初めての裸の付き合いです
部屋に戻ったイナを待っていたのは風呂用のセットを準備したフウの姿であった。
エリカとツバキの姿は見当たらない。
「お待たせしました」
「せっかくの温泉付きホテルだしー。行こうよ、温泉」
フウはイナに期待の眼差しを向けた。
ついさっきまで海にいたこともあって海水が多少こびりついていて全身にベタベタした感覚が残っており、それを温泉でじっくりと落としたかった。
イナは自分用のお風呂セットとバスタオルを出すとフウと二人で浴場へと向かった。
「姫ちゃんは?」
「お姉さんと一緒に先に温泉行ったよ」
イナとフウは話をしながらホテルの廊下を歩いた。
エリカたちはイナが電話をしている間に先に温泉に入りに行ったようであった。
部屋の鍵がオートロックだったため、鍵を持っていないイナが置き去りにされないようにフウが残って待っていたのである。
「温泉おんせーん!」
温泉の暖簾が見えたフウは上機嫌に飛び込んでいった。
旅行で浮かれているせいか、彼女は見るものすべてにテンションが上がっている。
イナはそんなフウの後姿を微笑ましく見守りながら暖簾をくぐった。
服を脱ぎ去り、髪をまとめたイナはタオル一枚を纏って浴場へと足を踏み入れた。
そこには先に温泉に入っていたエリカとツバキ、ついさっき来たばかりのフウの姿もあった。
他の利用客の姿もちらほらと見受けられる。
「あぁ~いい湯だなぁ~」
フウは湯に浸かりながら溶けるように脱力していた。
トラ族は沐浴を好む者が多いとはイナも耳にしたことがあったがフウはまさにそのようである。
イナはそんなフウの様子を横目にまず洗い場へと向かっていった。
彼女としては湯に浸かるより身体にこびりついた潮のべたつきを取り除くことが先決であった。
イナはまとめた髪を解いて洗い場のシャワーで全身を軽く流すと近くにあったバスチェアに腰を下ろし、そのまま髪の手入れを始めた。
キツネ族の手入れの様子を一目見ようとフウ、エリカ、ツバキの三人は湯に浸かりながらじっと観察を始めた。
(すごく視線を感じる……)
イナは三人から視線を向けられていることに気づいた。
自分としてはごく当たり前のことをしているだけだが三人にとってはそれが非常に興味深い。
気づけばフウが隣のバスチェアに腰を下ろしていた。
「なんかすごく繊細ってカンジだねー。キツネ族ってみんなこうなの?」
「そうなんじゃないですか?お母さんもいつもこれぐらいはやってますし」
フウに尋ねられたイナは彼女の母を引き合いに出して語った。
イナの毛繕いの手つきは幼少期から見てきた母の見様見真似である。
「やっぱイナっちの髪綺麗だね。手入れの賜物ってやつ?」
「かもしれませんね」
フウに声をかけられつつも髪の手入れに集中して鏡から目を逸らさない。
直接見ずともフウが何をしているのかは鏡越しに一目瞭然であった。
「髪長いと手入れ大変そうだね」
「そうでもないですよ。確かにフウさんは短くてあまり時間がかからなそうですが、よかったらキツネ族流で梳いてあげましょうか?」
「マジ!?じゃあやってもらおっかなー」
イナとフウは洗い場で背中越しに会話する。
そんな二人の様子をエリカはオドオドしたように見ていた。
「先輩ってあんなにわかりやすくイチャイチャするんだ……」
「どうするエリカ?このままだと置いてかれちゃうぞー」
ツバキはエリカの恋心を焚きつけるように煽った。
その言葉はエリカの中の焦燥感を駆り立て、彼女を湯の中から飛び出させた。
「あ、あの。先輩……?」
「どうしたんですか?」
「よければ、ボクも先輩に髪梳いてもらいたいなーって……」
エリカは控えめな語気ながら直球にイナにアピールしてきた。
彼女の行動はフウの独占よくに火をつけた。
「ウチが先にやってもらうの!姫ちゃんはその後!」
「ひえっ!ご、ごめんなさい……」
フウに圧をかけられたエリカは萎縮してしまった。
基本的に誰に対しても明るいフウだがイナへの独占欲が絡むとどうも攻撃的な態度になりやすい。
「フウさん、今のはよくないですよ。フウさんの次が姫ちゃんということで、それまで待っててもらえますか?」
イナはフウの一瞬の態度を窘めつつエリカにフォローを入れた。
その姿はまるで母親か何かのようである。
「ごめん姫ちゃん。終わったらまた呼んだげるからさ。それまで待っててよ」
「わかりました……」
イナに窘められたフウがエリカに謝るとエリカはそれを了承しつつもしょんぼりとツバキの元へ戻っていった。
彼女の落ち込みようはあからさまであり、ツバキに頭を撫でられて慰められている。
十数分に渡る髪と尻尾の手入れを終えたイナ再び髪をまとめるとフウをバスチェアに座らせ、自身はその背後に回った。
その間、長髪を束ねてまとめるというイナの何気ない仕草からあふれ出る色気にフウは胸をときめかせる。
イナはフウが普段使いしているシャンプーを手のひらに乗せるとそれを両手に刷り込んで馴染ませた。
「触りますよ」
「うん。大丈夫」
イナはフウに確認を取ると彼女の髪にそっと手を触れた。
フウの黒いメッシュの入った白髪がイナの指にかき分けられ、それら一本一本が染められていない地毛であることを認識させる。
(トラ族の毛って硬いんだな……)
イナは初めて触れるトラ族の髪の感触を確かめていた。
フウの髪は自分のそれとは違い一本一本が太く硬い。
毛の先端が指に刺さってもおかしくはなさそうであった。
「耳の近く行きますよ」
イナはそう言ってフウの耳の付け根に手を触れた。
イナの指の感触に反応し、フウはピクリと背筋を伸ばす。
彼女は家族以外に耳を触らせたことがなかったため他人に触られることには慣れておらず、イナの繊細な手つきをくすぐったく感じたのである。
「大丈夫ですか?」
「大丈夫だよ。ちょっと触られるの慣れてないだけだから」
「そうでしたか」
フウから説明を受けたイナはフウの毛づくろいを続ける。
その時、イナの中にとある考えが過った。
(耳に触ったら面白そう……)
イナはフウの耳に直接触れてみたくなった。
耳の付け根に触れただけでくすぐったがるのであれば直接触れたらもっと面白い反応をするに違いない。
そう考えたイナは徐に親指と人差し指で挟むようにフウの耳に触れた。
「んっ!?」
フウは背筋が反るほどに身をよじらせた。
案の定の反応にイナは面白くなり、耳の外側を親指でくすぐるように擦る。
「イナっち絶対わざとやってるでしょ!?」
「さあどうでしょうねー。もう少し我慢してくださいね」
抗議するフウを軽くあしらった。
二人の姿をエリカとツバキはドン引きしながら眺めるが、彼女たちの視線など眼中になく、イナは嬉々としてフウの毛繕いをしようとする。
彼女の右手にはブラシが握られており、左手はフウの尻尾をしっかりと握っている。
「くすぐったいってばー!」
「逃げないでください。まだ終わってませんよ」
「先輩って時々ああいうことを狙ってやってるのかわからなくなるんだよね」
「とんでもないな……」
トラ族ですらものともしないイナの度胸と大胆なスキンシップの様子にエリカとツバキは戦慄を覚えるのであった。




