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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第弐ノ巻~うたかたの命、とこしえの想ひ~
25/55

其ノ伍:指名依頼

 夜間巡回で幻想的な風景を目撃してから六日後。

 講義中に突然、朱音の携帯電話が震え出した。

 アドレスを交換した一般の学生は同じ講義を受けているし、術者側の方もそれは同じはず。

 メールマガジンの配信も設定していない。

 一体誰なのだろうか。

 朱音は講師に気付かれないよう、ホットパンツのポケットから携帯電話を取り出した。

 スカートめくり事件以来、ミニスカートは朱音のちょっとしたトラウマとなっているのだ。

 少なくとも、来月までスカートの出番はないであろう。

 折り畳まれた画面をぱかっと開けると、“新着メール”の表記と共にカーソルがセットされる。

 朱音は決定ボタンを押すと、メールが開いた。

 差出人は、なんと教務課からである。

 本文に目を通してみると、仕事の依頼らしい。

 詳しくは教務課、より正確には任務の報告書を提出するあの部屋で行うようだ。

 確認が終わると、朱音は再び講義へと意識を傾ける。

 今やっているのは、二時限目の古典文学解説という講義である。

 本日の内容は、先週からやっている竹取物語だ。

 世界的にも有名で、中学高校でも古典の授業で触れるはずなのだが、学校生活が大学からの朱音にとっては初めて聞く話だ。

 古文を読む事はあまり苦ではないので、朱音は先生の話を聞き流しながらどんどん読み進めている。

 嫁に行きたくないのならきっぱりと断ればいいものを、鬼のような無理難題をふっかけて……。

 もしかして、かぐや姫って実はものすごいドSで腹の中が西行先輩並みに真っ黒なんじゃないか、とか考えていると。

 ――――キーン、コーン、カーン、コーン……。

 講義終了を告げるチャイムが鳴り響いく。

 朱音は手早く教科書やルーズリーフをエナメルバックにしまうと、教務課へと向かった。




 学生証を使ったのは、これで三回目くらいだろうか。

 主に休講情報や補講情報の配信、在学・通学証明書の発行を行っている学生課であるが、職員の対応が雑だったり、配信情報が間違えたりする事もあるので、好印象を持っている学生は非常に少ない。

