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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第弐ノ巻~うたかたの命、とこしえの想ひ~
27/55

其ノ漆:心当たり

 講義終了後、朱音は先日新らしく登録したアドレスにメールを送った。

 その送り先というのは。星怜学園大学附属高等学校、総合学科陰陽コース所属の二年生、土御門麗である。

 戦闘よりも繊細な術の扱いに長けており、その実力は位相空間結界をこじ開けた際に実証済みだ。

『この後時間ある?

 ちょっと話したいことがあるんだけど』

 という、朱音の至って簡素な文章に対して、『拝啓』と季節の挨拶から始まり『敬具』で終わるよくわからない返事が返ってきた。

 とりあえず、来てはくれるようだ。

 集合場所は、寮から一番近いコンビニ横にある学生フロア。

 時間は夕食時の十八時前辺りだ。

 これくらいの時間になると、たむろしている人数もぐんと減ってくる。

 具体的な人数を上げれば、十人そこそこだろう。

 しかも、その大半は術者である場合が高い。

 普通の学生は、駐輪場や校門に近い別のコンビニに集まっているので、こんな奥まった場所にあるコンビニには、なかなか来ないのだ。

 朱音は涼子にも『お仕事頑張って』とメールを送ると、寮の前で待っていた晴之と合流してコンビニに向かった。

「それにしても……、いつも頭に乗せてるんですか?」

 朱音は、晴之に肩車される幼女こと陽毬をそっと指差す。

 いくら小柄とはいえ、十数キロ、あるいは数十キロはくだらないはずである。

「…………もう慣れた」

「ハルユキィ、お腹が減ったのじゃ。びぃると枝豆が食べたいのじゃあ」

「…………部屋まで我慢。でも、枝豆切らしてるから、おつまみはサキイカ」

「うむぅ……。枝豆はないのかぁ。残念じゃのう」

 見た目は幼女でも、中身はだいぶおっさんのようだ。

 確かに、あのなりではアルコール飲料なんて、とても売ってくれないだろう。

 近年法律が変わったせいで、タバコやアルコール飲料は本人でなければ買えなくなった影響がこんなところで出ていようとは、まさか法案を作った本人達も思ってはいまい。

 と言うより、陽毬の場合外で飲んでいれば間違いなく大人に取り上げられてしまうだろう。

「…………それで、さっきのメールの相手は?」

 晴之はポケットから小さな飴を取り出しながら、朱音に誰を呼び出したのか聞く。

「高等部二年生の、土御門麗さん。後方支援系の知り合いが欲しかったから、アドレス教えてもらったんです。春休みの鬼の件で、色々ありまして」

 陽毬は朱音に話しかける晴之の手から飴をひったくると、ぱくり。

 さっきは酒に枝豆とおっさん丸出しであったが、お菓子も好きなのだろう。

 柔らかそうな金色の狐耳が、嬉しそうにヒョコヒョコ動いている。

「…………あぁ、涼子から聞いた。結界内部で、無限に再生するってヤツだっけ」

「えぇ、はいそうです。涼子さんが閉じこめられてる結界、麗さんにこじ開けてもらったんです」

 可愛らしく動く狐耳に触りたい衝動を必死で堪え、朱音は晴之の方を振り向く。

 晴之は携帯電話の受信メールフォルダを開き、涼子から送られてきたメールを確認して朱音に見せてくれた。

 陽毬さまの尻尾をもふもふしたいです、から始まる一連の学生襲撃事件についての結果報告のメールだ。

 ちなみにこのメールは、あーちゃん先輩こと西行文佳を始め他数名にも送られている。

 任務を終えたら、教務課以外にも仲間内のメンバーにメールするのが、この学校の習わしなのだそうだ。

「…………見ず知らずの他人が構成した結界に、干渉できるのか」

「まぁ、それでこそ天下の土御門というものじゃて。あの高飛車も、なかなかやるではないか。まぁ、このワシならそのような結界、片腕で消し飛ばしてくれるがのう」

