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第一話 『霧笛の湯 密室殺人事件』

 浅い霧が立ちこめる山間に、ひっそりと佇む温泉宿――『霧笛の湯(むてきのゆ)』。

湿り気を帯びた朝の空気の中で、年季を感じさせる木造の外観は静かに影を落とし、瓦屋根に朝露が淡く輝いている。

ぱっと見れば、どこにでもある落ち着いた老舗旅館。 

 ……しかし。その静けさからは、どこか張りつめた緊張感が滲んでいた。

フロント周辺には物々しい空気が漂い、宿泊客の姿は一切見当たらない。

奥には、明かりのついた小綺麗な廊下が続いている。

 廊下の中ほど――自動販売機の並ぶ休憩スペースに、三人の姿があった。

 

「お待たせしました! ……って、ちょっと。

 霞さん、なにしてるんですか?」


 ソファに寝転がっている青年の足元から、呆れたような声が聞こえる。

青年――一色(いっしき) (かすみ)が重い瞼をこじ開けると、白髪の乱れた前髪越しに、青い目を細めた少女がこちらを覗き込んでいた。


「……なにって、見たらわかるでしょ?

 お昼寝だよ、お・ひ・る・ね。

 ほら、よく言うじゃん? 睡魔に勝るものはなしって。」

「よく言いませんし、人によってはカフェインで勝てます。」

「じゃあ、コーヒー買ってきて?」

「貴方、コーヒー飲めないじゃないですか。」


 相変わらずの霞の調子に、慣れた態度で言葉を返す少女。

彼女の名は(ゆずりは) 詩織(しおり)。霞の白髪とは対照的な短い黒髪を軽く揺らし、肩を落としたまま腰に手を当てている。 


「あの……本当に大丈夫なんでしょうか……?」


 そんな二人のやり取りを、向かい側の椅子に座って聞いていた女性の警察官が、おずおずと口を開く。 


「え? あぁ、平気ですよ。

 こんなのでも、一応やるときはやる人なので。」

「こんなのって、ひど〜い。

 こちとら、八戦八勝の超天才名探偵、霞さまだよ?」

「うわ、自分で天才とか言っちゃうタイプですか?

 逆に頭悪そうでウケますね。」


 得意げな霞に対し、詩織はわざと皮肉たっぷりに言い放つ。

どうやら、二人の掛け合いはまだ続くらしい。

再び始まった彼らのやり取りに、女性警察官はより不安そうな声を上げる。 


「あのぉ……」

「あ〜、はいはい。やりますよ〜。」

「やりますよって言いながら、布団被らないでください。

 どこから持ってきたんですか、それ。」

「うっ……ゲホッ……ゴホッ……!

