其ノ玖:邪悪の金眼
朱音はこんな時間に誰からよと思いつつ、鳴り始めた携帯電話を取り出して画面を見る。
そこには十一桁の電話番号に加え“猫屋敷涼子”の五文字が、ひっそりと光り輝いていた。
「うそ、もう見つかったの……」
もしもの事があってはいけないので、相手を発見した時、もしくは居場所の手がかりをつかんだ時は、連絡しあう手はずになっている。
朱音は若干の期待を持ちつつ、通話ボタンを押した。
『もしもし、朱音さんですかい?』
「私の番号に電話しておいて、何をいまさら」
わざわざ携帯電話にかけているのだから、別人がでるわけがないであろう。
まあ、鳥羽先輩と陽毬をのぞいてはであるが。
「それで、そっちはどういう状況なの?」
『おっとっと、そうでやんしたな。捜索に飛ばしてた一部の式神が、いきなりあたしの制御から外れたんでありんすよ』
「制御から外れた? 破壊されたんじゃなくて?」
『えぇ、破壊はされてないみたいです。現に、あたしには何のダメージも帰って来なかったんで。つまり、物理的にどこかに隔離されちゃったってわけです』
「物理的に隔離って……。あぁっ!?」
式神は破壊されたわけではなく、涼子の制御圏内で物理的に隔離された。
その言葉に、朱音はピンと来るものがあった。
高度な技術が要求される代わりに、対象を物理的・空間的に現実から切り離す結界の一つ。
「もしかして、位相空間結界?」
『その可能性は大ですにゃ』
電話の向こうから、涼子も朱音の意見に肯定の意を示した。
位相空間結界。それは高度な技術が要求されるが、標的を現実の空間から物理的に完全に切り離す効力を持っている。
そしてその位相空間結界のもう一つの利点は、高い秘匿性だ。
位相空間結界内にいる限りにおいて、結界内でどれほど大規模な魔術戦闘を行おうと、絶対外部には探知できないのである。
また、結界内部でのいかなる破壊活動も、現実空間に復帰した時点でリセットされる。
これらの利点から、位相空間結界は術者達が人知れず人外なる存在を討伐するために、古来より用いられてきた術式の一つだ。
これらから導かれる答えは一つ。相手は戦闘行為を行うという前提の元、動いているという事になる。
術者を狩る目的は謎であるが、戦闘のための準備をきっちり整えてきている可能性が高い。
それをわかっているから、朱音や涼子もきちんと装備を整えてきているわけであるが、これで本当に戦闘になる可能性が出てきた。
いくら戦闘を避けるように指示されていても、結界に閉じ込められてしまえば闘うしかなくなる。
「それで、涼子さん今どこにいるの?」
『えっとですね、とりあえず来た道を戻ってきてください。あたしも別れた場所まで、式神を飛ばすので』
「わかった。涼子さんは先に行ってて。私もすぐに追い付くから」
『ぶー、ラジャー!』
ぽちっ、と朱音は通話終了ボタンを押すと、携帯電話をキュロットパンツのポケットにしまった。
それから飛ばしていた式神を呼び戻し、今まで来た道を戻り始める。
中等部の生徒から話を聞いた時はまさかと思ったが、本当に位相空間結界を使ってくるとは。
あれは人外の成せる業ではない。
となると、導き出される答えは一つ。
「相手は魔術師、か……。それもけっこう手練れの」
位相空間結界は広く普及している術式ではあるが、高度な技術が要求されるため行使できる者はそう多くない。
現に朱音や涼子も、まだ使えない術式である。
そんな猛者が相手なのだから、こっそり近付いている涼子の事にも、もう気付いているかもしれない。
そんな風に良くない方向へと思考をループさせている内に、涼子の放ったらしき式神を見つけた。
何度か宙を旋回していた式神は、朱音を導くかのように涼子の向かった通路の方へと飛翔を始める。
「まったく、器用なもんね。羨ましい」
ぼやきつつも、朱音は式神を追って走り始めた。
道を無視して一直線に向かう事もできるのだが、一般人に目撃されれば停学は必至である。
