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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第弐ノ巻~うたかたの命、とこしえの想ひ~
24/55

其ノ肆:夢のような

 授業中という事も手伝ってか、初等部の悪ガキコンビは講義室内に隠れていた。

 だが、本気になった朱音の前では、どこに隠れていようと同じ事である。

 まだ力の制御もろくに出来ない初等部生に、体外へ漏れ出す霊力を完全に遮断するような芸等など、到底できるはずがない。

 朱音は悪ガキコンビから漏れ出すわずかな気配をたぐり、机の下に隠れている二人をあっという間に見つけ出した。

「……次やったら、オシオキだからね?」

 全力の半分くらいの殺気を混ぜた一言に、うんうん頷く悪ガキコンビ。

 冷や汗がだらだら、完全に血の気が引いた顔で、首がもげそうなくらい何度も頷く二人だった。

 スカートめくり事件も一段落した所で、朱音は初等部の一、二年生を五人ほど集めて、講習を開始した。

 新入生は子守も混みで、初等部の低学年の指導をする事が通例となっているのだ。

 初等部高学年以上にもなると中には技術的に秀でた生徒も出始めるので、慣れていないと色々難しいというのもあるが、そういう場合は大学二年生以上の先輩がフォローに回ってくれる事が多い。

 なので、新入生一年生による初等部低学年の指導は、朱音のように小さい子供に振り回されるのを見て他のみんなが楽しむという、ただそれだけが目的なのだ。

 もっとも、それも表向きの話で、実際には色々と魔術師の慣習に正面から喧嘩を売っている、星怜学園の空気に強引に馴染ませようという意図があるのだが、それに気付いた新入生一年生はこれまで一人もいない。

「えっとぉ、昨日何やったっけぇ……」

 朱音は初等部の一、二、三年生を前にして、難しい顔で頭をぽりぽりかく。

 寝起きにいきなりスカートめくり事件に遭遇して、慌てたのと恥ずかしかったのと怒りとで、昨日までやっていた内容をすっかりど忘れしてしまったのである。

 ちなみに、例の悪ガキコンビも一緒だ。

 やんちゃな男の子一人、マセた男の子二人、元気な女の子一人、内気な女の子一人という組み合わせとなっている。

「れ、霊力のせいせい、です。水玉のお姉ちゃん」

 と、困っている朱音に内気な女の子が消え入りそうな小さな声で、うつむきながらも懸命に教えてくれた。

 それ事態は非常嬉しい事なのだが……、

 ――水玉のお姉ちゃんって……。

 なんとも複雑な気分である。

 だが、それは朱音個人の事情。指導の方は、きっちりとやらなければならない。

「じゃあ、昨日と同じで。一定量霊力を生成する所からやってもらうから」

 『はい!』と五つの元気の良い返事に、まあ水玉のお姉ちゃんでもいいか、と朱音は口元をほころばせながら、鞄から五枚の和紙を取り出した。

 昔は私もこれ使ってたんだっけ、と少し懐かしい気分になる。

 円に五芒星、そして文字とも記号とも取れる短い文章のような物の三つで構成される、簡素極まりない魔法陣が描かれた、正方形の和紙。

 大きさはだいたい、掌二つ分くらいの小さなサイズだ。

 朱音はそれを一枚ずつ五人に渡す。

 それから自分も一枚を掌に乗せた。

「感覚を研ぎ澄ませて、よく見てるのよ」

 朱音は自分の手に乗る和紙が五人にもよく見えるようにしゃがむと、ほんのわずかに霊力を注ぎ込む。

「あぉ!」

「すげぇ……!!」

「どうなってんだ!?」

「きれぇ」

「……ぅん」

 和紙をのぞき込んでいた五人は、その光景に見入っていた。

 真っ白な和紙の真ん中に鎮座する黒の魔法陣が、朱音が霊力を注ぎ込んだ途端に赤く輝き出したのである。

「力を入れすぎたら紙がくしゃってなるし、足りなかったらそもそも光らないの。今お姉ちゃんがしたみたいに、ちょうどいい量の力を込めたらみんなのも光るから。やってみな」

