虫は苦手です……
イナ、フウ、スミの三人はイナの案内で学校とは反対方向にある小規模な雑木林へとやってきた。
そこは土地勘に疎いフウと住んでいる場所が違うスミは知らなかったものの、地元では知る人ぞ知る昆虫採集スポットであった。
雑木林には他にも子供たちが訪れており、まばらに声が聞こえてくる。
「では、ここから先はお二人でどうぞ」
イナはそういうと雑木林の入り口付近の木陰に腰を下ろした。
虫が苦手な彼女はどうしてもそれより先に立ち入ることに抵抗を感じていたのである。
「えー!イナっちも一緒に行こうよー」
「私虫苦手で……」
「どうせそこにいても虫はいるよ?」
フウはイナに同行を求め、スミがそれに同調する。
すでに林に足を踏み入れている以上、スミの言い分は尤もであった。
イナは渋々二人に同行することにした。
林の中は木漏れ日こそ当たるものの、全体的に薄暗く鬱蒼としていた。
そんな林の中をフウとスミはウキウキしながら虫取り網を手にグイグイ進んでいく。
イナは時折耳元を通り過ぎる虫の羽音に無性に耳をくすぐられるような感覚を覚えていた。
さらに背の高い雑草が身体に触れるたびに尻尾の毛の中に虫が入り込んでいないか気になってならない。
ついには尻尾を手前に抱え込んで移動するようになった。
「なにそれ可愛いじゃん」
「虫が入ってくるのが怖いんですよ」
イナはすでに少し縮こまっていた。
そんな彼女がフウとやり取りをしているうちにスミが網を構えて寄り道をしだした。
気になる虫を発見したようであった。
スミは一本橋を渡るような独特の足取りでゆっくりと木に向かって接近し、一瞬で網を振り下ろした。
どうやら標的の捕獲に成功したらしく、網の中を確認した彼女は目を輝かせた。
「見て見て、タマムシ!」
網の中から虫を取り出したスミは自慢げにそれを見せびらかした。
彼女の手には鮮やかに光る小さなタマムシが握られていた。
「おー、すごいじゃん!生きてるやつ初めて見たわー」
フウはスミの手に握られたタマムシを見ると携帯を取り出して写真を撮った。
トラ族の二人は虫が平気であるため、一緒になって大はしゃぎしている。
「よーし!この調子でどんどん探すぞー!」
「おー!」
タマムシの捕獲でテンションが上がったフウとスミは調子に乗ってさらに奥へと進んでいった。
イナは二人のノリについていけないまま保護者としてその後ろを追いかけた。
雑木林の中は様々な虫で溢れていた。
バッタやセミ、チョウにカナブンなど、図鑑や理解の教科書の中で見たような虫が次々と見つかり、その都度フウとスミは歓喜の声を上げた。
「イナっちー。こいつ綺麗だから見てみなよー」
「いいですよ別に……うわっ!近づけないでください!」
フウが捕獲したチョウをイナに近づけるとイナは露骨に拒否する姿勢で後ずさった。
彼女の虫嫌いは本物であり、触れることはおろか生きた実物を見ることすら敬遠するほどであった。
「なんでそんなに虫嫌いなの?」
「昔イタズラで尻尾の中に虫を入れられたんですよ」
スミが尋ねるとイナは明後日の方を見ながら虫嫌いの理由を明かした。
時は遡ってイナが小学生だった頃、とあるクラスメイトがイタズラでイナの尻尾に芋虫をくっつけた。
初めは毛の上を這っているだけだったが次第にその奥へと入り込んでしまった。
音もなく移動する芋虫にはその場で気づくことができず、イナがイタズラに気づいたのは芋虫が尻尾の中で蠢く感覚を覚えてのことであった。
「振っても落とせなくて、掴んで取り出したんですがその時に勢い余って……思い出したら寒気がしてきました」
イナは当時のことを語り、当時の感覚を思い出して背筋を震わせた。
耳や尻尾の毛の中に虫が入るのは長毛ならではの悩みであるため、短毛のトラ族であるフウとスミには想像できなかったがイナがそれでどれほど嫌な思いをしたのかはなんとなく理解できた。
「じゃあ潰れない虫なら大丈夫?」
「さっきの話で何を理解したんですか?いいわけないでしょう」
「あっ」
フウが虫かごからカナブンを取り出してイナに見せるとイナはやはり怪訝な表情を浮かべた。
その矢先、フウはカナブンを弾き出すように手を滑らせて手元から放り出してしまった。
カナブンは勢いよく宙を舞い、イナの服の胸元に着地した。
カナブンはイナの胸元にくっついたまま離れない。
「……ッ!?」
突然の虫との接触にイナは思考が止まった。
背筋に悪寒が走り、耳と尻尾がピンと上に跳ねて毛が逆立つ。
「ごめんイナっち!こんなつもりじゃなかったんだよー!」
「そんなことより早く取ってください!」
フウはまずイナに謝ったがイナはそれどころではない。
彼女は虫に触れることすら憚られるため、一刻も早く虫を除去してもらいたかった。
(イナさんのおっぱいすっご……)
スミは服越しに主張するイナの胸の大きさに気づいて思わず息を呑んだ。
それと同時に間接的にそこに触れられるフウの役回りに羨ましさを覚える。
「ま、まだですか……?」
「もーちょい。慌てると逃げて変なところに飛んでっちゃうから」
フウはそっとカナブンをつまむとゆっくりと引き剥がし、そのまま遠くへと放り投げた。
虫の恐怖から解放されたイナは力なくへなへなとしゃがみ込み、目尻に涙を浮かべながらフウを睨みつけた。
(今のイナっちめっちゃ可愛い……でも写真撮ったら怒られるだろうな)
(もうちょっとイタズラしたいなぁ……)
フウとスミは涙目になったイナを見て諧謔心をそそられた。
普段そうそう見られない弱気な姿が二人の思考を強者のそれに向かわせる。
「今度やったら絶交ですよ!」
「本当にごめん。二度とこんなことしないから」
イナから絶交の二文字を叩きつけられたフウは真顔で平謝りした。
こうしてフウとスミはイナの虫嫌いの程度を認識し、虫がらみのイタズラは絶対にしないと肝に銘じたのであった。




