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朱音ノ悪鬼調伏譚  作者: 蒼崎 れい
第壱ノ巻~荒ぶるおぞき御魂~
15/55

其ノ拾弐:突破口

 今の所は攻勢に回っているからいいものの、問題は一切解決していない。

 鬼が無限に再生し続ける仕組みを破らなければ、朱音と涼子に勝機はないのだ。

 冷静に先生達が到着するのを待っていた方がよかったかも、なんて考えが一瞬だけ朱音の脳裏をよぎるが、

 ――まあ、ほっとけないか。

 涼子の顔を見て、やっぱ私はこうじゃなきゃ、なんて思い直す。

 自分の身の安全のために友達を見捨てたりなんてしたら、父親にはぼこぼこに殴られるだろうし、自分でも自分が許せなくなる。

 いつも厳しい父親に、あの鬼よりも恐ろしい父親に言われていたではないか。

 この力は単にたちの悪い暴力でしかない。それもこの暴力で救える者がいるのなら、救って見せろ。と。

「それで、どう仕掛けますか? 朱音さん」

「とにかく再生させて、そこから何か見つけるしかないでしょうね。私が前衛やるから、援護よろしく」

「あいあいさー」

 まさしく、今がその時だろう。

 出会って二日目の付き合いではあるが、今まででこれほど心踊った瞬間があっただろうか。

 友人ができるか心配していたのと同時に、別の術者に対して無意識の内に張っていた境界線を、涼子は軽々と超えてきた。

 それが良い事なのか悪い事なのかはわからないが、少なくとも今この瞬間は悪い気はしない。

「涼子さん、ストップ」

 揺らめく炎の合間に鬼の影を見た朱音は、涼子の前に左腕を上げて制した。

 朱音の凛とした声が、炎に巻かれた森の中を響き渡る。

 二人はその場で立ち止まると、周囲の気配に気を配った。

 炎の勢いがすさまじく、なかなか集中しきれないのだ。

 これなら、もうちょっと後の事を考えて術を使うべきだったと、朱音は少しだけ後悔する。

 もっとも、それも一瞬の事でそちらに割いていた思考力は、すでに再生の仕組みをどうやって破るかに費やしているが。

「ところで朱音さんや」

「なに?」

「護符をちょこっと分けてくれんかね?」

「……そんな使ったの?」

「まだ四〇枚ほどあるんですけどね。そんな使うんですよ、(うち)では」

「あっそ。じゃあ、はいこれ」

 朱音はポケットに手を突っ込むと、まだ糸にくくられたままの護符の束を差し出した。

「三〇枚のセット。高いやつだから、後で代金よろしく」

「うぇぇ……。まあ、しゃあないですね」

「でも、式が違うんじゃない? そんなんで使えるの?」

「基本は同じ陰陽系なんで、なんとかなりますよ。まあダメでも、なんとかせにゃならんのですけどね」

 涼子は護符を戒めている紐をほどくと、右の下の方のジャージのポケットにしまった。

 そしてそこに元々入っていた護符数枚は、左のポケットへと移動させる。

 さすがに、種類の違う護符を同時に使うような危険な真似はしない。

 と、周囲をちらりと見やった涼子の視界の端を、大柄な人影が横切った。

天燕(アマツバメ)!」

 涼子は小太刀を握ったまま、ジャージのポケットから器用に護符を一枚抜き放つ。

 護符は一瞬にして式神へと転じ、亜音速で空間を貫きながら突き進んだ。

 だが、手応えはない。

「ちっ、外しちゃいましたか」

 涼子は舌打ちしながら、再び左手に護符を一枚補充する。

 無駄使いのできない状況で、早速やらかしてしまったようだ。

「涼子さん、後ろは任せたわよ」

「ほいほい、任されましたよ~」

 二人は互いに背中を合わせ、鬼の襲撃に備えた。

 その間にも炎は森全体へと広がり、焼かれた空気が肺の中へとなだれ込んでくる。

