其ノ漆:出撃前
その後、“可愛い美玲ちゃん”に電話をかけた涼子は、半ば……ではなくほとんど泣きながら懇願するような形で美玲に部屋に来るよう訴えた。
そんな涼子の努力の甲斐あって、三〇分後には美玲が涼子の部屋へとやってきた。
あまり寝ていないのか、目の下にくっきりと隈ができている。
「美玲ちゃん、どしたのそれ?」
失礼とは思いながらも、朱音は美玲の目の下を指さしながら聞いてみた。
「えぇっと、ちょっとゲームに熱中しすぎましれ、気あ付いたら朝に。その後はずぅっと周知メールの件について考えてましたんで、実は全然寝てなかったりするんですよぉ。あ、でも眠気は大丈夫ですよ。四時から六時間も寝れば、夜間巡回なんてへっちゃられすから!」
と、答える美玲の様子は、やっぱり少し変だった。
一睡もしてないせいで、テンションがややハイになっているように感じる。
そういえば、弁当を買って涼子の部屋に来る途中、夜間巡回の当番表が、『緊急』と書かれた物に変わっていた。
その当番表によると、今日は美玲が出かけるようだ。ちなみに朱音は明日、涼子は明後日である。
まだ通常のシフトに入ってない朱音を入れる辺り、春休みは本当に人手が足りないらしい。
「美玲ちゃんは、今日は無理かぁ。じゃあ、今日はあたしと朱音さんで、明後日は美玲ちゃんと朱音さんと鳥羽先輩っと……。美玲ちゃん、朱音さんのこと、鳥羽先輩によろしく言っといてね」
「はい、それは別にかまいませんけど。あの、鳥羽先輩も来るんですか?」
「うん。さっき電話したら、時間に余裕がある分には問題ナッシングだってさ。まあ、いつもの事ながら陽毬さまに怒鳴られちゃったんだけど」
「あははぁ……。それはまあ、仕方ないですよ。陽毬さまですから」
と、涼子のそれが伝染したように、美玲も渋い顔で苦笑い。
美玲の方も、鳥羽先輩とやらのパートナーである陽毬さまについて知っているようだ。
ただし、涼子や朱音同様あまり良い印象は持ってなさそうであるが。
「それで、捜査方法は大量の式神による広域捜査ですか。やっぱり」
と、美玲はルーズリーフに書き殴られた文字を見ながら、そんな事を思った。
“位相空間結界のバカヤロー!!”の文章からもわかるように、捜索範囲の限定は恐らく不可能だろう。
しいて言えば、都市部より住宅地の方を重点的に捜索するくらいである。
そして人数は最大でも四人、最小だと二人。
どうしても一人の捜索範囲が広くなる。
そうなると、式神を大量に飛ばすのが最も効率的というか、それしかないというわけだ。
「さすが美玲ちゃん。あたしと朱音さんも、おんなじ意見だよ~」
「だって、それ以外ないでしょ。私はそんなに得意でもないんだけど……」
と、朱音はそこで少し気になった事を口にする。
「ところで、涼子さんと美玲ちゃんは、式神どれくらい出せるの?」
「あっかっねっすぅあ~ん、昨日あたしに言ってたじゃないですくぁ~。そういう技能は隠すものだぁ~って」
「そうですねぇ、私は十体前後ですかね」
えっへんと胸を張って言う涼子の言葉を華麗にスルーして、美玲は朱音の方を見ながらにっこりと答えた。
「ってぇ、無視っすかぁああああ!! 無視とかマジひどくないっすか、今あたしけっこう大事なこと言ったつもりだったんですけど! ぐあぁ、これが現代社会にはびこるイジメってやつか! そうなのか! そうなんだな! きっとそうに違いない!」
「私は不必要な情報開示がダメってだけで、必要ならちゃんと言うわよ」
「そうですよ、涼子先輩。それくらいはわかっていてくれないと困ります」
と、涼子の提訴は至極まっとうな二つの意見に、バッサリと切り裂かれた。
それはもう、かわいそうなくらいに。
それ以前に、三つも年下の子に正論を説かれる先輩というのはいかがなものだろうか。