 もちろん朱音もそんな使えない・使いたくもない学生課の前は華麗に通り過ぎ、その隣にあるカウンターの前で止まった。

 次に、可愛気のない財布から学生証を取り出し、近くにある読みとり機にかざす。

 ピーっという甲高い電子音と共に、カウンターテーブルの一部が横にスライドした。

 だがしかし、こんな事をしているのは普段学部を偽装している総合学部くらいだ。

 表向きはどういう風になっているのか、かなり気になる。

「おぉ、来たなぁ」

 タイミング良く、例の部屋から石動が姿を現した。

 ちなみに、こちらは講師ではなく教務課の職員という事になっているらしい。

 術者の学生から報告書を受け取ったり、任務の告知に受注なんかをしながら、普通の仕事もしているというのだからすごいものだ。

「それで、用件というのは?」

 朱音は言葉を濁しながら、石動に今回の呼び出しの件についてたずねた。

「詳しくは部屋で話そう。入ってくれ」

「失礼します」

 朱音は促されるままに、部屋へと入った。

 真ん中には石動のデスクがあり、それを取り囲むように棚が配置さている。

 棚には上から下、右から左までぎっしりと封筒が押し込められており、かなり重そうだ。

 地震なんか来たら、あっという間に倒れてしまうだろう。

 いや、その前に棚が壊れてしまう事も十分に考えられる。

 部屋のレイアウトを考えた人物は、そこまで考えが至らなかったのだろうか。

 今すぐに呼び出して、もっと安全なものに変えさせたい。

「さてっと。こいつが、今回の任務だ」

 しばらくして戻ってきた石動は、デスクの上に置いてある大きめの茶封筒を朱音に手渡した。

「市長からのご依頼だ。報酬は市民の税金から出てんだから、下僕のようにきりきり働けよ」

「いやいや、私も払ってますよ」

「お前らが払ってんのは、消費税くらいだろうが。もう一年もすりゃ、年金も追加されるが」

 俺なんて今まで納めた税金だけでマンションの一室くらい買えちまうんだから、とがっくり肩を落とす石動であったが、今はそんな事どうでもいい。

 任務の説明が先と思考を切り替え、続きを話し始めた。

「先週、朱音くんと麗くんから報告があったろ。魂が集まって成仏しているっていう」

「はぃ、木曜だったと思います」

 朱音はあの時の光景を思い出す。

 桜色に光る魂が、一つまた一つと消えてゆく、儚くも美しいあの時の光景を。

「それでだな、その折れた桜の樹を撤去する事になったんだが……。なかなか作業が進まないらしい」

「あぁ、大きかったですからねぇ。撤去するのも大変でしょ」

「そうじゃない」

「へ?」

 石動の言葉に、朱音は首をかしげた。

 あの大きさなら、撤去するにもかなりの機材と時間がかかると思ったのだが、そうではないという。

「じゃあ、どういう事なんですか?」

 朱音の問いに石動は答えず、代わりに朱音の抱えている茶封筒を指差す。

 促されるままに、朱音は封筒からB4サイズの資料を取り出した。

「怪現象が起きて、作業ができないらしい」

 朱音は石動の声を聞きながら、どんどん資料に目を通していく。

 マナーモードの携帯電話が鳴り始めたり、ワイヤーが不自然に切れたり、重機が急に泊まったと思ったらひとりでに動き出して暴走したり、原因不明の小火(ぼや)があったり、(しま)いには重機の機関部が爆発したりなんかもあったようだ。

「怪現象かどうかはさておき、確かに不自然ですね」

「それで、天原の巡回役が調べてみたら、どうやらどこぞの妖怪が絡んでるんじゃないかと、そういってきたわけだ。命に別状はないらしいが、重傷者も多く出てるから、さっさと解決してくれとの事だとさ」

 と、そこで朱音が気まずそうに小さく手を上げた。

「あのぉ、巡回役っていうのは?」

「なんだ、知らないのか?」

「す、すいません」

 なんだか恥ずかしくなって、朱音はぺこぺこと頭を下げる。

 だが、石動も呆れた様子はなく、捜査役について話し始めた。

「捜査役ってのは、連盟から各市町村に派遣される見極め人の事だ。妖怪・魔物・怪異と呼ばれてる連中が、事件に関わっているかどうかを調べて、派遣先のお偉いさんに報告してんだよ。だから今回の場合は、市長に報告がいって、仕事がうちに来たって感じだ」

「あれ? 巡回役の人がぱぱっとやっちゃえばいいんじゃ……」

「巡回役ってのは、能力的には完全に一般人だ。魔術の類は一切使えない。そうだなぁ、俺達同様に力を感じ取ったり、視たりするくらいが限度だなぁ」

「あぁ、だから巡回役」

 確かに、日本全国に質の高い術者が配置できるならば、現代のようなシステムにはなっていないだろう。

 現在の日本では、巡回役からの報告を参考に霊的な対処が必要と判断された場合、それを発注する形となっている。

 お偉いさん達は依頼の旨を文面化したものを日本魔術師連盟に提出し、連盟は依頼をホームページ貼り出す。

 それを見た結社は連盟に受注申請を行い、報酬が固定の場合は先着順で。入札式だった場合は、各結社による競争の末、最も低い金額だった結社がその権利を得る事になっているのである。

