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退屈

 ベランダで煙草の煙が燻る。吸って、吐き出して目の前が白くなる。風も吹かない夜だ。しばらく揺蕩って、視界がぼやける。

 1LDKのこの物件は、駅からも遠く、外観も古めだ。何だか暗くて辛気臭く見える。中はリノベーションされたのか若干綺麗だが、周辺に商業施設も何もないため人気がないらしい。ペット可だの、DIY可だの、間口を広く取って入居者を募集しているのに空室もちらほら見える。だからなのか、ベランダで喫煙しようが何も言われない。同じように喫煙している他の住民もいるし。そんなルール無用なところが気に入っている。まあ、深夜に上階の人間がよく分からない国の言語で大声で喧嘩し始めて、硝子の欠片が上から降ってきた時は勘弁してくれと思ったけれど。


 室外機の上に置いてある灰皿に灰を落とすと、背後の窓が開く。視線をそちらへ向けると、少し眉をひそめて不機嫌そうな彼女が私を見る。


「……ねえ、それ……」

「ごめん、最後の一本もらっちゃった」


 そう言うと、目を細めて私を睨みつける。顔を傾けてニコリと笑うと、不機嫌そうに溜息を吐いて窓を閉めて室内へ戻ろうとしたので、声をかける。


「吸いたかった?」

「買いに行ってくる」

「いいですよ。残りあげる」


 はい、と言って吸いかけを差し出すと、彼女は眉間に眉を寄せて不機嫌な顔のままサンダルを履く。そして私の隣へ並び、煙草を受け取ろうと手を出した。私は差し出された腕を引いて、そのまま彼女へキスをする。舌先を軽く吸い上げてから離れると、彼女は無表情で私の指から煙草を奪い取った。


「足りなかった?」

「当たり前でしょ。肺に煙入れないと」


 そう言って残りわずかな煙草を吸い始めた。煙を吐き出して、隣の私を見ずに言う。


「部屋戻るならストック買ってきて」

「えー、今から?」

「帰宅前に連絡くれれば買ったのに。しなかったあなたが悪い」

「はいはい……」


 私はそう返事をして、部屋の中へ戻った。



 彼女と出会ったのはもうずっと前だ。当時、私は子育て世代が多く住む新興住宅街に住んでいて、隣には新しく家が建ち、小さな子供を連れた一家が引っ越してきた。爽やかな出立ちで快活な旦那さんに、可愛らしく控えめな奥さん、少し恥ずかしがり屋でお母さんにそっくりな聡明そうな女の子。絵に描いたような幸せな一家だった。旦那さんの方は私がニコリと微笑んでも、娘と奥さんへ愛おしそうな視線を向けるばかりで見向きもしなかったし。だから別に、関わろうなんて一切思ってなかった。


 あの時私はもう推薦で高校に合格していて、一種のモラトリアムのような期間を過ごしていた。学校に行くのも億劫になって、たまにサボっていた。親は私に甘く、特に何も言われることは無かった。

 日中、この辺りは静かだ。大体子供は学校か園に行っているし、大人は働いている人ばかりだし。気兼ねなく家にこもれるし、外出しても近所に誰もいないのでコソコソする必要もない。私は自由気ままに過ごしていた。

 あの日は何となく煙草のにおいがした気がして、読んでいた漫画を置いてベランダに出た。キョロキョロと周りを見渡して、ふと目線を下げると隣の家の勝手口の階段で、不貞腐れたような顔をしながら女性が煙草を吸っていた。彼女は煙草を口に付けてから、煙を吐き出す。あの幸せそうな一家の母親が、こんな風に煙草を吸っているなんて。良妻賢母然として、子供にも優しく辛抱強く接していた。いつものイメージからは程遠く、妙に退廃的な雰囲気から目が離せなかった。

 彼女は気怠げに視線を上げ私を一瞥して、また煙を吐き出してから視線を離した。何か、何か話したい、彼女と繋がりを持ちたい、と思って私は口を開いた。


「――いいんですか、煙草なんて吸って」


 そう私が話しかけると、彼女は不貞腐れた顔のまま私に視線を投げた。


「成人してるから何も問題ないでしょ。それより、学校は?」

「サボった」


 ハッと鼻で笑って、側に置いてある灰皿に灰を落としてまた口を付ける。私への言葉と一緒に煙を吐き出した。


「義務教育程度もまともにこなせないクソガキに説教される筋合い無いわ」


 可愛らしい顔に似合わず口元を歪めて笑い、そう毒づく。不機嫌そうなその顔に、煙草の煙がまとわりついた。


 多分、私はその瞬間からどうしようもないくらい彼女に溺れてしまったんだろう。

 娘が帰ってくれば母として、夫が帰ってくれば妻として完璧に振る舞い、それを崩さなかった彼女が私にだけ見せたそんな顔。

 だって、最近人生がつまらなかった。勉強も運動もそれなりにできるし、私がニコリと笑えばみんな優しくしてくれた。愛想良く、礼儀正しく、でも子供らしくちょっと無邪気なところも忘れないように、そうすればみんなコロッと私を好きになる。人生ってこんな感じで続いていくのか、なんて思って飽きていた頃だった。


