第40話 リノ、ヴァルシュタイン公爵家の養女になる
『旅立ちの旋律 ―運命の調べ―』
その知らせが届いたのは、王都の空に春の風が吹きはじめたころだった。
「リノ殿に、王よりお言葉がございます」
王宮の執務室。赤い絨毯と大理石の床。重々しい空気の中、使者がそう告げた瞬間、リノは思わず息を呑んだ。
「お、お言葉って……?」
隣にいたレオニスが、リノの肩をそっと支えるように手を添えた。
「父上が君に直接言葉をかけるということは、ただの呼び出しじゃない。おそらく……」
その先を言わずに、彼は小さく息をついた。
リノは覚悟を決め、うなずいた。
(どんな内容でも、逃げずに受け止める。今のわたしなら……できるはず)
**
王の間。天井まで届くステンドグラスから、やわらかな光が差し込んでいた。
その中心に、王がいた。年老いたその顔には威厳と優しさが宿っている。
王はリノを見るなり、穏やかに言った。
「よく来てくれたな、リノ。――いや、“リノ嬢”と呼ぶべきかもしれんな」
リノは思わず、ぴたりと足を止めた。
「え……?」
「そなたを、この王国の名門・ヴァルシュタイン公爵家の養女として迎えたい。そして、王家の者と正式な婚約を結ぶ資格を与える」
胸の奥で、何かがはじける音がした。
「まさか……それって……」
レオニスが、そっと前に出る。
「父上、つまりそれは……」
「そうだ。そなたと、レオニス――第3王子との婚約を、正式に許すということだ」
空気が、止まった。
リノの耳には自分の心臓の音しか聞こえなかった。
(婚約……? わたしが……王子と?)
あまりにも現実離れした話に、思考がついていかない。
でも、王は静かに続けた。
「民はそなたを“希望の象徴”と見ている。だが、ただの歌姫では、国の中枢に立つには限界がある。だからこそ、貴族の籍を与え、名を正し、そなた自身に“王国の未来”を託したいのだ」
それは、逃げ場のない命令ではなかった。
それは――信頼だった。
王の眼差しに、重たい責任と、確かな期待が宿っているのが分かった。
「リノ」
レオニスが振り向いた。まっすぐ、優しい目で。
「……これは、父上の命令だけど、僕の願いでもある。ずっと、君のそばにいたい。君となら、この国を変えられると信じてる」
(レオ……)
一緒に歩いた夜の街。剣と歌で戦った日々。苦しみを分かち合い、笑い合ったあの瞬間たちが、胸に浮かぶ。
リノは、ゆっくりとうなずいた。
「……はい。わたしも、あなたとなら……前に進める気がします」
その瞬間、王の表情がやわらいだ。
「よかろう。リノ=ヴァルシュタイン。これよりそなたは、我が王国の未来を担う一人となる。誇りと覚悟を胸に、生きよ」
**
その日の夕刻、公爵家の館にて、正式な“養女縁組”の儀が行われた。
ヴァルシュタイン公爵家は、代々音楽と芸術を愛する名家で、リノの才能にも深く感銘を受けていたという。
「君のことは、すでに“娘”のように思っているよ」
そう笑ってくれた当主の言葉に、リノの心が少しずつほぐれていく。
新しい姓、新しい居場所。新しい未来。
でも、その隣には、ずっとレオニスがいた。
**
数日後、婚約の発表が行われた。
王都中が湧き立ち、広場には祝福の花が舞った。
「見たか? 王子様とあの歌姫だよ!」
「まるでおとぎ話みたい……!」
リノは、新しいドレスに身を包み、バルコニーから民の声を聞いた。
(わたしが……あの屋敷から逃げ出したとき、こんな未来が待ってるなんて、思いもしなかった)
隣で立つレオニスが、ふっと笑う。
「君は、僕にとっても王国にとっても、奇跡だよ」
リノは、照れくさそうに笑い返した。
「でも奇跡だけじゃ、未来は作れない。わたし、ちゃんと努力する。ちゃんと、歩いていくから」
「一緒に歩こう、リノ」
ふたりの手が、そっと重なる。
その手は、かつて孤独に震えていたリノの手じゃない。
希望と決意を握る、未来へとつながる手だった。
**
夜、ふたりは城の中庭に出た。
花の香りと静かな月明かり。レオニスが、リノにささやく。
「ねえ、あの日、君が最初に歌った歌、覚えてる?」
「もちろん。あれが、すべての始まりだったもん」
リノは、そっと口ずさむ。
♪――生きて、生きて、生きてゆく
この声が届く場所まで――♪
レオニスが小さくつぶやいた。
「きっと、この歌は……未来にも残るね」
「うん、わたしたちの歌だから」
そして、ふたりは手を繋ぎ、静かな夜の中、未来を見つめた。
それは、ただの婚約ではなかった。
“運命を共にする”という選択だった。
少女は歌姫となり、王子はその心を選んだ。
ふたりの旅は、まだ始まったばかり――。
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