 だが、必ず例外は存在する。

 その一つが、今回の星怜学園大学天原校のような例だ。

 優秀な人材が数多く籍を置くこの学園は対外的にも信頼が高い上に、依頼をこなすのが学生であるために料金も格安なのだ。

 このように信頼の置ける結社ないし、料金設定の安い結社の場合には、連盟を通さず直接依頼が飛び込んで来る事もあるのである。

 そのために、星怜学園は天原市を含めた周辺での依頼を、ほぼ独占状態にあるのだ。

 まあ、それはともかくとして。

「じゃあ早速、今夜調べてみます」

「頼むぞ」

 朱音は丁寧にお辞儀すると、そそくさと部屋を後にした。




「はっきしっ!?」

 昨晩とは打って変わって、今日の夜はかなり冷え込んでいた。

 動きやすさを最優先して、ライムグリーンの長袖プリントティーシャツとホットパンツに、ショートブーツで来てしまったのは、失敗のようだ。

 もちろん、ブラの上に薄手のシャツは着ているが、それだけで寒さを防げるはずもない。

 これなら涼子のようなジャージにしていれば良かった等と思うが、すでに手遅れである。

「あ゛ぁ、寒……」

 朱音は鼻をぐずぐず鳴らしながら、先週訪れた公園へと向かっていた。

 昼間に石動から説明を受けた、怪奇現象の解決が今回の任務だ。

 寮を出る時に会ったパトリシア先生によれば、前回の緊急任務の際にバカな事をしでかしたので、今回の件をきっちり解決して挽回しろ、との意味も含まれているらしい。

 まあそっちはともかくとして、報酬の方はなかなか魅力的である。

 装備品の維持できりつめていた生活費が、かなり楽になるというものだ。

 この調子でがんがん高額報酬の依頼を引き受けて、後期分の学費を稼げれば……。

「そういや涼子さん、大丈夫かな」

 と、朱音は今日の午後の講義を思い出す。

 よほど(たち)の悪い風邪だったらしく、未だに盛大なくしゃみをしていた。

 それでも調子は良くなってきたらしく、明日は午後から遠方まで出向く任務があるのだそうだ。

 霊格の低い――それでも餓鬼よりはかなり高い――妖魔の討伐任務らしい。

 詳細はわからないらしいが。

 そしてもう一つ。

 最近ようやく慣れ始めてきたが、やはりこの学園は色々な所が規格外すぎだ。

 なんと本日は、位相空間結界内(●●●●●●●)で実習を行う日だったのである。

 習得の難しい高位の結界術式を、実習のためだけに使うなんて色々と無駄遣いな気がしてならない。

 しかも、理由がまたすごかった。

 理由一、実習場のスペースがこれ以上ない。

 理由二、後の整地が面倒くさい。

 百歩譲って、理由一ならまだわかる。

 星怜学園大学がいくら広いとは言え、初等部から大学院まで入っているのだから、術者の方にばかり人数を割いていられないだろう。

 全校生徒・学生の人数からすれば、術者の数なんて数パーセント程度のものでしかないのだから。

 むしろ、あんなだだっ広いスペースを、たった四〇〇人弱のために確保している点を驚くべきだろう。

 だが、理由二はどうだ。

 実習が終わって、ぼこぼこになったグランドを整備するのが面倒なのは確かにわかるが、そのためにいちいち高難易度の結界を形成出来る神経はどうかしていると朱音は思う。

 あれは元々、一般人を戦闘に巻き込まないようにするのが目的であって、緊急性が極めて高い時にしか用いらないのが普通だ。

 それをあんな簡単に……。

「っと、あれか」

 まあ、学生生活には慣れるしかない。

 最低でも四年間は、今のような生活が続くのだから。

 遠くで淡く光る桜色を視界に納めながら、朱音は早歩きで公園へ向かった。




 公園の入り口には背の高いフェンスが置かれ、立ち入り禁止の看板が立てかけられていた。

 もちろん朱音はそんな看板は無視して、とんっとフェンスを飛び越える。

 公園の中はクレーン車やトラック、その他の桜の樹を撤去する機材がごろごろ転がっていた。

 そして、その大半が壊れていた。

 形あるものはいずれ壊れるとは言っても、この量はおかしい。

 トラックのタイヤは全てパンク、クレーン車は機関部の辺りが破裂しており、人の手首ほどもありそうなワイヤーは不自然な切れ方をしている。

 朱音はまず、そういった壊れた機材を丹念に調べていく。

 そして、ある共通点を見つけた。

「これ、火だ……」

 特に顕著だったのは、パンクしたタイヤと千切れたワイヤーである。