 くちゃくちゃと飴を舐めながら、陽毬は晴之の上で腕組み。

 自慢気に、ふふんと鼻まで鳴らしている。

 一応、二人の話を聞いていたようだ。

「やっぱすごいですよね。他人の結界に干渉するのって」

「…………戦闘系の俺達には、無理」

 幸せそうに飴を舐める陽毬を無視して、朱音と晴之は昨日の事を振り返る。

 まさか戦闘に特化された魔術体系の弱点が、ここまで露骨に出たのは初めての経験であった。

 やはり幅広い任務をこなすには、色々なタイプの術者が必要ということなのだろう。

 朱音や涼子、晴之をはじめとした前衛攻撃系、麗のような後方支援系、文佳のような呪具の製作者系もまた(しか)り。

 そうこうしている内に、二人と一匹は集合場所であるコンビニに到着した。




 割とゆっくり歩いてきたのもあってか、集合場所にはすでに麗がやってきていた。

 しかも椅子の上に正座するという、極めて珍妙な姿勢で。

 だが、驚くべきはそこではない。

 麗の目の前の机に、なんと人数分――正確には陽毬を除いた三人分の弁当と飲み物が用意されていたのだ。

 しかもその弁当というのが、一つが千円以上するような高級なものとくれば、驚かない方が無理だろう。

 朱音が普段食べている学食の、ざっと三、四倍の値段である。

「えっとぉ、その。急に呼び出しちゃってごめんね。土御門さん」

 朱音は小さく手を振りながら、麗の正面の席に座った。

 陽毬を肩車したままの晴之も、その隣の席に着く。

「そそ、それて。用件というのは何かしら? あ、お弁当を用意しましたので、食べながらでけっこうです」

「それじゃあ、いただきます」

「…………ありがたくいただく」

 麗様からお許しを頂いた二人は、早速弁当を開封する。

 そのお弁当の中身はと言うと、

「すごっ……」

「晴之、ワシにも! ワシにも!」

 甘辛いタレで煮込んだ柔らかい牛肉をふんだんに使った、すき焼き弁当であった。

 晴之の頭から股の間に滑り込んだ陽毬は、小さなお口をいっぱいまで広げて催促のポーズをする。

 先ほどまで晴之に貰った飴を舐めていたはずなのだが、もう噛み砕いてしまったのだろう。

「…………のどにつめるなよ」

 晴之は柔らかな肉でご飯を包み込むと、そのまま陽毬の口元へやった。

 目の前にやってきたお肉に陽毬はらんらんと目を輝かせながら、生きのいい魚のようにパクりと食らいつく。

 あむあむあむ、ごっくん。

「うまーーーい!」

 陽毬の目の輝きが、五割り増しくらいに強くなった。

 お弁当がよほど美味しかったらしく、耳と尻尾が嬉しそうにひょこひょこ動いている。

 が、その耳と尻尾が急にビシッと伸びたかと思うと、陽毬は晴之の股の間から転がり落ちた。

 そして床に落ちた陽毬は、のどもとを押さえたまま、ごろごろと床の上を転がり回る。

「…………言わんこっちゃない」

 晴之に注意されたばかりだというのに、早速のどにつまらせたようだ。

「それで、用件というのは?」

 麗は呆れ果てた目で陽毬を見つめながら、朱音にたずねた。

 なにも夕食を一緒に食べるために、ここに来たわけではない。

 朱音に用事があると、呼び出されたからだ。

「あぁ、うん。それなんだけどね……」

 朱音は教務課から渡された依頼の件について、かいつまんで話した。

 星怜大から南の方にある公園に倒れた桜の樹があり、放置しておくと危険なため撤去が決まった事。

 だが、その作業中に多数の怪現象が起きて、作業が全く進まない事。

 そのせいで相当数の怪我人が出ている事。

 そして、

「神聖な気配のする妖怪、あるいは魔術師、ですか」

 突如現れた謎の女性の事。

「…………最後のは多分、言霊の一種。それで、強制的に公園の外に追い出されて、もう入れなくなった」

