第25話 引っかかる
街から光が見えたといえど、実際についてみると案外街は暗かった。
それもそうだ。もう真夜中。
私のように戦場で訓練されたことで夜目のきくやつ以外には、店から溢れる光くらいしか見えないだろう。そうは言っても今開いている店なんぞ街の男衆の集う居酒屋くらいしかないだろうが。
私たちは先ほどまでは令嬢の歩く小道の脇にあった茂みから彼女を見守っていたが、街は森とは少々距離が離れていたので、所々の隙間に隠れつつ令嬢を尾行することにした。
令嬢は街に入ってから迷うことなく光のある方へ向かう。もちろん、居酒屋。「ニファ!そんなところに近づくな…!貴女のような淑女が近づくような場所じゃ…!」
……令嬢は殿下の悲痛の叫びも届かず、居酒屋と隣家の隙間から居酒屋の壁にその真っ白な頬を薄汚い木の板に押し当てた。
「…………っ……!」
殿下は声にならない叫びを出す。少し涙目になっていて流石に可哀想になりは
「汚れ仕事は全部私にさせてくれ…!もしくはここの老ぼれでもいいから!」
…しない。
それにしても、令嬢は一体何をしている?このような街で何を探しているのだ?屋根裏部屋で暗殺者を処理して、森で死体を処理していた間、私はあそこで何が起きたのか分からないために、流石に状況把握に当惑した。殿下に聞いてみれば、勿論「ニファのことをお前のようなカスに教えるわけがなかろう」などと言って切り捨てられた。
令嬢が壁から耳を離し、突然なんの明かりもついていない住宅街らしきところに行った。そして、革靴を一旦履き直したかと思うと大きな足音を立て、大声で啜り泣きながら大通りを歩き回った。
3分ほどしてからある一軒のライトがつき、勢いよく窓が開いた。4,50歳くらいだろうか。見た目私と同じか少し下くらいの女が、不機嫌そうな声で令嬢に向かって怒鳴った。
殿下も「ニファをあんなに怒鳴りつけるなど…言語道断…!あの女…処すか…」だとかなんとかいっていたが、もういつものことなので無視しておいた。そんな殿下の心も知らず令嬢はなんとも可愛らしい泣き顔を浮かべながら言った。
「えぁ…!ご、ごめんなさい!私、ここの近くでお母さんとはぐれて、ずっと探しているんだけれど…ど、どこにもいないの!」
一瞬私でさえこの子のことを保護したいと思ってしまった。それくらい破壊力のある顔。
けれど少し深呼吸をして冷静になってくると先ほどの少し寒気さえ感じる顔からこうまで顔が変わるものか、とますます令嬢に違和感を持ってしまうようになった。
女は先程までのものすごい剣幕が嘘だったかのようにまるで令嬢の母のような顔をして玄関まで走って令嬢に飴を渡した。そして令嬢を抱き上げ、令嬢の(おそらく)嘘泣きを宥めた後、令嬢の母を探してやろうと近くの居酒屋から5人の男を連れてきた。
令嬢に接触し、抱き上げただけでなく、そこから令嬢の近くにそこらへんにいるごろつきのような格好をしている小汚さのある男たちを連れていったことで、殿下は今すぐにでも発狂しそうだった(していた)のだが、ここら辺は割愛したい。
一行が令嬢の(空想上の)母を探しに川へと向かった。私たちは先回りしてはじめに令嬢を見守っていたときのように、川の近くにある森の茂みに隠れることにした。川には真っ白のローブを身に纏った3人が川の中でおかしな行動をしている。殿下も珍しく令嬢のいる方向ではなく、そのイカれた者達の方向を睨みつけながら眉間に皺を寄せていた。
奴らは先ほどから‘フェール様‘と叫びながら、水に溺れることを快感に感じているような行動をとった。
流石に私にもこいつらが誰なのか想像がついた。トラフィズ領の北方に位置する隣国フィルスフィア。そこでは偉大なる‘フェール神’とかいう水の神を狂気的に信仰している。
こちらと比べて格段に暑い気候であるフィルスフィアでは水が希少…とフィルスフィアの民達は信じている。
しかし実際はフィルスフィアには国の面積の1割を占める大きな河川が存在する。
けれどもその川の水一切を管理し権力を持とうと企んだ教皇によって、川の周りに巨大な壁が造られその中をフェール神を祀るための神聖な空間として民間人の立ち入りを禁止にされ、国民にその川の存在を認知されないようにした。
水の供給云々の権限は全て教皇が握っており、教皇に反発しようものなら、その地域の水の供給は遮断され、教皇に絶対的な忠誠をしない限り水の供給遮断は永遠に続く。そのためここの国ではナルシャス教皇の‘フェール教’の名の下に独裁政治が行われているわけだが…。
なぜそのフィルスフィア教信者がここに?
フィルスフィアが国全体でフェール教を信仰しているものの、一歩間違えれば死んでしまうようなその過激な信仰方法から、王都から離れた地域で、あまりフェール教に触れてこなかった一部の民たちはこの宗教に違和感を持ち、信仰しようとしなかった。
そして迫害を恐れてこの国に渡ってきたという者達は幾人か見てきたが…彼らはあいつらのように水に対して狂信的な行動を起こしていなかった。
つまり奴らはおそらくフィルスフィアからのスパイ。なるほど。令嬢が何をしようとしているのか、経緯までは分からないが、大体掴めた。
おおよそ令嬢はあやつらの偵察(もしくは始末)をしに来たというところか。
ようやく理解できて穏やかな気持ちになりながら、水の中でバシャバシャ小うるさく遊び回っている大の大人たちを横目で見ていると足音が聞こえ、令嬢一行が川近くにきた。
案の定あの者達の行動に衝撃を受けているようで、令嬢を一行の中で1番筋肉のある屈強そうな男に預けて何か話している。
それにしても…遠目からだから夢だと信じたいが、あの男、もしや令嬢に自分の腹や太ももを触らせるよう強制してはいるまいか…?
これはまた殿下が面倒なことになると、半分諦めながら殿下のいた右斜め後ろを見るとこちらと目があったのも束の間、何を聞き取ったのかなんだか険しい表情になって「くそ、心が乱れてしまった…」とか言いながら、川より手前の方、令嬢たちのいる方向の茂みへと走っていった。
何事だと思いつつ、殿下を追いかけていると突然令嬢のいる方向に向かって矢が飛んでくる。
令嬢の近くにいた屈強そうな男に綺麗に刺さる。なるほど、殿下があのような険しい顔をしていたのはこれのおかげか。男の着ている薄汚い藍色のシャツに血が滲んでいる。
それでもまだ矢は止まらない。令嬢が狙いなのだろうか、次々と矢が飛んでくる。男は自分の身を犠牲にして、令嬢を守り続けている。その献身に驚いた反面、どんな好青年であっても今先ほど会ったばかりの少女を死んでも守ろうとするその狂気さにまた少し、違和感を覚えた。
先の方で叫び声が一瞬聞こえ、それから狙撃が止まった。殿下が射手を見つけたのだろう。