 注意深く観察しなければ見落としてしまいそうだが、タイヤは穴の周囲がほんの少しだけ溶けた形跡があり、ワイヤーの方も断面が滑らかすぎるのだ。

 さらにもっとよく観察すれば、寄り合わされた数本の極細ワイヤーがくっついているのもわかる。

 他にも大量の小火(ぼや)、エンジンの爆発と、火にまつわるものが多いようにも思える。

 そして何より、今目の前で起きている現象もそれを彷彿とさせる。

 淡い桜色の光を放ちながら成仏していく魂は、まるで燃えているようにも見えるのだ。

 朱音は身体を巡る霊力の内、木行を強く意識する。

 すると視る力が向上したことによって、今まで見えていたものがより鮮明になって、朱音の網膜に焼き付いた。

「なにこれ……。どうなってんの……?」

 なんと、本当に燃えていたのだ。

 根元から折れた桜の大樹が。

 その花弁と同じ、桜色の炎で。

 いや、むしろ大樹自身が、自ら炎を吹き出しているといった方が正しいだろう。

 まるでわけがわからない。

 いったい何が、どうなっているのか。

「あんたら、これ……。どうなってるかわかる?」

 すると、腰からぶら下げている御守りに、変化が生じた。

 黒に金糸をあしらった御守りの口が開き、半透明な獣が姿を現す。

 毛並みは全体的にくすんだ灰色で、なんというか、見た目にも非常にひ弱な印象を受ける。

『こ、こんばんは。……朱音ちゃん』

「こんばんは、玄葉(くろは)。って、なんで玄葉しか出てこないの? 他の四匹は?」

『あのぉ、それはこの場が、少しばかり清浄過ぎるせいかと思うのですがぁ……』

「清浄過ぎる?」

 言われてみればと、朱音は自身の感覚を研ぎ澄ませた。

 確かに、ある種の神社にも似た清らかな雰囲気がある。

 人間にはまったくの無害であるが、黒葉達管狐はこうしているだけでも辛いはずである。

『あれ、かなり浄化の強い火なんで、みなさん出てこれないのだと思います。私は相剋の関係、でなんとか出てこれましたけど』

「水剋火、ねぇ」

「えぇ。あの炎が、この世への未練を焼き尽くして、魂を成仏させているんだと思いますよ」

「魂は傷付けずに、でも未練だけは焼き尽くすって……。そんな事できるもんなのかなぁ……」

 だが、現に目の前で起きている。

 桜色の火に焼かれた魂は、順々に成仏しているのだ。

 悪い気配がしなかったのも、当たり前だろう。

 だがその清浄な空間を(けが)すかのように、朱音の慣れ親しんだ気配が入り込んできた。

 腰に巻き付けた小狐丸から竹刀袋を引っ剥がし、朱音は身構える。

 現れたのは、全身に白銀の光芒を(まと)った青年だ。

 よく見れば、青年の纏う光芒は獣のようにも見える。

 優雅に揺らめくそれは、まさしく光の外套(がいとう)と呼ぶに相応しい。

 あの青年が、怪現象の犯人なのだろうか。

 彷徨(さまよ)う魂を成仏させてくれるのはありがたいが、だからと言って撤去作業の邪魔をされても困る。

 まだ死者は出ていないとはいえ、重傷者も出ているのだ。

 こちらとしては、まだ生きている人間の方を守る義務がある。

 殺気立つ朱音の気配に恐れをなして、玄葉は御守りの中へと逃げ込む。

 実戦では初めての対魔術師戦闘に、朱音は異様なほどの渇きを感じた。

「あんた……誰?」

 小さくともよく通る、凛とした声が木霊する。

「…………そっちこそ、何者?」

 覇気のない声音だ。年の頃は、朱音と大差ないだろう。

 だが、その中にも強い意志のようなものを感じる。

 向こうも、朱音の事を警戒しているのだ。

 小狐丸を握る手に、無意識の内に力が入る。

 互いに相手の質問には、答えるつもりはない。

 両者いつでも動ける体勢のまま、相手の隙をうかがう。

 彼我の戦力差がはっきりしていれば、どちらかが動き出していただろう。

 だが、二人の差はわずか。

 ほんの些細(ささい)なミスが、後の戦闘に支障をきたす。

 先手を制し、戦いを有利に運ぶため、朱音は息も忘れて神経を研ぎ澄ませた。

 そして、その時はすぐ訪れた。

 ぼぅっと、桜の大樹がひときわ巨大な炎を噴き出したのだ。

 その瞬間、青年の纏う光の衣がわずかに揺らいだのである。

 朱音は、その瞬間を見逃さなかった。

「……ひょぅ」

 ほんの短い一呼吸を置き体内の霊力を爆発させ、朱音の身体は弾丸のように跳び出す。