 緊張に加えて物理的な熱量で、口の中がカラカラに渇いきのどがひりつく。

 そんな二人の緊張に答えたかのように、みしみしという樹木の破壊音が二人の鼓膜を揺さぶった。

「水剋火、水流――急々如律令!」

「水剋火、北方玄武、流穿(りゅうせん)――急ぎ律令の如く成せ!」

 桜の樹がきしむ音の方向へ、朱音と涼子はそれぞれ五枚ずつ護符を放った。

 護符は空中で水を呼び出し、二人に向かって来ていた炎まみれ桜の大木を正面から粉砕する。

 弾けた水は辺り一帯へと降り注ぎ、()けた大地と朱音や涼子の身体を濡らした。

 だが、破壊音がやむ事はない。

 大地を伝って足下からやってくる振動と低重音が、二人にその事を教えてくれる。

「まだ来るんかい!?」

「いいから屈んで!」

 朱音は飛んでくる桜の樹にいちゃもんをつける涼子の後襟を引っ張り、鬼の攻撃を回避した。

 しかも、三本、四本、五本と炎をまとった樹がどんどん飛んでくる。

 攻撃の手が緩む気配がない。このままでは、防戦一方の展開になってしまう。

「殴り込むわよ。これじゃ、いつまで経っても(らち)が開かない」

「サー・イェッサー!」

 朱音と涼子は迎撃するのをやめ、炎まみれの樹が飛んでくる方向へと走り始めた。

 的を絞らせないために、左右に散解し蛇行しながらそれぞれ鬼を目指す。

 すると、鬼の方も攻撃パターンを変えてきた。

「私だけ狙ってきたか。まあ、私でもそうするか」

 前方の桜の樹を薙ぎ倒して直進して、炎まみれの樹が現れる。

 朱音はそれをサイドステップでかわしながら、改めて鬼の状況判断能力の高さに舌を巻いた。

 涼子も強力な術者である事は間違いないのだが、朱音とは方向性が大きく異なる。

 朱音は近距離戦に特化したきらいの術者であり、力を一点に集中して戦闘を行うタイプだ。

 そのため強力な一撃を放てる反面、なまじ力が大きすぎるため数の多い敵への対応がどうしても甘くなる。

 それに対して、涼子は大量の護符によって多彩な符術を行使したり、あるいは多数の式神を同時に使役する術者である。

 数の多い敵に対してはうまく対応できるのだが、一撃の攻撃力が低いために防御力の高い敵への対応がどうしても難しくなるのだ。

 二人の戦闘スタイルをこれまでの戦闘で把握し、自分にとって厄介な方から先に始末する。

 朱音からしてみても、理にかなった効率的な考え方だと思う。

 だが、それでもまだ甘い。

 ――涼子さんの力、舐めすぎなのよ。

黒鴉(クロガラス)!」

 朱音は三枚の護符を抜き放ち、前方に向けて飛ばした。

 護符は綺麗な鳥の(かたち)へと姿を変え、鬼に向かって燃え盛る木々の間をすり抜けて飛翔する。

 百メートルもない距離を突き進んだ黒鴉(クロガラス)は、鬼を目の前にした瞬間いきなり急降下しその足下へと突き刺さった。

 だが、決して朱音が狙いを違えたわけではない。

「爆!」

 地面に突き刺さった黒鴉(クロガラス)は、朱音の言葉と同時に起爆した。

 護符の爆発によって巻き上げられた土煙は、またたく間に鬼の視界をふさぐ。

「サカシイマネヲ。コノテイドデ、ドウニカナルトオモウテカ!」

 相も変わらず、お腹の底までずぅんと響く野太い声だ。

 そして鬼は自身の宣言した通り、身長の倍以上もある桜の樹を振り回し一瞬にして土煙を消し去った。

 だが、朱音の目的は鬼の視界を奪い、攻撃の手を止めるためではない。

「鬼さんこちら、手の鳴る方へってね!」

 クリアになった鬼の視界に飛び込んできたのは、二本の小太刀を構えたまま過剰な前傾姿勢で駆けてくる涼子の姿だった。

 涼子は完全に桜の樹を振り切った鬼の左脇下をすり抜けながら、肋骨の隙間をぬうように人間なら肺のある部分へと小太刀を突き刺す。

