《32》鬱病のまま新学期
むくの鬱病については良い病院が見つからず、治療が出来ないまま、中学の始業式の日が近づいた。
それにつれ、むくは様々な不安が増大したようで、症状も悪化して見えた。まあ、無理はないかもしれない。1月下旬からだと、約2ヶ月半ぶりに教室へ行くのだから。
「クラス替えどうなるのかな?」
と心配そうなむく。
「気になるよね。でも学年主任の先生が、できる限り配慮してくれるっ、て言ってたから、仲の良かった人は誰か一緒になるんじゃない?」
「でもあの人が一緒じゃなきゃ意味ないよ」
それはむくの一番の仲良しの友人の事だ。
始業式の当日はむくの新しいクラスがどうなるのかとても心配で、一緒にかもめも登校し、ひとまず保険室へ向かった。
そして保健室の先生方や学年主任の先生に挨拶して、そこで始業式が始まるまで待っていた。
「始業式にはやっぱり出た方がいいんですか?」
不安な様子でむくが聞くと
「そうですよ。一番後ろでもいいから並んで式に参加すれば、その後教室へも行きやすいわよ」
と学年主任の先生。
それで覚悟を決めたむくは、恐る恐るクラスの列の最後尾に並び、何とか無事に始業式に参列した。式の後は担任の先生に誘導されて新しいクラス、教室へ行けたので、本当にかもめはほっとした。
(何だか少しだけ肩の荷が降りたみたい)
新しいクラスにはむくの想像したとおり、1年生の時の親友はいなかった。また仲良しグループのメンバーもいなかったが、以前のクラスの中でも性格の良さそうな7、8人が一緒のクラスになっていた。
その友人達は先生から頼まれていたからか、度々むくに話しかけたり、お弁当に誘ってくれたようだ。だが、1年の時に自分が起こした〈携帯電話事件〉に拘ってか、むくは親しくなろうとはしなかった。
2年生になってからのむくはとにかく頑なで、精神的にも不安定だったので、朝一人で登校するのを嫌がった。
再度学校へ行かなくなったら困るので、約1ヶ月間むくと一緒に登校して学校まで見送る日々が続いた。
何とか登校はしていても、むくは更に覇気が無くなり、休み時間は席から離れようとせず、何かに取り付かれたように勉強ばかりしていて、友人は一人もいなかった。だからお弁当を誰かと食べる訳もなく、クラスの中で人と全く関わらない孤立無縁の生活を送っていた。
恐らくこの頃は鬱病が更に悪化していたのだろう。
5月にはむくの学校では学年行事として、宿泊学習というのがあった。
その事前学習として、クラス内を幾つかのグループに分けて、グループごとに自分達でテーマを設定し、それについて討議、発表を行うのが恒例になっていた。
そのグループ討議の時に、ちょっとした出来事があった。
「意見を発表して下さい」
とグループのリーダーがむくに言った。
「特にありません」
とむく。
「ちゃんと真面目に考えて下さい。」
「考えても解りません」
発表など特に苦手なむくは言った。
「みんな意見を出しているんだから、ちゃんと意見を出せよ!」
リーダーはまるでむくが非協力的だ、といわんばかりに怒鳴ったらしい。 とりあえずその場は担任の先生が収めてくれたが、双方の違和感は避けられなかった。
「あいつは私の事が嫌いだから、わざとみんなの前でバカにして言ったんだよ」
家に帰ってからむくは怒りをぶちまけた。
今思えば恐らくその時のむくは、ちょっとでも人に何か言われようものなら、破裂しそうな精神状態だったので、学校へ通えていただけでも、奇跡的だったのかもしれない。その事が原因で、むくは更に学校へ行くのが怖くなってしまったようだった。
そしてその数日後の宿泊学習前日、保護者会があった。
宿泊学習についての話し等の後、個人的に担任の先生と、グループ討議での出来事や、宿泊学習について話し「クラスの人達との関係では更に気を配ります」と言って下さった。しかし、それでも何だか嫌な予感はしていた。
またその日、同じクラスの保護者の一人が、学校でのむくの様子を心配した子供がお母さんに話し、「お嬢さんは大丈夫ですか?」と心配されたりもした。その話しを聞いて、他の人からもそんなに心配されるようになったのか、とますます、早く何とかしなければとかもめは思った。
翌日の宿泊学習はむくも参加すると言っていたので、旅行に必要な準備は整えてあり、あとは宿参加するばかりになっていた。
これに参加出来るか否かが、2年生としての一つの山場だとかもめは考えていた。これさえ乗りきれば、と。
そして宿泊学習の当日を迎えたのだが…