魔術師とは、あくまで一般人に知られてはいけない存在なのだ。
「それにしても、なんで星怜大の生徒を……」
走りながら、朱音は襲撃者である術者へと思いを巡らせた。
いったい何が目的で、夜間巡回の生徒を襲っているのだろうか。
人によっては貴重で高価な魔具や礼装を有している事もあるが、それならばランクEやDを襲撃していた事と辻褄が合わない。
そういった物は、やはり高ランクの術者が有しているものだからだ。
なぜ、低ランクの術者ばかりを襲撃しているのか。
いくら考えても、朱音の頭ではその理由がわからない。
とにかく、涼子の元まで急ごう。
その瞬間、
「嘘……」
朱音を導いていた式神は、ただの紙切れへと転じていたのだ。
ひらりひらりと、アスファルトの上へ力を失った護符が舞い落ちる。
「急がなきゃ」
異様な胸騒ぎが、朱音の中でいっぱいに広がり始めた。
時間を少しさかのぼる。
涼子が式神の反応が消えた場所へと入ってから、数分が過ぎていた。
先ほどまでは少ないながらもすれ違う人がいたのだが、この場所に踏み入ってからはまだ一人もすれ違っていない。
そのせいだろうか。肌には、ねっとりとぬめりつくような違和感を覚える。
それにまるで、重い衣服を大量に着込んでいるような、重苦しさと息苦しさも感じる。
一歩一歩、歩みを進めるほどに蓄積していく疲労感と戦いながら、ブロック塀の角から道をのぞくと、そこには驚くべき光景が広がっていた。
「あれって…………。もしかして、土御門麗!?」
周囲に人影のいない事を確認すると、涼子は大急ぎで駆け寄った。
ついさっきも校門で見かけた土御門麗が、全身を赤色に染めて仰向けで倒れていたのだ。
制服はぼろぼろで、あちこちに擦り傷と青あざが見られた。
しかも呼吸は浅く、意識も朦朧としている。
唯一の救いは、それだけの状態にも関わらず命に別状はなさそうな点くらいか。
「麗さん。しっかりして、麗さん!」
涼子は麗の頬を二度三度ぱちぱちとはたき、必死に名前を呼びかけた。
「……うぅぅ、この、声は…………。猫、屋敷…なのですか?」
傷が浅かったのも幸いしてか、麗はすぐに目を覚ました。
だが普段見せるような気丈さはなく、どうにも身体に力が入らないといった雰囲気だ。
全身ぐったりとしていて、声は今にも消え入りそうなほどに小さい。
「せめて“先輩”くらい付けたらどうなのかね、麗さん。リアル高飛車お嬢様って、周囲にとっては割と迷惑なだけなんですぜぇ」
「まったく、低俗なテレビ番組の……見過ぎですわ、よ……」
「それはそうと、いったい何があったの? 戦闘は禁止されてるのに。もしかして、向こうから襲って来たの?」
「…ちょうど、よかったわ。猫屋敷…、早く、お逃げ……なさい。遼亮を、頼みま……す」
意識は戻ったものの、こちらの話を聞く気は全くないようだ。
こんな状態でも他人に命令とは、まったくいい根性をしている。
「もう。麗さんっば、こんなんなっても上から目線で命令っすか……。まあ、大丈夫そうなんでいいですけど」
涼子は麗に肩を貸して立ち上がらせると、彼女の取り巻きの一人である遼亮の姿を探す。
周囲を見回すと、十メートルほど先にブロック塀に背中を預ける遼亮を発見した。
「こりゃ、朱音さんと一緒に一旦学校まで戻らなきゃかなぁ」
涼子は遼亮の隣に麗を座らせると、こっちの状況も確認する。
麗同様に、制服はぼろぼろで体力をひどく消費している。
額から派手に出血してはいるが、命に別状はなさそうだ。
よく見ればその出血も止まっているようであるし、魔術的な応急処置でもしたのかもしれない。
このまま放置していくのも気が引けるので、このまま朱音が来るまで待っていようか。
そう思った時だ。
「っ!? しまっ……」
反射的に、涼子は地面に亀裂が走るのも気にせず後方へ大きく飛んだ。
次の瞬間、三つの異常な出来事が同時に起きた。
一つ目は、ただでさえ重苦しかった空気がより一層密度を上げて涼子の身体を包み込んだ事。
