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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第壱ノ巻~荒ぶるおぞき御魂~
16/55

其ノ拾参:焔の調べ

 式神に導かれるまま、朱音はどうにか涼子との合流を果たした。

「時間稼ぎ、ありがとうございました」

「いいのよ、別にそんなの。で、準備はできたのよね?」

「はい。でもすいません。その辺の家からボールペンを拝借して、朱音さんの護符に式を追加してたら遅くなっちゃって」

 いや確かに、この結界の内部で起きた事は、結界の解除と共にリセットされるわけであるが。

 だからと言って、人様の家に勝手に侵入するのはいかがなものだろう。

「お願いだから、結界の外では絶対にやらないでね?」

「朱音さん、あたしも好きこのんで前科持ちになりたくないですから……」

「平然と家宅侵入なんかするような人に言われても、説得力なんてないわよ」

「いやいや、普段は絶対にしませんってば! 信じてくださいよぉ!」

 と、この二日でしっかり板に付いてしまった即興コントもここまで。

 再生を終えたと思われる鬼の気配が、猛烈な勢いで近付いてくる。

「涼子さん」

「なんですかい?」

「失敗しちゃったら、ごめんね」

「まあ、そんときゃあそんときで、また考えましょうや」

「そっか。……うん、それもそうね」

「ではでは、鬼退治開始って事で」

「その前に涼子さん、ちょっと貸して欲しいものがあるんだけど」

 朱音は涼子に、小さく耳打ちした。




 燃え盛る炎の中、朱音と涼子の姿を捉えた鬼は、炭化してしまった桜の樹をへし折ると、二人へ向かって投擲した。

 朱音と涼子が左右に別れると、ちょうどド真ん中にズドンと突き刺さる。

 その瞬間、焦げた樹皮が弾け、散弾のように周囲の地面に突き刺さった。

 再び懐に跳び込まれるのを警戒して、鬼は腰にぶら下げる大刀へと手を伸ばす。

 それを見た朱音は、さらに加速して鬼の下へと駆けだした。

 だが、一瞬早く、鬼が大刀を腰から抜く。

 しかし溜を作り出す前に、大刀と刃を合わせる事には成功した。

 ぎりぎりと嫌な音を立て、小狐丸と大刀がオレンジの火花を散らす。

「ハカリゴトヲタクランデイルカトオモエバ、ヨモヤムサクデイドンデクルトハ」

「うっさいわね。あんたなんか、正面からねじ伏せてやるわよ」

 と、朱音の背後からいきなり涼子が現れた。

 涼子は二本の小太刀を構えると、鬼の首を狙って空を薙ぐ。

 だが、鬼はそれを残った左腕できっちりとガード。

 その一瞬だけ、鬼の注意が朱音からそれた。

 朱音はそれを見逃さず身体を屈め、小狐丸を滑らせるようにして一気に鬼の懐へと跳び込んだ。

 しかし、鬼の方も甘くはない。

 小太刀が腕に刺さっているのを良い事に、腕の振りだけで涼子を後方へと投げ飛ばしたのだ。

 そして上半身を回転させた勢いをそのままに、朱音を思い切り蹴り上げる。

 間一髪、同じ方向へジャンプして回避したものの、もしあのまま突っ込んでいれば身体が上下に別れていたかもしれない。

「まだまだ!」

 朱音は着地すると、衝撃を和らげるために曲げたその足で再び跳びかかった。

 袈裟斬り、水平薙ぎ、刺突、払い、胴斬り、打ち下ろし、逆袈裟斬り。

 たった数秒の間に繰り出される技と技の応酬。

 そこにはすでに、人の入り込む余地などない。