 差した場所からはまるで間欠泉の如く黒い煙が勢い良く噴き出し、一瞬だけではあるが完全に鬼の動きが止まった。

 その隙をついて、朱音はついに血の力を解放した。

 父親の言っていた『たちの悪い暴力』でしかない、強大な力を。霊力の流れる経絡系に、倍以上の負担がのしかかる。

 全身のあちこちで悲鳴が上がるが、朱音はそれらを無視して一直線に大地を駆ける。

 短距離走の世界記録も置き去りにするような速度で、鬼の懐に飛び込んだ朱音は、

「飛炎、四の太刀――焔薙(ほむらなぎ)!」

 紅蓮の炎をまとった小狐丸で、左下から右上にかけて逆袈裟斬りに斬り上げた。

 白鎌の力によって斬れ味を増した小狐丸は、鬼の強靭な皮膚を斬り裂く。

 そしておまけとばかりに斬り口からは莫大な炎を吐き出し、鬼は反動で大きく後方へと吹き飛ばされた。

 飛炎、四の太刀――焔薙。本来は、遠方の敵をめがけて放つ技である。

 それを、密着状態で喰らったのだ。

 斬り口の部分から周囲へと広がるように、筋肉が黒く焼け落ち白い骨まで露わとなっていた。

 もっとも、そんな深い傷や火傷さえ、一分もあれば元に戻ってしまうのだろうが。

「朱音さん、どうすんですかあれ。どう考えても倒せそうにないんですけど」

「そんな事言ってる暇があったら、涼子さんも考えなさいよ。今それで困ってるんだから」

「あ、そういえば……」

「何?」

「いえ、ちょっと気になってる事が」

「そう。でもその前に!」

 朱音は涼子の前に出て小狐丸を地面と水平に構え、鬼が上から振り下ろしてきた大刀を受け止める。

 全身の骨と筋肉がきしみ、足が地面に数センチ沈み込んだ。

 朱音の言えた義理でもないが、とんでもない馬鹿力である。

「これじゃおちおち、話し合いもしてらんないわね」

「そうですなぁ。てぇえええい!」

 朱音が大刀を受け止めた瞬間、その頭上を超えて跳び出した涼子は、鬼の背中側へと落下する。

 着地の間際、自身の身体を回転させながら鬼の右アキレス腱を切断した。

「ヌゥッ!?」

 大事な身体の支えを失った鬼は、朱音のパワーに押され背中から真後ろへと倒される。

 刹那の攻防によって確保した数秒の間に鬼と距離を取りながら、涼子はふと思った事を朱音に耳打ちした。

「あたし達は鬼の霊格が馬鹿げてるくらい高いのに気を取られてたわけですが、あいつだって力が無限ってわけじゃないでしょ?」

「まあ、それもそうよね」

「じゃあ、再生のために使ってる力って、いったいどっから持ってきてんでしょうか?」

 その言葉に、朱音はハッとなった。

 先に朱音が再生速度を超える炎で鬼を焼き尽くそうと、持てる術式の中でも最大級の物を使った時、確かに鬼の力は弱くなっていた。

 だが今は、背筋が凍るほどの重圧がのしかかってきている。

 もし鬼自身が自分のエネルギーを用いて再生しているとしたら、力が弱まるなんて事は絶対にないはず。

 つまり、

「もしかして、体外から力を供給しているのかも」

 それしか考えられない。

 それなら力が弱まった事にも説明がつく。

「体外っつっても、それがわからなきゃどうにもなりませんよ!」

 朱音と涼子は、左右に別れるようにして後方へと大きくバックステップする。

 それからコンマ一秒後、鬼の大刀が先ほどまで二人のいた場所を大きくえぐった。

 それにしても、巻き上がる土煙の量がどう考えてもおかしい。

 刃先に爆弾でもついていないのか、本気で疑いたくなるレベルである。

「それを、これから調べるんでしょ!」

 朱音は着地した瞬間、鬼に向かって再び猛ダッシュをかける。

 そして大刀の間合いのぎりぎり外で、五枚の護符を放ち、

「火炎、急々如律令!」

 灼熱の炎を呼び出した。