「そういえば、美玲ちゃんもランクCだったよね? 早いなぁ、高校入学前でそれなんて。あたしっていったいなんなんだろって思いたくなる」
「へぇぇ、美玲ちゃんもランクCなんだ。すごいわね、ホントに。私もランクCになったのは去年なのに」
「ま、まぐれですよまぐれ。それはそうと、涼子先輩! 先輩は式神どれくらい同時に起動できるんですか?」
「う~んとね~」
結局答えるらしい。
だが、その口から出た数字は、朱音や美玲を驚かせるには十分な数値だった。
「追跡機能無しで直進だけする、攻撃用の一番しょぼいやつなら三桁くらいいくかもね。あ、分け身を使えば確実だよ」
つまり、一番簡単に扱える分なら、最低でも百は下らない、という事になる。
朱音や美玲の、実に十倍近いとんでもない量だ。
「まあ、自動索敵機能付きの勝手に探してくれるやつなら、三〇やそこらが限界だけどね」
と、にゃはは、とおどけて見せる涼子。
三分の一ほどに減ったとしても、やはりかなりのものだ。
「すごいわね、見直したわ」
「はい。私もです、朱音先輩」
「いやいや、単にあんたら二人の草壁流が近接戦にステ振りしすぎなだけだから。あんたらの肉体強化とか下手したら重機くらいあんのに。どんだけクロスレンジで無双やるつもりなんですかい。草壁ご両人」
と言う涼子に、いやいやそれを私達に言われても、とちょっぴり困った感じで返す朱音と美玲であった。
「まあ、捜索の要は涼子先輩になりそうですね。広域捜査の術式を有している術者って、私達みたいな戦闘系にはなかなかいませんですし」
「いっそのこと、夜間巡回に組み込まれてない人だけで担当地区決めて探させればいいのに」
「朱音さんの言うのも、もっともなんだけど。あれは特殊な部類に入る任務だからねぇ」
「特殊な部類って?」
と、朱音は涼子に聞き返す。
「えぇっとですね、普通はお仕事って連盟の方から連絡が入ったり、連盟の出向所に行って探したりするでしょ?」
「うん。私も去年までそうしてたし」
と、朱音は星怜大の入試関連でごたごたする前の事を思い出す。
携帯で専用サイトから探したり、個人経営の店で偽装した出向所で探したり、やりとりはあくまで個人間であった。
つまり、普通はあんな大勢の術者に対して行うものではないのである。
「もちろんそういうのもあるんだけど、例外もあるのよ。対外的には違うけど、星怜大って実際は色んな結社の人達がかなり集まってるでしょ。星怜学園って“結社”に所属してるわけじゃないから、教務課もあたし達の能力や装備は詳細まで知らないの」
「生徒達の能力を正確に把握していなかったせいで、無理な任務を任せてしまい生徒が無用な負傷を負うかもしれない。その事を考慮して、緊急性の高いかつ速度が求められる任務は、ああやって一斉に告知するんです」
「そりゃ、あたし達みたいな仕事をしてれば、多少の怪我なんて日常茶飯事だけど、それは自分で選んだんだから、怪我してもそれって自己責任でしょ? でも、指名された任務は自分でやるって決めたものじゃないから、責任は学校側になるわけなのですよ」
「実際、そのせいで創立当初は生徒が何人か死亡していたそうです。学校側に指名されるものだから断りづらいですし、断るとそれなりのペナルティーがあったって、聞いた事もあります。具体的には知りませんけど」
朱音は涼子と美玲の口から、かなりダークな内容の話を聞かされた。
涼子の言う通り、実際に戦闘行為に及ぶ術者達は常に危険と隣り合わせの存在である。
だが、それらはあくまでも自分が請け負った任務だ。
そのせいで怪我を負ったとしても、自業自得である。
しかし、押し付けられたような任務で同じ事は言えない。
そのせいで死んでしまったとしたら、それは自己責任とは言えない。