「こんのぉッ!!」

 実に十二度目の鍔迫り合いで朱音の小狐丸は、ようやく鬼の大刀を上から押さえ込んだ。

 と、その瞬間、背後から近付く気配に、鬼は朱音に注意を払いながら後方を見やった。

「サカシイマネヲッ!」

 鬼の目に映ったのは、先ほど後方に投げ飛ばしたはずの涼子である。

 すでに両手に小太刀を構え、迎撃不可能な距離まで近付かれていた。

 朱音に気を取られすぎていた事を悔やみながらも、鬼は即座に対応を取り始める。

 そして―――― ドゴッ!! ――――――。

 小太刀の刃は、鬼の背中に弾かれた。

 朱音の表情はとたんに焦り一色に彩られ、鬼は安堵から口角をほんの少し釣り上げる。

 涼子の刺突が弾かれた理由。

 そのトリックは、至ってシンプルだ。

 文字通り、種も仕掛けも存在しない。

 鬼は単に、背中の筋肉に力を込めただけ。それだけである。

 元々、通常の刃物では傷一つ付けられないような表皮だ。

 涼子が常に表面を滑らせるようにして小太刀を振るっていたのも、中途半端に刺さって抜けなくなる事態や、弾かれてバランスを崩されないようにするための対処である。

 だからわざわざ、涼子は表皮を消し飛ばした時だけ、刺突を使っていたのだ。

 次に鬼は、大刀を思い切り上方向へと持ち上げた。

 正面切っての力押しなら、朱音は鬼と同等のものがある。

 だが、下から持ち上げられる事だけはどうしようもない。

 朱音の足は浮かび上がり、押し込まれて鬼から大きく引き離される。

「サキニ、コチラヲヤッテオコウ」

 そうつぶやくと、鬼は背後を振り返った。

 視界に映るのは背中から地面に派手に落ち、今まさに立ち上がろうとしている涼子の姿であった。

 幅広の面を向け、横へと大きく振りかぶる。

 そして無慈悲にも、大刀の面が真横から涼子の身体を襲った。

 朱音はその様を、食い入るように見つめる。

 目を大きく広げ、信じられない物でも目撃しているかのように。

 まるでスローモーションみたく、ゆっくりと宙を漂う涼子。

 その身体は“くの字”に折れ曲がり、手足は完全に脱力仕切っていた。

 鬼は次の獲物を求め、ぎろりと背後をにらみつける。

 邪悪の象徴とも言うべき金眼が、まっすぐに朱音を見すえた。

 その鬼の背中のさらに向こう側から、バチッ、と不意に白い雷光が小さく迸る。

 ――まったく、もうちょっと早かったらこんなにドギマギしないでも済んだのに……。

 今まで険しい表情をしていた朱音であるが、不意に口元をにやりと笑みが彩った。

 鬼は一瞬、狂ったのかとも思ったが、それがすぐに勘違いであったと思い知らされる事となる。




  西方に御座(おは)すは太白(たいはく)を頂く白き(みかど)

  (なんじ)が言の葉を以ちて、今一時天地万物をはべる言の(たま)とせん。

  ()りて、此処(ここ)に真なる(まどか)描き、(うしとら)の門を封ず(さかひ)を結ぶ。

  ()れ、鬼式封陣(きしきふうじん)――鬼鬼葬送(ききそうそう)




 一瞬にして、場の空気が変わったのがわかった。

 朱音にも、そして鬼にも。

「解!」

 朱音が声高らかに叫ぶと、途端に宙を漂っていた涼子の輪郭がぐにゃりと歪んだ。

 曲線は直線に移り変わり、全体的に平たくなってゆく。

穿(うが)て、天燕(アマツバメ)!」

 そして涼子だったものは小さくなりながら輪郭を崩し、別種のものへと再構成される。

 銃弾の代わりに一部の陰陽師達が用いる式神、天燕(アマツバメ)