 そしてその勢いを殺さぬままに、小狐丸を抜き放った。

 ただし、刃ではなく峰で。

 それでも、人間のスペックを逸脱した朱音の力は、鉄筋だろうがコンクリートだろうが、問答無用で粉砕する必殺の一撃である。

 朱音の感じた力の通りなら、最低でも骨折くらいはしてくれるはずだ。

 だが、相手はさらにその上を行っていた。

「…………痛い」

 白銀の光は小狐丸の峰に削られながらも、受け止めたのである。

 光の衣にめり込んで入るが、骨を叩き折るには遠く及ばない。

「…………お返し」

 そして、小狐丸を防いだのとは反対の手で、朱音の腹部に掌打を打ち込む。

「かはっ……!?」

 見た目以上に重い一撃に、朱音は顔をしかめた。

 痛いなんてレベルじゃない。

 気を張っていてなお、膝を屈しそうになる。

 痛みで頭の中がおかしくなりそうだ。

黒鴉(クロガラス)!」

 朱音は大きく後方へと跳躍しながら、護符を一枚放った。

 護符はまたたく間に形を変容させ、綺麗な鳥の姿を取る。

 しかし、それも青年による腕の一薙ぎで、ただの紙屑へと還元された。

「まだまだ!」

 朱音は着地の瞬間、再び護符を放ちながら前方へと駆けた。

 一枚は黒鴉(クロガラス)に、もう一枚は天燕(アマツバメ)に。

 青年は亜音速で飛来する天燕(アマツバメ)を、まずは左腕で薙ぎ払った。

 それから振り払った腕の陰から、小狐丸の先端――刺突が襲い来る。

 とっさに右手でつかみ、顔の側面へと刃を逃がす。

 青年の方も肉体強化系の術を使っているのか、反応速度とそれに追従可能な身体の動きは、朱音同様、人の範疇にない。

 だが、これで王手だ。

 式神は、もう一つ残っているのだ。

 両手を封じられている状態では、防御など不可能。

 朱音の真後ろから接近する式神――黒鴉(クロガラス)――は、最短ルートで朱音を迂回しながら、背後から青年に襲いかかった。

『まったく、(こす)い手なんぞ使いおって』

 だが、それさえも防がれてしまった。

 それも、両腕の使えない状態で。

『もうちっと気概を見せてみぃ』

 もちろん、青年はその場から全く動いていない。

 そもそも、視覚外からの攻撃になど、対処できるはずもないのだから。

『そうでなくては、面白くないからのぅ』

 朱音の式神を薙ぎ払ったもの。

 それは、光の衣自身であった。

 まるで独立した意志を持っているかのように、視界の外から襲い来た式神を迎撃したのである。

 まるで獣の連想させるような、ふさふさした尾を連想させる光だ。

 本来なら初めて見る術式に驚く所なのだろうが、朱音はそれどころではなかった。

 それよりも、もっと驚くべき光景が、朱音の双眸(そうぼう)に映り込んでいたのである。

『どうした。ワシの美貌に見とれておるのか? まあ、そのような貧相な胸では、仕方のないことよのう』

 白銀の光芒は青年の隣で収束し、人の形をとったのだ。

 一糸まとわぬ成熟しきった肢体は、女の朱音ですら見とれるほどに美しいものだった。

 黄金から紡がれた糸を彷彿とさせる豪奢な金髪、そして髪と同じく絢爛たる金の瞳。

 傾国の美女と言うに相応しい、存在そのものが奇跡のような人物が、しなを作りながら青年の肩にもたれかかっていた。

「……っ!?」

 つかのまの間、美女に魅了されていた朱音であるが、すぐさま正常な思考を取り戻す。

 持ち前の剛力で小狐丸を振りほどき、地面を砕く勢いで後方へと大きくジャンプ。

 片手から両手で小狐丸を握り直し、何度か深呼吸して気持ちを落ち着かせた。

「……二人、なの?」

『うむ。ワシとハルユキの力、甘く見ぬ方が身のためぞ』

 ニヤリ、と美女は口角をつり上げた。

 まるで娼婦のように色っぽく、だがどこか気品のようなものを感じる。

 ――あれ、『ハルユキ』って名前、どこかで聞いた事があるような…………。

 だが朱音が答えを見つける前に、青年の方が動いた。

 地面をぶちぬきながら、朱音に勝るとも劣らない速度で飛び出したのだ。

 さっきまで青年の隣にいた女性は再び光の衣に溶け込み、光芒は一回り膨れ上がる。

 辛うじてサイドステップで回避したものの、光に触れたティーシャツが、裾から胸の辺りまでスパッと斬れた。

 滑らかな切れ目からは、シンプルな白いブラと、見事にくびれたボディラインが露わとなる。

 ――って、ちょっと待って!?