「一概には言えませんが、神聖な気配を放てる術者なんて、そう多くありませんわよね。神道の術者である巫覡(ふげき)や、聖十字を掲げる祓魔師くらいしか……」

 麗は朱音と晴之の情報と自分の知識を照らし合わせ、昨日二人が遭遇した敵について思考を巡らす。

 やはり、怪しいのは二人の感じていた神聖さだ。

 朱音や麗の用いる陰陽術を始め、魔術とは極めて限定的に世界の法則をねじ曲げる技術である。

 それは正常の極致を指す神聖さと、全く真逆の関係にあると言っていい。

 それに該当する術を有するのが、神道や聖十字教なわけであるが……。

「…………それに、もう一つの可能性もある」

 と、ここまで麗が言っていたのは“神聖な気配のする魔術師”についてだ。

 晴之がこれから言おうとしているのは、もう片方の可能性についてである。

 それ即ち、

「……神格、ですわね」

 麗の言葉に、晴之はうんと首を縦に振った。

 “神聖な気配のする妖怪”とは、極論すれば神である可能性さえある、という事だ。

 もう少し詳しく言うならば、神格を保有する化生の類、とでも言うべきか。

「神格って、この前鬼退治したばっかよ……? そうさいさい、神格なんか出てこられちゃ、命がいくつあっても足りないわよ」

 冗談ではないと、朱音は少し表情を引き釣らせる。

 先月末に鬼と戦い命からがら勝利をもぎ取ったばかりだというのに、一ヶ月も経たぬ内にまた神格とくれば怒りたくもなるというものだ。

「それに関しては、わたくしも同感です」

「…………神の大安売りとか、勘弁して欲しい」

 口にはしたものの、麗も晴之も朱音と同じ気持ちである。

 鬼神とも表記されるように、鬼もれっきとした神である。

 人に害を成す悪神、その頂点と言ってもいい。

 しかも神格を敵にする経験なぞ、普通なら一生の内に一度あるかないかというレベルの話だ。

 というか、ほとんどの術者は一生無縁のままなんてのもざらにある。

 それがこの短期間に二回もあるなんて……。一般常識をぶっちぎるのは、せめて学内の空気だけにとどめてして欲しい。

「…………まあ、可能性の話」

 付け加えるように、晴之はぼそりとつぶやいた。

 朱音と麗も、その意見にうんうんと頷く。

 二人とも鬼と対峙した張本人で、足下がすくむような圧力を実際に体験している。

 できれば、もう二度と相手したくない部類であった。

 本当に、あの時は命の危機を感じたのだから。

「結局、相手がどんなのかわからないまま……か」

 ぽつりと、朱音がつぶやく。

 もっとも、相手の正体がはっきりとわかっている事の方が少ないので、これはこれで正常なのだ。

 ただ、強制的に公園から押し出されたり、入れないような結界が張られているのがちょっと規格外なだけで。

「……貴様ら、食べないのならワシにその弁当をよこせ」

 いつの間にか晴之の膝の上でジト目で羨ましそうに見ている陽毬に言われ、三人は弁当の処理に意識を移した。

 それからもう少し話し合い、今夜は麗も含めた三人で公園に向かう事になった。

 集合時間は夜間巡回を始めるのと同じ時刻の午後八時、集合場所は寮の裏手である。

 朱音も晴之も麗も、ちょうど今夜の夜間巡回は休みだったので丁度いい。

 春休みも終わり、生徒が帰ってきたからだろう。夜間巡回のシフトは、だいたい週に一回ないし二回なので、けっこう余裕がある。

 朱音と晴之、あと陽毬も、あの結界らしきものを破れないから、麗に来てもらわなければどうにもならない。

 今回朱音が麗をメールで呼び出したのも、最初から付いて来てもらうためだ。

 はじめは渋っていた麗であるが、朱音がしつこく懇願したのもあってか、最終的に協力してくれる事になった。

 なぜ頬を桜色に染めていたのかはさておき。

 そして、なぜ集合場所が寮の裏手なのかというと、麗曰く、土御門の家から麗の付き人をいい付かっている者が付いて来るかもしれないので、あまり目立つ場所には集まりたくないのだそうだ。