つまりは、そういう事なのだろう。
しかも美玲の話では、実際にそういう事もあったらしい。
特に戦時中は、魔術師は戦術兵器として戦線に投入されたとの話も聞いた事がある。
きっとそれらの類に巻き込まれ、命を落としたのだろう。
「まあ、色々込み合った事情があるんですよ。怪我すんのも死んじゃうのも、自己責任じゃないといけないってね。急ぎじゃないけど難易度の高い任務は、例外的に教務課から直接個人に連絡が行くんですが、それだって別に断ったりもできるし、そのせいでペナルティもかかりませんから」
「そのための判断力を養うためでもあるんです、大勢への告知は。最悪誰もいない時は、先生方が出向くらしいので」
星怜学園天原校での生活の先輩である涼子と美玲は、さらに補足説明を加える。
あくまでも、生徒の自主性・自己責任を最優先としているようだ。
まあ、命をかけているわけであるから、基本と言えば基本なのだが。
「やっぱ、こういう特殊なとこって大変なのね」
「大変ですぜぇ」
「大変です」
話が一段落した所で、涼子は鳥羽先輩宛にメールを書き始めた。
話し合いが終わった後は、涼子が持ってきた缶コーヒーとスナック菓子をつっつきながら、三人は涼子と同じ部屋の住人が予約していたと思われるバラエティー番組を見た。
芸人がジャングルや砂漠等の極地で、珍しい動物を見て回るという内容のものだ。
珍しい動物と言っても、朱音や涼子や美玲が普段目にしている妖怪の類の方が、よほど奇妙な姿をしているのだが。
涼子がテレビを見ている隣では、美玲は携帯ゲーム機で神様を倒そうなんていう大それた内容のゲームを始め、朱音は読みかけの少年コミックへと手をのばす。
涼子が爆笑したり、美玲が奇声を上げたり、朱音がそんな二人にうるさいと怒鳴ったり。
そんな事をしている内に時間は過ぎ、
「それでは、私はこれで。さすがに寝ないとキツいです」
「おやすみ~、美玲ちゃ~ん」
「お疲れ様。今夜の巡回頑張ってね」
美玲は自分の部屋へと帰って行った。寝るために。
そんなわけで、部屋には再び住人の一人である涼子と、お客様である朱音の二人だけになった。
バラエティー番組は終わったらしく、涼子は再び撮り貯めた多アニメを見ている。
なんとも暗いBGMが特徴的な、魔法使いの話らしい。
ふと目を向けると、血みどろになった女の子が目に入り、朱音は思わず小さな悲鳴を上げた。
「おりょ、朱音さ~ん。けっこう可愛い悲鳴出すんですね」
耳ざとい涼子は、しっかりとその悲鳴を拾い上げていたようだ。
にしし~と品のない笑いを両手で隠しながら、朱音にちらりと視線を送る。
「う、うるさいわね。ちょっとびっくりしただけよ。あんなの見たら、誰だってびっくりするわよ。ちょ、ちょっと画面見たら、いぃきなり全面真っ赤なんだもん」
「いや、でもこれなかなか面白いですよ。まあ、能力的にはあたしらの方が上ですけど」
そこで涼子は、てへっ、と舌を出してみせる。
そんな元も子もないような事を今更。
事実は小説よりも奇なりとは意味合い少し違うが、現実は架空の産物よりも複雑で過酷にできているのだ。
「ところで朱音さんや、まだ時間はありますが、これからどうしますか?」
「仮眠でもすればいいと思うけど」
「そんなもったいない。大学生なんて、一日三時間も寝れば生きていけますぜ!」
そんな事を言う涼子の目の下には、美玲ほどではないにしろうっすらと隈ができている。
きっと自分も似たようなもんだろうと朱音は思いながら、吐き捨てるような口調で涼子に言ってやった。
「涼子さん。隈、隠し切れてないから」
「うぇっウソマジっすかそれ!? 朱音さんがシャワー浴びてる間にバッチリメイクしたはずなのに!!」
とか言いながら、涼子はドタバタと浴室に駆け込むと、
