《25》社会復帰は大変だ~!
お正月はあっという間に過ぎて、からすが会社へ復帰する日が近づいた。脳梗塞を発症して休職し始めてから、約2ヶ月半ぶりの出社である。
「また会社へ行けるようになるのは嬉しいけど、今までみたいにちゃんと働けるのかな?」
出社の日が近づくにつれ、からすは不安と緊張が高まり、そればかり心配するようになった。まあ、それは仕方のない事かもしれない。
からすは脳梗塞で重度の嚥下障害に陥ったし、入院後、約1ヶ月は殆ど食べ物を食べられず、点滴に頼る生活をしていた。
当然体重は激減して体力は低下、左半身の麻痺による筋肉の衰えが著しかったのだから。
「飲み込みづらいだけじゃなくて、身体の左側は重石を乗せられたみいに重くて、自分の身体じゃないみたいなんだよ」
からすは嘆いた。
「社会復帰するのはきっと大変だよ!こんな身体になっても、後遺症がないふりして働かなければいけないんだから」
「辞めたらもうちゃんとした仕事には着けそうにないから、とにかく頑張るしかないよね」
とからすは自分に言い聞かせていた。
弱音を吐きながらも前向きな性格なので、何とか頑張ってみよう、いや、頑張るしかないと思っていたようだ。
「世の中には同じ病気になっても、後遺症があまり残らない人や、後遺症で会社を辞めざるをえなくなった人も沢山いるよ。
また同じ会社で働けるんだから幸せかもよ」
「復帰できない可能性があっても、ここまで頑張ってきたんだから、駄目でもともと、もし上手く復帰出来たらラッキー?!それぐらい気楽に考えたほうがいいんじゃない?」
とむしろ開き直りの精神でからすを励ます、かもめだった。
年明けからのからすの出社は、毎日が緊張いがいの何者でもなかった。
出社の格好は、頭には100円ショップで買った、スーツには不似合いな毛糸の帽子を被るという、サラリーマンらしからぬ出で立ちだった。
「毛糸の帽子、可笑しい?」
からすが聞いた。
「可笑しいよ、そんなの被ってるサラリーマンはいないよ。でも頭が心配なら仕方がないね」
とかもめ。
その帽子は真冬の冷たい外気から頭を守る為にと、退院後すぐに購入して、ずっと愛用していた毛糸のものだった。
スーツに帽子姿は通勤途中の人目を引き、会社では変な人という噂が立ったが、からすはあまり気にしていない様子だった。
からすが出社するにあたって、かもめが一番悩んだのはからすの昼食についてで、これは様々なと工夫が必要だった。
水分補給をどうするか?これは脳梗塞患者にとっては重要で、脱水症状になると脳梗塞を再発する危険があったからだ。しかし普通の水は、依然として飲めるようになっていなかったので、ゼリー状にした水をチューブに入れたものや、ポカリスェットの粉末を持参して水で溶いたあと、専用のとろみのもとでとろみを付けたりして飲んでいた。
ジュース類は果汁をゼリー状にして、飲めるようにしたものを利用した。
それから外食や市販のお弁当を食べるのも難しかったので、毎日かもめが準備したお弁当を、からすが持参した。お弁当といっても、ご飯はレトルトのおかゆを持参し、普通のごはんの時は会社でお湯をかけ、どちらもとろみをつけて食べた。
またおかずは柔らかく煮た野菜の煮物や、レトルトの中華丼の具など普通とはちょっと違うお昼だった。
それからからすは病気する以前の2倍位、食事に時間を要するようになったので、昼休みが短いのは悩みの種だったようだ。そんな具合だったから到底、同僚とのランチや飲み会への参加は難しく、他の人とのコュニケーションも取り辛くなっていった。
「いつか普通に食べられるようになるのかな?それに人付き合いが今みたいに出来ないんじゃ、ずっと勤められるかは解らないね」 からすは嘆いた。
一生懸命頑張ってはいたが、からすは愚痴が増えたので、申し訳ないと思いながらもうんざりして、
時々かもめも文句を言ってしまった。
食事以外にもからすには様々な苦労があった。左半身の顔から足までの麻痺や痺れ、耳鳴り、温感麻痺、味覚障害、唾液が出ない、内蔵障害、また顔面麻痺による言語障害、失語症、そして記憶障害等、様々な障害を抱えていたからである。
見た目は普通でも、仕事に行き始めてからは、記憶と言語の障害等は隠しようがなく、特に困っていたようだ。
「人から言われた事をすぐ忘れちゃうし、人と話している時に電話なんか掛かってきたら、訳わかんなくなて、どっちの話しも聞き取れないし、前に言われた事も忘れちゃうんだよ」
「おまけに時々頭がぼーっとして、言いたい事がすぐに出て来ないし、ろれつが回らないから言葉も上手く喋れない。これから少しずつでも回復するのかな?」
確かにからすの言うように、ちゃんと発音できない言葉が結構あり、軽い失語症で会話もあまりできなくなっていた。
しかしそれでもからすは自分の状態の悪さや、他人の冷たい視線にも負けず、1日も休まずに会社へ通い続けたのである。からすにとっては、毎日自分との闘いだった。
ただそんな中、一つだけラッキーだったことがある。賃貸マンションからは会社への距離が近かったし、いつも電車で座って通勤できたので、そのことは社会復帰にとってはは多いにプラスに働いたようだ。
「ここに住んでいなければ、会社へは復帰できなかったかもね」
かもめは言った。
本宅から会社まではかなり遠かったし、電車の混雑が激しかったので、もしそこからの通勤だったら、恐らく社会復帰は難しかったかだろう。かもめにとっては狭い地獄マンションだったが、からすには役立ったのだから、運命とは皮肉なものだ。