第19話 馬鹿。
主に筋肉がうざったかたせいで完全に周囲への警戒を怠ってしまっていた。
マリウスの背中に手を回すと一本の棒が刺さっていることは明白だった。
早く隠れなければ、と思っても矢は無慈悲に飛んでくる。
焦った私の視界に急に彼自慢の大胸筋が広がる。
マリウスは私をただひたすらに自分の体に包み込んだ。
何をしているんだ…?!ただここでじっとしているだなんて意味がわからない!
早く避難しなければ!
先ほど一瞬確認できたが、少し離れたところでは女達がまだ話をしている。こちらの様子には気づいていない!
助けが来ない!
「マリウスさん!マリウスさん…!早く逃げましょう!ほらお姉さん達があそこにいます!あそこまで!行きましょう!…マリウスさん?マリウスさん!?」
返事がない。何度聞いても。それどころか私が彼の大胸筋を退けようと体を動かすとそのままズルッと彼の体は夜の大地に抱かれるように崩れ落ちた。
「ま、マリウスさん!」
背中を確認すると後ろに先ほどの矢を含めて五本が刺さっていた。
そのうちの一つは広背筋を通り抜け、深さから鑑みるに彼の筋肉の内側へ届いていた。
なぜ?なんで私を助けた?私は公爵令嬢という身分ではあるものの、彼にそのことを打ち明けてはいない。彼らにとって私はつい先ほど、30分前に現れただけのただの迷惑な小娘のはずなのに…
「お嬢ちゃん、お嬢ちゃん…いるのかい?視界がなんだかぼやけて…よく見えないんだ…」
彼がゆっくりと目を開ける。街で光に照らされていた穏やかな茶色で少し巻きのある髪に、赤黒い液体がついている。
水車で話していた時に見た少し緑みがかっていて、中に私が微かに映し出されていた瞳も、今や焦点があっていない。
私は彼の手を思いっきり握った。
「ここよ!ここにいるわ!馬鹿な人!なんで…なんで!」
いつの間にか弓の雨は降り止んでいた。代わりに上からポツポツと水が落ちてきた。
「ははは、お嬢ちゃん泣いてるの?とても冷たい涙だね…」
「違うわ、マリウスさん、これは雨よ…ねぇ、なんで私なんかを助けたんですか?」
「そうだなぁ、正直僕もよく…分からない。けれど、なぜか君を守ってあげたいと思ったんだ…」
何を言っているんだ。この男は!ほぼ初対面の子供ごときを、自分のこれからの人生を捨ててまでして守る馬鹿がいるものか!なんなんだ…!この馬鹿は…!
「はは…お嬢ちゃん、やっぱり泣いてるんじゃないか…でもこれは…この涙は…とっても暖かい…」
私の手を僅かに握り返していた力がスッと消えていく。雨に当たる彼の体はひどく冷たくなっていた。
後ろから、女達が顔を青ざめながら走ってくる。
もう、起きていたくない…
あまりにも重くなった瞼をゆっくりと閉じていく、その一瞬、暗闇の中に一段と目立つ赤い瞳が一瞬見えた…