 日常空間なら恥ずかしがっている所であるが、さすがに戦闘中ともなれば羞恥心なんて二の次だ。

 朱音は感覚を研ぎ澄ませ、青年の纏う光芒へと注意を傾ける。

 そこから感じられた力は、金行。間違っても、火行ではない。

 そして決定的な一言が、青年の口から語られた。

『おのれ小娘が! そのような貧相な身体でワシのハルユキをたぶらかそうとは……。まっこと、よい度胸をしておるのう!!』

「…………陽毬(ひまり)、ちょっと黙って。今、戦闘中」

『なんじゃと!? ハルユキ、貴様まさか、ワシよりもあの貧相な胸の女が良いと申すのか!!』

「…………いや、そうじゃなくて」

 青年の口から出た名前に、朱音の中でもやもやとしていたものが一つに繋がった。

「あのもしかして……、鳥羽(とば)先輩、ですか?」

 ハルユキにヒマリ。

 それは涼子が部屋から電話をかけていた、先輩とそのパートナーの名前である。

 朱音の発言を聞いていた二人も、呆気に取られたようで、

「…………なんで、僕の名前」

『ストーカーじゃ! ストーカーに決まっておる! よもや名前まで調べ上げていたとは、見上げた根性じゃの娘! ハルユキ、怪現象など後回しじゃ! まずはこの小娘からつるし上げ……』

「…………陽毬」

『す、すまん』

 光で出来た女性はさておき、青年の方は鳥羽先輩で合っていたようである。

 警戒を緩める気配はないが、殺気の方は完全と言っていいくらいに希薄になっている。

 朱音はポケットをごそごそとあさり、

「総合学部陰陽科一年生、草壁朱音です」

 と、学生証を見せた。

「…………陽毬」

『な、なんじゃ、ハルユキ』

「…………僕が反対したのに、『あれは絶対に敵だ』って、言ってたよね」

『そ、そうじゃったかなぁ。あは、あははははははは』

「…………陽毬」

『すまん。ワシが悪かった』

 向こうでも決着がついたようである。

 青年を纏っていた光の衣はゆっくりと消滅していき、千早と紅袴――巫女装束――を着込んだ例の美女が青年の傍らに現れた。

 金髪に巫女装束という組み合わせなのだが、これがけっこう似合っている。

 ただ、バストの自己主張が激しいのが若干気になるくらいで。

 装飾品は唯一首には真珠のネックレスがかけられていて、これがまた美女の美しさを手助けするのに一役買っていた。

 人間ではないのは気配でわかるのだが、あの美女はいったい何者なのだろうか。

「…………悪い。うちのが勘違いしたみたいで」

 朱音の頭がこんがらがっている間に、すぐ目の前までやってきていた青年は軽く頭を下げた。

 それから隣のふんぞり返っている超絶美人をひとにらみし、

「わ、わるかった……。勘違いだ、許せ」

 と、一応謝らせる。

 全然謝っているようには見えないが。

「あの、鳥羽先輩、なんですよね?」

「…………総合学部憑依科の二年生、鳥羽(とば)晴之(はるゆき)。こっちは妖狐の陽毬(ひまり)

「近付くな小娘! ハルユキはワシのものじゃ!」

 わめきちらす妖狐(陽毬)は置いといて、二人は話を進める。

「私、ここには任務で来たんですけど。怪現象を解決する」

「…………僕も、同じ内容なんだけど」

 陽毬の朱音への暴言をBGMに、二人の間に沈黙が流れる。

 なんなのだろうか、このやるせない虚無感は。

「ブッキングですか」

「…………みたいだね。めったに起きないけど」

 事務的な手続きで、どこか手違いがあったのだろう。

 めったにない事ではあるが、絶対にないとは言えない。

 朱音が経験したのは、これが初めてであるが。

「…………とりあえず、教務課に連絡してみる」

「お願いします」

「っておい! ワシの話を聞け!」

 鳥羽先輩はパールホワイトカラーの携帯電話を取り出すと、教務課へ電話をかけ始める。

 だが、その時だ。

 ――まったく、騒がしいぞ貴様ら。ここをどこだと心得ておる。

 脳内に直接響いて来る声に、朱音と鳥羽先輩の警戒レベルは一気にレッドゾーンへ突入した。

 こちらが受け付ける気がないのに、一方的に送られてくる思念波。

 まるで冷や水でも浴びたかのように、冷たいものが身体の中心を駆け抜ける。

 その瞬間、視界を覆い尽くすほどの爆発に、三人は成す術もなく吹き飛ばされた。

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