 『はい』と、五人は目をきらきらとさせながら、朱音に提示された課題に取り組み始めた。

 と、不意に誰かが朱音の肩の辺りの布を、くぃくぃっと引っ張った。

「ん?」

 不思議に思った朱音が振り返ると、五人とは別の初等部の生徒四人が目に入る。

 そしてその向こう側には、朱音同様に初等部低学年の指導を任された新入生の姿も。

「どうしたの?」

 朱音はしゃがみこんだまま半回転すると、肩をつかんできた女の子と目を合わせる。

 だが、恥ずかしがり屋なのか、それとも朱音が怖いのか、女の子はなかなか口を開いてくれない。

 だがその代わりに、邪気のないくりくりとした目が、気まずそうに視線を移動させた。

 朱音もその視線を追って、同じ方に目をやる。

 その瞳に映ったのは、先ほど朱音が魔法陣の描かれた和紙に、せっせと霊力を送る五人の姿だった。

 例の悪ガキコンビ+αの男の子三人は奇声を上げ、残りの女の子二人もなんだか踏ん張っているような感じである。

 まだまだ霊力の制御が思ったようにできないらしい。

 ちゃんと朱音の霊力を感じ取っていたのやら。

 まあ、そっちはおいおい身体に叩き込んでやるとして、朱音は再び鞄へと手を突っ込んだ。

「これでしょ?」

 そして鞄から引き抜かれた手には、魔法陣の描かれた三枚の和紙があった。

 朱音は机に置いてある自分の分も重ね、四枚の和紙を女の子へと差し出す。

「ありがとうございます!」

 両手で和紙を受け取った女の子は、後ろで待っていた三人と合流し和紙を配布し始める。

 と、四人の初等部生を迂回するようにして、一人の青年が朱音に近付いてきた。

「すいません。僕の担当なのに、迷惑かけちゃって」

「いいっていいって。それより、枚数が足りて良かったわ。さっきの悪ガキ二人が破いちゃうんじゃないかと思って、一応予備も作っておいたんだけど。役に立ったみたいでよかったわ」

