《24》賃貸地獄生活とクリスマス
改めて3人で賃貸での生活を始めてみると、それは想像以上に狭く、息苦しかった。ただでさえ狭いのに、試験休みに入っていたむくが殆ど家にいたので、更に狭さに輪を掛けていた。
一軒家に住んでいた時むくは「広すぎてめんどくさい、狭いほうがいい」と言っていたのに、いざ狭くなってみると「狭いから、近寄るな」と勝手な事を言い、そのうえ自分のプライバシーを確保する為に、隣室との境の襖を締めきってしまい、誰も入れないようにしていたのでさいあく。
結局使えるのが六畳一間だけしかなく、3人で暮らすのはかなり困難で苦痛なことだった。毎日、狭さに悲鳴をあえぎながら生活した。
退院してからのからすの生活は、午前7時頃に起床してまずは朝食を取り、その後は近くにある整体へリハビリへ通った。この整体は保険が使えたので1回800円だった。
「整体に行くと体がほぐれるし、あったかくなっていいよ」
からすがいった。萎縮して固くなった筋肉を柔らかくするには、整体は良かったようだ。。
整体が終わるとからすはいつも昼過ぎに戻って、昼食を食べた。
退院してもからすは相変わらず、普通に炊いたご飯は飲み込みにくかったし、市販のお惣菜は固いのも多かっ たので、炊いたおかゆと煮込んだ鍋物やシチューなどを家で準備した。
「家で食べるご飯はおいしいね、病院のご飯は味が薄いから美味しくなかったんだ」
と、いつも感激しながら食べてくれた。
食事の準備はそれなりに大変だったが、美味しいと言って貰えるとまた作ろうという気にもなった。
昼食が終わった後は、からすが一休みしている間に買い物へ出かけ、時には一人でお茶をする事もあった。息抜きする時間が必要だったのである。
一方休みに入ってからのむくといえば、以前にも増して朝起きなくなり、ほぼ毎日、昼過ぎまで寝ていた。
病人のからすと、ちょっと変わったむくとの生活は、かもめにとってかなりストレスを感じるものだった。
思い返してみるとむくは、小さい頃からよく寝る子供だった。小学校の低学年の頃は夏休みに数回、学校のプールへいったが、それ以外の日は昼すぎまで寝ていて、友達と遊ぶことは殆どなかった。
ラジオ体操などは、六年間で一度も参加したことがなかったので、これにはかもめもかなり呆れた。
また、夏休み以外の長い休みも殆ど同じ状態で、友達と遊ぶことは極まれだった。それは中学に入学しても、変わらなかったのである。
からすが退院してから約1週間後には、クリスマスを迎えた。この頃かもめは、狭い生活による心理的ストレスが限界に達していたので、何とかそれから逃れようと、一生懸命、クリスマスの計画を考えた。
そしてからすの為に脳梗塞や高血圧に効くという岩盤浴をインターネットで見つけ、それをクリスマスにプレゼントした。
この岩盤浴は池袋にあったので、近くに宿泊し退院祝いを兼ねて3人でクリスマスディナーを食べた。ディナーはからすでも食べられるようにと、野菜が中心のヘルシーバイキグ、『柿安三尺三寸』にした。
このレストランではクリスマスには特別メニューとして、各テーブルにはローストチキンまるごとが一つと、海老のグリル、人数分が特別提供された。
「すっごい豪華だねー!美味しそう。でも食べきれるかな?」
かもめは嬉しい悲鳴をあげた。
「ほんと、豪華だねー!」
と、むくも感激したようだった。
正直いってかもめは、からすがチキンまで食べられるかはわからなかった。しかし、辛く長い入院生活を送ったので、せめて雰囲気と多少でも美味しい物を味わってもらえればよい、と考えていた。
からすはいざ食べ始めてみると、かもめの心配をよそに食べ物を山盛り取ってきて、信じられないぐらい食べた。
「美味しいねー!食べ物が沢山並んでるから夢みたいだよ」
からすは本当に美味しかったらしく、大満足だったが、途中何度も喉に仕えてむせたので、かもめはその都度冷や冷やさせられた。
その日は暫くぶりでホテルにも宿泊できて、かもめにとって夢のような1日だった。また、それまでの数ヶ月間の肩の荷を下ろせたような気がした。
からすにとってもこのクリスマスの事は今も良い思い出となっているようだ。
クリスマスが終わるとお正月。前年まではほぼ毎年、海外へ旅行してお正月を過ごしていた。しかしからすが退院したばかりなので、まさか海外へ出かけるわけにもいかない。それならせめて自宅へ戻って(賃貸ではない本宅)過ごしたい、とかもめは考えた。
しかし、からすは普通の生活にも慣れていないし、リハビリへも行かなければいけない、また一軒家はマンションより寒いなど、様々な事を考えると自宅へ戻るのは無理なきがした。
それで元旦だけでもお正月気分を味わいたいと3人で、賃貸よりは広い都心のホテルに宿泊して過ごしたのである。