甘えんぼさんの声を聞きましょう
「うぅ……久しぶりに食べすぎたかも……」
フウ一家とのバーベキューを終え、解散したイナは自室のベッドに横たわっていた。
久々の胸焼けと胃もたれの感覚に悶えている。
イナがはち切れそうな感覚に悶絶しているところに一件のメッセージが届いた。
送り主はエリカであった。
『声が聞きたいので通話しませんか?』
エリカからのメッセージの内容は至ってシンプルに通話をしたいというものであった。
甘えんぼな一面を覗かせるその文章にイナはふと口元を緩ませる。
『いいですよ。お話ししましょう』
イナは簡潔に返信するとこちらから通話をかけた。
ものの数秒でエリカは通話に応じ、二人は携帯越しに話し始める。
「もしもし。どうしたんですか姫ちゃん」
「あの、本当に他意はなくて、ただ先輩の声が聞きたかっただけでして」
エリカはしどろもどろになりながらイナに説明した。
衝動的なものであるため、そこに明確な理由はなく説明に困っているようであった。
「そうですか。夏休みは楽しんでますか?」
「はい。まとまった時間が取れるのでアニメたくさん観て、積んでたマンガとラノベを読み漁って……」
エリカは彼女なりに夏休みを満喫してしているようであった。
それは如何にもサブカルを好む彼女らしい過ごし方である。
「あとアルバイト代わりに姉さんの撮影の手伝いもしてます」
「お手伝いは楽しいですか?」
「姉さんの人使い荒くて困っちゃいますよ。実の妹をなんだと思ってるんでしょうか」
「なんというか、お姉さんらしいですね」
エリカは姉ツバキの人使いの荒さをイナに愚痴った。
イナは苦笑いしながら相槌を打つ。
「あ、そうだ。先輩、読書感想文の題材でオススメの本ってありませんか?流石にマンガやラノベじゃ書けなくて……」
エリカは話題を一転させ、課題に関する相談を持ちかけた。
彼女は読書感想文に用いる図書選びで悩んでいるようであった。
「うーん、いきなり聞かれても困りますよ。ちょっと待っててくださいね」
イナはそう言いながらベッドを抜けて自室の本棚を眺めた。
彼女の部屋の本棚の中身は大半が学術書だが娯楽用の文庫本も多少は存在する。
イナはその中から一冊の文庫本を取り出した。
「いいのがありましたよ。『空に溶ける』っていう小説なんですけど」
「それってどんな物語なんですか?」
「病で余命幾許もない父とそれを知る妻、それを知らない娘の最期の数週間を父の視点から描いた物語です」
イナは手にした本のあらすじを語った。
そこまで語り終えるとイナは言葉を詰まらせた。
その小説の主人公の立ち位置が亡き父とそっくりであったためである。
それもそのはず、『空に溶ける』の作者はイナの父その人であった。
「……どうかしましたか?」
「いいえ、なんでもありません」
「『空に溶ける』ですね。ちょっと調べてみます」
エリカは本のタイトルを確認すると検索をかけた。
すると作品に関する情報が表示され、中には内容に関するレビューも少数ながらあった。
『死を受け入れたはずの父が娘に引っ張られて少しでも生きようと運命に抗う様を描いた作品。結末がわかっているためラスト一章はページを捲るごとに涙が出てくる』
『小説ではあるがまるでエッセイのような臨場感がある作品。家族愛を押し出した名作ではあるが読み終えると心がしんどくなるので二度と読みたくない』
レビューは概ね好評であった。
中には批判的なものもあったが、好評不評どちらも共通する発言は『二度と読みたくない』であった。
「ボクも読んでみたいですけど、絶版になっちゃってて新しく買う方法がないですね」
「それなら私の持ってるのを貸してあげますよ。明日か明後日あたりにどうですか?」
「じゃあ明日がいいです!」
イナが会う約束を持ちかけるとエリカはすぐさまそれに食いついた。
予想通りの反応である。
「はいはい。じゃあ明日で、時間と場所はそちらにお任せします」
イナは明日エリカと会う約束を決めると日程をエリカに一任した。
「満足しましたか?」
「はい。先輩の声が聞けて嬉しいです」
「それはよかったです。ではまた明日」
「わかりました。じゃあ最後に、大好きですよ、先輩」
「はいはい。私も好きですよ、可愛い後輩ちゃん。じゃあおやすみなさい」
「……はい。おやすみなさい」
エリカはイナとの通話に満足し、愛の言葉を伝えるとイナはそれに臆することもなく愛の言葉を投げ返した。
エリカは一瞬面食らったように言葉を詰まらせるがすぐ我に返り、おやすみを言い残して通話を切った。
時刻は午後二十二時、普段ならまだ余裕で起きていられるが眠気がどっと押し寄せてくる。
寝る前にせめてシャワーで汗を流そうとイナは浴室へと向かった。
その途中、イナは少しだけ寄り道をして父の遺影と向かいあう。
「貴方の作品を読んでくれる人はちゃんといますよ、センコ先生」
イナは父の遺影に語りかけた。
センコは父の本名ではなく、作家としてのペンネームである。
用事を済ませたイナは再び踵を返して浴室に足を運ぶのであった。