 朱音は青年に、にっこりと微笑みかける。

 まあ、これならしばらくは自分から練習に励んでくれるだろう。

 二年生や三年生はともかく、一年生にとって一定量の霊力を護符に注ぎ続けるという行為は、まだまだ難しいはずだ。

 しかし、霊力の生成し、蓄積した霊力を任意の量だけ放出するのは、魔術を扱う上で最も基本的な技術である。

 ここをおろそかにしていては、細かな制御が必要となってくる術式が一切使えなくなってしまう。

 なのでまだ実戦に出なくても済む内は、霊力の制御を徹底的に叩き込まなければならないのだ。

 朱音や、朱音の兄弟達もそうだったように。

「でも、これ出来るようになったら、次はどうしよっかなぁ……。符術や式神はまだ早いだろうし、肉体強化の方もトチったら怪我しちゃうしなぁ……」

「座学っぽい事なんかしてたら、退屈だって暴れちゃいそうだしね。あの二人は」

「そうなのよねぇ。その辺の難しい論理は将来的に絶対必要なんだけど、小学生にわかるわけないし」

「四大元素の方は、だいぶ簡単なのになぁ。五行って、やたら難しく作ってあるから、理解する僕達の方もけっこう勉強しないといけないし」

 それに関しては、朱音も同じ気持ちである。

 色々と細分化されているため、応用の幅が広く術式も組み立てやすいのではあるが、五行説はとにかく難解なのである。

 よく五行と比較される四大元素であるが、確かに様々な法則や論理が存在するものの、五行説ほど難しくはない。

 戦闘時に必要となる理論は、ほとんどジャンケンと同じような法則の一つしかないのだ。

 どちらにも一長一短はあるが、わかりやすさで言えば四大元素の方が圧倒的に上なのは周知の事実である。

「とりあえず、相生(そうしょう)相剋(そうこく)くらいは、最低限どっかでやっとくべきなんだろうけど」

「そうだね。残りはおいおい教えていくとして、それくらいはやっておいた方がいいかも。僕も、復習しといた方がいいかも」

 朱音は同じ陰陽科の新入生と、今後の指導内容について話し合いながら、時々魔法陣に霊力を込める初等部生を見て回った。

 安定して霊力を放出する方法をレクチャーしたり、ちょっとしたコツなんかを教えていく。

 そうこうしている内に、初等部の六時限目終了を告げるチャイムが鳴った。

 初等部生はこれにて授業は終了。急いで教室まで戻って、HR(ホームルーム)――帰りの会――を済ませなければならない。

 さっさと自分の教室に帰れと、朱音が低学年に指示を出そうと向き直ると、九人は既に朱音の事をじぃぃっと見つめていた。

 それぞれの手には、大事そうに朱音の渡した霊力制御の練習用の和紙が握られている。

 遊びたいのだか、練習熱心なのだか。

 朱音は割と軽いため息をつくと、口角を釣り上げてニヤリと笑みを浮かべた。

「ここ以外の場所だと、自分の部屋の中以外では絶対にしないって約束できる子は、持って帰ってもいいわよ」

 とたんに、九人の顔が笑顔に彩られた。

 普段から甲高い声はさらにトーンを高くし、九人は室内を走り回ったり飛び跳ねたりと大はしゃぎである。

 九人+高学年数人の生徒達は、朱音達上級生に一礼すると、足早に初等部の校舎へと向かった。




 初等部生が帰った後、講義室内はただの談笑室に成り下がっていた。

 実習場で自己鍛錬する時間は週四回設けられているので、平日は週一回のお休みの日がある。

 色々な学科がある中で、陰陽科は毎週木曜日が休みとなっているのだ。

 初等部生も、今日なんかはまだ遅くまでいた方で、昨日までは体操服から制服に着替えるために、十分前には切り上げていた。

 この辺は、服装が自由な大学生とはかなり異なる。

