第39話 リノ、王都の歌姫になる
『旅立ちの旋律 ―希望の歌声―』
王都の夜に起きた襲撃事件から、数日が経った。
リノは今、宮殿の中庭にいた。咲き乱れる花々のあいだから、朝の光が差し込んでいる。けれど、その視線は外の景色ではなく、今にも溢れ出しそうな胸の鼓動に向けられていた。
(まさか、こんなことになるなんて……)
事件のあと、レオ――第3王子レオニスのはからいで、リノは一時的に王宮に保護されることになった。
音楽隊の仲間たちは無事で、再会も果たせた。だが、それ以上に、リノの“歌”が人々の耳と心に深く残った。
あの夜、彼女の歌声が敵の心を揺さぶり、王子の剣を支えたという話は、瞬く間に城中に広がった。そして、王の耳にも届いたのだった。
「この子の声は、民の心をひとつにする力を持っている」
そう口にしたのは、レオニスの父である国王だった。
やがて、王城から“正式な依頼”がリノに届く。
――王都の広場で、王国の再建を祈る式典にて、歌を捧げてほしい。
それはただの依頼ではなかった。
「王国の象徴」として、希望を託す存在になるという意味だった。
「……わたしが?」
王宮の一室で告げられたその言葉に、リノは思わず立ち尽くした。
「あの夜、君の歌が民に届いた。ならば、今度は正面から、それを伝える番だ」
そう語るレオニスの瞳は、真剣だった。
けれど、リノは迷っていた。
(わたしなんかが、本当にそんな……)
ただの逃げ出した少女。前世では平凡な会社員。特別な力があるわけじゃない。だけど――。
「君は、もう一人じゃない。君の歌を待っている人たちがいる」
その言葉に、心がふるえた。
(……信じよう。わたし自身を)
**
式典の日。王都の中心広場は、あふれる人で埋め尽くされていた。
兵士たちが周囲を固め、貴族たちが高い席から見守る。その中心、仮設の舞台には、白と青のドレスをまとったリノの姿があった。
耳に届くざわめき。緊張で手が震える。足もすくみそうだった。
でも、舞台の脇で、レオニスが優しく頷いた。
(大丈夫。わたしは、ここにいる)
深く息を吸い、目を閉じた。
そして――。
♪――荒れた大地に 小さな光
それでも 誰かが信じた夢が
いま ここに芽吹く――♪
風が止まったように、広場が静まり返る。
優しく、強く。まるで誰かの手を握るような歌声だった。
リノの声は、王都の空に広がっていった。歓声もない。ただただ、聴き入る沈黙。目に涙を浮かべる老夫婦。帽子を胸に抱える兵士。子どもたちの瞳が、まっすぐ舞台を見ていた。
歌が終わった瞬間――。
大きな拍手が、王都を包んだ。
「リノ!」「歌姫様だ!」
あちこちから声が上がる。
リノは驚いたように目を見開き、それから小さく笑った。
(これが……わたしの歌)
**
式典の後、王宮のバルコニーにて。
「本当に、よくやった」
そう声をかけてくれたのは、レオニスだった。
「君の歌が、王国の“希望”になった。父上も、君を正式に“王国の歌姫”として迎えるつもりだ」
「王国の……歌姫……」
「これからは、ただの旅人じゃない。君の歌が、国を動かすかもしれない」
それは、まるで夢のような話だった。
でもリノは、静かに頷いた。
「わたし……この国が好き。だから、できることをしたい。わたしの歌で、誰かの明日が少しでも変わるなら」
そう言って、リノは空を見上げた。
かつて見上げた、屋敷の夜空とは違う。今は、自由な風が吹いている。
そして、隣には、レオニスがいる。
**
その日から、リノは王都中で注目される存在になった。
通りを歩けば人々が笑顔で手を振り、子どもたちが歌を真似した。
彼女の名は、ただの歌姫ではない。
――“希望の象徴”。
それは重い言葉だった。でも、決してひとりで背負うものではなかった。
**
夜、レオニスと並んで中庭を歩く。
「リノ。これから、いろんなことが待ってると思う。きっと、簡単じゃない。でも……」
「うん、でも……一緒にいるなら、乗り越えられるよね」
ふたりは顔を見合わせて、そっと笑った。
王国の未来は、まだ霧の中にある。
だけど、リノの歌声と、レオニスの想いが交わったとき――その霧は、きっと晴れていく。
**
「ねえ、レオ。今度、一緒に歌ってくれる?」
「……僕の歌声なんかでいいのか?」
「いいに決まってるよ。あなたとだから、届けたい気持ちがあるんだ」
星の下で、ふたりはまた新たな約束を交わす。
それは、王国と未来への誓い。
そして――まだ続く物語の、ほんの一章にすぎなかった。