 それを聞いた朱音と晴之の感想はと言えば、

「付き人って、フィクションの中だけかと思ってた」

「…………英梨佳(えりか)だけだと思ったら、ここにもいた」

「とは言っても、高飛車本人よりは弱いのであろう。付いて来た所で、役には立たんがのぅ」

 と、こんな感じである。

 ちなみに、最後のは陽毬だ。

「鳥羽先輩、その英梨佳って誰です?」

「…………(うち)と仲の良い九重(ここのえ)って家の知り合い。そいつも、よく付き人連れてる」

 朱音の知り合いにはいないが、晴之の知り合いにはそんなぶっとんだお人がおいでらしい。

 いったい、どんな人なのやら。

「ハ~ル~ユ~キ~、ワシの前であの女の話しをするとは、覚悟はできとるのじゃろうなぁ……」

 そしてどこが気に食わなかったのか(まあ、聞いていればわかるのだが)、陽毬様がどこからともなく真っ黒な怨念を放ち始めた。

 なまじ人間でなく妖狐である分、けっこうシャレになってない。

 異変を感じ取った学生達が、ちらちらとこちらを振り返ってくる。

 尻尾の毛を思いっきり逆立て、豪奢な金髪は風のない空間にも関わらずゆらゆらと揺らめく。

「…………、ひ、陽毬! おちついて……!」

「これが落ち着いていられるきゃああああああ!」

 爪やら牙やらを剥き出しにして晴之に襲いかかる陽毬を横目に、朱音と麗はそろそろとコンビニから脱出するのだった。




 夕食を終えた朱音と麗は、寮に向けて歩いていた。

 やたら広い上に山の中にあるものだから、坂道もけっこうあったりするのだ。

 なので、寮から一番近いコンビニでも、徒歩で十分以上かかったりするのである。

「ほんとゴメンね。まだ知り合ったばっかりなのに、私の面倒に巻き込んで」

「だ、大丈夫です。それに、報酬はしっかり分けていただきますから」

 麗はツンと明後日の方向を向きながら、歩く速度を速めた。

「あはははぁ、だよねぇ」

 朱音は小走りで、麗の隣に並ぶ。

 高額だった報酬も三分割になれば、もうあまり高額とも言えない。

 学費を稼ぐためにも、涼子みたく遠方の依頼を探さねば。

 星怜大経由で入ってくる依頼のほぼ全ては、術者生徒の授業の一貫という事で、最低金額に設定されたものばかりなのである。

 実戦経験が豊富に得られるとは言え、朱音のように自分で学費を稼いでいる学生にはなかなか辛い制度だ。

「ど、どうかしましたの……?」

 あからさまに落胆している朱音に、麗は少々引き気味である。

 いやむしろ、これは哀れんでいるようにも受け取れる。

「いや、学費がけっこう稼げるって思ってたから……」

「学費って。あなたって確か、承認ランクBなのでは?」

「そりゃ、星怜大ん中じゃ、割と高額報酬貰える依頼も受けられるけど。前の鬼の時の治療費に、備品の整備費でしょ、それに消耗品の補充と、あと無駄に高い教科書代とか。出費がかさんで、今月ちょっとキツいのよ」

「そ、そうでしたの……」

 ちなみに、朱音と同じく怪我の治療費と備品の出費がかなりのものとなった麗であるが、それらは全て本家が払ってくれたりするので、学園生活が始まって以来、お金の心配をした事はない。

