間際、朱音は身体を強引にひねり、もう一撃を桜華に叩き込む。

 視認しているわけではない。

 桜華のいそうな場所に、適当に刃を振るっただけだ。

 だが、先ほど防がれた時とは違う、確かな手応えが掌の中に広がった。

「あぅっ!?」

 空中で大きくバランスを欠いた朱音の身体は、肩から勢いよく地面に激突する。

 それでも身体の芯に響く痛みを堪え、一瞬で立ち上がった。

 最後の一撃がどうなったのかを、見届けるために。

 するとそこには、先ほどまでの桜華には存在しなかったものが在った。

「どうかしたか? 草壁の。呆けた顔をしよって」

 骨盤の辺りから、髪の毛と同じ、艶やかな黒い毛並みをした四本の尻尾が生えていたのだ。

 さらに桜華は見せつけるように、黒い狐の耳を頭からひょこっと生やす。

 麗の言っていた『獣の霊』。

 桜華自身が言っていた『(あめ)御原(みはら)を守護せし大霊狐』。

 まるで、その二つを証明するかのようだ。

 ――…………陽毬!

 ――うむ!

 桜華が朱音に意識を移した隙に、晴之は大刀を弾いて後退した。

 陽毬が光の衣を両腕に集中させ、一瞬だが大刀の力を退けたのである。

 薄く刃の沈んだ部分に、赤い線が一筋走る。

 光の衣の防御力を知っている朱音もその斬れ味に驚いたが、それ以上に不可解なものに朱音は疑問を抱いた。

「なんで、私の名前を……?」

 そう、今しがた桜華は、朱音に向かって『草壁の』と言ったのだ。

 名乗っていない朱音の名前を、桜華が知るよしもないはずなのに。

「今の時分、“(まろ)(おもい)の識”を使う者など、草壁の流れを汲む者以外ほとんどおらん。こと、この国ではな」

 恐らくは、草壁の肉体強化術式の事を言っているのだろう。

 詳しくは自分でも理解していないが、どうやら草壁流の用いている肉体強化の術式は、一般的に使われているものと少し違うらしい。

 朱音がそんな事を思い出していると、今度は桜華自身が朱音に向かって飛びかかった。

 地面すれすれを舐めるように滑り、巨大な大刀を力任せに振り下ろす。

 辛うじて反応した朱音は斜めに構えて斬撃を受け流すが、あまりの威力に小狐丸が嫌な音を立てた。

「その刀、なかなかの逸品じゃな」

「そりゃ、名匠が鍛えた刀ですから」

 あまりの衝撃に、地面が弾けた。

 視界を覆うほどの土煙が立ちこめ、砂の塊が朱音の身体を打つ。

 しかしそれらに構わず、朱音は今目の前にいる桜華に向かって肩から突っ込んだ。

 だが、望んでいた感触は得られない。

 何にもぶつからぬまま、朱音は土煙の外へ出た。

 六感を総動員して、桜華の気配を探る。

 通常とは異なる気配が、すぐ真上にあった。

「遅いわぁ!」

 大刀を片手で掲げた桜華が、予備動作なしで急降下してくる。

『させるか!』

 朱音めがけて空中から急襲してきた桜華を、八本の白銀の光が迎え撃った。

 横槍を入れられた桜華は勢いに逆らわず、白銀の光に合わせて自らも同じ方向に飛んで威力を和らげる。

 直撃覚悟で防御の構えをとっていた朱音が白銀の光を目で追うと、遠く離れた晴之の骨盤の辺りから光の尻尾が十メートル以上も伸びていた。

 晴之は墜落していく桜華を追って、大地を駆けた。

 手を前足のように使い、さながら四足の獣のように。

 晴之は桜華に狙いを定め、跳び上がり、叩きつけるように八本の尻尾を振り回す。

「やるではないか。鳥羽のに、金剛の」

 しかし、桜華は空中で身体をひねり、三メートル近い大刀でその全てを受け止めた。

 いや、逆に陽毬の尾を切り刻んだ。

 断ち斬られはしなかったものの、八本の尾の(なか)ばまで巨大な刃が通る。

「だが、贋作とはいえ、神代の(つるぎ)には、ちと相性が悪かったようだのぅ。実体無き貴様の尾を斬るなぞ、造作もない」

『それがどうした。所詮はまがい物だ。本物ではあるまい!』

 晴之は尾を引きながら、同時に右腕へと光の衣を集めた。

 通常の五倍ほどまで巨大化した腕で、桜華の全身をはたく。

 さすがにこの勢いは殺しきれず、桜華は遠く離れた地面に叩きつけられた。

「…………陽毬、大丈夫?」

『いつぞやの使徒の時と比べれば、まだだいぶマシじゃ。まあ、ちと辛いがのぅ』

 心配そうな晴之に、陽毬は苦笑気味に答える。

 尻尾を切断されそうになった経験など、星怜大に入ってから初めてである。

 それ以前には何度かあったが、そのほとんどは晴之の技術不足に依る所が大きい。

 陽毬は相手の強さに苦言をていしながらも、気合いを入れ直す。

 減退していた光の衣は、再び息を吹き返した。

「鳥羽先輩、ありがとうございます。陽毬さんは、大丈夫ですか?」

 陽毬の状態を心配した朱音が、駆け足で近寄ってきた。

『うむ。まあ、なんとかのぅ。じゃが、長期戦に持ち込まれれば、踏ん張りきる自信はない』

 この一日、常に上から目線で強気な発言ばかりしていた陽毬から、初めて弱気な言葉が漏れる。

 朱音の管狐達が外に出られないのと同様、見た目にはわからないだけでやはり陽毬にも影響が出ているのだ。

 攻略の糸口がつかめないまま頭を悩ませる二人をあざ笑うかのように、桜華が地面にふわりと降り立つ。

 重力を感じさせないほど軽やかに、だが決して軽くない大刀を携えて。

(かう)なる陽炎(かぎろひ)の衣、今は無縫衣(むほうい)と呼ぶのだったか。確かに、人の身でありながら強大な力を行使できるが、それは己が体内に化生を引き入れると同義。その危険さ故に禁呪に定められていたはずであるが、よいのか鳥羽の。虐殺妖狐と名高い、そこの金剛九尾を引き入れて。それに草壁のも、貴様もだ。管狐は、(しま)いには己が主からも富を奪っていく。いつ背信されるのか、わかったものではない奴らじゃぞ?」