 小太刀を握っていた手は翼に、地面を踏みしめていた足は尾に。

 亜音速で飛来する紙の鳥は、甲高い異音を響かせながら鬼の左腕に突き刺さる。

「爆!」

 朱音の叫び声に答えるように、天燕(アマツバメ)が爆発した。

 式神を起爆させた程度の小爆発では、表皮をほんの少し削るのが関の山。この程度では、数秒で再生だろう。

 しかし、そこで鬼にとっては予想外の事態が起こった。

「ナニ?」

 傷が、なかなか治らない(●●●●)のである。

 今までなら十秒とかからずふさがっていた火傷は、うっすらと黒い煙を吐き出すだけで、見た目にはほとんど再生しているよいには見えないのだ。

「……キサマラ、タバカッタカ?」

「当たり前でしょ」

 対物理障壁と対魔術障壁。

 朱音が時間を稼いでいる間に、涼子が即席で組み上げた結界である。

 本来は盾としての役割を持つこの結界を、涼子は内側に向ける事で臨時の隔離結界としたのだ。

 対物理障壁は周囲の空間から内部を完全に切り離し、対魔術障壁は鬼に施されているであろう魔術的な支援や、力の供給を完全に打ち消す。

 また、結界の内外からエネルギーを搾取するため、鬼の再生に使われていた力も強奪する仕組みとなっている。

 しかもおまけとばかりに、鬼門除けとして用いられる猿の像――その由来たる(さる)の方角が属する金行を結界が帯びている。

 朱音にはできない事を、愚痴をこぼしながらもやり遂げる涼子は、やっぱり優秀な術者だ。

「覚悟しなさい。これからあんたを、ぶっとばすんだからね!」

 朱音はそう言うと、血の力を全面開放した。

 すると頭の奥深くまで、黒いもやのようなものが入り込んでくる。

 まるで意識が溶けていくような感覚に見回れるが、それを朱音は強力な精神力で抑え込んだ。

 憔悴しきっていた身体は再び活力を取り戻し、五体に力が宿る。

 もっとも、身体の内側はぼろぼろであるが。

「オモシロイ、オモシロイゾ! オナゴドモ!」

 自分が危機的状態にありながら、しかし鬼はむしろ満面にいっぱいの喜色を浮かべた。

 大きな犬歯がのぞく口を開け笑い、身体全体で悦びを表現する。

 左腕の火傷など気にした様子もなく、右手に握った大刀を乱暴に振り回した。

 まるで疲れなど知らぬかのように、暴風雨の如く次々と虚空を薙ぎ地面を引き裂く。

 朱音はそれらの斬撃を紙一重でかわしながら、その内の一太刀を側面へと払いのけ鬼の懐へと跳び込む。

 だが、そんな朱音に真横から何かが襲いかかった。

 直感的な危険を感じた朱音は、即座に全力でサイドステップを敢行する。

 するとそこへ、フリーである左手の拳が深々と突き刺さった。

 破片が飛び散り、砂の塊は朱音の身体にいくつも当たっては砕ける。

 朱音は空中でバランスを整え、なんとか足から着地すると鬼の方をキッと見すえた。

「フム、ケッカイトカイウモノカ」

 その言葉に、朱音は何か不吉なものを感じた。

 この鬼の知能が高い事はわかっている。

 だが、妖魔の類は普通、人間の術式を研究したりはしない。

 その鬼の口から発せられた『結界』という言葉。

 つまりこいつは、『結界』がどんなものか知っているのではなかろうか。

「ナラバ、モウヒトリヲサキニヤルマデ」

 鬼は朱音の方をちらりと横目に見やりながら、斜め後方へ向かって走り始めた。

 間違いない。狙いは涼子だ。

「させるかぁああああ!」

 朱音は全身を駆け巡る激痛を無視して、鬼へと追いすがった。

 今最も危ないのは、自分の身体ではなく涼子だ。

 この結界が破られれば、二人にもはや勝ちはない。

 一秒足らずの壮絶なデッドヒート。

 その結果は……、




「キサマ……、マコトニヒトノコカ?」

「さぁねぇ……。人間やめてるんじゃないかって、時々言われる事はあるけど」

 寸前の所で間に合った。

 朱音の後方一メートルもない位置には、結界の維持に努める涼子の姿がある。

「あ、朱音さん! だだだ、大丈夫なんですか!? めっちゃピンチっぽいんですけど!」

「まあ、なんとかね……」

 涼子が目を丸くするのも当たり前だ。

 首だけをひねって背後を振り返ったすぐそこで、鬼の大刀と朱音の小狐丸が鍔迫り合いをしているのだから。

 しかも、火花エフェクトのオマケ付きである。

「はぁッ!!」

 朱音は瞬間的に筋力を増強し、鬼を一端押し返した。

 そこでようやっと、一息つく。

 まず、確実に焼き尽くすためには、ある程度体表を削らねばならない。

 通常の刃物――恐らくは銃弾――もやすやすと受け止める体表は、朱音の攻撃を防いでしまう可能性もある。

 そのためには、最低でも胴体に深い傷を一つ入れなければならないのだ。