 一部の生徒は制服のまま参加していたりするが、大半は動きやすい兼汚れても大丈夫な体操服で参加している。

 週に一度しかないこの日は堂々と休めると楽しみにしている生徒は多く、中には本を読んだり携帯ゲームで遊んでいる者の姿もある。

 朱音は残りの時間を、文佳の宣伝や美玲のオンラインゲームの話を聞きつつ過ごしつつ、小さなため息を一つ。

 結局講義終了のチャイムが鳴るまで、瀬野のノートを写すチャンスはなかったのであった。




 講義終了後、朱音は自室でノートを書き写し、おにぎり二つで軽く夕食を済ませると、装備の点検を始めた。

 愛刀の小狐丸に、文佳から初回サービスで一割引で買った護符と清めの塩、そして御守り五つ。

 よっぽどの事がなければ、十分な対処のできる装備である。

 よっぽどの事と言えば、この前の鬼の事が頭をよぎるが、あんなイレギュラーな事態がそうそう起こるわけもない。

 適当なニュース番組で時間をつぶすと、集合時間の十分前に朱音は寮前の実習場へと向かった。

 さすがにまだ少なかったが、それでも五、六人の生徒が動きやすそうな服装で待機していた。

 ミニ丈のスカートのせいで、足の付け根辺りが思っていた以上に冷たい。

 そんな寒さに耐えながら待つ事数分、総勢五〇人弱が広い実習場の一角に集まった。

「それでは、点呼を開始します」

 しばらくして人数も集まったところで、くたびれた作業服に身を包んだ壮年の男性が、一人ずつ名前を呼び始める。

 中等部生以上は例年通り週一回順番の回ってくる夜間巡回であるが、今年から初等部は月一回に変わったらしい。

 前々から問題だった、初等部生を場合によっては深夜まで連れまわす事について、偉い人達――学園の運営者等――が妥協案を提示したのだそうだ。

 それが、最低限月に一度は夜間巡回に参加する、というものである。

 二回目以降は個人の自由とする事で、反対派を納得させたのだ。

 幼い頃から豊富な実戦経験を積める事が最大の利点である星怜学園としては、夜間巡回制度だけは何としても死守したかったらしい。

 ちなみに、情報ソースは文佳である。

 いったいどこの誰から、こんな学生には縁のない情報を聞き出して来るのか、相変わらず色々な意味で恐ろしい人だ。

「草壁朱音」

「はい」

 しわがれた声に呼ばれて、朱音は大きな声で返事をする。

 その後数十人の名前が呼ばれた所で、点呼は完了した。

「く、草壁朱音……!?」

 朱音が今日のペアである相手を探していると、後ろから何やら聞き覚えのある声で名前を呼ばれた。

 朱音が三つ編みを揺らしながら振り返ると、

「あぁ、確かこの前の……」

 朱音が涼子の閉じ込められた空間内に侵入する際、結界をこじ開けてくれた(より正確には強引にこじ開けさせた)高等部の女の子の姿があった。

「確か、土御門ぉ……う……う……うぅ……」

「土御門麗ですわ! う! ら! ら!」

 業を煮やした麗は、朱音の耳元で自分の名前を叫んだ。

 朱音は麗の怒鳴り声をダイレクトに受けた左耳を押さえつつ、

「そういえば、そうだったわね。あと、胸が小さい」

「それは余計ですわ」

 と、軽く返した。

 鼓膜の辺りだろうか。耳の穴の中がじぃぃんとするが、戦闘時の轟音と比べれば幾分かマシである。

「はぁぁ、はぁぁ。猫屋敷涼子といい、貴女もなかなか失礼なお方ですわねぇ」

「いやいやいや、さすがに涼子さんほどじゃないから」

 顔の前でちょこちょこと手を振って、朱音は失礼さで涼子と同格に扱われる事を否定する。

 本人がいれば、『ひどいです朱音さん! あたしをそんな目で見ていたなんて……。もう知りません!』と、台詞だけ聞けばシリアスなシーンを、実に滑稽な三文芝居で演じてくれた事だろう。