 周囲に燃え広がった炎も媒介とし一段と威力を増した炎は、身体を蒸発させんばかりの勢いで鬼を飲み込んだ。

 ――待って、体外から力を供給するって……。

 朱音の脳裏に、何か閃く物があった。

 鬼は恐らく、体外から再生のための力を供給している。

 ならば、いったい供給源はどこなのか。

 自分はたった今、炎を呼び出す符術を行使する際、周囲の炎を媒介として通常より大きな術を起動させた。

 ならばそれを、丸々鬼に当てはめる事はできないだろうか。

「涼子さん! こっち!」

 炎の濁流で鬼を押し流しつつ、朱音は涼子を呼んだ。

「何ですか? 何かわかったんですか?」

「たぶんね。力の供給源は、たぶんこの結界内の空間全部」

 朱音の言葉に、涼子は一瞬思考が完全停止した。

 もしかして聞き間違いではなかろうか。

「空間全部って?」

 そう思って、もう一度朱音に問いかけてみるのだが、

「この結界内を漂ってる、嫌な気配全部よ!」

 残念ながら、聞き間違いではなかったらしい。

「まま、待ってください! 言ってる事はわかりますけど、まず根拠を教えてくださいよ」

「わかったから、ちょっと待って……!!」

 朱音は十数秒に渡ってはき出し続けていた炎の濁流を止めると、その場に膝を屈した。

 血の力も併用しているので霊力的にはまだ少し余裕があるのだが、その霊力が流れる経絡系がもはや限界に達していた。

 鬼を圧倒するほど身体を強化するには、それ相応の霊力を消費する。

 許容範囲を逸脱した流入量に圧迫され、まるで神経を引き千切られるかのような痛みが朱音の全身を駆け巡っているのだ。

「一つを二つに、二つを四つに、四つを八つに! 行け、黒鴉(クロガラス)!」

 二枚にして十六体の式神は、朱音の炎で表皮の焼け落ちた鬼へと迸る。

 黒鴉(クロガラス)は鬼の肉体に食い込んだ瞬間、次々と自爆して鬼の肉を削ぎ落とす。

 だがこれも、単なる時間稼ぎにしかならない。

 再び距離を取ろうと朱音を引っ張り上げようとした涼子であるが、逆にその手を朱音がつかんだ。

「周囲の気配に集中して。鬼が再生する瞬間の、力の流れ」

「再生する、瞬間……」

 朱音に制されて、涼子も鬼に視線を固定したまま、周囲の空間を流れる力に意識を集中させる。

 この肌にまとわりついてくる粘っこい感じは、相変わらず気持ちが悪い。

 だが、その気持ちの悪い感じが、ほんのわずかだが薄くなる。

 すると、それと呼応しているかのように、鬼は前面から黒い煙を吐き出しながら再生していったのだ。

 確かに、流れ込んでいるのがわかる。

 鬼の放つ妖気と空間に満ちる力のイメージがほとんど同じだったために、今まで気付かなかったが。

「なるほど、そういう事ですか。この結界内の力が全部あっちの見方なんじゃ、確かにあたしらにゃあ部が悪いですねぇ」

「まあいいじゃない。タネがわかったんなら、やり方なんていくらでもあるわよ」

 涼子の正論に、朱音は微苦笑で返した。

 確かにやりようはあるが、それでも相手が強大な事に変わりはない。

「じゃあもったいぶってないで教えてくださいよ。一応見た感じあたしらが押してますけど、全然余裕なんてないんですからね」

「少しは自分で考えなさいって……。つまりね、あいつは周囲の空間から力を供給しているわけでしょ」

「そうですねぇ」

「じゃあ、その供給源を断ち切っちゃえばいいじゃない」

「……えぇっとつまり。要約すると、あれをこの空間から物理的に切り離せと?」

 涼子の疑問に、朱音はうんと首を縦に振って答える。

 それを見た涼子の顔も、朱音同様の微苦笑を浮かべた。

 確かに有効かもしれないが、そこまで持って行くのがどれほど大変な事か。