「オン・イダテイタ・モコテイタ・ソワカ!」

 朱音は呼吸を整えると、韋駄天の真言を唱えた。

 その権能は、驚異的な足の速さ。

 残像すら残す勢いで、朱音の身体が前方へと跳び出した。

 どうせ、持久戦になれば保たないのだ。

 真言は霊力の消費が激しい代わりに、圧倒的な効果を有する。

 朱音はそれを一瞬で判断し、行動に移したのである。

 しかし、

「オナジテヲ、ニドモクラウトオモウテカ?」

 真言にはその強大な力ゆえの弱点も存在する。

 神格の権能を一時的に借り受ける事の可能な真言は、莫大な量の霊力が必要になるのだ。

 現在ぎりぎりの状態である朱音には、それだけの余裕はない。

 発動は一瞬。目にも止まらぬ速さで鬼の懐に跳び込むつもりだった。

 だが逆に、それが(あだ)となってしまったのである。

 鬼は朱音の進路を一瞬で見切り、その上に左手を突き出したのだ。

 直線しか走れないがゆえの弱点を、鬼は理解していた。

「ッ!?」

 鬼の掌に、小狐丸の刃が深々と突き刺さった。

 絶対的とでも言うべき速度と斬れ味の組み合わせは、常識外れの固さを有する鬼の体表を紙同然に貫く。

 しかし、目的は胴体への損傷。決して左手ではない。

「くそッ!!」

 朱音は即座に小狐丸を引き抜こうとするのだが、びくともしない。

 どころか、動く気配すらない。

 はっとなって、朱音は視線を小狐丸の刃へと向けた。

「ウマクカカッテクレタナ」

 その目に映ったのは、小狐丸に掌を貫かれながらも、その刀身をがっちりとつかんでいる鬼の指。

 朱音の鬼をも上回る機動力が、ついに奪われた。

 ――逃げなきゃ、でも小狐丸が……!?

 愛刀である小狐丸をどうするか。

 コンマ一秒にも満たない迷いが命取りとなった。

 気が付けば、鬼はすでに大刀を持った右手で自分に殴りかかってきている。

 今から小狐丸を手放して回避しても、もう間に合わない。

「あがぁっ!?」

 瞬間、朱音の身体が弾けた。

 巨大なハンマーにでも叩かれたかのように、ノーバウンドで十メートル以上吹き飛ぶ。

「……いったぁ…………」

 朱音の右手には、しっかりと小狐丸が握られている。

 あの威力の攻撃を受けても手放さなかったのは、暁光と言ってもいいだろう。

 しかし、

「これ、ちょっとヤバいかも」

 内側から膨れ上がるような、熱を帯びた痛み。

 経験のある痛みに顔をしかめながら、冷静な思考が骨折の恐れがあると教えてくる。

 とっさに左腕をガードに回したのだが、やっぱり無理だったらしい。

 朱音の異常を察知した鬼が、涼子から朱音に狙いを変えた。

 涼子と朱音を比較した場合、危険なのはより高い攻撃用術式を有する朱音の方だ。

 先ほど涼子が狙われたのも、結界の内部の方が朱音に倒される確率が上がってしまうからである。

 だが、朱音の戦力が大きく減少した今なら……。

「ナカナカノモノノフデアッタガ、コレデオワリダ」

 未だ立ち上がろうとする朱音に向かって、鬼はとどめを刺すべく大刀を振りかぶる。

 そしてあと一歩で朱音を間合いに捉えるか否かといった所で、鬼の側面から何かが襲いかかってきた。

 飛翔体とおぼしきものは、着弾と同時に次々と小爆発を繰り返す。

 ダメージはないのだが、とにかく鬱陶(うっとう)しい。

 ふとその方向を見ると、最初に鬼の視界には紙吹雪のようなものが映り、

「あたしの朱音さんに、ナニしとんじゃわれぇええええ!」

 さらにその向こう側には、小太刀を両手に自分の方へと向かってくる涼子の姿が映った。

 結界が維持されている点を見ると、制御を放棄したわけではないらしい。

 術者による制御が必要な結界は、ほぼ例外なく針の穴を通すような繊細な制御が要求される。

 今涼子は恐らく、頭蓋骨の内側から脳を潰されるような痛みに耐えているに違いない。

「チョウドヨイ。キサマヲヤレバ、コノケッカイモキエルノダッタナ」

 鬼は再び朱音から涼子に狙いを変え、大刀を突き出す。

 涼子はその先端を見すえながら、しかしそのままかわす事なく突き刺さった。

 一瞬朱音の口から、短め悲鳴のようなものがこぼれる。

 大刀は涼子の胸に根本まで突き刺さり、貫通した刃は涼子の血で真っ赤に…………。

 染まってはいなかった。

「え?」

 その光景に、朱音は現在が戦闘中だという事も忘れて思考を完全停止させた。

 血が出ていない。なんで、どうして、と。

 胸に大刀が突き刺さった涼子は、小太刀を鬼の後方へと投げると、そのまま鬼の右腕をがっちりと抱きしめる。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へ、バージョン2!」

