フウさんのお父さんに会いました
夏休み初日の昼前、イナはフウに誘われてフウの家を訪ねていた。
始めに夏休みの課題を進め、それからゲームで遊ぶというプランである。
イナがいつものように呼び鈴を鳴らし、玄関が開くのを待った。
呼び鈴が鳴って数秒後に玄関が開くがそこには見慣れない人物の姿があった。
玄関を開けたのは赤茶色の毛に筋骨隆々のトラ族の男であり、それが誰なのかは一発で分かった。
「あの、初めまして。私、フウさんのお友達のイナっていいます」
「初めまして。フウの父です」
トラ族の男はフウの父であった。
彼とイナが顔を合わせた直後、フウが騒がしい足音と共に階段を降りてくる。
「なんだ、パパ起きてたの」
「フウ、友達来てるぞ」
フウの父の影からイナが顔を覗かせた。
「イナっち、紹介するね。ウチのパパ、消防でレスキュー隊やってるんだ」
「消防局特別高度救助隊所属、タイガであります!」
フウから紹介を受けるとフウの父は所属と本名を名乗りながらビシっと背筋を伸ばして直立不動で敬礼をして見せた。
彼の挙動や体格、風格から経歴に偽りがないことは一目瞭然であった。
「まあゆっくりしてってな」
「あ、はい。お邪魔します」
フウの父が脇に下がってイナに通路を譲ると、イナはその意図を汲み取って家の中に上がった。
「フウさんのお父さん、レスキュー隊だったんですね」
「そう、カッコいいでしょ。この街の消防署に勤めてるんだよ」
フウは鼻高々に父を紹介した。
彼女にとって父は尊敬する存在であり、彼女が身体を動かすのが好きなのも父の影響によるところが大きい。
「フウさんのお父さんってどんな人なんですか?」
「うーん……炎より暑苦しい人、みたいな?」
フウは首を傾げながら父のことをそう評した。
レスキュー隊の最高峰である特別高度救助隊に所属する彼は種族譲りのパワーと体力、極限状況でも冷静さを失わない屈強な精神力を併せ持ち、どんな危険をも省みず救助に燃える熱血漢である。
一方で仕事中の目上の人物以外に対しては誰彼問わず暑苦しいのが玉に瑕というのがフウから見た父親像であった。
「そういうイナっちのお父さんってどんな人だったの?よかったら教えて」
「そうですね。穏やかで、優しい目をしていたけどいつも今じゃないどこか先を見ているような、とても不思議な人でした」
イナはお返しに自分の記憶の中の父親の姿をフウに語った。
イナの父は今は亡き存在だが共に過ごした時間とその記憶は確かに存在し、その記憶の中の父は常にどこか遠くを見ているような目をしており、どこかふわふわしているような不思議な雰囲気を感じさせる人物であった。
声を荒げるような場面はただの一度も記憶に残っていない。
「今思えばあの時すでに自分の命が残り少ないことをわかっていたのかもしれませんね」
イナは感傷に浸るように呟いた。
真相は故人のみぞ知るところとなってしまったため確かめる術はないが、今となってはきっとそうだったのではないかと感じさせてならなかった。
「キツネ族の人ってそういうところあるよね」
「そうでしょうか」
課題を進めながらしゃべっていると、一階からこちらに迫ってくる足音が聞こえた。
足音の主はフウの父である。
「ノックしてもしもーし」
「なーに、パパ」
「今から素麺ゆでるけどよかったらイナちゃんもどうかなーって」
イナの父はドアをノックをしてフウから返事が来たのを確認するとドアを少し開けて顔を覗かせ、昼食の必要の有無を尋ねた。
時刻は午前十一時、少し早めではあるがそろそろ昼時に差し掛かる頃であった。
「いいんですか?」
「遠慮しなくていいよ。せっかく来てくれたのに何もしてあげないのももったいないし」
イナはいったん遠慮するがフウの父はせっかくならと推し進めた。
好意的な対応にイナも断るのが申し訳なくなる。
「それならお言葉に甘えて」
「わかった。できたらまた呼びに来るからね」
フウの父はイナからの返答を確認するとそっとドアを閉めて一階へと戻っていった。
その数十分後にフウの父の呼び声が下から響き、それを合図にイナとフウは一階へと降りていく。
(量すごっ……)
イナは食卓に置かれた素麺の量を見て唖然とさせられた。
コメディで見る金盥のような大きさのボウルに白い素麺が山盛りにされており、その脇にはめんつゆと数種類の薬味が添えられていた。
「何、緊張してるの?」
「人の家で食事をさせて頂くのは初めてで……」
イナは初めてフウの家の食卓に招かれて緊張していた。
フウと交流する以前にも友人の家に訪れたことはあったがそこで誰かと食事をするという経験は今回が初めてであった。
「そういえばおばさんはいないんですか?」
「ママは二軍戦の観戦に行ってるよ。最近二軍に推しの選手がいるんだってさ」
フウは呆れ半分に母の不在の理由を語った。
彼女の母はイナが訪れる少し前からスポーツ観戦のためにスタジアムへと赴いていた。
概ね予想通りの答えが返ってきてイナは安心感すら覚えた。
「遠慮はしたくていいからね。いただきます」
「いただきまーす!」
フウと彼女の父は先行して素麺を食べ始めた。
イナはその後を追うようにお椀にめんつゆを注ぎ、薬味を少量乗せて素麺に手を付けた。
「へえー、イナちゃんとこって母子家庭なの」
「はい。もうすぐ七年になります」
「ならおじさんのことお父さんだと思っていいからね」
「パパ、気持ち悪いこと言わないでよ」
素麺を食べながらイナとフウ親子は談笑する。
その間、フウ親子によって素麺が目を疑う速度で減っていく。
イナが四杯ほど食したところで山盛りだったはずの素麺が残り三分の一ほどになっていた。
「足りなかったら追加で茹でるよ」
「あ、いえ、お気になさらず」
フウの父は気軽に言い放つがイナは遠慮がちに返した。
イナは日頃から小食であるため、フウ親子がものすごい速度で正面を胃の中に納めていく横からその残りを少しもらうだけでも十分であった。
同じ量を食べようとすればまず自分の身体が持たないのが自明の理である。
「こうやって一緒に家で食べてると本当に家族みたいだね」
「そうですか?……そうかもしれませんね」
イナとフウはフウの父同席で夏らしい昼食を楽しむのであった。