二つ目は、それと同時に麗と遼亮の姿が涼子の視界から消えた事。
三つ目は、ついさっきまで涼子のいた場所がいきなり爆発した事。
涼子はそのまま爆心地から離れるように、二度三度地面を転がって衝撃を逃がすと即座に体勢を立て直した。
爆心地の方をキッと見すえ、いつでも動けるよう四肢に力を込める。
涼子の見つめる視線の先に、不意に“ソイツ”は現れた。
アスファルトの道を粉砕し、その下から土煙をふんだんに巻き上げた“ソイツ”は、雄々しく煙をかき分けながらその身体があらわとなる。
二メートルを大きく超える巨躯とそれを覆う筋肉の塊は、烈火の如き赤い肌をした鋼の肉体。
肌にねっとりとまとわりつくのは、圧倒的なまでの密度と禍々しさを内包した妖しき力。
こんな濃い気に当てられては、ランクEの生徒が一瞬で気絶するのも無理はない。
ランクDでも、身動きすら取れない可能性がある。
と、涼子が相手の能力を冷静に分析していると、全身にかかる圧力が一気に跳ね上がった。
気をしっかり持っていなければ、そのまま金縛りにあっていたかもしれない。
「ホホウ、コレニタエルカ。サキノフタリハ、イマノデオワッテシマッタノダガ。ナカナカドウシテ、オマエノヨウナモノノフモオルノダナァ」
まるで獣が人語を発しているかのような声に、涼子は本能的に危機感を抱いた。
“コイツ”は危ない、早く逃げろと、今までの経験が教えてくれる。
そして、周囲を見回してようやく気付いた事がもう一つある。
――なるへそ、こりゃ人がいないわけだ。
魔法陣の描かれた札が、人の目につきにくい位置に貼り付けられているのだ。
その陣の示す意味は、涼子も知っている。
学内でも様々な場所で使われている“人払い”を表す物。
術者か、あるいはかなり霊感の強い人間でなければ、この“人払い”のかけられた場所に立ち入る事はできないのである。
なるほど、どうりで誰ともすれ違わなかったわけだ。
「兵なんてそんな、あたしゃあその辺にいるか弱いオトメですぜぇ、ダンナァ。それに、口説くんならこんな物騒な結界に閉じ込めるんじゃなくて……」
だが、残念ながら涼子は結界破りの術式を有していない。
ならばどうするか。答えは簡単だ。
「もうちょっとロマンチックな台詞の一個や二個や百個や千個、言ってみたらどうなんですかね!」
涼子は下のジャージのポケットへと、素早く手を走らせた。
そこから瞬時に護符を抜き取り、前方にいる敵へと放つ。
空中に飛び出した護符はいびつな鳥の容へと姿を変え、敵に直撃した所で小爆発を引き起こした。
さらに、
「一つを二つに、二つを四つに!」
後方に大きく跳んで距離を稼ぎながら、呪を唱えると同時にカードケースから護符を抜き取る。
その数、約二〇枚。
「行け、黒鴉!」
涼子はその護符も、まとめて前方へと放った。
再びいびつな鳥の容をとった式神は、今度はなんと分裂を始めたのだ。
涼子の言葉そのままに、式神はその数をどんどん増やしていく。
最終的に八〇体にまで膨れ上がった式神は、次々と目の前の敵を捉え連続して小爆発を引き起こす。
「さてっと……。どうせこんなん効かないんだろうけど。牽制にはなるか」
涼子はジャージの内側に隠していた小太刀を、表へと引っ張り出した。
念の為にと鞘にかぶせている折り畳み傘のカバーも外し、その刀身を静かに抜き放つ。
緊張感から激しく乾く唇をペロリと舐めながら、涼子はもうもうと立ち上る白煙を凝視する。
この隔絶された世界――位相空間結界――に閉じ込められた瞬間から、涼子の決意は決まっていた。
逃げられないのなら、とことんまでやるまでだ。どうせ教師陣からの体罰フルコースは、もはや決定事項なわけであるし。
「ヨイ、ジツニヨイ。ワレノアイテヲツトメルノナラ、セメテコレグライハデキネバナァ」
涼子の予想した通り、ダメージはほぼ皆無らしい。
まあそれも、相手の発する妖力の感触からわかっていた事だ。