「んぎゃぁあああ、ぬわぁんじゃごりゃああぁぁぁぁああああああ!!」
乙女と言うよりも、明らかに獣に近い雄叫びが上がった。
顔にそれだけ気を使えるのなら、服装にももう少し気を配って欲しいものだ。
いつ見ても、ほぼジャージしか着ていないのだから。
ドタドタ足音を立てて帰って来た涼子は、自分の机からメイク道具を一式取り出すと再び浴室へと駆け込んでいった。
それから約一分。
「え~、コホン。先ほどは大変お見苦しいものをお見せしてしまい、誠に申し訳ありませんでした」
と、涼子は正座に三つ指を付いて深々と頭を下げた。
服装を無視すれば、大和撫子といってもいいほど柔らかな物腰に恭しい仕草である。
ちなみに、朱音の反応はと言うと、
「…………あぁ、お帰り」
涼子の方を見向きもせず、積み上げた少年コミックに没頭していた。
「そんだけ!? そんだけなんですか!! 朱音さんが言うから、あたしゃあ頑張ってメイク整えてきたっていうのに!」
「なんでいちいち反応しなくちゃいけないのよ。私だって、かな~り眠いんだからね?」
「だって反応してくれなきゃ寂しいでしょ! ウサギは寂しいと死んじゃうんですよ朱音さん!」
「涼子さんの神経とウサギを一緒にしたら、ウサギに失礼でしょ。ただでさえ涼子さんは神経太いんだから、ちょっとやそっとじゃ死なないでしょ」
「朱音さん初対面二日目の人に対して、それはちょっとキツ過ぎやしませんかねぇ……?」
「ウサギの名誉のためよ」
割と本気でしょんぼりしている涼子に、とどめとばかりに朱音が冷たい一言を放つ。
それから、そんな殺生な、とか意味不明な発言を延々繰り返している涼子の横を通り過ぎ、
「それじゃ、十時頃正門前で待ってるから」
自室への帰還を果たした。
部屋に帰って仮眠を取っていた朱音は、携帯のアラームで目を覚ました。
最近飽きつつあるデフォルトの電子音を気にしながらも、朱音は画面の右上の端にある時計へと目をやる。
時刻は十八時半過ぎ。
どうやら、二時間以上寝ていたようだ。
涼子の部屋にいた時には重たかったまぶたも軽く、眠気もさっぱり消えている。
「ん~~~~、っはぁぁ……」
寝たままの状態で大きく腕を伸ばし、いっぱいの空気を吸い込んだ。
それからまだエンジンのかかってない頭で、夕食の事を考える。
冷蔵庫には大した物は入っていないし、今日も学内のコンビニで弁当を買うしかあるまい。
高等部の部活動や大学のサークル活動が十九時まで許されているので、コンビニも十九時半くらいまでの時間なら開いているのだ。
小さいながらもキッチンは付いているので自炊する者もけっこういるらしいのだが、術者の生徒は普通の学生より懐が温かい分コンビニ弁当で済ませる方が圧倒的に多い。
「さてっと、行こうか」
学食の最終オーダーは十八時まで。
食べている生徒はいるだろうが、時間的にはもう手遅れである。
コンビニの方も閉店ギリギリでは、もうおにぎり一個すら残っているかどうか怪しい。
朱音は夕食を確保すべく、手近なコンビニへ急いだ。
手近と言っても、コンビニまではけっこうな距離がある。
学生寮は一般の区画から隔離された場所に建てられているのだが、コンビニはむしろ一般の区画に建てられている。それは、生徒達の要望で建てられた施設なのだから、当たり前だろう。
術者生徒の都合などまったくもってお構いなしのため、学生寮から一番近いコンビニでも歩けば最低十五分はかかるのだ。
まあそんな事を愚痴っても仕方がないため、朱音は小走りでコンビニへと向かっていた。
もちろん一般人の目に付いても大丈夫なよう、太刀は竹刀袋に入れて背負っている。
カチャカチャとくぐもった音が漏れるが、音量もさして大きくないので大丈夫だろう。
しばらくすると、薄暗くなり始めた空間に電飾で彩られたコンビニの看板が目に入った。