 それも嬉々として。

 そういえば、昼に健康管理センターで診察を受けてくるとか言っていたが、診断結果はどうだったのだろうか。

 本人は鼻風邪だと言っていたが、それならば午後の講義にも出てきていただろうし。

 もしかしたら、何かあったのかも。

「ちょっと、どうしましたの?」

「ううん、何でもない。それより、早く行きましょ」

 珍しく涼子の心配をしていたせいか、思いのほか長く考え込んでいたらしい。

 他の巡回メンバーは九割ほど校門に向かっており、朱音の周囲には麗も含めて三、四人しか残っていなかった。

 朱音は麗に促すと、足早に校門へと歩き始めた。




 土御門麗。

 白磁器のような肌は朱音よりも白く滑らかで、漆塗りのような黒髪がよく映える。

 釣り気味の目には力強い意志を宿す、いかにもお嬢様然とした少女だ。緩やかな縦ロールという豪華な髪型も、彼女の雰囲気を形作るのに一役買っている。

 そして、彼女は正真正銘、本物のお嬢様である。

 全国の土御門家の中で、最も力の強い土御門家の次女なのだそうな。

 常に数人の取り巻きが従者のように付き従い、麗自身もそれがさも当然のように振る舞っている。

 朱音や涼子のような最前線でドンパチするタイプではなく、主に後方支援に分類される術式を多く保有しているらしい。

 瞬間的に大量の霊力を放出する事が出来ない代わりに、霊力の細かい制御に非常に長けている。

 ついでに、胸のサイズはAカップ(西行先輩調べ)。

 これが鬼との戦闘の翌日、涼子から聞いた麗の情報である。

 位相空間結界をこじ開けるなどという芸等はなかなか出来るものではないので、念のために教えてもらったのだ。

 まだ学内に技巧派の知り合いもいないので、もしもの時には頼れるだろうし。

「そういえば……」

 朱音は不機嫌そうに隣を歩く麗を振り返り、

「一緒にいた男の子の具合って、もういいの?」

「遼亮の事ですか?」

「名前は知らないけど、鬼にやられて一緒に伸びてた男の子いたでしょ。けっこう酷い怪我してたから、どうなのかと思って」

「それなら心配ありませんわ。元々、わたくしより頑丈ですから」

 と、麗は口を尖らせて答えた。

 どういう理由があるのか、校門を出てからずっと素っ気ない態度をとっている。

 意識も朦朧(もうろう)としている中、朱音に叩き起こされたあげく、無理やり結界のこじ開け作業をやらされた事を根に持っているのだろうか。

 今冷静に考えてみれば、けっこう――もとい相当に無茶な要求である。

 未だに怒っていても、なんら不思議はない。

「もしかして、あの時の事……。まだ怒ってる?」

「まあ、気にしていないと言えば、嘘になりますわね」

 あの時は、朱音も涼子の下に駆けつけるのに必死でそこまで頭が回らなかったが、相当精神力を消耗する作業だったはずだ。

 向き不向きがあるとは言え、朱音には同じ事が出来ないのだ。なので、結界への干渉がどれだけの集中力を要するか、朱音には推し量る事すら叶わない。

 それに加えて、霊力も生命力も限界まで抜き取られた状態で成功させたのも、並外れた技量がなければ到底できる芸当ではない。

 朱音は改めて、麗のすごさに感心した。

「あははぁ……。ごめんね、無茶やらせちゃって」

「…………」

 答えてはくれなかったが、麗がちゃんと話を聞いてくれている事は伝わった。

 つい先ほどの自分の発言を気にしているのか、さっきまでとは別の意味で居心地が悪そうである。

 なんでわたくしあんな事を言ってしまったのでしょう、ってのが露骨に表情に出ている辺り、麗も涼子同様に嘘のつけないたちなのかもしれない。

「でも、そのおかげで涼子さんを助ける事ができた。あと、後輩に手ぇ出してた鬼もぶっ飛ばせたし。あの時あの場にいたのが土御門さんじゃなかったら、たぶん涼子さん助けられなかったわ」

「…………」

 朱音は麗がそっぽを向いたままにも構わず、そのまま続けて言った。

 こちらの話はちゃんと聞いているようで、横目でちらちらと朱音の事を振り返っている。

 朱音はあの時の気持ちを思い起こしながら、更に麗に語りかける。

「私は他人の結界に干渉する術を持ってないから、一人じゃどうしようもならないし。今にして思えば麗さんがいたの、すごく運がよかったなぁって思う」

「…………」

 褒められたのが嬉しくて、でもそれを見られるのはすごく恥ずかしくて。

 麗はやっぱり朱音の事を見れない。

 しかし、なにか今までに感じた事のない感情が、麗の中で大きく膨れ上がっていた。

 昼間の彼女を見ていてもわかるように、麗はその出自も関係してか、周囲に高圧的な態度で振る舞っている。

 涼子に言わせれば、『実際にいたらかなり迷惑なリアル高飛車お嬢様』とかなんとか。

 周囲の人間もそれが当然であるかのように振る舞っており、麗の事を深く慕っているように見えるが、実際にそのような人間がどれほどいるだろう。

 その事実を、麗は幼い頃から身をもって知っていた。

 大の大人が幼い自分にへこへこ頭を下げるなんて日常茶飯事、同じ年頃の子供達も自分の意見に反対するようなことなんてなかった。

 どうにかして土御門家に取り入ろうと、気に入られようと、そういう下心を持った人間がさも麗を慕っているかのように演じているだけだ。

 そのために、こういう事には慣れていないのである。

「私一人じゃあ、どうする事もできなかった。だから、改めて言わせてもらうね。ありがとう、土御門さん」

「…………」

 こういう打算や下心のない、本当にただ純粋な好意を向けられる事に。

 怒りを買わないよう麗に逆らう事もなければ、気に入られようとかいがいしく世話を焼こうとするわけでもない。

 同じ術者の一人として、自分と接してくれる。

 土御門家ではなく、麗自身をちゃんと見てくれる。

 麗は、なんとなくわかったような気がした。

 猫屋敷涼子を始めとした、あーちゃんの会の面々につい目の行ってしまう理由に。

 彼等には、上も下もない。

 出自も流派も、出身地すらも関係ない。

 陰陽師がいると思えば、錬金術師や精霊魔術師、挙句の果てには祓魔師やろくに術も使えないような者までいる。

 だが、彼らの間には、気に入られようとか、取り入ろうとか、そんな打算的な考えを持つものは一人もいない。

 そんな空気に、自分は少なからず惹かれているのかも。

 麗は改めてそう思った。

「ま、まったく……。よくそんな恥ずかしい台詞、このような場所で言えますわね」

「そりゃ、私も恥ずかしいけどさぁ。でも、謝ってもなかったし、お礼も言ってなかったから。そういうのって、やっぱダメでしょ。土御門さんがいなかったら、涼子さん助けられなかったのは事実なわけだし」

