《23》からすの退院
からすの記念すべき退院日は、年末の迫った12月18日に決定した。
会社への復帰も一応決まっていたので、最後の週は安心して、リハビリに取り組めた。
退院する前に病院生活最後の記念に、病院でささやかな退院祝いをする為に、むくとからすの病院へ向かった。
「なんか、からすが退院するのが信じられないね」
二人ともそう言った。
病室へ行くとからすは留守。少し待っていると携帯の呼び出し音が鳴ったので、出るとからすだった。
「病室で待ってるんだけど、どこにいるの?」
「病院の玄関口ビーで待ってたんだよ」
「へーっ!そうなの、珍しいじゃない?」
入院する以前のからすだったら、多分、わざわざ出迎えるような事はしなかっただろう。
(長期の入院で人恋しくなったか、或いは家族の有り難さが解ったのかも?人間は変わるものだな~)
と、その時かもめは思った。
その日はからすと3人で初めて病院内の喫茶室に入り、からすは大好きなアイスクリームを注文した。約2ヶ月ぶりのアイスに感激したからすは、ゆっくりと味わって食べていた。
からすが普通に食べている姿を見ても、あまり実感は沸かなかった。
「アイス美味しい?」
「とっても美味しいよ。2ヶ月ぶりぐらいだね」
この時からすは、言葉では言い表せないぐらいの幸せを感じていたかもしれない。
それから退院の2、3日前、からすの嚥下障害のリハビリ担当の言語療法士の先生に、からすと一緒に呼ばれた。それは退院後の食事についての指導を受ける為だった。
からすは退院時には、脳梗塞の発症当時と比べて、食べ方がかなり進歩していたが、正常な人達と比べるとまだ、半分ぐらいのレベルだった。
もしその後更に上手く食べられるようになったとしても、麻痺で喉が狭くなっている事に変わりはない。だから食べると窒息などの危険な物もあり、それらについても先生から指示されたのである。
◎ごはんは柔らかく煮てお粥にしたり、とろみを付ける
◎水分もとろみを付けたり、ゼリー状のものにする
◎わかめ、昆布、のりは気管にはりついたり、ピーナッツ、蒟蒻、骨のある魚、、いか、たこ、
◎おもち等は喉に詰まり窒息しやすいので食べてはいけない。
などの注意を受けた。
また、嚥下障害の患者用に加工した、レトルト食品などのパンフレットもいただいた。
「頑張ってリハビリをしたので、かなり食べられるようになりましたね。同じようにリハビリしても殆ど食べられるようにならない方もいるのでよかったですね」
「退院して半年から1年ぐらいの間は、今よりも更に回復する可能性がありますから、焦らず、気長に頑張って下さいね」
「とにかく食事の時は、ゆっくり慎重に食べて下さい。会社では時間があまり無いかもしれませんが、出来るだけ注意して下さいね」
からすがまた出社し始めても、まだ普通の人と同じような食事は無理なので、昼食をどういうふうにするか考える事は、退院後の課題の一つとなった。
それからは順調に進んで、無事に退院の日を迎えた。 この日の事は今でもよく覚えている。わりと暖かな冬晴れの日だった。
からすはこの記念すべき日を、自分が〈生き返った日〉と名付けた。
当日は午前10時に退院と決まっていたので、時間より早めに病院へ行くと、からすは荷物を纏めていた。
必要な物を身近に揃えておかないと気になる性格からか、約1ヶ月入院しただけなのに荷物がやけに多く、大きなダンボール2箱分もあった。
「なんだか荷物が多すぎるんじゃない?いつの間にこんなに増えたの?」
電車で帰宅しなければいけないので仕方なく、それらの煮物を病院から自宅へ宅配の手配をし、その後は入院費の支払いだった。
リハビリ病院では個室を利用しなかったので、入院代は40万円弱だった。もし個室を利用していれば、室料にもよるが20~30万円ぐらいは更に掛かっただろう。
「この病院は分割払いにできるから、そのほうがいいよ」
からすがそう言った。
前回の病院では支払いが、キャッシュかクレジットカードのみだったのでカードを利用したが、リハビリ病院では分割して、振込む払い方にしてもらった。そうすれば健康保険組合から医療費が支払われるのと、同時期ぐらいに第一回目の支払いになるので、わざわざ証券貯蓄等を解約しなくても、銀行口座にあるお金だけで、当面間に合いそうだったからだ。
家族が病院に入院すると、やはりお金が掛かるものだなー、と改めてかもめは認識した。
全ての手続きが滞りなく終わった後、担当医や看護婦さんに挨拶し、病院で呼んでくれたタクシーに乗って、約1ヶ月間過ごした病院を後にした。
「本当に退院したんだね。なんかまだ信じられないよ」
とかもめ。
「長かったよね」
とからすがいった。
やっとからすが退院できた事はとても嬉しかったが、(これからあの狭い2DKで、3人で生活をしなければいけないのかー?!)
その現実を考えると、かもめは地獄行きの気分に襲われた。
しかし、とにかく今はひたすら我慢、我慢。何とか耐えてからすを社会復帰させなければいけないので考えないようにしようと思った。
電車に乗ってからのからすは、退院して自由になったせいか、やけにハイテンションになっていた。
「入院中から気になっていた投資信託(中国株式ファンド)の価格が上がり始めていて、どんどん上がるから、今日どうしても購入したい」
とからすがいった。
「何も退院した日に買いに行かなくてもいいんじゃない?」
しかし、思い込んだら100年目、という性格のからす。 結局止めるのも聞かず、駅に着くや否や一人で証券会社へ飛んでいった。
(この人いったいどういう人?本当に変人だよ)
と呆れ、開いた口が塞がらないかもめであった。