決して多くはないが、一定量の人間が絶え間なく出入りしている。
「うっわ、ちょと遅かったかも」
朱音は、せめてカップ麺くらいは残っていますように、と願ながらコンビニのある校舎へと駆け込んだ。
コンビニとは言うものの、そこはそれ学内の中にぽんと店舗があるわけではない。
四回建ての校舎の一階を改装して、その中にコンビニが入っているのである。
その上は中規模な――五〇人前後収容可能な――講義室がいくつもあり、新学期が始まれば朱音も使うようになるかもしれない。
その一階はコンビニの他にも、『学生フロア』と呼ばれる生徒達の憩いの場が設けられており、今も多くの生徒が夕食をつっついたりレポートを仕上げたりしている。
コンセントからパソコンの電源を取っている者もいるが、あれは校則的に大丈夫だったのだろうか。
朱音はそんな学生フロアには目もくれず、まっすぐにコンビニの入り口へと向かった。
そして悪い予感は見事的中とまではいかなくとも、コンビニの棚は七割近くがすっからかんとなっていた。
即席麺やおにぎり、お弁当のコーナーはまだ余裕があるが、値引きされた弁当だけは一つも残っていない。
これならアラームの設定を三〇分早くしとけばよかったとか思いつつ、朱音は残った弁当のコーナーに向かおうとすると、
「おや、朱音さんじゃあございませんか」
後ろから涼子の声が聞こえてきた。
「なんだ、涼子さんも来てたん……」
それに応えて背後を振り返った時、朱音はその光景に絶句した。
「涼子さん、なにそれ?」
「値引きされたお弁当と、こじゃれたお菓子」
涼子で抱えるプラスチックの弁当箱が一、二、三つ、と生チョコにポッキーの箱が一つずつ。
「いっや~、みんな大好きカントリーマームは売り切れですって、残念でしたぜ」
「いや、いいの。私が忘れてただけだから。今日のお昼が普通過ぎて忘れてただけだから。涼子さんが大食らいなの」
「失礼ですね朱音さん。あたしゃあ大食らいなんかじゃありやせんよ。ただの食べるのが大好きな、きゃっわいいおんにゃの娘ですよ~」
あぁだめだこりゃ、みたいな感じで額を掌で押さえている朱音の脇を通って、涼子はレジへと向かう。
朱音は涼子の抱えた弁当を羨ましげに見つめながら、値引きされていない余り物の幕の内弁当を持ってレジに並んだ。
朱音が会計を済ませてコンビニを出ると、涼子は学生フロアに設置されている電子レンジで、せっせと弁当を温めていた。
三つもあるのだから、それなりに時間もかかるだろう。
弁当一つにつき一分と計算して約三分。時間的に、現在は恐らく三つ目の弁当を温めている。
「まだ温めてんの?」
「あぁ、朱音さん。えぇまあ。三つもありますからねぇ、時間もかかりますよ」
涼子は早くも先ほど買った生チョコを食べながら、朱音の方を振り向いた。
朱音は涼子の隣に並ぶと買いたての幕の内弁当を、これまた隣の電子レンジに入れて温める。
「一応聞くけど、それ全部食べるの?」
と、朱音は二つ並んだ弁当を指さしながら言った。
鳥そぼろ弁当とカツ丼弁当。どちらもボリューム満点で、どう見ても運動部の男の子のようなチョイスである。
「もちのろんなのですよ。今晩も長丁場のお仕事なんですから、きっちり食べとかないと。ほら、いざって時に力が出せないと困るでしょ」
「涼子さんの場合、食べ過ぎでお腹壊しそうって意味なんだけど」
「大丈夫ですよ。あたし、お腹の方もけっこう丈夫ですから」
そんな二人がそんなやり取りをしている内に、レンジはチンッと軽やかな音で温め終了の合図を告げた。
朱音と涼子はそれぞれ弁当を取り出すと、適当に空いた席へと着く。
学生フロアには八人掛けのテーブルが十個と、壁際にずらりと固定式のイスが設置されている。
