第14話 シャンデリア事件(9)
「謝るべきは、…あなたよ、キース・トラフィズ。」
キース・トラフィズの目をじっと見つめながら、告げた。
しかし、彼は一向に私に目を向けようとしない。ずっと、下を向いてばかり………
……?
「キース・トラフィズ!こちらを向きなさい!」
もう一度そういうと彼は大きく響く舌打ちをした後、ゆっくりと顔を上げた。
まだ何か策があるというのか、企みを孕んだ顔。
「あーあ。バレちゃった。あの爺さん絶対バレないって言ってたのに。
俺は捨て駒だったってわけか。いや、まぁそこそこいい思いできたし…」
キース・トラフィズがウィジー様の方を見て、ゾッと寒気のするような満面の笑みでこう言った
「クソみたいないい子ちゃんをぶちのめせたし?」
「無駄口は叩かないで!あなたの勝手な行動によって何人の命が失われているのか…分かっているの?!」
あまりの下劣さに感情が昂って、つい口が早く回ってしまった。これもまた、あの薬のせいであろう。
「…そっちこそ、分かってる?ヴァレンの花の薬も、感情促進剤も…解毒薬を持っているのはこの国では俺1人だけだってこと。正直、俺1人がいなくても、この領はもう少ししたら操り人形になるんだけど…ほら、俺も捕まるのは…嫌なんだよね?」
「…………」
キース・トラフィズのいう通り、薬の解毒薬は今のところない…
そもそも、なんの薬なのかが判らないのだけれど。
しかし…
「ねぇ、そういえば、なんでウィジー様はフィーレ信仰をしていないのかしら?」
首を傾けながら、ウィジー様の方を見た。
「え、そういえば確かに…なんで僕は洗脳状態になっていない…?…いやでも、おそらく父と会っていなかったせいだと思います。杖からその薬が出ているなら…僕はそもそも杖、父に近付けませんでしたから…」
今までのことを思い出したのか、暗い表情でウィジー様はそう語った。
「ふむ、それでは不思議ですね。あなたよりもっと侯爵に近づけない者達、使用人達もこの薬に影響されていました。」
使用人というのはその家主の性格に似た振る舞いになる傾向がある。トラフィズ侯爵は元々よくいえば真面目で、悪くいうと頭が堅い。
であれば、彼の家の使用人達の性格は昔からの貴族の使用人らしい慎み深く、
指示を待つような者が多かったはずだ。
けれども、今日私がこの屋敷に入った瞬間彼らは自らの表情管理もせず、私を半ば強引に応接間へ通した。
一名門侯爵家の使用人としては、決して褒められたものではない。
「つまりですね…?ウィジー様は薬の効果を定期的に消滅させていたんです。」
「いや…!しかし、僕は一度もこの家に薬が蔓延っていることを知らなかったし、
抗生物質などを飲んだこともないのです!」
キース・トラフィズに聞かれないよう、ウィジー様の耳元でそう囁いた。
「貴方の大好きな果物があるでしょう…おそらくあれが解毒薬の働きを担っているのです」
「ひゃうぇぇぇぇ!!えぇぇぇ!あ、ほほ、本当ですか?!」
ウィジー様は大変驚いた様子だった。顔が赤くなってしまうほどに。
「お嬢様っ!!!!そのようにせずとも私がこの男の鼓膜を剥ぎ取ります!ですからそのようにお近づきにならないでもよろしいかと!!!!」
「分かったわ…けれど鼓膜は破らないであげて…あとで聞かせて差し上げたいことが山ほどあるもの…」
キース・トラフィズにゆっくり視線を向けた。
「ヒッッ…!」
あら、失礼ね。ただ見ただけなのに。
「チッっ…今に見てろよ、あの悲劇系ヒロイン気取りのガキ…事が片付いたらすぐに処分してやる…」
キース・トラフィズを拘束したレイヴンのいる後ろ側から何か聞こえて気がするが…
聞こえなかったことにして、私は続けた。
「今日、使用人達にトラフィズの特産品を紹介してもらっていたのですがその時スターフルーツのスイーツを食べた瞬間だけ、森の健やかな洗練された匂いがしたのです。
おそらくですが、スターフルーツを食べたことで、感覚神経をも鈍化させてしまう薬の効果が一時的に薄まったことで一瞬それを嗅ぎとれたのかと。」
自分の行動や性格にいくら細心の注意を払っていた者でも自分のしていたことに気づけなかったのだ。嗅覚も気付かぬうちに鈍化させられ、より感覚を鈍らせられていたのだろう。
…この辺りでいいか。レイヴンに視線を送り、キース・トラフィズの耳を聞こえるようにする。
「…!なるほど!ではそれを使えば、使用人達も、父上も元に戻るんですね!」
今まで何を私たちが話していたのかも分かっていないキース・トラフィズに一瞥して、
私はにこやかにこう言った。
「えぇ…!そうです。」
もう一仕事あるけれども、それは彼には関係ない。私が終わらせてしまおう。
それにしても先ほどからキース・トラフィズの顔がみるみるうちに悪くなっている。
「さて、というわけでキース・トラフィズ。どうやら貴方の解毒薬は必要ないようです。
けれども貴方には聞きたいことが山のようにあります。帝国留置所まで移動することとしましょう。」
「…はっ!ここで終わるわけには…いかねぇだろ?」
薄気味悪い笑みを浮かべてキース・トラフィズが大きな足音を上げた。
「ははははははは!お前らみんな地獄行きさ!」
何…?何が起きるの…?思わず身構えたものの、1分、2分経っても何も起こらない。
「「「「…?」」」」
「は?なんでだ何故こない?!おい!おい!」
天井に向かって何か叫んでいる…暗殺者を配置させていたけれど、逃げられてしまったというところか。
「キース・トラフィズ…留置所へ。レイヴン、お願い。」
「お、おい!なんかさっきより短いというか…冷たくないか?!おい!ち、ち、ちくしょー!」
(清々しいほど典型的な悪役の捨て台詞だな…)レイヴンは逆に感心しながら、
キース・トラフィズもとい、倫理観蒸発系男を留置所へと運んでいくのであった…
事件の波がひとまず落ち着き、父上は先ほど使用人達に連れられて、
ご自分の部屋へと戻られた…部屋には僕と彼女2人っきり。
先ほどから気になっていたことを、思い切って聞いてみることにした。
「…僕はスターフルーツが大の好物です。
しかし、農業しか取り柄のない侯爵家、ましてやそこの次男坊なんぞの好物を何故ご存じなのですか?」
あたりは日が暮れ始めて、彼女の白髪がオレンジ色に染まっている様子はなんとも神秘的だった。
彼女の小さな口が動く。
「ウィジー様が甘党であることは社交界の情報網から存じていました。しかし、特にスターフルーツが好きだと教えてくれたのは、この家の使用人達です。
直接私に向かってこれは貴方の好物だ、と明言されたわけではありませんが、色々な所で、貴方が好きな食べ物が今年も豊作だとか、これもお好きなんじゃないかとか話していました。ウィジー様は使用人の皆様にとっても慕われているようですね、そういう信頼の厚さは立派な後侯爵家後継者と言えるでしょう。」
そこには世辞も何も含まれていない純粋な笑みがあった。
彼女のスカイブルーの瞳の中には小さく私の影が映っている。
その瞬間、私は、堕ちてしまっていた…ニフェル・アルグランデという、史上最高の天才令嬢に。




