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第5話 クラリッサから見たトリノとローマンの婚約破棄劇

『ガラスの婚約 ―クラリッサ視点―』

春の風は冷たい。なのに白薔薇は今年も見事に咲き誇っていた。


――綺麗、だけど脆い。


ふと、そんな言葉が浮かぶ。昔、父が言っていた。薔薇は強さの象徴でもあるが、本当の強さは棘の奥にある芯の部分なのだと。


「クラリッサお嬢様、準備が整いました」


侍女の声に、わたしは小さく頷いた。鏡に映る自分の顔――銀の髪を流し、紫の瞳に影ひとつない化粧。完璧。いつだって、そうでなければいけないの。


だって、誰も弱いわたしなんて、求めていないのだから。



わたしは、父の子じゃない。


――リドグレイ伯爵家の“血”は引いていない。


でも、それは関係ない。求められる役割を果たすことが、この家にいるための条件だった。完璧な令嬢。誰にも隙を見せない、冷たい薔薇。


それがわたし、クラリッサ=リドグレイ。


 母に言われたのよ。「あのトリノが使えないぶん、あなたが上手くやるのよ」と。


ミレイア姉さんは最初から何も言わなかった。あの人は美しいだけ。誰にでも笑顔を向けて、綺麗なドレスを着て、優雅に舞う人形だった。けれど、あの“無能な令嬢”――トリノだけは、どこまでも邪魔だった。


できないくせに、夢を見る。愛されたいと願う。誰かを信じて、すがりつく。そんな子が、どうしてローマンの許嫁になれたのか、今でも理解できない。


「……そろそろ、時間ね」


庭園の白薔薇のアーチ。彼はそこに立っていた。赤いマント、整った横顔、あの整いすぎた微笑み。


「クラリッサ……遅かったな」


「ごめんなさい。髪がなかなか決まらなくて」


嘘。こんな日のために、昨日から仕込みは済ませていた。


ローマンは何も言わず、軽く頷く。彼の視線が庭の奥を向いたとき、わたしも見た。やって来る、あの子の姿――トリノ。


(どうして、あなたはそうやって、期待した目で来るの?)


きっと今日も“奇跡”を信じている。報われない願いを、どこまでも手にしようとする。


けれどそれは、わたしのもの。


彼は――ローマンは、わたしの子を、もう宿している。


それは現実。夢ではない。


「……クラリッサ嬢と、結婚することにした」


そう口にした彼の声は、少しだけ震えていた。けれど、しっかりしていた。あの子の目が揺れるのが見えた。崩れていく表情。それを、見届けるのがわたしの役目だった。


「……え?」


愚かな反応。でも仕方ない。信じていたのだろう。わたしじゃなくて、彼を。


「君との婚約は破棄させてもらいたい」


冷たい言葉。だけど、それが正しい。夢はいつか終わるもの。


「クラリッサ嬢は、今、僕の子を身ごもっている」


(……言ったわね、ローマン)


ほんの少しだけ、胸が痛んだ。たぶん、罪悪感。あの夜のことは、誰にも話さなかった。けれど、あの夜、確かに彼はわたしを選んだ。トリノが何を言っても、もう意味はない。


「……あなたの許嫁なのに……っ」


ああ、泣き出しそうな顔。けれど、涙も出ないのね。本当に哀れ。だけど――それでよかった。


あなたは最初から、“許嫁”でしかなかったの。家と家を繋ぐ駒。愛されたことなんて、一度もなかった。


……そうでしょ?


「思い込みが激しい」


ローマンの言葉が、刃のように突き刺さる。


「これは、君のためでもある」


それは優しさではない。ただの切り捨て。でも、それでいい。わたしたちが欲しいのは“未来”であって、“記憶”じゃない。


彼は立ち去る。わたしは黙って見送る。トリノが崩れ落ちても、誰も止めない。助けない。だって――それがこの屋敷の“常識”なのだから。



その夜、寝室で一人、鏡の前に座っていた。


お腹に手を当てる。まだ形もない、小さな命。


(本当に、これでよかったのかしら)


一瞬、よぎる不安。それをかき消すように、扇子を閉じた。母の真似。冷たく、優雅に。


「よかったに決まっているでしょう」


呟いた声は、自分自身を叱るように響いた。


わたしが勝ったのよ。誰よりも、美しく、誰よりも“選ばれた”のだから。


そう――わたしは、この世界で生き残るために、“信じる”ことを捨てたのだから。


――誰も救ってくれない世界で、生きる方法を選んだの。


トリノ。あなたが信じていた“奇跡”は、もう壊れた。


次は、あなたが“現実”を生きる番よ。


たとえそれが、どんなに苦しくても。


(だから、泣かないで)


(あの時のわたしのように――)










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