 ホコリが……ハウスダスト……ゴホッゴホッ……!」


 咳き込んでいる霞を横目に、詩織はペンとメモ帳を胸ポケットから取り出す。そしてそのまま、彼の寝ているソファの端に腰を下ろした。


「ほら、さっさと始めますよ。まずは、事件内容の確認から。」

「ケホッ……ちょっとは、心配して……」


 霞は「ふぅ。」と息を整えると、ゆっくりと身を起こす。

折り曲げていた脚を靴に滑り込ませ、女性警察官に向き直った。


「では、ご趣味のほうから……」

「やるなら、ちゃんとやってください。」


 そう言いながら、詩織は霞の左腕を肘で小突く。


「痛っ! うわ、暴力的〜。すぐ殴る女の子はモテないよ? 詩織ちゃん。」

「余計なお世話です。」


 詩織は小さく息を整え、からかう声を無視するように真面目な表情へと切り替えた。


「ええと、それでは……」


 女性警察官も、その空気の変化を感じ取ったのか、わずかに姿勢を正して口を開く。彼女は資料を右手に持ち、真剣な眼差しで話し始める。

資料と言うには、訂正の後が何度か走った不格好な紙束ではあるが、事件の要点だけは簡潔にまとめられているようだった。


「本日の朝四時半頃、この旅館の料理長である佐々木場(ささきば) 良治(りょうじ)さんが、厨房内にて遺体で発見されました。

 第一発見者の谷口(たにぐち) (まさる)さんによると、被害者は普段、出勤時間の二時間前に厨房に入り、道具の整備や確認を日課にしていたそうです。」


 話を終えると、彼女は顔を上げ、二人の反応をうかがう。

すらすらとペンを動かす詩織の隣で、霞は退屈そうにあくびをしている。

少しだけムッとしたものの、彼女は気を取り直して説明を続ける。


「遺体の状況ですが、首元が異様に腫れ上がっており、口内にも荒れたような強い損傷が見られました。

 死因については、なにかを流し込まれたことによる窒息の可能性が高いとみているのですが……」


「なるほど。

 なのに、近くにそれらしき物や痕跡は残されていなかった。

 監視カメラを確認しても、被害者と第一発見者の方以外が厨房に入った様子もない、と。」


 詩織の補足に、女性警察官は軽く頷いた。


「はい。しかも、第一発見者の谷口さんには、完全なアリバイがあります。

 ……ですので、〝お二人〟に応援を要請したわけです。」

「ふむふむ。つまり、どういうこと?」


 肘掛けにだらしなく寄りかかったまま、指先で前髪を弄っている霞。その様子を見た詩織は、小さくため息をついて立ち上がる。


「原因不明の密室殺人事件。

 監視カメラがあるのに、容疑者すら浮かび上がらない。

 ……〝異能事件〟である可能性が高いってことですよ。」


 ぱたり、と詩織がメモ帳を閉じると、霞は倒れるようにしてソファに背を預けた。


「でも高いってだけで、確定なわけじゃないんでしょ?

 なら、別に俺が働かなくても……」

「いいですよ?」


 迷いなく飛んできたその言葉に、霞はぴたりと動きを止めて、詩織の顔を見上げる。


「え、ホントに?」

「はい。()()()のことをキッパリと諦めるなら、ですが。」


 霞がうっ、と核心を突かれたかのように目を逸らす。


「まさか、忘れたわけじゃないですよね?

 貴方が刑事事件に首を突っ込めるのは、政府から特別に認められている〝異能探偵〟だから、ということを。」


 詩織は、無言でうつむく彼に近づき、やや強引に腕を引っ張る。


「ほら、行きますよ。聞き込みしないと、なんの役にも立てないんですから。」

「それは、言い過ぎじゃない? 

 あ、痛いです。引っ張らないで? ねぇ、聞いてる? 