 まあそれはそれとして、麗にだって人を思いやる気持ちはある。

 金銭的に大変困っている朱音に対して、なんとか手助けしてやりたいという思いだってあるわけで。

 だが、無報酬というのにも抵抗がある。

 こっちだって命をかけるわけであるから、それ相応の対価は欲しい。

 もちろん、その対価はお金じゃなくてもいいの……。

 と、そこで麗は閃いた。

「ででで、でしたら……!!」

「ん?」

「ここ、こういうのはいかがでしょうか!」

「えっと、どんなの?」

 麗は胸に手を添え、何度か深呼吸。

 緊張で震える身体を精神力でなんとか押さえつけ、くるりと朱音に向き直る。

「報酬の件は、全てあなたに差し上げます。任務が成功すれば、卒業単位はいただけますから」

「本当!?」

「その代わり、週末はわたくしの買い物の荷物持ちをしてくださいませ。いつもやってくれている者が、まだ入院中で。ちょうど人手が欲しい所でしたの」

「…………え?」

 その内容に、朱音は呆然となった。

「だ、だめでしょうか?」

「いや、その。本当にそんなんでいいの?」

 それって単に、週末一緒に遊びに行こうってだけで、報酬でもなんでもないような気がするのだが。

「あなたがだめだと仰るのなら、仕方ありません。それでは報酬の三分の一を…」

「大丈夫! ぜんっぜんだめじゃないから! 荷物持ちくらいならいくらでもするから!」

 もはや自分のほうが年上とか言う感覚は、朱音の中には存在しなかった。

 年下の荷物もちがどうした、お金のためならどうって事ない。

 お金は装備をそろえる生命線なのだ。そのためなら、風俗以外なんだってする。

 荷物持ちとはいっても、肉体強化の使える朱音にとっては荷物なんてあってもなくても一緒である

「そ、そうですか。では、週末にお願いします」

「喜んで!」

 提案を引っ込めようとする麗を引き留め、朱音は了承の意を示した。

 麗が何を考えているのかはよくわからないが、本人がそれでいいと言うのだから、いいのだろう。

 朱音としても、もらえる金額が増えるのだから、断る理由はない。

「それでは、お先に失礼します」

 麗は軽く会釈をすると、自分の寮へと向かった。

 なんというか、天下の土御門家のご令嬢というだけあって、その仕草の一つ一つが非常に上品だ。

 あまりそういう部分に気の回らない朱音や、全体的に雑な涼子とは大違いである。

「シャワーでも浴びたら、涼子さんに電話でもしようか」

 マスク姿どげほげほと咳き込んでいたが、あれでちゃんと仕事はできるのだろうか。

 朱音は涼子の事を心配しながら、自室に向かう。

 ちなみにこの時、物陰から朱音の方をちらちら見ながら、麗は小さなガッツポーズを決めていた。




 朱音は自室に戻ると、さっそくシャワーを浴び始めた。

 衣服を脱ぐと、その下からはあちこちに巻かれた包帯が現れる。

 昨日の戦闘でできた、すり傷や火傷である。

 朱音はするすると包帯を外してゆく。

 包帯の下、患部にあてがわれたガーゼをぺろりとめくると、それらの傷はすっかり治っていた。

 講義終了後に文佳から買わされた軟膏を塗ったのだが、予想以上の効力である。

 長年の経験から、あと二日はかかると思っていたが、もはやどこに傷があったのかわからないといった感じだ。

 今回は文佳の霊薬の効果もあるが、まったくもって便利な身体である。

 全治一週間の傷でも、二、三日で回復。

 全治三ヶ月の怪我も、一ヶ月足らずで元通りになる。

 もちろん、一回一回が命がけの戦いとなる退魔業を生業(なりわい)としているからには、身体は頑丈な方がいい。

 健康的な意味でも、文字通りの意味でも。

 そういう意味では、草壁家の系統の術者が持つ超回復能力は、頑丈な身体の極致と言えなくもない。

 術を用いた重機並みのパワー、人間には追従不可能な機動力と運動力、自然界の常識を無視した回復力。

 どれもが退魔業を生業としている者にとっては、魅力的な力だろう。

 だがその事実に、朱音の心はチクりと痛む事がある。

 それは、普通とは違う自分への、被害妄想的な疎外感。

 一般人の友達が増えるのと同じく、それはどんどん朱音の中で大きくなっている。

 誰かといる時は感じないのだが、一人となると途端にそれが表に現れるのである。

「誰か、転入して来ないかなぁ……」

 頭からザァーっとお湯を浴びながら、そんな事を口走る。

 今まで気が付かなかったが、自分はけっこうな寂しがり屋らしい。

 隠れ里で暮らしていた時も、ビジネスホテルを転々としながら仕事をしていた入学前にも、こんな気持ちになる事はなかったのに。

