《9》痩せがらす
からすが脳梗塞を発症してから約2週間が経過した。
脳梗塞を発症してから回復へ向けての時期は急性期、回復期、充実期の3段階に分けられていて、各段階によって回復の目安があり、リハビリもその段階に合わせて行なっていくのである。
からすはその頃、回復期に差し掛かっていた。
近年は脳梗塞を発症した場合、医学や薬剤の進歩により発症から3時間以内の早期に血栓溶解剤薬を投与できて治療が上手くいった場合には、後遺症が軽度若しくは殆ど残らないと言われている。仮に脳梗塞発症時に麻痺や失語症等の症状が現れていた場合でも、早期治療により症状が緩和されるという事だ。
からすの場合は脳梗塞を発症した時にたまたま本宅に戻っていて一人きりだったので、からす自身がパニックを起こし、自分でも訳がわからなくなってしまっていたのだ。
また救急車を呼ばずに自分で病院へ行ったのと、若かったせいもあって脳梗塞の疑いをもたれず、病名の診断がつかないまま約3日間放置状態にっなっていたので、早期治療を受けるどころではなかったのである。
また仮に早期治療ができていない場合でも、ある程度は症状が改善されるらしいのだが、からからすの場合には麻痺等の症状は殆ど改善されず、嚥下障害は依然残ったままだった。
もしかしたら始めにからすが自分の身体が可笑しいと気付いた時に、既にかなりの時間が経過してしまっていたのかもしれない。
元来からすは健康で血圧が高い、動脈硬化、高脂血症といった脳梗塞のリスクとなる下地が無かっので、病院へ入院してからの治療は特に施されず、点滴のみ唯一行われていて、後は食べられないながらも、とにかく飲み込む訓練をするだけだった。
脳梗塞は原因により幾つかの種類に分類されるのだが、からすの脳梗塞は「動脈乖離」による脳梗塞だった。
これは動脈内部の膜が突然剥がれてしまい、剥がれた膜が脳の血管を塞いでしまうというものだ。 何故剥がれたのか原因は不明だったが、以前から行なっていたゴルフ等の同じ動作の繰り返しで、膜の一部が弱くなっていたりする場合、その他スポーツ中に突然膜が剥がれるれ脳梗塞になる場合もあると先生はおっしゃっていた。
特別な治療を施されなかったからすだったが、自力で飲み込む練習をしているだけでは、やはり嚥下障害は改善しそうになかった。
相変わらず、水も飲めず、ペースト状の食べ物とベビーフードの食事と(といってもこれは殆ど飲み込んでいない)、1日2回の点摘が命の源だった。
「このままにしていても食べられるようにないんじゃない?」 やはり約2週間、食べ物らしい食べ物を殆ど食べられていたかったので、もともと痩せ型で53キロ位しかなかったからすの体重が、4、5キロ減り痩せがらすとなった。筋肉もそれなりには付いていた足も、可哀相に細い鶏の足のようになってしまったのだ。
本当にからすは可哀相なぐらい痩せてしまった。 この頃一緒にお見舞いに行ったむくも
「随分痩せたね」
と痩せがらすぶりを心配していた。
「この病院、全然リハビリしていないけど大丈夫?リハビリを早く始めないと後遺症が残るんじゃないの?」
「このままだと、きっと食べられるようにならないよ!」
「そうかな?」からすも多少は心配になっている様子だった。
「喉の奥を見て」
ある日からすが言ったので恐る恐る覗いてみると、喉の奥がキュウッと、上下がくっつかんばかりにひん曲がり、殆ど閉まったような状態に変形しているのが解った。
外見から見ただけでは解らない、喉の奥の筋肉が麻痺と共に萎縮してしまったのだ。しかしそれは見えないから気が付いていなかった。またその時に、口の中の萎縮で歯の上下の噛み合わせもずれてしまったようで噛み合わず、ちゃんと口を閉じても斜めに隙間が出来て空いていた。
「特に左側に向かっては上下がくっつくようにひん曲がって、喉の奥が塞がっているみたい。喉の奥は殆ど見え無くなってるよ」
「何とかする方法がないか、とにかくパソコンで調べてみるよ」
かもめはそれまでもからすの嚥下障害の状態に多少の危機は感じでいたが、からすの喉を見て更なる危機感を持ち始めた。
(このままではからすの命が危ない!)
人間の生きる原動力はまず食べる事、これが出来ないという事は社会復帰はおろか、生きていく事さえままならないという事ではないか、と生命の危機さえ感じた。
それまで大した事は無い、と思っていたからすの症状や後遺症が、実は後遺症としては重症な部類だったのでは?とその時に初めて疑いを持ち、また実感したのである。
(からすを何とかしてあげたい!)
そう思って、からすの脳梗塞についてもっと良く知りたいと思った。そして、少しでも良い方向へ向かうように、インターネットで脳梗塞の様々な情報を集めようと考え、実行し始めた。
ただその時困った事に本宅からパソコンを持ってきていなかったので、別宅近くにあるインターネット・カフェ、そこがかもめが脳梗塞や嚥下障害に関する事を勉強する場所となった。