 と、鬼の後方で小太刀をキャッチした涼子(●●)は、全速力で鬼へと駆けた。

 片方は鞘にしまい、片方は刀身に護符を巻き付け、

「そぉぉおおおおおい!」

 ノンストップで鬼へと突っ込んだ。

 肋骨の間を縫うようにして、鬼の心臓に背後から涼子の小太刀が突き刺さる。

 今回は体表が剥離(はくり)していなかったせいで半分程度しか刺さらなかったが、それでも、

「爆!」

 胴体にダメージを入れるだけ――より正確には胴体の体表を引っ剥がすだけなら、これで十分だ。

「ガァアアアアア!!!!」

 背中の肉の一部がごっそり消し炭となったために、鬼は咆哮とも言えるけたたましい叫び声を上げる。

 これで、準備は完了した。

「朱音さん!」

 涼子は鬼の左手を抱えながら、朱音の名前を叫んだ。

 その声に励まされ、朱音は四肢に最後の力を込めた。

 ――ここで立たなきゃ……。

 左腕の痛みを一時的に切り離し、呼吸を整え、精神を集中させる。

 ――女がすたる!

 左腕をだらりと下げ、小狐丸を握る右手を前方へと突き出し、朱音は立ち上がった。

「白鎌、ひっこんでな」

『お、おぅ』

 ひょいっと、小狐丸の刀身から半透明の狐――白鎌――が飛び出す。

 白鎌は朱音のただならぬ気迫に気圧され、元いた御守りの中へと帰って行く。

 朱音はそれを確認すると、この時のために取っておいた力を解放した。

 血の力を最後の一滴まで絞り尽くし、薄桃色の可憐な唇が(しゅ)を刻む。

「臨・兵・闘・者・皆・陳・裂・前・行・火」

 横に五回縦に五回、格子を刻むように小狐丸を振るう。

「火行は南方に座す(ほむら)(みかど)御身(おんみ)祈祷(きとう)(たてまつ)りて螢惑(けいわく)の加護賜わん」

 詠唱を重ねる度、小狐丸の刀身を紅蓮の炎が這い回り、その温度をみるみる上げていく。

火産霊(ほむすび)(ほふ)りし十束(とつか)の如く、魑魅魍魎(ちみもうりょう)を冥府へといざなうべし」

 鬼からこぼれ出る邪気すらも焼き祓い、朱音は灼熱の焔を奏でる。

「クソ、ハナセ、コムスメ!」

「そんな頼まれ方をしたって、離す人なんていませんぜぇ、ダンナ。樹縛!」

 なおも勢いを増し続ける炎の息吹に魅入っていた涼子は、詠唱の大半を破棄した符術で鬼を戒めると、大急ぎでその場を離れた。

 そしてついに、最高潮まで顕現(けんげん)した破魔の炎を従え、朱音は最後の(しゅ)を刻んだ。

「草壁流秘技。飛炎(ひえん)、六の太刀――烈火神(れっかじん)!」

 上から下へと、小狐丸は大きく紅蓮の軌跡を描いく。

 その様相はまさに、地上の太陽と言っても過言でない。

 いや、それですら足りないかもしれない。

 それほどまでに、神聖で、清浄で、それでいて圧倒的な熱量を持った炎の斬撃が鬼へと迸った。

「木生火、東方青竜――風迅、急ぎ律令の如く成せ!」

 そこへ涼子が、なけなしの符術で一陣の風を呼び出す。

 風にあおられた炎の斬撃は、より一層規模と熱量を増し、戒められた鬼へと襲いかかった。



 ――――ドォォォオオオオオオォォオオオオオオォォォォ!!