 まあ、そんなのも含めて、変わっていく、という事なのだろうが。

 魔術師の常識に正面から喧嘩売っている、この星怜大という場所で。

「さて、準備しないと」

 弱音を吐く時間はこれで終わりだ。

 それより、涼子の体調は大丈夫なのだろうか。

 朱音はシャワーのお湯を止めると、ぺたぺたと足音を反響させながら浴室を出た。




 わしゃわしゃとタオルで水気をふき取りながら、朱音はアドレス帳から涼子の電話番号を呼び出した。

 ツーツーツー、と何度か鳴った後、ぷるぷるぷる、とコールが始まる。

 十回ほどコールが続いた所で、仕事中かなと電話を切ろうとしたその時、

『もしもしぃ、朱音さんでおぇっぷしょんがー!? あ゛ー、失礼しやした』

 出た瞬間から、いきなりかましてくれた。

「風邪の方、大丈夫なの?」

『え゛ぇ、なんどが。古ぐなっだ封印の再施行と、妖怪とも呼べないような低級霊の除霊だげだっだんで、思いのほが早ぐ終わっだんでずよ』

 相変わらず酷い鼻声だが、声のトーンはいつも通り。

 朝と比べたら、だいぶ元気そうである。

 こっちは、けっこう本気で心配していたというのに。

「じゃあ、もう終わっちゃった?」

『はぃ゛。明日の講義は式神に任ぜで、お土産でも探じで来ます。あーちゃん先輩、けっこう楽じみにしでるっぽいんで』

「まあ、休みだと思って、ゆっくりすればいいんじゃない? ひどい鼻声だし、帰ってきたらちゃんと休みなよ」

『え゛ぇ、ぞうさぜでいだだぎまず。時に朱音さんや、『お兄ちゃんのために焼いたんじゃないんだからね! クッキー』と、『萌え萌えメイドさん饅頭』と『ガンガル00名台詞ビスケット』どれがいいですかにゃ?』

「…………それ以外でお願いするわ」

 なんというか、単語を聞いただけで涼子の趣味がわかりそうなラインナップである。

 というか、そんな珍妙奇天烈な名前のお土産が本当に存在するのか、朱音にはそっちの方が気がかりだ。

 この前の『萌えよ混沌!』と達筆な字で書かれたティーシャツと同じく。

『ぞういえば。ずずぅ。鳥羽先輩がら聞ぎまじだが、朱音さんまだ変な任務受げちゃったそうでずな』

「そうなのよねぇ。鬼の時と同じで、相手の正体は不明。火を使い、神聖な気配があって、言霊と結界まで使うの。今回も、なかなか手強(てごわ)そうな相手よ」

『怪我したそうでずが、そっちの方は大丈夫なんでずが?』

「うん。西行先輩の霊薬のおかげで、もう完全に治っちゃったわ」

『ぞうでずが。でも、くれぐれも無理はしちゃダメでずよ。朱音さん、すぐ無茶苦茶するがら、けっこう心配しでるんでずぜ?』

「大丈夫、涼子さんほどじゃないから」

 ぬゎんでずどー、と茶目っ気たっぷりに言う涼子の声を聞いて、朱音はくすりと笑みをこぼした。

『こほん。じゃあ、朱音さんが寂じぐで死んじゃわない内に帰るんで、お出迎えよろしくお願いじまずね』

「もぅ……。それじゃ、体調に気を付けてね」

『アイアイサー』

 ぷちっ、ツーツーツー……。

 朱音は携帯電話を通話から待ち受けに戻すと、優しく丁寧に画面を閉じた。

 もしかして、今の自分の状態を見透かされていたのだろうか。

 最後の辺り、涼子には似合わないくらい優しげな声だった気がする。

 弟妹が四人いるとも言っていたし、人の感情に敏感なのかもしれない。

 術者としての感覚ではなく、五人姉弟の最年長者としての感覚が。

 ――私もお姉ちゃんなんだから、しっかりしないと。

 ただし、朱音の場合は弟以外にも兄が一人いるのだが。

 朱音は、鏡越しに自らの背中を見つめる。

 あの事故の傷跡は、もちろんない。

 自分の不注意で、大事な弟の人生を大きく狂わせてしまった、その名残は。

 だが、それであの事故がなかった事になるわけではない。

 むしろ忘れられない傷跡となって、心の奥深くで未だに朱音を(さいな)んでいる。

 それを乗り越えれば、自分はもっと強くなれるかもしれない。

 周囲の人々との違いからくる不安にも、不甲斐ない自分に対する不安にも負けないような。

 朱音は携帯電話に表示される時刻を見た。

 約束の刻限まで、残り三八分。もうすぐである。

 晴之にも、麗にも、そして陽毬にも、心配をかけてはいられない。

 相手は正体不明の強敵。

 昨日の戦闘を見る限り、晴之はあの敵と相性が悪そうだ。

 メインアタッカーは、自分の役目となるだろう。

「うじうじしてるなんて、私らしくないもんね」

 朱音は心を強く持ち、自分の頬を強く打って喝を入れると、装備を整え始めた。

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