 お〜ぃ……」


 まるでキャリーケースのように、霞は詩織に連行されていく。


「あ、厨房はそっちじゃな――」


その光景に、座ったまま呆然としていた女性警察官が、はっとして思わず右手を伸ばす。

立ち上がろうとするが間に合わず、その声が彼らに届くことはなかった。


***


 ……数分後。

事件現場の反対方向にある休憩室へ向かった二人は、そこに集められていた従業員の中から、第一発見者の谷口 優を廊下に呼び出す。

霞はワイシャツのポケットに手を入れて、詩織はメモ帳を片手に持ったまま、聞き込みを始めた。


「……自分が出勤した時間は、今朝の四時半です。

 フロントでタイムカードも押していますし、昨日は休みを頂いておりましたので……」

「ふむふむ、死体を発見した時はどんな状況でした?」

「衝撃で……あまり覚えてはいないのですが、倒れている料理長を見つけて……。

 すぐに駆け寄って声をかけたんですけど、体は冷たくなってて……」


 谷口の証言に、霞は「なるほど、なるほど。」と頷く。

そのまま、今度は突然、彼の周りを歩き出す。


「じゃあ、単刀直入に聞きますけど〜……」


 ピタッと止まると、ぐいっと顔を近づけて覗き込み、無理矢理視線を合わせた。


「……貴方が、彼を殺しました?」

「こ、殺してませんっ! いきなり、なに言ってるんですか!?」


 霞の問いに、谷口はわかりやすく動揺を見せる。


「アリバイだってあるんですっ! 僕じゃありませんっ!」


 揺らぐ眼を、霞の瞳は逃さなかった。逸らさずに、獲物を狙う狩人が如く、一切の隙を許さない。表情ではなく、その〝奥〟を探るかのように、瞳を細める。

……五秒ほど経った後、霞は相手から視線を外し、残念そうに肩を落とした。


「……はい、オッケーで〜す。もう、戻っていいですよ〜。

 変なこと聞いて、すみませんでしたね。」


 パラパラと手を振る霞の隣で、詩織が無言のまま休憩室の扉を開ける。

困惑しながらも、促されるように谷口は休憩室に戻っていった。

 息を吐きながら壁にもたれかかる霞は、眠たそうに瞼を擦る。

バタン……と扉の閉まる音とともに、廊下の静けさが増していく。

数秒の沈黙の後、メモを書き終えた詩織は、怪訝そうな顔のまま霞に近づいた。


「……途中で面倒くさくなって、適当に終わらせましたよね?」

「だって、あんなの聞くだけ無駄じゃん。

 俺は警察じゃないんだし、大事なことだけ聞いて、ぱぱっと〝視た〟ほうが手っ取り早いでしょ?」


 余裕そうに伸びをする霞を見て、詩織はムッと顔をしかめる。


「そうだとしても、警戒させないに越したことはないじゃないですか。

 もし、彼が〝そういう力〟を持っていたとしたら……」

「ダイジョブだって。

 それに、危ない奴からは詩織ちゃんが守ってくれるんでしょ?」

「まぁ、そうですけど……」


 詩織は、相変わらずな霞の態度に一抹の不安を抱きながらも、それ以上を言うことはなかった。

そんな彼女の心配をよそに、霞が大口を開けてあくびを漏らす。

気の抜けた空気だけが、その場に残った。

 ……しばらくして、霞がなにかを思い出したように、ぽつりと問いかける。


「てか、毎回思うんだけど、なんで聞き込みが先なの?

 最初に、現場見せてくれたほうがやりやすいんだけど……」

「だって霞さん、絶対に邪魔するじゃないですか。」


 詩織は呆れを隠そうともせずに、胸の前で腕を組む。


「特例とはいえ、あくまで捜査の主導は警察です。

 現場を荒らされる前に、必要なことは記録しておきたいんですよ。」

「荒らすって……信用ないな〜。」

「してるからこそです。

 それに、貴方の能力は〝人の感情を色で見分ける力〟。

 犯人さえ分かれば、あとは犯行手順と動機の整理だけでいいでしょう?」

「そ~だけどさぁ。」


 霞は納得していない様子で、ぼんやりと窓の外を眺めた。

薄霧はすっかり晴れ、風で木々が揺らいでいる。そんな彼の目線を遮るように、詩織の顔がひょこっと映り込む。


「……というか、彼はどうだったんです?」


 彼女は、少しだけ声の調子を落として霞に尋ねた。


「なにが〜?」

「犯人じゃなかったんですか?」


 気怠げだった霞の表情が、ほんのわずかに引き締まる。


「……残念ながら。少なくとも、嘘はついてなかったと思う。

 言ってたことは、ぜ~んぶホント。」

 断定するように言い切った霞は、寄りかかっていた壁から体を離す。


「……どうします?

 今回も、片っ端から聞いていきますか?」

「え〜、もう嫌なんだけど〜……

 しかも今回、容疑者いないんでしょ〜?」


 詩織の提案に、霞は心底うんざりした様子でそう言った。


「……何時間かかるんでしょうね。」

「ヤダヤダ、何人かに絞って! じゃないと過労死しちゃう!」


 床に寝転がり、ジタバタと駄々をこねる霞を、詩織は相手にする気もなく見下ろす。


「……じゃあ、どうするんですか? 

 やめます? 捜査。」


 不機嫌そうな顔をしていた詩織だが、「あ。」と突然なにか思いついたように天井を見上げる。


「ここで手を引いたら、(自称)天才名探偵さまにバツ印ついちゃいますね。」


 手を口に当て、わざとらしく微笑む彼女は、「ぐぬぬ……!」と歯ぎしりをする霞を横目に、再び休憩室の扉を開いた。

こんなやり取りを挟みながらも、二人は旅館内にいる従業員と宿泊客一人一人に、聞き込みを行っていく。


 休憩室、客室、また別の客室と、場所を移すたびに同じ質問を何度も繰り返す。

事件をいつ知ったのか。事件当時、その場にいたのか。

被害者とはどんな関係だったのか――

返ってくる答えには、どれも大きな食い違いはなかった。

驚き、動揺、戸惑いなど、それぞれの感情の差はあれど、〝嘘〟をついている者はいない。

 聞き込みが一巡した頃、詩織のメモ帳は細かな文字で埋まり、それでもなお、決定打と呼べる情報は一つも浮かび上がらなかった。

全員が潔白。だからこそ異常である。

そう感じながら、彼らはある程度の現場検証が終わった厨房へと向かうのだった。

いろいろと勉強したり、試行錯誤しながら、のんびりマイペースに執筆できればいいなと思っております。

どうか温かい目で、よろしくお願いいたします。

m(_ _)m

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