 大地を焦がし、空間を薙ぎ払い、音をも焼き尽くす。

 朱音自身、これほどの術を行使した事はない。

 まさに、自身の最大にして最強の一撃。

 先の『飛炎、三の太刀――茜穿(あかうがち)』すら大きく凌駕(りょうが)する。

 あまりの威力に涼子も、そして朱音自身も爆風にあおられ、爆心地から大きく吹き飛ばされた。

「ったた、朱音さん? 朱音さーん!」

 右手の小太刀を鞘に戻しつつ、涼子は周辺に目をやる。

 朱音の姿を見つけた涼子は、すぐさまそばまで駆け寄った。

 うつ伏せで倒れる朱音をひっくり返し、肩を軽く叩きながら名前を呼びかける。

「朱音さん? 大丈夫ですか? 起きてますか? 朱音さん!」

 だが、返事はない。

 胸が上下しているので、息はあるのだろうが。

 涼子は朱音の顔をじぃぃっと見つめてから、周囲をきょろきょろ。

 まだ結界は解けていないので、人影はどこにもない。

 涼子はにへらぁ~っと気味の悪い笑みを浮かべると、ゆっくりと朱音に自らの顔――正確には唇を近付けてゆく。

 朱音の吐息が頬にかかり始め、いよいよ涼子の唇が朱音のそれに触れようとした時――、ガシッ、ミシミシ。

「いだだだだだただ! 朱音さん、ぎぶ! ぎぶですってばぁ!」

 朱音のアイアンクロー【ver.肉体強化中】が、涼子の顔面に炸裂した。

「いったい何するつもりだったの?」

「いえね、眠りの姫の目を覚ますのは、王子様のキッスと相場は決まっていますから」

「へぇぇ、涼子さんって私の王子様だったんだ。初耳」

「あのですね、そこは言葉の綾と言いますかぁ、そのぉ。興味本位でちょっと……」

「そういえば、さっきも戦闘中に『あたしの朱音さん』とか言ってたけど?」

「すいません、調子こいてました」

 朱音の白けた声と“ちょっとこっち見ないでよ”的な視線に耐えられなくなった涼子は、そのまま場で平身低頭の土下座スタイルで平謝り。

 もっとも、朱音の方もちょっとからかっただけなので、すぐに涼子の顔を上げさせた。

「あれ、よね?」

 それから朱音は爆発の中心点、鬼がいた場所に目をやった。

 地面が完全に溶け落ち、まるで熔岩のようになっている。

「みたいですね。でもほんと、朱音さんのバカ力にゃあ驚かされますよ。確かにトドメは任せましたけど、まだこんなとんでもないの持ってたなんて」

「私だって、こんなの使った事ないわよ。おかげで、もう歩いて帰る元気すらないんだから」

 二人の感覚が、状況をはっきりと教えてくれる。

 鬼の発していた邪気は完全に消え去り、本体の方も綺麗さっぱり蒸発してしまったようだ。

 あれだけの威力にも関わらず、結界を維持していたのはまったく見事なものである。

「それはそうと、朱音さんや」

「なに?」

「もう、無理っす…………」

 ばたん、きゅー。

「涼子、さん?」

 涼子が倒れた。

「ちょっと涼子さん!?」

 朱音は這うようにして地面を移動しながら、倒れた涼子の顔をのぞき込んだ。

「…………いっや、正直もう無理なんっすよねぇ。じぇんじぇん、動けませんぜぇ」

「それ、私も同じなんだけど」

「……………………」

「……………………」

 五秒ほどの長い間があいた後、

「待ちましょうか」

「それしかなさそうね。お疲れ様、涼子さん」

「朱音さんもぉ、お疲れ~」

 涼子が結界の制御を放棄すると、また例のあまり感じの良くない力が空間を満たし始めた。

 だがもう、それらの力が流れ込む先はない。

 決着はついた。

 朱音と涼子の勝利。

 満身創痍、残り体力が一ポイントすらなかろうと、勝ちは勝ちだ。

 二人は結界が解けて助けがくる事を祈りながら、結界の空に浮かぶ星をただただ眺めていた。

「護符、朱音さんにもらった五枚以外全部使い切っちゃいました……」

「あげてないからね。ちゃんと払ってもらうわよ」




 結界の境界線ぎりぎり。都市部に乱立する高層ビルの頂上に、双眼鏡を持った青年がいた。

 真っ黒なスーツに臙脂(えんじ)色のネクタイと、どこかサラリーマンを感じさせる風貌である。

「まさか、お前を倒しちまうようなバケモンがいるとはなぁ……」

「ダマレ。コチラハマダ、ホンチョウシトイウワケデハナイノダ」

「それで、久々の本気の戦いとやらはどうだった?」

「フム、ソウダナァ。クダラヌサクヲメグラセルアタリ、ヨリミツヲオモイダシテムシズガハシル。ダガマァ、ケンノウデハミゴトナモノダッタガナァ。ナカナカ、タノシカッタゾ」