「わたくしは別に、猫屋敷涼子の事なんてどうとも思っていませんわ。あの時はただ、貴女に脅されて、仕方なくやっただけです」

「まあ、そうなんだけどね。でも、ありがと」

 麗にも朱音や涼子に劣らない、鋭い洞察力と感性がある。

 朱音の言葉に、嘘偽りも、表も裏もない事がわかる。

 その事実が、麗の胸を高鳴らせた。

 恥ずかしいわけではないのだが、むず痒いと言うか。

 ここから逃げ去りたいのに、でも近くにいたいと言うか。

 相反する気持ちが胸の内をぐるぐると渦巻き始めたのだ。

 まるで全身の血液が集まったかのように、顔全体がかぁっと熱くなった。

 今までわからなかった物が改めてわかった分、恥ずかしさも倍以上になって麗の中から溢れ始める。

「……やっぱり、貴女の事……苦手ですわ」

「ん? なんか言った?」

「何でもございません! あの時の事はもう気にしていませんから、貴女も気にしないようにと言っただけですわ! 草壁朱音!!」

 麗は自分の頬が朱に染まっているのを見られぬよう、うつむきながら歩く速度を上げた。

 黒のローファーがかつかつとリズミカルな音を立て、夜の闇に消えてゆく。

「……やっぱりまだ怒ってるのかなぁ。でも気にするなとも言ってたし」

 てかなぜ名前を名字から全部言うんだろうか、と朱音は色々と見当違いの事を考えながら、麗の後を追って小走りした。




 二〇時頃に始まった夜間巡回も、ニニ時を過ぎた頃には指定コースを回りきった。

 ただし、周囲に広がるのは色鮮やかなネオンでも、車の発する喧騒でもない。

 朱音と麗の回ったコースは都市部に向かうものではなく、別方向の住宅地を回る方だ。

 星怜学園大学天原校周辺に広がる、戦後あるいは戦前から存在する家屋群を旧住宅地と称するならば、こちらは新興住宅地とでも言うべきだろう。

 近代的な趣のある家屋数十件が碁盤の目のように規則正しく並び、窓からこぼれ出る明かりが足下のアスファルトを照らす。

 天原校から旧住宅地を経由して都市部に向かうコースと違い、こちらは道路の幅も広く取られている。

 きちんと都市計画に(のっと)って建てられたのだろう。

 手狭で車の交通など考えていないと思われる旧住宅地とは、えらい違いだ。

「ほい、お疲れぇ」

「ひぃっ!?」

 突如首筋に冷たい物が当てられて、麗は短い悲鳴を上げた。

 キッと目を細めながら振り返ると、両手に五〇〇ミリペットボトルを持った朱音の姿が映る。

 片方はかの有名なスポーツ飲料アクエリアス、もう片方はみんな大好きカルピスだ。

 近くの自動販売機から買ってきたらしく、ペットボトルの表面はうっすらと結露していた。

 朱音はそれを顔の高さまで上げ、

「どっちにする?」

 と、問いかける。

 麗はまたまたうつむきながら、そろ~っとカルピスへ手を伸ばした。

 朱音は残ったアクエリアスのキャップをひねる。

 かちっと小気味良い音と共にキャップを取り外すと、朱音は半透明な中身を一気にあおった。

 ごくごくと首の表面が波を打ち、からからになったのどを潤す。

「っはぁぁ! 生き返るぅ」

 朱音は中身を一気に飲み干すと、近くのゴミ箱へとペットボトルを突っ込んだ。

 ふと朱音は、麗の方を見る。

 キャップを開けたのまではよかったのだが、両手でカルピス入りのペットボトルを持ったまま、呆然と突っ立っていた。

「飲まないの?」

「あ、貴女はわたくしに、口飲みしろとでも言うのですか!?」

「だって、そうしなきゃ飲めないでしょ」

 始めは『うぅうぅ』うなっていた麗であるが、十数秒後には観念したかのように、ボトルを真上まで上げて中身を飲み始めた。

「ぅうっ、げほっ……ごほっごほっ!!」

 それから、盛大にむせた。

 口から飛び出した液体が、高価な制服に大きな染みを作る。

 予備があればいいのだが。

「……大丈夫?」

 朱音は麗の背中をさすりながら、現在進行形でせき込んでいる麗の顔をのぞき込んだ。

「大丈夫、ですわ。っけほ……。あのような、品のない飲み方などした事がなかったので、少しつまってしまっただけです」

 しばらく咳き込みながらもなんとか調子を整えると、二度三度、麗は大きく深呼吸した。

 大失態の恥ずかしさに熱くなっていた頬の熱も冷め、大混線を起こしてパニックに陥っていた思考回路も冷静さを取り戻す。

 今日は特に、どこにも異常はなかった。

 春休み中に餓鬼が大量発生したり、陰の気の溜まるペースが異様に早かったのが鬼のせいだとすると、今度は鬼がいなくなった反動で通常以上に清浄になったのかもしれない。

 朱音に自分の実力を見せつける予定だった麗としては、ちょっとだけ残念である。

 それどころかカルピス噴射の大失態と、現在進行形で失敗を蓄積中だ。

「それにしても、今日は全然なかったわね」

「何がですの?」

「浄化しなきゃいけない場所」

「あぁ、その事ですか」

 麗はちびちびと残ったカルピスでのどを潤しながら、朱音の話に耳を傾けた。

「時々ありますの。今回の鬼のように、霊格の高い妖魔の類を討伐した後には特に。存在している時は周囲に悪影響を与えるのですが、消滅の時には周囲の邪気ごと一緒に消えてなくなりますから」

