覚えてないんですか?
朝七時三十分、イナが身支度を済ませて一息ついた頃にエリカが目を覚ました。
彼女は上半身を起こすと両腕を上に突き出してぐっと伸びをすると寝ぼけ眼を擦ってぼんやりしている。
「おはようございます、姫ちゃん」
「おはようございます……先輩は早起きですね……」
イナがエリカに声をかけるとエリカはふにゃふにゃな声で挨拶を返した。
「ところで姫ちゃん、これについて心当たりはありませんか?」
イナは自らの首筋を露出させるとそこについた歯形をエリカに見せた。
エリカははじめそれがなんなのかを理解できなかったが元々自分が寝ていたベッドがなぜか空っぽになっていること、移動した先のベッドでフウが寝ているのを確認してだんだん昨夜起きた出来事を理解していく。
そしてイナの首筋についた歯形の意味を理解してたちまち顔を真っ赤に染め上げた。
「ボ、ボクはなんてはしたないことを……」
「心当たりは?」
「あるんですけど、よく覚えてなくて……」
エリカは消えてしまいそうなほど小さな声でイナに打ち明けた。
キツネ族の聴力でなければ何も聞き取れなくてもおかしくないほどの声量であった。
それは世が明ける前の真夜中のことであった。
エリカは寝落ちに近い形で眠りについたこともあり、午前四時前ぐらいに一度目を覚ましていた。
そのまま一度用を足しにベッドを抜け、戻ってきた際に何を思ったのかイナが寝ているベッドに潜り込んだのである。
おおまかな経緯を理解したところでイナはフウの方に視線を向けた。
フウは浴衣をはだけさせて呑気に眠っている。
二度も同衾を仕掛けてきたとは思えないほどの熟睡っぷりであった。
「朝食に間に合いますかね」
「大丈夫です。いい起こし方を知っています」
フウの寝姿を見て起床時刻を懸念するエリカに対してイナは心配無用と言い放つと携帯をいじって動画サイトを開き、そこで何かを用意すると携帯をフウの耳元に近づけた。
再生ボタンを押すと、学校のチャイムの音が大音量で鳴り響く。
チャイムの音はアストリアで使用されているものと同じものであった。
チャイムの音を聞いたフウは反射的に耳をピコンと動かし、ゆっくりと目を開けた。
授業中に居眠りをすることの多いフウにとってチャイムの音は目覚まし同然である。
校外とて例外ではなかった。
「本当に起きた……」
「ずっと後ろの席で見てますから」
エリカが唖然とする隣でイナは得意げに語った。
彼女は学校では席が前後ということもあり、教室でのフウの行動や習性については熟知していた。
「んー……授業終わった?」
「何寝ぼけてるんですか。朝ですよ」
「んあ、おはようイナっち」
フウは寝ぼけたままのそのそと上半身を起こした。
「ところでフウさん。少しお聞きしたいことがあるのですが」
フウが目を覚ましたところでイナはすかさず質問を仕掛けた。
内容はもちろん首筋の歯形と二度にわたる同衾のことである。
「えー、なにこれ。二つもついててウケるんだけど」
「私としては大問題なのですが」
イナが首筋についた歯形を見せるとフウは他人事のように笑った。
そのうちの一つが自分のものであるとは微塵も思っていないようである。
「というか片方はあなたの歯形なんですけど」
「うっそー。ウチそんなことした覚えないよー」
イナが事実を告げるとフウは逆に驚かされていた。
どうやら寝ているうちに無意識にやったことらしく、彼女自身には何も心当たりがなかった。
「本当に、何も覚えてないんですか?」
「そりゃたった今知ったばっかだし」
「二回も私のベッドに入ってきたことも?」
「何それウケる」
イナの確認にフウは毅然と答えた。
同衾についてもまったくの無自覚であり、イナとエリカは絶句するばかりであった。
「てかその歯形、一つはウチのらしいけどもう一つは誰の?」
質問についておおよその回答を済ませたフウは今度は自分の疑問をイナに投げかけた。
するとイナは無言でエリカの方に視線を送る。
エリカの顔色とその表情が答えを物語っていた。
「姫ちゃん。いくらイナっちのことが好きだからってそんな卑しいことはしちゃダメだよ」
(どの口が!?)
フウはエリカの両肩に手を置いて諭すが、これにはイナも思わず内心で突っ込まずにはいられなかった。
エリカがある程度自覚を持ってやったのは事実だがしていること自体はフウも同一である。
フウとエリカが身支度をしている最中、イナは自撮りをするとそれを母に送信した。
『やられました』
『朝からモテモテでいいね』
娘から送られてきた写真を見た母の反応はそれを面白がるようなものであった。
これにはイナもキツネ族の血筋を感じずにはいられない。
『今日の夕方ごろには帰ります』
イナは母にメッセージを残すと普段着に着替え、ベットの周りを片付けるのであった。