「朱音さん、対物障壁や対魔障壁は得意ですか?」

(うち)は、かわして近付いてぶった斬るのが基本だから、無理だと思う」

「わかりました。そんじゃ、時間稼ぎとトドメは任せましたよ。あたしはたぶん、結界の維持でいっぱいいっぱいなんで」

「わかった。じゃあ、そっちはお願いね」

「ぶー、ラジャー!」

 涼子はずびしっと小太刀を持ったまま敬礼を決めると、そのまま鬼から離れるように駆けてく。

「さぁてっと、いくか」

 朱音は自分の頬をぱんぱんと叩いて喝を入れると、小狐丸を片手に鬼に向かって歩き出した。




「ハナシアイハオワッタノカ?」

 鬼は朱音を視界に納めた所で、唐突に話しかけてきた。

 どうやら、再生している間攻撃して来なかったのは、わざわざ涼子との打ち合わせが終わるのを待っていてくれたらしい。

「野蛮なだけかと思ったら、けっこう紳士なところもあるのね」

「コノゴナオヨンデ、マダソノヨウナクチヲキケルトハ。タイシタタマダ」

「でも、女の子はそんな事言われたって、ちっとも嬉しくもなんともないんだけどね」

 朱音は正眼に小狐丸を構え、まっすぐに鬼の金眼を見すえる。

 先ほど放った炎の濁流による火傷も、涼子の式神による傷も完全に癒えている。

 こっちは全身ぼろぼろで、明日まともに身体が動くかどうかもわからないと言うのに。

 それでも朱音は全身へと最大量の霊力を流し込み、血の力も併用して身体能力を極限まで高める。

「マッタク、アキラメノワルイ!」

 朱音は鬼が横薙ぎに払った大刀をかがんでかわすと、そのままの体勢で足首を狙って跳び出した。

 だが、鬼も朱音の動きに慣れてきたらしく、大刀は滑らかな弧を描きながら下方へと進路を変える。

「ちっ」

 大刀がひるがえった瞬間、朱音はすでに次の行動に出ていた。

 ドッと地面を踏み砕きながら、慣性を無視した動きで直角にサイドステップする。

穿(うが)て、天燕(アマツバメ)!」

 脳髄が揺さぶられるような急制動のさなか、朱音は十体の式神を放った。

 通常より多くの霊力を注がれた式神は、威力を増して鬼へと突き刺さる。

 だが、それでも貫通までは至らない。

 全体の八割ほどが埋没した所で、完全に勢いを失ってしまった。

「ったく、どんだけ固いのよ! 爆!」

 ボッ!! と、鬼の表皮が()ぜた。

 繊維の千切れたグロテスクな筋肉が一瞬のぞいたものの、すぐさま黒い煙を吐き出しながらみるみる再生していく。

 そしてやはり、今回もごく微妙ながら、鬼の周囲の空間に満ちる力が弱まったように感じられる。

 ――やっぱり、周囲の空間から力を供給してんのね。

 すると、鬼は朱音の視線の先で、まるで弓でも引き絞るかのように大刀を後方へと引いた。

「やばっ!」

 次の瞬間、ドドドォ!! と、鬼は全身を使って刺突を繰り出してきた。

 それも、音速を超えて。

 大刀の先端を、一瞬だけ円錐形の雲(ヴェイパーコーン)が包み込んだ。

 辛うじて直撃は避けたものの、その次にやって来た衝撃波が胸を強く打つ。

 肺の空気が強制的に外部へと追いやられ、視界が真っ黒に暗転する。

 方向感覚までも狂わされ、自分が今上を向いているのか下を向いているのかもわからない。

 だが、一瞬でも動きを止めてしまえば、そこで終わりである。

 朱音は胸の筋肉を強引に動かし、肺一杯に空気を取り込んだ。

 そしてようやく視界が回復した時、ドンと背中から地面に着地する。

 背骨にズキンと痛みが走るが、そんなものを無視して朱音は立ち上がった。

 しかし、視界は回復したが、バランス感覚はまだ回復していない。

 立ち上がりはしたものの、本人の意志とは無関係に身体は後ろへと倒れ始めた。

「コレデ、シマイダ!」

 鬼はそこを狙って、大刀の面を向けて後ろに大きく振りかぶった。