 気付けば彼女、望さんの家に押しかけて、娘が帰ってくるまで入り浸っていた。望さんは、別に私を拒否することもないし、受け入れることもなかった。娘に対しての模範的な態度と、私といる時の気怠そうで何もかも気に入らないというような態度の落差に、私はひどく惹かれていた。


 初めてはリビングで映画か何かを観ていた時かな。ラブシーンになりそうなところで望さんが映像を飛ばした。私は彼女のその対応がらしくなくて少し笑った。


「観たかったのに」

「そう、意外ね」

「意外かな?普通に興味あるよ」

「なら帰って1人で観て、どうぞ」

「冷たいなあ」

「大人が子どもに観せていいシーンじゃない」

「ふーん、そういうこと気にするんだ」

「私も人の親だから」


 私はソファで隣に座る彼女に、一人分詰めて近寄る。するとキッと鋭い視線で睨まれた。可愛い顔で睨まれてもちっとも怖くない。むしろ、愛らしいな、なんて思った。


「……何?」

「望さん、中途半端じゃない?旦那にも内緒なんでしょ?タバコ吸ってたり、私を家に入れてるの。全部嫌で人生諦めてるくせに。もっと、壊すなら徹底的にめちゃくちゃにしないと」


 望さんの瞳が、動揺したように揺れる。私はその瞬間、私よりも小柄な彼女を押し倒した。抵抗するように腕を掴まれたけれど、力はこもっていなかった。


「手伝ってあげる」


 私はそう言ってニコリと笑って、望さんに触れた。


 そんなわけで私から望さんに手を出して、彼女は抵抗しなかったし、積極的でもなかった。そのくせ声を抑えようと唇を噛んだり、我慢するためにシーツや服を握りしめたり、やたら扇情的で困った。


 そんなことを何度か繰り返しているうちに、ある日昼寝していたはずの彼女の娘が起きてきて、現場を見られた。どうしようかな、なんて思ってニコリと微笑んだら静かにリビングへ消えていった。

 それからしばらくして、望さんはあっさりどこかへ消えた。父娘もどこかへ引っ越していって、隣は空き家になった。バレたんだろうな。望さんには連絡しても、もう繋がらなかった。


 彼女の望み通りになっただろうか、なんて思いつつ私は日常に戻った。何度か色恋に手を出してみたけど、どうしても彼女が頭にちらついてしまって、つまらなかった。年上の女性も彼女ほど魅力的じゃないし、同年代は幼稚に感じたし、じゃあ男かな?なんて考える範囲を試してみたけれど、どれも物足りなくて、結局私は彼女が好きだったんだな、と何回か繰り返した後で結論付けた。


 大学に入って少し自由になった時に彼女を探して、伝手を辿って勤務先を知った。勤務先に客として出向いた時の彼女の反応、面白かったな。信じられないものを見るように目を大きく開けて、それからまるで初対面のようににこやかに笑って他人のように接してきて。久々に会った彼女は、髪を切った以外変わっていなかった。可愛らしい顔立ちに短い髪がより幼さを強調してるように感じた。少なくとも、年相応には見えない。よく実年齢よりも上に見られる、私の方が老けてみられるんじゃないか、なんて思った。仕事が終わったらご飯でも行かないか、なんて誘っても無視をされたが、娘の名前を出したらおとなしくなって素直に会ってくれた。まあ、あの子がどうなってるかなんてこれっぽっちも知らないんだけど。

 それからはちょくちょくちょっかいを掛けに望さんのところへ会いに行って、そして望さんの家で一緒に住み始めた。一緒に住みたいと言えば絶対拒否されるので、徐々に望さんの家へ滞在する時間を伸ばして、同棲を勝ち取った。


 あんなに人生どうでも良さそうで全てにイライラしていた望さんは、離婚して人生リスタートしたのに昔と同じように暗い顔をしたままだった。笑うのは仕事の時ばかりで、プライベートでは少しもニコリとしなかった。何がそんなに気に食わないのか、分からなかった。