 桜華の言葉に、朱音も晴之も顔をしかめた。

 確かに、桜華の言っている事は正しい。

 朱音は詳しい事はわからないが、晴之の接近戦での晴之の戦闘力は、朱音に並ぶほど術者の中でも桁が外れている。

 自分の肉体強化術式も、真っ当とはほど遠い代物だ。

 それと同等の力を発揮できる術式となれば、真っ当でない代物と考えたほうが自然である。

 朱音の使っている管狐にしても同じ、現在はどうであれ始めは五匹とも強引に従えた存在だ。

 裏切られる可能性とは、絶対にないとは言い切れない。

 特に白鎌に至っては、だいぶ朱音の事を嫌っているようでもあるし。

 しかし、朱音と違い晴之は顔色一つ変えず、さも当然のことのように言い返した。

「…………お前に何を言われようと、陽毬は陽毬。僕の知っている陽毬は、ちょっとわがままだけど、優しい女の子。それだけ」

 だが、正論は所詮正論。

 一般的であるだけで、全ての場合に当てはまるわけではない。

 晴之と陽毬は、普通よりもっともっと深い所で繋がった、そんな関係なのだ。

『ハルユキ』

 陽毬の感極まった声音に、晴之は薄く笑って見せる。

 二人のやり取りを見ていた朱音の胸にも、何かこみ上げてくるものがあった。

 悪さをしていた、五匹の狐霊達との出会い。

 そして今へ至るまでの、長い長い道のりを。

「そうよね、うん。うちも同じよ。玄葉達は、確かに最初はむりやりだったけど、今はちゃんと、私を信じて、力を貸してくれる。あんたの言ってる事、事実ではあっても、真実じゃない。私達の関係も知らないのに、好き勝手言わないで」

 厳しい口調で、朱音も桜華に堂々と宣言してやった。

 お前のものさしで、自分達の関係を測れると思うな。

 そんな思いも、朱音の言葉には含まれている。

 正論が何だ、事例が多いからどうした。

 ぶつかり合い、分かり合い、裏切り、裏切られ、和解して、喧嘩して、また仲直りして。

 それを幾度となく繰り返して、今の自分達があるのだ。

 だが、

「よく言う。人間同士ですら互いを分かり合えず、信じられないと言うのに、人間と化生が信じ合えると、本気でそう思っておるのか? それが誠ならば、貴様らは真におめでたい奴等よのぅ」

 またしても、二人の胸に決して小さくないものが突き刺さった。

 いくら言葉を尽くした所で、相手の心を真に理解する事はできない。

 それはまさに、桜華の言う通りである。

 朱音にも、そんな経験がある。

 幼い頃の事故は、朱音にも、朱音の弟にも深い傷跡を残している。

 その時の怪我は完治して、跡も後遺症も残っていない。

 原因も自分の不注意なので、朱音自身はその事を全く気にしていないのだが、弟は自分に原因があると負い目を感じて、今でもその事で苦しんでいるのだ。

 万の言葉を尽くそうと、億の思いを込めてで語ろうと、きっと分かってはくれないだろう。

 晴之にも思い当たる節があるらしく、その表情に暗い影が落ちる。

 しかし、

『めでたい奴等でけっこう。化生の身で人と信じ合う事がおめでたい奴等と言うなら、それはワシにとっては最高の褒め言葉じゃ』

 今度は二人に代わって、陽毬が言い返した。

 光の衣が収束し、晴之の背中で像を結ぶ。

 後ろから晴之の首に腕を回して、その頬に自らのそれをそっと近づけた。

『人を信じて何が悪い? 分かり合って何が悪い! 憎悪に満たされ、見境なく生者を屠ってきたワシに、手を差し伸べてくれたのは人間であった。ワシの気持ちを汲み取り、癒やしてくれたのもまた人間であった! その裏にどんな思惑があったか知らぬが、それでワシは救われたのだ』

「黙れ! 同じ存在ですら殺し合う人間と、わかりあえるはずがない! 信じられるはずがない! 自らの都合だけで、簡単に相手を裏切られる人間など!」

 今まで飄々(ひょうひょう)としていた桜華が、初めて露骨に感情を表した。

 それは、人間に対する強烈な憎悪の念だ。

 普通の人間なら、その殺意だけで窒息してしまいそうなほどの。

 だが、陽毬はそれらを物ともせず、晴之に、朱音に、そして麗に語りかける。

『土御門の小娘。呆けているのも、終わりだ。はよう戦いに加われ。本番はこれからぞ』

 この場にいるだけで死ぬほど辛いはずなのに、それをおくびにも出さずに、声高らかに。

『そこの、人間嫌いのおおたわけに教えてやろう。ヌシらとワシらは、分かり合えるという事を。人と化生の手を取り合った力というやつを』

 そして、桜華も陽毬からの宣戦布告を、しっかりと受け取った。

「気が変わった。貴様等は、此処で討ち果たしてくれる。桜華の名に隠された意味、その身でしかと見届けるがいい」

 大霊狐と魔術師達の戦い、その第二幕が上がった。

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