第7話 シャンデリア事件(2)
家を出発して、かれこれ2日経った。ようやく走りっぱなしだった馬車が止まる。
辺り一体は緑に囲まれ、その中央に聳え立つ、重厚感のある深緑の色をべースにしたトラフィズ侯爵家はさながら緑の番人といったところであった。
少し前まで雨が降っていたのもあって、そこらじゅうの木から滴り落ちる雫が、これまた幻想的な雰囲気を醸し出していた。
資料ではトラフィズ侯爵家について完璧に知っているつもりだったけれど、実際に見てみるとやはりその美しく広大な土地には目を見張るようなものがある。
――コン、コン
「お嬢様、到着しました。こちらに。」
レイヴンが扉を開け、手を差し出した。
馬車を降りるため、彼の手を取ろうとした瞬間上からレイヴンの頭に鳥が正確にフンを落としてきた。
「「…………」」
「…このような、穢らわしい体でお嬢様をエスコートすることはできません。申し訳ありません…」
「え、えぇ…災難だったわね…ゆっくり休憩して…」
レイヴンはぶつぶつ何か言いながら川で身を清めるために去っていった。
―その頃のレイヴン―「あとちょっとで、俺がお嬢様と手を繋ぐことができたのに…!くそ!あぁ…でも今日のお嬢様も最っっっっっ高に美しかった…!」――
レイヴンがいなくなってしまった、他の使用人もいるけれどみんな忙しくしているようだし私がただ馬車を降りるくらいで呼び寄せるのは気が引ける。
まぁ、1人でも降りられないことはないもの。私ももう5歳(※まだ5歳です)。
馬車のステップは下ろされているし、二段目のステップから地面までの距離は目測35センチ……
少し、高いけれど…私は誇り高きアルグランデ公爵家令嬢!35センチの壁を超えられないレディに、何ができるというの!
――――その時、レディ・ニフェルは忘れていた。先程まで、雨が降っており、ステップが湿っていたことを。
そして、勢いよくステップに勇敢なる第一歩を踏み出そうと…!
「…あ。」
まずい、いつもならこんなミス絶対しないのに。2日馬車に乗りっぱなしだったからか、観察眼が鈍ってしまっていた。
っ落ちる…!
「!…っに、ニファ…!」
「二フェル嬢!ご無事ですか!?足元、お気をつけください。」
一瞬、アシュルス殿下の声がした、と思ったが、目を開けてみると、馬車から落ちそうになった私を、支えてくれたのは、ウィジー・トラフィズだった。
未来で愛し子と一緒にいた男の1人だ。未来では茶髪で少し軟派な感じの印象を持つような人だったけれど、10歳の今は全く違った印象に見える。
黒髪センターパートのソフトマッシュヘアで優しく、上品な印象を覚えた。
これから先の15年の中で彼に何があったのか…。
それにしても…恥ずかしい!!!
(説明しよう…ニフェルは常に人々に完璧な姿を見せるように努力している…そのため、テーブルマナー、カーテシーと言った淑女の基本動作から、階段の上り下り、さらにただ歩く時でさえ全て脳内で計算をした上で美しい歩きをしている…!そんな彼女が公衆の面前で転けかけたとなれば、それは彼女にとって耐え難い、屈辱的な恥でしかないのである!)
危うくたくさんの人の前で惨めなコケ姿を披露するところだった!
は、恥ずかしい…!
「あ、ありがとう…ございます…、ウィデっ…ウィジー様!それでは!」
恥ずかしい!恥ずかしすぎる!こんなことになってしまうなんて!
早く邸宅の中に入ろう…!
――――「おいおい、ニファ様、あんなに顔を真っ赤になさって邸宅の中へ走って行かれたぞ…!まさか、ウィジー様に…!」
「そんな…!まさかニファお嬢様が恋ですって!?けれど、お嬢様にはすでに婚約者のアシュルス殿下がいらっしゃるのよ!!」
「だが、あの能無し…いや殿下より、ウィジー様に嫁いだ方がニファ様も幸せなんじゃないか??」
…後ろで使用人たちが喧しく喋っている。
あんな小娘、誰が相手にするというのか。確かに美しい容姿であったが、僕を一眼見ただけで赤くなるような脳内お花畑とは、結婚なんてしていられない。…かのアルグランデ公爵家の令嬢はすこぶる聡明だと風の噂できていたが…どうやら期待外れのようだな。
そうはいっても、我がトラフィズ家はアルグランデ公爵家の配下。無礼な真似はできない。さっさと煽させて、帰らせよう。
…僕に、本当に、必要なのは……
「ウィジー様、デリック様がお呼びです…」
あぁ、《《今日も》》、か……。
「あぁ。わかったよ。すぐ、行く。」