 青年は足下で揺らめく影と話しながら、たった今バカみたいな爆発のあった公園を観察していた。

「お前という存在を定義付けるために可想界(かそうかい)感性界(かんせいかい)の中間に収納した核を、肉体を破壊する事で感性界(こちら側)へ引き寄せ、焼き尽くした。とでも言った所か。まったく、力業にも限度というものがあるだろう。いや、これが先天的に持つ才能(血の成せる業)というやつか」

「ウラヤマシイノカ?」

「まさか。それよりも、これでしばらくこの地に用はない。誰かに感づかれる前に……」

「イヤ、ドウヤラテオクレノヨウダ」

 すたっ、と青年の背後に誰かが舞い降りた。

 人数は二人。

 無論、さっきまで鬼と戦っていた二人ではない。

 片方は改造された巫女装束に身を包み、不気味なオーラを放つ日本刀を携えた少女。

 もう片方は、全身に白銀の光芒を(まと)った青年である。よく見れば獣のようにも見える光芒は、その姿を魅せつけるかのように優雅に揺らめいている。

 朱音と涼子を観察していた青年は、そっと背後を振り返って見た。

 その二人の姿が目に入った瞬間、青年はたいそう驚いた。

 まさか、この街で最も危険な部類に入る学生が来るとは。

 もっとも、この結界を自分に気付かれる事なくすり抜けている時点で、普通ではないだろう。

 ついでに言えば、向こうで伸びている二人についても十分同じ事が言えるわけであるが。

「T.S.M.Holder Level.3 承認の狐憑きと、記録上は討伐された妖狐。そして、T.C.F.Holder Level 4 承認の通称、無双艶技(ブレード・メイデン)、か。それにしても、よく入って来られたな」

『ぬかせ、若造』

 青年の問いかけに、しかし答えたのは二人ではない。

 白銀の光芒を纏った青年の隣に光が収束し、先ほど声を発した三人目が姿を現した。

『性根の腐りきった貴様の霊力、鼻がひん曲がるかと思うたぞ』

「だったら良かったな。俺達はこれからこの街を去る所だったんだからな」

「…………させると思うか?」

「あなたは、ここで捕らえます」

 青年の言葉に、二人は即座に戦闘体勢に入る。

 だが、青年の方はそうではなかった。

「せっかく集めた魔力(マナ)精力(オド)も浪費したくないのでね。今日はこれにて失礼させて頂くとしよう。やれ」

 その瞬間、青年の影から何かが跳び出してきた。

 それは大樹の幹を思わせるほど太く、巨大な一本の腕。

 銃弾すら弾きそうな体表は、毒々しい赤色。

 突如青年の影から現れた腕は、足場となっているビルを、その拳圧だけで真っ二つにして見せた。

「それでは、また会おう」

 と、次の瞬間、世界が反転したかのような、背筋がぞくっとする感覚に見回れる。

 とんっ、と地上に着地した二人は、確認のために背後を見やる。

 するとそこには、先ほど破壊されたはずのビルが何事も無かったかのように鎮座していた。

 青年が結界を解除したのである。

 即座に霊力の探知を開始するが、青年の気配はもうどこにもなかった。

「逃げられちゃいましたね」

「…………仕方ない。あれは相手が悪すぎる」

「先輩、知ってるんですか?」

 光芒を纏った青年はこくんと頷いてから、言葉を続ける。

「…………八千草(やちぐさ)健吾(けんご)。承認ランクSを保有していた、協会認定の異端者」

 初めまして、厨二病末期患者の蒼崎れいです。ここまでお読みいただいた方にはおわかりのことと思いますが、私ってほんらいこっちの畑が専門なんですよね。異世界物って実はそんなに得意じゃなかったりします。

 まあ、そっちはさておき。こちらは趣味全開です。設定特濃仕様です。登場人物ほぼみんな厨二病患者ですね。痛々しい詠唱文をつらつらと。にしても、一章終わったのに締め方がこんなもんだったせいで全然終わった気がしない。でも、一応の一章の終りでこれもひと段落です。

 そして今回学んだこと。戦闘描写は用法容量を守って。これにつきますね。いや、ちゃんと計画してたんですけど、それが異様に長引いてしまったのが今回です。正直、終盤かなりだれました。まあ、質は落とさないよう全力を尽くしたんですが……。なので、その辺についての突っ込みはご勘弁願いたいです。

 それでは、今回はこの辺で。それでは、また次の機会に。

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