第26話 絶望
翌日、予定通りにトラフィズ侯爵が私のいる客室に訪問に来た。
彼の頭は疲労のせいかたった一日で白髪が増えたような気がした。
そんな頭をゆっくり、深々と彼は下げ、申し訳なさそうに顔を上げた後、口を開いた。
「…この度は私と愚息によってアルグランデ嬢に多大なるご迷惑をおかけしたこと、誠に申し訳なく、弁明の余地もありません…」
かつて父から聞いていた彼の数々の武勇伝からは想像つかないほど弱りきった侯爵。
「さらには昨日はニフェル公爵令嬢自ら街へ下り、あのフィルスフィアの密入国者について本来私共がやるべき後始末まで処理されたとは、本当に頭が上がりません…とりあえず、令嬢の捕獲した3人は現在、邸宅の地下の牢獄に収容しております。」
「…え?」
トラフィズ侯爵によると、あの後、しばらくしてから女たちが侯爵邸までやってきて、助けを求めてきたらしい。
そして、現場に到着した頃には川周りにボロボロになって、腕と足を縄で縛られ気絶しているフェール教信者たちがいて、私がそのそばで、冷たくなったマリウスと共に倒れていたそう。
その現場を見て、私がフェール教信者を倒したと侯爵は思ったようだが…
「いいえ、私は信者たちを発見した後何者かに襲われてマリウスが負傷した後、気絶しました。ですからその3人は私が倒しているわけではないのです。」
……マリウスという言葉を口に出す度にまた心が苦しくなる。
それにしても、3人を殺さず気絶させ、事情聴取を可能に支えた状態にした上、私
たちには危害を加えなかった第3者…あの気絶する瞬間に見えた赤い瞳からも…やはり、アシュルス殿下が来ていたのかしら?
いえ、来ていたとしてもどのみち、ね。……あの時の未来を思い出してみると、殿下は私と婚約破棄をしてまで、愛し子のことを愛した。
十何年も付き合いのあった女をすぐにでも見限って、出会ってまだ日の経たない女に乗り換える程度には私のことを嫌っていたのだろう。
パズルのピースがどんどんハマっていく。今まで感じていた殿下の思いやりはげぇむの単なる強制力であり、そのげぇむの主軸である愛し子が現れればそれはなくなる。そうして、強制的に感じさせられていた私への偽りは愛情は綺麗さっぱり消え、真の愛情を愛し子に注いだのだろう。
つまり要約すると、私へ向けられる愛情は全て偽り。
いつか消えてなくなるもの。
一瞬殿下のことを考えて心が温かい気持ちになったと思ったけれど気のせいだった。
「いいえ、ですが令嬢のおかげで…」
「もう、いいですから。…少し気分が悪くなってしまいまして。今日のところは退室
願えますか?」
「わかりました。…お休み中に、誠に申し訳ありませんでした…」
部屋を出る前にまた深く礼をして、足を少し引きずらせながら、もはや帝国の英雄の見る影もない老人はこの部屋を去っていった。
侯爵が出ていった後、一旦そばにいた使用人達も外に出して、1人でローズマリーのハーブティーを飲む。用意させておいたバターケーキも一口食べ、窓際で一息つく。
「私が生きている意味ってなんなのかしら。」
これからも、気付かぬうちに自分の身代わりとなって命を失う者達がいるかもしれない、いやいるのだろう。私1人のために何人もの命が…しかも自分の意思ではなく、強制的に。どんどん心にモヤモヤが浮かび上がってくる。あぁ、なんて私は価値のない人間なの、人々を殺して、何が国民を守る、よ!私なんか、私なんか、私なんか…
そんなことを考えている暇はない、早く己の責務を全うしろ
急に声が聞こえたような気がした。
…そうだ。そういえば、そんなこと、考えている暇はない。頭の中がスッキリした。
「まぁ、いいわ。…とりあえず、彼らへの事情聴取をしにいくとしましょう」
どこかふわふわして、自分の意志が薄くなったような気がした。




