第25.5話 コーシュとアシュルス 〜ENCOUNT〜
油断はしていなかったはずだった。
しかしいつの間にか殿下は私の右隣にいて、この両手でしっかりと握りしめていた剣が地面につき刺さっていた。
殿下との一対一の対決で私は見事に大敗した。
本当の天才というものを思い知り、彼に一生ついていきたい。心底そう思った。
太陽が燦々と照り、いつもは小うるさかったカラスたちが鍛錬場の傍に静かに佇みこちらを伺っている。自然までもがこの子供の味方をしているようなそんな気分になりながら、私は地面に片足をつき、我が主君となるべき殿下に青い空の下、忠誠を誓った。
「この命、この剣、全て殿下に捧げましょう。この命が尽きるその時まで…」
殿下はこちらを一瞥した後、なんの興味もなさそうに「あぁ。」とだけ言ってこの場を去ろうとしていた。
帝国一の剣豪といってもこんなものかと言わんばかりに。
私の直感が言っていた。
ここで殿下と別れれば、これから先殿下と会うことは一生ないと。
殿下が急に覇者の風格を持ってから私が型を教えていく中で、殿下の楽しむ感情がどんどん減っていって、つまらないと思うようになっていたのは薄々気づいていたが、それにしても一世一代の決断をしたというのにここで別れるというのはあまりにも惜しすぎる。
どうにか彼を引き止められないかと一瞬の間に思考を巡らせているとポロッと言葉が出てきていた。
「に、ニファ様!」殿下の歩みが(‘に’と言った時点ですでに止めた気もしたが)止まる。
やはり効果があったか!殿下の件の訓練をたまに観覧していた可愛らしい令嬢。
よく殿下がニファと呼んでいた彼女。おそらく彼女が殿下の婚約者。
今この私の信頼度から察するに、殿下は私を側仕えとしておく気はさらさらないだろう。で、あれば彼女の護衛を名乗り出てニファ様の護衛をする中で私の有能さをアピールしていけばいい。
「このような老ぼれであっても、一昔前は冷血王として戦場で恐れられた程度には剣の技術を持っています!例えば!私が殿下の婚約者様の護衛を…」
殿下の真っ赤な瞳が私の方を鋭く睨みつけた。情熱の炎の色を纏ったその瞳からは正反対の氷のように冷たい視線。そしてゆっくりと口を開いた。
「…私のニファの名前を呼ぶな。」
今まで、本性を表す前の情けない性格からは想像もできない、低く鋭い声。
8歳の子供に情けなく怯んでしまった。
「ニファの名前を呼んでいいのはこの私だけだ。しかもお前のような男をニファの近くにおけ、だと…?冗談にしても笑えんな。ニファの愛らしさと言ったらそれはもう計り知れない。容姿だけなら多少整った者もいるのだろうが、ニファはそんなのとは比べ物にならない品格も併せ持っている。しかも…」
**2時間後**
「…そしてあの神秘的な白髪。光に透けるとより一層煌めき、風に揺れれば水面のように柔らかくたなびく。雪のように儚く見えて、けれど一本一本に意志が宿っている。それに…」
**4時間後**
「容姿だけではない。ニファはその聡明さでも右に出るものはいない。彼女はあらゆる分野に通じている。政の場でも、芸術でも、礼節でも。無知を恥じることなく、常に学ぼうとし、学んだことを誰よりも深く理解している。しかしそれを全く驕らず、日々検算しようとするその姿、誠5歳とは信じられない。そして誰も彼もを慈しむその慈愛の心…」
**6時間後**
「…そしてニファは、私が出会った中で、最も美しく、最も強く、最も優しい人だ。この世にひとつだけ咲いた白い花。誰にも汚されず、ただ風に揺れて咲き続けている。そんな彼女を私が守り続けると誓った…そんな彼女のそばにお前が侍ろうなどと…正気か?まぁ、そういうことだ。お前と話すことももうないだろう。…決して私の婚約者どのに近づいてくれるなよ?」
…殿下はこの6時間一度も瞬きをしなかった。彼の目は充血して、もはや目全体が真っ赤になっている。私は悟った。こいつ、婚約者のこと好きすぎる、と。そして思いついた。令嬢の話をすればいい感じに私を側仕えとして侍らしてくれるんじゃね?と。6時間ぶっ続けで令嬢の素晴らしさトークをしたくせに(というか、私よく6時間も聞けたな…)、話が終わったと思うと私の話を聞こうともせずに満足し切った顔でまた立ち去ろうとしている殿下を咳払いをして、呼び止めて私は話した。
「殿下が令嬢のことを本当に、ほんっとうに愛されていることはよく分かりました。令嬢の近くに私なんぞがいることも、不衛生極まりありません。」自分で言ってて悲しくなるが、殿下はその通りだと言わんばかりに首を縦に振った。「しかし、私は殿下の令嬢を観覧できる時間を増やすことができ…」
「どういうことだ」殿下が目をカッ開いて食いついた。私は続けた。「今まで私がつけてきた剣術の指導時間…もし殿下が辞めるというのであれば、この時間には新たな授業科目が挿入されるでしょう…しかし辞めないのであればこの剣術をする時間!約2時間!完全に令嬢を愛でる時間として使うことを私が黙認いたします!」
殿下がなるほど、と興味津々で聞いている…令嬢効果絶大すぎる。
「そして!私を側仕えとしてそばにおけば、殿下の他の授業時間に令嬢の一挙一動を完全に記録して提出して差し上げることができます!」
「採用。よろしく、コーシュ。」
そうして殿下は満足げに帰って行こうとした。ほぼ令嬢の監察役ではあるが、殿下の側仕えとして認められた。感涙に浸っていると、「おい、コーシュ。君は私の側仕えだろう?早く来ないか。」殿下が不思議そうにそういった。本当に私を側仕えとしてくださった。…このコーシュの後もう少しの人生、彼に全て捧げよう…そう思いながら私は殿下のそばへと走って行った。
――その後、アシュルスのブラック企業並みのコーシュをもはや人として見ていないような鬼畜強制労働ぶりに、コーシュがアシュルスの側仕えとなったことを一生後悔することになるのは、また別のお話。