朱音と涼子は、辛うじて空いていたテーブルに夕食を並べた。
涼子は両手を合わせて、いただきます、と言うと弁当箱の容器を全て開いてまず鳥そぼろ弁当から手を付ける。
ちなみに、残りの一つは豚の生姜焼き弁当であった。
「ふぉへぇへははへはふ」
「先に口の中のもの飲み込んでからしゃべったら?」
涼子はうんと頷くと口をもぐもぐと激しく動かして、中の物を飲み込む。
まったく、こういう所だけ見ているとまるで幼稚園児でも見ているかのようだ。
「んぐっぷはぁ。集合は十時頃の正門前でしたよね?」
「うん。巡回とほぼ同じ時間でいいと思うんだけど。何か不都合でもあるの?」
「いえいえ、単なる確認ですよ。今夜のアニメ予約しないといけないですしねぇ」
「ほんと好きなのね」
「はい! 命かけてますから!」
朱音はそんなんに命なんてかけなくていいからとかぼやきつつ、小さなハンバーグを口の中に放り込むのだった。
夕食を終えシャワーを浴びた朱音は、とりあえず薄桃色のプリントティーシャツと黒いキュロットパンツという格好で、ほどいた髪を三つ編みに直していた。
そのかたわら、報道番組の映っているテレビに目をやる。
どうやら最近、日本各地で突然気分が悪くなって病院に運び込まれる人間が増えている、とか言う内容であった。
これも、天原校の襲われている術者の生徒と関係あるのかな、とか考えながら朱音は画面の左端へと視線を移す。
映る時刻は二一時過ぎ。集合予定まで一時間を切った所だ。
先ほどまでしていた天気予報では、今夜の天気は雲一つない快晴らしい。
高層ビルや鉄道のある都市部はいいのだが、大学周辺の住宅地は明かりが少ないので月明かりは夜道を歩くのにけっこう重要である。
「えぇっとぉ……、護符のストックはどこだったっけぇ……っと」
髪を編み終えた朱音は、術式に用いる護符を探して机の引き出しの中をあさり始めた。
整理整頓が苦手なせいもあって、中はかなりぐちゃぐちゃである。
砥石やら、儀式用の短刀やら、涼子に勧められた清めの塩やら、文房具や入学案内のプリントに混じって普通の学生が持っていないようなグッズがてんこ盛りだ。
発掘気分で探していると、入学案内の茶封筒の中にごっそりと入った護符を発見した。
確か、後で整理しようと思ってとりあえずこれに入れたんだっけ、と朱音は入寮日の事を思い返す。
こういう細かい所が雑なのは以前から直さないといけないと思っているのだが、なかなか直らないものである。
朱音は茶封筒から二、三〇枚護符を抜き取ると、テーブルの上にある護符と一緒にキュロットパンツのポケットへと突っ込んだ。
今夜は多数の式神を行使するので護符の消費も激しいであろうから、多いに越した事はない。
それからベルトを通すバンドの部分には、五つの御守りをぐるぐる巻きに巻き付けた。
あとは竹刀袋に入った太刀を背負えば準備完了である。
朱音は出発の時間に携帯のアラームをセットすると、精神を集中すべく瞑想を始めた。
天原グランドホテルをチェックアウトした青年は、車の駆動音が絶え間なく響きく歩道をゆっくりと歩いていた。
青年は一歩一歩まるで何かを確認するように、レンガ調のタイルで敷き詰められた歩道を踏みしめる。
真夜中だというのに、周囲は目に痛いほどにまぶしい。
高層ビルの窓から漏れる蛍光灯。
極彩色を放つネオンの看板。
頭上に輝く真っ白なライト。
それは月光が霞むほどに強く、星明かりをかき消すほどに輝いている。
そんな人工の光に照らされる青年の影は、不自然に揺らめいていた。
『コヨイハウタゲデアッタナ? モウカゲンヲセズトモヨイノデアロウ?』
「あぁ、だからもう少しだけじっとしていろ。今日は好きなだけ暴れさせてやる」
天原の街に、黒い影がゆっくりと忍び寄っていた。