「サア、モットワレヲタノシマセテクレ! シコウノキョウエンニヒタロウデハナイカ!」
威風堂々と野太い声を発する敵の全景を、涼子は大きく距離を取ったことでようやく把握した。
なるほど、これならあの異様に濃い妖気にも頷ける。
下半身には熊の毛皮と思われる腰巻きに覆われており、巨大な出刃包丁のような日本刀が抜き身のまま腰から下げられている。
そして、一番特徴的なのは頭だった。
熟練の術者ですら射すくめられそうな金眼、そして目の上から皮膚を突き破って現れている二つの突起物。
間違いなく、あれは“角”だ。
これらの特徴から導き出される怪異の名称を、涼子は知っている。
いや、一般人ですら知らない人は、ほぼいないであろう。
「…………それにしても、天原市に何の用ですか? 節分なら先月終わりましたけど、どこぞの鬼さん?」
自分で言っておきながら、涼子はその事実に戦慄していた。
鬼とは、日本でも最も有名な妖怪の一つであると同時に、人に害を為す神としても描かれている非常に霊格の高い存在だ。
本来なら、承認ランクA以上の術者に任されるような超高難易度の任務である。
ほぼ唯一の取り柄である戦闘に関してはかなりの自信がある涼子であるが、今回ばかりは分が悪すぎた。
「でもまあ……」
それに、てっきり相手は魔術師だとばかり思っていたのも、戦慄を抱いた要因の一つでもある。
だが、それで潰れてしまうような涼子ではなかった。
くぐり抜いた実戦とそこから得られた経験が、涼子の身体を突き動かす。
「やるだけやってみましょうか……ねっ!」
ビシッと道路を踏みしめ、涼子は前方に悠然と佇む鬼に向かって飛び出した。
普段の黒鴉程度の攻撃力では、ダメージは入れられない。
ならば、いかほどの威力ならダメージを入れられるのか。
まずはそこから調べなければならない。
「南方朱雀――摩閻、急ぎ律令の如く成せ!」
涼子は小太刀を握ったまま、左手で護符を三枚前方に放った。
護符は空中で鉄をも容易に溶かすだけの熱量を持った炎へと転じ、前方の鬼へと襲いかかる。
鬼は両腕を交差させるようにして、顔面に向かってきた炎塊を受け止めた。
――よっしゃ!!
相手が炎に気を取られている間に、涼子は体勢を可能な限り低くして鬼の股の間へと飛び込んだ。
そうして股の間をくぐりながら、鬼の右足のアキレス腱めがけて二本の小太刀を振り抜く。
人間を模した姿をしているのだから、恐らくは内部も同じような構造となっているだろう。
まるで鉄板でも斬っているのではという硬い衝撃に続いて、ほんの少しだけ手応えがあった。
「オォッ!?」
斬り口から濃密な妖気を放ちながら、鬼はそのまま後方へと倒れ始める。
自分の予測が見事に的中した事を密かに喜びながらも、涼子は勢いのままに急速に鬼から離れてゆく。
「北方玄武!」
その間にも、五枚の護符を抜き放ち、後方へと投げながら半回転した。
「流穿、急ぎ律令の如く成せ!」
空中で正五角形の形に配置された護符は、その中央から超高速の水流を撃ち出す。
先の炎以上の威力を秘めた水の塊が、今まさに倒れようとしていた鬼へと背後から襲いかかる。
バッザァァッ!! とお腹に響くような重音をまき散らしながら、鬼は前方へと吹き飛ばされた。
吹き飛ばされた先では鬼の重量とその勢いも相まって、ドッとアスファルトに大きくめり込んだ。
十数メートルは離れた涼子の下まで、破壊された黒く固い欠片がパラパラと飛んできた。
「ふぃぃ~、緊張したぁ」
涼子は視線を倒れた鬼に固定したまま、先の一幕で入手した情報を分析する。
重鈍とまでいかないまでも、動きは少し遅い。
ただし、それを補って余りあるほど強固な体表をしており、普段使っているような攻撃用の式神や符術は効かない可能性が高い。
現に初撃の炎も最後の水流も、手応えが鈍かったような気がする。
特殊加工の施された小太刀で、なんとか傷を付ける事ができるかできないか。消耗品の安物では、きっと今の一撃で刃こぼれが起きていただろう。