「ふぅぅん。そういうもんなんだ」

「そういうものですのよ。ん?」

 と、不意に麗の視界へ不可思議な光が映り込んだ。

 月明かりでも、家屋から発せられる光でも、夜道を照らす電灯でもない。

 それらよりも優しい色彩で、しかしそれらよりもずっと明るい。

 数秒ほど遅れて、朱音もそれに気付いた。

 人工の明かりではない。それどころか、物理的な光ですらなかった。

「何、あれ。嫌な感じは全然しないけど」

 明かりは、小さな公園の中から発せられていた。

 この前、朱音と涼子が鬼と戦った時よりも、少し小さい公園だ。

 それでもサッカーコート一面分くらいあり、比較的大きな部類といっていいだろう。

「あれ、人の魂ではありませんか?」

「やっぱり、そう見える?」

 麗の問いかけに、朱音も疑問系で返す。

 本来なら特別な条件を満たさなければ見えない人間の魂が、桜色の光をまとって天へと昇っていく。

 感じる事はあっても、視認したのは朱音も麗もこれが初めてだ。

 儚くも美しいその光景は幻想的で、時間さえも忘れさせる。

 二人は人間の魂が集まる場所――公園の中――へと足を踏み入れた。

 そして、その光景に再び絶句する。

「なにこのおっきい桜……」

「確か、樹齢百年以上とかいう山桜だったと思いましたが。詳しい事はわかりませんわ」

 見上げるほどに大きかった()あろう桜の大木に、魂が群がっているかのようだ。

 大木の(そば)まで近寄った事で、その事が感覚を通してより強く実感できた。

 本来は感知できないはずの魂が、圧倒的な密度となって押し寄せて来ているのがわかる。

 大木まで近寄った魂は、桜色の光を放ち、我先にと淡く消えてゆく。

 驚くべき事に、成仏しているのである。

 それはそれで、とても信じられないような光景だ。

 大木に触れただけで、現世(うつしよ)に止まっていたはずの魂が成仏するなど。

 餓鬼ほどではないにしろ、彼等はこの世に心残りがあったから、死後にちゃんと成仏できなかったはずなのだ。

 だが、二人が絶句したのは、それとはまた別の理由である。

 折れていたのだ。

 それも、根元からぽっきりと。

 恐らくは寿命であろう。

 麗も、樹齢が百年以上と言っていた。

「これ、放っておいても大丈夫よね?」

「えぇ。貴女の言うように、悪い気配はしませんわ。むしろ、現世(うつしよ)に止まっていた魂が成仏していくというのは、喜ばしい事でもありますし」

「……でもとりあえず、報告くらいは、しといた方がいいわよね」

「……そう、ですわね」

 朱音と麗は、成仏を続ける魂を背に学園へと足を向ける。

 携帯電話で時刻を確認すると、ニニ時三〇分前。

 二〇分以上も桜色の魂を眺めていたらしい。

 明日もまだ授業や講義があるので、二人は足早に学園へと帰って行った。

 それからしばらくして、妙齢の女性が唐突に姿を現した。

 赤と金を基調とした振袖に紺の袴を纏った、絶世の美女と言うに相応しい女性である。

 絹のようにしなやかな黒髪をかき上げ、流麗な目を細めながら、彼女は朱音と麗の去っていった方角を見やる。

「この炎が()えた、か……。資質だけは、十二分にあると見える」

 女性は背後の、桜色に燃える魂を見やった。

 あとどれだけの魂を、(おの)が定めたくびきから解き放つ事ができるのだろうか。

「だが、まだこの地を任せるには、まだまだ心もとないのう」

 桜色の光はいっそう苛烈に輝き、それに呼応するかのように多数の魂が吸い寄せられては消えていった。

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