 ただ、昔酔った勢いで少しだけ漏らしたのは、娘に対しての罪悪感だった。親権を取れると思ったのに、取れなかったらしい。まあ、私と関係があるなんて知ったら、まともな父親なら阻止するんだろうね。親権は置いておいても、母親という存在を自分勝手に奪ってしまったことを悔いているみたいだ。それも断片しか聞けないからよく分からないのだけれど。

 そういう時の望さんは泣きながら縋って、私に抱かれたがる。罰だと思ってるのかな。心外だな。こっちは本気で好きなのに、なんて伝えたら『あなたのは執着でしょ』なんて言われてしまった。そうなのか?そうかも。でもどっちだって良い。望さんが自分を罰するために私と一緒にいようが、何だっていい。一緒にいるその事実だけが私たちの間で確かなことなのだから。


 部屋の中へ入って、ポケットからスマホを出してふと指に目がいく。ああ、そう言えば着けてたっけ。凝った装飾の指輪を外して机の上に置いた。望さんに黙って借りたんだった。

 前の旦那との結婚指輪なんて呪物じゃん、捨てないの?なんて言ったら、彼女は唇を歪めて笑って『気に入ってるから、捨てない』と返した。

 言われた通り、煙草を買いに靴を履いて外に出る。夜は少し肌寒かった。コートを着てくれば良かった。


 そういえば、あの子、大きくなったな。望さんにそっくりで可愛かった。髪を切った姿は、まんまだった。バイト先の塾に入って来る偶然に、最初は驚いた。偶然か?本当は私のこと探してたかもね。わからないけれど。復讐でもしにきたのかな、なんて思ったけれど、存外可愛らしい好意を感じた。親子丼というワードが頭に思い浮かんで、すぐに頭から追い払った。本気で嫌われたくはないし。どうしようか考えて望さんの指輪を付けて行ってみたら、察して静かにしてくれた。あー、賢い子で助かった。


 コンビニで買い物を済ませ、外に出る。寒いし、さっさと帰ろうと思って早歩きになる。急いで帰ったはずなのに、場所が遠いからかそれなりに時間が経っていた。


「ただいま〜」


 そう言って靴を脱いで部屋へ入る。室内の暖かさに少しホッとする。扉を開けると、望さんがキッチンにもたれかかりながら、細長い缶に口を付け豪快に飲んでいた。テーブルの上に袋を置いて、望さんへ話しかける。


「それ私が買ったやつだ。美味しいですか?――あ、全部飲んだの?!嘘でしょ?!」


 キッチンの流しに、空缶が数本並んでいる。新作で気になった、度数高めのアルコールだ。飲むの楽しみにしてたのに、仕返しか?

 望さんは無言で缶を置き、私の方へフラフラと歩いてくる。そのまま私の首に両手を巻き付けて、キスをされた。腰に手を回して受け入れると、口の中に液体が流れ込んでくる。私はそれを飲み込んだ。


「美味しい。もっと飲みたかったのに」

「…………」


 望さんの顔は真っ赤だった。そんなに酒が弱いわけではないが、この量を一気に飲んだら誰でも酔うだろう。うつろな瞳で私に抱きついたまま、望さんは離れない。口の端に、うまく流し込めなかった液体が垂れている。何だか勿体無いと思ってしまって、私はそれを舐め上げた。


「あ……」

「望さん、何、どうしたの?」

「……さみし、かった」


 潤んだうつろな瞳が私を見つめ、それだけをポツリと呟かれた。私の体は硬直する。今まで暮らしていて、こんなストレートなことを言われたことはない。それに、普段コンビニに行くために家を開けることだって、何回もあったのに。何故、今日? 何かあったのだろうか。

 私は自分の中に猛烈に湧いてきた何かに抗えず、そのままキスをした。望さんの華奢な体を、そのまま壁へ押し付ける。


「ん……」

「……望さん、今日って何かあったの?」


 こんなこといつもなら聞かないけれど、残った理性で問う。唇を触れさせながらそう聞くと、彼女は首を振って、そのまま余裕のない表情で私の唇を見つめ続ける。その表情に私も追い詰められ、キスに溺れた。


 彼女はいつも何も話さない。本音だって、聞いたことがない。私だって別に聞かない。今、何を考えていて、私のことをどう思っているのかなんて、別に興味がない。

 でも、そうだね。もし、いつか彼女が私に落ちたら、今日の理由を話してくれればいい。いつか私を好きになってくれますように、なんて存外可愛いらしいことも自分は考えられるんだな。そう思って私は彼女の服の裾から手を入れて、肌に触れた。

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