よほど相手に大きな隙がない限り、小太刀で斬りかかるのは避けた方が良いだろう。
わかった事はこんな所だ。
「さすが、鬼ってだけの事はありんすねぇ。頑丈だったらありゃしやせんぜ」
今の攻撃は、どれも先日の餓鬼程度なら十数体はまとめて葬れるだけの威力があった。
だがそれも、本物の鬼相手ではほとんど役に立たないらしい。
鬼は焼けた手で地面に手を突き、まるで見せつけるかのように両の足で立ち上がる。
しかも断ち斬ったはずのアキレス腱や焦げた腕は、黒い煙を上げながら映像を逆回しするかのように再生し始めた。
――再生能力まで付加っすか。どんだけラスボスキャラなんすかねぇ、鬼って。漫画とかじゃよく見かけますが、現物見んのは初めてだってのに。
胸中で涼子は愚痴をこぼしながら、相手の一挙手一投足を注意深く見つめる。
「ハッハッハッハ、ユカイヨカイ! コレナラバ、イママデツノリニツノッテイタウッセキモ、ハラセルトイウモノヨ!」
バッと、まるで空間そのものが振動したかのような衝撃が、涼子に襲いかかった。
そして気付いた瞬間には、涼子の目の前に丸太のように太い真っ赤な腕が、もう目の前に迫っていた。
「んなっ!?」
涼子は身体にかかる負荷を度外視して、全力で回避行動を取る。
霊力の制御を司る脳と、脳からの指令を受け取る筋肉に、まるで身体中がばらばらになりそうな強烈な痛みが走った。
痛みに耐えながら後方に跳んだ涼子の踏み込みで、道路が大きく陥没する。
しかしその場所を、鬼の右拳作り出したさらに大きなクレーターが上書したのだ。
痛みの激しい頭を押さえながら民家のベランダの手すりに着地した涼子は、その光景に乾いた笑みを浮かべた。
「あれでまだ本気じゃなかった、ってわけですか……」
新たに穿たれたクレーターは、直径ニメートル以上。
いったい何をどうやればあんな事ができるのか。
「マダハヤクウゴケタノカ」
鬼は眼下のクレーターから、涼子の方へと視線を上げた。
闇夜の中でもはっきりとわかる金眼は、やはり背筋が凍るほどの恐怖感を感じる。
「ナラバ、コレナラバドウダ!」
鬼は穿ったばかりの地面からアスファルトの塊を持ち上げると、そのまま涼子めがけてぶん投げた。
ほとんど隕石同然に飛んできたアスファルトの塊を、涼子は別の民家の屋根に跳んで回避する。
その最中にも、式神――黒鴉を六体ほど鬼の眼前で爆発させ目をくらませ、涼子は大きく距離を取って隠れた。
自らの身体から漏れ出す霊力を完全に断ち切りながら、鬼の居場所の把握に努める。
どうやら目くらましは成功したらしく、周囲の家屋を破壊して回っているような感じだ。
その証拠に、塀を反響して建物の崩れる轟音が断続的に続いている。
「はぁぁ、なんなのよもぉ。死ぬかと思った……」
涼子は左の肩口の切れたジャージの袖を千切ると、止血代わりにその袖を左肩にぐるぐると巻き付けた。
致命傷は避けたものの、先に殴りかかられた時に弾けたアスファルトの破片で負傷していたのである。
今の所、動かす分には問題ないが、いつ支障を来すかわかったものではない。
と、涼子の感覚が異変を捉えた。
「ありゃ、気付かれたかな?」
いったいどんなトリックを使っているのか、鬼の気配が一直線にこっちへと向かってきている。
もしかしたら、涼子達術者同様に相手の居場所を感知できる能力があるのかもしれない。
どうやら、逃げ続けるという選択肢は選ばせてくれないようだ。
「こりゃ、明日ダウンすんの覚悟でやり合うしかなさそうですなぁ」
涼子は肉体に過剰な負荷のかからないぎりぎりまで、霊力の生成し放出する。
どうせバレているのだから、いまさら気配を断っていても関係ないだろう。
後先考えて戦って、どうにかなる相手でもない。
本気も本気、全身全霊を持って迎え討つ。
身体に痛みの走らない限界ぎりぎりまで肉体強化を行い、涼子は民家の屋根の上まで跳躍した。




