《19》からすの劇的な回復
リハビリ病院へ入院中、からすは一生懸命にリハビリを頑張った。
転院したばかりの頃は、離乳食のようなペースト状の食べ物でもろくに飲み込めなかったのに、一週間も経つとすぐに変化が見え始めた。
からすの努力もあり、また専門家の指導のおかげもあってかペースト状なら簡単に飲み込めるようになったのである。それ以前の、一ヶ月ぐらい前からの嚥下障害の状態からは、考えられないような進歩だった。
そして二週間が経過した頃には、ペースト状どころか、細かく刻んだおかず等の刻み食や、とろみを付けたお粥までも食べられるようになっていた。
二度と食べる姿を見る日は来ないかも?とかもめは内心では思ったりしていたので、その姿を見た時には信じられないような気持ちと、感激が入り交じった不思議な気分だった。しかし嚥下が正常の人達とのハードルはまだまだ高く、その域に達するのはかなり先の事のように思えた。
それでも確実にからすの食べ方は進歩していたようだ。
「これぐらい食べられるようになってくれば様子をみて、今週の土曜日には自宅に帰って、1泊してくる事も可能かもしれませんよ」
と三週目の頭に、主治医の先生がからすに言った。
「もしかして調子が良ければ、今週の土曜日には家に帰って、一泊する事が出来るかもだって」、とからすから嬉しそうな電話があった。
「へぇ~!そうなんだ~!良かったね。想像していたより回復が早いみたいだね」
とかもめも喜んだ。
しかし、この狭い2DKのマンション、むくと二人でも限界のこのスペースにからすが泊まりにくるのーーー???
その現実の生活が脳裏に浮かんできたら、喜んだのも束の間、地獄へつき落とされたような複数な気持ちになって、手放しでは喜べなくなった。
またからすが入院していた1ヶ月以上の間、この狭いマンションにむくと2人で生活していたので、既にお互いの生活スペースが確立しつつあった事も大きな原因だった。
からすが、社会復帰に向けて頑張って、少しでもその兆しが見えかけてきたのは嬉しい事だったが、もしからすが退院したら、再び狭いスペースで、3人での生活をスタートさせなければいけないという現実は、恐怖にも近かった。
週末にはからすがお泊まりに来る予定になっていたが、その2日ぐらい前にからすから電話があった。
「昨日の夜から軽い肺炎になって熱が出たから、下がらないと土曜日のお泊まりは駄目だって」
と悲しそうな様子だった。
恐らくからすはまた、我慢できずに細かい粉の出る米菓子でも食べてしまい、その粉が知らないうちに肺に入ってしまって、誤嚥性肺炎に掛かってしまったのだろう。
からすの熱はそんなに高くはなかったが、からすのように体力が低下していたり、高齢の方の場合は、軽い肺炎でも命とりになる事もあるので要注意なのである。
それから数日間は結局熱が下がらなかったので、主治医の先生からは許可が下りず、からすの楽しみにしていたお泊まりは、残念ながら見送りになってしまった。しかし、外泊が出来るかもしれないというぐらいに回復してきたのだから、退院、そして社会復帰も近いかもしれないとからすは思っていたようだ。