第1話 神からの宣告(ふっ、おもしれー女…)
今日も今日とてニフェル・アルグランデは公爵家中を駆け回っている。何もただ遊び呆けているわけではない。朝5時から始まり、夜9時まで分刻みで管理しているスケジュールを彼女は粛々とこなしているのであった(5歳)。
両親がそれを強制したとか、公爵令嬢であったからなどではない。彼女は自分の公爵令嬢としての立場の重さを悟り(5歳!)、帝国を支えている国民たちに少しでも還元できればと日々奮闘しているのであった(5歳!!!)。その姿に家族はもちろん、貴族から国民まで多くの人々が胸を打たれ、今日も絶賛推し活中であった。
しかしそんな彼らには不満があった。それが彼女の婚約者、アシュルス・ベルタリーの存在である。全てが完璧なニファとは対極に、真っ暗な髪が鼻の先までかかっており、声は極細ウィスパーボイス、その上日頃の暴飲暴食によってそれはもう立派な豚へと成長した。その格好で、いつも自信のなさげに猫背でニファの隣を歩いているものだから、ニファ信者達は毎日のようにニフェルを憐れみ、アシュルスを蔑んだ。
しかし当のニファ本人は、全くアシュルスの存在を嫌っていなかったし、自分の公爵令嬢としての責務、というのもあって、婚約に対して否定的な感情はなかった。
月に一度のお茶会も存外楽しんだ。
――『に、にに、ニフェル嬢は、このハーブティーが好きでした…よ、ね。は、はい。これ!どうぞ!!』
1ヶ月前に私が少しだけ呟いた言葉を覚えてくれていたのね…
『はい…!殿下、ありがとうございます、いただきます。』
『こ、このハーブティーに使われている、ろ、ローズマリーの生産が盛んなのは、あ、アルベール領なんだが、今年はっ、天候が良かったから、さっ昨年より一段と深みのある味わいだな…』
…アルベール領は確かにローズマリーの生産を行っており、帝国の生産量のおよそ半分を占めている
…しかし元々アルベール領自体が大規模な農業地帯で、その中で目立っているのは主に貴族御用達の葡萄酒…アルベール領についてよく調べていなかったらまずわからない情報…。
貴族、農民、そして私にも思いやりを持って接してくれる優しい殿下、恋というものはまだよく分からないけれど、将来私はこの方と結婚してこの帝国を支える皇后となるのね…帝国のためにも、頑張ろう――
彼女は毎日、たくさんの人に愛され、充実した日々を送っていた。
しかし、ある日の夜、彼女の目の前に神なるものが現れて、言った。
―― 「我は神である。哀れな者達よ、お前達の国は然る時に出現する大きな邪悪によって国を傾けられる…お前達の濁ったこの国に異世界から我の愛し子が舞い降りるだろう。私のお気に入りの子だ…丁重に扱え。さすればお前達の国は永久に繁栄し続けるであろう。」
…なんとも美しい姿なんだろう。髪も目も金色に染まっている。けれど華美というより清廉な雰囲気を醸し出している。神の浮かべる微笑には、穏やかさがありつつも人を引きつけない、存在自体が絶対不可侵領域的であることを悟らせる…その荘厳なたたずまいはまさに神としか言いようがなかった。
そんなことを考えているうちに、神はもうお前に伝える事はないとばかりに足元から消えかけていた。しかしどうしても気になることがあって、ついその体に触れてしまった。
「あの、神様。一つ質問がございます。」
神が一瞬目を見開いて驚いたような形相をしていた。まずい、やはり神に触るのは御法度だったのだろうか、帝国の存亡に関わる大事な要件だ。頭で考えるより先に体が動いてしまっていた。
後悔しつつも私はその手を決して離さず、黄金色に光り輝く神の目をじっと見つめた。
「ははっ。面白い子供がいるものだ。いや…改変か?…どちらにせよ面白い。…さて。ニフェル・アルグランデ…この世界で存在すら認識されないお前如きが、この私に話しかけるのか?」
そう言って神は私の目を見つめ返した。微笑を浮かべているにも関わらず、先程までの穏やかな印象が完全に消滅し、一瞬でも気を抜けばこの神に取り込まれてしまうような…そんな感覚。
それでも私は繰り返した。
「…神よ。貴方様の愛し子を丁重に扱わせていただきたい。さしあたって、私に…愛し子の……を教えていただきたいです…」
「ん?なんと言った?そのような小さな声が我に届くと思っているのか?この軟弱も…」
「愛し子様の!好物を!教えていただきたい!です!」
「…は?好物?…神に会ったのに?ただ好物を聞くだけ…?」神の微笑が剥がれ落ちた。
「えっ…?だめですか…?でしたらせめて甘いとしょっぱいどちらが好きかだけでも!」
食というものは政治の一つだ。たった一つの料理で何億もの金が動くこともある。愛し子が我が帝国の料理がお気に召さず、他国へ行こうものなら帝国への損害は計り知れない…。
それに先ほどの神の発言…
『お前達の国は然る時に出現する大きな邪悪によって国を傾けられる』
…おそらく、愛し子がこの国に愛想をつかし、出て行くことで愛し子によって守られていた何かが破られ、『大きな邪悪』によってこの国は破滅の道を辿るということ…それだけは絶対に防がなければ!