 運が良くて気絶、最悪骨折も有り得るだろう。

 しかし、そこであきらめる朱音ではなかい。

「こんのぉおお!」

 倒れながら、そのまま真横に跳んだのである。

 もちろん、後の事なんてこれっぽっちも考えていない。

 そんな事を考えていては、大刀の餌食になっていただろう。

 五メートルほど右にステップした朱音は頭から地面に落下し、そのまま三度ほど地面を跳ねた。

 だが、四度目は上手く身体をコントロールし、跳ねる事なく地面を転がる。

 そして勢いの弱まった所で、バッと両の足でしっかりと立ち上がった。

「マッタク、ムダナアガキヲ」

「それは、あんたが決める事じゃないでしょ」

 強がって見せる朱音であるが、鬼に指摘された事は事実である。

 まだ最後の一撃分は残しているが、肉体的にはとうに限界を通り過ぎている。

 今は精神力と霊力だけで、強引に身体を動かしているような状態なのだ。

 だが、そんな無茶もそろそろできなくなってきたらしい。

 終わりの見えない戦いに、集中力が途切れ始めてきたのである。

 しかも、血の力は長時間使用すればするほど、加速度的に肉体を痛めつけていく。その痛みも、朱音の集中力をそぎ落とすのに一役買っていた。

 しかし、その終わりを今涼子が必死に作ってくれている。

 そこまでは、意地でも保たせなければ。

「クチノヘラヌオナゴヨノゥ。メニミエテ、ショウスイシテオルトイウノニ」

「だから(あきら)めてあんたにやられろって? そんなもん、嫌に決まってんでしょうがッ!」

 揺らぐ集中力をなんとか一点にまとめ上げ、朱音は鬼へと駆ける。

 最後の一撃分を残しておくには、もう接近戦を続けるしかない。

 朱音は直上から振り下ろされる大刀に小狐丸の刃を合わせると、自身も勢いの方向に回転して運動エネルギーの全てを吸収する。

 肩の辺りを軸に下へ向かう上半身と入れ替わるように、下半身が持ち上がった。

 その足の先端が、猛烈な勢いで鬼の頭部を強襲する。

 あまりの威力に、頭皮を突き破って現れていた角が、粉々に砕け散った。

「ふぅ……!」

 朱音はさらに、畳みかけるように連続して技を繰り出す。

 勢いをそのままに、まずは足首二つを浅く斬り裂いた。

 さらに半回転した所で、今度は身体をぎりぎりまで屈めて水平蹴りを放つ。

 足首にダメージを負った所への足払いに、鬼はバランスを崩した。

 そこへ今度はバック転の要領で、鬼の顎へと渾身の蹴りを叩き込む。

 横方向から斜めに進路を変えたつま先は、狙いを違う事なく鬼の顎を打ち抜いた。

 そしてそれを援護するかのように、朱音の周囲から高速で何かが突っ込んできた。

 それらは非常に雑な鳥の(かたち)をしているのだが、もう鳥と判別するのも難しい状態となっている。

 その鳥の容をした何かは、鬼の身体に着弾した途端、赤い火花を上げながら盛大に爆発した。

 恐らくは、遠隔操作で符術でも発動させたのであろう。

 すると、後からふらふらと遅れて来た一体が、朱音の肩に降りたった。

『朱音さん、ご無事ですか?』

 と、その鳥から涼子の声が発せられた。

 今でも通信機器の使えない場合や、機械に馴染めない術者の使う、通信用の術式の一つである。

 朱音もよく知る、確か雛鴟(スウシ)と呼ばれる式神だ。

「なんとかね……。あとは、でっかい一撃、決める分しか残ってないわよ。で、準備はできたの?」

『えぇ、こいつにちょっくら付いてきてください』

「わかった。これで決めるわよ。必ず」

 朱音は鬼に背を向けると、式神に導かれるまま最大速で退却した。

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