そのためには愛し子の食の好みを知っていつまでも帝国にいたいと思わせるような料理を用意せねば…!
「ふはっ!あははは!本当に面白い!お前!気に入った!そうだ、お前、私と賭けをしないか?」
急に大笑いをしたかと思えば、さっきとは違う陽気な口調で神は私にとても突飛な提案をした。
「え?ですからただ私は愛し子の好物を聞きたいだけで…」
「だからじゃないか!この賭けをするなら、愛し子の好物を教えてやろう!!」
「…条件によります。まずはその賭けの内容・双方の賭けるもの・決着のつけ方…諸々を教えてくださいませんと。」
「お前は随分心配性なんだな…じゃあこうしよう。この賭けはこの国が滅亡したら、負け。負けたらお前は、私の嫁になれ。まぁつまり、この国が繁栄すればお前の勝ち。お前が勝てば…まぁそうだな、この私がこの国の守護神として帝国を守ろう。とりあえず15年ほどこの国を見ていよう。その間頑張って国を滅亡させないようにするんだな。」
「え…?」
おかしな話だ。この目の前にいる存在が神である以上、神は愛し子を帝国に遣さずにただ私たちが破滅する姿をただ見ておくだけ、とすることもできるはず…
そんな中でわざわざこうして人間界に降りてきてこんなお告げをしたにも関わらず、気まぐれにこの国の存続を勝負事にして、さらにその賭けを人間の小娘としようというのはどういうこと…?
加えて、今我が帝国はすでにこの大陸一の力を持つ大国…そこに神の愛し子まできてしまえば、この国のさらなる繁栄は確実なもの。滅亡という道は今のところではあるが、一向に見えてこない。どう考えても私たちに有利な条件…帝国が滅亡しないかぎりこの国は神によって守護される…それは大きな恩恵である。
で、あれば…
「わかりました。…その賭け、乗りましょう。」
「あぁ。わかった。じゃあ15年後を楽しみにしていようかな。それから我が愛し子の好物は甘いスイーツだ。」
「ありがとうございます。…ちなみに、帝国と我ら貴族は一心同体。帝国が滅亡するというのならば、私たち貴族もその責任を自ら死を持って償うのが道理。神の妻となる気はありません。それに、私にはすでに一生を共にする婚約者がおります!」
『婚約者』という言葉を口に出した瞬間、神がまたあの微笑を浮かべて言った。
「あぁ、君の婚約者のアシュルス・ベルタリーだったか…。それだぞ。この国が滅亡する理由。」
「は?」
賭けに乗ってから今まで計算していた国の繁栄の道筋が全て頭から抜けた。
どういうこと?アシュルス殿下が滅亡の原因?けれど殿下はこの国を愛していらっしゃる。自ら国を滅亡させる…そんなことがあるわけ…
「それがあるんだな。」
「…っ!」
「君、顔に出過ぎだ、…そうだな、もっとこの世界が面白くなりそうだし、この世界の未来を少し見せてあげよう。」
そう言って、神は私の頭に手を置いた。その瞬間黄金の光が私を包み、次に目が覚めると――。